〜Dreaming〜



零れる 微笑み
さ迷う 視線

戸惑いながら 迷いながら

それでも君は
前を見据え 歩いている

夢を見るように 
優しく 優しく

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「おはよう、蓮くん。」
 プリントの束を手にした香穂子が、そう言いながら早足で歩いて行った。
「ああ…。」
蓮がそれに答えるか答えないかの内に、
香穂子はもう人ごみに消えている。
普通科の生徒達が歩く、エントランスの中に。


『音楽の道に進むかどうかはまだ分からない。』


そう言った香穂子が、結局音楽科への編入は選ばなかったと
金澤の口から聞いたのは、つい先日の事だ。
「全く、君は…。」…どうして、そんなに普通でいられるんだ?
香穂子と想いが通じ合ったのは、セレクションの最終日。
彼女が音楽を選ばないかもしれない…
その事で多少ギクシャクしていたけれど、
あの日…彼女が自分の為に奏でてくれた曲が、
そんなわだかまりも溶かしてくれた……筈だった。

それなのに、彼女は自分の口から音楽科へ編入しない事を
告げてはくれなかった。
その事が…蓮の胸に小さな棘のようにチクチクと刺さる。

普通科はセレクション終了後から早朝補習が始まり、
このところ二人は一緒に通学してはいない。
放課後はと言えば、音楽科の蓮は急にレッスンが入ったり、
一方、普通科の香穂子は部活動があるしで…これまたかみ合わなくて。
二人が一緒にいられる時間なんてものはめっきり少なくなった。

「会いたい…。」
蓮は小さく喉の奥で呟く。

香穂子の笑顔が見たい。
香穂子の声が聞きたい。
香穂子の演奏が聴きたい……。

音楽を専門的に続けるかどうかなんてもうどうでもいい。
続けてくれたなら…それは嬉しい事だけれど。
でも…そうではなくたって、香穂子は大切な自分の……。

会いに行こうか、と思った事もある。
現に、会いに行った事もある。
だが、たまたま彼女はいなくて…無駄足になってしまった。



……香穂子……君に……会いたいんだ。



蓮は、ひっそりと溜め息を付く。
教室に入っても、授業が始まっても、蓮の頭には入っては来なくて。
蓮は見下ろした楽典をぼんやりと見ていた。

♪・♪・♪・♪・♪・♪

香穂子は、放課後…森の広場でぼんやりと木陰の中佇んでいた。
どれ程にそうしていただろう…気が付けば辺りは薄暗くなっている。
生徒らが思い思いに和んでいる場所からは遠く離れ、
喧騒は彼方からかすかに聞こえて来るだけだ。

「ふう……。」

香穂子の足元には所在無さげなバイオリンケース。
セレクションが終わって元の生活に戻ってから、
このバイオリンケースを学校に持って来たのは初めてだ。

「…仕方ないよ。」

セレクションに参加して、音楽の楽しさはよく分かった。
音に包まれる、幸せを知った。
だが、同時に…音楽を奏でる上での苦悩も知ったのだ。
思うように、弾けなかったり…自分の中でこれだと言う解釈が
生まれなかったり…なんていう事もよくあった。
単純に、巧く弾けたらそれで良いと言うわけではないと。
…そう、つまりは、思っていた程単純な世界ではないという事も
分かったのだ。
 
……ただでさえ香穂子は普通の家で、音楽とは無縁の暮らしをして来た。 
それなのに、音楽の苦悩も知った上でセレクションの…
ほんの短い期間の中で…音楽の道に進もうと決意出来る程、
強い人間では彼女はなかった。


セレクションの…苦労もあったけれど楽しかった日々を思い出す。
弾く事が楽しくて楽しくて仕方なかった。
でも……
「蓮くん……。」
蓮の、怖い程に真剣に音楽に打ち込む姿。
その姿に、やがて音楽の厳しさも知った。
彼の真剣な姿の前に、自分はあまりにも弱く、頼りない。
そんな姿を意識してから…音楽って楽しさだけじゃないんだ
と言う事を強く感じるようになった。

「……蓮くん。」

かみ合わない生活。
すれ違ってばかりで…声さえなかなか聞けなくて。
遠く、音楽科の校舎に彼の姿を見つけただけで息が止まりそうになる。
「……そうなんだよ。」
セレクションがなかったら。
なかったら…他の子のように…そんな風に遠くから見ているしか
出来なかったのだ。

想いを…通わせ合ったばかりだと言うのに。
会えない日々が少し続くだけで、こんなにも苦しい。
二人の差を思い知ってしまう。
そんな自分を見抜かれたくなくて、たまにすれ違っても
極普通に接しているけれど。
 もう……それも限界だろう。

「怒ってるかな。」
黙って、音楽科の編入を思い留まった事を。

言えなかった。どうしても言えなかった。
『音楽の道に進むかどうかはまだ分からない。』
音楽の道に進むのかと問われた時…こう答えたところ
…どちらを選んでも良いと蓮は言ってくれた。
…それでも、彼の音楽に対して真摯な姿を思い出すと
…どうしても言えないまま日が過ぎてしまった。
音楽科の編入一つにしても…『急には考えられない。』
そんな、甘えた事は…とても言えなくかったのだ。
思い出してしまうからかもしれない。
『音楽の道に進むかどうかはまだ分からない。』
こう言った時彼が…ほんの一瞬だがとても寂しそうな表情をした事を。

香穂子は、そっとバイオリンケースを開けた。
セレクションが終わっても、バイオリンは毎日弾いている。
家に帰ってから、夕食の間のほんの短い時間だけれど。

それは…香穂子にとって心落ち着く時間だった。

そう…そうやって楽しく弾く事自体は好きなのだ。
でも…それでは…それだけでは音楽科には行けない…そう思う。
自分よりも、うんと練習してきた沢山の生徒が居るあの中で、
自分のような甘えた事を言っている人間が居て良いとはどうしても思えない。 

「でも…弾くのは好きだよ。」
言い乍ら、香穂子はそっとバイオリンを取り出し、構える。
弾く曲は決まっている。

『カンタービレ』

彼と良く一緒に合奏した…彼の好きな曲。
一緒に演奏したくて…必死で練習した曲でもある。

すうっと小さく息を吸うと弦を下ろす。
紡ぎ出される……甘やかな旋律。

……蓮くん、好きだよ。

……蓮くんが、大好き。

……でも、だから……だからこそ言えない言葉もある。

……言えない…言う勇気がない……そんな自分も許せないの。

……勇気を……勇気が欲しいよ。

……蓮くんを、失いたくない……!

その、瞬間だった。
香穂子が奏でる旋律に重なって…響き合うもう一つの音色。
忘れる筈もない、よく聴き知った弾き方。

「……!」
香穂子は、思わず顔を上げた。
其処には…蓮が立っていて…
香穂子の弾く『カンタービレ』に厚さと華やかさを重ねるように演奏していた。
ふっと瞳が合う。
蓮は、じっと香穂子を見つめていた……熱く、強く。

 ……なんだろう。この感覚…。
まるで蓮くんが話し掛けてくれてるみたい……?
いや、ちょっと…ちょっとだけ違う……。
 
蓮の、低い優しい声が…理知的で穏やかな声が
…囁きかけてくるような…そんな心地だった。
これまでに、なかった事ではない。
合奏をしながら…まるで会話をしてるみたいだと思った事は何度もある。
そう…まるでテレパシーのように。
 
だが、『ちょっとだけ違う』……と、今確かに感じるのだ。

何だろう…考えてみて、香穂子はいつもとは違う熱を彼の演奏に感じ取る。
言葉ではなく…感情がダイレクトに伝わってくると言えば良いのだろうか。
哀しみ…優しさ…そんなものが綯い交ぜになって
直接心に染み渡ってくるような。

痛い程に、優しかったり…苦しかったり…する演奏……。

香穂子は蓮のそんな演奏に…どぎまぎしながら
…それでもどうにか演奏だけは続けて。
やがて…終わりまで弾き切ると…弦を下ろす事も忘れてただ
…ただ彼を見つめた。
「蓮くん……。」……どうしたって言うの?今までとは少し違う……。

「香穂子……。」…分かってくれただろうか?俺の想いを……。

「あのね、私…わた……し……。」
言い切るよりも早く…蓮は香穂子に近付いてきた。
そっと彼女の弦を下ろすと…何も言わずただ抱きしめる。


「蓮くん……。」


「俺を見損なわないでくれ。」
香穂子の肩に顔を埋め、蓮はそっと呟いた。
その声は、怒ってはいない……ただ……哀しんでいた。
「蓮くん?」

「…香穂子がそんなに苦しんでるなんて思わなかったんだ。」
蓮は、掠れた声で囁く。理性が表れたいつものそれではなく
…押し殺していた感情が滲み出したような…声。
香穂子は…告げたはずもない事を蓮が言い当てた事に驚き…瞳を見開いた。
「…香穂子…俺は…俺は、君が君だったらそれで良い。」
蓮は、言い乍ら顔を上げるとそっと両の手で彼女の頬を包み込み、
彼女の瞳を見つめる。
「俺は……君が側にいてくれないと…不安だ。
君がいないと、俺の音楽はなくなってしまう。」

……こんな…辛そうな蓮くんの声…初めて聞いた。

 香穂子は自分が思う以上に蓮が傷ついていた事を知り、愕然とする。

 彼だって…高校二年生の普通の男子生徒で
…弱さだって脆さだって持っていて当然なのに
…何時からかそれを忘れていた自分。

「俺は…君の音楽が好きだ。だがそれ以上に
…君そのものが好きなんだ。だから
…何処にも行かないでくれ…側にいてくれ。」

其処まで言うと急に恥ずかしくなったのか
…蓮はふっと彼女から離れて背を向ける。

「君が…楽しく奏でる姿が好きなんだ。
君といて知った。音楽は誰のものでもない。
誰だって気軽に楽しんで良いもの…いや、楽しむべきものだ。
それなのに俺は…何時の間にか何かの特権のように思っていた。
君は…そんな俺に思い出させてくれた。ただ楽しくて奏でる事。
幸せを…喜びを…音にする事。」

香穂子は…思わず駆け出していた。
そして…迷わず彼の背中にしがみ付く。

「ごめんね…蓮くん…ごめん。
私…私…怖くて。
音楽を続けていく自信がなかった。
けど、それを蓮くんに言ったら嫌われると思って……。
蓮くんは…。」……分かってくれていたのに。それなのに……。

すると、蓮の視線がそっと香穂子の頭上に下りてきた。
その瞳がぐっと細められて…彼は嘆息する。
「それは俺の台詞だ。
俺こそ…君に嫌われるんじゃないかと思った。
音楽を取っ払ったら…俺に君を繋ぎ止める魅力なんてないのかもしれない
と思ったから。」
「そ、そんな事ないよ!
だ、だって蓮くんは…そのとっても優しいし……それに。」
かっこいいし…と言う言葉は囁きのようにか細く空気に溶けて行く。
だが、蓮を赤面させるには十分だった。
蓮は……くるりと香穂子に振り向くとふわりと彼女の頭を撫でる。
「ありがとう。」
優しい、優しい声。
それは…たったそれだけで…穏やかな気持ちになれる…安堵感。
ここが…自分の居場所だと感じられる穏やかな幸せ。
彼の奏でる音色のように、聴いているだけで温かな心地に包まれる。

「ゆっくり、考えていけば良い。
一緒に…考えよう。」

蓮は…感極まって言葉が出ないのか…
何度も何度も頭をブンブン縦に振る彼女を心から愛しいと思った。
セレクションは二人を近づけてくれたけれど。
ここからどう歩き出すかは…二人次第。

「二人で一緒に……いっぱいいっぱい夢、見ようね。
色んな事二人で考えて…夢を見て…叶えていこうね。」
パアッとまるで陽が差すように幸せそうに微笑い乍ら
…香穂子が蓮の手をギュッと握って言い放つ。
「ああ……そうだな。夢、か…。」
「あ。子どもみたいだって思ったでしょ。」
少しむくれて香穂子が蓮を見上げる。
蓮はいや…と、首を振ると…また香穂子の頭を撫でた。
「俺は…取り敢えず今日は久し振りに二人で帰れたらな…と
……夢見ているんだが……。」
言っている蓮の表情があまりにも照れ臭そうだったので、
香穂子は思わず笑ってしまう。
そうすると、ますます蓮は照れ臭そうにして…とうとう背を向けてしまった。
「そだね。私はそんでもって、初寄り道できたらなあって
夢見てるんだけど、どうかな?」

香穂子の…茶化してるような言い回しとそれとは裏腹に
真剣な物言いに蓮は思わず振り返った。
瞳が合うと…思わず知らず、同時に吹き出す。

「そうしようか。」……何だか、同じ事で悩んでたみたい。
「そうしようね。」……同じような事で、俺達は悩んで…。

「じゃ、もう帰ろうか。」……同じように、お互いを想っていたんだね。
「そうだな。」……同じように、お互いを想っていたんだな。

自然に繋いだ手と手。
二人のもう片方の手には、バイオリンケース。
香穂子は自分達の繋いだ手と、二人の手にそれぞれある
バイオリンケースを交互に見遣ると思わずにんまりしてしまう。
「どうした?」怪訝そうに、問う蓮。
「んーん。何でもない。」
 
……ずっとこうやって、一緒にバイオリン、弾いていたいな。
それでね、弾き終わったら、こんな風に手、繋いで歩くの。 

………どうなるか、先の事はまだ解らないけれど。




………取り敢えず、これが私の夢。




幸せそうに手に力を篭める、香穂子の横顔を見つめて。
蓮も又、思う。

……こんなふうに、迷い悩む事。
……こんなふうに、すれ違う事。
……きっと、これからもあるのだろう。

……その度に、分かり合いたい。
……その度に、分かち合いたい。

……悩みも…苦しみも……そして、その先にある夢も。


―――――二人の夢を、ここから始めよう。―――――

♪・♪・♪・♪・♪・♪

夢を見るように 歩いて行く
君の横を 並んで歩こう

幸せな 微笑み 零す
君と一緒に 微笑っていよう

迷いも 悩みも 共に抱えて
君と一緒に 生きていきたい

綺麗事でも 構わない

それが ただ一つの 俺の夢
それが ただ一つの 二人の夢


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<管理人より>
この素敵な創作はSieta in Green管理人:谷岡 圭さま
のサイトでフリーになっていたものを頂いてきたものです!
圭さんありがとうございます。

コルダ:蓮くんの創作ですvv蓮くんはまだクリアしていないのでどういうEDになるのかなぁ・・なんて思っていますが、性格的に少し苦手なキャラので、なかなか攻略できずにいますが・・声をあてていらっしゃる谷山紀章さんはとても好きな声優さんなので、いつかはちゃんとクリアしたいなぁ・・って思っています。付き合いだした頃って、こんなかんじですよね。ちょっとしたことで不安になったり、楽しかったり。とてもその気持ちが伝わってきて素敵だと思います!

圭さんのサイトには他にも蓮くんの創作がありますので、
ぜひ尋ねてみてくださいね!