情けは人のためならず


 高学年になると,子どもたちは,全校にかかわる仕事をしていく機会も多くなります。その結果,子どものいろんな場での態度により,その担任は,様々な方面から「助言」「指導」「苦情」「憤慨」「嫌味」等をいただくことも多くなります。
 ある時,ある先生が高学年の子に放課後何か仕事を頼まれたことがあったようです。その後,その先生から,○○は何か機嫌の悪いことでもあったのか,すごく嫌な顔をしていたが,と言われたことがありました。
 反発の多い子でしたから,人に言いつけられるのが「ムカついた」のでしょう。こういう話をお聞きすると,やはり担任としては,何か指導しなければいけません。それで,次の日の朝会で・・・


 えー,実は昨日,ある問題が起きました。放課後高学年の人たちがある先生に仕事を頼まれて,手伝いをしたそうです。その後,その先生が,
「先生,すごく気分の悪そうな顔をして仕事をしている子がいたが,あの子は何か今日機嫌の悪くなるようなことがあったのか。」
と聞かれました。もう先生には,すぐに分かりました。よくあることですから・・・。きっと,人に仕事を言いつけられたのが,いやだったのだろうと思います。それで,すごーくいやそーな顔をして,いやいや仕事をしたのだろうと思います。

 そこで,ちょっとここで考えてもらいたいことがあります。ここにA,B,C,Dという4人の人がいたとします。この4人がある仕事を人に頼まれたとします。(と言いながら,黒板に書きます。)

 まず,Dという人はどうしたか。Dは,しない。そんなこと自分ですればいいじゃないか,と言って逃げてしまう人。いわゆる自己中というタイプとします。
 次にC。Cは,手伝います。でも,すごーくいやそーな顔をして,本当は自分はしたくないんだ!なんで自分がこんなことしなければいけないんだ!という気分が見え見えの「ふんっ!」っていう感じでする人とします。
 そして,B。Bも手伝います。しかしこの人は,にこにこして。「はい。いいですよ!」って感じでさわやかに手伝う人とします。これは,すばらしいですね。
 では,Aはどうするのでしょう。B以上があるんでしょうか?Aはどんな人だと思いますか?(と,子どもに予想を言わせます。この時は,ある子があてました。)そう,Aは,人に言われる前に自分から手伝う人です。「これやりましょうか。」と言う人です。これは最高ですね。かっこいいです。ステキです。

 さて,このAの人の方のイメージはというと,どんな感じがしてきますか?例えば,こういう人は,「明るい」とか,「さわやか」とか,「きれい」という感じがしてきますね。
 じゃあ,逆にDの方に行くにしたがって,どんな感じがしてくるかと言うと,Aの反対になってきますから,明るいの反対で,「暗い」。さわやかの反対で,(ここで子どもから「ねばねば」という声があったので,)「ねばねば」。きれいの反対で,「みにくい」。となってきますね。




 Dのような人は本当は,自分のことはすごくよくできる人かもしれません。自分のことは自分で一生懸命やっているんだから,人は人で自分のことは自分ですればいいんだ。と思っているのかもしれませんね。でも,こういう自己中の人は当然人から嫌われます。で,Dが一番ひどいように見えますが,実は,このDよりもCの方がもっと大変なんです。Dは,嫌われるにしても,最初から手伝わないから,疲れません。しかし,Cは,手伝いは一応するんです。それで,エネルギーは使う。でもいやーな顔をしていますから,頼んだ人からは,全然感謝はされません。それどころか,難しい,いやなやつだなーって思われてしまいます。つまり,(このあたりですでに笑い声が聞こえてきました。)Cという人は,せっかくしんどい仕事をしていながら,全然感謝されず,疲れただけで,Dと同じように嫌われてしまうのです。一番損をしますね。
 どうせするのだったら,にこにこしてさっと済ませるのがかっこいいし,損をしないと思います。そして,自分のことはどんなによくできても,それだけでは誰もそんなにすごいとは思いませんね。自分のこともでき,人の手伝いもできるような余裕を持った人の方がずいぶんステキに見えるものです。

 そこで,こういうことわざがありましたね。去年,全校の前で話しました。「情けは人のためならず」覚えていますか。(ここであまり反応がなかったので,もう一度話すことにしました。)

 「情け」とは,人のことを思うこと,人のために何か役に立つことをすることです。で,「情けは人のためならず」,それは,その人のためにするのではない。自分のためにするんだ,という意味です。自分のした良い行いが回り回って,いつか自分を助けてくれることになるという意味ですね。よくある間違いは,「情けは人のためにならない」と受け取ることです。人が困っていても,それを助けたんじゃ,その人の力を育てることにはならない,自分自身の力でやり遂げさせよう,という意味じゃあないんですよ。ま,これも大切ですけどね。

 そこで,前も話したように,これをもう少し深く考えると,「情けは,人のためではない。自分のため。」というのは,つまり,自分自身の心を救うためにするんだ,という考え方になります。みんな今までいいことだけじゃあなく,ちょっと悪いことをしたなと思うことがあると思います。もう今ではどうしようもできないことがあります。先生もあります。今いくら悔やんでも取り返しのできないような悪かったなーと思うことが自分の心を苦しめることがあります。そんな時,人に何か一ついいことをすると,すっと気分がよくなることがあります。悪かったなと思う自分の心の苦しみを,他のいいことをすることで救ってもらう。それが「情けは人のためならず」の言葉の中にあるような気がします。つまり,「いいこと」は,「してあげる」のではなく,「させてもらう」という考え方です。(今から考えると,ちょっとこのあたり何だか宗教っぽいですね。)

 どうしても気分が悪くて,手伝うことが「ムカついて」,相手も嫌いで,という時,それでもしなければならないことがあります。それが社会で生きていく勉強の一つです。人間に生まれてしまったからには,それなりの義務というものがあるのです。どうしても自分で自分をコントロールできなくなった時は,相手のためではなく,これも自分のためなんだと思うことで乗り切っていって下さい。