フェアリー



冬休みの間は学校も寮も閑散としている。

クリスマスとお正月を挟む2週間の短い休みを、ほと
んどの生徒は親元で過ごすからだ。

でも中には何らかの事情で帰らず残る生徒もいる。

僕もその一人だ。



「守、帰って来なさい。話をしよう」


「守、帰って来ないの?お話があるのよ」


父も母も帰って来なさいと言うけれど、僕はどちらへ帰ればいいのかわからない。

話すこともない。

父と母が別れたと聞かされたのは、たった一本の父からの電話でだけだ。

別れた後で、何を話すことがあるのだろう。







「白瀬君、なんだい・・・まだ全然出来てないじゃないか」

本条先生が花の選定に四苦八苦する僕を見て、不満げに言う。

「そんな急に作れと言われても・・・」


花束を二つ。お正月の三が日も終わり、そろそろ学校は新学期の準備に入る。

今年初めてのPT
Aの会合に要請された花束だった。

花屋の奥の、生花を活けたガラスケースに取り囲まれた部屋で花束を作る。


「何でこんな大振りのユリを持ってくるんだい。センターにはサーモンビンクのガーベラ、
薄紫の
トルコキキョウとブルービオラ・・・今回は淡く仕上げるっていったろう」

手早く先生が花を選り分けて作り上げて行く。

「・・・別に僕を呼ばなくても、先生ひとりで十分じゃないですか」

半ば強制的に呼び出されたうえに、ぶつぶつと文句まで言われていい気はしない。

「それが十分じゃないんだよ。今、生徒が入ってきてるから大忙しさ。
それも年越しで・・あ
ぁ、もう時間が無い。これ昼までに届けなきゃいけないのに」


僕の時は忙しそうでもなかったけど・・・。

だけど年越しで入ることもあるのだと、少し驚いた。

「ぼうっと突っ立ってるヒマがあるなら、僕の代わりに勉強みてやってよ。中等部一年だから」

僕にも言いたいことはあるのだけど、それよりもどうしてこの人はいつも突拍子もないことを言うのだろう。

「僕が・・・誰のですか?」

「誰って、今入ってる生徒さ。午前中は自習だろ。スタディルームにいるから行ってやって」

「でも・・・謹慎中の生徒に一般生徒が・・・」

「少しくらいは花を触れるようになっていたかと思ってたんだけど。
だいたいアンサンブルのセ
ンスが悪いな。いいかい、花束って言ってもたんに花を重ねるだけじゃなくて・・・」

一つめを作り終え二つめの花束を作り始めている先生は、すでに僕の言うことなど頭になかった。

再び文句交じりに話す先生を横目に、僕は部屋の扉を開けて裏庭からつづく宿舎へ向かった。

三階建ての宿舎は一階が食堂、カウンセリングルーム、スタディルームなど共有スペースで、二階が先生の宿舎。

三階が謹慎中の生徒の宿舎となっている。



一階のスタディルームへ行く。

名前ぐらい聞いておけばよかったと思いつつノックすると、

「はい」

中から聞こえた声は、まるで子供のそれも女の子のようなカン高い声だった。

午前中は自習。学校でいう授業と同じなので制服と名札を着用する。


―篠原 優(しのはら ゆう)―


名札に書かれた名前。学年別に色分けされた赤色の名札紐で中等部一年だという事がわかる。

紐には全てに白抜き文字で生徒はstudent、教師はteacher、職員はstaffと印字されてい
る。

制服を着ているから中学生だと思うけれど、私服ではとてもそうは見えない。


細い身体、フワフワの茶色い髪、大きな黒い瞳の幼い容姿の男の子が、怪訝そうに僕を見ている。


「こんにちは。・・篠原君・・優君の方がいいかな」

僕は優と向き合う形でテーブルについた。

「あなた、誰ですか?」

いきなり馴れ馴れしく名前を呼ばれたのが気に入らなかったらしい。

「あっ、ごめんね。休みだから名札つけてなくて・・・」

「休みでもここは学校なんだから、学校にいる以上は名札をつけるのは決まりでしょう」

細い眉をしかめながらはっきりとものを言う。

「・・・そうだよね。高等部二年 白瀬(しらせ)です。よろしく」

本条先生が花作りで忙しいので僕が君の勉強を見るよう頼まれたからと言うと、優はわかりましたとだけ言ってあとは知らん顔で勉強を始めた。

僕は黙々と勉強する優を見ながら、つい優がここへ来た理由を考えてしまう。

詮索するつもり
はないけれど、声変わりすらしていない少年が年越しで謹慎するのはよほどのことだ。

優がチラッと僕の方を見た。

「何?どこかわからないところがあるの」

「勉強のことであなたに聞くことはありません。
・・・白瀬さんは本条先生とどういう関係なんです
か」

およそ幼い容姿とは似つかないしゃべり方で、僕を敬遠しているのがわかった。

「君と同じだよ、先生と生徒。それだけの関係だけど。・・・どうしてそんなこと聞くの?」

「だって、こんなところの手伝いを生徒に頼むなんて、普通では考えられないじゃないですか」

それは僕が聞きたいことだ。

「たぶん・・・僕もここで先生の指導を受けたから・・・じゃないかな。
それに休みに学校に残って
たしね」

優の目が意外そうに僕を見た。お互い思うことは同じようだ。どうして・・・。


「クラスメイトを殴ったんだ。
・・・僕の勝手な思い込みと八つ当たりで。優君は?」


「言わなくちゃいけませんか」

「えっ、・・・いや別に。
君のことを詮索するつもりで僕は自分のことを言ったわけじゃないし」


ものすごくやりにくい・・・。

妙に覚めてるし・・・そう言えば僕もそんなことを言われたことがあっ
たけど、同じようにやりにくかったのだろうか・・・。

「僕にはわかりません。ここに入れられた理由が。僕もケンカとかしたけど、僕の方がケガさせられたのに・・・」

こんなにはっきりと自分の意見を言う優が、わからないと言う。

「本条先生には聞かなかったの」

「一番初めに聞きました。
そしたらその理由は自分で見つけてごらんって」


僕を見る優の目が伏せる。長いまつ毛が優の細さをよけい引き立たせた。


「早く・・・見つかるといいね」


僕は優の不安定な心が、一瞬見えたような気がした。


「見つからなくていいんです。僕はずっとここにいたい。本条先生とずっと一緒にいたい。
だから
白瀬さんはもう帰って!先生には僕から言っておきます」

一瞬見せた不安定な心を打ち消すかのように、優は向き合って座っている僕の方へ身を乗り
出すようにして言った。


―嫉妬―


僕が敬遠された理由。

確かにここの生活はいっときは心地いいけれど、いつか自分と向き合う時がくるのを優はまだ知らない。

その時の先生の厳しさもまだ知らないんだ・・・。


「やぁ、お待たせ。時間くっちゃって」


PTAの会合に花束を届け終えた先生が戻って来た。僕は優の方を見て言った。


「先生帰って来たね。それじゃ僕は帰るから」


優は僕には見せなかった13歳の子供の表情で先生のところに駆け寄って行った。

立ち上がっても140cmくらいの小柄な優を先生は軽々と抱き上げた。

「帰る?どうして。まだ昼だよ。食堂で食事済ませたら午後から花の世話手伝ってよ」

「あの・・でも僕も急に呼び出されたから冬休みの課題が途中で・・・」

「先生!白瀬さん帰るっていってるのに!花の世話なら僕が手伝う!!」

「じゃ、優も一緒に手伝って。ほら、白瀬君食事に行こう」

先生は僕の言い分も優の言い分もどちらも聞き入れなかった。


優を抱きながら食堂へ向かう先生が、僕にはとても不思議な光景に見えた。

学校では先生と気安く接するなんてあり得ないことだし、ましてや指導部の先生ともなると出来れば近寄りたくない存在なのに、ここではその壁が取れる。

花に囲まれた静かな時が、1対1の関係だけを浮き彫りにするからかも知れない。

食堂で何かと先生が僕に話しかけてくるたび、優は露骨にいやな顔をした。

先生が優に話しかけても、わざと拗ねてみせたりむくれたりした。

先生の前では、僕に見せたあの覚めた優はどこにもいなかった。


食事の後、自分の部屋に服を着がえに行った先生と優を、僕は食堂で待った。


しばらくして先生だけが降りて来た。

「優は?部屋にいなかったけど」

「ここにはまだ・・・僕がいるからいやなんでしょう。どこかひとりでいると思いますけど。
カウンセ
リングルームとか・・もう一度スタディルーム見て来ましょうか」

捜しに行こうとする僕に先生は言った。


「いや・・・いいよ。わかってるから、僕が行く。
それより白瀬君、バスタオルと毛布を用意してお
いて。椿のところにいるから」


椿は寂しい冬の景観に彩を添える冬の花だ。

特に極大輪の濃い紅色の椿は雪の舞う日、紅
にかかる雪の白さでその姿をいっそう際立たせる。

バスタオルと毛布・・・どこから、しかもなぜ、でももう先生は説明しない。

すでに僕のことなど眼
中にないはずだ。優のことだけを見る。

優のその時が、唐突に来た。

バスタオルはシャワールームから毛布はカウンセリングルームから調達して、僕は急いで先生のいる椿のところへ向った。

宿舎から数メートル一帯を椿が占める。

その中でも特に先生が念入りに手入れをしているの
が、直径13cm以上の極大輪の椿だった。

その前に先生が立っていた。


「優、出て来なさい。君はまだ同じ事を繰り返すのかい、優?」


「・・・出ないよ、先生。
だって出て行ったら、先生の大事にしてる一番大きな椿の花が落ちちゃう
よ」


垣根の中から優の声がした。

小柄な優は椿の垣根の中に身を隠していた。

それも最も先生が丹念に手入れしていた椿の中に。


「そうやって、友達の一番大事にしているものを次々と壊したのかい。塚本君や太田君の」

「先生ずるい!!知ってたのに知らん振りして!僕に嘘をついた!!」

優のカン高い声がして、椿の垣根が揺れた。

「優だってずるいだろう。自分のしたことが悪い事だってわかっているのに、それを周りのせいにしているだろう」

「周りのせい・・・?だって塚本君も太田君も僕が一番の友達って言ったのに、僕をおいて他の子と遊ぶんだ!」


ここでも嫉妬・・・。優の異常なくらいの独占欲の強さはどこから来ているのだろう。


「先生だって僕のこと一番じゃない!僕のこと人まかせにした!!あんな奴わざわざ呼び出してまで!!」

「優、今までその気持ちが人の一番大事なものを壊したんだね。もう壊すことはないよ」



バサァ―ッ!!バキバキッ!!



いきなり先生は両手で椿の垣根を引き裂くように左右にかき分けた。

衝撃で極大輪の濃い紅色の花びらがちぎれるように舞い落ちた。

一方で花ごと落ちる。

垣根の細く鋭い枝先がかき分けた先生の両手の平と甲の、皮膚を引き裂く。


「うわぁぁ!!」


突然目の前に現れた先生の姿に優は動転したようだった。

しかもいつも笑顔で接してくれてい
たであろう、優しい先生ではなかった。

先生は優の襟首を片手で掴んで引きずり出した。

「やぁ―っ!・こ・怖いぃ・・うぇぇん・・・」

椿の垣根から引きずり出された優は、引きずり出された格好のまま泣き出した。

先生が優を抱き上げた。だがそれは、昼間食堂へ行った時の抱き方ではなかった。

小柄な優は軽々と先生の小脇に抱えられた。

先生は優のズボンと下着を全てその身から取り払った。


バシーン!


先生の肉厚な手が優の小さなお尻を叩く。


「あっ・・ひっ・・・」


バシーン!


「うぁ・・ああ―ん!!」


2発目で今度は火がついたように泣き出した。


しかし先生の手は緩まなかった。


パンッ!パンッ!パンッ!
パンッ!パンッ!パンッ!


「痛ぃぃ・・うっうぅ・・・」


「腕時計を壊された塚本君はもっと痛かったと思うよ。
大事なご両親からのプレゼントだったの
に」


バチーン!!バチーン!!


「ぎゃぁんっっ!!・・・」


「太田君には何したの。言ってごらん、優!」


バチーン!!バチーン!!


「―ッ!あぅ・・パソコンに水かけたぁ・・・痛ぁーいぃ!!」

「それで太田君に突き飛ばされて、腕にケガしたんだよね」

優の身体が震え出してきている。一月のこの寒空に丸出しにされた下半身が痛々しい。


でも僕には先生を止められない。

先生は今、優と二人だ。


先生がなおも優のお尻を叩く。


パンッ!パンッ!パンッ!
パンッ!パンッ!パンッ!


「あぁ・・ん・・うっ・・先生・・わかってるぅ・・悪い・・事・・・。椿・も・・・ごめんなさい・・・」

優の振り絞るような声で、ようやく先生の手が止まった。

先生は優を小脇から胸に抱き直した。

そして僕からバスタオルと毛布を受け取ると、そっと優の下半身をバスタオルでくるみ毛布で身体を包み込んだ。

両腕を巻きつけてしゃくり上げるように泣く優を、先生はしっかり抱き止めながら笑顔で独り言のように呟いた。


「やっとつかまえた」


まるで、妖精でも捕まえたかのように。



愛に迷った妖精の

心はいったいどこにあるの

悪戯ばかり繰り返す

覚めた振りをしても

甘えた振りをしても

寂しさは癒えないでしょう


先生が語りかけるの

―わかったのだから話をしよう 

今までよりもっと 話をしよう

寂しさは癒えないかもしれないけれど

乗り越えることは出来るかも

しれないだろう―



妖精の心が解き放たれる


「先生・・・僕には一番に思ってくれる人がいない・・。夏休みも冬休みも帰るところがない」

先生に抱かれながら優がポツポツと話し出した。

「優、帰るところはなくても居るところはあるだろう。学校にいればいいじゃないか。
そしてたくさ
ん友達を作ってごらん。一番なんて言っていられなくなるくらいに」

先生は優を抱きながら宿舎へ向かった。

大きく穴の開いた椿の垣根の周りには、椿の花びらと優のズボンと下着が落ちていた。

僕は形のまま落ちている椿の花とズボン、下着を拾いあげた。


ズボンと下着が濡れている。・・・失禁するほど怖かったのだ。


13歳の子供の強がりなど、先生は見抜いていたのだろう。








「優君は?」

食堂で僕はずいぶん待たされた。

あの後先生は三階の優の部屋に行ったままなかなか帰って
来なかった。

「寝てる。身体が冷えきってたからお風呂に入って、
それからベッドで寝転んで話してたら優が
寝ちゃったんで」

「・・・先生も一緒にお風呂入ったんですか」

「うん。そしたらお湯で開いた傷口から血が出るのを見て、また優が泣くんだ。まいったよ」

先生が両手を差し出す。

「僕もです。ずっと待っていたんですけど」

きれいに土と血は洗い流されていたので、深く切れている部分にだけ傷薬を塗りこんでバンドエイドを貼り付けた。

「うん。・・・ごめん」

あまり申し訳なさそうでもない笑顔だった。


「明日さ、椿の垣根直すから。午後からでいいから」

先生が当然のように僕の手伝いを予定にはめ込む。

「明日はだめです。家に帰るので」

「家に?今頃?あと四日で新学期だろ」

「四日あれば充分です。・・・父と母のところで一日ずつ。あとの二日は今日出来なかった課題を仕上げます」



優に父と母が居るのか居ないのかはわかならい。そこはプライバシーなので先生も僕には言わない。

けれど優が常に一番にこだわったのは、掛け値なしに与えられる親の愛がなかった
からだ。

先生は優にそれを自覚させた。

自覚すれば乗り越える手立てが見つかる。




父が話をしようと言う。母が話をしようと言う。

いつも父と母から与えてもらっていた愛だから、今度は僕が父と母の愛を受け止めてみよう。

話をしたら、また新しい家族の形でスタートが出来るかもしれない。



「優も新学期から中等部へ帰るし・・・つまらないな。白瀬君、花束の作り方教えようか?
週に一
回、講習会してあげるから」

「けっこうです。僕にはセンスがありませんから」


半透明のガラスの器に花ごと落ちた椿の花を浮かべる。

紅い花びらがゆらゆらと揺れてシンプ
ルな美しさを感じた

内心、まんざら悪いセンスでもないんじゃないかと思う。

先生の座るテーブルへ置いた。


「まぁまぁだね」


なんて言いながら、先生は半透明のガラスの器に浮かぶ極大輪の椿の花を、いつまでも眺めていた。







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