「前の学校」の不思議

「前は」といつでも以前の学校の話を引き合いに出す人がいます。

誇り】
 前の学校の話を言葉の端々に出されるのは,きっと前の学校の児童,職員,取り組み,そして自分自身の実践に誇りを持っておられるからだろうと思います。そういう情報,新たな風を吹き込んでもらえることは,来ていただいた学校にとって大変有意義な状況ではあります。

 しかし,聞かされる者には感情というものがあって,機械に新たな情報をインプットするだけの効果にならないことがあります。それどころかつきあい始めた男女の間で,「前の彼は・・・。」という会話をするような危うさを伴うこともあるように思います。
 そういう人情の機微に気付いてもらえないのが不思議です。

【平等】
 「前の学校」も「今の学校」もある意味では平等です。「前の学校は」ということを出して通るようなら,「ここの学校は」を逆に出しても通ることになります。判断の規準は,「今の状況」であり,その学校でそうしていれば,その方法を取り敢えずはやってみてから,改善の検討をしていけばいいのではないでしょうか。

 兄弟,姉妹で比べられて「お兄さんは・・・。」と言われる苦い思い,担任の先生に「前のクラスは・・・。」と比べられる腹立たしさ,保護者に「前の先生は・・・。」と言われる無念さ。
 「前の学校」を引き合いに出すことに,こういう人の心理に対する想像力の欠如を感じるのは自分が小人だからでしょうか。