『登山の誕生』 小泉武栄

 人はなぜ山に登るようになり、近代登山として発展していったのか?日本を欧州とで登山の誕生史を比較した本です。

ヨーロッパでは、200年ほど前までは、山は悪魔の棲家であり、忌み嫌われていたそうです。かなり意外でした。山は「自然の恥」であり「コブ・イボ・火ぶくれ」とさえ言われていたようです。それはあまりにひどい比喩だと思うのですが、キリスト教に支配されていた当時の欧州では、自然崇拝に通じる風習・志向は、非キリスト教的なものとして弾圧の対象だったわけです。山に登ることは、一歩間違えば魔女狩りと同等扱いされていたかもしれません。

その後、宗教革命をきっかけとして、ルソーらに代表される思想家たちが、自然への回帰を提唱し始めます。文学作品によって、山が大衆にアピールされていったというのも、興味深いです。その後の、大航海時代において世界へ目が向けられ、同時に博物学的思考が生まれました。さらに自然への興味が深まっていったわけです。

小泉氏の論では、ヨーロッパ中世はキリスト教支配下におかれ、山や自然への興味はまったくなかったということになりますが、果たしてそうでしょうか?確かに歴史文献からは、直接的には見出されなかったかもしれません。しかし、近年ではアナール学派に代表される、新しい中世の歴史が研究されており、キリスト教に隠された深層にゲルマン的な心性・風習があることが分かってきました。

もしかしたら、中世の人々にも、山や森など自然への愛着があったかもしれません。ただ、文献には残らず、民衆の文化や風俗習慣の中にだけ残存しているのでは。キリスト教やイスラム教などの大宗教に改宗した民族でも、彼らが行っている大宗教のお祭り・カーニバルを詳しく調査してみると、思わぬところに土着文化の名残が見出されるものです。文化の多層構造を唱えたのは、ジャワ島を調査したC・ギアツという文化人類学者でした。彼によれば、ある一つの儀礼の中にも複数の異なる文化的側面が見出されたということです。近年になって浸透したイスラム的要素、古くから信仰されてきたヒンズー的要素、そして土着的に信じられてきた自然崇拝的要素。

また、ヨーロッパを同質のものと捉えている姿勢もちょっと気になりました。ヨーロッパの中にも、山岳民族もいれば、海洋民族もあったことでしょう。山岳信仰的なものはなかったかもしれませんが、ドイツの黒い森(シュバルツ・バルト)あたりでは森林への特別な思いがあったに違いありません。表面的にはキリスト教に一元支配されていたとしても、その背景となる文化は多様であったはずです。そのあたりまで踏み込んだ議論をしてくれたら、また違った結果になったかもしれません。

日本における登山誕生の歴史についても、小泉氏は考察しているのですが、それに関する書評はまた別の機会にしたいと思います。日本の登山史については、関連本がいろいろ出ています。テーマ自体も大きな問題を含んでいると思われます。それらを参照しつつ、もう少し時間をかけて考えて見たいと思います。

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