9月30日(日)晴れ時々雨 10時から市民祭りに出かける。会場の市役所近辺は人波で大混雑。ハーレーマニアが自慢の愛車を展示していて壮観。交通機動隊のアトラクション、子供向けショーと盛りだくさん。お目当ては娘が所属する吹奏楽部の演奏。運良く演奏が始まった頃、到着する。 演奏会が終わり、PM3帰宅。ラジオドラマを聴いているうちに睡魔に襲われ6時まで眠ってしまう。起きて新しく到着した会報原稿のテキスト打ち。外は雨。一眠りしたら、逆に疲れて気力が萎える。 9月29日(土)快晴 仕事を終えて、新宿スペース・ゼロでTEAM・発砲・B−ZIN「ゴメンバー・デ・ショウ」マチネ。いつも見る前に期待を抱かせて肩透かしのパターンが定着してしまった。「トランスフォーム・リフォーム」の頃の快調な作劇術はどこへいったのか。あるのは、やたら繰り返しの多いアクションシーンだけ。見るところなし。ただ、役者の平野くんじは好き。 PM5、下北沢・本多劇場で加藤健一事務所「すべて世は事もなし」。岡まゆみ、山口果林、一柳みる、倉野章子の熟女4人が老女にふんして、ペーソスあふれるコメディー。今回、カトケンは演出も兼ねている。翻訳ものなのに、見ていて違和感を感じないというカトケン事務所特有の舞台。ホンも演出も、むろん役者もツボにはまっていて抜群の出来。 向かいの「劇」小劇場ではウォーキングスタッフの公演。渋谷琴乃と高橋かおりの二人が主演。見たいが、予定が組めない。残念。 7時半に終演だったので、時間があまる。ラーメンの「りきまる」でしょうゆラーメン。ここは下北沢で一番おいしいラーメン屋さん。スープを一滴も残さず食べるラーメンはほかにない。いつもは豚骨ラーメンだが、今日はしょうゆにチャレンジ。やはりスープがうまい。 高取氏に電話すると阿佐ヶ谷で稽古中だというので、新宿で乗り換えて阿佐ヶ谷へ。10月3日からの公演「安倍晴明 最終決戦」の通し稽古中。8時半から10時半まで見学。その後、喫茶店でお茶。時計を見ると11時半。あわてて電車に飛び乗る。余裕で家に帰れると思いきや、土曜日は終電が早かった。最終電車は途中駅止まり。痛い! タクシーで4500円。AM1・30帰宅。早く帰ってのんびり過ごせばよかった…。 9月28日(金)快晴 夕方、早めに帰宅。疲労が蓄積される週末。夕食後、懐中電灯を持って、子供とスズムシ探し。やはり関東のスズムシは用心深い。一匹も姿を確認できず。 9月27日(木)快晴 ニューヨークタイムズの白地のページに一行「人々が平和に暮らすことを想像しよう」と書かれた広告が掲載された。ジョン・レノンの「イマジン」の一節を引用したオノ・ヨーコさんの意見広告。愛国的ブッシュ支持広告が大手を振って掲載される新聞各紙の中で異彩を放つ「反戦広告」。この広告が今の時代ではすでにマイノリティーの代弁なのだということに気づかされ、思わず涙がこぼれる。 夕方、Dさん、Oさんと日比谷でおちあう。芝居の予定をキャンセルしてそのまま飲み会になだれ込む。「今日は早めに」の予定だったが結局10時半まで。楽しい酒は時間を忘れる。帰宅して風呂、更新で0時。 9月26日(水)快晴 オフ日。夕方まで同窓会報の原稿をリライト、入力。4・30に歯医者。最近の歯医者は椅子を後ろに倒して治療するので、気道がふさがれるようで苦しい。あれが流行なのか。歯の治療をするのに決死の思い。…なんていう話を家族にしたら、「苦しかったら、苦しいって言えばいいのに」とのご託宣。確かに。 旧聞に属するが、SMAPの「稲垣メンバー」が不起訴になった事件。どう考えたってヘン。「気が動転してクルマを発進させた」なんて言い訳が通じるなんて、どこの世界の話なのか。立派な公務執行妨害、ヘタすりゃ未必の故意による殺人未遂だ。ジャニーズ事務所の政治力恐るべし。 気になったのは、「すでに社会的な制裁を受けているから」というのが不起訴の理由になっていること。それじゃ、マスコミが大きく報じたから不起訴になったということか? ベタ記事扱いの一般市民なら起訴されるということか? そりゃないぜ、セニョ−ル(死語)。 9月25日(火)晴れ 朝起きると外は暗いし寒い。だからといってジージャンをはおっていくと帰りには暑くなって邪魔になる。しばらく、そんな繰り返しが続いて、本格的な秋に突入するのだ。 テロ報復へ向けたアメリカの用意周到な包囲網が完成しつつある。ロシアもアメリカ支持を表明。 だが、テロ事件が起きる真の理由、原因をそのままにして、力で相手をねじ伏せたところで、憎悪は増幅するだけだろう。愉快犯じゃなく、確信犯なのだから。テロには理由がある。それに頬かむりして、「正義」を振りかざすアメリカ。それに追随する日本。 PM7。下北沢ザ・スズナリで少年王者館の「コンデンス」。天野天街のイメージが舞台いっぱいに横溢し、見る人を圧倒する。半ズボンの少年、夏休み、セミの声、路地裏ーー奇矯な登場人物たちが織り成すノスタルジックな夢幻世界。モデル、女優として活躍する中村榮美子が劇団員として入って何年になるだろう。華やかなタレントと対極にある劇団の役者を志す彼女。不思議な女性だ。階段の下に並び、帰る客を見送る彼女。笑顔がまぶしい。 「ディスク・ユニオン」で珍しいCDを見つける。浅川マキの歌謡曲時代の歌や頭脳警察、布谷文夫のシングル盤を収録したコンピアルバム。南佳孝の「おいらぎゃんぐだぞ」。レコードで持ってる「摩天楼のヒロイン」の中の代表曲。レコードは田舎にあるので、しばらく聴いていない。懐かしさにかられ、つい手が伸びる。 8時30分に舞台がはねたので、珍しく時間に余裕。まだ早いから、月蝕歌劇団の稽古をのぞきに行こうかとも思ったが、連日の睡眠不足。今日は帰ろう、と思い直し、電車に乗る。おととい、古本屋で買った山田風太郎の「魔天忍法帖」を読む。江戸後期の忍者が戦国時代にタイムスリップするという物語だが、その奇想は余人のマネできるものではない。近頃ハヤリの「逆転・日本史」のようなチャチな歴史活劇などゴミのようなもの。まさに天才の職人芸。 10時帰宅。買ってきたCDを聴く。浅川マキの「アーメン・ジロー」。昔、パックインミュージックでよくかかったものだ。久しぶりに聴いた。マキの原点。A面の「東京挽歌」は、マキさんがよく、「昔、歌謡曲を歌わされて…」と言うときに口ずさむ歌だ。そのホンモノを聴いたわけで、感慨ひとしお。 9月24日(月)快晴 街はすっかり秋模様。午後、子供と一緒に自転車で釣堀へ。1時間ほど鯉釣りを楽しむ。帰りは原っぱに寄って、バッタを追いかける。朝のうち肌寒かったが、急に日差しが強くなり、ポカポカ陽気。夕方帰宅して同窓会案内状のの宛名書き。パソコンで簡単にできると思ったが、設定に手間取る。7時、夕食。今日くらいはゆっくりと夜を過ごしたい。 9時30分。フジでドラマ「プラトニック・セックス」を見る。テレビドラマを見るのは久しぶり。ネット仲間のぐーさんの妹さんが脚本を書いている。彼女が書いた「星の金貨」も「ピュア」も「白い影」も見ていないので、その作品をきちんと見るのは実は初めて。導入部からクイクイと引き込まれ、2時間はアッという間。しっかりツボを抑えた展開、さすがは当代一の売れっ子脚本家。テレビドラマを見て感心したのはホントに久しぶり。小劇場の舞台で見たときはただのカワイコちゃん女優だった星野真里も一皮むけたようだ。 9月23日(日)快晴 娘と二人で、進学希望高校の文化祭を見に行く。電車で40分。タクシーで10分。 高校の文化祭なんて何十年ぶりのことか。オブジェで飾りつけた校門を通り、構内に入ると高校生たちのざわめき。各教室は模擬喫茶や茶道体験室など、文化祭の定番がズラリ。 音楽科有志によるコンサートを聴く。ツインピアノの「連弾」、バイオリン、ドラムス、ウッドベース、アコーディオン編成のクラシック演奏、合唱部のアカペラ。どれもが素晴らしいデキ。しばし、陶然と耳を傾ける。いくつか会場を回ったが、どこも若いエネルギーに満ち溢れ、圧倒される。絵画も音楽も拙い部分はあるものの、そのピュアでストレートな力強さはまさに「今」の彼らにしか表現できない作品ばかり。表現力も技術もこの先どんどん上達していくだろうが、ここにある作品の力強さは今だけのもの。 それにしても、高校生たちのなんと生き生きしていることか。ふだん見かける高校生といえば道ばたにたむろしてタバコ吸ったり、電車の中で化粧、はたまた大声で携帯電話する傍若無人な輩ばかり。今の高校生は…などと偏見が多少あったが、文化祭を見て、なんだかホッとする。 あか抜けたジャニーズ系やアイドル系女子高生を見るにつけ、オレたちの高校時代とは隔世の感が、との感慨を……。 高校からの帰り道は徒歩。途中に由緒あるらしい神社とお寺があったので、お参り。娘が古本屋を見つけたので寄り道する。本好きは親譲りか。でも、マンガやジュニア小説だけでなく、幅広い読書をしてほしいものだ。30分かけて駅に到着。夕方、家に帰りHP更新。 テロ事件の余波続く。アメリカの報復戦争を支持して、日本も参戦すべきだと考える人が2割近くいるという世論調査結果。 人間の憎悪、恨みはどこまで持続するのだろうとふと思う。あれほど苛烈を極めたベトナム戦争でさえ、当時者であるベトナムはいまやアメリカ資本を受け入れ、ビジネスの相手国として付き合っている。肉親を殺され、爆撃の中を逃げまどった人たちの個人的な憎しみはどこに行くのか。広島、長崎で原爆を落とされ、東京大空襲で無差別大量虐殺された日本。日本人に虐殺された中国、朝鮮、アジアの人々。個人的な憎悪は永遠に続くのだろうが、国家は和解する。しかし、国家の都合で死んでいった人々は帰ってこない。 加川良の「教訓1」じゃないけど、「♪お国はオレたち死んだとて、ずっと後まで残りますよね。”失礼しました”で終わるだけ…」だ。 太平洋戦争で米軍艦に突っ込んだ特攻隊がもし、米空母を護衛するため後をくっついていく自衛隊のイージス艦を見たらどう思うだろうか…。 時代時代でころころ態度を変える国家のために死にたくはない。 戦争遂行のために、アメリカはまたアフガン近隣国の利益誘導しているようだけでど、パレスチナ問題だって元はといえば、大国があちこちで約束手形を乱発したために起こった悲劇だ。今回も同じことが起こらないとも限らない。 寝る前にシンガーソングライター高田渡の自叙伝「バーボン・ストリート・ブルース」を読む。高田渡の家はもともとは資産家だったらしいが、祖父の代で没落し、父が完全にそれを終わらせてしまったという。母を亡くしたために、父の苦労は並大抵じゃなかった。「日雇い労働者をしていた父親がある日、電器釜を買ってきた。その夜、緑色に点灯する電器釜のランプを一晩中眺めていた」とか、「父のボーナスで初めて買ったステレオについてきた汽車の音のソノシートをかけると、汽車の音が右から左に、左から右に駆け抜けていく。首を振りながら汽車の音を一晩中聴いていた」などという話は今から見れば笑い話だろうけど、なんだかジーンとくる。 午前1時、就寝。 9月22日(土)晴れ あわただしい土曜日の午前。仕事量が多すぎる。PM1、渋谷club asia Pで指輪ホテルの「ロング・ディスタンス・ラブ 長距離恋愛」。ニューヨークと東京をインターネットでつなぐネット演劇。テロ事件のあおりで先週分は中止になった。さて、どんなものかと興味津々だったが、ニューヨークの小劇場とネット回線でつなぎ、同時に進行。しかし、その内容は、向うの女優とこちらの女優が互いに悪罵を投げかけあう幼児的遊戯など4つのパターンを繰り返すだけ。5分とたたないうちにあくびが出てきた。せっかく、NYと東京を結ぶのなら、なぜもっと刺激に満ちた演劇ができないものか。 寺山修司が生きていたら、どんなネット演劇を展開したかとふと考えてしまう。NYだと思っていたのが、実は東京の隣りの部屋で同時進行していただけだったり…。嗚呼、寺山修司のいない演劇界のなんと不毛なことか。前衛がたいくつな演劇の代名詞になってしまった今の時代、淋しい時代。 PM3、会社に戻り、仕事の続き。PM5・30。市ヶ谷で高校同窓会幹事会。来月27日の総会への最終打ち合わせ。39人参加。「よその同窓会なら、幹事会が総会の動員数になる」との声も。こんなに結束の固い同窓会も珍しいとか。8時、解散後、二次会へ。盛り上がるも10・30解散。途中、眠り込んでしまい、電車を乗り越し。11・30帰宅。 9月21日(金)雨 日本にも放送禁止歌があるけど、「自由の国」アメリカにもあったとは。 今回のテロ事件に関連して、アメリカで事実上の放送禁止歌が指定されたそうな。「悲しみのジェットプレーン」「明日に架ける橋」「天国への扉」そして、「イマジン」。「悲しみのジェットプレーン」は遺族への配慮として、なんとなくわかるけど、「明日に架ける橋」と「イマジン」はよくわからない。サイモン&ガーファンクルの名曲のどこにテロ事件と関連する歌詞がでてくるのだろう。ジョン・レノンの「イマジン」に至ってはまったく不可解。宗教も権力もない世界が平和で包まれる日を夢想する歌のどこがいけないのか。要は好戦意識に水を差す「反戦歌」だからか。戦時中の日本の軍部によって放送禁止にされた「軟弱な歌謡曲」禁圧と同じ発想がアメリカにもあるとは。「…don’t believe America」だ。 PM7。世田谷パブリックシターで「おばかさんの夕食会」。陣内孝則主演のコメディー。後ろの席でやたらと大きな声で笑う女。振り返ると熊谷真実。目立ちたがり屋? 11・10帰宅。連日の寝不足でもうクタクタ。 9月20日(木)快晴 新型ウイルスによって会社のパソコンの一部が汚染されたため、回復するまでネット接続自粛令。なにしろ、今度のはHPを見ただけで感染するというのだから大変。 アメリカ空爆以来、仕事がハード。気が休まる暇がない。おまけに仕事以外にやらなくてはならないことが多すぎて。 今日は美輪明宏のコンサート。キャンセルして家に帰って体を休めようかなと思ったが、それでは失礼に当たると、思い直し渋谷パルコ劇場へ。事務所社長のKさんに挨拶。 女性客で満席。若い世代から中高年まで幅広い。毎度の事ながら「ヨイトマケの唄」を聴くとつい涙ぐんでしまう。ついで「従軍慰安婦の歌」。被爆者である美輪さん、「アメリカも初めて空襲される恐怖を味わったでしょう」と辛らつ。戦争とはいえ、B29の焼夷弾による無差別爆撃で何十万の非戦闘員が殺されたか、そして原爆で一瞬のうちに焼き尽くされた市民たち。嘆き哀しむ米国人を見ながら、おそらく、戦争を体験した日本人の多くは「何をいまさら…」というアメリカのテロ被害に対するシニカルな気分がどこかにある。 美輪さんの憎悪は日本の為政者にも向けられる。「ナカソネとかいう戦争フェチのじじいなど、真っ先に鉄砲持たせて最前線に送り込んでやればいい。戦争をはじめる人は自分が行かなくてもいいと思ってるから。その家族も従軍慰安婦にして戦場に送り出しましょうよ」。今回の第1部の曲目は以前から決まっていたものだが、アメリカのテロ事件があったため、はからずも時宜に合った選曲となってしまった。今日の美輪さん、珍しく話しながら涙ぐんでいた。 2部はシャンソンの名曲。豪華な衣裳に客席からため息。終演後、若い女の子たちが「これが本当の芸なんだよね。私たちが見てきたのは何だったんだろう。美輪さんってスゴイわ」と話しているのが聞こえる。 11時帰宅。眠い。それでも、セキュリティーのアップデイト。フロッピーに入れたはずなのにまた「今日はこんな日」のデータを忘れる。いったい何をしてるのか。 9月19日(水)晴れ オフ日。やりたいことがいっぱいあって、あれもこれもと思うのだけど、時間があると逆に何もできないものだ。扇風機をしまうために、レンタル納戸に行ったら、昔のスクラップブックが出てきて、つい長い時間座り込んで読みふけってしまう。 家に帰ってソファに横になると、ついウトウト。30分くらい気持ちよく眠ってしまった。その後は歯医者に行って2時間。夕食後、暗くなってから子供を連れて自転車で、スズムシ捕りに。しかし、収穫ゼロで帰還。さすがに暗闇でスズムシを探すのは至難のワザ。 懐中電灯で茂みを照らしていたら、ふいに子供の頃の光景を思い出す。夜道を歩くのに懐中電灯は必需品だった。街灯もない田舎の真っ暗な道。親戚の家からの帰り道、母の袖につかまりながら、周りに広がる闇が怖かった。あの頃は真の闇が夜を覆っていたものだ。恐怖心というのは自然界への畏怖にもつながったのではないか。都会に闇がなくなったために都会に住む人は自然への畏怖心を忘れた、と思うのはうがち過ぎか。 9月18日(火)快晴 昨日、劇団維新派の制作をしていた有田さんが日曜の午後に亡くなったというFAXがきていた。がんで入院していたという。今日は宝塚市で通夜。弔電を打つ。 有田さんと初めて会ったのは何年前だろう。彼女の友人が作った自主制作の映画の宣伝で東京に来た時、訪ねて来たのだった。その後、毎年、大阪・南港の維新派公演に行くたびに会っては話をした。制作をやめた後も、屋台村に店を出して、維新派公演にかかわった。去年は確か古着の店を出していたように思う。いつものように挨拶をして、店の前で立話。気風のいい大阪のねーちゃんといった有田さん。今年の維新派公演では顔を見なかったので、どうしたのかと思っていたが、体調が悪かったのだろう。目に浮かぶのはとびっきりの笑顔の有田さん。安らかに。合掌。 午後2時、藤沢在住のS氏とお茶。来月やる野外劇の話。4時近くまで話し込む。先月亡くなった歌人のO氏は自死だったことを知る。はるか昔、一度だけ電話で話をしたことはあったが、直接会ったことはなかった。歌人らしい自己主張の強い人だったと聞く。 PM7。青山円形劇場で「欲望という名の電車」。腹ごしらえしてからと、開演20分前に階下のレストランに入る。隣りのテーブルに座った女性がタバコ片手に携帯中。行儀悪いぞ、とちらりと顔を覗いたら寺島しのぶだった。食事を終えて劇場に入ると彼女の姿。隣りの席に遅れてやってきたのが大竹しのぶ。ダブルしのぶで観劇か。渡辺えり子もダンナと一緒。やたら大きな声で笑うので目立つ。ラッパ屋のAさんに挨拶。ムーンライダースの鈴木慶一が役者としてちょっとだけ出演。最近はムーンライダースの活動は休止中? 25年ほど前のファーストアルバム「火の玉ボーイ」は傑作だった。 終演10時。急いで電車に乗る。途中、会社に寄る。「今日はこんな日」のデータを入れたフロッピーを忘れたのだった。しかし、家に帰って見ると、データがない。しまった。ハードディスクの中か。せっかく調べて書いたのに…。というわけで、「今日はこんな日」はお休みです。 11・30帰宅。部屋の中は相変わらず暑くて寝苦しい。早く涼しくならないものか。 9月17日(月)晴れ アメリカは「気分はもう戦争」。真珠湾攻撃の報復が広島、長崎への原爆投下だとの説もある誇り高き国アメリカ。戦争やるときはいつもよその国の領土でやるアメリカ。初めて本土を「空爆」された報復は、もしかしたら3度目の核使用? 戦争というのは「理性」ではなくまさに「気分」だ。 マドンナが「武力に対する武力の報復はやめよう」とコンサートで呼びかけたとか。愛国心が高揚している国民の前でそういった正論が言える勇気。尻馬にのって、ここ幸いと、平和憲法を破棄、自衛隊をアメリカ軍の番犬にしようと手ぐすね引いてるどこかの国の首相とは大違いだ。 おエライ評論家が「町内のドブ掃除をいやがって、”お金を払うから、みんなでドブ掃除はやって”と言ってるのが日本」などという、一見わかりやすいたとえ話を披露してるけど、町内のドブ掃除と人殺しの戦争を一緒くたにする神経は恐るべき神経。そういえば、昔、原子力発電所を台所の包丁にたとえた女性評論家がいたっけ。「使いようでは包丁も凶器になる。だからといって包丁を使わない家がありますか。原発だって同じです」だって。すべからく御用評論家の類は、この手のたとえ話で一般大衆をごまかすのが得意のようだ。ナメとんのか。 夕方、歯医者へ。奥歯に穴があいていた。気がつかないうちに虫歯になっていたようだ。昔と違ってハイテク器械がズラリ。レントゲンも頭を一周して撮るヤツ。これって最新型? すぐに、麻酔をかけて治療。ところが、麻酔が効かない。2度目の注射も効かず。そして3度目。ようやくウィ〜ンというドリルをかけても痛みがなくなる。何度となく麻酔をうたれるのはあまりいい気分じゃない。「大丈夫かな? この病院」との思いが頭をよぎる。結局、2時間半かけて神経を取る。終わった時にはグッタリ。やっぱり歯医者は鬼門だ。しかし、いまどきの歯科医には助手の若い女のコがいっぱい。まあ、それでよしとしようってね……。 夜、何度も目が覚める。まだ暑くて寝苦しい。4時頃、ドーンという音で飛び起きる。地震だ。夢うつつの状態で心臓ドキドキ。すぐにおさまったので、そのまま眠りに。…と思ったが起床時間。寝不足だ…。 9月16日(日)快晴 AM9起床。「今日はカマキリを捕りに行こう」と子供にせがまれ、AM10、昨日の原っぱへ。そんなに都合よくカマキリが見つかるわけはないと思っていたが、天の配剤? 元昆虫採集少年の観察眼? いきなり大カマキリを見つけ難なくゲット。ほかに一匹も見当たらなかったから、奇跡的。ついでに、昨日の瓦礫場に行くと、運良く、小さなトカゲが見つかる。昨日の半分くらいの大きさ。自転車のカゴに入れて持って帰る途中、一緒に入れたトノサマバッタがカマキリの格好のエサになってしまう。ジャンプ力の強いバッタもカマキリの鋭い脚の前には無力。見る間にメスカマキリのエサとして消えてしまう。スゴイ食欲だ。もうじき、産卵の季節。カマキリも必死なのだろう。 家に帰る途中で科学館に寄り、工作教室でコマと紙の回転翼を作る。 PM1帰宅。休む間もなく、「ダイエーに行こう」。ダイエーの本屋とゲームセンターを渡り歩き、PM4帰宅。いざパソコンに向かって…と思ったら、「逃がしてあげたカマキリの様子を見に行こう」。小公園で子供とカマキリの相手。「そうだ、カマキリがお腹すいてるかも」と、また自転車で原っぱに行き、バッタを捕まえてくる。汚れた川にフナのような魚が群れている。通りかかった地元のおじさんに聞くと「ボラッコじゃないの。いっぱいいるね」と。ボラッコってなんだろう? PM6、カマキリを再び自転車のカゴに移し、エサを与えて観察。 結局、一日、子供と過ごして、いろいろやりたかったことが何もできず。でも、まあ、いいか。そのうち、子供に相手にされなくなる時がくるんだから。今のうちが花なのかも。 9月15日(土)快晴 昨夜は寝ている間もシクシクと歯が痛み続け、眠った気がしなかった。8時半起床。アンパンをかじり、牛乳を流し込み、鎮痛剤を2錠服用。気をまぎらすためにパソコンに向かう。サイトのあちらこちらを少しいじる。 昼、「トカゲを捕りに行こうよ」子供にせがまれ、自転車で原っぱへ。なんでも学校の帰りに道ばたでトカゲを見かけたそうな。 いつもの原っぱ。草が刈られていて、また何か建つのだろうか。ブルで掘り返され、一時はまったく姿を消してしまったバッタやコオロギが飛び跳ねている。自然界の生き物はたくましい。草に分け入ると、大きなトノサマバッタが飛び立ち、一気にはるか彼方に着地。腐臭を放つ水たまりの傍の石ころをどけると、トカゲ(カナヘビ)が1匹飛び出す。実をいえば、トカゲなど見つかるわけはないと思っていたので、ビックリ仰天するとともに、欣喜雀躍。すばしっこいトカゲを捕まえるべく、しばし右往左往。最初のトカゲには逃げられ、2匹目を探しあてて、必死に後を追う。石の間に逃げようとすばやい動きを見せるトカゲをようやく1匹ゲット。 自転車の前カにをタオルを広げて覆い、即席の虫かごにして、トノサマ、ショウリョウバッタ、丸々と太ったコオロギ、そしてトカゲ(カナヘビ)を連れ帰る。家に着いて、トカゲ以外は解放。トカゲはしばし、子供の遊び相手となる。ムシと名の付くものはバッタだろうがトンボだろうが手を触れることができない我が息子だが、トカゲは気が合うらしく、最初は恐る恐る頭をなでていたが、シッポをつかみ、最後は自分のTシャツによじ登らせるまでに「成長」。トカゲもだんだんと慣れたのか、手の上にのせても逃げない。「トカゲは自分のシッポを切って逃げるんだよ」と実演しようとしても、シッポを切って逃げない。構造汚職の結末を7歳児に教えようとしたが不発。結局、夕方までトカゲと遊び、一日が終わる。 歯の方も、クスリを飲まなくても痛みがウソのように消える。あの痛みは何だったのか? 夜、パソコンを開くと中国の大学に留学中の従姉の娘さんからメール。私の世代など、東京に行くということだけで、覚悟がいった時代、それが今は海外留学の時代だもの。自分の夢と希望に向かってまっしぐらか。体に気をつけて、元気で頑張ってほしい。 午前1時就寝。 9月14日(金)晴れ あれだけの大惨事もわずか数日で「過去」になりつつある。あとはアメリカの軍事行動がいつ始まるかに世間の関心が移っている。「死ぬのはいつも他人だけ」か。現代人は何が起ころうと、わが身に実害が及ばない限り、現実世界にリアリティーを感じないものなのか。この分だと、核戦争が起きても、「うっそー、ホント?」とノーテンキな会話を交わしてるかも。夕刊紙軒並み即売部数がアップ、200パーセントという驚異的な数字。新聞はやはり事件事故か。「事件、事故…」−−ドラマ「パパはニュースキャスター」の中で田村正和が慨嘆するセリフだっけ…。 PM7。昨日のリターンマッチで青年座「君はこの国を好きか」を見に行く。鷺沢萌の小説の舞台化。在日韓国人3世のアイディンティティーを扱った会話劇。今朝から急に歯痛に悩まされ、身が入らず。歯痛なんて20年来なかったのに。疲れもあるのか? 10・30帰宅。明日は休みだから、夜更かしをと思ったが、そんなわけで、早めに就寝。 9月13日(木)晴れ時々雨 テロ事件の余震続く。アドレナリンが体をかけめぐる忙しさ。 事件発生の報が入った後、アメリカ政府首脳は即座に家族を伴って、ワシントン郊外の秘密核シェルターに閉じこもったという。指導者を保護するための危機管理マニュアルに則った処置だろうけど、「家族と一緒に」というのがなんだかなあ…と思ってしまうのは日本人的な発想か。日本人的といえば、小泉首相が「アメリカの報復宣言を支持する」と発言したのも、親分におもねる子分というカタチでちょっと…。そんな事言ったら、テロの矛先が自国に向かいかねないというので、国民を保護する義務のある各国首脳はそこまで踏み込んだ発言はひかえているというのに。ヤクザの助っ人じゃないんだから、不用意な発言は慎んで…。という、オレが不用意な発言か…? と言ってる間に、NATOが集団的自衛権を発動への報。1949年の設立以来初めてというから、これはもう第三次世界大戦だ。 ローマ法王がブッシュの報復宣言に対し、「憎しみの気持ちに耐え、暴力の連鎖を断ち切る勇気をもつべきだ」と呼びかけたという。愛国心と憎悪の炎が一つになって燃え上がるアメリカ国民に向かって、「冷静に」と訴える。これこそ宗教家の勇気か。 PM7。代々木八幡の青年座劇場へ。ところが、劇場はガラーンとして、人の気配がない。いやな予感。受付のおじさんが「今日は昼公演だけですよ」。ウワッ、やってしまった。うっかりミスだ。 仕方なく、家に引き上げる。帰宅の混雑時、1時間、下車駅まで立ちっぱなしという不運が重なり、疲労感とともに8時半帰宅。 9月12日(水)快晴 テレビを消して寝たのが午前1時。今見た光景が信じられず、ふとんに横たわってもしばらく寝つけない。ニューヨークの世界貿易センターが炎と煙を巻き上げながら、ゆっくりと崩壊していく。ペンタゴンが黒い煙に包まれている。ハイジャックされた旅客機が突入したのだという。恐るべきテロリズム。乗客を人質に、特攻するという前代未聞のテロに近代技術の粋を集めた巨大ビルもペンタゴンの防空システムもまったく意味をなさなかったわけだ。 4時半に起きて、いつもより早い電車に乗る。普段と変わらない車内の光景に虚をつかれた気がする。昨夜のあの光景は同じ地球上の裏側で確かに起こったことなのに、電車は今日も人々を乗せて走る。 午後まで息つく暇もないほどの忙しさ。繰り返し流れる映像。まるで映画のワンシーンに見えてしまうのは、半分バーチャルな世界に生きている現代人が抱える病いだろうか。一方で、歓声をあげるパレスチナの子供たち。憎悪が憎悪を生み、歴史は果てしない殺戮を繰り返してきた。 一瞬のうちに数千ともいわれる人の命が消えた。目の前で起こった「戦争」。テロというよりこれは宣戦布告なき戦争だ。そして犠牲者は常に弱者。目には目をの論理は果てしなくエスカレートしていく。やりきれない。 午後、友人の劇作家T氏に電話。このところ、芝居の上演時に、テーマと現実の事件が符合してしまうとか。昨夜、事件を見たときに、すぐに電話しようと思ったが深夜なのでやめたのだった。「今回も…」とT氏。奇想に現実が近づいたということか。 9月11日(火)雨 台風が関東に接近。各地で大きな被害が出ている。 PM7、世田谷パブリックシアターシアタートラムで燐光群「ブレスレス1990」。オウム・坂本弁護士事件、イエスの箱舟、OL線路突き落とし事件など、初演当時のさまざまな事件が織り込まれているが、竹薮1億円事件など、記憶の底に沈んでしまった出来事もあり、再演の難しさを思う。柄本明、やっぱり坂手洋二の芝居とは水と油? 島田歌穂はモノローグになると、今にも歌いだしそうなミュージカル顔になってしまうし、主演2人はミスキャストかも。PM11、帰宅。部屋は蒸し暑くて、風呂上り、汗が滝のように吹き出る。 などと、ノンキなことを言ってたら、アメリカで同時テロ? 9月10日(月)風雨 休みなので、少しのんびりしようかなと思ったが、しばらく更新していないコンテンツをなんとかしようと、佐々木昭一郎さんのページに少しデータを追加。テープで聞く分にはたいした分量ではないが、それをテキスト化するのは結構大変な作業。それだけで肩がこってしまう。 午後、この前録画したNHKアーカイブス「ドキュメンタリー廃船」を見る。1969年の作品。水爆実験で被爆した第五福龍丸がたどった数奇な運命を追ったもの。番組の中で、船体の保存を都知事に陳情するシーンがある。当時は美濃部都知事。「趣旨はよくわかりました。保存は私からお願いしたいくらいです」の率直な答えにびっくりする。はぐらかし、あいまいな表現でごまかす政治家、官僚の答弁を聞きなれている耳にはなんとも新鮮だった。革新都知事とはいえ、一民間人の陳情に正面から自分の言葉で答える姿。政治家はこうでなくては。この番組の放送後、第五福龍丸を保存する会が作られ、夢の島にその記念館ができた。 本編終了後、元乗組員の一人の現在の姿が映し出される。彼は次々と死んでいく仲間たちへの鎮魂と、事件を風化させてはいけないという強い危機感から、67歳となった今、クリーニング店を経営しながら、事件の記録を書きつづっている。夢の島の第五福龍丸保存館で子供達に語りかける姿。ドキュメンタリーではほとんど登場していない彼が、老齢を迎えて事件を語り始める。人生模様はそれぞれだ。 そういえば、佐々木昭一郎さんはこのドキュメンタリーを作った工藤敏樹氏に師事していたのだった。佐々木さんの作品に廃船と夢の島が象徴的に使われるのは偶然ではない。 台風が近づいたためか、部屋の中が蒸し暑くなる。9月というのにクーラーをつける。 夕方、撮り溜めしたビデオを整理。聴いていないラジオドラマも聴かなくては。同窓会報の構成も考えなくては。ウーン、やらなきゃいけないことが山ほどあって時間が足りない。 夕刊を見て思わず「ウソだろ」と叫んでしまった。映画監督の相米慎二さんが肺がんのため死去。寺山修司の「草迷宮」で助監督、夏目雅子の「魚影の群れ」で監督。あれから十数年、今や練熟の域に達した監督。これから日本映画界を背負って立つ人だけに、残念。 9月9日(日)曇り時々雨 9時起床。HPデータ更新。午後から部屋の掃除。どうしてこんなにもゴミが出るのか。 ネット仲間のBARAさんからベータのテープをダビングしてもらったのが届いたので、掃除の合間に見る。故郷の下北半島の紀行番組。20年ほど前に録画したもので、すでに記憶が定かでない。 1本は、なんと亡くなった太地喜和子さんがリポートしている。恐山に行ってイタコの口寄せをしたり、下風呂温泉の海岸で、漁師たちと焚き火を囲んだり、下北の旅を楽しんでいる。満面の笑みを浮かべる太地喜和子。まさか、この数年後に、事故で水死するとは。 もう一本は女優の金沢碧が案内役。大間で最北端の碑に立ち寄り、岩屋でウニを食べている。この頃は下北といえば、薬研温泉、恐山、仏ケ浦が観光のメイン。大間など素通り。それを考えると、NHKドラマの舞台になって、大間の知名度が上がったというのは、スゴイことだ。 ビデオを見始めたら、引っ越しの時の荷物調べ状態。思わぬ発見があって、つい最後まで見入ってしまう。 当山ひとみのライブを録画していたのも初めて知った。当山ひとみは80年代末に活躍した女性ボーカリスト。いわばR&Bシンガーのはしりだった。レコードは持っていたものの、ライブは見たことがなかった。それが、ビデオでとっていたとは、知らなかった。たぶん、録画して、そのまま見ずに忘れていたんだろう。「動いている」当山ひとみを20年後に初めて見るとは。ウーム。ダビングにも関わらず、画像も鮮明。やっぱり、ベータの画質はVHSと比較できないくらい良かったんだ。 夕食時、チューハイ飲んだら、効く。このまま眠ってしまいたい…。 9月8日(土)曇り時々小雨 午後の予定を入れず、夕方まで会社で仕事。その後、同窓会報の打ち合わせで、同郷のミネアさんと喫茶店で会う。あと1カ月余り、そろそろ高校同窓会報作りに取り掛からなくては。今年は自分のホームページもあるから、時間がいくらあっても足りない。週末、ドッと疲れが出る。エゴ・ラッピンのプロモビデオを入手したのでパソコンで鑑賞。動く中納良恵を初めて見た。抜群の存在感。チャーミング! PM10。今週は店じまい。明日からまた頑張ろう。 9月6日(金)晴れ 涼しくなったこともあり、朝目覚ましが鳴る直前までグッスリ……というこの頃。今朝は寝不足がたたって、起きあがるのがつらい。それでも身についた習慣、4時57分に目を開け、一度布団にうつぶしても、3分後にはガバッと跳ね起き、ベランダのサッシを開け放つ。そして、外に置いたゴミ袋を1階の集積所まで運ぶ。マンションのドアを開けて外に出るとひんやりした朝の空気。すっかり秋の気配。エレベーターが途中で止まる。やはりゴミ袋を手に下げたおじさんが乗りこんでくる。いずこも同じ。朝の食事は手早く済ませ、腹筋50回。 会社はまだ夏休み消化中。10月までかかるだろう。人数の足りない分、負担が大きくなる。夕方になるとヘトヘト。 昼、近くの公園でテレビドラマの撮影。酒井美紀が来てる。見に行くミーハーなオレ。 PM7。渋谷パルコで吹越満のパフォーマンス。10年間の集大成。ネタが古くなっていないのがすごい。ちょっと見直す。松田政男さんとロビーの椅子で話す。「京都のはなびしに行ったんだって」とこの前の奈良・京都旅の話。この頃、舞台はあまり見ていないという。9・10終演。急ぎ足で駅に向かう。仲通りに消防車が止まっていて、通行止め。吹越満が今日の舞台で、「渋谷で今火事があったみたい」といったのは本当だったんだ。迂回して駅に。10・30帰宅。明日が休みだからか、まだ家族全員起きていた。 9月6日(木)晴れ 朝夕めっきり涼しくなった。しかし、密閉したマンションではまだ寝苦しさがある。上掛けも必要ないほど。 朝、会社に行くと同僚から「昨日テレビ見たけど、○○の田舎は、お墓で花火やるんだって」と言われる。見逃したが、バラエティー番組で大間の花火の風習がクイズになったらしい。お墓で花火をやるのは子供の頃からの常識。他の地域ではやらないということが逆に不思議だったから、最近、トピックネタになるたびに、なんでそんなことが話題になるの…と思ってしまう。 PM6・30。青山劇場で劇団☆新感線の「大江戸ロケット」。大阪公演でケチがついてしまったが、代役の山崎裕太がのびのびと演じていてまずは合格。オープニングの奥菜恵のフライングと映像の合成シーンに「さすがはいのうえひでのり!」と感心したが、本編は意外とダレ場が多く、いつもの新感線ノリとズレている。やはり、商業演劇という足かせがあるからなのか。中身が薄い。時間もあと1時間は削ってもいいのでは。休憩込みで3時間20分は長すぎる。例によってパンフは豪華。作り直しできずにいしだ壱成主演のまま。「知名度でちょっと…」と言われたが、山崎裕太はこの舞台がいい経験になっただろう。新感線の舞台で主演という大抜擢はうれしい。やっぱり、「私の青空」出演役者は親しみを感じてしまう。11時10分帰宅。もう、くたくた…。 9月5日(水)快晴 公休日。9時起床。のーんびりしたかったが、そうもできない。パソコンに向かって「個人情報保護法案」の原稿を書く。テキストは現代人文社の「あなたのプライバシーが国家管理される!」ほか。これまで割とノンキに構えていたが、そんな場合じゃない。できるところから始めなくては。シラケているうちに、すべてがオシマイになる。そんなバカな…と思っても法律は出来てしまえば為政者の都合のいいように運用される。3パーセントの消費税が5パーセントになったように。 PM3、子供が小学校から帰ってきたので、一緒に理容室へ。すっきりして家に帰る。更新を早めにすませて、アワビをさかなにビールを。これぞ至福の時間…。 夕刊の死亡欄に萩元晴彦氏の名前を発見してがく然とする。テレビマンユニオンの創立者であり、今野勉、村木良彦とともに、70年代以降のテレビ界を牽引した人。彼は、1969年、TBSを退社する直前に一冊の著書を記した。「お前はただの現在にすぎない」。これは革命家トロツキーの言葉だ。 20世紀が始まったばかりのシベリアに20歳の革命的楽観論主義者がいた。彼は20世紀に期待をかける。しかし、この20世紀は憎しみと殺戮、飢餓と流血をもたらしただけだった。血まみれの20世紀は若者に怒号する。「降伏せよ、哀れな夢想者。お前が長い間待っていた20世紀。お前の「未来」であるこの私がやってきたのだ」。「いや」と卑下することを知らない楽観論者は応える。「お前は、お前はただの現在に過ぎない」 このトロツキーの言葉をタイトルにした萩元らの意図はどこにあったか。萩元は書く。「テレビが堕落するのは安定、公平などを自ら求めるときだ」「テレビは権力によっても芸術によっても再編されることを欲せず、現在そのものを創りだしていく限りにおいて自らの未来を決定しうるのだ」 1960年代後半の政治の季節。TBSの番組クルーが取材対象である三里塚のモンペ姿のおばさんたちをプラカードとともにワゴン車に同乗させ、後に自民党の激しい攻撃にあうTBS事件。それらをくぐり抜け、自らテレビ制作会社を立ち上げた萩元ら。萩元らが苛立ちを募らせたテレビはいまや「ただの現在にすぎない」ことを自問することなく、権力そのものになり果てたのではないか。 9月4日(火)曇り時々雨 仕事を終えて、PM5に江東区新大橋のベニサン・ピットに。バス全線200円。近くの中華屋さんで肉ネギラーメンを注文したら、なんと味のいいこと。久しぶりにうまいラーメンに当たった。スープまで残さずペロリ。780円。喫茶店でカフェオレ。450円。 本を読んでいたら、隣りのテーブルにやたらと声の大きい女と取り巻き数人。髪が長く顔が見えないが、どこかで聴いた声。どうせ自己主張の強いタレントの一人だろうと、喫茶店を出るまで確かめなかったが、劇場でその女が前の席に座る。顔を見ると浅野温子。そうか、この前、このベニサンで芝居やったんだった。同じアッカーマンの演出だったか。 それにしても売れっ子女優なのに、どうして自分の存在を周りにアピールするのか。よう、わからん。 舞台はtpt「ガラスの動物園」(テネシー・ウイリアムズ作)。佐藤オリエが例に寄ってセンシティブな演技。山本亨、みのすけはほれぼれするほどウマイ。富田靖子もローラ役を好演。そうか寺山修司の映画「ローラ!」はこの戯曲からきているのかも。「月よりも遠いところに行こうと思った…」というセリフは寺山修司の「星の王子さま」の「月よりももっと遠いところ、それは劇場!」だろう。 休憩時間に白水社のU氏と立話。学生時代に演劇サークルでガラスの動物園のトム役をやったそうだ。「まさに私にとって追憶の芝居なんです」と笑う。 9・35終演。U氏と駅まで。11・00帰宅。 9月3日(月)雲り時々雨 そういえば、SMAPの稲垣吾郎事件はあっという間に終息してしまった。さすがにJ事務所の力は強い。駐車禁止違反だろうが、公務執行妨害だろうが、そんなことはどうでもいいけど、NHKが「稲垣さん」、民放が「稲垣メンバー」と呼ぶ裏事情にはイヤな感じがする。普段から担当記者連中がアゴ足付きで海外旅行に招待されたりの接待漬け。逆に取材拒否で脅したり、アメとムチでいいように子飼い扱いされてるのだから情けない。 最近はJ事務所が舞台にタレントを出す場合が多くなっている。SMAPのメンバーはそのさきがけだった。そのとき何が起こったかといえば、舞台制作事務所がJ事務所の意向を受けて、J事務所のタレントの批判記事を書くメディアを選別したということ。そして招待者リストから特定のメディアの記者を外してしまったという。J事務所の威光に気を遣って、招待客選別の自主規制をする方もする方だ。 さて、この容疑者の呼称問題でいつも思い出すのが、水俣病患者として公害企業・チッソと激しく対立した自主交渉派の川本輝夫さんのことだ。1971年、公害企業チッソ前で座り込みを続けた川本さんは72年にチッソ社員への傷害罪で逮捕された。傷害といっても、もみあいになった際に、体が接触するのはよくあること。相手が警官・機動隊ならすぐに公務執行妨害罪でパクられる。 川本さんへの事件もおそらくそのような手だったに違いない。しかし、傷害罪という罪名で逮捕されたために、新聞各紙は翌日一斉に「川本輝夫逮捕」と報じた。まだ人権に配慮して「容疑者」の呼称をつける前の時代。まるで極悪人のイメージだ。 しかし、毎日新聞だけは「川本輝夫代表逮捕」と呼称にワンクッション置いて報じた。呼び捨てにするか、「代表」があるかないかで世間の受け止め方は大きく違う。それが、毎日記者の川本さんの抗議行動へのせめてもの共感の意思表示だったのだ。この毎日のベタ記事は今でも忘れられない。「稲垣メンバー」の呼称で統一しようと談合したテレビ各局につきまとう不純な動機とまさに対局にある、と私は思う。 仕事を終えて6時に帰宅。 9月2日(日)快晴 8時起床。日曜日なのでゆっくり寝ていたいのに、こんな日に限って早く目が覚めてしまうのはなぜだろう。子供たちは昨日の夜祭で疲れたのか、なかなか起きない。こっそりと家を出て地下鉄に乗り日比谷へ。 PM2。日比谷野外音楽堂で「個人情報保護法案をぶっ飛ばせ!2001人集会」。雑誌編集者、フリージャーナリストが中心になって結成された実行委員会による個人情報保護法案反対のイベント。約1000人が参加。この手の集会は一昔前なら軽く1万人は集まっただろうに時代は変わった。 作家・佐野眞一氏の開会挨拶に続き、第1部は「雑誌はいままで何をやってきたのか」をテーマに、「世界」「月刊現代」「東洋経済」「ダ・カーポ」「週刊金曜日」「創」などの編集長が出席。それぞれの反対意見をアピール。雑誌の性格によって微妙に法案に対する危機感が違う。「当事者」でさえそうなのだから、一般市民がこの法案の内容を理解しているか、心もとない。 2部に移行するとき、ハプニング。司会進行予定の宮崎学氏の「個人的な都合で欠席」のアナウンスに、前列に陣取っていた集団が怒号をあげ、主催者側に詰め寄る。30人余りの集団。どうも宮崎氏の公安スパイ疑惑を糾弾に来た連中らしい。会場は一時騒然となる。 壇上に座った佐高信は憮然。鈴木邦男はヤジを飛ばす集団に「上がって来るなら来い! サシで勝負しようじゃないか」と右翼らしい血気盛んな挑発。司会役代行の元週刊現代編集長・元木昌彦氏も激昂。両者乱闘寸前の状況悪化。日刊ゲンダイ・二木啓孝氏が割って入り、糾弾側にアピールの時間を与えることで事態の収拾をはかる。ヤジと怒号が続く。会場騒然。 その直後、夕方出演予定の田中康夫・長野県知事が予定を変更して舞台に上がる。彼の軽妙な話術が、妨害グループの機先を制し、会場は一挙になごやかムード。ヤスオちゃん、さすがだ。鈴木邦男が蒸し返して、ヤスオちゃんにたしなめられていたが。 3部の出席は、齋藤貴男、宮台真司、江川紹子、安田安弘、有田芳生、切通理作、魚住昭。 理路整然と反対論をぶつ宮台をちょっと見直す。安田氏は反骨の敏腕弁護士らしく、明快な論理と情熱の人。 3部を終えた時点で4時半。8時の終演予定だが、家に引き上げないと…。 6時、帰宅し、夕食。9時半就寝。 「個人情報保護法」といえば聞こえがいいが、要するに、権力者に都合の悪い報道を押さえ込むマスコミ規制法であり、国家がすべての個人情報を握る全体主義的法律にほかならない。 法案には「コンピューターに1000人程度以上の名簿、あるいは個人データを有する者はすべて”個人情報取扱事業者”になると明記してある。パソコン知らずの役人が書いたのだろうけど、検索エンジンを使えば、今や誰もが1000人どころか10万人の個人情報を手に入れることができる。つまりインターネットのホームページ管理人はすべて個人情報取扱者として国家の監視を受けることになる。もっと言えば、インターネットにアクセスできる環境を持つ人すべてが、個人情報取扱者と解釈されるだろう。 つまり、国民すべてが国家の監視下におかれるわけだ。「オレにはカンケーねえよ」という場合ではない。この法案のもう一つの狙いはインターネット社会の規制にある。この問題については近々、きちんと情報発信しなくては、と思う。 9月1日(土)快晴 深夜、歌舞伎町の雑居ビルで火災発生し44人が死亡する大惨事。ごちゃごちゃした雑居ビルでひとたび事故があったら大変なことになる。ましてや瞬間的な爆発では逃げようがない。風俗店が入っていたために今日はどこの会社でも朝から似たような会話が交わされたことは想像に難くない。 仕事をしていると、携帯に従妹から電話。「おー、どうした。元気? 何かあった?」「ウン、元気。歌舞伎町の火事のニュースを見たから、心配しちゃった。お兄ちゃんが行ってなかったかと思って。フフフ」 電話口で茶目っ気たっぷりに笑う従妹。小学生のときに勉強をみたり、仕事で忙しい両親の代わりに面倒を見た彼女。二児の母になった今も、私を「お兄ちゃん」と呼んでくれる。冗談を交えて近況報告。 午後、新宿シアタートップスで劇団道学先生「エキスポ」。70年大阪万博の時代を背景に九州・宮崎でのある一家のお通夜の一日を描いたコメディー。前から気になっていた劇団だが、今回初めて見た。これは拾い物だ。きめ細かな笑いの人間模様。大西多摩恵など多くの実力派俳優が出ているのはダテじゃなかった。脚本、演出とも一級品。 夕方、家に帰ると家族は近所のマンションの夏祭りに出かけている。会場に行くと、奥さん連中が席を譲ってくれたので、ビールを飲みつつ夏祭りを楽しむ。玄人はだしのジャズバンドにマンションの住人だという一人の初老の男性がテナーで参加。ナベサダも真っ青のビビッドな演奏。スゴイ! いろんな人が住んでいるんだなあ、と感心する。 ドラマサイトからこのHPをリンクしたとのお知らせ。佐々木昭一郎氏のページが目に止まったらしい。しばらく更新してないが、頑張ろうか。などと思いつつ、疲れがピーク。今日は早く寝よう。 |