研修レポート
8月中旬から9月中旬にかけての1ヶ月間,研修の旅に出ることになりました。
これからの1ヶ月間は研修先から研修内容の報告をしていこうと思います。今は荷造りやかたづけで大忙しです。
研修レポート2
朝の8時に家を出て,夕方の4時半に研修センターに着きました。 設備がよく整っていて,快適でとても綺麗な所です。 私はツインの部屋を一人で使うことになりました。
ロッカーも机も2倍使えます。もう一つのベッドはソファー代わりに使います。 私の今年の夏休みは昨日で終わりました。 明日からは1ヶ月間の研修が始まります。 学生気分に戻って勉強し直すつもりです。
研修レポート3
今日は文部科学省大臣官房総括会計官による「教育改革の推進」 についての講義がありました。
経験主義から系統主義への変遷。
昭和26年には「這い回る経験主義」との批判が既にあったこと。
(現在もこの繰り返し?)
「ゆとりと充実」→「新しい学力観」→「生きる力」へ。
「認知」とは,「直感」から「思考」し「行動」に至ることであるが,現在の子どもには教師が説教(「思考」を促す)をしても,それ以前の体験による「直感」がないから,その言葉が届かない。
夜は宿泊棟の同じフロア毎の懇談があります。
茨城,千葉,福井,大分,鹿児島,佐賀,栃木の先生との交流でオフレコ的で新鮮な情報を得ることができました。
研修レポート4
県人会の幹事になりました。 そこで,「県人会だより」を発行することにしました。
センターのパソコンが自由に使えるので,デジカメで風景を入れ,懇親会予定と県人会名簿一覧等を入れて人数分印刷して,掲示板に封筒に入れて貼っておきました。昼には全部無くなり,全員に渡ったことが分かりました。
研修レポート5
研修では毎日様々な講義があります。1コマが1時間のものから1日中のものまで。 弁護士の先生の講義では,途中に時々質問もされました。 「今年倒産した大きな会社の名前は?」 「貸した金はなぜ返せと言えるのか?」
突拍子もないところから,最後はちゃんと教育とのかかわりの話になっていくのです。
教師として幅広い社会常識を身につけておくことの必要性も教えていただきました。 そして, 「本当に分かっている者は難しいことを簡単に言える」 「新聞は裁判で公共団体が勝つと記事にしない」 「知っていても知らないふりの極意」
等々,ご自身の中から生まれる言葉で,1日中熱烈な講義をして下さいました。
研修レポート6
15日に行った懇親会を記事にした「県人会だより(最終号)」を作りました。 前回14日に出したのは(創刊号)でした。
もうこの回で便りは終わりにして自分の仕事に専念しようと思っています。
今回の最終号では懇親会の写真を入れているので,カラー印刷の必要があります。ところが,このセンターのプリンターは全て白黒のみの印刷しかできないようになっているのです。(きっと経費削減のため)どうしようかなと思っていたところ,偶然に東京駅に土曜に出た時,「パソコンコーナー」を見つけましたのです。
ここでは10分200円でパソコン,インターネットを利用できます。それと別にお金はかかりますが,印刷もできます。
そこでこのパソコンでインターネットディスクに置いていた便りのファイルを呼び出し,ここでカラー印刷をしました。それもレーザープリンターでとてもきれいに仕上がりました。 何と便利な世の中なんでしょう。
研修レポート7
土曜日は休みなので,はとバスにでも乗ろうかと思っていました。ところが,その日は前日から続く雨。他の人たちは,出かけるのを止めて,宿舎でテレビ等を見ることにした人も多かったようです。 私は東京駅までの回数券を数枚買っていたので,とにかく出ることにしました。
朝は5時起きで,6時出発のバスに間に合うようにバス停までダッシュした時点で,前日の懇親会の影響もあってほとんどダウン寸前でした。しかもバスで雨の中1時間半揺られて最悪の状態でした。
駅についても雨がいっこうにやみそうもないので,はとバスはやめることにして,駅周辺の探索をすることにしました。
まず,「県人会便り」の印刷をし,ついでに駅周辺のマップをインターネットで印刷しました。それから,家族に土産を宅配で送り,同じ宿舎の人たちへの土産を買い,例の「王様のアイデア」(テレビで紹介されているいろんなアイデア商品を揃えてあります)で家族一人ひとり用にプレゼントを買い,駅前の「八重洲ブックセンター」で見つけた外国で印刷された大きな世界絵地図を学校の廊下の掲示用にと買いました。
さて,次の日の日曜日,今まで出された数々の宿題レポートのまとめにとりかかります。
危機管理
子どもが頭から血を流して倒れている。 考えられる原因はいくつかあるがはっきりは分からない。 まわりに集まった子どもたちが騒いでいる。
さて,これからこの状況に「組織的」に対処していくため にはどのような手順を踏んでいけばよいか・・・
子どもたちの事故に対して,「学校」として誠意のこもった責任ある対処が必要です。
分かっているようで,実際に一つひとつの動きを考えてみると,事前にはっきりと確認しておかなければならないことがたくさんあるものだと思いました。
道徳教育
道徳教育についての演習。これはまた厳しいものがあります。
「子どもの心に触れて感動した例を中心に」 「子どもの心がより響き合う取り組みへの配慮」 「感動して記憶に残っている道徳授業」 「いっそう深く子どもの心の内面を汲み取る手立て」
本物の実践を問われる質の高い課題でした。
例えば、
「あなた自身の道徳の実践の中から次の項目
「子どもの心に触れて感動した例」 「感動して記憶に残っている道徳授業」
にあてはまるものを「具体的に」示しなさい。」
と言われて、すぐ思い浮かべることができるでしょうか。
しかもそれは独りよがりの思い込みでなく、できるだけ客観的に評価できるもとして・・・
更に、これから先
「子どもの心がより響き合う取り組みへの配慮」 「いっそう深く子どもの心の内面を汲み取る手立て」
を具体的に考えていくのです。
机上の理論でなく、実際に現場で明日から役立つ「具体的なもの」をしぼりだそうとすると、私のようなへなちょこには苦しいものがあります。
実践発表
今日の午後は研修参加者一人ひとりの持ち寄った実践レポートの発表会があります。 この発表会のユニークなところは、参加者の中に 「物言い役」と
「褒め役」 を決めることです。
「発表」→「物言い(批判)」→「発表者の回答」→「褒め役の意見」→「フリートーク」 という形になります。
人間関係を壊さない気配りも必要になるのかな?
それとは別に、今密かに計画しているのは、「私的実践交流会」の開催です。
掲示板で、この会の開催を呼びかけ休みの日にお互いの実践の交流をするのです。 私はプレゼン形式で実践を見てもらいたいと思っています。
が、もし掲示板で呼びかけてもその日誰も来なかったら・・・と躊躇しているところです。
道徳教育
たとえ価値の高い行動をしたとしても,それだけではその人間に道徳的判断力があるとはいえない。 問題はその行動をしようと判断した理由にある。 つまり, 「窓を閉める」「席を譲る」 ような行為をしても,それが 「次の日も日直をさせられるから」 とか, 「叱られるから」 のような理由からのものであっては,そこに道徳的な判断力があるとはいえない。 よって,「判断力」のものさしは「行為」にはない。「理由」にある。
というような講義の中に, 「本物の愛は孤独の極みを通り越えたものである」 「人間関係は麗しい誤解から成立っている」 「誤解して結婚し,理解して離婚する」 「分からない時ほど愛は深い。分かると色あせる」 「自分が相手にあると信じたものが相手の中で育ってくる」
いろいろ幅広い研修(?)をさせてもらいました。
週刊こどもニュース
今日はあのNHKの「週刊こどもニュース」の制作者であり出演者である,パパ役の池上彰さんの講義を受けました。
その話の中で,いろいろな裏話も教えてもらいましたが,その中にスタッフ同士のいろいろな会話もありました。
以前もNHKのアナウンサーの方の講演の中で,あの松平さんとの会話の紹介を聴いたことがありましたが,どうも放送関係の方の同僚同士や上司との会話には独特のアカデミックで陽気なユーモアがあるように感じました。お互いをユーモアでからかっていながらその内容の質にプライドをかけているといった感じです。
話の中にこういうのがありました。
「学校の先生が社会の調べ学習として放送について質問されることがある。ある学校からは
放送について何でもいいから資料を送って下さい
と言ってきた先生がいた。これにはスタッフ一同怒り狂った。」
というものです。
子どもからも
「放送について教えて下さい。」
というのがあるが,教師としてもう一歩指導して
「放送の何を知りたいのか」
をはっきりさせて質問をさせてはどうかと言われていました。
教師の傲慢さ,いい加減さをまた感じてしまいました。
非現実的
今日は学級経営についての講義がありました。
非現実的な問題なのは,
「学級経営に問題がある場合,その問題を学級でその教師が取り組んで直す」
ということである。
大体その教師に問題があって荒れているのに,その教師に直せるはずがない。
クラスが荒れて困っている場合は他の教師が介入しなければならない。
介入すれば,「混乱」で終わる。しないで一人で抱え込んで密閉状態にしておくから「混乱」が「崩壊」にまで進んでしまう。
「崩壊」にまで進むともう手遅れである。
日本の教師の質は世界の中でも高いがチームプレーができない。
外国の教師はチームプレーができている。
一人ひとりの選手がよくても勝てないチームはチームプレーができないからだ。
踊る大捜査線での一言
「おまえたちに全て任せる。但し報告は必ず行うように。」
つまり,
「教師に学級を任せる,しかし報告は必ず行うこと。」
学級担任がガキ大将になって子どもたちの人間関係をつくっても意味がない。
教師が手をかけ過ぎているから,教師がいなくなって問題が起きる。
子ども自身がお互いに働きかけるような取り組みをすること。
人の世話をして,自分が認められていると感じられる経験(自己有用感)をさせること。
同年齢同士でかかわるのは難しい。
6年に1年生の世話をさせるようなことをしていく。
りっぱな先生がいてその先生だったら不登校の子が学校に来るようになったとしても,それは学校に来るのではなく,先生に会いにきているに過ぎない。先生が変わるとまた不登校になるようでは意味がない。中学校で教師の面倒見が悪くなっても,それでも行くように育てること。
学校としての教育力とは教師が手をくださなくても,子どもたちが動くようにしていくこと。
刺激的な90分でした。
自由実践研究
土曜日の午前中,「自由実践研究」がありました。
形は自由で,各班(11〜12人)ごとに実践研究,交流をするのです。
私の班では内容がはっきり決まっていなかったので,以前思っていた実践記録の発表を勝手にプロジェクターでさせてもらいました。
持って行ったノートパソコンに丁度実践発表でプレゼンに使ったファイルが入っていたのです。
内容は「バケ田」と「おとなりの国,韓国」,それにこちらで自分の学校のHPに入れていた子どもの作った「バケ田クイズ」を開いてみて,それを会場でオフラインで紹介しました。
嬉しかったのは,発表の後,この資料がほしいと言って下さった方がおられたということです。
そこでCDに焼いてプレゼンファイルのまま差し上げることにしました。データは100MBでした。
改善
聞いた話ですが,今日の新聞にこのセンターの改善案がその筋から出されていたそうです。
効果があがっていないのでしょうか。もしそうだとしたら,今の私たちの責任は重大なものになってきます。
とてもたくさんの有益な勉強をしていると思いますが,実際の現場で目に見えるような急激な教育効果は出せないかもしれません。しかし,できる限りここで学んだことを生かすように努力したいと思っています。
組織マネジメント
今日は「組織マネジメント」の演習をしました。 講義の中でこんな話がありました。
組織マネジメントとは
環境の変化の中で生き残っていく技術のこと。
環境変化とは要望,要求の変化ということ。
生き残るとは,貢献し続ける技術ということ。
つまり環境(社会,親,子ども)が変化していくなかで,学校,教師が旧態依然のままでいては効果的な教育はできないということ。
演習を通して現状を把握し,分析し,対応を考える現実的なノウハウを学びました。
が,現実の職員室の中でその「変化の提案」を行おうとすると,人間関係を考慮した高度の判断力と決断力も必要になりそうです。
研修センターの様子です。
設備が整っていてとても綺麗な所です。
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宿泊棟 |
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1階が食堂,2階が喫茶室 |
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図書館にあるPC |
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洗濯棟 |
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コイン式マッサージ機 |
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ツインの部屋 |
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