節分



午後五時。終業時間と共に、席を立つ。


「おっ、石川。何や、もう帰るんか」

普段ならこんな時間に会社を出ることはない。

この不景気に1〜2時間のサービス残業なんか
当たり前や。

「課長、豆まきチビらが待ってるんです」

「ああ、今日は節分やな。お前んとこ、まだ子供小さかったな。
家でもう一仕事か・・・そっちの
方が大変やな。お疲れさん」

「はい、すんません。お先!」

既に子供が中・高生のところの課長は、過去の経験からこの辺りの理解はとてもよく示してくれる。

昨今母親だけに育児を任すのはおかしい言うて、会社では俺らにも育児休暇が認められるようになったけど。

実際はそんなん取る奴なんかほとんどいてへん。


けどな、俺ら小さい子供のいてる父親は、些細なことかもしらんがこんな努力もしてんねん。

これかって立派な育児参加や!わかってんのか!寛子!


―もしもし、お義母さん、明日は宜しくお願いします。柾彦さん?ええ、会社が終ったらすぐ帰るとか言うてましたけど・・・。
いえ、そんな!私は家に居させてもらってますから、子供たちのこと
は・・・お義母さん!気づかっていただいて、ありがとうございます!―


俺にあてつけのように言いやがって。

まあほんでも、寛子がお袋と上手くつき合うてくれてるのは、感謝してるんやけど・・・。



取りあえずは、豆まきや!豆まき!

感謝の気持ちは行動で。任せとかんかい!これでも俺は一家の主や!

平日の行事は忙しい。大まかな段取りを決めておく。

まずチビらと豆まいて、それから巻き寿司とイワシ食うて。

寛子はどうせ後片付けやから、おか
んにチビらを風呂に入れてもろて、寝かせてもらう。

俺は久々に親父と一杯やる。


ええ段取りや。よっしゃあ!と、勢いよく玄関の扉を開けた。

「ただいまっ!」

・・・・・・・・・・・・。

誰もいてへんのか?そんなわけないなわな・・・全員集合しとってこれかい。

俺は一家の主やで?

誰も出迎えに来よらん!!せっかく入れた気合が、初っ端から削がれるやないか。


「おーいっ!帰って来たで!!寛子!!裕太!!ゆか!!」


「柾彦、何やの玄関先で大きい声出して。帰って来たんやったら、さっさと着替えて豆まきせんかいな」

「おかんかいな・・・いや、誰も迎えに出て来んから、気がつかへんのかと・・・」

「気ぃつけへんわけあらへんやないの。遅う帰って来るあんたを、みんな待っとったのに。あほちゃうか」

実の親だけに遠慮がない。それは俺もなんやけど・・・。

売り言葉に買い言葉で、つい一発咬ましてしもた。

「待っとったら出迎えに来いや!!」

「出迎えてるやないの。みんな忙しいんやから、しょうもないことで手ぇ煩わせなさんな!
寛子さ
〜ん、やっと柾彦帰って来たから、そろそろ豆まきましょか。具材も冷めてるやろしね」

一発咬ましたつもりが軽くボロクソに返されて、しかも速効で帰って来た俺にやっと≠ト・・・。

何が寛子さ〜ん≠竅B

・・・それでも、一オクターブ高い余所行きの声を聞くと、一応お袋も寛
子には気を使こうてるんやなと、変なところで安心した。



「パパ、お帰り、早かったわね。ごめんね、手が離されんで」

「おう」

寛子が台所から顔を覗かせた。やっぱり俺の奥さんやな、お袋とは言うことが違う。

「いつもこれくらいやと、助かるんやけど」

忙(せわ)しそうに台所に引っ込んだ。・・・ひと言多いのも、やっぱり俺の奥さんやった。


チビらはどうしたんや!!裕太!ゆか!

ドスドスドスと、足音も荒く居間に入る。



「お帰り、柾彦」

「親父・・・ああ、ただいま。・・・ゆか、どうしたんや」

居間に入ると、ゆかが親父の膝に抱かれて、ぐすぐすと泣いていた。


「何でもないな?ちょっとお兄ちゃんと、ケンカしただけやな。ほら、パパ帰って来たで」

「パパぁ〜、お兄ちゃんが、たたいたぁ〜・・・え〜んっ・・・」

出迎えに来へんかった理由はこれか・・・。

本当はすっかり泣き止んでいるのに、俺を見た途端泣き真似をして抱っこをせがむ。

完全に甘えモードに入ってるな。こうなると長いねん・・・。

裕太は叱られると察知してか、居間にも隣の部屋にも居ない。

「ゆか、お兄ちゃんどうしたんや?」

「・・・・・・ゆか、知らん」

「一緒におったんやろ?」

「おこって、どっか行ったもん・・・ふえぇ・・ぐすっ・・ずうぅ・・・」

ゆかが肩口に顔を擦りつけてくる。

は・・鼻水が!まだ着替えてへんのに、ああぁ・・・背広がわやくちゃや・・・。

ゆかを抱きながらウロウロしている俺に、親父は親父で他人事のように急かす。

「柾彦、早よ豆まきせな、時間ないで。寛子さんの方は、ちゃっちゃっと進んでる言うのになぁ」

「寛子の方は、おかんが手伝てるやないか。親父はチビらを見てくれてたんと違うんかいな!」

従来なら見とってもらうだけで充分なことも、実の親という甘えからついそれ以上のことを要求してしまう。

お袋の時と同様に、文句の方が先に口をついて出た。

しかし親父はそんな俺の文句もどこ吹く風で、のん気な答えを返してくる。

「見とったで」

「ほんなら、なんでケンカするのんな!」

「見とっても、ケンカするときはするわいな」

そらそうやけど・・・。

悔しいけどこの辺の親父の余裕に、俺はまだ勝たれへんねんなぁ・・・。



「ゆか、おじいちゃんのとこ行っとき。パパ、お兄ちゃん呼んで来るからな。
お兄ちゃんおらな、いつまで経っても豆まき出来ひんで。鬼さん、家に来るで」

「ゆか、オニさん、こわい!」


ゆかを親父に預けて、ついでにゆかの鼻水のついた上着も脱いで、居間を出る。

狭い我が家や、逃げても捜す手間はいらん。

廊下を挟んだ子供部屋のドアを開けた。


「パパッ!? パパ、お帰り!!間に合うたー!ほらっ、ぼくこれ作っとってん」

少しはバツの悪そうな顔をするかと思っていたが、裕太はニコニコと笑顔全開で俺の傍に駆け寄って来た。

「上手に出来てるやんか。立派な鬼の面やな。これ被ったら、ゆか怖がりやから泣くかもしらんな」

「・・・ゆかすぐ泣くから、いやや」

何でもない振りをしとっても、そこはやっぱり子供や。あっさり具合の悪さを露呈する。

裕太は顔色を窺うように、上目遣いで俺を見た。


「何で、妹を泣かすんや」

「・・・そやかて、ゆかな、ぼくが一生懸命お面作ってんのに、邪魔ばっかりするねん」

「そうか?裕太がゆかを邪魔にするからと違うか?」

「ゆか、お面なんかよう作らんやん!そやのに、やらせてばっかり言うてうるさいんや!」

「よう作らんから、裕太が教えたらなあかんやろ。ゆかかて、色くらいは塗れるやろ。
ゆかの出来るところを、させたったらええんとちゃうんか」

裕太の気持ちも、わからんでもない。お面の色くらいとはいえ、裕太とゆかが塗るのとでは雲泥の差や。
出来栄えを考えたら、ゆかには触らせたくなかったんやろ。

けど、ゆかは裕太の妹や。裕太はもっとゆかの面倒を見たらなあかん。

裕太は口答えはせんまでも、不満一杯に頬っぺたを膨らませて俯いた。


「裕太はお兄ちゃんやろ」

「・・・ぼく、ゆかより先に生まれて損や。いっつもお兄ちゃんいうだけで、叱られるやんか」

「それは違うやろ、裕太がちゃんとお兄ちゃんしてへんから、叱られるんやろ。
パパが裕太のパパなように、裕太はゆかのお兄ちゃんなんや。損も得もあれへん、それが家族や」


ポツリと水滴が鬼の面に落ちて、その部分だけぼわっと滲んだ。

「せっかく作った面が、台無しになるで」

裕太は鼻をすすりながら鬼の面を机の上に置くと、今度はおずおずと俺の前に立った。

「パパ・・・ぼく、ゆか叩いてしもた。・・・ごめんなさい」

「そやな。ゆかは裕太よりずっと小さいし、力も弱い。それに、いつも言うてるな。言うてみ」

「・・・妹は・・優しぃしたらんとあかん」

「それだけわかっとったらええ。尻出せ」

ビクッと顔が上がったものの、裕太は抵抗することもなく自分でホックを外して半ズボンを膝まで下げた。

そのまま横抱きにすると、裕太の身体に力が入るのを感じた。

目に余るほどならパンツも下ろすけど、今回は反省出来ているようやしええやろ。

「裕太、自分からちゃんと出来てえらいな、パンツは勘弁したる。その代わりきっちり年の数だけ叩くで。十やな」

「・・・うっ・・ひっく・・パパ・・九つや・・・」

「九つ?・・・お前、今年十歳と違うんか?」

「まだやもん・・・まだ誕生日来てへんもん・・・」

一つ余分に叩かれるくらい何やと思うけど、この必死さが子供の真骨頂なんやろなぁ・・・可愛いてたまらん。

腕にぐっと力を入れると、裕太の緊張が電流のように伝わって来た。

「裕太、数えとけよ」

パン!パン!パチン!・・・・・パァンッ!!

間合いを置かず、一気に平手を落とした。

九つめの最後の一発は厳し目で締めて、すぐ抱き起こしてやる。

横抱きからゆかと同じように抱っこをしてやると、泣き声は上げんものの俺の首にぎゅうぅと腕を巻き付けて顔を埋めて来た。

そうやって我慢するところは、裕太はやっぱりお兄ちゃんやな。頭をがしがし撫でてやった。


「よっしゃ、裕太、豆まきしよか。ゆかが待ってんで」

「うん」

「机の上の面、貸し。パパが鬼や」

ちょっと照れた笑顔で、裕太は鬼の面を差し出した。

面を受け取りながら、裕太のこの笑顔こそが、ほんまもんの笑顔なんやと思う。





そして居間に戻って、さあ!豆まき開始や!


「ゆかぁ〜、鬼さんやで〜」

「いややぁ!パパがオニさん、なったぁ!うわ〜ん・・・!」

「裕太、ほれ豆持って、鬼追い払い。ゆか助けたらな」

「うん!おじいちゃん!」



鬼は〜外! 福は〜内! 裕太が豆をまく。


「ゆか、こっち来。ほら、ゆかの豆やで。これでパパにとりついてる鬼を退治するんや!」

「お兄ちゃん、ゆかもオニさん、たいじする!」

誰がとりつかれてんねん・・・。

ちょっと内容が違う気がするけど、まあええか。何にしても、裕太がゆかの面倒見ているのは、ええことや。


二人仲良く掛け声と共に、豆をまく。

鬼は〜外! 福は〜内! 鬼は〜外! 福は〜内!


この調子でさっさと終らそ・・・と、思ったのも束の間、どんどん豆まきが本来の趣旨から外れて行ってるのは気のせいか?


「鬼は!!外!!」

バチ!バチ!バチッ!!

痛っ・・・。


「福は内。鬼はー!!外やっ!!!」

バチバチバチ――ッ!!

痛っ!痛いっちゅうねん!・・・裕太のやつ・・・絶対わざとやな!


「こらあっ!!裕太!!お前、豆投げてるやろ!!親に向かって・・・」

くそったれ!投げるとまくの違い、もっかい尻叩いて教えたる!!

鬼の役もすっかり忘れて向かっていったら、敵もさる者で強力な味方をつけていた。

「おじいちゃん!!ぼく鬼に豆まいてるのに、パパがあんなこと言う・・・」

「うわ〜ん・・!おじいちゃん!パパこわい〜!」

「柾彦、たかが子供の豆まきに、何を本気になってるんや。
裕太もゆかも家内安泰を願うて豆まいてんのに、親のお前がそんなんでどうするんや」

親父!どこをどう見たら、たかがに見えるんや!!

なんぼ孫可愛い言うても、それはごっつい誤解やと思うで!


「裕太、パパの中から悪い鬼を退治してやり。ああ、よしよし、ゆか怖かったな。
もう大丈夫やで、後はお兄ちゃんに任せといたらええ」

煽るなや!!

勢いづく裕太が、豆を投げつけて来る。


「悪い鬼め!パパから出て行けー!!鬼は〜外! 福は〜内!」

バチバチバチーッ!!

「痛いって!裕太!ほんまに、痛いねんぞ!」


「ぼくもお尻、痛かったで」


おのれ!やっぱり仕返しやんけ!!


「裕太!!」

叫んで掴み掛かろうとしたら、足元の豆で滑りそうになった。

しかもタイミングの悪いことに、料理を運んでいる寛子に当たってしまった。

「きゃあ、パパ!危な・・・ああもうっ!巻き寿司一本落ちてしもたやないの!」

「あ・・すまん・・・」

「あんたは何をしてんの!ええ年して、子供以上にほたえて!しかもこんな台所の近いとこで!」

「おかん!ちゃうねん、裕太が・・・」


「裕太ぁ、そろそろ豆まき終わりなさい。
ゆかと一緒に、まいた豆拾てちょうだい。後で炒って、食べるんやから」

「はぁい!ママ! ゆか、どっちがたくさん豆拾えるか競争やで」

「うん!ゆか、いっぱいひろう!お兄ちゃんと、きょうそうする!」


「裕太が何やの。見てみいな、よう寛子さんの言うこと聞くし、妹の面倒も見るええお兄ちゃんやないの。
ほんまにもう・・・落ちた巻き寿司は、あんたが食べや!」


何でこないなんねん。裕太のあの要領の良さは、誰に似たんや・・・。

やれやれと居間に戻ると、親父が嬉しそうな顔で、豆を拾う裕太とゆかを見ていた。







さて・・・

ようやく着替えてダイニングに着く。

巻き寿司、イワシの料理が並び、家族全員席に着いた。

ここからが節分は本番なんや。

大人のな、と自分に言い聞かせつつ、大幅にずれ込んだ段取りの仕切り直しをする。


「みんな、席に着いたな。ほんならまず今年の恵方やけど、裕太!東北東はどっちや!」

俺の質問に、裕太が磁石(方位計)を手にさっと指し示す。

「パパ!こっちや!」

「いや驚いたわ!裕太ようわかるんやね!」

「おばあちゃん、ぼくな、この間学校で磁石の使い方習ってん」

「ちゃんと勉強してる証拠やな。裕太は、ほんまお利口さんやな」

「おじいちゃん、ぼくお利口さんのええ子でおるで。
ええ子でおらんと、子取りさんに連れて行かれるもん」

ようそんだけ、ペラペラと思てもおらんことしゃべれるな。

わが子ながら、その調子の良さに感心した。

寛子も、さすがにこれには苦笑いをしていた。


「裕太、言うだけやったらあかんねんで。さてと、ほんならパパがいただいきます′セうたら、

みんな恵方を向いて黙って巻き寿司を食べるんやで」

ここは親としてひと言裕太に言い置いて、いよいよ巻き寿司を食べる準備に取り掛かる。

寛子がそれぞれの皿に巻き寿司を配って行く。

これさえ済んだら、後はイワシ料理をあてに、やっと親父と一杯飲める。 


「お兄ちゃん、ゆかのおすしな、たまごやき二つはいってんねん」

「え・・・ほんまや。・・・何でゆかの巻き寿司だけ、たまご焼きが二本なん?」

ゆかの前に置かれた巻き寿司の中身を覗いて、裕太が不服そうに口を尖らせた。

またかいな・・・。ああ、俺の段取りが・・・。


「ゆかはきゅうりが苦手やから、たまご焼きの中に挟んでるんやんか。
お兄ちゃん、言うたらあ
かんで」

寛子がそっと裕太に耳打ちして教えた。

「・・・うん、わかった。ゆか、良かったな。パパのいただきますが終るまで、食べたらあかんで。
いただきますのときは、手も合わせるんやで」

おおおっ、どないしたんや!?裕太、むちゃくちゃええ子やないか!

これには俺も寛子も思わず感激して、顔を見合わせた。

俺らの子育てが実を結んだんや!

「ゆか、お兄ちゃんの言う通りやで。裕太も、もう一回言うとくけどいただきます≠オたら、
しゃ
べったらあかんねんで。恵方を向いて、黙って食べること。ええな!」

「はいっ!」

「はぁいっ!」

裕太ええ返事や!ゆかもちゃんと、真似しよる。ちょっとジーンとした。



みんなの顔を見渡しながら、改めて俺はこの家の主なんやと奮い立つ。

みんなを守るで、何があっても。



「親父、お袋、お待たせしました!ほな、食べよか!いただきます!!」


号令終了と同時に、全員一斉に巻き寿司を手に恵方を向く!はずが・・・。

しゃべってもあかん
はずが・・・。

この時点で、俺の段取りは消滅した。


「うわああん!!お兄ちゃんがゆかのおすしとったぁ!!」

「裕太!!あんたわかったって言うたんやないの!!」

「そやから半分こするんや!!ゆかだけずるいやんか!!半分食べたらゆかにやる!!」

「何やこれ!!何で俺の巻き寿司潰れてんねん!!へしゃげてるやないか!!」

「あんたが落とした巻き寿司やないの!!中身は同じなんやから文句言いなさんな!!」


今年も恵方を向いて、黙って巻き寿司を食べたのは親父だけやった。



段取りいうんは、親父くらいにならんと取られへんもんなんかな・・・。

美味そうに巻き寿司を食べている親父を見て、俺は思った。





※ 関西の節分で食べる巻き寿司は、そのまま1本丸かじりです。







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