「道っちゃんでもできるのに・・・。」はひどい

 人権学習2つ目は,

「自分ではどうしようもできないところで,低く見られたり,不合理な態度をとられることに対する怒りを思い起こし,差別に立ち向かい解決していこうとする態度を養う。」
「自分では何とも思わない言動の中に多くの差別生を含んでいることに気づき,人の痛みを考えられる態度を養う。」


というねらいで行います。
 対象は中学年です。


         「道っちゃんでもできるのに・・・。」はひどい
                                  
 私は,生まれた時に,脱きゅうしていて,それもひどかったので,今でも足をひきずるような歩きかたをしたりすると言われます。そのせいか,私は,運動が苦手です。
 ある体育の時間,マットの後転をした時だと思います。どうにか私はできたのですが,できない人がいました。すると,体育の得意なTさんは,
「やってみ。みっちゃんでもできるんじゃけえ,できんわけないわ。」
と言っていました。
 その言葉は,私の胸にずしんとくるような言葉でした。私は,本当に運動が苦手です。けれど,みっちゃんだってできるのだから,そんな言葉を使うTさんは,ゆるせません。
 人には,それぞれ得意なことと,不得意な物があるはずです。それなのに平気で言うなんてことは,ゆるせません。あまりにも,人を差別しすぎです。
 他の人には,こんなことで,と思う人もいるかもしれませんが,私にとっては,あだ名を言われた時よりも,悪口を言われた時よりも,もっと強くきずつく言葉でした。
 いくらへたでもいっしょうけんめいやっていることを,ばかにするように言われたらいやなものです。それを分かっていて言うのでしょうか。ましてや私みたいな足の悪い人やそんな人にとっては,すごくきずつく言葉です。
 あの子でもできるんだから・・・。という言葉はやめてほしい。
 普通の人にも,ましてや病気の人でも差別した言いかたは,絶対にゆるせないと思います。


 「人権文集」に書かれていた作文です。
 この作文を使った授業では,すぐには資料を提示しません。
 授業始まりのチャイムが鳴ると,まず次のように話し始めます。


「今日は,3年生の道子という女の子が,ある日出合った出来事について考えていきます。」

 ここは,まるで物語のお話を始めようとする,おじさんかおばさんになったような気分で,一言一言に味をつけて,ナレーター気分で話します。
 これを決して,
「えー,今日は,・・・」
なんて,事務的な雰囲気で始めないようにします。
 この後は,

「その出来事を話す前に,道子さんについてちょっと説明しておきます。」

ということで,
「生まれた時に脱臼していたこと」
「脱臼とはどういうことか」
「歩き方が足を引きずるようになること」
等を教師が実際に歩き方の真似をして見せながら,道子のイメージを伝えておきます。
 次に,

「では,これから,みなさんにこの道子さんになってもらいます。
 これから全員道子さんになったつもりで,先生の話を聞いて下さい。」


 もし,ここで,「えー!いやだー!」なんて声が聞かれるようでしたら,すぐにそう言った子を立たせて,

「今○○さん(君)が言ったことについて他の人はどう思いますか。
 全員起立,どう思うか言った人から座りなさい。」


等の指導をして,

「もし,足の不自由な人がそういう言葉を聞いたらどんなに悲しく,悔しい思いをするでしょう。」

というようなおさえをしておきます。
 そして,そう言った子の名前を出して,
「もし○○さん(君)になったつもりで」と言った時,「えー!いやだー!」
なんて言われたら,あなたも気分が悪いはずだということを話しておきます。
 授業の流れにキズを入れるような言葉や態度には厳しく接しておきます。
 しかも,教師からの一方的な注意だけではなく,周りの子からの批判をしっかり浴びさせておきます。
(もうこれで,この時間の道徳授業でねらいとしていることは,やってしまったようなものですが。)
 とにかく,問題発言はすぐにその場で整理してから,話を続けます。

「みなさんは,今,道子さんです。
 ある日の朝,目が覚めた道子さん。
 今日学校で体育の時間,マット運動があることを思い出しました。
 さて,みなさんに聞きます。
 マット運動が得意な人。」


と言って,教師は自分の手を挙げながら聞きます。
 ここでさっと嬉しそうに手を挙げる子がいたら,その子は,「道子になりきっていない」ということになります。

 この後の流れはおよそ次のようになります。

 資料はまだ配りません。

1,道子についての説明を聞いた後,全員道子になったつもりで,家から学校まで来る様子を思い浮かべる。
  (登校中どんな目で見られるか,どんなことを言われるか考えさせる。)

2,ついに来た体育の時間,心配していたマットの後転がどうにかできた話を聞く。
  (自分のこととして,マットができるだろうかと心配し,できたと聞いて,安心し,喜ぶよう話す。)

3,その後のTの言葉を聞いて,道子はどう思ったか想像する。
  (『どうにかできて,ほっとして列の後ろに並んだとき,Tさんの「やってみ,・・・」の声が聞こえてきた』というところまで話して,道子はこの時どう思ったか考えさせる。)

 この3では,Tの言葉を聞いて,道子は傷ついたと思う子と,逆に自分(道子)ができたことを言われて,道子は喜んだと思う子がいます。どちらだと思うか挙手させてみると,きっと2つに分かれるはずです。
 そこで,ここでは,Tの言葉を聞いて,道子は胸にずしんときて,とってもショックを受けたのだということをはっきりさせておきます。そのためにも,Tの言葉を話して,道子の気持ちを想像した後,ここで道子の作文を読みます。

4,道子になったつもりで,Tに手紙を書く。
  (道子の怒りを考えさせ,道子になりきってTへの手紙を書かせる。)

5,それぞれの書いた手紙文を発表する。
  (人数が多い場合は,机間巡視で決めておく。)

 ここから,くるっと立場を反対にします。

6,『自分がTさんだったら,どんな言い訳をするか,どう謝るかを手紙に書きましょう。』
  ということで,全員がTの立場になって,道子の手紙への返事を書く。
  (Tの弁解を考えさせる。
   Tには悪気があったのかどうか考えさせる。
   Tは,何を願っていたのか,誰のことを考えていたのか考えさせる。)
   
 黒板を上下半分に分けるように真ん中に一本線を引き,上に道子の立場の手紙を書き,下にTの弁解の手紙を書いていきます。すると,上には,
「人をばかにしないで」
「人のことを考えて」
「自分が言われたらどんな気がするか」
等々の言葉が並び,下には,
「悪気はなかった」
「できない人を励ますつもりだった」
「つい言ってしまった」
「人が傷つくとは思っていなかった」
等々の言葉が並ぶはずです。

 ここからは,クラスの実態によって展開を2通りに分けます。
 意見がよく出るクラスならば,

7,道子,Tの手紙文から読み取れる二人の考え方について意見を出し合う。
  
となります。
 つまり,発問としては,
「二人のそれぞれの手紙を読んであなた(自分)はどう思いますか。」
のように問います。
 ここから,期待されるのは,

「道子のように傷つく言葉を言われた時は,はっきり自分の思いを出していくことが必要だ。」
「問題があれば,なくしていこうとする態度が大切だ。」
「道子自身でもTのようなことをどこかで言っているのではないか,人の態度から自分の態度を反省してみることも大事だ。」
「人から心ない言葉を言われても,ペシャッとつぶれてしまわないで,自分なりに努力していることに自信を持って,負けない心を持つことが大切だ。」
「せっかく人のことを考えて言った言葉でも,他の人を傷つけることがある。」
「自分もTさんのようなことを言っているかもしれない。」
「Tさんは道子さんを足の不自由な子だとしか思っていなくて,道子がどんな気持ちでいるかまでは考えられていない。」


等ですが,すぐに出ないようでしたら,例えばこんな意見を,と少し例を教師が出してみると,児童も考えやすく,言いやすくなると思います。

 そして,できれば,お互いの意見に対して,「それはおかしい」といったような絡み合いができればいいと思いますし,教師の方が意図的に揺さぶりとして,反対意見を出していってもいいと思います。例えば,「そんなことは,無理ですよ。」等。

 もし,意見のあまり出ないクラスでは,上のような漠然とした問いでなく,例えば,

「Tさんに悪気がなかったとすれば,一体どこがいけなかったのでしょう。」
「Tさんは,道子さんのことをどんなふうに思っていたのでしょう。」
「Tさんには,何が足りなかったのでしょう。」
「Tさんは,これからどうすればいいのでしょう。」
「もし,自分が道子さんのようなことを言われたら,どうすればいいのでしょう。」


等の細かく分けた問いを出していくことも考えられます。

 そして,最後に教師がおさえておきたいのは,
『黙っていては,心の痛みは分かってもらえないこと,言わなければ,気をつけてもらえないこと』
『心ない言葉に屈して消極的になることなく,自分が努力していることには自信を持つこと』
『自分では何とも思わない言葉の中に人を傷つける言葉があるということ』
等ではないかと思います。

 この後,自分たちの周りにある心ない言葉の体験を出していきます。

 指導計画としては,2時間扱いで,
第1次を「道子とTの立場になってそれぞれ手紙を書く」
     「二人の立場の手紙について意見を出す」
第2次を「1次で出された手紙に対する意見について賛成や疑問点の出し合い」
     「自分や,学級で見られる問題について」
とすれば,無理がないように思います。

 この授業のポイントは,道子の立場になって思い切りTの差別性を追求していた児童が,ふとTの立場になると,「人のため」という言い訳に気づき,その後,再びやはりそれだけでは問題があると,少しは深く「人の気持ち」について考えられるところではないかと思います。