「研究会日程」の不思議

最近はどの学校も毎年公開研究会を開くようになりましたが・・・

授業をするだけ?】
 最近の研究会の日程を見ると,
「授業」「開会の挨拶」「実践発表」「講演」
というパターンがほとんどです。以前はよくあった「研究討議」が無くなってきているように思います。これが不思議です。

 公開研究会は,何故,誰のために行うのでしょうか。普通,「授業研究を深めるため」「その学校の教師,児童のために」行うのだと思います。それまでの研究の積み重ねを広く公開し,多くの意見をもらうことでその後の研究を深め,その学校の教師の力量が向上し,児童への教育の質が高まり,結局その学校の児童が得をするという意味で,「児童のため」に行うのだと思います。

 授業後に参加者から意見を聞く「研究討議」の時間を取らないならば,その研究会はその学校だけの少しも進歩のない一人相撲で終わってしまいます。自分たちの授業,研究に対して他の視点から意見を出してもらうことこそ「公開研究会」の最大の目的だと思うのですが。それがないとすれば何か違う目的で研究会を開いているのでしょうか。
 もし,自分たちは指導主事から教えてもらっているから,一般の参加者から教えてもらうことは何もないというのならば,研究会など開く必要もないはずです。また,「教えてもらう」ためにするのではない,「教えてやる,見せてやる」ためにするのだ,というのだったらそれはあまりにものぼせていて,不遜で,教育界だけでなく一般的に「研究」にふさわしくない姿勢に思われます。

 またよくある「アンケート方式」で意見,感想を紙に書いて出しておいてくれというのも,一方通行で自分勝手な方法です。もし質問が書かれてあってもそれに後で答えていては,参加者全員の学習にはなりません。

 研究会の意義を考えれば,意見が出ないとは分かっていても形だけでもプログラムの中に「討議」の時間を入れるべきではないでしょうか。