次の文は「石うすの歌」を学習して,児童が最後にその学習作文を書いた中の「物語の主題」にかかわる部分の抜粋です。 |
『−−− 作者は,当時の子どもたちまた人々の,悲劇の中での成長や,苦労を石うすを通して伝えようとした。 −−−』 『−−− 石うすをひくのがきらいな千枝子が,石うすが好きになり,瑞枝の母たちが死んだときも,石うすをひいて心をなごませた。ということを通して,悲しみにいつまでもくれず,次なる世界を目指そうということを作者は話そうとしている。 −−−』 『−−− 人は悲しみを乗りこえていくたびに大きくなっていき,そのときにやさしさも変化していくということを伝えている。−−− 』 『−−− だんごがほしけりゃうすまわせえとか,お姉さんだよ,と石うすが楽しくうたってくれたころから,勉強せえつらいことでもがまんしてと,はげましの歌を歌うようにかわった石うすの話を通して,人生,楽しい事,つらい事,悲しい事それぞれがある。ああ,悲しい,ああつらい。こういう事もあると思うが,この悲しさ,つらさに負けず,乗りこえて,勉強し,勉強しつづけていき,悲しさ,つらさに負けるようなひよわな人間にならず,このくやしさをがまんして,こらえて,誰にも負けない立派な人間にならなければだめなのだよということを伝えようとしている。−−− 』 『−−− 石うすは,千枝子がだんごがほしい時には「だんごがほしけりゃうす回せ」となって,お姉ちゃんといわれるようになって,うれしい時には,「お姉さんだよ,お姉さんだよ。」となり,そして,瑞枝の父さんや,母さんが,原爆で死んで,悲しい時には,「勉強せえ勉強せえ,つらいことでもがまんして」となっているように,千枝子が石うすを回したとき,うすが千枝子の心を歌った歌がつぎつぎと変わっていっている。変わっている時は,かならず瑞枝がきたり,原爆がおちたりなどのかんきょうの変化があった。つまり,かんきょうの変化によってかわる,人の心をみんなに伝えようとしている。−−− 』 |
もし,このような種類の主題観や,分析的な読みをすることに対して違和感や嫌悪感を持たれている方は,もうここで切断されるか,他のHPに移られた方がよろしいかと思います。 上のような学習作文でよろしければ,次のような展開を参考にして下さい。 |
発問の種類は3つに分けます。 1次は,「物語の内容,状況を把握させるもの」 2次は,「主題を考えていくために必要な視点を持たせるもの」 3次は,「主題にかかわる物語の構成をつかませるもの」 1次の発問について 「話の筋をしっかり読み取らせる」には,とにかくしっかりと何回も音読等をさせていくことが必要になります。しかし,ただ児童に物語を何回も読ませるだけでは,いい加減になったり,ただの字面をえどるだけの頭に残らない読みになってしまうことが考えられます。 そこで,ある程度児童が興味を持って細かく読んでいこうとすることを助けるような発問をまず最初にしていきます。児童は教師から出された問いに答えようとして読んでいくうちに,知らず知らず話の状況も把握していくのではないかと期待しています。 例えば次のような発問はいかがでしょう。問いは板書し,児童にも写させ,その問いに対する答えとそう答えた理由を書かせます。 1 「何年の話か。」 答え例 [1945年の話] 理由例 (原爆の落とされた年の話だから) 2 「登場人物は。」 [千枝子,瑞枝,おばあさん,おばさん,お母さん] 3 「千枝子の住んでいる所はどんな所か。」 [瀬戸内海の辺りの海に近い所] (広島から船でやってくる所だから) (港に歩いて迎えにきているから) (作者は小豆島の出身だから) 4 「千枝子は何年生か。」 [6年生] (瑞枝は「3年生」と書いてあり,「千枝子より3つも年下」と書いてあるから) 5 「千枝子にはきょうだいがいるか。」 [いる] (「末っ子なので」と書いてあるから) 6 「8月が千枝子にとってうれしい月であるのは,どんなことがあるからか。」 [おぼんが来ることと瑞枝が来ること] (「おぼんが来るのと一緒に,千枝子にとって,もう一つうれしいことが ありました。それは,広島にいるいとこの瑞枝が来ることです。」と 書いてあるから) 7 「千枝子が石うすの歌を好きになったのは今年か,今年より前か。」 [今年より前] (「大好きでした」と書いてあるから) 8 「何人称何視点か。」(この時初めて学習しました) [三人称全知視点] (後で紹介している作文参照) 2次の発問について 次に,この「石うすの歌」では「対比」という視点で読み取っていくことが主題を考える上で重要ではないかと考え,「対比」と思われる言葉をどんどん見つける学習をしていきました。とにかく対比と思われる言葉をできるだけたくさん見つけさせていきます。ここではあまりその信憑性を吟味していくことはしません。 1 「対比を見つける。」 [ねむくてねむくて−−ねむたあいねむたあい 立つ−−すわる わかりません−−わかった おじさん−−おばさん 山−−里 全部−−半分 ・・・] 全員で怪しいのも含めて65の対比らしきものを見つけました。 3次の発問について 最後に,物語の構成上大切と思われる対比について問います。 1 「物語の初めの頃と終わりの頃とで,人物の様子が変わっている対比を見つける。」 (千枝子) だんごがほしけりゃ,うす回せ。 ┃ 勉強せえ,勉強せえ,つらいことでもがまんして。 お手伝いをさせられました。 ┃ おばあさん,私がひくわ。 (おばあさん) にこにこしながら,手に力を入れ, ┃ 精も根もつきてのう。力が出んのじゃ。 2 「これらの対比の間にある出来事は何か。」 [「原爆が落ち瑞枝の父や母がどうなったか分からなくなった」こと) 以上の学習の後,主題を考えながら,学習作文を書きます。その前に2つのことを指導しました。 1つは「プロット」で,もう1つは「主題のとらえ方」についてです。 「プロット」について プロットとは,「筋」とか「構想」という意味です。学習した内容についての自分の考えを作文にしていくのに,まず全体の構想を考えていきます。そこで,学習した中で自分が書けそうな内容を考えて,その内容に合う小見出しをいくつか考えていきます。 例えば1990年の6年生たちは次のような小見出しを考えてから,作文をまとめていきました。いくつかのプロットを紹介します。このHPで紹介している「やまなし評論文」をこの後書くことになる子どもたちです。実はこの作文は,その「やまなし評論文」へ向けてのステップの一つでもありました。
このようなプロットを立ててから書いた学習作文の中からいくつか抜粋して一部を紹介します。
「主題のとらえ方」について 実際には,まずこの「主題」について考えた後,最後に上のような「プロット」を考えていきます。 一言で「主題」と言っても,作文でも子どもが書いているように,その意味は分かりにくいものだと思います。一応教師は, 「このお話を通して,作者が読む人に一番伝えたいこと」 と説明をするのですが,どんなことを書けばいいのか,初めての子どもたちにはイメージがほとんどわかないと思われます。 そこで,「例えば」と教師がこの物語で主題になりそうなことを例示してしまうと,子どもたちの書く文章は一気にその例示に影響されたような画一的なものに偏っていってしまいそうです。それではおもしろくありません。 ということで,これは私自身の勝手な指導になっていくのですが,「主題」という概念をつかませるために次のような例示はいかがでしょう。 【自分の心を通して主題をつかむ】(児童への説明調で) 今から「主題」について説明します。 例えば,「桃太郎」という物語の主題について考えてみます。作者はこの物語を通して,何をみんなに伝えたかったのかと考えてみましょう。それが「主題」となります。 (ここで,桃太郎の話を簡単に確認する) 主人公は桃太郎ですから,この話から作者が言いたいこと,つまり「主題」は, 「サルやキジたちと力を合わせて桃太郎は鬼を退治することができた(主材)ということを通して,人は協力することによって,一人ではできないような大きな仕事をすることができる(主想),ということを伝えようとしている。」 とすることができます。 また,この物語が書かれた当時の人々の,苦しい生活から逃れたいという願いとして,桃太郎のおじいさんやおばあさんの立場に立って, 「おばあさんたちが,いつも一生懸命仕事をしていて見つけた桃太郎のおかげで金銀財宝を手に入れることができたということを通して,苦しくても人と助け合って仲良くしていれば,きっといつかいいことがある,ということを伝えようとしている。」 とも考えられます。 また,ちょっと違って,鬼の立場になって考えて, 「鬼たちが桃太郎やサルたちによって退治されることを通して,力がちょっと強いとかいうことで,人に対して思いやりのない態度や悪いことをしていれば,いつかきっとバチのあたる日がくる。」 という主題と考えてもいいでしょう。 大切なのは,その話を読んで,自分自身の心がひっかかるところを大事にして考えていくことです。どんどんどんどんその話にもぐりこんでいって,いったいこの話は何が言いたいのだろうと,その話と取っ組み合ってみることです。そこから自分なりの,自分の心を通した「主題」を見つけ出して下さい。 「いろんな主題がある」と言っていいのかどうか,自信はありませんが,実際はほとんど同じ方向の内容になっていきます。 とにかく,私の願いは「主題」に対して自ら積極的に働きかけていくような読み方なのです。 最後に「石うすの歌」の不思議について 最後に前々から気になっていた疑問を一つ。 この「石うすの歌」の物語の中には所々「石うす」ではなく,「ひきうすの歌」となっている箇所が出てきます。「石うす」と「ひきうす」の二通りに分けた言い方には何か意味があるのでしょうか。私の知り合いにこの話をした所,その人はこの問題を早速授業でとりあげたそうです。彼によると使われる場面に違いがあるということでした。 どなたかこの件につきましてご意見がありましたら,またお教え下さい。 |