「評論家」の不思議

研究授業をした後,普通は検討会が開かれます。

評論家のように】
 授業を見た後の検討会では,なかなか本質的で誰でもが頷くような意見が出されることもあります。それは,まるで教育評論家が言われるような正論であることもあります。そして実際に本人が
「評論家になってはいけないんだが。」
と言われることもあります。
 この言葉に含まれる意味は,「口先だけの理屈かもしれないが」というようなものだと思います。
 
 ここで不思議なのは,本人が言われるように,そんなに理路整然と言える方が,実際の授業では重苦しい世界をつくり出してしまうこともあるということです。
 つまり本人も自覚されているように,
「言うのは簡単だが,実際には難しい」
「分かっていてもできない」
ということがあります。
 私自身など,大して分かってもいなくて,いつもこの繰り返しです。

 評論家は多分授業はできないとしても,大学の教育学の教授が授業を行ったとしても,やはり難しいものがあるように思います。

 一体「理論」というものと「現場」というものの間にある壁は何なんでしょうか。