コノ条例で…まぁ有り得んが、
万が一“暴力団”が一掃されたとしたら、恐らくソノ次に悪なる輩が、
味占め一層我儘と成った身の程知らずな世間の目には“最悪”と映り、
御次はソレの一掃が始まり、順次ソレ繰り返し、
最後に残されるは“聖人”並の清廉潔白、自分で自分の首絞める風な
生ける屍的“非人”…
で、辺り見回しよくよく見れば一番穢ぇノは胡坐掻いて眺めて居る“警察”…
と言うバカげたモノと成るだろう。
“善”との先入観から警察は除外視され、又、
市民と暴力団の間的立場の為注視されなく成るが故、
ウマく立ち回り“外面”さえ繕って居れば、彼等警察は“善人”で済む。
ナンにしろ他の排除は、取り締まる己等警察内部から続々出てくる
“暴力団関係者”等々の膿を取り除いてからにしろ。
せめて“一年間”だけでも様々の不祥事起こさずに居られたら
他の一掃に取り掛かれ。
それに疑わしきは罰せずの法の下、
名札付けて居る筈もない“暴力団員風”の輩が歩いて居るノを見掛けた際、
どう排除するのか。
又、縦え当人が「私、暴力団員」と口にし、出頭した場合でも、
どう対処するのか。
具体的に“排除”とは、どう遣るのか。
ソノ“家族”に於ても。
とにかく本条例、
人間から良心以外取り除こうとするノと同じ。
不自然、無理なるハナシ。
“裁判員制度”同様、無理強い、無理遣りなるモノ。
悪を消した‥元い、無理に抑え付けた世は、
小さな悪戯さえ赦されずに成長する子に等しい。
小さな痛みすら知らずに育つが故、ソノ内起こす“爆発”はデカい。
今後の社会の方がオソロシイ。
抑々何が引掛かるのか深慮してみれば、
コノ“条例名”。
“排除”とは何事、何様か。
“暴力団”即ち“暴力団員”を排除との事。
人を“物”の様に扱って居る。
“暴力行為排除条例”なら解るが。
価値観異なる者の排斥。
暴力団辞めた後の“道”すら明示せずに。
そしてコノ条例のオカゲで逆に暴力団以外の
“普通”のツラして潜んで居る犯罪者共が益々図に乗る。
浅薄が権力持ち調子放いて職権乱用するとコノザマ。
浅薄共にはオレが只単に暴力団の肩を持って居る風に映るだろうが、
ソンナこめぇハナシじゃねぇ。
人権、倫理に関わるハナシ。
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