佐藤医院
住所:309-1611
茨城県笠間市笠間981-8
電話:0296-72-0032
内科・小児科・呼吸器内科・循環器内科
笠間写真館
佐白山 佐白山笠間城跡
佐白山笠間城跡
石倉 山頂東側の岩石群
山頂に向かう石段
2の丸広場より山頂本丸への登り道
2の丸古城図面
史跡千人溜ま跡 佐白山中腹の武者溜り
古城の古井戸 2の丸より降りた場所
山頂本丸への登り階段
佐白山公園山麓の時鐘
佐白山公園山麓の満州分村の記念碑
佐白山公園山麓の大石蔵之助銅像
佐白山登山道上り口
僧侶100人を首を切った場所
佐白山中腹の大黒石
本丸山頂にある佐白能神社
佐白山中腹の大黒石
佐白山麓の観世音寺
佐白山麓の名刹 玄勝院
石倉より水戸方面を望む
陶芸の森公園の遊びの林 天空の砦
陶芸の森公園の池と佐白山遠望
天空の砦 遊びの広場
つつじ山公園山頂の広場
陶芸の森公園のイベント広場
陶芸の森公園の県立陶芸美術館
陶芸の森公園 工芸の丘
陶芸美術館前の広場
工芸の丘の笠間焼き展示場
つつじ山公園山頂 身代り観音の展望台
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佐藤医院の直ぐ後ろには佐白山と言う山がありましてその山腹と山頂には中世の古城がありました。
今から約800年前、鎌倉時代の初期に築城され、現在は山頂近くに多くの石垣と崩れかけた石段だけが残っています。
築城以前はこの山城よりやや低い所に大きな寺院があり僧兵が多数いてこの地域を支配していました。しかし隣の七会村地区には徳倉大師と言う大きな寺があって、この寺とは常に勢力争いをしていました。
笠間の寺院は次第に形勢が悪くなり宇都宮の武家に助力を頼みましたが、その為に宇都宮より笠間時朝という武士が大軍を擁して派遣されまして、時朝は両方の寺院を滅ぼし笠間の城主に収まってしまい佐白山の山頂にこの城を築きました。
その為に今でもこの古城には多くの遺跡も見られます、僧兵を滅ぼした時、100人の僧の首を切ったといわれる古い石塔が並ぶ「百坊」や、本丸の直ぐ下には当時のままの「古井戸」があり今も尚深いところに水を湛え覗くと恐ろしい感じがします。「大手門」跡や「千人溜まり」などの広場もみられ、登山道脇には「大黒石」と言われる黒い巨大な石があり、時々 素手で岩登りの人が挑戦しています。
現在は山全体が国有林の為、殆んど人の手が入らず登山道や本丸跡等は整地されていますが、山中は30~40米に及ぶ大木が茂り鬱蒼として昼尚暗い原生林のままです。山頂の東側には築城の石垣に使った石を採取した「石倉」と呼ばれる展望の良い岩場があり、水戸や海岸方面が良く見えます。元旦にはご来光を拝む人が多数登ってきて新春を寿いでいます。
私の家はその山の麓にありますので良く古城の夕陽を見るために急な坂を登ります。笠間は盆地ですので西の山に沈む美しいタ焼けが見られたり、時にはモヤの関係で巨大な太陽が沈む様はまさに神秘的です。
既に私も歳を取っていますので、初日の出より、大晦日の落日のほうが似合うものと思います。大晦日のタ方は毎年登って、落日を拝みながらこの1年の事を考えたりします。そして古い石垣に座って夕日を眺めつつこの山城の歴史に思いをはせる時、多くの僧侶や武士たちがこの古城をめぐって争ったり栄えたり滅びたりし、昔の人がどの様な思いでこの落日を迎えていたことか、人間の生涯の儚さに較べて、この古城が存在した時間、空間や歴史の流れに遥かなる重みを感じます。
又、この山は築城以前から、神の遣いである3匹の白い狐、白い雉、白い鹿が住んでいたと言われて居た為に「佐白山」と呼ばれて崇敬されて来ました。今でも山頂には佐能神社と言う社があり我が家もその氏子として幾ばくかの支援をしています。
更に一時、観光開発をして車で登れる様山頂近くにトンネルを掘ったのですが、既に崩れて通れなくなりトンネル近くに霊が居ると言われテレビ局が霊媒師を連れてきて検証しています。
文章・写真:佐 藤 怜
佐藤医院 住所:茨城県笠間市笠間981-8 電話:0296-72-0032