11月30日(金)快晴

 仕事を終えて渋谷へ。PM7。パルコ劇場でRollyのシャンソンライブ「喝采」。当然のことながらお客さんのほとんどが女性。女装のRollyに客席から熱い視線。Rollyどことなく緊張気味。やはりシャンソンは勝手が違うみたい。後半のトーク&客いじりで客席は笑いの渦。やや消化不良気味のままラストソング。アンコール第1曲は自作のオリジナル。ギターを抱えたRollyは見違えるようにいきいきとしている。やはりロックが似合う。
 終演後、楽屋を訪ねて先日のお礼を。鏡の前のRolly、興奮さめやらぬ表情。案外シャイなところがある。
 10・00帰宅。
11月29日(木)快晴

 アメリカの女子高生がアフガン爆撃に反対して学内で「反戦」Tシャツを着用。反戦の意思表示をしたために、周囲からイヤガラセにあい、ついには学校当局から退学させられたという。どこが自由の国アメリカなのか。「民衆の敵」を作ったアメリカはどこへ行ったのか。もっとも、日本だったらその比ではないだろうけど…。

 昨夜は2時ごろ、工事の音で目がさめてしまい、しばらく寝付かれなかった。すぐ傍の線路工事なのだが、枕もとに響くこと。甘美な夢が破られてしまった。おかげで寝不足。
 PM7、仕事を終えて銀座・博品館劇場で、ひょうご舞台芸術公演「ペギーからお電話!?」。招待日とはいえ、各新聞社の論説委員、演劇評論家のお歴々が勢ぞろい。こんな日も珍しい。さすが、山崎正和人脈。帰り、七字英輔さんに声をかけられる。この前のモルドバ共和国、やはり集客は散々だったようだ。制作のHさんがエレベーター前にいて、にっこりと挨拶。演劇の制作者って結構美人ぞろい。ハードワークではあるが…。
 11時帰宅。サクッと更新、早く寝よう。
11月28日(水)快晴

 オフ日。10・30起床。
 掲示板に書き込むとき、プロバイダーによっては「不正なアクセス」というエラーメッセージが出るという。何だろう。ウイルス対策で入れたセキュリティーソフトが影響しているのだろうか。そういえば、他の掲示板でやはり、書き込もうとすると「不正なアクセス」でエラーメッセージが出たことがあった。サポートセンターに電話してもつながらない。困った。

 昼から部屋の掃除。ついでにパソコンのメモリを最大の512にアップ。これでウチのパソコンとしては最強の布陣。メモリ不足…がなくなるかな?

 4・30。一時掃除を中断して歯医者へ。前にほかの歯医者で治療した箇所を再治療。 PM6、食事を済ませ演劇日記を書く。なんだか休みの日でも仕事してるみたい。昨日録画した「コウノトリなぜ紅い」を見ようと思ったが時間がない。森岡利行氏の脚本なので見ておこうと思ったのだが。
11月27日(火)快晴

 
メール添付のウイルスが猛威をふるっている。メール受信の度にセキュリティーソフトが真っ赤な文字で警告をする。添付ファイルのあるメールは用心深く削除。見覚えのないアドレスのメールもやむなく削除する。大事なメールだったらどうしよう。

 仕事を終えて渋谷のパソコン店でプリンターの品定め。迷いに迷って最後にババをつかむというパターンにはまりそう。

 PM6、三軒茶屋。いつもの定食屋でさんま定食と目玉焼き。830円。キャロットタワーのTSUTAYAでサラ・ブライトマンの「アヴェ・マリア」、テレジアの「ゴスペルウーマン」、「ブリジット・ジョーンズの日記」のサントラ盤、それとDVD「天使のくれた時間」を買う。CDを視聴していたら目の前を風間杜夫が通り過ぎる。来年、水谷龍二の芝居に出るので、星屑の会の舞台を見に来たのだろう。

 PM7、3階パブリックシアターで星屑の会「ストロベリーハウス」。受付で石井久美子さんと立話。お父さんの石井光三社長は所用で不在。土曜の温泉旅行も仕事の都合で行けず、残念がっていたとか。流山児氏はロビー活動。大谷亮介に出演交渉している。ケラ、流山児、大谷の3人が並びの席に座る様は濃すぎる。
 9時終演。10・30帰宅。買ったばかりのCDを聴く。半年前、佐々木昭一郎さんが奨めてくれたサラ・ブライトマンの「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」のソロバージョンに耳を傾けながらHP更新。
11月26日(月)快晴

 
昨日、電車に乗ってる時間が長かったので、鶉野昭彦氏の著書「赤い鳳仙花 新屋英子に恋をして」を読んでいた。本は95年に出版されたもので、「敗戦50年」企画実行委員会による演劇企画「赤い鳳仙花」の戯曲を収録している。

 その「前書き」として、夫人であり、女優として活動する新屋英子さんへの思いが綴られている。ラジオドラマの大御所である鶉野昭彦氏の意外な素顔がそこにあった。大阪生まれの鶉野氏のすさんだ高校時代、それを救ったのが新屋英子さんだった。幼少の頃の記述はないが、悲惨な体験をしたことは間違いない。「今でも真夜中、ぼくは叫び声上げそうになって寝床からはっと体を起こすことがある。そのときぼくは布団を鷲づかみして耐える。小学校の頃からずっとそうだった」
 虚無とアナーキーな哄笑が基調低音として流れる鶉野作品が生まれるにはそれなりの理由があったのだ。
 佐々木昭一郎氏の作品にもその虚無は通底する。二人は同世代。そこには戦争の翳がある。佐々木氏は空襲の中、山中をさまよった。記憶をなくすほどの凄惨な体験。鶉野氏は盲目の祖母をかかえた母子家庭。戦時中の悲惨さは想像に難くない。
 手のつけられない不良学生だった鶉野氏を更生させた新屋英子さんの芝居をまだ見たことがないのが残念。一時期、下北沢で鶉野氏が活動していたというがまるで記憶にない。見ておけばよかった。名前が気になっていた俳優座の鶉野樹理さんが長女だということも初めて知った。やはり、そうだったんだ。

 夕方帰宅。同郷のMさんからメールで田舎のKという人が亡くなったという話を聞く。教師をしていたお母さんの教え子だという。勘違いしていて、てっきり別のKさんだと思っていたが、今日実家に電話して聞いたら、小・中学の同級生のKだと知った。胃がんだったという。
 Kはいわゆる知的障害児だったが、当時は同じ障害を持つもう一人の仲間とともに同じ普通クラスで授業した。それが当たり前のことだと思っていた。
 卒業後、何年かはクラス会にも出たが、年齢を重ねるにつれ、彼の居場所はなくなっていった。私もどちらかといえば、彼が苦手だった。なぜなら、会うたびに口をついて出る遠慮会釈ない彼の言葉の刃に、深く傷つくことがあったからだ。
「一人っ子なのに、親を置いて東京に出て行くなんて、親不孝なヤツだ。親がかわいそうだと思わないのか。早く田舎に帰って来ないと…。親が泣いてるぞ」
 それは彼の純粋な目から見た率直な意見だったに違いない。しかし、自分の中にある忸怩たる気持ちを言い当てられたようで、どうにもやりきれなかった。「正直すぎる」彼の言葉はいわば周囲の言葉でもあるのだろうから。
 帰省しても最近は顔を合わすこともなかったが、何年か前、お墓で小さな子供たちと花火をしているのを見たのが最後だった。いくつになっても、昔と同じように無邪気に花火遊びをしていたK。
 私はその間に母を亡くし、いまだ父を一人田舎に置いている。「ほんとに親不孝なヤツだなあ」と私をにらみすえるKの顔が目に浮かぶ。Kよ、やすらかに。合掌。
11月25日(日)快晴

 11時過ぎに起床。1時、「TAMA CINEMA FORUM」に出発。ヤフーの路線情報によれば1時間半で到着する予定。「四季・ユートピアノ」には間に合うと思ったのだが、乗り継ぎがスムーズにいかず、結局着いたのが3時半。初めて降りる京王・永山駅。会場のベルブ永山は豪華な建物。バブル時代の名残りか?

 エレベーターを降りて会場に進むと、受付前に佐々木昭一郎さんの姿。到着したばかりらしく関係者に挨拶している。フォーラム実行委員の黒川さんに挨拶。控え室に入ろうとする佐々木さんを呼び止めると、「前に会ったときとずいぶん印象が変わりましたね」と佐々木さん。

 会場に入り、「四季」の残り30分を見る。暗がりを眺めると、客席は超満員。補助席まで出ている。
 「四季」が終わり、トークまで20分の休憩。寺山新聞の金子さんに声をかけられる。ぴあもローソンも売り切れたため、何日か前、わざわざこの会場までチケットを買いに来たという。

 さて、トーク。1部は中尾幸世さんに是枝監督がインタビューするという形。是枝監督の訥弁とそれに誠実に答える中尾さんのゆったりとした会話が微妙におかしい。参考上映として「川の流れはバイオリンの音」を10分ほど。

 続いて佐々木さんと是枝、中尾3人のトーク。次いで、会場の参加者との質疑応答。京都、広島、大阪など遠方から駆けつけた熱烈なファンに佐々木さんと中尾さんが驚いていた。

 7時終演。記念写真を撮ったり、サイン責めにあう二人。ロビーに場所を移し延々に続く。終わったら二人にきちんと挨拶をと思っていたが、いつサイン会が終わるか予想もつかない。電車の時間もあるので、仕方なく割り込んで佐々木さん、中尾さんと立話。中尾さんは近々、また引っ越すそうで、連絡は実家にとのこと。土井美和子さんのことを話すと「キッド時代の友人とはもう長いことあっていないですね」と遠い目。5月に送った郵便物はお母さんが保管していてしばらくの間、当人には渡らなかったとか。帰り際、佐々木さんとがっちり握手。

 居酒屋で空腹を満たし、電車に乗ると府中本町からの電車がストップ。人身事故だという。またか…。最近飛び込みが多い。不況時代。10時半帰宅。休みの日なのに一日外に出ていたので疲労感に襲われる。0時半就寝。
11月24日(土)快晴

 
休日の谷間。朝の電車のすいていること。仕事もはかどり、PM1過ぎに退社。中野ザ・ポケットでピンクアメーバの「リュウグウノツカイ」を観る。渡辺えり子ばりのスラプスティックと幻想。永元絵里子のホンと演出かなりいい線いってる。女優より向いているかも。
 4時終演。ロビーに出たら女優の与田侑佳に挨拶される。前に会ったっけ? 永元を呼んでもらって立話。

 せっかく中央線に来たのだからと阿佐ヶ谷に足をのばす。「げんこつラーメン」で腹ごしらえ。昔の味とは違うのに、つい入ってしまう。別れた人の残り香を懐かしむようなもの?
 
 昔住んでいたアパートに向かう通り道にあったディスカウントショップを覗く。店主の顔を見てびっくり。黒々とした髪の毛のオジサンだったのが白髪を後ろに束ねたおじいさんになっている。まるで浦島太郎。ついこの間だと思っていたのに、阿佐ヶ谷を離れて20年近いのだ。ウインドウの中のAPSカメラを買う。定価の4分の1。

 ジャズ喫茶「鈍我楽」に寄ってみようとパールセンターの脇道に入るが、何度行きつ戻りつしても見つからない。近所の薬局のおばあさんに聞くと「20年か30年前になくなったけど」と怪訝な顔。30年前は大げさにしても、店がなくなってからだいぶ経つようだ。ついこの前、「鈍我楽」でコーヒーを飲んだような気がしたけど…。ほんとに浦島だ。通りをいく人たちも半数以上は私がこの町に住んでいた頃まだ生まれていなかった人たちだろう。町も変わるはずだ。

 5・30。阿佐ヶ谷から新宿へ。西口のヨドバシカメラでプリンターの品定め。hp、エプソン、キヤノンどれも一長一短。どれを選んでいいか迷う。
 6・15、クリスマスのイルミネーション輝く新宿南口を歩いていると、温泉主義STONESのKさんから旅行日程の確認電話が入る。
 6・30。サザンシアターでジテキンSTORE「第17捕虜収容所」再演。演出の鈴木裕美手堅い。ただ、山本亨がケガをしたのか片足ギプス。役も中途半端。彼ならピンで舞台に立てるのに、集団劇の一人とはもったいない。
 8・55終演。山手線経由で帰宅。
11月23日(金)快晴

 勤労感謝の日。午後、家族みんなで、この前撮ったテレビドラマ「ユタとふしぎな仲間たち」を見る。NHKとは思えない斬新な映像。74年だから、まだ70年文化のアナーキーな香りが残っており、子供向け番組にも反映していたのだろう。中盤、「鐘の音」を乗合バス代わりにして空を飛ぶシーンがあり、見ていた子供が「あっ、これ猫バスだ」と一斉に叫ぶ。鐘の音が猫バスのうなり声とそっくりだという。言われてみれば、確かにそうだ。療養所訪問といい、宮崎駿の「隣りのトトロ」の原型は「ユタ」だったのか。

 夕方、クロゼットルームからクリスマスツリーを出してくる。いよいよクリスマスシーズン。
 休日の時間の流れは速い。あっという間の就寝時間。
11月22日(木)快晴

 
次の日が休日だと思うと朝から心ウキウキ。人間ってゲンキンなもの、駅に向かう「眠い・寒い」の道のりもなんのその、仕事もスイスイこなして午後は左団扇。

 3時40分、「じゃ、お先に〜」と会社を出て新宿へ。テアトル新宿で鈴木清順監督の映画「ピストルオペラ」を鑑賞。「ツィゴイネルワイゼン」の頃は世間の常識と折り合いをつけて「わかりやすい難解さ」が大衆人気を獲得したけど、これはもう清順美学が全面展開。78歳のジイサンが作ったとは思えないアナーキーで奔放な映像が炸裂する。シーンのつなぎは唐突だわ、いきなり時空を飛び越えるわ、見る者を惑乱させる「破綻した」映画文法…。殺し屋ナンバー3・江角マキコとナンバー1の対決する怪奇博覧会の極彩色絵巻までノンストップの大暴走。ここまで「わけのわからない」映像を作る清順監督あっぱれ。映画館を出た観客皆茫然自失。それでも関連グッズは大売れ。パンフもはけている。「今見たのはいったいなんだったのか?」と人それぞれの思いでパンフを買うようだ。


  6・33、エンドロールの「エゴ・ラッピン」中納良恵の歌を最後まで聴けずに映画館を飛び出し、小田急線乗り場に急行。テアトル新宿から駅までなんと遠いこと。人群れをすり抜けて6・45、なんとか小田急に飛び乗る。6・55、下北沢着。本多劇場に滑り込みセーフ。開演2分前。青年座の「悔しい女」。土田英生の脚本。思わぬ拾い物。今年見た芝居でこんなに笑えた芝居はない。それも、最初から最後まで何度もこらえきれずに声を出して笑ったのはこの芝居が初めて。土田と青年座の相性が良かったのか。帰りに制作のMさんに挨拶するときも顔がほころんだまま。演出=宮田慶子、主演=高畑淳子◎。
 出口で松田政男さんと立話。温泉旅行は10人の参加とか。


 夕食の時間がなかったので空腹。「りきまる」のラーメンが無性に食べたくなる。しかし、今日はお休み。仕方なく並びの屋台ラーメンが売りの店に入るが味はいまいち。

 9・30。参宮橋で降りて、代々木オリンピックセンターへ。月蝕歌劇団の稽古が終了したばかり。ちょうど高取さんと森永理科が出てきたところ。タクシーで西新宿のファミレスへ。11時半まで3人でおしゃべり。巨漢の高取氏と理科チャンが並ぶとまるで親子。その後、高取氏は歌舞伎町に消え、理科チャンと池袋まで一緒。伊勢丹でハリー・ポッターのマントを買ってきたとか、おまけでついてきた魔女の箒を大事そうにかかえる理科チャン。お母さんも昔女優さん。じきに、声優・女優で売れっ子になるだろう。

 12・30帰宅。まだ全員起きてる我が家。おいおい、何時だと思って…。それはどっちのセリフ?
11月21日(水)快晴

 
オフ日。午後からふらりと散歩。タワーレコードをのぞいてCD1枚買う。ザッパの昔のアルバム「WAKA/JAWAKA」。「GO!GO!7188」のニューアルバム「魚拓」も出ていたが、この次にしよう。チケットぴあでその「7188」のライブチケットを購入。
 5・30、歯医者へ。今日はこの前型を取った歯に金属をかぶせる。来週もまた別な歯の治療が始まる。
 家に帰りたまったラジオドラマの整理・ラベル作り。これが結構時間がかかるのだ。
 そんなこんなでアッという間に時間は過ぎ、何もできないうちに一日が終わる。嗚呼、もっと時間がほしい。
11月20日(火)快晴

 
そろそろ「眠い・寒い」で朝がつらい時期。。冷えるので、ついハイネックで会社に行くと会社の中は暑い、帰りの電車も暑い。冬らしくきちんと寒さを維持してほしい。

 T市に住む友人が東京の義姉の見舞いに来る。午後3時過ぎにはトンボ帰り。むろん会う時間もなし。

 PM6・30。新宿・紀伊国屋ホールで「秋の蛍」。ちょうど同じフロアで村上龍のサイン会が行われており、ホールの前の通路は順番を待つ人たちで大賑わい。

 舞台は10分押しで始まったが、終演は8・10。1時間半の小品。これくらい早く終わってくれると助かる。秋葉原経由で帰ろうと総武線に乗る。隣りに座った若い女性が買ったばかりのCDの封を切ってライナーノーツを読み始める。見ると、フランク・ザッパの2枚組「ジョーのガレージ」。へぇ、若いコでザッパを聴くなんてと思って、どんなコだろうとちらちら隣りを気にしていたら、代々木を出た直後急停車。少し間があって車内アナウンス。「今、人身事故があった模様です」。どうやら自分の乗った電車に人が飛び込んだらしい。前の電車とかはたまにあるが、自分の電車というのは初めてのこと。

 いっこうに動き出す気配もなく、車内に閉じ込められた乗客はケイタイを取り出し、外と連絡をとり始める。車外では事故現場を探しているらしい。

 10分ほどたったころ、ホームの乗客たちがぞろぞろと私の座っている車両近くに集まってくる。駅員と救急隊員もこちらを目指して移動してくる。さかんに車両の下を覗き込んで指差している。向かいの席に座った乗客たちが窓に顔をつけるようにして車両の下を見る。一様に青ざめた表情で視線を車内にもどす。口を押さえるおばさんも。そうか、現場は自分の車両の真下だったのか。

 20分後に電車が位置を移動。ドアが開き、乗客はホームに。その瞬間、K氏からケイタイに電話。駅の緊急アナウンスが大きく、聞き取りにくいので、早々に会話を切り上げたが、もう少し話せばよかった。いい友人になれそうなK氏。

 総武線は現場検証で動かず。帰り道を山手線経由に切り替える。電車を離れるときに、思わず現場近くまで行ってしまったが、暗がりの中に痕跡を見ただけで怖気づいてしまう。自殺するにしても電車にだけは飛び込みたくない。遺族がかわいそうだもの。重い気分で家路につく。
11月19日(月)晴れ

 
しし座流星雨のなごりか、朝5時半,、駅に向かう途中、高架の向こう側に流れ星がひとつ、スーッと消えていくのが見えた。

 三重県海山町で原発誘致をめぐる住民投票を実施。反対派が勝利。町は「誘致話は白紙に」と宣言。当初は原発マネーをあてに町興しをはかろうとする町当局とその支持者による「地ならし」目的の住民投票で、当然誘致賛成が勝利すると踏んでいたらしいが、案に反して反対派が勝ってしまったために目論見は破れた格好。浜岡原発の事故も影響を及ぼしたかもしれない。浜岡原発事故など、構造的な欠陥が露呈されたわけで、「安全神話」などとっくの昔に崩壊していたことに推進派は気づいていない。何度でも繰り返して言おう。本当に原発が安全だというのなら巨大電力消費地・東京に作るべきなのだ。夜8時には町から灯が消える省電力社会に危険を押し付けてはいけない。
 
PM5、帰宅。夕食後、昨日録画した「ユタとふしぎな仲間たち」を見ようと思ったが時間切れ。
11月18日(日)快晴

 
朝から娘の中学のバザー&演奏会。午後、家に帰りパソコンの前に座るが、睡魔に襲われ4時過ぎまで熟睡。体調イマイチ。夕食は家族で回転寿司。


 
風呂につかって口ずさむ歌はなぜか昔の歌ばかり。それも父母が口ずさんでいた古い歌謡曲ばかり。「誰か故郷を思わざる」「旅の夜風」「夜霧のブルース」etc。
 なぜだろう。歌謡曲も小学校3年の頃に聴いた歌がふと口をついて出る。自分の世代というより、上の世代の曲ばかり。久保浩、松島アキラ、つい歌ってしまうのが梶光夫の「青春の城下町」。なぜか風呂に入るとこの歌が出てくる。

 記憶って不思議だ。今住む町に引っ越してきて12年。最初の頃から見ると、だいぶ駅や町並みが変わってしまい、当時の駅舎の様子とかまったく思い出せないのに、中2の娘は「前の駅はこうで、あそこの道はこうだったよ」とすらすら出てくる。ウーン、単に記憶力が落ちただけか?

 今夜11時50分からNHKで「タイム・トラベラー」が30年ぶりに再放送される。DVDを持っているからなにも見なくてもいいのだが、それでもしっかりビデオをセットしてある。この番組で初めてラベンダーという植物を知ったのだった。


 29年前、高校2年。1972年1月1日の日記。

「昨日少し降った雪が融けて、道はぬかるみ。 今日見たテレビ。「司会者ベストテン」「新春うるとら寄席」「お荷物こ荷物」。深夜に「トム・ジョーンズ&エンゲルベルト・フンパーディンクショー」。感激だったのは「ザ・ビートルズ・フォエバー」。4人が画面に出てきたのにはびっくり。新春早々縁起がいい。
 今日一番の収穫はNHKの「タイム・トラベラー」に出てくる島田淳子という女の子を発見したことだ。かわいくてセクシー。一目で好きになってしまった。これからあと8回、土曜の6時20分、毎週見よう。今好きな俳優―ー梓英子、吉永小百合、田中邦衛、山本圭、佐藤オリエ、加藤剛。――そして島田淳子」

 その後、島田淳子は浅野真弓と名前を変え、映画で濡れ場を演じたりするようになるのだが、その頃にはこの日の熱はすっかり冷めていたわけで……。歳月は残酷。それにしても、あのぽっちゃり顔の島田淳子が当時の好みだったんだ。セクシーとまで言い切ってる高校生の自分が恥ずかしい。

 しかし、先ごろ再会したケン・ソゴルはいい具合に年齢を重ね、幸せな生活を送っていた。700年後の未来からやってきたケン・ソゴルの帰着したのは暖かいホーム=家庭。――これが私のタイム・トラベラーの完結篇。
11月17日(土)快晴

 午後から会社の近くの公園でDさん、Oさんと某イベントに絡む会食。会場が確保できなかったのでいったん中止にしたのだが、急きょ昼休みに開催することになったのだ。
 3時半に解散して会社に戻り、5時半まで仕事。それから帰宅。このところ家族がパソコンをゲーム機代わりに占拠するので、容易に近づけない。夜10時になってようやく所有者の元に返還。
 HP更新して早めの就寝。
11月16日(金)快晴

 
まだ少し耳鳴りがするものの、大分耳の具合は良くなった。朝、久しぶりにMDを聴きながら駅まで歩く。マンションの玄関を出ると、思わず身震いする寒さ。そろそろコートが必要かもしれない。この前見た舞台「フレンズ」のパンフにおまけで付いていた崎谷健次郎の「love is…beautiful」がヘッドフォンから流れてくる。その声に魅了されてしまう。いつもの待ち合わせの店で最後の別れをする二人の情景。「まぶしすぎる君といた日々は帰らない 愛をこめて最後のキスを心の中で君におくるよ…」
 せつせつと歌い上げるラブバラード。何度も繰り返し聴いてしまう。こんなに同じ曲に耳を傾けるのは久しぶりだ。
 拓郎の「窓の外は白い雪」のような、胸にしみる別れのバラード。これはヒットしてほしくない。時々口ずさむ自分だけの歌にしたい。あまりにも美しい曲だから。
 
 自公保三党の代表がパキスタンに視察に行って酒盛りをし、暴言を吐いたとか。「日本は原爆を落とされて生まれ変わった。国が生まれ変わるにはアメリカに爆撃されてアフガン人が死ぬのはしょうがない」だと。浅間山荘事件の映画化に際して、当時の指揮官・佐々淳行が「平和すぎるからテロが起きるんだ」とのたもうた。まったくこういったヤツらにつけるクスリはない。誰かが、狂牛病のパフォーマンス試食会を指して「発病する頃にはカンオケに片足突っ込んでるセンセイ方より、その子・孫に食わせられるかのパフォーマンスをしたほうがいい」と言ってたが、まさに至言だ。創造力のカケラもない手合いが多すぎる。

 PM5、神保町から都営線で終点の「橋本」まで。初めて降りたが、立派な駅ビルと町並み。食事できるレストランはあるだろうかと、ひなびた田舎町を想像していたのでびっくり。
 「杜のホール・はしもと」で万有引力公演「引力の法則」が7・30から。遠すぎるためか、あまり知った顔はない。蘭妖子さんがいたので挨拶。来年また蜷川幸雄の「身毒丸」の再演があるとか。「藤原竜也人気でチケットがあっという間に売り切れるからね。毎日見に来る人もいるんだから、ファンってすごい」と呆れ顔。

 9・10、終演後、楽屋に行き、シーザー、根本ちゃんに挨拶。松田政男さんも顔を出す。帰りが大変だからと蘭さんと3人で早めに退散。蘭さんたちは京王線へ。
 JRを乗り継いで11・10帰宅。さすがに神奈川は遠い。
11月15日(木)晴れ

 
耳鳴りはだいぶおさまってきた。病気して改めて知る健康のありがたさ。

 PM5、池袋のビックカメラでパソコンのメモリを買う。265メガで7000円。2本購入。これでメモリ最大に。思えばわずか5年ほど前の最初のパソコンは30メガのメモリ。それを買い足して48にした時にはすごいスペックと思ったものだ。それが今は128でも足りずに最大の512。パソコンのスペックはどこまでレベルが上がるのか。

 タワーでCDを2枚。PM7・30、渋谷パルコ劇場で「サクラパパオー」。ラッパ屋の鈴木聡パルコ初進出。受付で広報のYさんに挨拶。舞台としては、可もなく不可もなし。桜井淳子が意外にコメディーセンスあり。テレビで見るより、はるかにいい女。若松武史、やや窮屈そうだが、相変わらず自分の世界で遊んでいる。
 終演後、ラッパ屋のYさんが笑顔で手を振る。

 帰りの電車の中、目の前にたったおじさんのケイタイの着信音が「恋のフーガ」。パヤ、パヤパヤ!の音に心臓がドキッ。それも途中何度もかかってくるので、その度に心臓がピクリ。隣りの席、向かいの席の女性は一心不乱にメールをピコピコ。どうしてケイタイに夢中な人を見ると、あんなに不愉快な気分になるのだろう。車内放送でケイタイ使用に注意を促していても、完全無視する人の無神経さに腹が立つのか? 10・45帰宅。
11月14日(水)晴れ

 日中は調子いいのだが、朝起きると左の耳あたりが腫れていて痛い。これじゃせっかくの休みが台無し。昼頃、近所の耳鼻科に行く。年配の医者は耳の中をのぞきこみながら「ウーン、前にみてもらった医者は耳鼻科だよね?」と首をひねる。処置が不適切ということだろうか。一応、聴力検査を受けるが異常なし。

 家に帰り、何通か郵便物を作り郵便局へ。 雑用をこなしているうちに夕闇があたりを包み始める。日没が早い。
11月13日(火)晴れ

 
睡眠不足もあり、朝起きるのがつらい。おまけに一時的に快方に向かった耳が朝になったらまた腫れていて耳鳴りがひどい。昨日、K氏と会っているときは調子よかったのに。
 会社に行って午前中で仕事にメドをつける。航空機墜落でテロ再燃かの朝刊報道。
 午後、パソコンに向かって原稿書き。3時に仕上げてホッと一息。一仕事終えた後の開放感にひたる。
 PM6、品川へ。六行会ホールでモルドバの劇団、ウジェーヌ・イヨネスコ劇場の「ゴドーを待ちながら」。体調がイマイチなのでよっぽどパスしようかと思ったが、明日は休みだし、多少はムリしてもいいだろうと思い直す。
 開演20分前に近くのレストランでカレーを注文。開演5分前に食事を終えて滑り込む。いつもこんな調子だから、体にいいわけない。受付は海津義孝夫人の馬場敦子さん。
 3時間と長丁場、おまけに山手線で事故があったとかで開演を10分遅らせたので、終演は10時10分。前回、96年公演で評判だっただけのことはある作品。シンプルで力強い。今日はほとんど評論家、俳優、関係者の会合のよう。

 休憩時間にロビーで仲間同士の輪が出来る。銀粉蝶がいたので声をかける。「あら、ずいぶんお会いしませんでしたね」と銀さん。そういえば、ブリキの自発団が活動停止してからだから5、6年は会っていない。「娘さんはもう大きくなったでしょう」と言うと、「中1になりました」と顔がほころぶ。なんでも、囲碁に凝っていて、碁会所みたいなところに行ったりしてるとか。「女の子なのに囲碁をやるなんてね。地味でしょう。ハハハ」
 江森盛夫さんが、銀さんに、「映画いい出来ですよ」と話し掛ける。今度封切られる映画「GO」に銀さんも出ているのだ。主催の七字英輔さんが「どうです。モルドバ、なかなかやるでしょう」とうれしそうな顔。
 終演後、龍昇、白水社の梅本さんらと駅まで一緒。
 途中、駅からK氏宅に電話。奥さんが出て、「ありがとうございました。まったく問題ありません」。ひと安心。
 
11時30分帰宅。子供が夜更かししているのでいぶかしく思うも、明日は県民の日で学校が休みなのだそうだ。
11月12日(月)雨のち晴れ

 
朝起きたら、昨日よりひどい。ほとんど左の耳が聞こえない。まるで水の中にもぐっているみたい。自分の声が反響して不快この上ない。
 午後、耳鼻科に行くと「今はこのままそっとしておきましょう」と老先生。軟膏をつけて、あとは飲み薬。その後、年末調整の証明書をもらいに郵便局に行く。担当の女の子が不慣れな様子。「すみません、書き方がよくわからないので」と上司の手が空くのを待っている。その間、ソファで待機。ウトウトし始めたとたん、お呼びがかかる。
 今日は7・30に駒込でK氏と会う約束。それまで会社で時間をつぶす。
 7・30、喫茶店で待機してると携帯にK氏から電話。「自宅でお待ちしてます」と。8・30、K氏の家は3階建ての二世帯住宅。奥さんが笑顔で出迎えてくれる。そしてK氏と30年ぶりの”再会”。本人は”変貌”を気にしているらしいが、それは誰しも同じこと。
 10・10まで奥さんを交えてK氏とほとんど同窓会気分でおしゃべり。いい具合に年齢を重ねたと思う。帰りに個人的なツーショット記念撮影。笑顔は昔のまま。まるで、同窓生と会ったような楽しい時間だった。
 11・30帰宅。
11月11日(日)晴れ

 朝起きると左の耳に違和感。炎症を起こしてハレあがっている。木曜日、耳鼻科で外耳炎の治療を受けに行ったところ、医者が誤って耳の中に傷をつけたらしい。「2、3日したら炎症を起こして痛むかもしれないのでそのときにはすぐに来て下さい」といわれたが、その予告どおりになってしまった。たかが外耳炎とはいっても顔半分がマヒしたように感覚がなくなる。左の耳も聴こえにくく、うっとおしいことこの上ない。結局、一日中、寝たり起きたり。

 夕方起きて、おととい、FAXで用件を伝えておいたK氏に電話。28年ぶりに聞く声は当時のまま。初対面だが、まるで同窓生と話しているような気分。K氏をなんとか説得して明日の夜会うことにする。今からドキドキ。

 夜、思い立って無料の日記掲示板を入れる。毎日更新の演劇サイトを自称しながら、4月以降はほとんど更新していない。家に滞在する時間がほとんどないのだから、まとまった文を書く時間がないのだ。無料日記ならいつでも書き込みができる。あとで思い出したことを追加できるし、なによりも肩肘はった文にならずに済む。もっと早くから考えればよかった。
 風邪と外耳炎で運動もままならず。うまいものを食べてゴロゴロしてるから体重が増える。風邪をひくと…。

 寝る前にNHKの芸術劇場をのぞく。女優の美加理がインタビューを受けていたが、字幕に「美加里」と出る。美加理ほど自分の名前を誤植される女優はいない。駆けだし時代の松任谷由実もずいぶん「由美」と誤植されたものだが、さすがに今はそんな誤植をする媒体はない。美加理かわいそう。
 
11月10日(土)雨

 午前中で仕事を終わらせ、PM2、ル・テアトル銀座で「フレンズ」を。斎藤由貴と七瀬なつみのメーリングドラマ。メールのやり取りだけで構成するパソコン時代の新しいドラマ。舞台後方のスクリーンにパソコン画面が映し出される。北海道札夕張郡栗山町で同じ高校に通っていた2人の女性がふとしたきっかけでメールのやり取りをするようになる。東京ー札幌。高校時代は付き合いのなかった二人の新しい出会い。メールの朗読だけでどうなるかと思ったが、これが意外に拾い物。

 4・30、いったん会社に戻りROLLYの担当であるソニーミュージックのY氏に電話。その後、池袋まで行き、AMC−MARTで黒のスニーカーを買う。なんでわざわざ靴を買うのに雨の中を池袋まで、と思うかもしれないが最近はカジュアル靴はソコでと決めてあるのだ。

 池袋から三軒茶屋に急行、6・50。時間がなく駅前で大判焼き(クリーム、70円)を一つ買い、夕食代わりにシアター・トラムのロビーで食する。
 MODE「ワーニャ伯父さん」。松本修がすっかり役者づいてしまい、今回はタイトルロールのワーニャ伯父さんを演じている。もともと文学座の役者で10年前までは自分のユニットで役者としても舞台に立っていたのだが、演出に専念するようになってからは板の上からは遠ざかっていた。それが「月ノ光」「あーぶくたったにいたった」で役者に復帰。今回も演出・出演というまるで小劇場の主宰者のようなハードワーク。それが実に堂々としていて、松本修以外に考えられない役作り。さすが、文学座出身。
 主演の美保純もいい感じに仕上がった。松本修は女優キラーだ。
 
 2時間40分と長めだが、心地よい疲労感。 帰り、M新聞のTさんと永田町まで。
 深夜帰宅。風邪のだるさと疲れがピークに達していたため、パソコンも開かずそのままダウン。
11月9日(金)雨

 
朝から咳が出始める。一段落したと思ったのに、風邪がぶり返したか。

 昨日の毎日新聞朝刊の地方版で下の子の通う小学校で体罰事件が起きたと報じられていた。そこには私も知ってるK先生(49歳)の名前が。
 自分の受け持ちである1年生10人に「体罰」を行ったため保護者から抗議され、謝りに行った席で居眠りをしてしまったという。その態度を見た保護者が市教委に訴えたのだとか。
 今朝の朝刊では各紙が後追い報道。まるでとんでもない暴力教師像が作られつつある。

 しかし、何度か接したことがある印象では、子供好きの熱心な先生だ。いわゆるサラリーマン先生ではなく、生徒と同じ視線で行動する昔かたぎの先生。子供たちを連れて川遊びに行ったり、「今日は銭湯に連れてくぞ」と社会見学させたり、運動会でも最後まで後片付けに飛び回っていた。
 確かに行儀のいい先生ではないかもしれないけど、好感の持てる先生だった。これ以上大事にならなければいいのだが。

 などと思っていたら、今日、その体罰を受けたと申し出た母親の一人から家に電話があったという。「こんな大げさなことになるなんて思ってもみなかった。強行に教師に抗議しているのは一人のお母さんだけで、私たち(9人)はK先生をこんなに追い詰める気持ちはなかったのに…」と電話口で泣いていたという。
 県教委まで乗り出してきて、調査することになったらしいが、このままでは処分は免れないかもしれない。「体罰」も「居眠り」も勿論いけないが、なにもそこまで杓子定規に、と思ってしまう。

 今日は一日中あくせくと仕事。時間が足りない。夕方、微熱もあるので家に帰って近所の病院で診察、風邪薬をもらってくる。今日こそ早めに寝よう。


 T市に住む高校の元担任・J先生から、同窓会報の礼状が来る。「毎年楽しみにしています。中身の充実した会報で…。…久しぶりに教え子のYくんに連絡をとってみました」−−さりげない言葉がうれしい。そのひと言で元気が出る。そして、来年も頑張ろうかなと思う。もともと、あの会報は高校時代をともに過ごした人への感謝を込めたラブレターだった。初心忘るべからず。
11月8日(木)快晴
 
PM4・30、渋谷のパルコ事務所でミュージシャンのRollyと。「前にどこかでお会いしましたね」と言われる。何年か前の池田有希子の出た「ロッキー・ホラー・ショウ」の稽古場で会ったことをおぼえているとは。サービス精神旺盛で非常にクレバーな人。PM6まで同席し、その後タクシーで俳優座劇場へ急行。なんとか開演3分前に滑り込み。木山事務所「華氏451度」。前の席が松田政男さん。お疲れの様子。久しぶりの金久美子だが、精彩なし。PM9終演。家に帰って10・30。昨夜、パソコンのスキャンディスクを試みたものの、朝までかかって結局中途半端に終わる。パソコンのモニターの明かりで熟睡できなかったのか、今日はやけに眠い。夕食も取れなかったため、風呂の前におにぎり2個食べて空腹を満たす。もうクタクタ…。
11月7日(水)晴れ

 
オフ日。AM11、歯医者に行って型取り。来週で終わりか? 今日は院長先生が途中で交代して削ったあとをチェック。さすがに手なれていて、少し顔の向きを変えただけで、息苦しさがなくなる。ちょっとしたテクニックで患者の苦痛はやわらぐものだ。

 お昼、タワーレコードでティナの新譜「This one’s for you」を購入。GO!GO!7188の店頭販促オブジェをもらえないかと交渉するが「終わるとメーカーに返却するんです」とにべもない。チケットぴあに寄ってGO!GO!7188のライブの予定を聞くと「ゴーゴーナナイチですか?それで…バンド名はなんて言うんですか?」と言われる。ウーム、まだ認知度が低いか7188。

 ケイタイに会社から電話。パルコのOさんから伝言。明日のRollyの件。銀行で温泉会の旅行代金を振り込み。その後、夕方まで、ちょっとした原稿書き。
 休日というのになぜ自分で仕事を作るのか。 つくづく貧乏症。
11月6日(火)雨

  昨夜はPM9〜10・30、ビデオに撮っておいたNHKアーカイブスの「小さな汚れた手」を見た。1962年の作品。小さな町工場を舞台に、田舎から出てきた一人の青年の貧困の中で希望をつかもうとする苦悩、そして同じ町工場で働く若い女性との純愛を描いたもの。二人が出会うのが職場の卓球大会というのがいかにも60年代。青年は静岡の山奥で生まれ、次男坊であるために、高校を卒業すると同時に家を”追い出され”上京してからはあちこちの職場を転々する。「なにもいいことはなかった。どこにいても自分の場所がなかったんだ」という彼が初めてやすらぎを感じたのがこの小さな部品工場。社長に気に入られようと、囲碁の相手をし、従業員の組合作りの動きを密告する。町工場の社長とて、大企業から仕事を回されてなんとか経営が続いているのであって、決して悪徳経営者というわけではない。少しだけ待遇を改善してほしい従業員、不況で瀕死の町工場。
 まさに高度経済成長直前の資本主義の縮図。
 
 泥の中の生活からはい上がろうと必死にもがく青年を長谷川明男が演じている。当時はよくテレビで見たが、最近はほとんど見かけない。世をすねたような若者の役が多かったと思うが、彼のような翳りのある役者は最近いない。
 島かおりは清純で初々しい演技。18歳の女子工員役だが、当時16歳だったとか。絶望と孤独、救いのないラストシーン。安易なハッピーエンドにしていないのが当時の社会派の真骨頂だろう。こんなドラマを見ると、今のテレビがいかにダメか、つくづくイヤになる。映画と比較されて、電気紙芝居とさげすまれた昔の方がはるかに質の高いドラマを作っていた。今のテレビドラマなど紙芝居以下だ。


 仕事が一段落した午後、記録の確認のために古い備忘録を取り出して、チェック。当時、会った人の名前などすっかり忘れている。むろん見た芝居の中身も。たかだか10年前なのに。

 温泉主義STONESの案内が届く。今回は足を伸ばしてなんと秋田県まで遠征。それも2泊3日。今から根回しをしなくては。

 PM5、学生時代の友人が仕事がてら会社に訪ねてくる。喫茶店に誘って30分ほど歓談。秋田の「S新報」にいる友人が14日に上京するので、久しぶりに卓を囲まないかとの誘い。あいにくその日は休日。残念。リストラで職を失った友人の消息を聞くが彼も知らないという。「再就職が決まったら連絡があるはずだから…」と。やはり彼も電話できないでいるとか。そうなんだよなあ。何か力になれるならいいんだけど、ただ「どうしてる?」なんて聞けないし…。

 PM6、新宿。紀ノ国屋ホールでTHE・ガジラ「或る憂鬱」。劇場に行く前に、三越並びのジーンズショップ「I」でブラックジーンズ1本買う。7900円。東京に来てから27年間、ジーンズはこの店以外で買ったことがない。
 5分前に劇場に滑り込み。エロチカの川村毅、龍昇氏の姿。龍さん、例によってボソボソと「来月、…で面白い芝居やりますから見に来て」と。

 PM9:05終演。鐘下にしては短い。「人形の家」を土台にしているとはいっても、まったく別の物語。北海道の山荘で繰り広げられる二組の兄弟夫婦間の葛藤。若林しほの代役で竹本りえ。世田谷警官刺殺事件の「PTSD」で降板した若林しほ。なるほど、これじゃ、彼女にとって相当キツイ。鐘下得意の極限下の人間模様は、今回もかなりハード。ドロドロの人間関係、殺意、暴力ーーこれじゃ、若林しほにとってほとんど拷問同然だったに違いない。脚本を選ばなかった事務所の責任が大きいのでは。しほチャンが降板したのは当然だ。
 帰り際、制作のWさんも「彼女にとってはきつい内容だったと思います」と言っていた。
 早く元気になってほしいものだ。
 新宿駅東口で映画の看板をパチリ。27年前は何のポスターだったろう。
 10・30帰宅。
11月5日(月)快晴
 毎日新聞朝刊によれば、チョウの一種「アサギマダラ」が台湾から1790キロの旅をして日本に飛来することが確認されたという。台湾大学と日本の「アサギマダラを調べる会」の共同研究で、羽にマーカーをつけたチョウ3000匹を台湾から放したところ、6月19日の日付のあるチョウが7月2日には鹿児島県喜入町で、6月26日の印をつけたチョウは8月4日に滋賀県志賀町で見つかった。40日間で1790キロ。1日45キロ。初めて確認されたチョウの国境越え。放したチョウを確認するのも砂浜に落としたガラスのかけらを探すようなものだから気の遠くなる話。海峡を渡るチョウの話はよく聞くが、チョウはとっくの昔に国境を越えていたんだ。
 ちょうど、手塚治虫の「昆虫つれづれ草」を読んでいたこともあって目に付いた記事。手塚治虫が生きていたら小躍りしただろう。「昆虫つれづれ草」は手塚マンガに優るとも劣らない名著。15、16歳の少年が書いたとは思えない文章に驚く。細密な絵を添えて1人で作った昆虫博物誌。早熟の天才は10代ですでに未来への指針となる自分の世界を持っていたのだ。

 何かニュースがあるたびに、この人が生きていたら何と言うだろうと思う2人ーー寺山修司と手塚治虫。
PM5、秋葉原経由で帰宅。デジカメは結局充電式の電池にする。そのほうがはるかに安上がりだった。今頃気づくなんて…。
11月4日(日)晴れ

 
風邪で一日中寝たり起きたり。夕方になって頭痛がややおさまったので、こうもしてはいられないとふとんを上げ、部屋の中を掃除。何かやろうと思うときにはまず掃除から。思い切って使いそうもない資料を捨てる。あっという間にゴミの山ができる。熱はないのだが、頭がぐらぐら。今日こそ早めに寝よう。その前に、NHKアーカイブスのビデオをセットして。予告編で見た島かおりの昔の映像が新鮮。60年代の青春。

11月3日(土)晴れ

 風邪気味なので、どこへも出かけず終日家に。せっかくの休みなのに、寝てはいられないと、撮りためたビデオを見る。NHKアーカイブスで放映された「若い広場 郡山ワンステップフェスティバル」。
 
 1974年だから上京した年か。映像を見たのは初めて。「緑の復権 環境」がテーマだったとも初めて知った。コンサートの模様というより、そのフェスティバルにかかわった様々な人間模様を描くのが狙い。長髪のロックバンドを目の敵にして、「彼らは害毒を撒き散らしにやってきた」と地方防衛をとなえる武道家たち、コンサート会場の警備を買って出た暴走族連合、中・高校生を見に行かせないようにPTAに働きかける人たち。「子供がロックの連中に汚染されないようにしないければ」とマジメな顔。
 「ロックをやる連中が怖いのではあく、彼らが体現する自由が怖いんだ」というセリフが映画かなんかであったけど、まさにその言葉通り。地方紙までが「PTAは中・高校生のロック会場への出入りを禁じた」と報じて、学校・PTAを側面援護する。
 30年前だから、というわけではない。たかだか10数年前にも同じ光景を見た。
 「下北半島ロックフェスティバル」。白竜、泉谷しげるを呼んで開催した反原発フェスティバル。市長も協力し、挨拶に立ったというのに、学校側は生徒に「行ってはいけない」と足止めした。一体、何がいけないというのか。

 …などということをつらつら考えながらビデオに見入る。加藤和彦とサディスティック・ミカバンド、りりぃ、外道、内田裕也、そしてオノ・ヨーコ。伝説のフェスティバル。映像は時空を超えて生々しい。

 夕方、思い立って、芝居のチケットの整理。89年ごろの60枚くらいスキャンしてアップ、それでも3時間ほどかかる。これでは残りのチケットの整理もいつになったら終わるのか目処もたたない。芝居の短評もずっと書けていないし…。

 そんなことしてたら、11時をまわって、もう寝る時間。休みなのに疲れること。
11月2日(金)快晴

 
PM5、仕事を終えて電車に乗ろうと駅に急いでいたら交差点で別方向から来た救急車3台がすれ違い、停車して何やら話し合いの最中。珍しい構図だと思ってバッグのデジカメを取り出し、撮影を、と思ったらカメラが動かない。電池切れだ。こんな時に限って…。

 PM5・40、下北沢。デジカメの電池を換えようと電器店をはしごするが、合う電池は置いていない。そうなんだよなあ。今使っているオ○ンパスのデジカメは電池の形態が特殊なので電池交換が一苦労。秋葉原でさえ置いてある店を探すのに苦労したもの。結局、下北沢では電池交換を断念。売れ筋商品なんだから、交換電池くらい系列店には置いてほしいもの。頼むよ、オ○ンパスさん。

 「みち草」でカレイの煮付け定食と目玉焼き。しめて1300円余。古本屋、雑貨屋「ヴィレッジバンガード」、ディスク・ユニオンと、いつもの下北沢コース。時間を見計らって、6・50、「ザ・スズナリ」へ。
 劇団鳥獣戯画の「カリフォルニア・ドリーミン」。最近はどこに行っても空席が目立つというのに、立ち見も出る盛況。それも下は小学生の女の子グループから上は60代の夫婦まで世代が広い。GIGAの健闘にびっくり。初演が非常によかったので口コミで客が集まったのか。

 タヌキとあだ名された中学の担任教師が亡くなり、「江ノ島の海に散骨を」という遺言に従い、教え子たちが遺骨を持ってマイクロバスで海に向かう。タヌキは型破りな英語教師で、ポップスクラブを作って60年代のポップスを生徒達と歌った。卒業から40年、同級生たちは55歳。集まったメンバーも人生の終盤にさしかかり、人に言えない秘密や悩みを抱えている。倒産寸前の中小企業の社長、がんの手術を繰り返し、死と向かい合う女性、タヌキのような教師を目指したが、結局挫折した男…。人生さまざま。中でも、クラスメイトと不倫関係にあり、妻の病死で晴れて一緒になれるはずなのに、「妻が死ぬ前に打ち明けなければいけなかった」と自責の念にかられ、自分の愛を封じ込めようとする、あぜち守扮する男の哀愁は絶品。

 現在と過去の授業風景などを往還しながら、懐かしの60年代ポップスに乗せて歌い踊る役者たち。役者たちはほぼ実年齢。それだけにリアリティー十分。途中、こらえきれずに何度も涙。ラストソングの「カリフォルニア・ドリーミン」のイントロが流れた瞬間にはもう滂沱の涙。
 どうもこの頃同窓会ものに弱い。
 この前の同窓会を思い出してしまった。高校卒業して28年。芝居の登場人物じゃないけど、みんないろんな人生を背負っている。
 たった一人で娘を育て、進学したいという高校生の娘の希望をかなえてあげたいと思いながらも不況でいつクビを切られるか不安を抱えている女性、長年、勤めて来た仕事をリストラされ、その退職金を1年間でパチンコ代に費やしてしまった独り身の女性。高校時代は散々ワルをやってきたが、今は人の命を救助する仕事について毎日危険な現場を駆け回っている男。
 ホント、人生いろいろだ。

 教育って何だろうとも思う。10代は誰だって間違いをおかす時期だ。厳しく管理して落ちこぼれた者を排除したなら、今同窓会で会う人数は半分にも満たないだろう。今の教育に欠けているのは「生徒の可能性を認めること」なのかもしれない。誰でも変わることができる。少し傷があるからといって若い芽を摘んでしまったらいけない。何十年という歳月を経てそのことに気づかされる。

 終演後、作・演出の知念正文さんに挨拶。「何カ所か口パクがあったでしょう」「そうなんです、ノドが不安な役者はノド潰さないようテープを使っちゃいました」「やっぱりナマの歌じゃないと客席が引いちゃいますよ」「そうですね、役者に言っておきます」「それと、今回の作品に限って言えば、次回予告編もやめて、余韻をもって劇場を出たいですね」「ハハハ、余計なおしゃべりもなしですか。そうか、そうですよね」
 ほんとは配役のミスキャストも言いたかったが、その役者がそばにいたので口チャック。ま、こんなにダメを言えるというのはそれだけ好きな作品ということ。

 PM11、帰宅。ノドに違和感。風邪の症状。早めに就寝。

 Mさんからのメールで、中学のF校長先生が亡くなったことを知らされる。F校長はウサギの飼育という課外授業を通して子供達の協調と和の大切さを教えた方。毎日、何十羽というウサギのえさを山からとってきたものだ。そうか…、F先生が。オレたちの「カリフォルニア・ドリーミン」は何だったろう。
11月1日(木)晴れ

 今年初めてのボタンダウンシャツ。朝の空気の冷たさが違う。さすがに寒さを感じる。
 仕事を終えてまっすぐ帰宅。同窓会に来られなかった人に会報発送。
 ネット検索で田舎の地名を入力したら結構ヒットする。その中の一つのサイトで郷土史を研究している親戚の名前が登場したのでびっくり。いまやネットで検索できないものはない?