煙突からの訪問者


【BASTARD!! ガラカル】




冬のある日だ。
12月と言えば一年の終わり。
しかし凍えるような寒さはこれからの数ヶ月が本番だ。
生き物は暖かな芽吹きを夢見ながら長い眠りにつき、空は凍え、地上を白く染め上げる。
カルの生まれ故郷は辺境の古代宗教に縛られた村だった。
毎年この時期になるとその冷たい村が僅かながらに賑やかしく飾りつけられた風景を思い出す。
しかし、今更そんな百年も前のことに縛られる気は無かった。
それに、宗教上の行事だったからと言ってカルがその習慣を続ける理由も、必要もない。
神に祈り、感謝を捧げる行事も、そんな宗教も、今のこの世界で覚えているのはカル一人だけかもしれない。
この地上に生きる全ての人類にとって、もう神は祈るべき存在ではないのだ。
神の名の下に天使が地上を浄化し始めてから、どれほどの月日が経っただろう。
古の時代から神と敵対する悪魔もろとも、降臨した天使たちは地上の人間をまるで虫ケラのように踏み潰していった。
そんな存在に祈りを捧げ続ける酔狂な人間はもう地上には存在していない。
もしそんな人間がいたとしたら、その人物は天使による蹂躙の及ばない世界の反対側の辺境に閉じこもっているか、 天使の所業を知りながら慈しみを忘れない器を持っている者か、そうでもなければ余程の馬鹿者だろう。
たった一本の蝋燭がゆらゆらと灯されている窓辺で、カルは分厚い本を撫でるように掌を這わしていた。
視力を失ってからというもの、一番不自由しているのがこれだ。
大体の物体はカルの魔眼で認識出来る。その為カルは真夜中と言えど灯りを必要としない。
それでもカルの目の前で蝋燭の灯が揺らめいているのは、散らかした部屋に足を踏み入れたもう一人の存在がいろいろと苦言を呈するからに他ならない。
カルにしてみればどんな暗闇であろうとこの部屋の中にある物は全て見えている。
ものにはそれぞれ使用者の思念が残っていたり、魔具や古代文書からは言い知れぬ魔力が溢れていた。
それらは多種多様でどれも性質が異なる。それらの違いをカルは魔眼で視ているのだ。
しかし中にはそれが無い物もある。
カルの目の前に広げられた古文書は古すぎて著者の思念も術者の魔力も薄れている。
このような状態の書物は目で字を追って根気強く理解していくしかないのだが、生憎カルにはその普通の視力がないのだ。
だから僅かな痕跡を辿るため、全ての神経を指先に集中させる。
その時、ぐわん、と地面が揺れた。
方舟以降、地球上で強大な力がせめぎ合っている影響か、よくこういう地鳴りが起こる。
高く積み上げられた書物がバランスを失いバサバサと倒れる音に集中力を削がれたカルは、ふとその中に本とは違う何かの気配を感じ、振り向いた。
誰かがいる……。
DSの残した隠れ家を知っている人物は片手の指で足りる程に少ない。
隠れ家にいるもう一人の少女の存在ではない。彼女ならば、カルが疑問に思う間もなくこの部屋の惨状について口を尖らせているところだろう。
ならば、誰だ。
カルは崩れた本を掻き分け、気配の元へ進んだ。
その先には随分と使い古され、忘れ去られている暖炉があった。
DSがいた頃は毎年冬になると暖められていたその暖炉だが、DSを失い長いこと放置されたせいか埃や灰が厚く降り積っている。
そこに何かが落ちたのであろう。
暖炉へ近づいたカルは空気の悪さに少しだけ咳払いをした。
他人の思念だと思ったのは、どうやら灰の中に落ちた何からしい。
膝を折り灰を掻き分け手に取ったのは、手のひらに丁度収まる大きさの魔法石だった。
魔法石とは言っても、手の中の石から感じる魔力は少ない。
元は術者の力を高める石だったのかもしれないが、長い年月を経たことで蓄えていた魔力は失われていた。
丁寧に磨き上げられた大ぶりのそれは魔力こそ失っているものの、魔力を蓄える希少な石には宝石としての価値は残っているだろう。
魔法石を縁取る彫刻の様子から、それはただの魔具ではなく装飾品のようなものだとわかった。
なぜそんな魔道具として無意味なものがこの部屋に落ちていたのか。
装飾品の類に全く興味の無いカルには思い当たる節がない。
しかし、そんなものを持って来そうな人物に心当たりはあった。
最近姿を見かけないが、自分にそんな贈り物をする人物などそれこそ一人しかいない。
彼が来たのか……。
ふと考えて、カルはそれを否定した。
装飾品に残された思念は少なく見積もっても方舟墜落以前のものだ。
それに恐らく自分に会いに来たであろう彼が、ここまで来て顔も見せずに立ち去るわけがない。
ただ暖炉へ落ちてきたのではなく、暖炉の内側には僅かに何かを引っ掛けていた痕跡が見て取れた。
まさか、冷え込むこの時期にカルが暖炉に火を入れると見越して、その時に注意深いカルならばこの存在に気づくことまで予想して、彼はこんなものを仕掛けたのだろうか。
彼の姿もここ数年見ていないし、あんなに派手で目立つ大きな男だ、死んだとすれば風の噂で耳にする筈である。
手の中の宝石はカルにとってはただの石の塊に過ぎない。
魔力も枯れ果て、宝石に魅力を感じないカルの目にはただの石ころ同然でしかないそれに残された僅かな思念がカルの口を開かせた。
大昔の行事では、クリスマスの贈り物は煙突からの訪問者が運んでくる。
今時そんなことを信じている人間はこの地球上には数えるほどしか存在しない。
そんな人物がいるとすれば、その人物は天使による蹂躙の及ばない世界の反対側の辺境に住んでいるか、天使の所業を知りながら慈しみを忘れない器を持っている者か、そうでなければ余程の馬鹿者だろう。
それでもその石を捨てる事も出来ず、ただカルは石を抱きしめ、もう一度だけ彼の名を呟いた。