「ほめる」と「のせる」

 「ほめる」ということと「のせる」ということは似ているようで,随分質の違いがあるように思います。「のせる」の方がずっと難しく,レベルの高い行為に思われます。

 「のせる」ことには目的があります。
 「のせるためにほめる」というイメージです。

 「ほめる」ことは相手次第で生まれることもあります。
 「のせる」ことはこちらの意図がなければ決して生まれません。

 「ほめる」ことは一つひとつの部品がバラバラでもかまいません。
 「のせる」ことは全ての部品がかかわりを持ち,つながり,一定の方向をめざします。

 「ほめる」には計画がいりません。
 「のせる」には実態に即した緻密でしたたかな計画性を必要とします。

 「のせる」には「ほめる」以上のパフォーマンスが必要です。

 学級づくりや,教科学習等で,1年間で最終的にどのような姿をめざしていくのかというビジョンをはっきり持ち,そこに子どもたちが自然に辿り着く道筋をつくっていくのが「のせる」ことだと思います。

 例えば学級づくりでは,「仲の良いクラスにしたい」ではのせていくことができにくいと思います。もっと細かく,「遊びに誘える」とか「いっしょに笑える」とかいう一つひとつのイメージをはっきり持ち,その姿が見られるようになるために,それに関係する出来事,日記,行動を意図的に取り上げます。そしてパフォーマンス豊かにほめて自然に方向性を示し,全体の雰囲気を盛り上げていく勢いが「のせる」ことだと思います。

 教科学習でも,毎日毎日自転車をこぐように,「こういう姿に,こういう姿に」という思いを持って,細かくイメージした小さな一つひとつの目的に関係する小さな事実(読み,かかわり,疑問等々)にスポットライトをあて,大げさに感動し,喜び,全体の雰囲気を催眠術のように盛り上げていく努力が「のせる」ことだと思います。

 たぶん,経験豊かな実践力のある先生方はこういう努力を毎日続け「のせる」技術を密かに持っておられるのではないかと思います。随分前に読んだ本に,全国的に有名な先生の名前を2,3挙げて,その誰もが1学期のうちはすごく頻繁に指示,指導を繰り返されているということが書いてありました。2学期になって研究会で見られる「教師が黙っていても次々と子どもが意見を言い合う」という姿には,やはりそれまでにそれなりの「のせる」技術が使われているはずです。