I



レセプション当日、和也さんの言い付けを守らず学校の帰り、寄り道したゲームセンターでケンカに巻き込まれ会場の到着時間に遅れた。

控え室で待っていた和也さんに、ケンカで切りつけられた左ほほを叩かれた。

君に教えることはもうないと言って、和也さんはオレを置いて控え室を出て行った。

そして、午後6時30分レストラン‘soleil’(ソレイユ)レセプションの幕が開いた。







誰も迎えに来てくれない。オレはここにいるのに。

控え室の時計を見ると7時半を過ぎていた。

1時間以上も経っている。親父もおふくろもオレが来てるって知ってるはずなのに・・・。

和也さんが伝えなくても・・・進藤さんからちゃんと連絡がいってるはずなのに。

ここまでになって、はじめてもうレセプションには出られないんだと悟った。

確かに寄り道したけど、遅くなったけど、30分前には着いたのに。

服だってヘアメイクだって2〜3人ですればすぐだし、オレ・・オープニングの立ち位置もちゃんと覚えてる。わかるよ。

挨拶・だ・って・・でき・・る・・。


泣けて泣けてしょうがなかった。



 ―君が挨拶する人たちのリストだよ。企業名と名前を覚える。

  振り向いてはいけないよ。君は前を向いたまま歩く。私は必ず君の後ろにいるから。

  君は私を従えて歩く―



出られなくなってやっと自分のいる位置がわかった。

そして自分にとってどんなに大事なパーティだったのかということも・・・。


控え室を出て、会場と反対の方向へ行く。

1時間半前に入ってきたばかりの裏口から外へ出る。

控え室を出て廊下に出た時、ほんの数メートル先なのにまるで別世界のような光に包まれた会場の入り口から、招待客の人々の歓談の声が聞こえた。





レストラン横の駐車場で親父の車を探す。・・・あった黒のキャデラックXLR。

オレが何も言わず傍まで行くと、親父付の運転手の人がどうぞと言って後部座席のドアを開けた。

乗ると同時に車を移動して、と頼んだ。

ひとつおいてその隣にプジョー607の黒・・・和也さんの車だ。

今は見たくないし近すぎる。


「かしこまりました」

と言って、運転手の人はほとんど満車の駐車場の中をクルクルと廻り、何台か車を入れかえて今までいた位置とは逆方向につけてくれた。


後部座席に座ってレセプションが終わるのを待った。・・・ここしか待つ場所がない。

久し振りに乗る親父の車はとても懐かしい気がした。

運転手の人だってずいぶん前から顔は知ってるのに、オレ・・・名前も知らない。・・・知ろうともしなかったんだ。

ぼんやりとしていて、早かったのか遅かったのかそんな感覚もなくて・・・。

ただ気が付いたら満車状態だった駐車場がすっかりグラウンドのようになっていて、ポツポツと車が残っているだけだった。

そんな中、親父が4〜5人の会社の人達と一緒にこっちに向かって来るのが見えた。

その中に和也さんはいなかった。


車の手前で会社の人達が一礼し親父を見送ると、

「明良、残念だったな」

言いながら親父がオレの横に乗り込んで来た。

「・・・おふくろは」

「先に、別の車で帰った。なんだ?いてほしかったか」

親父はニコッと笑ってぐりぐりとオレの頭を撫でた。

「やめてよ。・・・なんで迎えに来てくれなかったんだよ。オレが来てたの知ってただろ。
オレね、30分前には着いてたのに・・・」

必死で言うオレの左ほほに親父の指がなぞる。・・・和也さんと同じだ。

「これじゃ、1時間前に着いてもだめだぞ・・・明良」

この傷がだめだったのか・・・。


「なんで!?こんな傷!かすり傷じゃん!オレ痛くもなんともない!それにメイクしたら隠せるだろ!」

「ごまかしは汗ですぐ落ちる。けんかでつけた傷をさらして接客するのか?」

 「・・・・・・・・・・・」

何も言い返せなかった。



レセプションは予定通り終わって、明日のオープンにつながるとてもいいパーティだったと親父は言った。

オレは良かったと思う反面寂しかった。

「・・・オレはいてもいなくても同じだったの?」

「そんなことはないさ。いればまた違ったものになる。でもいなければいないように進める。
明良だけじゃない。他の誰であってもそうだ。

「・・・親父でも・・・」

「そうだ。会社を動かすというのはそういうことだ。わかるか」


わかるか・・・親父にそう聞かれて、わかるともわからないとも言えなかった。

ただ少し寂しかった気持ちが薄らいだのと、あの時控え室で和也さんに左ほほを叩かれた意味がわかった。



「明良、帰るか」

親父に聞かれて、帰る処は自分の家しかないのに即答できなかった。

「・・・オレ、今帰ったらどうなるの」

「どうって、明良の好きにしていいさ。前と同じ生活だよ」

前と同じ・・・この言葉がものすごく不安に感じられた。

「オレね・・学校の授業がね・・解るようになってきたんだよ。朝だってちゃんと起きれるようになったし・・・。
もう・・前に戻るの・・・いやだ・・・」

「それじゃあ、また誰か他の奴をつけようか。・・・明良は誰がいい?」

・・・他の奴なんて思い浮かばない。オレはね・・・オレは・・・。


「だって・・・帰れって言われた!教えることも・・ないって・・言われた!」


そう言って泣き崩れたオレの背中に親父は手を置いて、心配ないと言った。そして、

「向こうへ」

のひと言で、車が走り出した。





和也さんのマンションに戻る。まだ帰ってないのかリビングの灯りがついてない。

走る車の中で親父は言った。


「こんなふうに明良と話が出来るようになるなんて、思ってもみなかったな」


親父は満足そうに微笑んだ。

そしてお前のことはみんなが見ていると言った。


オレは車から降りる際、運転手の人の胸のネームプレートを見て、名前を呼んでありがとうと言った。


―オレのことを見ていてくれてありがとう・・親父に伝えてくれてありがとう・・・―





鍵を使って入る。リビングから微かにフロアライトの光が漏れている。

ほのかに灯る照明の下、ソファに座ってオレの方を見ている和也さんがいた。

「何しに来たの?」

とても冷たい言葉で優しくオレに問いかける。

「・・・チェーンが掛かってなかった」

「掛かってなかったら勝手に入って来るの」

ソファに座る和也さんの前に立って言う。

「勝手じゃない・・・オレはここにいるの。これからもここにいる・・・」

「誰が決めたの・・・」



 ―心配ない。そう言えばいいから―



「社長命令!ちゃんと仕事しろ!オレのこと放って帰るな!」



ソファに体を預けるように座っていた和也さんの上体がぐっと起きてきてオレの腕をつかみ、そのままぐいっと引っ張り込んだ。

和也さんの胸に自然と顔をつける格好になった。

オレの腕を放した和也さんの手が、はじめてオレの髪の毛に触れた。

オレの前髪をかきあげながら、


「・・・それは、申し訳ございませんでした」


和也さんの眼が真直ぐオレに向く。


しばらくおいて、 

「汚い顔だね。・・・この傷・・このくらいで済んで良かった」

と言いながら、前髪をかきあげた手が今度は左ほほを優しく撫でる。

「オレ避けれたと思ったんだ。」

「どんなケンカに巻き込まれたの?」

「カツ上げ。見過ごせないじゃん。すぐ店の人呼んだけど、直人が・・・友達が止めに入ったから、そこで・・・ケンカになった」

和也さんが、君らしいねと笑って言った。和也さんの笑顔が嬉しかった。

今日、あれだけ流した涙も寂しかった気持ちもうそのように思える。

なんだかそんなに大騒ぎするほどのことじゃなかったのかな、とさえも思う。



「店の人ね・・・あれだけ言っておいても寄り道をする」

それが君らしいと言っているんだけど・・・和也さんは、胸に抱かれるような格好になっていたオレの体を横にずらして膝にうつ伏せにする。

「ちょっと・・!なんで、笑ってたくせに!」

「あきれて」

まさかこんな時まで尻を叩かれるなんて思いもしなかった。

「寄り道っていってもちょっとだけで!あんなことさえなきゃ!」

「そうだね、少しのことがここまで尾を引くよね」

・・・服は昼間のままだ。

学生服のズボンなんて造作もない、またパンツごと引きずり下ろされる。

「パ・・パンツはやめてー!・・って言ってんのに!和也さ・・痛ッ!痛ーい!!」


バシッ!バシッ!バシッ!・・・

バシッ!バシッ!バシッ!・・・


手加減なしで叩かれる。

手加減なしで叩く和也さんの手に、オレはどれだけ多くの人に迷惑をかけたかを教えられる。


「痛ぃ・・ごめんなさい・・オレ・・ちゃんとする・・もっと・・・」

「もっと?」

和也さんの手が止まり、パンツとズボンが引き上げられる。

膝から降ろされるとそのまま床に正座した。


「・・・自覚する・・オレの行動がみんなに迷惑をかけることを・・・」

「よろしい。・・・少しはお尻を叩く効果もあったかな」


最初は正座も出来なかったのにと言って、和也さんは穏やかに微笑んだ。



あの日の光景が甦る。ソファに座る和也さんと床に正座しているオレと。

同じ光景なのに今のオレは全然違う。正座させられているんじゃない。自分でしてる。

自覚しなさいと和也さんに言われた意味がその時は全くわからなかったけど、今はわかるよ!





この後オレは高校を卒業するまで、和也さんのマンションで生活した。

振り返るとこの高校の三年間が一番勉強した時かも知れない。

学校の勉強だけでなく、いろいろなことに対して学んだ時期のように思う。


高校を卒業後、オレはアメリカの大学へ行く。六年間。いきなりホームステイで放り込まれる。

もっとも、いきなりは和也さんのところで経験済みだからどうってことないけど。

このホームステイ先の世話をしてくれたのが麻理子さん、和也さんの彼女だ。逃げられたとか言ってたのに。

彼女は四年間アメリカで勉強しながら資格をとり、帰国後はフリーのインテリアデザイナーだ。



そしてオレが和也さんを兄だと知るのは、もっとずっと先のこと。

だけど、たとえ兄さんであってもなくても、オレは和也さんの言葉のままに前を向いて歩いていく。



 ―振り向いてはいけないよ。君は前を向いたまま歩く。私は必ず君の後ろにいるから―







*コメント

レセプションの件は、社長である父から見れば兄弟喧嘩のようなものです。

兄弟喧嘩を親父が裁いた、そんな感じです。

明良から見れば和也は最も頼りになるべき人物ですが、父から見ればまだまだという事です。

父親としては、明良の成長が嬉しい驚きでした。



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