「しない」の不思議

夏休み,ある所では土日はラジオ体操をしないというきまりがあります。

【「しない」きまり?】
 子どもが,学校から地域のそれぞれの子ども会で決めた休み中の約束というものを夏休み前に持って帰ったことがあります。その中に「ラジオ体操(土日はしない)」と書いてありました。「なぜ土日はしないの?」と聞いても分からないと言います。
 悪いことでもないのに,「しない」というきまりをつくることがまず不思議です。
 してもいいのではないですか?
 きっと前からの決まり事の1つになっているのだろうと思いました。

 子どもたちにとって夏休み中は毎日が日曜日となり,土日の意味はなくなります。よって「土日」を特別扱いする理由は子どもの側にはあまりありません。ひょっとして,子どもより親の側の都合で決められたきまりではないかと思いました。

 もしこれが親の都合から生まれたきまりだったとしたら−−−

【努力目標】
 朝のラジオ体操には休み中の健康的な生活習慣の確立という意味があるはずです。しかし,それは努力目標であって,必ずしなければならないものでもありません。もし家庭の事情でさせることができない場合はそれでもしょうがない,で終わりです。それを「うちはできない」でなく,「土日はなしにしてあると助かる」という方向に向かうのが不思議です。
 
 できにくいけど,大切なことだからまわりの子どもたちといっしょにするという約束のおかげで子どもも頑張ることができる。きっと昔はこれで当たり前だったはずです。現代はこれではおかしいのでしょうか。

 別に親は起きなくても,子どもが自分で起きて体操をすればいいのです。子どものことを思えば,脳の成長のためにも夜更かしをさせないような指導は各家庭で大切に行わなければなりません。十分な睡眠さえとっていれば,子どもだけでも起きられるはずですし,そういう教育こそ家庭でできることです。
 十分な睡眠さえとっていれば,後は朝起きるのは心の強さと比例してきます。それが鍛えられるのも夏休みの効果の1つです。
 どう考えても,「夏休みに一人で起きて,毎朝ラジオ体操ができるような子」がしっかりしていないはずがありません。
 なかなか理想的にはいきませんが,その機会を最初からきまりでなくすことがなぜ行われるのでしょう。