「総合」の不思議

総合的な学習の授業内容には不思議がたくさんあります。

車に乗せて?】
 総合的な学習では,よく「聞き取り調査」というのをします。いろんな場所,施設に行って話を聞かせてもらったり調べたりします。児童の「興味,感心」に合わせて調べる対象が違っている場合,担任と他の職員が手分けしていくつかの場所に自分の車に児童を分乗させて送迎する場合があるようです。これは大変危険な学習方法です。教員はプロの運転手ではありません。事故が心配です。タクシーを使えるといいのですが,予算的に難しいのでしょう。
 しかし,いわゆる「体験」を重視する学習では児童が自分自身で現地に行き,生の話を聞くことが大切になってきます。よって教員が人命をあずかって運転するということにもなります。

 果たしてこの学習ではそういう状態までを想定し,要請しているのでしょうか。これが不思議です。
 
誰のための発表会?】
 総合では学習の中でポートフォリオというものを作成していき,最後にはそれをまとめて一人一人それを冊子にしたり,グループで模造紙にまとめて「発表会」を開くことがあります。研究授業や公開研究会でこの場面がよく行われます。子どもたちはよく発表の練習をし,大きな声ではっきりと説明することもあります。その後「質問,意見」を聞くのですが,ぽつぽつと「○○がよくまとめてありました。」「○○がよく分かりました。」等の意見と簡単な質問が出されるぐらいで(中学校でも)「時間がないので次の発表を」ということになります。
 
 発表する者はまとめる段階でほとんどその内容については学習が済んでいます。
 発表の仕方はまとめたものをただ読んでいくだけです。
 聞いた者が出すのは,ありきたりの表面的な意見で,発表者に今後の向上的変容を迫るような場にはなりません。

こういう「発表会」は誰のために開くのでしょう。これが不思議です。

もしするのなら】
 もし,「発表会」を開くのならば,まず発表者に,自分がまとめたものを「どのように」発表するかを工夫,創造させることが必要だと思われます。ただ読むのでなく,調べ,まとめていくまでの裏話や,特に何を報告したいのかを自分の頭の中で一つのシナリオにし,自分の言葉で演技していくぐらいのスキル学習をさせるのです。
 これには当然まず発表とはこういうものだ,というビジョンが子どもに必要です。そのためには,教師が一つの例を示し,それを見本に子どもたち一人一人に演習をさせてみることが必要です。

 また聞く方には全員必ずその発表内容の参考になる点と,修正するといいと思う点を見つけさせます。これも教師が例を示します。こんな細かい所まで!?と子どもたちが思うようだとインパクトがあり,発表を聞く時の視点も深まると思います。そして大切なのは,発表者は何を一番報告したいのかを読み取ろうとする意識作りです。国語では「主題」の読み取りと同じところです。難しいところですので,聞く者に確認しながら,教師がおさえていくことも大切だと思います。

 発表会でしっかり時間を取りたいのは,発表の時間ではなく,その後の意見の出し合いの部分です。ここは事前に練習できない所です。だから面白みもあり,本当の学習にもなります。しかし,事前のスキル学習なしで,急に「読んで発表」「聞いて感想」を求めても深まりのないものになりそうです。演技力豊かな発表と次々と修正意見の出される発表会。が,今の私の目標です。

3つの無】
 総合の研究授業を見ていて,一番不思議に思うのは,それが本当に普通の指導計画の中でできてきたものなのだろうかということです。例えば「教師の車に子どもを乗せて行く」ということもその一つです。

 どうも今全国でこの「総合」のためにかなりの「無理」が行われているのではないかという気がします。


 前出の「発表会」についても,発表に多くの時間を取り,意見交流はほんの少しというのは逆ではないかと感じます。お互いのまとめたものは各自で事前にメモでも取りながら見ておき,次の時間には意見の出し合いのみにしてもいいのではないかと思います。
 どうも,発表会の中には,「これだけのことを調べてまとめてきたんですよ」ということを後ろで見ている人に見てもらう意識が強いようなものがあるように思います。

 誰のための発表会かという点で,「総合」の時間の使い方に「無駄」があるのではないでしょうか。もちろん,大切な「無駄」もありますが,これは,意識的に何かを学び取らせるための有効な「意味のある無駄」とは違う質のもののように思います。

 
 また,子どもの輸送の件もそうですが,あまりにも「興味,感心」を重視しすぎて学習の範囲を広げすぎたりとか,総合の資料作りや準備のために他の教科の教材研究や準備の時間まで犠牲にしてしまったりとかの「無茶」があるようにも感じます。

 2002年度から始まる総合的な学習では,この3つの無,
「無理」「無駄」「無茶」
との戦いになるような予感がしているのは私だけでしょうか。