7月31日(火)快晴

 
昼近く、山田風太郎死去の報が入る。長く患っていたので、意外性はないが、それでも体の中を一抹の淋しさが吹き抜ける。読書家で知られる会社のT先輩も「もうあの人のような作家は出ないだろうな」とポツリ。

 忍法帖シリーズのみが代表作として喧伝されるが、探偵小説、推理小説の分野でも他の追随を許さない傑出した作品群があるし、明治ものに至っては山田風太郎の独壇場。すべてにおいてユニークな作品を生み出し続け、どれ一つ駄作がない、まさに天才。戦後生まれの作家で山風の影響を受けていない作家は皆無だろう。マンガもそう。横山光輝の忍法マンガなど山風忍法帖の引き写しだ。

 医学を修めたという点では手塚治虫と共通する。創作の根底にあったのは医学という科学的な視点で人間を見つめること。「戦中派不戦日記」を書いたように、徹底した反骨の人でもあった。今また復古の道をひた走るこの国をどんな思いで見つめただろう。
 「人間臨終図巻」の最終章。果たして山田風太郎は何を言い残したか……。あんな天才は二度と現れない。合掌。

 PM5・30、青山円形劇場で初音映莉子の初主演舞台の会見及びゲネプロ。時間を間違えたため、すでに40分経過。マネジャーのはからいで特別に初音映莉子と立話。なかなか可愛いコではないか。
 会場で「NIPPONアイドル探偵団」のK君に声をかけられる。「探偵団」が分裂してから久しぶりの再会。「2002年版もそろそろ準備しなくちゃ」と彼。相変わらずアイドル評論家として活躍中のようだ。

 PM7、パルコ劇場でシアター21「おやすみ、こどもたち」。篠井英介が見に来ていたので話しかける。「(”欲望という名の電車”の)稽古は明日からなんですよ」とニッコリ。青年座のMさんも「今度飲みに行きましょうよ。ずいぶん行ってないから」と。
 
 戦争によって引き離され、心に傷を負った4人の姉妹弟の再会後の揺れる心情を描いたもので、姉と弟の性的な関係など、かなりシビアな展開になっている。ローレンス・オリヴィエ賞受賞作だけにテーマはずっしりと重い。しかし役者、演出がしっかりしているので、2時間10分はあっという間。刺激的な舞台だった。終演後、振り向いたら坂手洋二の姿。手を振って挨拶。
 パルコから駅までの道は人波がすごくて、イヤになる。だからいつも裏通りを最短距離で突っ走る。

 家に帰って更新。
7月30日(月)快晴

 参院選明け。非拘束名簿式の導入で開票が大幅に遅れ、昼過ぎまでずれ込む。有象無象が軒並み討ち死にしたのはいいが、舛添要一159万票に仰天。母親の介護問題がイメージアップになったとはいえ、本質は姑息狡猾な小人物。159万人が投票するとは…。

 高校時代の体育教師に電話する。同窓会報に出てもらおうと思ったのだが、電話口ではカクシャクとしているものの、「もう87歳で半分ボケてるから、カンベンしてよ」といわれる。残念。
 夜、やはり高校時代の教師に電話する。「実は4月で退職しました。これからは地域の問題に取り組もうと思っています」。高校時代は70年安保の真っ只中。テレビで放映中止に追い込まれた「ひとりっ子」という反戦ドラマ(俳優座映放部製作)の全国的な上映運動があり、その公開に力を入れたのが先生だった。同窓会は過去の回想ではなく、未来への指針にもなるのだということを確認。

 さて、あと少しで帰省。そろそろ準備しなくちゃ。
7月29日(日)快晴

 
10時と遅い起床。午前中うだうだ。午後、近所の投票所に行く。前回は外まで行列が並んでいたが、今日は投票所はガラガラ。これは投票率低いかも。

 今年もセミの大合唱が始まった。奥本大三郎氏の「完訳ファーブル昆虫記」によれば、セミの幼虫は羽化が近づくと、井戸のように掘った自分の穴の中を地表までよじ登ったり、底の休憩室まで降りたり、忙しく動き回るとか。その穴は壁がしっくいで塗り固められたように堅く、昇り降りに便利なようにできている。しかし、掘った土は地表に排出しない。セミは羽化するまで決して地上に顔を出さないから。

 それでは、その掘った土はどこに行ったのか。調べたら、セミの幼虫は自分のオシッコで土を塗り固め、土を湿らせることによって壁を補強。同時に土の容積を縮小して外に土を排出しなくてすむようにしているのだという。木の根あたりに穴を掘り、絶えず樹液を吸うことにより、オシッコを出す。そして、地表から1センチまで穴を掘り進め、外の気象や外敵の存在に耳をすます。何かあれば、すぐ穴の底に逆戻りする。セミのオシッコは成虫になっても外敵から身を守る武器になるが、幼虫の段階で重要な役割を果たしていたとは。

 セミが地上に出るところを見たいといつも思うが、用心深いセミは外部の敵には敏感。なかなかそばに近づくのは難しいようだ。
 たかがセミとはいっても、自然の中で生き残る知恵はすばらしいものがある。
 人間サマなど、目先の利益に汲々として、自らの首を締めるような環境破壊を平気で進めるんだから、セミ以下だ。いや、比べたら懸命に生きるセミに悪い。

 参院選自民勝利。お盆が近いからというわけでもあるまいが、地獄の釜のふたが開いた。
7月28日(土)快晴

 
AM5起床。会社へ。PM2、TOKYO FMホールでリーディングサーカス第1回「宮部みゆきの世界」。剣幸、緑魔子、宮村優子(声優)の出演で、宮部みゆきの小説の短編を朗読。朗読とはいっても、そこはプロ。登場人物を使い分け、一人芝居のように演じている。持ち時間各50分ほど。宮部みゆきの講演は流れたが、朗読だけで2時間弱。結構、ハード。終演後、プロデューサーの溝口氏らに挨拶。5時、市ヶ谷。大蔵省印刷局記念館で高校同窓会幹事会。担当分野の基調報告。無礼講に移る前に、下北沢に移動。PM7、「劇」小劇場で愚安亭遊佐の一人芝居「飯沼さんへの手紙」を見る。死者への連綿たる追憶の劇。唐突に輪廻転生話になるところが不自然に思える。愚安亭、相当疲れているのでは。思考停止か? 伊藤裕作氏が来ていたので、聞くと「三十人会」に友人がいて、それ以来のつきあいとか。人間のつながりはわからない。楽屋から出てきた愚安亭に挨拶。「来月、北海道で2カ所。今のところ予定はそれだけです」。2時間近くしゃべり詰めだから、疲労感ありあり。

 9・15、下北沢から再び市ヶ谷へ。幹事会を終えて、居酒屋で飲んでいる幹事たちに合流。このごろ、若い期の参加が増えたので、会長以下大喜び。やたらと盛り上がって11時半まで。Mさんと途中まで一緒に帰る。0・30帰宅。更新。
7月27日(金)快晴
 
朝、風があり、いくぶん涼しい。

 昼、会社の近くの公園で人だかりがするので、のぞいて見たら、テレビの撮影。酒井若菜が来てるとか。酒井彩名も若菜も区別がつかない。酒井とくればやっぱり和歌子だよな。

 PM7、下北沢・本多劇場で岸野組「まだ見ぬ幸せ」。亡くなった松原敏春氏の作品。夫婦の愛のすれ違いをコミカルに描いたもの。互いに分かり合えない男と女の心の機微。まるで実生活をそのまま活写したかのような、よくできた作品だ。静まり返ったシーンで客席の幼児が、舞台に向かって大きな声で叫んだりするので、ハラハラしたが、さすがに座長の岸野幸正、あわてず騒がず、アドリブで切り抜けていた。その後、母親が子供を外に連れ出したが、携帯と幼児は芝居の天敵。

 終演後、楽屋見舞い。遊◎機械の白井晃さんが来ていた。「どうも、お久しぶりですね。Mさんは元気ですか?」と言われる。Mは大学時代、白井さんと交流のあった劇研の仲間で、今弁護士をやってる私の同級生。白井さんに「観客席」の話をする。「懐かしいですよ。ちょうど公演が重なったので観られなかったけど、大学1年の時、出てたんです。ボートを運ぶ青年役で」。小竹信節氏は、「白井は天井桟敷の舞台でガヤをやったというとイヤがるんです」と言っていたが、そうでもないみたい。

 メイク落として楽屋から戸田恵子さん登場。「ありがとうございます」とニッコリ。「朝の仕事があると、それがつらくて」とボヤキ。「ちょっと待って」と楽屋に引っ込んで、戸田恵子のネームが入った特製ハンカチをくれる。

 白井さんと駅の改札で別れ、小田急線に。家に帰る途中、会社に寄り、今日届いた大事な荷物を抱えて、家路につく。10・30帰宅。お風呂上りに、会社で冷やしておいた旨いビールをグイッ。ほろ酔いになったところで、日記を書いて本日の業務終了。
7月26日(木)快晴
 
今日はやや気温が下がり、比較的過ごしやすい一日。掲示板の書き込みで田舎の中学の剣道部が県大会で優勝し、全国大会に進出することを知る。2年続けての全国大会。かろうじて団体戦に出場できる数の部員しかいないのに、快挙。従兄の息子も出場してるので田舎に電話する。

 続いて、30年ぶりに中学時代の恩師に電話。30年以上たってるのに、声を聴いたらつい昨日のことのように思えてしまう。懐かしい情景が目に浮かんでくる。怖い先生と評判だったが、生徒に対して理由ある、きちんとした叱り方をしていた。今、ちゃんと叱ってくれる先生は少なくなったように思うが、どうだろう…。

 テアトル・エコー「ブローニュの森は大騒ぎ」。没落した貴婦人が生活を維持するために、屋敷をコールガール組織に貸し出すはめいになり、最後は自分も…というフランス、ブールヴァール劇(俗っぽい大衆喜劇)。娼婦ニッキーを演じた石津彩に興味。
 夕方、上野でF氏と久しぶりに一杯。自家製のヒバの靴下敷きをいただく。ヒバの香りがするスグレもの。9・00帰宅。今夜はゆっくり眠れそう。目標10・00就寝。

7月25日(水)快晴


 ネットを始めて4年余り。普通に生活していたら絶対に交差することのない、いろいろな人との出会いがあった。つい先日も、ふとしたきっかけで、中学校時代の恩師のお子さんとメール交換することになった。ずっと気になっていた先生の消息も知ることができた。これってスゴいことだと思う。今、ネットをめぐって、負の側面がクローズアップされているが、私の場合、幸いにしてそうした「負」の部分とはほとんど縁のないネット生活をしてきた。このサイトにきてくれる人たちもみんないい人ばかり。なんだか自分がすごく恵まれているような気がする。


 昼、駅のそばを通ると、大勢の人波。「オオギチカゲ、オオギチカゲ今、みなさんの中に入って握手をしています」。カップルが、「誰、」オオギって?」「知らない。お母さんに聞けばわかると思うけど」。しばらくたってまた通りかかると「ユキオちゃんがもう少しで到着です!」という絶叫。鳩山センセイか。しかし、駅前はガラガラ。「ユキオちゃん」と関係者に叫ばせる割には、人気ないみたい。

 PM8、ベランダで花火。「ドーン」という音がするので、音のする方角を眺めたら、大輪の花が夜空に咲いている。隣りの市で花火大会か。こちらはささやかな花火。

 あすは幽霊の日。東海道四谷怪談が初演された日だそうで、よかったら「お題拝借」の怖い話にもぜひ書き込んでください、皆様。
7月24日(火)快晴

 「今日も暑いね」というのが会う人ごとの挨拶代わりになってしまった。昼に外食するのさえおっくうになるのだから、すさまじい猛暑。

 夕方、東中野で1年ぶりにTくんと会う。従姉妹の息子で、新聞配達をしながらW大に通っている。毎朝3時半起き、夕刊の配達もあるので、自分の時間も細切れ。途中で挫折する奨学生が多いというのに、くじけず頑張ってるのだから偉い。いまどきこんなマジメな学生がいるのかと思うくらいマジメ。わが親戚ながら誇りに思う。

 PM7・30。新宿花園神社で野外劇「新宿〜路地裏の空海」を観る。事前に「きょうは混みますがよろしいですか…」と言われていたが、なるほどスゴイ客の数。400人以上か。星屑の会のメンバープラス椿組の役者たち。渡辺哲が主役を張って大車輪の活躍。最後の屋台崩しでは本火まで使い、大迫力。野外劇の魅力ここにあり、か。

 終演後、その場で「毎日打ち上げ」。加藤健一事務所のAさん、加藤忍、事務所出身の若い役者たちと乾杯。Aさんが紹介してくれた3人の若手が11月に初プロデュース公演をやるという。演目を聞いてびっくり。北阪昌人のラジオドラマ「水の行方」だ。彼らの熱意にほだされた北阪氏が自ら演出も引き受けたという。意外なつながり。応援しようか。

 川上史津子が以前から話していた自作のエロティシズムあふれる短歌を見せてくれる。ウーム、林あまりよりはうまい。なかなかいい線いってるではないか。ただ、出版は今の不況では難しいかも。離風霊船の神野美紀、伊東由美子、そして楽天団の和田嘉夫氏らと談笑。時計を見たら11時。時のたつのは早い。まだ夜はこれからといったみんなに別れを告げて引き上げる。途中、高取さんに電話すると「今、方南町です。稽古があったので」との返事。ゴールデン街だったら顔を出そうと思ったのだが。0・30、帰宅。
7月23日(月)快晴

 参院選まであと1週間。相変わらず小泉サンの支持率は高位置をキープしているというが、改革の中身をあいまいにしたまま選挙を乗り切ろうという、ゴマカシが許されるんだから楽なもの。

 竹中流構造改革もイマイチわからん。グローバリズムという名の日本社会のアメリカ化? IT革命を絶賛してきた竹中はそのアメリカのシリコンバレーで去年の1月から12万人以上が失業しているという事実をネグっていないか。

 さらに、構造改革で10万〜20万人の失業者を想定しているが、民間シンクタンクではその3〜5倍になると予想している。それだけの失業者をどう受け入れるのか。
 口を開けば「痛みを分かち合う」なんて言うけど冗談じゃない。今までさんざんおいしいところを食い散らかしてきた連中が国民に「痛みを分かち合おう」なんてよう言うわ。

 山登りのパーティーは一番体力のない人に合わせて行程を調整するという。それなのに、今の「構造改革」とやらは、体力のある連中が、道中で、みんなが持参した水や食い物をこっそり飲み食いして、体力を温存し、ときには道端に食い物を捨てたりしたあげく、先行きがきつくなったから、体力のない人は勝手に脱落して野山の草を食って生きのびてくれと言うようなもの。他人の痛みを知らないリーダーたちが、自分たちの保身のために弱い者を切り捨てる。これって勝手すぎないか。小泉サンなど森政権を最後まで支えた派閥の長。それなのに、首相になったからといって過去が清算され、改革のリーダーだなんて笑ってしまう。それで、言うことが靖国神社公式参拝だとか憲法9条の破棄という中曽根大勲位追随の右ターン政策。この人がなぜ人気があるのか、まったく理解できない。ムードというのは恐ろしい。

 PM5・30帰宅。夕食を済ませて子供と屋内プールへ。待ち構えていたように、「プールへ行こう」とせがまれては仕方ない。娘と3人でPM8まで。家に戻り冷凍庫で冷やしたビールをクイッ。旨い!
 しかし、我が家の財政再建も急務ではあるなあ…。
7月22日(日)快晴

 正午、娘のピアノの搬入。一番小さいタイプだとはいってもそこはグランドピアノ、一部屋まるごと占拠する大きさ。作業する人は手馴れた手順であっという間に狭い部屋に設置してくれる。しかし…。自分の世代ではグランドピアノなど夢のまた夢、自分の世界とはかけ離れた遠い別世界の人たちが触れる楽器としか思えないので複雑な気分。なにかとんでもないことをしているような…。貧しいよなあ、やっぱりわが世代。それともオレだけが貧乏症?

 暑くてPCの前に座ってられない。掃除、買い物で午後はつぶれる。夜、ベランダで花火。あまりハデなのをやると消防署に通報されるから、ささかやな花火を。HP少し更新。
7月21日(土)快晴

 
新潟8Rで畠山吉厩舎のスナークテイオーが勝ち、馬連2070円をゲット。ラッキー。
 
 PM3。新宿シアタートップスでリブレプロデュース「ロス・トレス・クアルトス〜3つの部屋」。ホテルの一室を舞台にしたオムニバス。わかぎゑふ(リリパットアーミー)、千葉雅子(猫のホテル)、伊東由美子の書き下ろし。3話目の千葉雅子の物語が一番面白い。福士恵二がフリーライターというフツーの役をやってる。この線もいいかも。

 紀伊国屋で「すばる」8月号を買う。寺山修司特集。一気に読了。

 PM7。俳優座劇場で日韓共同制作の「間〜HAZAMA」。新宿梁山泊の金盾進が演出。近藤結宥花ほか梁山泊の役者、影法師、劇団1980、韓国の劇団コリペ、ジョイフルシアターが参加。朝鮮出兵を背景にした対馬藩領主・宗義智の苦悩をモチーフに、日韓の真の友好と希望を謳いあげる。
 終演後、金盾進に挨拶。「これが終わったらまた韓国に行って映画の撮影準備です。92戸もオープンセットを作ったから、これはすごいですよ」と梁石日原作の「夜を賭けて」への意気込みを語る。
 さすがに週末は疲れる。そのまま家路に。10・30帰宅。
7月20日(金)快晴
 

 8時にアラームの音で目が覚める。ぐっすり寝ていた。ここはどこなのだろうと一瞬考えた。目が覚める寸前、久しぶりに死んだ母の夢を見ていた。まだ頭の中は半覚醒状態。そのまましばらくベッドの中でまどろむ。しかし、そのまま眠りをむさぼっても時間がもったいない。起きてシャワーを浴び、朝食。

 10時にチェックアウト。鴨川沿いを歩くと釣りをしている人が何人か。鮎釣りだ。ビクの中できらりと光る魚影はかなり大きい。

 川の段差の岸辺でゴイサギとコサギが川下から跳ね上がってくるジャコを狙ってじっと佇んでいる。ときおり、くちばしが川の水に突き刺さる。その瞬間をカメラで狙っているおばさんが一人。「今はジャコとアユ、それにオイカワがおるね。あれがオイカワ」。見るとジャコに混じって悠然と泳いでいる鯉のように大きな魚。しばらく川岸にたって、ゴイサギの魚獲りやオイカワの遊泳を観察する。見ていて飽きない。四条の橋の上から観光客が川面を見下ろしている。

 昨日の”おかあさん”が「スイコウドウ」に行ってみたらよろしゅうおすえ」と言ってたので、スイコウドウを探すが、ホテルの人も交番のおまわりさんも知らないという。聞き間違いか。睡蓮堂? 京都に詳しい人は? そうだ…と、鴨川から北海道のちょめっちに電話。突然の電話でびっくりしたみたい。「16年も帰ってないし…」というちょめもスイコウドウは知らないとか。やっぱり私の聞き間違いだろう。

 それじゃ、と八坂神社へ。神社の入口脇に巨大な「日本共産党に投票を」の看板。さすがに反中央意識の強い京都ならではの風景か。伝統と誇りの町。薩長の田舎者が作った東京とはやはり情緒が違う。天皇も早く東京なんぞを引き払って京都に帰ればいいものを。

 そこから清水に歩こうとしたが、途中、「坂本竜馬の墓」につられて護国神社へ。明治の志士をまつった神社。息を切らせながら長い坂を上り、たどりつく。参拝の途中で中年の男数人のグループとすれ違う。「だからさ、東京裁判は間違ってるんだよ。あんなインチキな裁判はないんだ。日本は正しかったんだ」。大きな声。さすが護国神社、そっち方面の人が多いみたい。思わず苦笑。幕末に斃れていなかったら坂本竜馬はどんな明治維新を行ったのだろうか。やはり権力は腐敗したか? 英雄は夭逝すべきか?

 なんだかげんなりしてしまい、清水に行く気力を無くす。タクシーをつかまえて京都駅へ。12・50の新幹線で一路東京へ。来るとき、本屋で買った鮎川哲也の「人それを情死と呼ぶ」を読む。1961年の作。本格派らしい意外な展開と結末。これは「鬼貫警部事件簿」シリーズの1作というが、中に出てくる長身でヤセ型の刑事・石井刑事はシリーズの常連なのだろうか。彼の描写で「生まれた故郷は大湊の先にある漁師町。イカがふんだんにとれる町で彼は育った」とある。これは下北半島だろう。石井刑事の出身はどこか? 大畑? それとも…。

 途中からぐっすり眠り込んでしまう。ビールとつまみを買ったはいいが、3席並びの真ん中の席で、両側は若い女性。彼女たちにはさまれて、ビールを飲むというのは、どうにも気が引ける。冷えた缶ビールは足元に置き、水でノドを潤す。昼の疲れからか、いつの間にか眠っていたようだ。PM4・30。東京着。

 帰宅は5・30。休む間もなく、子供にせがまれ、近くの屋内プールへ直行。8時まで。その後、近所の子供祭りへ。もう疲労困憊。明日は仕事。早目に寝ようと思ったが、日記を書いているうちにすでに11時過ぎ。きょうも密度が濃い一日だった。
7月19日(木)快晴

 代休。散々迷ったあげく、やはり奈良での維新派公演に行くことにする。

  午前中、旅行代理店で夏の帰省列車のキップの支払い。その後、ピアノ営業マンの訪問あり応対。帰った後、急いで支度。ネットで検索しビジネスホテルを確保。こんなとき、ネットは便利。

 PM1・21.東京駅から新幹線で京都へ。3・59着。4・15、近鉄特急に乗り換え、大和八木。そこで急行に乗り換え、5・36、室生口大野駅着。室生ダムのある村で、駅舎のトイレは板で仕切っただけの昔の小学校のトイレと同じ。駅を降りると村のボランティアが案内板を掲げている。山奥に入るわけで、ここで食糧を確保しようと、駅前に1軒ある食堂に入る。弁当を注文。評論家の大笹さんが食事をしていた。こんな山奥で東京の見知った顔に出会う。不思議な気分。

 駅から25分ということだが、坂道が多く、30分以上は歩くことに。みるまに汗びっしょり。セミの合唱、川で釣りをする人の姿。巨大な磨崖仏も。ようやく会場の県営グラウンドに到着。巨大なひまわりがグラウンドに植えてある。維新派の小道具。その数1000本。

 受付を済ませて、会場周辺を観察。遠くに山々が連なり、まさに大自然の中の野外舞台。制作の衛藤さんの姿を見つけたので挨拶。
 7時開演。8割の入りか。今回は映画のオープンセット並みの維新派独特のオブジェや建築物もなし。だだっ広いグラウンドで展開するだけなので、どうなることか心配半分だったが、それは杞憂だった。グラウンドの照明などをうまく使うことによって、山中に見事な幽玄美の舞台を出現させた。照明に群がる無数の虫、舞台をオニヤンマやクロアゲハが横切る。南港の維新派ではない、新たな維新派の冒険。観に来てよかった。これも語り草になる。

 終演後、演出の松本雄吉さんが「今回の舞台は照明がすべてですからね。こんな山奥にお客さんが来てくれるんだろうか、と思ってたけど、みなさんよう来てくれて」と笑う。舞台の余韻を残したまま、臨時のバスに乗り込み、会場を後にする。9時15分。真っ暗な山道。よくこんな場所で野外劇をやろうとしたもんだ。9時20分の急行で京都まで引き返す。10・45着。

 京都駅に着くと高取さんから携帯に留守電が入っていた。「今、京都なんです」と電話すると、「それなら祇園にある串揚げの店”H”に行ってみれば」と言われる。なんでも映画評論家・松田政男さんの知人がやってる店とか。疲れたので宿に直行しようと思っていたが、それなら、とタクシーで祇園に。京都のタクシーはアイソが悪いし、乗り場は客の取り合いで殺伐としている。祇園が近いせいか、運転手はムッとした顔。

 有名な「一力」のそばに店はあった。小さな串揚げ屋さん。東京から来たという一組の夫婦がカウンターに。”おかあさん”は70代だろうか。松田さんとは60年代の京大西部講堂での様々なイベント以来のつきあいとか。若い頃の舞妓さん姿が壁に張ってあったが、ものすごい美人。幕末の志士、武市半平太の愛妾だった舞妓さんの名前を引き継いだというから、京都の舞妓さんの中ではかなりの有名人だったようだ。
 0時、店を辞して河原町のビジネスホテルへ。タクシーを止めたら「あっちは混んでるから。悪いね、乗車拒否じゃないからね。お客さん」と言われてしまう。
 仕方なく歩くが、20分くらいかかる。なんか、京都のタクシーってヤな感じ。
7月18日(水)快晴
 
代替出社。体のリズムがずれたのか居眠りから目が覚めず、朝の電車を乗り越してしまう。たった3駅だけど。

 PM4、上野で「A・I」を観る。「ピノキオ」を下敷きにしているという共通項を別にしても、これは手塚治虫の「鉄腕アトム」ではないか。しかも、残り30分の展開は「火の鳥」だ。「ライオンキング」に続いて手塚治虫がパクられている。スタンリー・キューブリックは「2001年宇宙の旅」の映像アドバイザーとして手塚治虫を招聘したが当時超多忙の手塚はこれを断った。もし手塚治虫が「2001年宇宙の旅」に参加していたらどうなっただろう。それは別にしてもキューブリックが手塚治虫に多大な敬意と興味を持っていたことは確かだ。最初の方のシーンで少年が目にした飛翔物は孔雀と表現されるが、あれは「火の鳥」にほかならない。人間になれずに苦悩するアトムと、永遠の生命の象徴・火の鳥がドッキングした物語。それが「A・I」だ。

 PM7、浅草アドリブ小劇場で「ローラ?」を観る。1974年に寺山修司が作った短編映画「ローラ」に新しい映像と芝居を加えたもの。スクリーンの中に現実の人間が飛び込んでいくというのは、キートンの映画であったが、ホントウの銀幕にホントウの人間を飛び込ませ、虚実の皮膜を行き来したのは寺山修司が初めてだろう。

 終演後、シーザー、森崎偏陸、白石征、林檎童子、三上宥起夫、大沢由喜の各氏らと居酒屋で飲む。シーザーは「そろそろ呪縛を解かれてもいいんじゃないか、って言われるけど、オレは今だって寺山さんの手のひらの上にいるようなもの。寺山さんは偉大だよ」と。初期天井桟敷のメンバーが多いため、自然と60年代末の海外公演「邪宗門」の話題に。「台本は寺山さんが行きの飛行機の中で書いた。音も当日朝ようやくあがって。でも、現地に着いてほかの劇団の芝居を見たら、それに刺激されて寺山さんがすぐに別のホンに書き換えるんだから、ホント、天才だね」
 寺山さんのエピソード多数聞くも、酔った頭では拡散するばかり。

 11時半、最終電車に間に合うように家路に。
「新しい映像が追加されるから、もう一回見に来てよ」と根本さん。
 1時、帰宅。HP更新。2時就寝。
7月17日(火)快晴
 
明日の休みが変更になり、水曜出社となったので、今日の予定を一日延ばし、夕方、早目に帰宅。夕食後、ちょこちょことHPをいじる。
 買ってきたプシンのアルバム「カラーズ」と久保田麻琴の「オン・ザ・ボーダー」を聴く。熱帯夜はやっぱりレゲエフレイバーの曲がいい。
7月16日(月)快晴

 
会社から家に直行すると灼熱地獄が待っているので、陽が蔭るまで映画館で待機。睡眠不足の脳を活性化させるには冒険活劇が一番。というわけで、途中下車して「ハムナプトラ2」を観る。1作目はCGの見事さに驚いただけで、インディ・ジョーンズの二番煎じという印象しかなかったが、2作目は前作よりはるかにパワーアップ、二重三重の仕掛けで最後まで飽きさせない。砂漠の戦闘シーンには思わず息を呑む。随所にユーモアを織り込んでの一級エンターテインメント。大人も子供も楽しめること請け合い。

 この暑さで夜中に何度も目が覚めるから、完全な寝不足。昼食後など、猛烈な睡魔に襲われ、机に座ったままガクンと前のめりになりそうになる。暑くてトレーニングも滞りがち。夏は太りそう。なんとかしなくちゃ。
7月15日(日)快晴

 
毎日、暑い暑いと嘆くのも芸がないが、この殺人的な暑さには閉口する。労働意欲がなくなり、更新意欲も減退する。家の中にいてもそうだから、屋外では想像を絶する暑さ。クーラーの効いた会社で仕事している方がよほどマシだ。ああ、会社が恋しい…。

 改装した部屋のカーテンとカーテンレールを買いに3つ先の駅まで行く。そこが安いというのだが、どこでも一緒だと思うのは男の考えか。

 買い物済んで家に帰り、カーテンレールの取り付け。その後、Tさんに電話。5日のこと。iモードの電話にしたという。これからメールできる。

 4時、埼玉県の戸田に出かける。久しぶりに岸野組の芝居に出ることになった戸田恵子さんの稽古をのぞきに行ったのだ。着くと通し稽古が終わるところ。今日は通しを一回やっただけで、終了。戸田さんがかつら合わせしている間、出演者の武岡淳一さんと話をする。子役時代からキャリアの長い武岡さんだが、2月の早生まれとかで、学年は同じ。つい話がはずんでしまう。彼が中学生の時、東京からNHK名古屋に毎週出かけて「中学生群像」(中学生日記の前身)に出演していたという。そのとき、同じクラスメートが竹下景子、三ツ矢雄二、そして2つ年下の後輩役で戸田恵子さん。今回の舞台は武岡さんにとって20数年ぶりに戸田さんと共演することになるのだとか。「東京壱組」時代から武岡さんは気になる役者だったが、初めて話してみて、同級生のような気安さを感じてしまった。

 さて、戸田さんと会うのは3年ぶりか。三谷幸喜の舞台やテレビで急に売れっ子になってからすっかり会う機会もなくなった。
「全然変わりませんね」と言うと「お互いにね」とニッコリ。今は一日もオフの日がないという。そんなに忙しくて、体を壊さなきゃいいけど、とつい心配になる。7年前に、娘の誕生日にアンパンマンの声でバースデーテープのプレゼントしてくれた戸田さん。「娘ももう中2ですよ」と言うと「えっ、もうそんなに…」と驚いていた。
 今日で稽古も一段落とかで、稽古終了の乾杯。6時、戸田さんにさよならをして家路に。外の熱気がスゴイ。

 9・20。テレビ「知ってるつもり〜30年目の赤軍」を見る。テレビ局はひとに総括を求めるより自分の犯罪の総括でもしておけと言いたくなる。度し難い傲慢な作り。エラソーな批評タレ流しの電波芸者、江川紹子と泉谷しげるもなんかイヤ。この頃、泉谷どうかしたのか?
7月14日(土)快晴

 
昼食後、仮眠室で横になったら吸い込まれるように眠りの中に。気がつくと4時。今日は娘のピアノ部屋の防音工事。夜の観劇予定をキャンセルして家に帰る。義母の友人が原価で材料を持ち込み、工事してくれるので、手伝いを。吹きだす汗。たまらない暑さ。なんとか8時には工事終了。雑然とした部屋は明日片付けよう。買ったばかりのキャノンのスキャナーをインストール。使い勝手が違うのでとまどい。とにかく暑い。更新の意欲も萎えてしまう。

 10時。携帯に青森にいる友人のBから電話。「ちょっと待って」と電話を代わると、「私、わかる?」とTの声。エッ、何で? 続いてSが「今、十和田にきてるんだ」。Aさんを含めて4人で「A・I」を見て、これから飲みにいくのだとか。「うらやましがらせようと思って」とBが笑う。確かにウラヤマシイ。羽があったら飛んでいきたい。ウーン、今夜はもう寝よう。
7月13日(金)快晴

 
今日もまた蒸し暑い一日。昼休みに銀座で開催中の昭和30年前後会のランチオフ会を急襲。Rikoさんと対面。みなさん、さすがにオトナの雰囲気。

 4時15分、有楽町駅でKさんを出迎え。北海道と気温差20度とか。すずらん通りの喫茶店「薔薇屋」でお茶。6時にOさんと合流。居酒屋へ移動。7時半過ぎにはDさんも到着。4人で乾杯。といってもKさんはウーロン茶だが。初めて会うにもかかわらず、話がはずむこと。途中、Bさん、D治郎さん、Y子さんに電話。大盛り上がり大会になるが、翌日は仕事。11時にお開き。Kさんを見送って解散。帰宅してシャワーを浴びたらそのままダウン。更新は翌日。
7月12日(木)快晴
 
暑すぎる。外回りの営業マンは大変だろうなあ、この暑さじゃ。
 PM6・30、渋谷にオープンしたセルリアンタワーの中にある能楽堂で「天守物語」。セルリアンタワーは初めて行ったが、超豪華。まるでバブル時代の建物。慇懃な東急グループのホテルマンがあちこちに待機していて、Tシャツにジーンズでは気後れしそうな雰囲気。

 能楽堂は地下二階。受付で後ろから「○○さん」と声を掛けられる。振り向くと川上史津子。6年前に某劇団で一緒した女優さん。当時、同じ舞台に立った役者たちは今でも私のことを「○○」という出演者名で呼んでくれる。開演までソファでお話。

 「天守物語」は松坂慶子がずっとやりたがっていた舞台。能楽堂ができたために、急遽実現したのだ。松坂慶子は「さくや妖怪伝」の女郎蜘蛛の妖艶さを漂わせ、富姫役を嬉々として演じている。李麗仙、麿赤兒の元状況劇場コンビが脇を固める。図書之助役の富田靖子の凛々しさがいい。
 約1時間半。終演後、出口で米屋尚子さんに会う。「芝居探検隊」のメンバー。結婚して子供が生まれたと聞いたが、「5歳になりました」とニッコリ。久しぶりだったが、ちっとも変わっていない。10時帰宅。
7月11日(水)快晴

 
定休日。暑さでげんなり、夕方まで何もヤル気が起きない。7時を過ぎてようやく風が出始めた頃、乱雑な部屋の片付けに手をつけるのだが、一日の疲れが出て、結局中途半端で終わる。この暑さときたら…。
 夕方、テレビで小泉総理と女性100人が語る、なんていう番組。学校から帰ってきた娘まで、「小泉さんて人気あるんだよ」。家内も「小泉さんなら何かやってくれそう」ーー。いやはや…。

「痛みを伴う改革」の痛みのひとつに企業の淘汰があるなら、失業の憂き目にあうのは同輩たち。実質的な増税でシワ寄せがくるのは低所得者。一方で、気の遠くなるような額の退職金を天下り先を渡り歩くだけで手にする官僚たちがいる。それなのに、「改革」の中身もわからないまま支持する国民って何だ?

 支持率80%は、支持を強制された全体主義国家か、あるいは判断停止した政治オンチ国民のいる国ということで、欧米では物笑いのタネらしい。前任者のタマが悪すぎた反動を割り引いても、今の支持率なんてのは異常だ。このまま、選挙で自民党が圧勝するなら、小泉改革の足を引っ張る手合いが増えるばかりだし、負ければ小泉下ろしの策動が勃発する。どっちにしろ小泉は用無しという矛盾をはらんでいる。

 そのうち、教科書問題を機に日本は再びアジアで孤立、皇太子の世継が誕生、天皇万歳の大合唱。失業者の一掃と、鬱々とした国民のフラストレーションのはけ口を解消するには戦争が一番、ってな展開にもなりかねない。熱狂すると一つの方向に雪崩をうつ国民性からして絵空事じゃないだろう。もしも霊魂というのがあるのなら、先の大戦でうらみを残したまま死んだ何百万人もの戦争の犠牲者の魂。それが国会にとりついてくれないものか。しかし、戦争亡者の中曽根大勲位とか、子泣きじじい宗男とか妖怪ばかりだしなあ…。考えてもしゃーない。国会先に立たず。ウーン、オチナイ。
7月10日(火)快晴

 「空日照り メラメラ修羅〜♪」by伊藤銀次の一日。仕事順調も「なんだかんだの涙橋」by林美雄で4時まできっちり。5時、下北沢へ。
 
 下北沢は相変わらずの賑わい。それでも決して駅舎を拡張しないところがいい。ただでさえイモの子洗い状態が加速されること必至。小遣いが増えれば、それだけ消費が増加するのと一緒で、今のままの小さな下北沢駅でいてほしいものだ。

 「ザック」でお茶を飲もうと覗いたら、高取さんと吉田光彦さんがいて、次回公演のポスターデザインの打ち合わせを終えたところ。高取さんはその後、新宿で流山児の野外劇を見に行くとかで帰り、吉田さんと二人でよもやま話。6時半、駅前で吉田さんと別れて駅前劇場へ。長塚ジーザス「テキサス」。長塚京三の息子、圭史とハイレグジーザスのユニット公演。ハイレグメンバーがいつもの河原雅彦総代の作・演出とは一味違った物語芝居をマジメにやってるのがおかしい。どちらかといえば松尾スズキの世界に近い。今は松尾がトレンドか。

 隣りの席に座ったのが劇団☆新感線の山本カナコと村木よし子。カナコとは何年か前のRUP「河童」以来、顔なじみ。「その節はお世話になりました〜」と村木に紹介してくれる。今は幡ヶ谷に住んでいるとか。「ハイレグは好きじゃないけど、友だちが出ているので」とカナコ。青山劇場でやる「大江戸ロケット」の稽古中という。

 9時終演。急いで電車に飛び乗り稲荷町へ。ジョナサンでTGCのDさん、Oさんと会合。密かな野望を話し合う。11時30分、解散。家路につく。0・50、帰宅。
7月9日(月)快晴

 
あすは「ウルトラマン」放映開始記念日。先週から「ウルトラマンコスモス」が始動したが、35年目のウルトラマンは怪獣退治じゃなく怪獣の保護を主眼にしているとか。お伽話や昔話から残酷性が取り除かれる時代、ついにウルトラマンもか、という気がしないでもない。

 でも、「残酷なこと」「悪いこと」から子供たちの目をそらせば、子供たちが明るく健全で、公平な子供に育つのだろうか。子供はもともと残酷なもの。トンボや蝶の羽をむしったり、虻の羽を半分取って糸の先にしばって飛ばしたり、カエルを解剖したり、アリの巣に2B弾を突っ込んで爆発させたり、フグを膨らませてふんづけたり、生きたヘビの皮をはいだり…。昔の子供の遊びなんて、そりゃ残酷だった。
 でも、大人になるにしたがって、生き物の命の尊さを自然に学んでいく。

 昔話もそうだ。子供の頃、寝る前におばあさんが話してくれた昔話は残酷描写のオンパレードだった。カチカチ山のタヌキがおばあさんを杵で叩き殺して”ばばあ汁”にしておじいさんに食わせたり、赤頭巾ちゃんをだました狼は腹に石を詰め込めれて井戸に落とされて死んだ。カニのお母さんを殺したサルはその報いを受けてカニの子に復讐され惨死する。

 でも、今の絵本はカチカチ山のおばあさんはケガをするだけだし、タヌキもサルも最後に謝って赦される。確かに、理念としてはわかるけど、昔話から残酷さを取り除けば健全な幼児教育になるのだろうか。どうも納得できない。善を教えるには悪も、ヒューマニズムを教えるには人間の残酷さも教えなければ、と思うんだけど。

 その一方で、テレビのバラエティーは相変わらず弱いものイジメや性的な描写のタレ流しで視聴率を稼いでいる。お伽話の残酷性よりよっぽどテレビのバラエティーの残酷さが子供の精神を蝕むと思うのだけど、日本一の高給取り集団、テレビマンには聴く耳ないだろうな……。日本一の高給取り集団…。どうもこの時期になると、きゃつらに腹が立つのはなぜだ?
7月8日(日)快晴
遊撃戦 
午前10時、来客あり。夕方まで。昼に飲むビールは効く。眠気をおして、PM5、理髪店へ。帰ってきて「遊撃戦」を見る。1966年放送のドラマ。驚嘆すべき映像。こんな質の高いドラマを当時は放送していたのかとガク然となる。当時小学生だったが、子供心にこのドラマが強い印象を残した理由がわかった。7人の独立愚連隊が中国・桂林の飛行場爆破の秘命を受けて、敵中突破していく。アクション、人間描写、戦争の実体、どれもがご都合主義を排した綿密で骨太な脚本で描かれている。さすが岡本喜八監督の監修。今テレビで放送されている若者向けドラマがなんとまあ、貧弱に見えることか。久しぶりに胸躍らせるドラマと出会った。見終わるまであと2巻か。ちょっと、ふところが痛いけど…。7人の中で最年少、18歳の初々しい兵隊を演じているのが寺田誠。今は麦人という名前で、アニメファンにはおなじみ。前進座、5代目嵐芳三郎の三男で、姉が寺田路恵。役者一家だったんだ。知らなかった。
7月7日(土)快晴
 
6時過ぎまで会社で雑用。PM7、新宿紀伊国屋サザンシアターで青年座「成層圏に棲む鵺」。ヒロシマ、ナガサキ直後の日本軍の秘密作戦を主軸に伝奇的要素を盛り込んだ物語。意図的にか、会話のトーンをフラットにしているので、後方の席ではセリフが聞き取りにくい。しかも、セリフ主体で動きがあまりないため、聞こえないとなおさらつらいものがある。演出再考の余地あり? 物語としては鐘下辰男の新展開か。
 10・30帰宅。七夕の短冊を書いて笹につける。いつもながら家族の「健康」が一番。

 70年代青年マンガのリバイバル・ブームとか。中でも上村一夫の「同棲時代」がうけているらしい。漫画アクションに連載されていたもので、ちょうど上京した頃だ。あの頃のアクションはまさに黄金時代。大友克弘のデビュー作もそうだし、子連れ狼、柔侠伝、高校生無頼控etc百花繚乱。毎週、アクションを読むのを楽しみにしていた時期があった。そういえば、読者プレゼントでもらった同棲時代の絵の入った特製便箋、まだ持ってるけど、あれも今となってはお宝か?
7月6日(金)快晴夕方小雨

 
きょうも暑い一日。PM3〜4・30。大塚、スタジオVARIOでオフィス・サエ「広島の姉妹」を見る。「ほたる」で有名な山本真理子原作の戦争民話。広島で原爆に被災した姉妹の物語を、あえて戯曲化せず、原作のまま、一人称の語りとして舞台化したもの。7人の若い女優がそれぞれセリフを分担する。予断なしで見たが、露川冴の正攻法演出がいい。小さな舞台をうまく使い、広島の焼け野原をシンプルな舞台装置と想像力で再現する。役者たちも拙い部分もあるが、それを気迫でカバーしている。思わぬ好舞台。途中から涙をこらえるのに必死だった。1時間半の小品で、観客も20人ほど。もっと多くの人に見てほしい舞台なのに…。監修で若林彰氏が助っ人。佐々木昭一郎作品でおなじみの俳優。1カ月ほど前、佐々木氏の縁で若林氏から手紙をもらったのだった。露川さんを通してここでも縁があるとは。振り付けは友人の土井美和子さん。やはり縁だ。

 1週間ほど前から、左目が赤く充血して、体調いまいち。疲れやすい。帰り、秋葉原に寄りDVD「遊撃隊」を買う。66年のテレビドラマ。当時小学生だったが、佐藤允率いる独立愚連隊の中国縦断行は強く印象に残っている。後で岡本喜八の監修したドラマと聞いてなるほどと思ったが、今ではカルト的な作品として人気があるらしい。早めの帰宅。夕立ち。今日はすこしは過ごしやすい夜になるか。
6月5日(木)快晴

 
アスファルトまで溶けそうな猛暑。昼食をとるために外に出ると体が蒸発しそうな熱気。
 PM7。信濃町・文学座アトリエで「ペンテコスト」。松本祐子の演出。3時間半の超大作ながら、飽きさせずに最後まで引っ張る手腕はさすが。しかし、体調がイマイチで、後半は緊張感が途切れることもしばしば。頭痛がするので痛み止めを飲んだためか、眠気に襲われる。10・30終演。11・50帰宅。寝ているはずなのに、この頃やけに眠い。
7月4日(水)快晴

 
ピーカン照りの一日。午前10時。NTTの技術担当者が来訪。ADSLの接続不能の原因を調べる。ほどなく、「これかもしれませんね」と、東京電話のアダプターを発見。TTネットに加入したとき、回線アダプターをつけたもので、マイラインに加入した後もそのままにしていたのだ。それを取り外すと今まで接続できなかったADSLが難なく開通。4日目にしてADSLを初体験。なるほど早い。しかし、習慣とはおそろしい。長くつないでいると、時計が気になって落ち着かない。貧乏症。

 トランクルームから夏服と扇風機を運んでくる。今年初の扇風機。お昼、近くのダイエーで食事。食後に飲んだざくろジュースの味は子供の頃飲んだ粉末のジュースの味を思い出させる。田んぼや畑に祖父や祖母が一升瓶に詰めて持っていったっけ。それを作るのが子供の役目。大人は炭酸入りのソーダ水を好んだが、子供の舌にはあのソーダ味は合わなかった。なんであんなまずいのを飲むんだろうと思っていた。ビールもそう。あんなにまずいのを、と。味覚も感じ方もオトナになれば変わってしまうことを知らなかったのだ。

 夕方、半券の整理。スキャナーで取り込み。30枚くらいスキャンすると、フリーズ。強制終了。立ち上げて、一からスキャン。すると、30枚ほどでまたフリーズ。強制終了。そのうち、スキャナーがウンともスンとも言わなくなる。結局、1時間以上かけて元の木阿弥。今度はスキャナーがいかれたか。モノは壊れるものといってもタイミングが悪い。

 珍しくテレビを見る。美空ひばり特番。亡くなった時、52歳だったということにあらためてガク然とする。そんなに若かったんだ。いや、自分がそれを若く感じる年齢になったということだろう。美空ひばりが小首を傾げた東京ドームコンサートのワンシーンのナゾを初めて知る。いつになく泉谷しげるが殊勝なコメント。

 ジェームス・テーラーの歌声を聴きながら過ごす就寝前のひととき。

 初めて東京に来た年の夏を思い出す。夜はいつも汗みずくになるほど、信じられないほどの暑さだった。ワカメのみそ汁とさば焼きで食事をし、夕方、銭湯に行く。帰りに小さな公園でブランコに腰かけ、夕涼みするのが習慣だった。あるとき、ふと隣りのブランコを見ると、一人の女のコが座っていた。Tシャツに短パン、銭湯帰りらしく、小さな洗面器を抱え、目元涼やかな美形。思わず声をかけてしまった。「誰か待ってるんですか?」「ええ、…でも今日は来ないみたい」。笑顔で言葉を交わしてくれた彼女は近くに住む女子短大生。「朧月夜の君」とひそかに呼んでいた。その後、彼女のバイトしてる喫茶店に行っては彼女の顔を見るのがわびしい浪人生の楽しみの一つだった。ただそれだけ。でも、いまならストーカー呼ばわりされるんだろうなあ。ヤな時代。愛媛出身だと言ってた彼女、今はどこでどうしているのやら。
7月3日(火)快晴

 
PM7・30。新宿、花園神社境内特設テントで流山児☆事務所「書を捨てよ、町へ出よう 花札伝綺」。久しぶりにアクティブな60年代アングラ野外劇を見た。小松克彦がいたので隣の席に座る。劇団Sの社長に就任したH氏の話題。「劇団協議会を乗っ取りそうな動きをしている」とか。前からあの人は権力志向だと思っていたが、やはり。
 
 さて、舞台。75歳の観世栄夫氏が若い役者たち60人余りに混じって嬉々として「あんまの王」役を演じている。カーテンコールでは半ズボンに半袖シャツの学生姿でダンスを踊っている。終演後、話をしたら、2日前にモスクワから帰国したばかりという。時差ぼけもなんのその、昨日も朝までテントで飲んでいたとか。スーパー爺さんだ。酒豪の塩野谷正幸も「伝統芸の人は子供の頃から体の鍛え方が違う」と脱帽。すごいエネルギーだ。

  芝居の導入部は現地集合と道案内型の2種リあり、道案内型に参加したA新聞のI記者は歌舞伎町のファッションヘルスに寄り道することを指示され、生まれて初めて風俗店に入ったとか。「きれいなコばかりなんです。指名するコを指定されたので、そのコを指名したら、女優さんだった。そのまま、一緒に花園神社に連れてこられましたよ」と苦笑。初日とあって、出演者の伊藤弘子の実家が提供した樽酒で乾杯。井沢希旨子、横山直子らと立話。出演者の一人、山形ユキオに挨拶。福岡の出身とか。「次の仕事はガオレンジャーのイベントです。ミュージカル・パウロもまたやります」と。ゲストなのに、裏方の仕事も手伝うとかで、役者連中の評判は抜群。 

 今年1月にやはり流山児☆事務所の飲み会で知り合った山口県下関の某大手Y銀行のAさんが「たまたま出張だったんで、見にきました」と。銀行マンなのに芝居が好きで、出張の夜は必ず芝居を観るというので銀行内では”変人”扱いとか。「山口きらら博は銀行にも会場に行く割り当てがあって大変なんですよ」とぼやき。

 「こち亀」の稽古を昼間やってきたという海津義孝、「ラサールさんが今コントの公演中なので今週いっぱいは稽古休みです。今、家のトレーニングマシンで鍛えてますよ。海パン刑事役だからムキムキマンになるために」と笑う。少年王者館の天野天街が映像つくりで参加しており、初めて挨拶。作風と違って、意外な好青年ふう。中村栄美子さんの近況を尋ねる。「高丘親王航海記」の裏話をひとしきり。

 11時、電車がなくなるといけないので、早めに飲み会を離脱。0時50分帰宅。
7月2日(月)快晴

 
夕方、帰宅して再度パソコン周りを点検。hpのサポートに電話して、アドバイスを求める。いろいろ試しているうちに、突然接続できる。よっしゃ、これで安心と、サポートの電話を切って、再度ADSL接続すると、今度はまた以前と同じエラーメッセージ。ウーム、あの一瞬の接続は何だったのか。またサポートセンターに電話するが、別の回答者が出て、「それはPCカードとの相性が悪いのかも」と言う。「そちらで推奨した製品ですよ」と言うと、「PCメーカー側が試験した結果ですから」とまるで自分の方には関係ない口ぶり。パソコンの業界って、いつも責任を相手に押し付ける。面妖な世界。

 こうなりゃ、一からやり直し、と買ったときからケチがついているhpのパソコンのOS再インストールを決意。しかし、その直後に、今度はNTTから電話。やけに丁寧。昨日、サポートがよくない旨、営業所に連絡したからか、揉み手せんばかりの低姿勢。話しているうちに、どうもNTTの回線にも問題があるらしいということがわかり、水曜日に点検に来てくれるという。快適なはずのADSLで不快な日々がまだ続く。
 さて、今夜も寝苦しい。
7月1日(日)快晴

 真夏のような暑さ。朝からパソコンに向かい、ADSLの設定。なんの問題もないはずなのに、接続エラーが出る。「プロバイダーに問題あり」みたいな。何度やり直しても同じ。諦めて子供と、その友だちを連れて科学館に行く。600倍の顕微鏡でミジンコやカビなどを観察。高価な顕微鏡なので、担当者が何度も「取り扱いに注意してください」と呼びかける。結構うるさい。

 夕方帰宅。ADSLに再挑戦も完敗。何度もNTTのサポートに電話してもつながらない。しかも、オートレスポンスが長々と前口上を述べて、最後に「それでは××番を押してください」ときて、押すと「混み合っているのでかけ直して」とくる。普通のサポートセンターなら「そのままお待ちください」とか、少し待ち時間の猶予もあるのに、散々待たせたげくいきなりブツッと切られるのだから腹が立つ。1回かけると1分間時間をとられるので効率も悪く、いつまでたってもつながらない。NTT東日本のADSL専用サポートは最低。
 せっかく今日から快適ネットと心躍らせていただけに悔しさも倍増。仕方なく、電話回線を繋ぎなおしてダイヤルアップでネット接続。なんだこりゃの巻。
 しかし、今夜は蒸し暑い。眠れるのか心配。