性教育白書

 以前組合の支区長をしていた時,その組合が毎年発行する白書に巻頭言を書いたことがありました。その年の白書の内容は「性教育」についてでした。丁度私もその頃不思議に思っていたことがあったので,その疑問も入れながら書いたものをそのまま紹介します。
 この白書は,毎年地域の保護者も招いてその内容にかかわる講演を一緒に聞いた後,内容の説明をしていました。

は じ め に

 性のことを英語ではセックス(SEX)といいます。
 セックスと聞いて,又,その英文字を見られて,皆さんはどう感じられるでしょうか。今日の性教育の課題はまさに,今私達が「セックス」という言葉に対して感じる感覚そのものが問われているということではないかと思います。
 
 今の20代以下の人達はどうだったかよく分かりませんが,今の30代以上の人達が10代の思春期の時代に語られた性は,どの場面においても,真面目な顔は少なく,どこかに照れたような顔付きか,反対にギラギラと血走ったような目つきが多かったのではないでしょうか。(公衆便所にペンキで大きく書かれた「SEX」の文字のイメージ)
 そんな中で形成された性(セックス)に対する感覚がどこかで,現在もその人達の心のつっかえになっているのではないでしょうか。

 世の中の行動や感情には,それが倫理観からなのか,生理的(後天的に)からなのか,本能的からなのかよく分からないことがあります。
 例えば,自分達の地区の近くに,あるホテルが建設されるというとき,その反対運動に加わる人達の中には,その反対の本当の意義を深く認識することなく,ただ,生理的,感情的に自分の中に作られてしまっている性に対する感覚だけで反対していることがあります。「教育上好ましくない」と言ってはいても,どういう「教育上」なのかがはっきりしているのでしょうか。
 また,同じ,「子どもが生まれる」という場合でも,婚姻届という紙切れ1枚の有無が,歓迎と嫌悪,「おめでとう。」と「まァー。」の違いを生じさせることがあります。同じ「生命の誕生」という出来事に対して,どうしてこうも人々の対応は変わってしまうのでしょう。その違いの元は何なんでしょう。

 性教育を考えるときは,私達の価値観が問われます。
 もう一度,「性教育」の助けを借りて,私達は自分の人間性をのぞきこんでみなければと思います。
 終わりになりましたが,この白書作成及びアンケートのために時間を割いてご協力頂いた組合員と保護者の方々に心からお礼申し上げます。