「陸上記録会」の不思議

ある町では全校の5,6年生が集まって陸上記録会が毎年行われていました。

【対外行事?】
 記録会の前には全職員で毎日放課後,5,6年生の陸上練習の指導にあたることになっていました。しかもその間だけ下校時間も遅らせて。

 私は5,6年の担任でしたが,近くの先生に
「なぜ,全職員で指導されるのですか?他の学年の先生は放課後でもご自分のクラスの児童の指導があるのではないですか?もし,5,6年の学習のお手伝いを全職員でするのだったら,これからは例えば2年生で九九の学習をするとき,全職員で放課後分担して九九が言えるよう指導するようなこともあるのですか?」
と聞きました。
 すると,
「そんなことはしない。陸上記録会は対外行事でしょ。」
との返事。

 えっ!対外行事!?

 私は,記録会はどこで行おうが,児童が自分の記録に挑戦するためのもの,と思っていました。
 しかし,どうもそこでは「記録会」→「対外的なもの」→「学校同士の競争」の意識があるようで,だから「全職員で」ということになるのかなと思いました。

【ねらいは?】
 この陸上記録会の打ち合わせに出たとき,日時や場所,種目等について書かれた要項が配られました。その冊子を最後まで見て,どうも不思議なことがあり,質問しました。

「この記録会のねらいはないのですか?」

 その要項のどこにも記録会を行う目的が書いてないのです。
 しかも,その質問をした時,横の方から「クスッ」と笑うような声が聞こえてきたのです。
 結局,この質問には答えてもらえませんでした。
 もう毎年の行事で,するのが当たり前で,とにかくいつものように役割分担や計測方法等の確認だけが問題のようでした。

【決勝?】
 「ねらい」を聞いたのは訳がありました。
 その記録会では100メートル走の記録の上位5,6名による決勝が行われることになっていました。
 これが私には一番不思議に思えました。

 なぜ,一度だけしか記録をとってもらえない者と二度記録をとってもらえる者をつくるのか。

 もし,この記録会のねらいが,
「よい記録を出すため」
だったら決勝が必要かもしれません。しかしそれだったら,記録をめざす者だけ参加する自由参加の形をとるべきです。しかしそのような「記録のための記録会」など,学校教育には似合わないもののように思います。

 もし,この記録会のねらいが,
「児童の運動能力を伸ばすため」
だったら,
「ならば,成績上位者から数名選んで決勝を行うのはおかしい。」
と言おうと思っていました。参加する児童のためだったら,全員に自分の記録を再度伸ばそうとする場を用意するべきだと思いました。
 「人」ではなく「記録」を気にするから,「数名だけの決勝」などというおかしなことがあるのだと思いました。
 また,「児童の運動能力を伸ばす」のが目的だったら,一度目は力が出し切れなかったと思われる者,成績の遅かった者に再度挑戦する機会を与えることにしてもおかしくないはずです。これはもちろん希望者によるものでいいと思います。