しばらくぶりにサイト内の整理整頓を始めてみたところ、 ここに記載されていた内容は、まだリラちゃんも若く、たらちゃんが来た頃までの時代の事でもあり、 バセンジー感、健康、レスキューどれ一つ取ってみても、今の自分が見て納得の行くものでは無くなっており、 急に気恥ずかしくなりました。 2005年、2008年と追記してきましたが、もはや修正するのは困難と判断するに至り、 思い出話を掲載していても、それはただの感傷に過ぎませんので削除いたしました。 このページを可愛がってくれた皆様、ありがとうございました。 |
2012.8.1 トーチャン |
【「動物の愛護及び管理に関する法律」について思うこと】![]() その後も父親は何頭かの犬を拾ってきては粗末に飼っておりました。みんな‘猫まんまでの栄養失調’や‘予防していれば罹らないはずの病気’で犬の可愛い盛りに死んでいきました。経済的に無力な私は一緒に歩くことしか出来ませんでした。父親は善意で捨て犬を連れてきていたのでしょうけど、決定的にその次の勉強を怠っていました。「犬は繋いで飼いましょう。」と言われれば、「なぜ繋がねばならぬのか?」と、疑問を持ち想像力を働かせる事などとうとう出来なかったのです。 これは日本の飼い犬の典型的なクラッシックスタイルです。善意から派生した虐待の例だと思います。日本でこの‘クラッシックスタイル’が普及したのにはいくつかの要因が考えられます。
![]() 一方、犬達の能力に気付いていた人達は、西洋の知識を取り入れては、和の心を持って解釈し、良いパートナーであり続けようと努力を続けてきました。犬を理解する良い飼い主さんもたくさん現れてきました。日本の現状は世界トップレベルの飼い主さんと、勉強中の飼い主さんと、クラッシックスタイルの飼い主さん、大きく3つに分かれるかと思います。動物愛護団体にかかわる人達の認識も、里親さんが現れれば何はともあれトライしてみる人、人間不信に陥り完璧な里親さんで無ければ引き渡せず、背負い込んだ結果‘善意の虐待’に加担してしまう人、など様々です。 ![]() 昭和30年代、クラッシックスタイルによって狂犬病は生活の傍から遠ざかりました。半世紀経った今でも地方では「犬は繋いで飼いましょう。公共のルールを守りましょう。」と、アナウンスしています。しかし、ブリーディングを待たずとも子犬が市場にあふれている今、「繋いでエサを食わせておきゃぁ〜いい。」と、クラッシックスタイルの認識が安易な飼育放棄の土壌になっているようにも思います。日本の家庭ではペットのいる光景も珍しいものではなくなりました。行政の指導も、クラッシックスタイルは過去のものとして恥ずかしく思えたり懐かしみ、次のステップに向かう時なのではないでしょうか。共に生きる、という事、そして絆で結ばれる、という事、公共のルールを守る事、その為にはまず犬との付き合い方を考え直すところから出発しなければなりません。愛犬と家族が戯れる景色に憧れながら、しかし、どう犬と向き合ったらいいのかが分からない、本質はそこにあるはずです。ペット税導入論議などもあるようですが、はたして過剰な繁殖や飼育放棄は減るのでしょうか?逆に「金さえ払えば何をしても良い。」という風潮を生み出しはしないでしょうか?犬のいない暮らしが想像出来ない私にはずいぶん表面的な議論にも思えます。 「動物の愛護及び管理に関する法律」とは人間と動物、生き物と生き物の絆、日本人の死生観を理念に検討されるべき性質のものであって欲しいものです。↑topへ |
2009.11.11 トーチャン |