卒業生へ

「週番の先生の話」その11

卒業式の近づいた,ある月曜の朝です。
6年生7人(女子4名・男子3名)に一言ずつエールを送るつもりで話しました。

おはようございます。
先生は,今までいろんな人を教えてきました。
それで,その人たちを思い出してみて,大きく分けると,3つのタイプに分かれるように思います。
例えて言うと,(と言って,6年生の一人の男の子を呼んで,前に出てきてもらいました。)
このように多くの人が見ている前で歩いていて,(と言って,全校の前を横切るように一緒に連れて歩いていきます。)
急に転んだとします。(と言って,その子に足払いを大げさにかけて,転んだように見せます。)
今みんな笑いましたね。
このように,人前で転んで笑われた時の態度で,大きく3つのタイプに分けることができます。

まず1つ目は,転んで,人に笑われた時,怒るタイプの人。
2つ目。
はい,A君,もう一度向こうから歩いてきて転んで下さい。(と言って,今度は,一人で歩いてきて転ぶ真似をしてもらいます。見ている子は,やはり笑います。)
2つ目は,転んで,人に笑われて,泣くタイプの人。
3つ目,A君お願いします。(と言って,もう一度やってもらいます。やはり笑いが起こります。)
3つ目は,人に笑われて,一緒に笑うタイプの人です。
はい,A君ありがとう。(と言って,列に帰ってもらいます。)

それで,今出てきてくれたA君は,この3番目の「一緒に自分を笑えるタイプ」だと思うんです。
先生は,一人密かにA君の目を「ニャンチュウ」の目と呼んで(笑い),とってもいいなぁと思っているんです。(「ニャンチュウ」お分かりでしょうか?子どもたちはすぐ分かります。)
笑っている時の目がそっくりなのです。
自分を笑える人,こういう人が,本当に強い人です。

今,大きく分けると3つのタイプに分かれると言いましたが,これも,詳しく分けるといろいろに分かれます。
それで,6年生を一人ずつ詳しくタイプで分けていってみます。

まずB君。
B君は,歩いていて転んで,誰かに
「さっき転んだろう。」
って言われても,平気で,
「転んでませんよぅ。」(その子の言い方のくせを真似して)
と言えるタイプ。
恥ずかしがって隠しているというより,本当に,さっと,転んだような事は忘れてしまっている。
先生は,いつもとってもうらやましいなーと思っている性格です。
こういう人が世の中を伸び伸びと生き抜いていくのです。

次にC君。
C君は,転んでも,すぐに起きない。
転んだついでにしばらく寝ていこう,とするタイプ。
これは,大物です。
坂本龍馬はこういうタイプだったのではないかと思います。
すごい人です。

それから次にDさん。
A君は,転んで,人に笑われて,一緒に笑うタイプと言ったんですが,Dさんは,転ぶ前からもう笑っているタイプ。
とっても明るくて,生き生きとしている人です。

Eさん。
Eさんは,すごいです。
Eさんは,転んでも,その時,人に怪我をさせていなかったか,まず自分より人のことを心配できるタイプ。
すごくやさしいんです。
ナイチンゲールがこういうタイプだった。
かどうかは,よく知りませんが,とにかくすごい。

それからFさん。
Fさんは,転んでも,さっと隠れて,うまくごまかすタイプ。
先生は,その証拠もつかんでいます。
この前,先生が朝の交通指導で橋の横に立っていた時,Fさんの家の車が前を通ったのですが,先生の前を通った後,後ろから見ていると,隠れていたFさんの頭が起きあがるのをちゃんと見ているのです。(笑い,Fさんも)
先生は,こういうことも大切な力だと思っています。
これから先,世の中を渡っていくには,必ず必要とされる力なんです。

最後にGさん。
Gさんは,・・・転ばない。
どんな事があっても,しっかりと踏ん張って,しっかり立っているタイプ。
6年生になって会長にも立候補して,しっかりした挨拶もしてきました。
うらやましいほどの力を持っています。

こんな個性豊かな6年生たちが,もうすぐこの小学校から卒業してしまいます。
それを思うと,とても淋しくてしかたありません。
できれば,先生もついて中学校に行きたいくらいです。
が,それもできません。
中学校に行ってもお互いの個性を大切にして,仲良く,楽しく,また協力して頑張ってほしいと思います。
終わります。




私は,この学校に転勤して来て,年度末の反省のときには,この朝の「週番の先生の話」というのは,やめましょうと提案してきました。
理由は,

・1年から6年までの学年差がある全校に同じ話をするというのは,連絡以外では大変難しいものがある。
・同じ内容でも各学年に適した話し方が必要な場合もある。
・全校朝会で1つの話をするために貴重な時間を使うより,早くきりあげて教室にもどり,各学級でその学級にあった話を必要ならば担任がすれば良い。


といったものでした。
しかし,認めてもらえませんでした。

学校には,「長々とした話」に対する罪悪感といったものがあまりないように思います。
私が小,中学生だった頃のことを思い出してみても,体育館で話をしていて,チャイムが鳴り始めると,それを当たり前のように誰かが気を利かせたつもりで壁のスイッチを切りに行ったり,鳴り終わるまで,話す者が当たり前のように黙って待っていたりしました。
授業でも,私も昔やっていましたが,チャイムが鳴ってもやめずに,「延びた分,休憩を延ばします。」なんてやっています。
チャイムが鳴り始めるまでに話をやめようとか,時間内に授業が終わるように時間を気にして進めていこうとかいうことが学校の常識になれば,子どもたちも少しは救われるのではないかと思います。

「先生の話」は,もうこれくらいで一応終わりにします。
もし,ここまでお付き合いいただいた我慢強い方がおられたら,心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
最後に,「先生の話」のまとめとして,

「話す」者は,全員の貴重な時間を使わせてもらっているのだという意識が必要だと思います。