『よくできました』



暑い・・・。

梅雨が明けた途端、何やこの暑さは・・・。

あまりの暑さに、仕事が手につかん。

仕方なしに、会社から一本ずつ配られたセンスを引っ張り出す。

パタパタパタ・・・。

汗が止まらん・・・・・・暑い・・暑いんじゃ!くそったれーっ!

バタバタバターッ!!

「こらぁ!石川!もっと静かに扇げや!書類が飛ぶやろがー!!」

「課長!!こっちは意識が飛びそうですわ!!
クーラーの設定温度!あと一度でええから下げ
てくれぇーっ!!」


関東東北大震災以降(石川家の防災マニュアル参照)節電が求められている中で、今年は特に関西圏内の電力供給量が厳しい。

事情が事情なだけに、一般家庭は言うに及ばす各企業も節電目標を高く掲げている。


「あかん。会社で決めた節電目標は、社員として守る義務がある。
石川!気合や!心頭滅却
すれば火もまた涼し!思う念力岩をも通・・す・・・」

あちゃっ、また課長の精神論が始まってしもた。

これが始まったら長いねん・・・うんざりしてため息を吐いたら、突然課長の姿が視界から消えた。


「あれっ?課長?どこに・・・うわあああーっ!!」


「何や!?何や!?」

「どうしたんや!石川!」


「課長―っ!!課長が倒れたーっ!!」

「心頭滅却する前にドタマ(注:頭のこと)茹ってもうたんやな!」

「課長のことや!気合で起きて来はる!・・・課長?課長ー!?もしもーし!?」

「あほかーっ!お前ら言うてる場合か!救急車や!早よ救急車呼べーっ!!」


課長の念力、岩通すどころか跳ね返って来てるがな・・・。

救急車のサイレンや救助の担架など物々しい雰囲気に一時騒然としたものの、軽い熱中症で大事に至らずとの報告が入ると、皆一様に安心して通常業務に戻った。










「はい、パパ」

「おう」

夏の楽しみは、一日の仕事を終え汗だくで帰宅した後に待っているこれ≠ノ尽きる。

プシュッ!とプルトップを開けて、ウッ、ウッ、ウッ・・・キンキンに冷えた缶ビールを一気に喉に流し込む。

・・・・・・プハーッ!旨ーっ!喉が鳴るとはこのことや!


「ほんで課長さんは、大丈夫なん?」

「ああ。すぐ病院に搬送したから、大事にならんで済んだわ。
ほんま部屋におって熱中症て、こ
れで明日から会社も設定温度見直してくれるやろ。・・・ところで、チビらは?」

いつもはゆかが走って迎えに来るのに、姿が見えん。

「今日は終業式やないの。子供らは、お義父さんのところに居るわよ」

「あ、そうやったな。課長の一件ですっかり飛んどったわ。
何や、お前が帰って来てるいうこと
は、チビらは親父のとこに泊まるんか?」

我が家の恒例行事として、毎学期終業式の日には寛子がチビらを連れて親父のところへ通知表を見せに行く。

ゆかも今年の四月から一年生になって、お兄ちゃんと同じに通知表を見せるのを楽しみにしていた。

・・・たぶん、いまだけやろうけどな。


「それがね、お義父さんが裕太ももう五年生やし妹のこともちゃんと見れるようにならあかんいうて、
寛子さんは家に居ったらどうやって言うてくれはったんよ」


「えっ?ほなチビら、二人だけで行ったんか!?」

「二人だけいうてもバス停までは私が送るし、着いたらお義父さんが待っててくれてはるし。
味、乗ってる間だけやけどね」

「脅かすなや、それやったらまあ心配ないな。・・・ということは、チビら夏休みか。うるそうてかなわんなぁ・・・」

「・・・私は明日から、一日中一緒やけど」

寛子の一オクターブ低い声は、明らかに俺への非難が含まれている。

・・・まあ確かに、うるさい思うたら俺は仕事を言い訳に会社へ逃げられるもんな。

自分でも自覚しているだけに、ここは下手に刺激してヘソを曲げられたらややこしい。

当たり障りのない話に切り替える。

「チビら、遅いな」

「居ったら、うるさいんちゃうの。帰りはお義母さんが電話する言うてはったから、
掛かって来た
らパパがバス停まで迎えに行ってね」

・・・十分刺激したみたいや、見事にトゲトゲしい。

トゲがツノに変わらんうちに、二缶目のプルトップをプシュッと開けてコップに注ぐ。

「迎えに行くくらい何ぼでも行ったるがな。ほら寛子、お前も飲めや。いつも面倒押し付けて、すまんな」

寛子は驚いたようにテーブルに座って、慌てて俺の差し出したビールを手に取った。

「あ・・ありがと。柾彦さんも暑い中、私ら家族の為にご苦労様。
子供のことは私が家に居らせ
てもらってるんやから当たり前のことやのに、無理言うてごめんね」

おぅ?柾彦さんて・・・いつもはパパやのに、何や名前呼ばれたらくすぐったいな。

いやそれよりも、たった一言の労いの言葉で、こうも変わるもんなんやな。

ほんのり頬を赤らめて美味しそうにビールを飲む寛子に、ややこしいと思った自分が情けない。

改めて感謝の気持ちを込めて伝えた。

「寛子が謝ることは何もないで。礼を言うんは俺の方や、ありがとう!」

「もう・・・そんな何べんも言わんといて、柾彦さん」

うほっ、鼻に抜けるような声!・・・名前で呼ぶのは合図か? 合図やな!

ほなしゃあない。チビらはこのまま親父のところに泊めてもろて、久々寛子と二人の夜を・・・・・・よっしゃあー!!

そうと決まれば、電話が掛かって来る前に親父のとこへ電話や!

俄然やる気満々!心の中で雄叫びを上げて、残りの缶ビールを一気に流し込む。

ゴキュッ、ゴキュッ、ゴキュッ・・・めっちゃ、喉が鳴るで!


「ただいまーっ!!」

「ただいまぁっ!!」


ブハーッ!!


「きゃあっ!パパッ!汚いな!顔に掛かったやないの!」


ゴホッ!ゴホッ!・・・うげぇぇ、ゴホーッ!む・・咽た。


「ママー、おじいちゃんが送ってくれてん」

「ママぁ!送ってくれてん!」

「お義父さん!?わざわざすみませんー!」

寛子が急いで親父を迎えに行くのと入れ違いに、チビらが戻って来た。


「何や、パパ帰っとったん」

「パパ、おった!パパぁ〜!」

ゆかが一目散に駆け寄って来て、抱っこをせがむ。

「ゆかぁ〜!」

無垢な笑顔に、一瞬で親の顔に戻る。

胸キュン、キュンや!!

絶対嫁にやらんぞ!!娘を持つ親なら必ず口にする言葉を呪文のように唱えながら、ゆかを膝の上に抱き上げた。

女の子はほんま可愛らしいなぁ!

それに引き替え、裕太のあの面倒臭そうな顔はどないやねん・・・。

しかも親に向かって、何やて何や!?帰っとったんて、帰って来たらあかんのかい!

ギロッと睨んだら、大あくびで返された。


「裕太!パパ帰っとったんとちゃうやろ。通知表!おじいちゃんに見せたら、次はパパやろ」

「パパぁ!ゆかのもぉ〜!」

「もちろんやで!ゆかのも、パパに見せてな」

「はぁ〜いっ!」

喜び勇んで、俺の膝の上から飛び降りた。

これはひょっとして・・・。

親の目から見てもゆかにはあまり期待してなかったけど、ここまで本人が俺に見せたがるということは・・・ひょっとしてひょっとするかも!

「ゆか初めての通信簿やもんな、パパどきどきするわ!」

「見たらもっとどきどきするで」

・・・さっきの計ったようなタイミングといい、今の間髪入れずのタイミングといい、わざとか?

裕太のひと言で、淡い期待が打ち砕かれた。

「・・・ええから、早よ持って来い」

ガクッとテンションの下がったところに、玄関先から寛子の呼ぶ声がした。

「パパー!パパー!お義父さん帰らはるわよー!」

えぇっ?てっきり上がって来るとばかり思とったから、のん気に部屋で待っとったのに。

「おじいちゃん、まだこれから用事ある言うてたで」

「裕太!お前、それ早よ言わんかいっ!」

大慌てで玄関へ向かうも、澄ました顔の裕太が通知表をひらひらと振っているのが視野の片隅に入った。

くそったれ!絶対わざとやな!

ただでさえ暑いのに、カッカッしてよけい顔が火照るわ!


「親父!上がって来る思て待っとったのに。もう帰るんか!?」

「何や柾彦、真っ赤な顔して。暑いからビール飲むのもわかるけどな、
あんまり早いうちから酔
っぱろうてるんやないで。子供の前でみっともない」

裕太のせいで頭に血が上っているのに、親父は酒に酔っていると勘違いしているようやった。

「ちゃうねん!親父!酔うてへんて!裕太のやつが・・・!」

「裕太は、ほんまええ子やなぁ。寛子さんにも話しててんけど、学校の成績はええし、
ゆかの面
倒はちゃんと見るし、さすがわしの孫や」

・・・そこはさすがお前の子≠竄。

腹は立っていても、我が子を褒め称えられるとやっぱり嬉しい。


「お義父さんこれからお義母さんと、花火見物に行かはるんやって。ええわねぇ、パパ」

実に羨ましそうに、寛子が親父の用事とやらを説明してくれた。

「花火見物!?おかんと行くんやったら、チビらも連れて行ってくれたらええやんか」

「嫌や、かあさんと二人でゆっくり見物したいねん。子供ら連れとったら、子守で楽しめんさかいな」

「ほんまですよ、お義父さん。子供らの子守大変ですもん。
せっかくお義母さんと二人で楽しま
はるのに、パパ迷惑掛けるようなこと言わんといて」

夫の気持ち、妻知らず。

俺も寛子と二人の夜を楽しも思っとったのに、親父に取られてしもた。


「ほな、帰るわ」

「おう。ありがとう、親父!花火、おかん喜んでるやろ」

「わしと二人いうのんが、ええらしいで」

「へい、へい、ごっつあんです。気ぃつけて行きや!」


寛子と二人玄関先で親父を見送りながら、俺らも年取ってもお互いがええと言える夫婦でいたいなと語り合った。







さて、仕切り直して通知表に目を通す。

チビらの通う小学校の通知表は『よく出来ました』『出来ました』『頑張りましょう』の三段階で評価されている。

俺らの時代の5段階評価でいえば『よく出来ました』が5と4。『出来ました』が3。『頑張りましょう』が1と2。


裕太は親父も褒めていた通り、成績はええ方やと思う。

ほとんどの教科で『よく出来ました』に〇がついている。

「ふ〜ん・・・また音楽が『出来ました』か。おしいな」

「音楽はそれ以上無理やで」

「何でや。苦手やからいうて、努力もせんうちから言うのはおかしいやろ」

「音痴やもん。ペーパーテストと楽器で点数稼いでも、歌であかんねん」

本人はあっけらかんと言うてるけど、この理由を聞いたのは初めてや。

・・・諦めたんやろな。確かに歌の上手い下手は、努力してもどうにもならんところがある気がする。

「裕太は、歌嫌いか」

「・・・嫌いちゃうけど、下手やから歌いたないねん」

そらまぁ自覚しているだけに嫌やわな・・・そや!歌の下手な奴が言うとったな!

カラオケやと案外歌えるらしい。

確かに最近のカラオケは、音程のフォローまでしてくれるのもあるもんな。

「今度カラオケ行こか。マイク持って大声で歌とてみ、すぐ上手なるで」

「ほんま!?パパ!」

成績うんぬんより、裕太がちょっとでも歌うことに自信をつけさせてやりたい。

「ああ。パパもカラオケで、ずいぶん歌の腕前上げたしな」

「・・・・・・パパ、僕ええわ」

「ん?何がええねん」

「カラオケ。無駄な労力使いたないねん。次、ゆかの番やで。
パパどきどきしてんねんて、早よ
見せたり」

おいっ・・・ちょお待てや!どういう意味やねんっ!

まるで俺まで音痴みたいな言い方しやがって・・・・・・。


「パパ!ゆかの、つうしんぼー」

「あー・・・はい、はい。ゆかのやな、どれどれ・・・」

え〜っと・・・え〜っと・・・何やこれは?

ゆかの顔を見たら、天使のような笑顔でにこにこしている。

褒められると思ってるんやろか。

まずゆかに、通知表の意味がかわっているのかを聞く。話はそれからや。

「ゆか、つうしんぼって何や」

「つうしんぼ?おべんきょうできてるとか、できてへんとかつけるやつ」

「そやな。ほなゆかは、これ見てどう思うてるんや」

「ゆか、がんばった!『がんばりましょう』に、いっぱい〇ついてるもん!」

『よくできました』『できました』は、目に入らんのかい!


「ええか、よう聞き。『よくできました』『できました』やったら、
ゆかお勉強頑張ったなって褒めてや
れるけど『がんばりましょう』は、もっとお勉強しないさいいうことやで」

「ゆか、おべんきょうしてるもん・・・」

「ほんまか?授業中ちゃんと先生のお話聞いてるか?
よそ見してへんか?宿題は?毎日予
習、復習してるか?」

一つ一つ問い詰めることで、机に座って勉強するということがどういうことかをわからせる。

厳しいようやけど、幼稚園と小学校の違いをきっちり認識させなあかん。

「それだけのことをちゃんとしとって、初めてお勉強してるって言えんねんで。
それで『がんばり
ましょう』やったら、パパ何も言わへん」

「・・・・・・ぐすっ・・・ぐすん・・・」

聞かれたことに何一つ答えられへんかったんが、勉強してない証拠や。

いつもやったら大声を張り上げて泣くのに、我慢して鼻啜ってるのは自覚している表れなんやろう。

そういう気持ちは、尊重してやりたいと思う。


「ゆか、もっかい聞くで。自分の通信簿見てどう思うんや」

「・・・二がっきは一こでも『できました』に〇もらえるように、おべんきょうちゃんとする」

「そやな。自分で目標決めてすることは、ええことや。パパ、楽しみにしてるで」

頭を一つ撫でてやると、ゆかはホッとした顔を俺に向けた。

洟・・・かめや。


テッシュで拭いてやっていると、

「ゆか、ずるいわ」

それまで横で漫画を読んでいた裕太が、ぼそっと呟いた。

「何がずるいねん」

当然俺に対する不満であることは言うまでもない。

「パパ、ゆかばっかりえこひいきしてるやん。
僕には遺伝でどうもならん音楽のことばっかり言う
て、ゆかは全然勉強してへんのに怒れへんやんか」

「・・・音痴が遺伝するかどうかは、後で調べとくわ。そやけどパパは音痴とちゃうで」

取り敢えず、はっきりさせとかなあかんところはさせとかんとな。


「裕太もゆかの通知表は見たやろ。あれを見たら、まずちゃんと勉強するいう意味をわからすことが第一や。
成績について怒るんは次からや」


「パパ、ゆか『がんばりましょう』しかあれへんねんで。あんなんで勉強ほんまにちゃんとする思うん?」

承服しかねる顔つきで裕太が俺に喰ってかかる。

裕太の言わんとすることは、親の俺には百も承知や。

そやから裕太が必要なんやろ。俺はそこに気付いて欲しかってんけどな。

きっとこれを言えば、また裕太は癇癪を起すやろうけど、仕方ないな。


「そこまでわかってるんやったら、むしろ裕太が勉強見てやるくらいの気持ちにならなあかんやろ。お兄ちゃんやねんから」


「もうまたや!いっつも押し付けられるねん!何で僕が怒られなあかんのんなっ!
ほんまアホ
な妹持ったお兄ちゃんはごっつい不幸やわ!!」

「・・・ゆか、アホとちゃうもん」

「アホや!アホ、アホ、アホゆか!!」

「うわああぁぁんっ!・・・・・・」

裕太の剣幕に、ゆかが泣き出した。

「こらっ!裕太!!」

ちょっと言い過ぎやろ。俺の怒鳴り声に漫画本を投げ捨てて出て行った。


「どうしたん?大きな声出して。ゆか、泣いてるやん」

「ママぁ〜、お兄ちゃんが、ゆかのこと何回もアホって言うたぁ・・・うえぇぇん・・・」

台所から様子を見に来た寛子に抱っこされて、普段は甘えて嘘泣きが多いけど今度ばかりは本気で泣いていた。

はあ〜・・・もう少し妹を可愛がったら、言うことないねんけどな。


「パパ、そろそろお風呂入ってくれへん」

「おぅ」

そや、風呂や。昼間の課長の件から何や疲れたわ。

ゆっくり風呂に入ろ。


言うて聞かす寛子とゆかのやり取りの様子を聴きながら、風呂場に向かった。

「ゆかもお兄ちゃんにアホ言われんように、ちゃんとお勉強せんとあかんのよ。
ママ、お兄ちゃ
んが勉強してるところはよう見るけど、ゆかはどうなん?」

「・・・だってな、お兄ちゃん、ゆかのことうるさいいうて、すぐあっちいけ言うもん」

「ゆかが静かにしてても、お兄ちゃんあっち行けて言う?」

「・・・言わへん」

「ほな誰が悪いの?」

「・・・ゆか」

「な、お兄ちゃんばっかりが悪いわけやないでしょ」







あー、ええ湯や!

暑いからいうて、水風呂はあかん。

やっぱり湯船で体温めな、疲れ取れへん。

風呂の縁に半身を預けて極楽気分のところに、風呂の戸が開いた。

「パパー」

げっ! ゆか!?

最近は寛子とばっかりやったのにな。

疲れが倍増しそうや。

「何や、ゆか。ママと入るんちゃうんか」

言うてみても、もう裸やしな・・・。

「きょうはパパとはいりなさいって、ママが言うたもん」

くそ、寛子のやつ何か見たいTV番組でもあったんかな・・・俺に押し付けやがって。

裕太の気持ち、ようわかるで。

けどお前はゆかのお兄ちゃんや。

俺がお前とゆかのパパのようにな。


「よーし、ゆかおいで。お風呂浸かる前に、体洗おな」

タオルを泡でいっぱいにして、体を洗ってやる。

体じゅう泡だらけですっかりご機嫌のゆかは、キャッキャッと笑い声を上げた。

「パパ、みてぇ!あわあわの雪だるまさん!」

「こら、ゆか、動くな!ちゃんと洗われへんやろ」

シャワーで泡を洗い流して、次は頭や。

ちゃっちゃっと済まそ・・・。

「ほら、ゆか。頭にお湯掛けるで。目瞑って耳塞いで・・・何してんねん?」

「あたまあらってもらうときのぼうし・・・ない」

ぼうし?・・・ああシャンプーハット、毎日寛子が風呂上りに干してるやつか。

「ママ干したまま忘れてるんやろ。帽子なんか被らんでも、目瞑って耳塞いどったら大丈夫やから・・・」

「いややぁ!!ゆか、いっつもかぶってるもん!」

「そやけど、ないもんしゃあないやろ」

「ママー!ママー!ゆかの、あたまあらってもらうときの、ぼうし!ないー!」

ちゃっちゃと済ますどころか、シャンプーひとつでダダ止まりや。

「ゆか、濡れた体で風呂の戸、開けな。外に滴が飛んでびちゃびちゃになるやろ」

かなわんな、もう・・・。

そう思っていたところに、裕太がシャンプーハットを持って来てくれた。

素っ裸で・・・。

「お前も、入るんかい!」

「ついでに入ってきなさいて、ママが言うたもん」

寛子のやつ!いっぺんに片付けよいう魂胆やな!

くそっ!それでのうても風呂場狭いのに。

三人でキチキチ、酸欠起こしそうや・・・うぷっ。

「裕太・・・お前、足くっさいなぁ。足や!!足出せ!!」

まださっきの余韻を含んだまま風呂の椅子に腰掛けた裕太は、ぶすっとした顔で俺の前に足を投げ出した。

片足ずつ、1本1本指の間も洗ってやる。

裕太の足を洗ってやったら、今度はゆかの頭や。

もうどっちがボディシャンプーでどっちがヘアシャンプーかわからんわ。どうでもええ。

「ゆか!帽子かぶる前に、お兄ちゃん持って来てくれてありがとうやろ!」

「・・・そやかて、お兄ちゃんおこってるもん」

ゆかは俺の陰に隠れるようにして、小さな声で言い訳をした。

俺や寛子が本気で怒ったらチビらが怖がるように、裕太が本気で怒ったらゆかは怖がる。

それは裕太がゆかを守り、叱る立場にあるからや。


それがお兄ちゃんなんや。


―――こちょ、こちょ・・・こちょこちょこちょ・・・・。

「ちょっ!・・・パパッ!何すんのな!やめ・・・ぎゃははっ!くすぐったいやんかー!」

裕太の足を引っ掴んで、足の裏をくすぐる・・・こちょ、こちょ・・・。

「ゆか、見てみ。お兄ちゃん笑ろてんで」

オーバーに身を捩りながら笑い転げる裕太に、ゆかは安心したように一緒になって笑い声を上げた。



わし、わし、わし、ゆかの頭をシャンプーする横で、裕太が体を洗う。

びちゃっ、滴が!ゴツ、肘が!・・うっ!・・くっ!泡が飛び散っとんじゃー!

「裕太!もっと離れろや!お前の滴や泡が全部こっちにくるわ・・・ったく」

「しゃあないやん、お風呂場狭いねんから」

お前が入ってくるからやろが!・・・喉まで出かかった言葉をのみ込む。

どうせママが〜≠ト、言うに決まってるからな。


「ほら、ゆか!頭、湯すぐで!」

しっかり目を瞑って耳の穴に指を突っ込んで、帽子を被っとってもその体勢は取るんやな。


ゆかの頭を湯すぎ終わったら、次は裕太や。

洗い残しの部分を、ゴシゴシとタオルで(こす)ってやる。

「首筋と耳の付け根のとこも洗わなあかんで。ゆかは、湯船に入り。
10数えたら、上がってマ
マに体拭いてもらい」

「はぁいっ!!」

ええ返事が返って来た。これでチビ一丁上がりや。

「裕太、頭、湯掛けるで」

「え・・・僕、自分で洗える・・・」

ん・・・?何や?ついこの間まで、自分で洗え言うてもなかなか洗わんかったくせに・・・。

「ええから。ついでや」

「・・・ほな、ちょっと待って」

何やねん、早よせいや・・・。

手を止めて待っていると、事もあろうにゆかのシャンプーハットを被ろうとしていた。

「お前!年いくつや!そんなもん要らん!目ぇ瞑って耳塞いどけー!!」

思い切り裕太の頭にシャワーを掛けて、ギャーギャー喚いても問答無用。

わしゃわしゃわしゃと、洗い倒す。

ぶにゅ・・・。ひっ?この触感は・・・。

玩具の入ったバケツの前にしゃがみ込んでいるゆかのお尻が、俺の脚に当たっていた。

「ゆか!何してるんや!まだ浸かってへんかったんか!?」

「うん。どの子といっしょにおふろはいるか、きめてんねん」

バケツの中にはイルカやアヒル、ペンギンなどの水生動物に交じって、何故かパンダがいる・・・。

パンダは山や!そんなんどうでもええー!!

「アヒルにしたらどうや!アヒルにせぇ!・・・よしっ!裕太も終わりっ!ゆかと一緒に湯船入れ!」

順番で上がらすつもりが、結局裕太と同じになってしもたやないか。


裕太とゆか、二人湯船に浸かっている間にやっと自分の体を洗う。

ああ、しんど・・・。


ゆかが10を数える。

「いーち、にーい、さー・・・」

「あかん。ゆか、早い。もっとゆっくり数えんと、ちゃんと浸かったことならへんで」

早よ上がって欲しいのは山々やけど、きっちりさせなあかんところはさせとかんとな。


「それやったら僕が問題出すから、ゆか答えてみ。全部答えられたらゆっくり10数えたくらいになるわ。
あーそやけど、ゆかアホやからな。答えられるかなぁ?」


「ゆか、アホちゃうもん!」

また裕太のアホ呼ばわりが始まったと思ったけど、ちょっといつもと違う感じがしたので知らん振りをして様子を見ることにした。


「ほないくで。10ひく9は?」

「1!」

「10ひく8は?」

「2!」

「10ひく7は?」

「3!」



「10ひく0は?」

「10!」

「ふ〜ん、ゆか引き算出来るやん」

ほとんどの小学一年生が出来るであろう超初歩の計算であっても、ゆかが出来たことに対して裕太は認める発言をした。

「パパぁ!ゆか、お兄ちゃんのもんだいぜんぶできたー!」

まあ、評価にしたら3くらいやな。

「ほんまか!ゆか、はじめての『できました』やな」


「お兄ちゃん!ゆか『できました』もろた!」

「まだや。何も10数えて終わりなんて言うてへんやろ、10数えたくらい≠チて言うたはずやで」

「・・・おわりちゃうん?」

ゆかが終わった思うのも、無理ない話や。

大人の俺でも勘違いしそうな言い回しは、あいつの口は政治家か?


「後二つで全部出来ました≠竄ナ。12ひく5は?」

「・・・えっと・・・12ひく5・・・」

たぶん一桁の基礎が出来てるのがわかったんで、増やしたんやろな。

二桁を混ぜて、ちょっとだけ応用効かせてるところがミソやな。

ま、そうは言うても、超初歩の計算には変わりないわ。

のはずが・・・考え込んでる?マジで!?考え込むほどの問題か?

「ゆか、どうしたんや。さっきスラスラ答えとったやろ」

「・・・パパ、12・・・2から5ひかれへん・・・」

・・・こいつは、何を言うてんねん・・・冷や汗が出てきた。

「2の横の10はどこいったんや!12や!ゆかの好きなイチゴのあめちゃん12個あるうちから、
5個食うたんや!何個残ってるんや!!」

「うわあああんっ!ママー!パパがおこったぁ!」

し・・しもた!つい大声出てしもた。

「ごめん、ごめん、ゆか驚いたな。お風呂場やから声が響くんやな。パパ、全然怒ってへんで」

「ぐすん・・・イチゴのあめちゃんどこにあるん?」

・・・情けないだけや。

あまりの出来なさ加減に、俺の方がパニックになるわ。


「パパ、そんなひと昔前の説明なんか、今ないで。ゆかー、10たす2は?」

へっ?そうなんか?俺らの時は何でも食い物に変えてたけどな・・・。

「・・・12」

「そや、10と2、覚えときや。ほんなら2から5は引かれへんけど、10から5は引けるやろ?」

ほう・・・。

「うん!5!」

「引いた数の答えと残ってる数足してみ?」

「・・・7!」

なるほどな!

「出来てるやん。次これで最後、難しいで。17ひく9は?」

「・・・えとな、10から9ひいて・・1。ほんで1とのこってる7たして・・・8!」


「パパ、もう上がってもええ?ゆか全問出来たで」

裕太!さすがや!さすが現役の小学生高学年や!

「パパー!ゆか、すごいむずかしいのできてん!」

「ゆか!よう出来た!『できました』ちゃうわ『よくできました』や!ママに言うといで」

「ママーっ!」

一足先にゆかを上がらせて、続いて出て行こうとする裕太の後ろから、ガバッと抱きついてぐちゃぐちゃに頭を撫でた。


「わっ!パパ!何なん!?・・・あっついやんか!離れてぇや!」

「裕太!お前すごいな!総理大臣になれるで!」










「パパ、氷嚢と氷水。顔真っ赤やけど、大丈夫なん?この暑いのに、一時間以上もお風呂入ってるやなんて。
何ぼ久し振りに子供らと入って楽しい言うたかって、限度があるわ」


お前・・・よう言うな。

氷嚢をでこに乗せて、リビングのソファに横たわる。

少し落ち着いたところで、氷水を一気に飲み干した。

「お前、俺がチビらと楽しそうに風呂入ってたと思うてるんか?」

「楽しそうやったやん、大きい声や笑い声が聞こえてたし。
パパ最近は、たまにしか子供らと入
らんもんねぇ、私なんかほとんど毎日一緒やん?」

問い掛けたのが逆に問い掛け返されて、答えを叩きつけられた。


何も言えねぇ


ああ、同じフレーズやのにキタジマクンと俺、えらい違いやなぁ。


寛子の方を見ると、何やらにやけた顔でチビらの通知表を見ていた。

「裕太のか?あいつのは、何回見てもにやけてしまうやろ」

「ゆかのやで。パパが思うほど、昼間ゆっくり見てる暇なんかあらへんわよ」

「・・・そうか。ごめん」


一瞬きょとんとしてそれからふわっと微笑んだ寛子に、一歩引くことの大事さを改めて思い知った。


「そやけど寛子、お前ゆかの通知表見て、よう笑えるな。
俺、期待はしてへんかったけど、あそ
こまでとは思わなんだわ」

「何で?そら成績欄は『がんばりましょう』ばっかりやけど、ここ、読んだ?
通信欄のとこ、ゆか
のことすごい褒めてもらってるやん」


―とても大きな声でお返事をします。休憩時間も元気に、たくさんのお友だちと遊んでいます。
明るく伸び伸びした印象を受けます―


何度も読み返したであろう通信欄の文面を、寛子は嬉しそうに声に出して読み上げた。


「まあな、女の子はアホでもええわ。どうせ嫁にやらんし」

「パパこそ、何あほなこと言うてるの。そんなこと言うてたら、裕太に示しつかへんやないの」

「・・・裕太な、俺らが思うてるより、ゆかのことよう面倒見とるよな」

「そやね。お義父さんが言うてはったけど、裕太向こうではずっとゆかの傍に居ったそうよ。
らと一緒の時は、ゆか放って近所遊びに行くのにね」

寛子はその時の裕太の様子が思い浮かぶのか、愛おしげな表情を俺に向けながら言った。


「親父の家にはしょっちゅう行ってるいうても、
俺らが居らへんかったら自分がゆかを守るんや
て、ちゃんとわかってるんやな」

「ゆかは全然、普段と変わりなかったって。それだけ裕太がゆかに対して、
しっかりお兄ちゃんし
てる証拠やって。お義父さんそれも言うてはったわ」


いつもやったらまだ起きてるチビらが、今日はすでにぐっすりと眠っている。

特に裕太は慣れん大役で疲れたんやろう。

風呂から上がって少ししたら、もう寝息を立てていた。



裕太もゆかも、成績なんか関係ない。

二人は俺と寛子の『よくできました』や。







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