例えば,国語の授業で教師が一言 「どうぞ。」 と言うだけで,子どもたちが指名もされないで次々と自分から立っては発表していく。 これは,教師誰しもが一度は夢に見る光景です。 「どう思いますか。」 と聞いても, しーん・・・ と,暗ーくて,重ーい空気が流れていく・・・ これも,教師誰しもが一度以上は現実に経験する光景です。 この二つの光景の間には深い溝があるように思えますが,案外紙一重の位置にもあるように思います。例えば,子どもではなく,教師にしても,研究会に参加して,しーんとしていても,研究会が終わって,複数の人数で帰る車の中や,喫茶店の中では,結構次々に意見が出てくるものです。子どもたちも同じように,しーんとしていても,案外,口を開くきっかけさえあればどんどん意見が出てくるのではないかと思われます。 それを,何か一言子どもが言うと, 「えっ,それでいいですか。みんなどう思う?」 なんて,すぐに否定的な反応を教師がしたり, 「はい。他に。」 なんて,あまり大した意見でないと言外に示してしまう反応をしていては,子どもも用心深くなってしまいます。 そこで,とにかく「意見を出そう」と思える雰囲気をつくっていこうと思いました。ま,これは当たり前ですね。それから,それができるように子どもの体,頭を慣れさせていこうと思いました。 昔は,「発問」さえ工夫すれば,意見は出てくるものと思っていました。しかし,ある時から,「発問」という「ソフト」だけ開発してもダメだと思い始めました。 子どもたちにとって, 「意見が頭に浮かぶ」 ということと, 「立って口に出して言う」 ということは同じことではないのだとようやく気づき始めました。 つまり,「意見を言う」という「行動」自体に慣れさせておくということです。 「発問」という「ソフト」に対して,「子ども」という「ハード」面を意識するということです。 「ソフト」を鍛えると共に「ハード」をも鍛えておかなければならないと遅ればせながら思い始めました。 そこで,「とにかく立って意見を言う」という練習をしてみることにしました。その練習をしてから,少し発言量が増えたように思います。 また,ある学校で,私の尊敬する同僚の先生のクラスで授業を代わりにさせてもらうことがありました。その時も,その方法を授業の最初に5分ほどして,初めてのクラスで,どうにか「指名なし発言」ができました。 その練習とは,本当に簡単な方法です。次のようにします。 |
例えば,4月の新学期,初めての国語の授業の最初の場面だとします。 次のように言います。 「今日から,発表の仕方を新しくします。 今までは,手を挙げて,先生や友達に当てられて発表していたクラスの人が多かったようです。 でも,今日からは,言いたい人がすぐに立って意見を言って,次の人がまたすぐに立って意見を言う, というようにします。 こうすると,思ったことをすぐに言うことができ,話し合いが生き生きしてきて,意見を言っている間に自分の考えもどんどん深まっていくのです。 では,その練習を少ししてみましょう。 まず「立つ」練習です。 はい,全員起立!(強く,はっきり,明るく,さわやかに言います。言い方一つで,ムズカシイクラスでは,立たない子も出てきます。) いいですねー。 かっこいいですねー。 このように,何か言いたいことが浮かんだら,すぐに立って発表していきます。 はい,座って下さい。 では,次。 (片手を開いて前に差し出してから) 先生の手の平の上に赤い物が乗っていると思って下さい。 さて,あなたはこの赤い物は何だと思いますか。 何でもいいから,赤い物を自分で想像して下さい。 全員に今から発表してもらいます。 一度言われた物は,もう言ってはいけません。 早い者勝ちです。 何か思いついた人から,立って言ってもらいます。 言い方は,「○○だと思います。」と,必ず最後に「だと思います。」をつけて下さい。 では,どうぞ。」 (もし,すぐに出なければ,「例えば,リンゴだと思います。とか言えばいいんだよ。」とヒントを与えます。一度に何人かが立って,お互いを見ているような場合は,教師が順に当てていけばいいと思います。) これで,最初から,全員違う物を発表できれば,すぐに指名なし発言はできるレベルです。 もし,しばらく待っても,何人か言えずに座ったままだったとしたら, 「まだ言っていない人,起立して下さい。 先に言われると,言いたいのがなくなってこまりますね。 早く言った方が楽になりますよ。 さあ,立った人,まだ言われていない赤い物をどうにかして言って下さい。 言った人から座っていきます。 どうぞ。」 と,プレッシャーを与えていきます。 この「全員が言わないと許してもらえない」というプレッシャーを少しずつ出していくのがその後大きな効き目を発揮してきます。 しかし,この後,しばらくして,どうしても言えない子がいたら,あまり長引かせずに座らせて,次の問題に移ります。 「では,次。 今度は,先に言って下さいよ。」 と,「黒い物」「白い物」ぐらいを聞いて行きます。 このあたり,できるだけ早く済ませます。 「では,次いきます。 くんくんくん,あれー,何かいいニオイがしてきたぞ。 さて,何のニオイでしょう。」 この次は,状況によって,「くさいニオイ」「こげたニオイ」等も聞いていきます。 どの問いに対しても,最初はどんどん出てくると思いますが,一人ひとり違う声をかけていきます。 「うん,なるほど。」 「あーそうか。」 「いいねー。」 「よしよし。」 「うん,すごい。」 「うわー,それもあったか。」 等々のようにリズムよく,盛り上げるようにです。 そしてここで重要なのは,どんな答えを子どもがしても,必ず肯定評価をすることです。 例えば,「赤い物」で,「豆腐。」などというとんちんかんな答えがあったとしても, 「うわー,すごい,○○君は赤い豆腐を食べたことがあるんだ。 先生は,あまり食べたくないけど・・・まさか,○○君,その時鼻血を出してたなんてことないでしょうね。」 なんて,いい加減にごまかして,とにかく次々と全て認めて吟味などせず,どんどん言わせていきます。 あまりいろいろ長くやると,飽きられるので,子どもの様子を見て終わりにします。 そして,最後に, 「このように,何か授業中に考えが浮かんだら,すぐに立って発表していきましょう。 そして,もし,人の発表を聞いて,それについて発表できたら,それは,2倍すごい発表です。 言うばかりでなく,人の発表もよく聞いて下さいね。」 ぐらいで練習は終わりにします。 時間にして,5分ぐらいが目安だと思います。 一度に何人かが立つこともありますが,何度か続けていくうちに譲り合いもできるようになります。 また,そういう子がいた時,よくほめておくと,その後譲り合いも多くなっていくはずです。 |
きっと,ゲーム感覚で,子どもたちは段々乗ってくることもあると思います。これで,指名なし発言のパターンは何となく分かるのではないかと思います。 この後,本当の授業にかかわる形で定着をめざします。その時の授業記録を紹介します。 |
授業の最初の5分で先程のような発表形式の練習をすることで,ねらいとしていることは, 「とにかく,何か思いついたら,さっと立って発表することができる態度と,雰囲気作り。」 ということです。 いや,もっと本音を言えば, 「この先生は,自分の意見,考えを大事にしてくれる。また何か発表して,先生を感心させたい,びっくりさせたい,と子ども一人ひとりが思う意識作り。」 ということです。 勿論,発言は,教師のためにするものではないのですが,適切な評価を与える存在として,また,学習意欲を高める存在としての教師の役割は必要だと思いますが,いかがでしょうか。 ところで,この他にも,いわゆる「発表競争」を班対抗で仕組み,黒板の端に発表の数を正の字で示して競争させる方法も,即効的な効果はあると思いますが,こういう方法を採るかどうかは,教師の思想の問題になると思います。 次に紹介する授業記録は,今から8年前(1992年)に6年生を担任していた時のものです。 実際には,この頃から次第に「指名なし発言」を意識し始めたように思います。 先程の発表練習をした後,では応用問題を出しますということで,次のような文を板書します。
板書した後,全員で3回ぐらい音読させてから,次のような発問をします。 発問1:「今,みんなが先生の手の平の上にいろいろな物を想像して発表していったように,この文についても,どんどん想像をふくらませて,どんどん意見を言っていきましょう。 この文から分かることを発表します。まず,最初の『ああ』からどんなことが分かるか言って下さい。」 (以下,児童の指名なし発言ですが,授業の録音テープはなく,当時の板書の写真が残っているので,それから,発言を整理して紹介していきます。) C1:「がっかりしていることが分かります。」 C2:「困っている感じがします。」 C3:「残念そうです。」 C4:「ためいきをついている感じがします。」 (当然,教師はこの発表の一つひとつに対して,大げさに感心し,驚いて,喜んでいきます。 もし,最初意見が出ない場合は, 「例えば,『がっかりしている気持ちが分かります。』とか言えばいいのです。」 と解答例を早めに出します。) 指示1:「(『ああ』についての発言が出なくなってから) いいですねー。 実にすばらしい。 どんどん自分から立って発表ができました。 みんなかっこいいです。 これからもこのように言いたい人がすぐに立って発表していきましょう。 今度は,『ああ』以外の言葉でもいいですから,文のどの言葉から,どんなことが分かるか今のようにどんどん言っていきましょう。 言い方は,『文の何々という所から,こういうことが分かります。』と言います。 では,どうぞ。」 【「風船が」の「が」から】 C5:「自分が飛ばしたのではないということが分かります。 【「飛んで」から】 C6:「空に飛んでいっていると分かります。」 C7:「風船がふくらんでいることが分かります。」 C8:「軽いということが分かります。」 C9:「それはだから,多分ヘリウムガスだと思います。」 【「いった」から】 C10:「高くなっていると分かります。」 C11:「風船が自分から飛んでいっているように思います。」 C12:「どうしようもできない感じがします。」 C13:「この人は小さい子ではないように思います。」 C14:「『いく』ではないから,手を離れて少し間があると思います。」 C15:「自分の所からどんどん離れていっていることがわかります。」 C16:「買って,まだ間がないのだと思います。」 C17:「今,まだ風船が飛んでいることが分かります。」 ここで,つい私が,「風船は今見えているの,見えていないの?」と言ったために,「見えている」「見えていない」の意見の言い合いになりました。 「見えている」派は,『ああ』から,見つめながらがっかりしていると思うから,まだ見えている,と言い, 「見えていない」派は,『飛んでいった』の『いった』から,もう見えていないのだと主張しました。 どちらも認めて,次の発問に移りました。 発問2:「『風船』が象徴しているものは何でしょう。」 説明1:「象徴とは,ある意味を他の物で表すということです。 例えば,この風船は『好きだった人』を表していると考えてもいいでしょう。」 C18:「恋だと思います。」 C19:「友達だと思います。」 C20:「魂だと思います。」 C21:「女の人だと思います。」 C22:「お金だと思います。」 C23:「子どもだと思います。」 C24:「親だと思います。」 C25:「息子だと思います。」 C26:「大切な物だと思います。」 C27:「不幸だと思います。」 C28:「幸せだと思います。」 C29:「人生だと思います。」 発問3:「この文に込められている本当の思いは,どんなことだと思いますか。ノートに書きなさい。」 説明2:「例えば,『私の好きだった人が,私のもとからはなれていってしまった。もう帰ってこないだろう。』という思いだとも考えられます。」 (この問いに対する児童の答えは,ノートをコピーしていましたので,そのままを紹介します。) C30: 「私に幸せがこなくなった。 こんどは,不幸になるのだろうか。」 C31: 「ああ,わたしの一人むすこが死んでしまった。 もうわたしは生きるきぼうをなくしてしまった。 わたしは,これから,どうすればよいのだろうか・・・。」 C32: 「私の幸せはなんだったんだろう。 分からないままあっというまにおわってしまった。 かえってこーい。」 C33: 「私が宝くじで1億円当たったのに,その前に1億円借金していたので,お金がなくなってしまった。 どうしたらいいだろう。」 C34: 「ああ,私はふじの病にかかってしまった。 これで人生終わりだ。さらばこの世−−−。 これは最後の言葉だ。うーやっぱり死ぬ前にたこやき500個くいたかったゼ−−−。」 C35: 「ああどうしよう。 お金がない。 あげくのはてに借金だらけだ。 やっぱりギャンブルやりすぎたなァ。 ちくしょー。」 |
次に研究授業で上と同じパターンで「分かること」を聞いていった,同学年の「短歌と俳句」の授業記録(これは,録音テープがあります。)の一部を紹介します。 教材文は, 「大海の いそもとどろに 寄する波 われてくだけて さけて散るかも」 源 実朝 です。 |
−前半略− (3分間の書き込みをした後) T:「はいどうぞ。」 C1:「大海という所で,島がほとんどないんだと思います。」 C2:「同じ所で,大海というのは,海のことでしょう。(「はい。」児童全) だから,魚などがいるんだと思います。 C3:「われての『て』と,くだけての『て』と,さけての『て』というところから,あのー,『われて散るかも』だったら,あまりあの,波の勢いが強くないようだけど,『われてくだけてさけて』だから,波の勢いが強い気がします。」 C4:「付け加えで,それで,リズムを取っているんだと思います。」 T:「ああ,それでリズムを取っている。」 C5:「○ちゃんの意見に付け加えで,波のぶつかってくる力が強いんだと思います。」 T:「ああ,強い波ね。」 C6:「だから,海は荒れているんだと思います。」 C7:「えっと,ぼくは,あのぅ,ぼくは,ここで,大海で,寄せる波ができて,そして,われてくだけてさけてだから,最後には,何か人間でいえば死ぬようだから,何か悲しいような感じがします。」 T:「悲しいような感じをこの言葉のどこから感じますか。」 C8:「『われてくだけてさけて散るかも』から感じます。」 C9:「えっと,とどろというところで,とどろというのは,ひびいたりするんでしょう。(「はい。」) だから,えっと,波の音は,えっと,大きい音なんだと思います。 C10:「付け加えで,大きい音だから遠くに響くんだと思います。」 C11:「遠くに響いたりして,えっと,静かでなんだか,とても落ち着くような感じがするんだと思います。」 C12:「えっと,『あれている』と書いているんだけど,(黒板に教師が児童の発言を書いているのをさして)そこで,海が荒れているということだから,あまり天気は良さそうじゃないんだと思います。 C13:「『さけて』という所で,普通のゆるい波ではなく,えっと,強い波だから,『さけて』を使ってあるんだと思います。 C14:「○ちゃんに付け加えで,雨雲が出ているんだと思います。 C15:「『大海』のという所で,何かカモメとかも鳴いているかもしれません。 C16:「えっと,『散るかも』という所で,一カ所だけに飛び散るのではなく,たくさんの方向へ飛び散っているんだと思います。」 T:「なるほどなぁ。」 C17:「付け加えで,大きい波でも,『われてくだけてさけて散る』んだから,小さくなるんだと思います。 C18:「えっと,『寄する波』というのは,えっと,海岸に海水が打ち上げられたということだと思います。 C19:「○○ちゃんに付け加えでから,カモメだけでなく,他の鳥たちも魚をとりに来ていたんだと思います。 C20:「荒れているんだから,船もあまり通っていないんだと思います。 C21:「えっと,『天気があまり良くない』というのに,付け加えみたいなもので,空が何か曇っていて,ちょっと暗いんだと思います。 C22:「『われてくだけてさけて』という所で,えっと,波の順番が,『われて』だったら,えっと,あまりえっと,大きくて,『くだけて』でえっと,小さくなっていき,『さけて』でえっとぉ,ものすごく小さいということが分かります。 T:「じゃあ,大,中,小か。」 C23:「○ちゃんの『悲しい』という様子に付け加えで,えっと,こういう海に,えー,魂を持っているという人が見たら,こういう海の様子に,この広さと激しさと強さとたくましさで,感動したりするんじゃないかなと思います。 C24:「えっと,『船が通っていない』といっしょに,人もあんまりその所にはいないんだと思います。 C25:「えっと,『響く』から,ここでは,波が当たっていることが響くんだと思います。 T:「3つあったでしょ。その内の「作者の気持ち」というのは,どうでしょう。」(「3つ」については,後で説明します。) T:「○○君言ってみるか。」 C26:「えっと,波があのぉ,石にぶつかって,われてくだけてさけて散ったら,その散ったのが,また水となって,また挑戦するので,これは,何か失敗したらまた挑戦するということかもしれません。 C27:「付け加えで,そういうくじけない根性というのを感じます。 C28:「私は,力とか,力強さとか,迫力があるんだと思います。 C29:「えっと,『散っているなあ』の『なあ』で,なんか,しみじみしているような感じがするので,別れた,一回別れた人達がまた思い出しているような感じがします。 −後半略− |
短歌の授業では,まず「読み」を多くしました。それも,様々な読み方をしていきました。この「読み」を繰り返すことで,その後の読みとりで「イメージ」を広げることに役立ったように思います。 この時間までに2首の学習を前時に行っています。 本時では,前半で,「読み」と「一つひとつの言葉の意味」の検討と全体の意味の確認がすみ,各自がこの短歌に対して分かることをノートに書き込んだ後,上記のような発言をしていきました。 「○○君言ってみるか。」 以外は,全て「指名なし発言」です。 また,「3つあったでしょ。」というのは,前時の学習中に子どもたちの意見が3種類に分かれていることを指摘し,その3種類を気にして,書き込みもするように指示していたからです。 その3種類とは, 「『の』とか『て』等の助詞の使用から生み出されるリズム等の効果」 「言葉や,言葉どうしのかかわりから生まれるイメージ」 「作者の思い」 です。 この記録を見られてもお分かりのように,全てが「指名なし発言」ではありません。力のある教師ならば,いつでも,最後までどんどん発言を続けさせていけるのでしょうが,私のような者では,途中で児童の発言が止まってしまうことが度々あります。 そこで,上の記録のように,発言がちょっと止まった時は, 「○○君言ってみるか。」 というような「指名」をしてしまいます。 ただ,この時は,その子の表情を見ていて,何か言いたいことがありそうだと分かって指名しました。そして,その後はまた指名なしで,作者の思いについての発言が続いていきました。 もし,発言が止まった時は,このようなちょっとした「立つ」ことへの援助も必要だと思います。 また,この研究授業では教師はかっこをつけて無愛想なほど発言を控えていますが,普段の授業では,発言させるために,様々なパフォーマンスで評価をしています。 とても人には見せられない,高度な企業秘密ですが,ちょっとバラすと,子どもの発言の後の教師の言葉を一人ひとり変えるだけではなく,発言に対する驚きも強調します。 例えば, @ 「すごい発言だね。」とか言う時,表情豊かに眉毛を上げて驚いてみせる。 A 子どもの発言の後,教師は一瞬固まり,バサッと手に持った教科書を落とす。 B 同じように,チョークを落とし,目をつむり独り言のように「すごいなー。」と(首を振りながら)つぶやく。 C 「これは,全国レベルの発言です。」,「こんな意見初めて聞きました。」と,大げさに感心する。 等々です。 私の知っているある教師は,もっとすごいパフォーマンスを演じていますが,ここでは,紹介を控えておきます。 これらの評価を大げさにやっていると,子どもは,教師のわざとらしさにすぐ気づきます。それでも,発言は飛躍的に増えていくはずです。 人は,どうも,他人がほめられているのは,客観的に分析できても,自分がほめられるときは,評価基準が甘くなってしまうようです。 とにかく,教師と子どもと一緒にお互いの意見に素直に驚き合い,喜び合っていけたらいいと思います。 長くなってしまいましたが,最後に,いくら,「指名なし発言」といっても,まずは読み取り等の発言内容を考え出す力も当然鍛えなければなりません。 上の短歌の授業記録は,5,6年と持ち上がったクラスの6年生の時のものです。このクラスでは,5年生の時から,「言葉にこだわる」ということはしてきていました。その様子が分かる,5年生の時の学習作文の一部を次に紹介します。 |
5年生「大造じいさんとガン」の学習で 学習作文@(女子) 「(前略) [最後に・・・] 私たちは,「大造じいさんとガン」について,いろんなことをまなんだ。だって,ほんとにながかったんだも〜ん。でも,いろんなことをまなび,私は,うれしい。よかった,と思っている。それは,1つの文にかくされたなぞ,を見つけていったのだ。1つの文でも,1つの文字でも,ほんとに,たくさんのなぞがかくされている。どんな小さな言葉だって,ぜったいに,なにかかくされているのではないだろうか,とよそうし,そのむずかしいなぞを,すべて今年の5年生みんながみつけたのであった。すごいと思いませんか,私たちの考え。すごい,と思ったら,心の中で大きなはくしゅをして下さい。 大造じいさんとガンという勉強をして,ほんとうによかったと思います。」 学習作文A(男子) 「(前略) まだある。それは, 「この文について,わかったことを言ってください。」 と,ある文をかく。そしてわかったことをつぎつぎに言う。にたので,ある人が意見を言う。同じ所で,ある人がまったくちがう意見を言う。すると,全員がどっちかきめる。そして,こっちの意見の方が正しいとか言い,どちらかきめる。これも,おもしろい。けっして文の文字や文が長いといってもすごくおもしろい。(後略)」 |
もう,前のことでよく覚えていない所もありますが,子どもの意見に,「すごい」「すごい」と授業中教師も言っていた(作文@)ように思います。 また,自分自身も「おもしろい」と思える(作文A)課題を見つけようとしていたと思います。 課題を考えることが,「楽しい」「おもしろい」と思わせることができれば,自然に,読み取りや発言の力もついていくはずです。 しかし,所詮これらの実践は,あくまで「指名なしで,取り敢えず,発言はさせることができる」というものです。 ここから,「指名なし討論」にレベルアップさせようとすると,そこには,本当の大きな大きな溝があるように思います。 まず,教師のビジョンがはっきりしていて,その姿にクラスがなっていくまでの小さなステップを一つひとつつくりあげていかなくてはなりません。いつか,こんな高尚な技術についてもこのHPで紹介できるようになりたいと思っています。 今は,まだそのふもとのあたりでうろうろしている状態です。この状態を抜けられる何かいいヒントがありましたら,是非お知らせください。よろしくお願いします。 |