或る人とのたあい無い雑話に因り想起された、或る恋の話。
アレは俺が半ば強制的に連れ戻され故山を目にし、
一年余り過ぎた時分に某所で勤め始めた事に、端を発する。
父親のコネクションで受けた‥と言うか受けさせられた面接、
俺は断る積りでアラい普段着と心構えの儘臨んだ‥がソノ最中、
“コノ面倒臭ぇノを又繰り返さにャ成らんノは面倒臭ぇ”との思いが過り
俄かに変心し、ソコで働く事とした。
するとソコには、年末の僅かの間だけのアルバイトとして雇われて居る
女性が数人、そしてソノ中に魅力的一人。
けれど今よりも荒んで居た当時の俺は、ソンナ女性が職場に居る事を、
“目障り、仕事の邪魔”と冷えた目で見遣り、同様なる態度で
彼女に接した。
それから日々は流れ、彼女も瞬く間にソコを去り、
更に二年以上の時が流れ…俺もソコを後にした。
するといつの頃からか、彼女の面影が夜毎胸中を占める様に成った。
閑雅な彼女。
咳く際も、まるで子供がする様な「コホン…コホン」との小さな声を、
殊更手で覆う仕種。
声色も彼女の名の通り、澄み美しいものだった。
当然、心も然りだった。
もしも当時俺がソノ気だったなら、“両思い”と成る事が出来た様に思えた。
凄い悔恨だった。
一度だけ遠音の中耳にした彼女の姓名に住所は
何故か忘れて居なかった。
当時から気に留めて居た事を実感した。
名ばかりでも彼女を知る事が出来て良かったと思った。
ソンナ折、俺は新たに某所で勤め始めた。
そしてその中で時折、某店に寄る用が出来、
そこの夫妻と親しくも成った或る日、
その付近で彼女と同姓を多々目にする事に気付き、
話の序でに主人に尋ねた、
「この辺、◇◇って苗字多いですネ」と。
すると主人は頷きを見せ、自宅の在る町内には多いと教えてくれた。
ソノ町名を聞いた俺はハッとし、田舎故の狭い町、しかも職掌柄
地元の者で知らない者は居ないと想われる彼に更に尋ねた‥
「◇◇○○○サンって人、知らないですか」、と。
即答だった。
「○○○チャンなら知っちょる。直ぐソコの公民館で働きよる」
俺の鼓動は俄然凄まじく響いた。
彼女と出逢い別れてから五年の歳月が流れて居た…
にも拘わらず思い続けて居て…
まさかコンナ近くに居たとは‥コンナ所で再び出逢えるとは…
信じた事なぞ無かった“運命”を感じた。
数日後、俺は奮然と決意した‥
当時上梓した己の拙著の最後の空白に“メール・アドレス”を記し、
ソレを先の主人に託し、彼女に届けて貰おう、と。
待遠しい様でオソロシイ機会は訪れ…決行した。
“答”はいつとも判らない更に数日か数週間後、
店に赴いた際、貰える手筈と成った…。
そして“運命”の日は来た。
主夫妻に対しての照れやら、返事への虞れやらを抱き、
店へと足を運び主人と顔を合わせれば‥又もさらり即答だった…
「“ソンナ人知らん”ち言よったゾ」。
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