「学校の常識」の不思議

学校の常識は世間の非常識と言われます。

信じられないこと】
 以前,複数の学校の教師で1時間の授業をパーツ毎に別れて交代しながら行うということがありました。複数の学校の児童が集まり,交流を兼ねて一緒に授業を受けるという行事です。何ヶ月も前に指導案を作成し,お互い確認していました。

 しかし,当日の授業が始まってびっくりしました。1時間の授業の中で私の前を担当していた2人共,打ち合わせで確認していた指導案と違う流れにしているのです。よりよいものを考え,創り出し,過去を否定し,改善していくことはとても大切なことです。しかし,指導案ができて何ヶ月も経っていたのに,この時まで何の連絡も説明もなしでした。授業というのは1時間で一つの流れを形成するものですから,その中の活動一つ一つには必然的な関係があるのです。少なくとも,後を受ける者への事前の連絡は必要です。とても信じられない出来事でした。

  普通の一般社会では,「打ち合わせ」「確認」「連絡」「決定事項の遂行」等というものは,ごく一部の極端な場合を除いては,守られて当然のプロの世界の常識だと思います。こんな常識が意識されていないのが不思議です。

学級王国】
 学校の常識の不思議はいろいろあります。

・時間を守るように注意しながら,自分が集合時間に遅れること。
・健康教育を行いながら,学校の中にタバコの煙をまき散らすこと。
・授業を見せてくれと言って見た後,一言の礼も指導も感想も批判も何もないこと。
・分からないのを子どものせいにすること。
・夏休み中に補習をすると,「それができない教師のことを考えていない」と(子どもは夏休みでも教師はいつもと同じように勤務日が続いているはずなのに)問題にされること。
・人に「かたづけ」を注意しながら,自分がかたづけができていないこと。
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 昔から「学級王国」と言われてきました。教師が学級の王様になってしまうのです。どうしてもどこか「エラソウ」になってしまうのは職業病なのでしょうか。(そういえば,政治家も何故か「センセイ」と呼ばれますね。)
 会社に勤めている,私の知り合いが,
「自分が行っているスポーツジムにやってくる教師って変な奴ばかりだ。それに偉そうにしていて,人の言うことを聞かない。」
と散々悪口を言っていました。

 学校の常識が世間で通用しないのは,学校でよくできた人が社会に出て必ずしも成功するとは限らないのと同じ現象なのでしょうか。