小さな小さな奇跡
【遊戯王 クリカイ】
今日は鍋にしよう。
夕食のメニューも決まらぬままとりあえず買い出しの為玄関を出たカイトは、すっかり凍えきった真冬の寒風に襲われ、外出2歩目で今夜の献立を決めた。
ぐるりと巻いたマフラーで口元を隠しながら、いつもより賑やかしい通りを歩き出す。
肌触りの良い暖かなマフラーはつい先日、弟のハルトから贈られたものだ。
ふわふわとしたそれの暖かさに、身体だけでなく心まで暖められている気分になる。
今日は12月25日、クリスマス当日。
イルミネーションで照らされた街の人通りは心なし多い。
二人で寄り添いながら歩くカップルはもちろん、一人こうして近所のスーパーへ向かうカイトの姿も他人から見ればどこか浮き足立っているように見えるのだろうか。
決して寂しい独り身であることを僻んでいるわけではないのだが、何となくカップルで溢れかえるイルミネーションの通りから遠ざかりたくて、
カイトはそそくさと逃げるようにして目当てのスーパーへ飛び込んだ。
スーパーの中は少しばかり華やかしく飾られていたものの、店内には外のような甘い空気などなく、いつもの淡々とした光景が広がっている。
特設の鍋コーナーを物色しながらカイトは思わず立ち止まった。
一口に鍋と言ってもその種類は様々だ。
定番の寄せ鍋や水炊きの他、おでんにもつ鍋トマト鍋……と、特設コーナーに並んだスープの素のパッケージを眺めているとその種類の多さに思わず目移りしてしまう。
どの味にしようかと手に取り眺めていたカイトは不意にあることに気づいた。
鍋と決めてここまで来たが、スープのパッケージに記載されている内容量は3〜4人分。
一家族分には手頃だが一人暮らしにこれでは多すぎる……と、よく目を凝らせば、隅の方へ追いやられ今のカイトのように肩身の狭い思いをしている1〜2人用のパックが目に入る。
仕方ない、と思いつつカイトは幾つかのスープの素を手に取った。
正直これでも少し持て余すくらいだが、既に鍋と決めてしまっている以上、ここで手を打つしか無い。
今更あれこれと献立を考えるのも正直面倒だ。
と、カイトが鍋の素を物色しているそこへ新たに一人の客が近づいて来る。
建物の中はそうでもないが、外へ出た者なら少しくらい鍋が恋しくなるのも仕方がない。
いつまでも迷っているわけにはいかない、オーソドックスな寄せ鍋の素をカゴに入れようとしたカイトの耳に、驚いたような声が降った。
「カイト……?」
突然名前を呼ばれ、カイトも反射的にその人物を見上げる。
見上げた先で、カイトも驚きの声を上げた。
「クリス……」
「驚いた、こんなところで君に会うとは」
「……俺もです」
クリスには昔、カイトの家庭教師をしてもらっていたことがある。
その頃からカイトはクリスを前にすると妙に緊張してしまっていたが、今もきっとカイトの頬は赤く上気しているだろう。
それをクリスに悟られたくなくて、口元を隠すように少しだけマフラーを引き上げた。
「今夜は鍋料理かい?」
「はい。今日は寒いので……」
カイトの言葉にクリスはふっと笑みを浮かべた。
「そうだね。今夜は特に冷える。独り身には一段と寒い夜になるかな」
カイトの横で立ち止まり陳列棚から商品を手に取ったクリスは僅かに苦笑していた。
その横顔にカイトは思わず声を掛けてしまう。
「……彼女とか、いないんですか……?」
まるで自分が独り身であるようなクリスの言葉が意外すぎて、思わず本音が口をついていた。
自らの発言にはっと我に返ったカイトの焦り顔を、クリスはきょとんとした顔で見下ろしている。
「……す、すみません……」
「いや、少し驚きはしたが……謝ることはない」
軽く笑みをこぼすクリスにカイトは居たたまれない思いでうつむいた。
昔からクリスは背も高く、頭も良かった。
同性のカイトから見てもそのルックスは整っていたし、きっと女性にもモテるだろう。
そんなクリスに彼女がいないはずがない。
さっきの発言だって、きっと今日はたまたま用事が合わなかっただけだろうと冷静に考えればわかることだ。
自分の早合点に恥じ入ったカイトに、クリスは続けた。
「そうだな……今日みたいな日に一人で出歩くのは思ったより肩身が狭いものだな」
ここへ来る道すがらカイトも目にした街の光景は、どこを見渡してもカップルで溢れかえっていた。
恐らくクリスも似たような光景を目にしてきての発言だろうと察し、小さく頷く。
「ご覧のとおり寂しい独り身だ。残念ながらね」
さらりと告げるクリスの表情はしかしどこか楽しげで、カイトには少しだけ意外に思えた。
面食らったような表情のカイトにクリスは小さく肩を竦めて見せる。
「……私のことより、カイトの方こそどうなんだ?」
「えっ」
急に自身へ白羽の矢が立ったことで、カイトは動揺を取り繕う暇もない。
「そういう人がいるのかい?」
「い、いませんよ…っ!」
普段物静かなクリスにしては珍しく、悪戯っ子のように口角を上げた笑みに見つめられ、カイトはどぎまぎする。
色白の頬を赤く染め慌てるように否定するカイトに笑いかけながら、クリスはポツリと呟いた。
「と言うことは、私達はお互い折角の聖夜なのに寂しく独り身ということか……」
「そう、ですね……」
クリスの言葉にカイトは改めて今夜がクリスマスだという事実を思い出した。
恋人のいない男が二人、スーパーの一角で立ち尽くしている状況は傍から見ればかなりいたたまれない光景なのではないだろうか。
「…………」
カイトは手にした鍋の素を呆然と見下ろしながら、それをカゴに入れるのを少しだけ躊躇する。
冷静に考えたら一人で鍋というのもどうなんだ。
いつもだったら気にもとめないことだが、運悪く今日という日に一人で鍋料理となると、少しだけ周囲の視線が痛い。
今更ながら献立の決心が揺れてしまうが、相変わらず代案も浮かばず寄せ鍋の素を見つめたまま暫しカイトは固まった。
そんなカイトに気づいたのだろう。
じっと商品を凝視し続けるカイトの手元を覗きこんだクリスの視線が、カイトの持っていた寄せ鍋スープの素に止まる。
「私も鍋料理にしようかな」
クリスはしげしげと鍋物コーナーを覗きこむと、カイトと同じ商品を手に取り言った。
クリスも鍋にするというのならやっぱり自分もそうしようかな、などと考えがコロコロ変わってしまう自分に呆れ返ってしまいながら、カイトはクリスに聞かれないよう小さく溜息を吐いた。
「もしよかったら、一緒に食べないか?」
「…………え」
聞き間違いかと、カイトは耳を疑った。
反射的にクリスと顔を見合わせると、二人の間に長い沈黙が流れる。
店内に流れ続けていたテーマソングがタイミング良く終わりを告げ、また最初から同じフレーズを繰り返す。
カイトは驚きの余り声を失っていた。
長すぎる沈黙に何か言葉を発さなければと焦る心と裏腹に、緊張のため引きつった喉からは掠れた音が漏れるのみである。
「……すまない、唐突だったかな」
カイトの沈黙を拒絶と受け取ったのだろう、クリスはどこか遠慮がちに口を開いた。
「変な意味は無いんだ。ただ、どうせ鍋物にするなら一人では味気ないと思って……──」
「っ、俺も……っ!」
クリスの言葉を遮るように、カイトは声を上げていた。
少しばかり大きな声を出したカイトにクリスは面食らったように瞬きし、言葉を飲み込む。
カイトも予想外の声量に驚いて慌てて辺りを見回したが、幸いにも目に見える範囲に他の客の姿はなかった。
それから羞恥心のため酷く声を落として、カイトはクリスを見上げる。
「俺も……その、一人で食べるには量が多いかなって思っていたところなんです」
そう言って手に持ったままの商品に視線を落とすと、カイトの視線につられるようにクリスもパッケージを眺めた。
一人で食べるには多すぎるスープの量も、二人で食べるとなると最適な量に見えてくる。
カイトの言わんとすることを察したクリスとお互いに顔を見合わせながら、どちらからともなく笑みをこぼした。
「そうと決まれば、早く鍋の種類を選んでしまおう。いつまでもここにいるわけには行かないからね」
珍しく口元に弧を描いたクリスに促され、カイトは両手に持っていた異なる種類の鍋を見比べた。
「あの、クリスはどの味がいいですか?」
クリスと二人で食べる以上、カイトの好みだけでは決められない。
定番から変わり種までバリエーションに富んだ商品を前にして、カイトはクリスに尋ねた。
「そうだな……」
クリスは少し悩む素振りを見せながら、陳列された商品と、カイトの手にした2つの商品とを見比べる。
「2つとも買ってしまおうか」
「えっ!」
カイトの手の中の商品を指しながらクリスが言う。
「どちらにしようか迷っているんだろう?両方買って食べ比べてみよう」
カイトが何を言ったところで、カイトの遠慮を見抜いているクリスには聞くつもりがないのだろう。
それがクリスの優しさだと知っているカイトは、クリスに連れられ漸く、長々と立ち止まっていた鍋物特設コーナーを後にした。
その後は二人であれこれと相談しながら買い物を終え、入店時とは違い二人揃って店を出る。
自動ドアが開いた瞬間、二人の間を再び身を切るような寒風が吹き抜けた。
「何だか雪になりそうな寒さだな」
「そうですね……ぁ、」
寒さに身を震わせたカイトの目に、同じようにコートの前を合わせたクリスの姿が映る。
クリスもカイトと同じように、裾の長いコートと手袋を身につけていた。
しかしカイトの暖かな首元と対照的に、クリスの首元にマフラーは無く、コートの下に着ているらしいタートルネックのセーターが覗いているだけである。
その首元が少し寒そうに見え、そう思い立った瞬間、カイトは身に着けていたマフラーをするりと解いた。
クリスの前に立ち、足りない身長は背伸びをして少しだけ埋め、カイトは腕を伸ばしてクリスの首元へふわりとマフラーを巻きつける。
「────!」
突然近づいたカイトとの距離に、クリスが僅かに息を呑んだ。
「これ……ハルトに貰ったんですけど、凄く暖かいんです」
そう言ってカイトは柔らかく顔をほころばせた。
弟に貰った長めのマフラーは背の高いクリスにも違和感なく収まっている。
「しかし、これでは君が風邪を引いてしまう」
「大丈夫です、寒いだろうなと思ってたのでカイロも持って来てるんです」
そう言ってカイトはポケットから手のひらサイズのカイロを取り出した。
家から一番近いこのスーパーまで歩いて十分程度ある。
寒さを覚悟してカイロを忍ばせていたのが役立ったことで、カイトは少しだけ誇らしげに言った。
「準備がいいな」
「マフラーを貰った翌日に風邪を引いたらハルトに怒られますから」
心配掛けたくないですし、と続けるとクリスも小さく笑みを浮かべる。
カイトが弟を溺愛していることを知っているクリスは、このマフラーがただの防寒具ではなくそれ以上の物であると知っているのだろう。
少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべていたクリスは、しかし、何か思い浮かんだように表情を明るくして、先程カイトが巻いたマフラーをするすると解き始めた。
「では、こうすることにしよう」
小さく口にしたクリスは見上げるカイトと向き合ったかと思うと、解いたマフラーの半分を横にいるカイトの肩へまわしかける。
柔らかな布の肌触りがカイトの元へ戻った。
それと同時に目の前のクリスの首元も同じ布が暖めている。
「これで二人とも暖かい」
笑うように呟いたクリスの吐息が耳を掠め、その近さにびくりとカイトの肩が跳ねた。
男二人が身を寄せ合う光景に、しかし咎める者はいないだろう。
暗闇に浮かぶイルミネーションに人々の目は釘付けだ。
真っ暗な夜の街で、皆自分たちのことを考えるのが精一杯で、他人の様子に目を配る者などいない。
カイトは自分の頬が熱を帯びているのを気温のせいだと言い聞かせて、密着したクリスの身体に置いていかれないように彼の緩やかな歩幅に自分のそれを合わせた。
「そう言えば、まだどちらの家に行くか決めていなかったね」
すっかり忘れていた。と声を漏らしたクリスが、歩いてすぐだからと誘う言葉に、カイトは言われるがまま頷き歩き出す。
予想以上に買い込んでしまった荷物を、何となくお互い身体の外側の手で持っていたのは恐らく偶然でしかない。
だからきっと、触れた内側の手がするりと絡められたのも、きっと氷のように冷えきったカイトの指先が心配になるほど冷たかったせいだろう。
接したカイトのポケットの中をじんわりと暖かくしているそれの存在は、お互いに気づかない振りをして、二人は眩く彩られたイルミネーションを横目にゆっくりと歩き始めた。