“俺”か、
“否”か。
小言。:例えば報道番組で“犯罪”の“犯人”を追究する際、
その人物の“陰”の部分として“いじめに遭った過去”等を
取り上げるのは良いが、ソレを、“いじめ”の“経験全て”が
“負”の要素と成ってしまった、又、“いじめを受ける様な人格”、
更には“いじめ”を受ける事自体、即ち“受ける側”が“悪い”と言う風な
ニュアンスを持って全てを“否定”し報道するのはおかしいと思う。
“いじめ”を受けた事が有っても前向きに生きている人も、多分、
いや絶対に沢山居ると思う。
それにもしも実際に“いじめ”等が要因なら、
“大本”はその“いじめ”の“加害者”の筈。
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