「同一歩調」の不思議

人に注文をつけたがる人が時々おられます。

進み具合?】
 町が町内の全ての学校に英会話の授業のための予算を組み,同じ回数ALTを派遣して下さったことがありました。その授業のための指導案は事前に提案された大まかな流れを元に各学校で作成して取り組むということでした。しかし,途中でやはり指導案も共通にした方がいいのではということになり,担当を決めて事前に各学校に同一の指導案を配るということになりました。

 1年間の取り組みが終わり,反省を各学校が持ち寄りました。すると,

 学校間で英会話の授業の進み具合に違いがある。学校独自でやっているところがあるが,同一歩調についての調整はいらないか。

1時間の学習内容の量について一考したらよいのではないか。

という意見が出されていました。
 
 「学校独自でやっている」というのは,その学校はその年の研究主題を「国際理解教育」に設定し,取り組んでいるということです。町から派遣されるALTが来る日だけ英会話の学習をする学校と,年間の研究主題として国際理解に取り組み英会話の学習もしている学校とで「授業の進み具合に違いがある」のは当然のことです。
 それを,「同一歩調の調整」がいるのではないかと言われる感覚が不思議です。
 
 以前,夏休みに補習をすると,「できない教師のことを考えていない。」と堂々と年配の先生から批判されたことがありました。その先生は夏休みに何をしているのだろうと不思議に思いました。新米の教師が,年配の教師のように効果的に学習させることができない場合は,「時間をかける」という方法も一つの教師としての責任の取り方ではないかと思ったものです。年配の先生は新米の教師が「あなたは,あなたのようにうまく教えることができない教師のことを考えていない。」と言ったら,納得されるのでしょうか。

 「同一歩調」を訴えられる方の学校では研究主題として,国語の「聞く,話す」に取り組んでおられました。国際理解に取り組んでいる学校では,「聞く,話す」についてそれほど深い研究はできません。だからと言って,「国語の学習内容の深さに違いがある」と同一歩調の要請をするようなことがないのは当然のことです。それぞれの学校でそれぞれの課題があり,テーマを決めて取り組んでいくのが当たり前のことです。そして,お互いの研究成果を学び合うことが大切ではないでしょうか。

【実態】
 また,人に指導案を作ってもらっておいて,「内容の量が・・・」というのも随分勝手な言い分です。指導案は教師が自分のクラスの実態に合わせて,自分で作るのが当たり前です。盲腸の手術をするのに,ある病院のカンファレンスをどの病院でもそのまま採用しましょうということがあるでしょうか。人に参考資料をもらいながら堂々と文句を言えるのは,教師の世界ぐらいのものかもしれません。
 こういう人に限って,
「では作って下さい。」
と言うと,
「いいえ私は・・・。」
と言われるのです。
 
【自戒】
 自分にできない時,自分が失敗した時,自分に都合の悪い時,ついそれを周りのせいにしてしまうのが教員体質のような気がします。学級の中ではいつも自分が正しい位置にいて,人に説教をしていると思っている職業病かもしれません。気をつけたいとは思っているのですが。