
9月は全員が4編ずつの詩を書き,全部で76編の詩集になっています。今回はコメントの中に 「言葉をちょっと変えて,こんな構成にしてみては」 と,推敲例を多く入れています。 (題名のクリックで詩が表示されます。) 「消しゴムをおろす前」・・・何となくだれでも感じていることがあります。しかし,それを言葉に表すためには,「言葉の力」と「感じたことをよみがえらせる力」と,それを「組み立てる力」が必要になってきます。それは,例えば,目の前に美しいと感じる景色がひらけていたとしても,その感じを言葉や絵で人に伝えることは,非常にむずかしいこととよくにています。 この「消しゴムをおろす前」もだれでもが感じたことはあっても,こうして文字に表してもらって初めて「そうなんだ」と「意識」できるのです。この文は,それを感じさせてくれるには十分の「きんちょう感」を ビニールに手をかけて ビリビリッ あたりからただよわせています。そして, 気持ちがどこかへいった で,だれでもが,「うん」とうなずくのです。 「手をかけて」「気持ちがどこかへ」この2つが,この詩の命です。 「とまどう」という言葉が二度使われていますが,これは,「どうしようかな」「ふう切るのもったいないな」で表されているので,これをなくしてみましょう。 「消しゴムをおろす前」 消しゴムをおろす前 「どうしようかな」 「ふう切るのもったいないな」 ビニールに手をかけて ビリビリッ ビニールがとれて 今までの気持ちもどこかへいった 「徒競走」・・・「みんなの顔がいっせいにおこった」 ここがB君の感性です。そして,この詩の中で一番大切なところです。 言葉の整理をし,ちょっと入れかえるとこうなります。 「徒競走」 ヨーイドン みんないっせいにとび出す くそ〜 負けてたまるか いっせいにおこったみんなの顔 その中で ゴールテープを一番に切る やったあ〜 一位だっ つかれがあとからやってくる 「帰るとき」・・・いきなり中心部をもってくる書き出しです。工夫しているしょうこですね。最初の「みてしまう」が,最後の「みている」にかかっています。それをつなぐのが,「だから」です。しっかりした構成でできた詩です。 言葉を少し入れかえてみましょう。 「帰るとき」 いつもみてしまう ジュースの自動販売機 うちのさかの下にある アタリのついている自動販売機 もしアタレばもう一本ほしいところをおせる いつか と思いながら いつもみている 「グローブ」・・・まず,グローブが目につきます。そこから,「なげたこと」「けったこと」「たたきつけたこと」が思い浮かびます。そして,もっと考えていくと「スプレー」に思いつきます。そして,それを「グローブをたい切につかおう」の中身にしていこうと考えます。 こんなことがあった,こんなこともあった,またあるときはこんなことも。 そして今こうだ。 これからはこうしよう。 こういう形が,文の一つのパターンですね。 「鉄ぼう」・・・まず「手」の感覚,次に「口」の感覚,その次に「足」の感覚,そして「息づかい」と,まるで,一つの動きがスローモーションのように次々と目の前にあざやかにうかびあがってきます。そして,きんちょう感が文字から伝わってきます。全体の構成としては,最初からどんどんもりあげて行き,最後でスーッと静かな内面の世界へ引き込んでいくという,なかなかニクイ演出を仕組んでいます。 「ギュッ」でなくて,「ギュウッ」というところに意味がありますね。最後の終わり方が一見不自然に思えますが,これはちょっとすごい終わり方で,「さびのついた赤い手」で急に終わることによって,読んだ後に「よいん」(池に石を投げて,石の姿が見えなくなった後も,池には「はもん」といって波が次々に広がって行くように,心の中に何かがずっと残っていること)が残るのです。 「つかれた手」と「赤い手」で,二度「手」を使っているところに,一見の不自然さと,逆に,2つのつながりによる不思議な効果があらわれます。 「いねかり」・・・4行目がなかなか書けないのです。この4行目を書くためには,一歩立ち止まって考えるか,それだけの表現ができるようないつもの会話の中身が必要です。この5文字の中にウンザリしている気持ちがよく表されているのです。 最初と最後をちょっと変えてみましょう。 「いねかり」 このごろ休みになると 「いねをかりにいこうや。」 と この声 いつも同じ声の後は いつも同じ仕事 そろそろあきてきたぞ 「リレー」・・・2行目と3行目のリズムが全体をつつんでいます。そして4行目が中心になり,心の折り返し地点になっています。 最初と最後をちょっと変えてみましょう。 「アンカー」 「いやだ」 ぼくは リレーのアンカー いやな いやな アンカー でも もうかえれない だから 走らなければならない いじでも はずかしがらずに 「二人のわたし」・・・言葉がどうのこうの言う前に何よりまず題材です。自分を見つめる賢明な目を持っている人は,それによって助かることもあれば,逆にそれによって自らを傷つけ,苦しむこともあります。つまり,賢明であればあるほど,喜びも大きければ,苦しみも深くなるものです。 この詩では,まさにその「人として生まれたゆえの苦しみ」そのものを題材にしているのです。そして,こういう「自分や,自分の生活を見つめ」,これから先「自分や,自分の生活をよりよく変えていくはずみ」になる思考の助けのために詩をつづることが,この「詩集作り」の最も大きな目的なのです。 自分の心のずっと奥にあるものを,なまなましい言葉でつづるとき,「詩」はただの「書かされるもの」ではなくなってくるはずです。 「かがみのむこうのやつ」・・・これはもう,何と言っても最初の2行のリズムのすばらしさです。出だしから読む者に期待感をあたえてきます。イメージを広げさせる2行ですね。 これを自分の内面を見つめる形に変えてみましょう。 「かがみのむこうのやつ」 かがみのむこうに やつがいる にくたらしい顔だ あかんべぇをすると やつもやりかえす なんてやつだおまえは 何者なんだおまえは いつかなぐってやりたい ぼくは もう一人の自分がきらいだ 「イネかり」・・・「イネかり」と「しんどいが」の間に何もないところに「詩」への工夫がみられます。3,5,7行の「から」が全体の中で大きな働きをしています。6行目からの「イネかりは自分の食べものになるから」は,高等な表現方法です。 この詩の中心になるのは,「力がわいてくるから」です。これこそ,今月号でめざした「生活の力強さ」「本物の地道な素直さ」,そして,「ねばり強いどろくささ」を感じさせるつづりかたです。このように「本当に自分の生活の中から生まれてくる詩」をこれからも目指しましょう。 最後の文はせっかくの盛り上がりをつぶしているのでなくしてみましょう。 「イネかり」 イネかりしんどいが 米を食べなければならないから イネかりはぼくの食べ物に変わるから イネかりをすればするほど 体に力がわいてくる 「いねかり」・・・「せっせっせっ」 「たったったっ」 「ぽっぽっぽっ」 どんな手伝い方をしているか分かります。体で書いた詩です。 「大あち肉まん」・・・この詩も,だれもが感じたことはあっても「文で意識する」ということができなかった面をするどく感じとっているすばらしい詩です。それがどこかはもうみんな気づいているでしょう。 「はらのどのへんにあるかわかった」 この最後の一文がこの詩を急に生き生きとしたものに変えているのです。こんな「感覚の発見」ができれば,本当にすばらしい。 「きょうだい」・・・書くときに生活を見直して,一歩深く考えることができるのです。これはその見本です。 「しゅくだい」・・・書き出しの工夫をしています。「よかったな」「わからないな」「できたぞ」これらが大きな役割をしています。 おそくなって宿題をしているときの気分を入れてみましょう。 「宿題」 おっとっと また宿題をわすれるところだった 早くすればよかったな もうねむけがおそってきている はやくすませよう あれ ここわからないぞ うーん いらいらしてくるなあ なんで宿題なんか思い出してしまったんだろう 「かぜ」・・・いいところに目をつけました。掃除をしていると実感できる一場面です。それをいかに言葉で表すかを考え,その結果,風をただ悪者にするのでなく,風に歌を歌わせ,やさしく笑顔を見せながら困っているのです。 「かいものと中」・・・ほんのいっしゅんの出来事をサッと言葉でデッサンするとこうなります。これも実はだれもが経験している「感覚」でしょう。それをのがさず,「文で意識できた」からかけた詩ですね。だから詩を書くとはまるで, 目の前でいっぱい泳いでいる魚を(無意識に感じている感覚を) 見つけ(意識し) つかみとる(言葉で表に表す) そういう作業ににています。 細かいところをちょっと変えてみます。 「かいものと中」 かいもののと中 クラスの人にあった 顔をかくすようにして 足ばやに通りすぎる しんぞうはドッキドッキとまらない はずかしいな ほっぺがまっかになっているのがわかった 「チリンチリン」・・・まいりました。これだけの詩は大人でも書けません。というより,大人ではもうそこまで感じ取れないのかもしれません。この詩は,もう一歩も二歩も高い感性の世界の作品です。こういう感じ方が出来ると,同じ物を見ていても全くちがった見方が出来るのでしょうね。 これ以上手を加えるところのない,キラキラ光る全くすばらしいとしか言いようのない詩です。 「しずく」・・・読んでいくうちにだんだんと様子が分かってきて,「そうそうそんなことがあるなぁ」と思わせます。その仕組みは,書き出しの「わぁ」から始まり,次の「おどかす」それから「くそ」,「ひたすら」そして「トクトク」と「ひびいて」最後に「すくんでしまいそう」とつながっているところにあります。 「お母さん」・・・ふだんの生活をただ書いているだけのように見えてその実,案外むずかしくてなかなか書けない文があります。それは,まるでオリンピックの選手が空中回転を簡単そうにしていても,実際に自分がやるとなるとなかなかできないようなものです。 この詩では,3行目の「よし」や,最後の2行のような書き方です。こういうところが詩の味わいを深くするのです。 この回は最初の子へのコメントの中につい推敲例を入れてしまったため,他の子へも同じようにした方がいいと思い,一人ひとりの4つの詩へのコメントの中のどれかには推敲例を入れるようにしました。 コメントの下書きもせず,すぐに和文タイプで思いつくままパチンパチンと打っていくため,途中でこれは時間がかかってやばいと思ってももうやり直しがきかないのでした。全ての詩にコメントをつけて9月号を発行した日付を見ると,9月を過ぎて10月17日となっています。 |