大事な人を 大事な人と

大好きだから 大好きと

言うのはなかなか 難しくて


『Sweet thanks』


 夕暮れにセピアに染められた廊下を、蓮は一人歩いていた。
 誰から見ても凛と…そして泰然としたその歩きから
彼が何を考えているかなど解る者は一人もいない。


(………最終セレクションまで、もう日がない。)


 にも関わらず、弾く曲を決めかねている……など……誰が信じるだろう。
 それ程に、彼らしくはない……だが、それは紛れもない事実だった。


「……ハア、ハア…一緒に…帰ろうよ、蓮くん。」


 バイオリンケースを片手に帰ろうとしていた蓮の背中を、の声が呼び止める。
見れば、随分遠くから走ってきたらしいが、少し頬を紅くして立っている。

「……ああ、君か。
 解った……では、先に校門前で待っている。」
 
 努めて、冷静に言葉を返せば、の表情がふうっと愛らしく崩れる。
 ありがとう!と弾けるような笑顔で頭を下げると、
は又、慌てて走って行った。
きっと、自分を待たせないようにと思ってくれているのだろう…そう思うと、
嬉しくて…だが、転んでしまいそうで心配で…蓮は、思わず苦笑した。
 自惚れでなくそう思えるのは、がいつもくれる…温かな言葉のお陰だ。

 彼女が先に待っていてくれた時はいつも、
『あ、来てくれてありがとう!』と笑いながら頭を下げる。
 そして、蓮が先に待っている時にはいつも、
『待っていてくれて本当にありがとう、ゴメンね。』と、
心からすまなそうに頭を下げるのだ。
 その…ピョコンと頭を下げる仕草が、蓮は…好きだった。
 長い髪が、遅れて下がるのを、見下ろすのが好きなのだ。

 どうしてなのかなんて、解らない。

 でも…その仕草を見ているだけで…何故か、だが確かに、胸が温かくなる。

 だから…彼女からの誘いは、断れないのだ。

 今日も又、そう。
 その姿が見たくて、蓮は足早に校門前に向かう。
 日が傾いて…淡く紫色に染ワる空を眺めていると、
やがてパタパタと彼女が駆けて来た。

 蓮は、胸の鼓動を抑えながら、徐々に大きくなる彼女の姿を見据える。
 
 ずっと、見ていたい…そう、思える程に、幸せだった。

「…待っててくれて、ありがとう。ゴメンね…風が少し冷たいのに。」
 確かに、言われてみれば僅かに空気が冷たい気がした。
 だが、そんなふうに言ってくれるの表情を見ているだけで…胸がいっぱいになる。

「いや……構わない。君こそ…その…。」
 『急いでくれて、ありがとう』…今日こそは、言いたかった。
 いつも、自分に温かい言葉をくれるに、今日こそは温かい言葉を返したかった。
だが…どうしても、上手い言葉が出てこない。

(……今日も、駄目か…。)
 蓮は、小さく息を付き、何でもないと首を振ると、歩こうとを促した。

 すると、は少し首を傾げながら…それでも、後を付いて来る。

「それでね、今日、森の広場で……」
 は、闊達に今日あった出来事を面白おかしく話してくれる。
 蓮はと言えば、頷いて聞いているだけなのだが、は気にした様子でもない。
だが…蓮自身は、焦りで心をいっぱいにしていた。

 本当は、もっと気の利いた事が言いたい。
 
 彼女の話を聞くばかりじゃなくて…彼女の言葉を貰うばかりじゃなくて
…時には、彼女に温かな言葉を返したい。
 そう願うのに……長年保ってきた仏頂面を崩すのは…閉じてきた口を開くのは
…難しくて、蓮は…一層黙ってしまうのだ。

「………それで……ね………えっと…。」

 と、唐突にが黙り込んで。
 蓮はふっ…と彼女を覗き込んだ。

「え、…れ、蓮くん?」

 は、彼の意外な行動に…知らず後ずさる。

「あ…す…すまない……。」

 蓮は、自分でも無意識だっただけに、我に返ると激しく動揺して顔をそらす。
 は、慌てて首を振った。

「ご、ご…ごめん……嫌だったんじゃなく…て……。
 その…えっと……。」

 は、困ったように…そして、少し焦ったように顔をしかめた。
 蓮は心を落ち着かせると、大きく一つ息を付いて…の方に向き直した。

「………じゃあ…行くか。」

 まだ残る動揺を落ち着かせると、どうにかそれだけ言って、蓮は一歩、足を踏み出す。

 だが……彼女は、付いて来ない。


「………?」

「……………あ、あのね、蓮くんって……練習の時……疲れない?
 ずっと……弾いてる、でしょ?」
 にしては、口調がぎこちない。
だがそれだけに…何か、本当に言いたい事があるのではないか…と、そう思える。
 蓮は、少ない自分のボギャブラリーに心で歯噛みしつつ、ゆっくり慎重に言葉を返した。

「……ああ、そうだな……疲れる……時もある。
 その…ずっと同じ体勢を保つには…少なからず体力を使うし。」

 蓮がそう言うと、は、ほんの一瞬と自身の鞄を見遣った。
 何か、その中に…自分に見せたいものでも入っているのだろうか。
 だが…それを追及していいのか…蓮には解らない。

(もっと、今までに…誰かと沢山話をしていたなら…上手い言葉が、見つけられるだろうにな…。)

 そう…きっと、他の人間ならば。
 少なくとも自分よりは…上手に彼女を微笑わせる事が出来るだろう。

 蓮は…どうしていいか解らなくて。
 でも…あれだけ快活な彼女が、俯いているのは見るに忍びなくて。

「……その……。」

 ぎこちなく声をかけると…そっと彼女の足元に膝を付いて、彼女を見上げた。

「蓮くん!?」

「………俺は、上手い言葉を、君にあげることは出来ない。
 いつも…君から…言葉を貰うばかりだ。でも……」


『君には、その…感謝…している。
 君の言葉に…勇気を貰っている。』――この言葉は溜め息よりも、小さくて。

「………だから………。」

 続けて放たれた言葉は、彼らしくない程弱い。
 だが……の心は、これ以上ない程に打っていた。
 蓮の『本当』だと思えたから。それ程に…瞳は真摯な光を帯びていたから。

 だから……は、勇気を出せた。 

「蓮くん…これ、練習の合間にでも……。」

 そう言って、がおずおずと差し出したのは、袋に入った金平糖。
 蓮にプレゼントするには、本来の彼の人柄とは…えらくかけ離れてはいた。
 蓮自身、まさかこんなものが飛び出してくるとは思わなくて、呆然と彼女を見上げる。

「……その…この金平糖…この間ね、見つけて……。
 その…星みたいだなあって思ったら、蓮くんを思い出して……。
 蓮くん、練習の時、何も食べてなさそうだなあ、
甘いものは疲れを取るしいいかなあと思って……その……。」

 の言葉は、焦りのせいか早口になっていく。
 蓮は、それでもその一言一言を、一音として聞き逃すまいと…静かにを見上げる。

「……だからその……これ……よかったら…ーーーっ…。」
「……ありがとう。」

 蓮は、焦りで顔を強張らせるを、
少しでも和らげようと…なるべく優しく、ゆっくりと…言葉を紡ぐ。
 それから……その金平糖とを交互に見ると……そっと耳元で囁いた。

「……早速…一つ、くれないか?」
「え……あ、う…うん。」

 は、蓮の囁きに負けて、金平糖を一つ摘み上げると、そっと蓮の口に放り込む。
 蓮は……ゆっくりと味わってから、微笑った。

「………甘いな。」
「………ごめん、趣味じゃなかった…よね…やっぱり……。」
「……いや。」

 笑ったり、慌てたり、そして…かと思えば、困ったり。
 
 蓮の一言一言に、真剣に反応して百面相かという程に表情を変える
 それは全て、様々な彩りで…だが、困ってしまう程に甘く…金平糖のようだ。
 そして、その一つ一つが…心から愛しいと思えるのは、只の感謝ではなくて。

「……じゃあ、俺からも…一つ。」

 大きな声で言うのは恥ずかしくて、耳元で囁く。
 たちまち真っ赤に染まったの頬の色に似た、
ピンク色の金平糖をそおっとの口に放り込みながら。

 蓮は……この、子どもっぽく、だがしかし……誰よりも全てに真剣な
…愛しいライバルに……最終セレクションで捧げる曲を静かに、だが強く思う。
 最終セレクションに…新しく見つけた、
いや、が見つけさせてくれたバイオリンを奏でる意味…
自分にとっての音楽の意味の輪郭を…自分は今はっきりと見たから。

 『愛しさを、喜びを…届ける為に、弾く。』
 それが大切な人に、そして…聴いてくれる人に、少しでも優しい気持ちを運べばいい。

 今まで誰かになんて、思いもしなかった。
 そんな自分の傲慢を、打ち壊してくれた彼女。

 『そんな君に、感謝の全てを捧げよう……。』

 そんな演奏が出来たなら、順位など関係はない、
とすら思える…そんな自分にも驚いているけれど……これが、偽らざる、自分の思い。

 大好きな人に、大好きだと…伝える事。
 本当の事を、伝える事程……難しいけれど。

 『きっと…君に伝えよう。』

 本当の事を、心からの音色で。

 そして、心からの言葉で。
 
 まだ口の中に残る甘い味に、愛しさを噛み締めながら。

Fin.


『圭さんのコメント』
さて、第一位のレンレンのSSです。いかがでしたか??
タニオカ、金平糖というモチーフだけで、甘すぎて、恥ずかしすぎて身悶えそうです。
あげくさっき、愚弟がチラリと盗み読んで、レンレンの台詞をリピートしたもんだから、
ハズカシさはMAXです。

感謝&甘さをテーマに頑張りました。
お気に召した方は、持っていって下さいませ。

Kei TANIOKA  2004/10/11


<管理人より>
 この素敵な創作はSieta in Green管理人:谷岡 圭さまのサイトで
2周年を記念してフリーになっていた創作です!
快く転載許可を下さった圭さんに感謝ですv
 蓮くんって内に秘めてるものが多い感じがしますよね。
圭さんの創作はその心のうちの葛藤がとても詳細に描かれていて、
蓮くんの気持ちが、細かく伝わってきます。
なかなか口にできない蓮くんがもどかしいですが、
そこがこの創作の魅力だと思います。
疲れたときに、金平糖のような甘いものって
本当にほっとできて良いですよね(^^)
 圭さん、いつも本当にありがとうございます。
圭さんのサイトがこれからもますます発展することを心から祈っています。
ありがとうございました。


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