Viola


ねぇ、どうか教えて下さい。
僕には、勇気がなくて聞けないから。
貴方がどこかへ行ってしまうのかどうか。
僕は、貴方しか知らないから…こんなにも臆病で。
貴方が遠くへ行ってしまうなんて………。
僕には………………。

「ね、
 桜弥は、に呼びかけられて、ふっと顔を上げた。
冬の風に煽られて、本のページが小さく揺れる。

 ……は、美術部に所属している見た目は極普通の明るい少女だ。
だが、はばたき高校では有名になりつつある絵の才能を持っている。
先日の文化祭で展示された壁画も素晴らしいものだった。
それは、彼女の力が大きく貢献したと言われている。
美術に関しては素人と言える桜弥も美しいと、そう思うのだから、
その実力は確かなものなのだろう。

「…何でしょう、えっと…、さん。」

そんな彼女がどうして自分によく声をかけて来るのかは解らない。
だが、最近どうしてか彼女の側にいると胸がざわめき立つように感じられる。
彼女のふとした仕草や、笑顔に過剰なまでに反応してしまうのだ。

「……あのさ、あの……紫とか、黄色とかで、
よく鉢植えとかになってる…あの花ってパンジーって言うのかな?」

 少し恥ずかしそうに、彼女は尋ねてきた。
確かに高校生にもなってパンジー程の有名な花を
わざわざ確認するのも気恥ずかしい話だ。
だが、桜弥にとってはそんな事よりも恥ずかしげに頬を染める
彼女の方が可愛くて、ついつい小さく笑ってしまう。

「…もう、笑わないでよー。」

 恥ずかしげに眉をしかめる彼女に、桜弥は詫びると答えた。

「ええ、そうですよ…確かに仰っている花は
パンジーだと思いますが…それが何か?」

 桜弥が尋ね返すと、彼女は笑いながら言った。

「…次に描く絵のモチーフにしたいんだけど。
何処か、沢山咲いている場所、知らないかな?」

 園芸部の花壇には今沢山のパンジーが咲いている。
桜弥がそれを告げると、は桜弥の前に拝むポーズをして懇願する。

「放課後で良いから、連れてってくれないかな?」

その願いを、桜弥が断るはずがない。
二人は放課後、一緒に花壇を見に行く約束をした……。

――――――その直後に聞いてしまったのだ。

が、はばたき市から遠く離れた一流芸術大学に進学するらしい』と…。

 さんは…何も言わない。どうなんだろう、本当は……。
聞きたかった。そして、否定して欲しかった。
 だが、そんな勇気は桜弥にはない。
そして何より彼女の才能を狭めるような事を願う自分の心が嫌だった。
……彼女が、行かないで欲しいなどと。

 は、黙々と鉛筆を動かしていた。
ほんの少ししか時間は経っていないと言うのに、
彼女のスケッチブックには、美しいパンジーが描き出されていた。
モノクロなのに、はっとするほど鮮やかに感じられるのは、
彼女の才能のせいだろう。

「パンジーって…どうしてこんなに華やかなんだろうね。」

「……さあ。でも、あぁ…花言葉は『私の事を考えて』…
と言うらしいですから……誰かに見つけて欲しいのかもしれないですね。」

 桜弥が言うと、は、ポツリと呟くように言った。

「……………寂しがりやさんなんだね……。」

 のその声こそが少し寂しそうに思えて、桜弥は彼女の顔を覗き込む。
は、笑っていた。
 は……泣いているようにも見えた。
……笑い顔と泣き顔って……似ているような気がする……。

「…………。」

 沈黙する彼女の横顔に、桜弥は心で叫ぶ。
泣きたいのなら泣いて欲しい、と。
 我慢しないで欲しい、と。

 ………そして、そんな彼女を抱きしめたい、とそんな衝動に駆られた瞬間、
桜弥ははっきり解ってしまった。自分の、偽らざる思いに。

『僕は、さんの事が……好きだ。』

 自覚してしまった桜弥は、彼女を見つめたまま動けなくなった。

「確かに……これだけ華やかに美しかったら、
見つけてもらえるよね。これだけ……明るくまばゆければ。」

は言うと、そっとスケッチブックを閉じた。そして、立ち上がる。

「ありがとう……。」

 そう言うと、彼女は風のようにスカートの裾を翻す。

「待ってください!!」

桜弥は思わず彼女の腕を掴んだ。

「離してよ…。」

 そう、冷たく言い放つ彼女の声が震えていた。

「いいえ、離しません。泣いているのに……貴方は、ずっと泣いていたのに………。」

「………。」

 予想外の桜弥の言葉に、はふと言葉を失くす。
 いつもなら、いつもの桜弥なら考えられない事なのに、
それが極自然の振る舞いに思えた。
大好きな子だとはっきり自覚した今、ここで逃げたくはなかった。

「すみません…貴方は、ひどく明るかったけれど…
ずっと明るかったけれど、それは…いつもいつも本心だった理由じゃないって
…今更ですけど…気づいたんです。
貴方だって辛い事も、嫌な事も有った筈だ。
…貴方は、パンジーのように……明るく咲く事で、
誰かに気づいて欲しかった…そんな事にも僕は……気づけずに。」

「やめてよ!!」

 耐え切れないように叫び、身じろぐ彼女の腕を捕らえたまま、
桜弥はそれ以上に悲痛な声で言った。それは…有る意味、
叫び以上に胸に迫るもので。

「貴方は……、貴方の本当の心を考えて…欲しかったんじゃないですか?
…僕の言っている事が見当違いだと言うならそれでも構いません。
いや、むしろそうであった方がいい。
…でも、今貴方の心は動揺している。
それが、僕の言葉が的外れではない事を教えてくれています…。」

 もういいから、我慢しなくていいから。
桜弥の思いがの胸に落ちて、波紋を広げていく。
自然と、は桜弥の胸に顔をうずめていた。
そして桜弥も、自然とそれを受け止めていた。
瞬間、の瞳から、ポロリと雫が落ちる。
それは、桜弥の胸に、あたたかなシミを作りながら、
後から後からこぼれて行く。

 心地良いな、と桜弥は思った。
そして、彼女の事をこれまでの中で最も近く感じていた。

 ああ、そうか。
そうなんだな…僕は、そんな事にも気づかなかった。
心の距離が問題なんだ…身体の距離よりもずっと。
手を伸ばせば届く距離にいても、心が遠ければ意味がない。
彼女の心は寂しがりやさんだから…そのくせ、頑張りやさんで。
あぁ、そんな所も、寒い冬を越えるパンジーに似ていますね。
僕は、いつも貴方の事を考えよう。
貴方以上に、貴方の事を、考えましょう。

『貴方が、遠くへ行っても構わない。
 心はお互いの側にある…そうなるように一緒に頑張りましょう。』

 春になって、が新生活を始めたアパートの窓辺には、
小さく揺れる黄色いパンジーの鉢植えがあった…………。


<管理人より>

この小説は、Sieta in Green管理人:谷岡 圭さまに
サイト開設祝いに頂いたものです。

桜弥くんの小説vvとても素敵です。パンジーはモチーフとして
結構使いにくい花ですが、やっぱり上手な方が書かれると
素敵なものになるんだなぁって思いました。

好きな人が遠くへ行ってしまう・・もしくは自分がこの場を
離れなくてはならない。それはとても切ないですよね。
夢を選ぶか、恋を選ぶか・・。私の好きな某タレントの曲に
「恋と夢のカードを配られてすれ違う・・」って内容の歌詞がありますが
まさにそんな感じ。やさしく背中を押してくれて、
無理をしなくても良いんだよって教えてくれる
桜弥くんの優しさが心に染みてきますね(^^)

管理人にも覚えのある感情なので・・じーん(TT)ってきちゃいました。

谷岡 圭さまとても素敵な創作を本当にありがとうございました。

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