12月31日(月)晴れ

 
11時に起きて、買い物の手伝い。その後、部屋の整理(何日かければいいのか?)。押入れの中の本を整理するついでに書籍のデータベースをつくっているうちにどんどん時間だけが過ぎてあっという間に夕方。整理が一段落する頃には紅白が始まっていた。大晦日とういうのに何をやってるんだか。
 9時に整理にカタをつけて、入浴。田舎にいた頃は、夕方早めに風呂に入って、新年を迎えたものだ。あと数分で2002年。これを読んでくれているみなさま、今年はありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
12月30日(日)晴れ

 10時起床。12時まで窓、洗面所、壁、台所を急いで大掃除。昼食をとる時間もなく、そのまま赤坂へ。ACTシアターで宮本亜門の「くるみ割り人形」。ほぼ満席。ダフ屋出没。初舞台の中山エミリ歌も芝居もgood。

 PM5終演。PM7、新宿・シアターpooで恒例の万有引力・餅つき会。前身の天井桟敷時代から続いている暮れのイベント。寺山修司が田舎に帰れない劇団員のために、毎年開催した忘年イベントを継承しているのだ。J・A・シーザーの「邪宗門」のテーマ曲をBGMに劇団員や関係者がシーザーに呼び込まれ、次々に餅つきをする。掛け声、笑い声が店内にこだまする。間隔を置いて、二臼、三臼…と続いていく。今年も五臼くらいか。
 去年と同じく、M新聞のT橋さんとペアで臼に向かう。「ヨイシャーッ」「ソリャーッ」の掛け声が飛び交う。
 今年の参加は舞踏の市川正さん、元桟敷の林檎童子さん、蘭妖子さん、湘南舞踏派の三上宥起夫さん、瀬間千恵さん、松田政男さん、元万有の高田恵篤さんほか50〜60人。

 今日は早めに帰ろうと思っていたが、あまりにも楽しくてつい時間のたつのを忘れてしまう。気がつくと11時。腰を浮かしかけたところに、シーザーの姪っ子が登場。これがまた超美形。さすがシーザーの姪。ここで終電はあきらめ、しばし彼女と歓談。なんとゲンキンなヤツ。一次会終了11・40。二次会に行くシーザーと姪っ子に駅で別れ家路に。シーザーが「いいじゃないですか。今年最後だから遅くなっても」と言うのだが、このままでは朝までコース。後ろ髪引かれる思いで電車に乗る。そして途中からタクシー。うーん、お祭りB型としては、飲み会に最後までつきあいたいのは山々だが、さすがに大晦日までは…。帰りのタクシー、いつもと違うコースを通って1000円高い料金。暮れで稼ぎたいのはわかるが、露骨過ぎる。
 PM1帰宅。
12月29日(土)晴れ

 
11時に起きて家族の買い物につきあい夕方まで。帰宅して遅い夕食。買ったばかりのDVD「ハムナプトラ2」の鑑賞会で深夜。結局、掃除も片付けもなにもできず。きちんと掃除が終わらないことには気分が落ち着かない。明日はまた予定があるし、ウーム、今年は大掃除できないまま年越しか。
12月28日(金)晴れ

 仕事納め。PM1までに今年の仕事をすべて終わらせる。

 PM2・30。青山劇場で「ブリリアント 光り輝く美しいレディたち」。眞帆志ぶき、榛名由梨、汀夏子、瀬戸内美八、平みちーー宝塚出身の5人の女優たちのレビューショー。結構なお年の宝ジェンヌも含まれるが、歌・踊りとさすがにトップスターを張った人たち。大きな青山劇場でも見劣りしない。
 3・30。第一部だけを見て会社に帰る。机の上を整理し、残っている同僚に「よいお年を!」の挨拶をして2001年の仕事納め。

 PM5。初台へ。ラーメン屋で腹ごしらえし、喫茶店でお茶。PM7からライブハウス「doors」で「寺山修司 都会の荒野に蘇る! 夢なき夜の詩」の最終日公演。
 PM6・30。開演まで時間があったので、高取英さん、オーナーの高橋氏の3人で喫茶店に行き、おしゃべり。偶然、森永理科のお母さんが隣のテーブルに座ったので高取さんに紹介され、挨拶。お母さんは力道山が出た「チャンピオン太」のヒロインだった方。

 PM7・05。会場に戻ると天井桟敷のビデオ上映中。ビデオが終わると司会のPANTAと高取さん登場。制服向上委員会、加納秀人、関谷聡(外道)、月蝕歌劇団…とライブが続き、ゲストの宮台真司と高取、PANTAの鼎談。そしてアンコールライブ。なんと終わったのが10・40。

 終演後、会場で行われた打ち上げに参加。GOGO!7188が好きという宮台氏と意気投合。
 それにしても、今夜のライブの出演者のスゴイこと。頭脳警察、外道、制服向上委員会(SKI)、月蝕。60年代前衛ミュージシャンにアイドルグループ、そして暗黒の宝塚。一見なんのつながりもない顔ぶれ。
 ところが、これが面白いことに、60年代をキーワードにひとつながりになるのだ。
 頭脳警察と交流のあった伝説のバンド「裸のラリーズ」のドラムスが現・SKIのプロデューサー・高橋氏。裸のラリーズと天井桟敷は音楽スタジオを通して交流があった。J.A.シーザーとラリーズのギターは長身長髪のライバル的存在だったとか。「外道」とも高橋氏は交流があり、月蝕は寺山修司のスタッフだった高取氏が主宰。まさに60年代アングラ・過激ミュージシャンたちが寺山修司を媒介に30年後に再会した格好。

 PANTAがSKIの音楽を担当していたということも初めて知った。SKIの女のコたちをわが娘のように紹介してくれるPANTAの意外な顔。70〜80年代にPANTAのライブによく行ったものだが、こうして人なつっこい笑顔のPANTAと話してると、不思議な気がする。高橋氏も不思議な人物。大手芸能プロダクション「B」と大ケンカした話、裸のラリーズ時代のエピソードなどメチャ面白い話に耳を傾けているうちについつい終電を逃す。PM1、解散。タクシーを拾って家路に。ゴールデン街に行く高取氏と途中まで一緒。

 PM2帰宅。いやはや、それにしてもこの3日間の連続ライブの充実したこと。マキさん、エゴ、そして外道、頭脳警察…。ウルトラ・リスペクトの人たちと過ごした3日間。もう、思い残すことはない2001年。
12月27日(木)晴れ

 10・30起床。まずは年賀状書き。登録してない住所を入力していたら2時間経過。あわてて本の整理。そんなこんなで2・30。歯医者に行く時間。こんな忙しい時に予約しなけりゃよかった。歯医者も忙しいらしく、2人の患者を隣同士で掛け持ち。おかげで待ち時間の長いこと。4・00終了。レンタルームに本を運び込む。

 家に帰ってまた整理。PM5・20。掃除途中で鶯谷に。エゴ・ラッピンのライブが東京キネマ倶楽部で8・00から。

  まったく欠点が見つからないライブ。しいて言えばよっちゃんこと中納良恵のファッションか。思い切りゴージャスにしてもいいのに、結構シンプル。

 2日続けて日本で最高のライブを見る幸福。会場も雰囲気抜群。昔のグランドキャバレーふうの内装。二階の特等席から見下ろす快感。日活アクション映画のキャバレーシーンみたい。終演10・10。アンコール2回。客がハケた後、関係者だけでミニ打ち上げ。森ちん、よっちゃんと立話。担当のポリドール・F氏に挨拶して引き上げる。帰りは入谷から。

 11・30帰宅。山のようなゴミは早起きして集積場に運ばなくては。明日が燃えるゴミの最終日。生ゴミ以外は夜のうちに運んでいいと管理人から許可をもらったのだが、夜中にゴソゴソやるのもナンだから。
 しかし、このゴミの原価はかなりなものだろう。ピアノを部屋に運び込んだとき、置場所がなくなり、ベランダに雨ざらしにした子供向けの本千数百冊、オモチャの山。もったいない。
12月26日(水)晴れ

 
10時起床。大掃除デー。まずは自分の部屋から。しかし、収納スペースがない狭い部屋を掃除・整理整頓するということはジグソーパズルのようなもの。出しては引っ込めの繰り返し。本棚がまず片付かない。好きな本はいつでも読めるように本棚に並べてあるのだが、本の上に平積みしないと収容し切れない。ここは意を決して、レンタルロッカーに移そうか。
 
 2時半。作業を止めて歯医者へ。奥歯の治療。根っこに神経が残っているので、歯根治療の時痛い。すぐに最新の治療法で神経を取り除く。針を押し込んでピッピッと電子音がしてる間に神経が消滅したようだけど、あれはいったいどんな技術なんだろう。

 PM4。帰宅して掃除続行。PM5、早めの夕食。PM6、身支度をして新宿へ。早めに着いたので紀伊国屋下のビックパソコン館のDVD売り場をのぞく。「シティ・オブ・エンジェル」と「ユー・ガッタ・メイル」2枚で3000円か。今度買おうかな。

 7・30。「ピット・イン」で浅川マキのライブ。開演前に裏方に細かな指示を与えるマキさん。7・50開場。客席は立見も出る盛況ぶり。終演10・30。サックスの植松孝夫さん、いつもながらスーツをピシッと決めて、カッコいいこと。逆にピアノの渋谷毅さんは開襟シャツにスラックスというラフな格好。ドラムスのセシル・モンローはトレードマークのドレッドヘアーでいつもながらのスティックさばき。今回初参加の若手・和泉聡志のギターテクニックにびっくり。5人のセッションの迫力といったら、身震いするほど。いつものようにアカペラから始まって、ギター、サックス、ドラムス、ピアノのソロが続き、ジャズからロック、パンクファンクと、流れるようなセッション。カッコいい、の一言。こんなメンバー、ほかでは見られない。
 終演後、楽屋を訪ね、挨拶。マキさん上機嫌。

 0・05帰宅。電車で1時間半というのは疲れる。休みだというのに…
12月25日(火)晴れ

 きょう出社すれば2日連休。なんとなく気が楽。サクサクと仕事も進み、PM4退社。池袋に。サンシャインシティを通ると、中央イベント広場で、人だかりがして聞き覚えのある歌声。伸びのある声、安定したボーカル。うまい。露崎春女に似ているけど…と思って人群れに混じって聴き入る。うまい。チラシには「Lylico」という名前。あれぇ、顔もよく似てるなぁと首をひねりながらその場を後にする。
 家に帰ってネット検索したらやはり露崎春女が移籍、改名したのだった。実力派ピカ一なのに、いまいち伸び悩んでいるR&Bディーバもカタカナ名前にして再出発か。

 ビックカメラでDVD少年ジェット第三巻を買う。1万9800円。この中に収録されている「狂った画家」を見たかったのだ。子供の頃、このエピソードは怖かった。画家の描いたキャンバスから花嫁が抜け出て、髪にさした花の花びらを人に吹きかけると、花びらが相手の胸に張りつく。すると、その相手は死ぬ。フラワーという名前の花嫁の恐怖。小学校の教室でフラワーごっこをやったと思っていたが、放送日時を見ると、5歳の時だ。リアルタイムで見ていたわけだから、オレの勘違いだ。学校に上がる前、たぶん近所の子供たちと山や田んぼで遊んでいた頃なのだ。記憶というのはアテにならない。薄暗い地下室の様子や恐怖の花嫁の姿ははっきり記憶しているのに。あれは5歳だったのか…。
12月24日(月)晴れ

 10時起床。大掃除でも、と思ったが、どこから手をつけていいか悩んでしまう。あまりにもモノが多すぎて片付けるスペースがない。年賀状も作らなくては、原稿も書かなくちゃ、などと迷っているうちに思考停止。頭痛がするので、ふとんにくるまって昼寝。起きたら3時過ぎ。もう掃除の気力なし。年賀状作りに傾注。しかし、よく固まるパソコンだこと。はがきソフトがいけないのか。途中で何度も立ち上げ直しているうちに、パソコンが立ちあがらなくなる。一瞬顔面蒼白。電源入れてもウンともスンとも言わないんだもの。こんな症状は初めて。しかし、何度か強制終了を繰り返しているうちに回復。もう、パソコンの不具合には腹が立つやら情けないやら。年賀状作りを続行。しかし、ハガキが足りなくなる。
 仕方ない、半分は明日にしよう。夕食後、家族からクリスマスプレゼント。なんだかこそばゆい。
 就寝時間まで原稿書き。早めにやればいいのに、試験勉強と一緒で、ぎりぎりまでやらないという悪いクセ。おかげで今日もドラマ1本見ることできず。
12月23日(日)晴れ

 
大掃除しようと手をつけたが、途中で家族の買い物につきあわされ昼から外出。女の買い物時間の長いこと。結局夕方まで。帰宅後、今度は下の子が「縄跳びがうまくなったから見て」というので公園に。夕食後、浅川マキさんから電話。1時間半以上。その後、風呂に入って11時。なすことなく一日は過ぎ行く。

 深夜、今日届いた「東京キッドブラザース全漂流記」を聴く。

 「一つの同じドア」を新宿の小劇場「シアター365」で見たのは1978年。それ以来、音質の良くないライブカセットを何度繰り返して聴いたことか。23年目に初めてクリアな音源を聴いた。「帰ろうあの春に今一度出会うために」と歌う坪田直子の声に思わず涙する。今まで見た舞台の中でベスト1を選ぶなら迷わずこの「一つの同じドア」を選ぶ。ミュージカルのオーディション会場。一つのドアを通ってさまざまな人たちがそれぞれの人生を背負ってやってくる。音痴の女、しがないサラリーマン…。演出家は「ミュージカルは素朴な愛を謳いあげること」と主張するが、一人の俳優が演出家の過去を暴く。愛をもてあそび、愛を裏切った演出家の過去。「現実の中で愛を見失いながら、なぜ舞台の上で愛を讃えることができるのか」。現実の愛の虚妄をめぐってオーディション会場は混乱していく。そこに一人の女優志望の少女が現れる。彼女は演出家が捨てた女…。

 少女役の坪田直子が天井に輝く虚構の星に手を伸ばすシーンの美しさときたら、今でも思い出して涙ぐみそうになる。

 東由多加が描いてきたのは現実に裏切られながら、愛と自由を求める若者たちの姿。それは最後まで変わらなかった。歌と愛の力で世界を変えようとした60年代フラワーチルドレンの末裔。

 同じ78年の「失われた藍の色」の音楽はほとんどが小椋佳が作っていた。ともに寺山修司が発掘した才能。そういえば、小椋佳もがんの手術を受けたと、先日告白した。中尾幸世が出た「ザ・シティ」は近未来の管理社会に反抗する若者たちの物語。バイクでバリケードに向かって自爆していく若者たちの姿。
 それにしても、と思う。たかが現実、目の前にあるのはただの現在にすぎないのに、もはや誰も夢を語らなくなった時代。さびしい時代。
 今夜はお酒を飲みながらキッドを聴いて思い切り泣こう。

「遠くまで行こう たどり着く港がどこにもなくっても 雪が降れば 別れは近いけど その日までは 愛し合える…」(雪が降れば=一つの同じドアより)
12月22日(土)晴れ

 一日中、会社にこもり仕事三昧。PM4・30、ようやく終了。
 今年最初で最後の麻雀デー。会社の向かいの雀荘でPM5・30から。相手は後輩3人。しかし…。スーパー・ヅカン! いいところなく終電。負けた上にタクシー帰りじゃ目も当てられない。なんとか駅に滑り込んでタクシー帰りは免れる。不幸中の幸い。
 帰宅するとパソコンはトランプゲームに占拠されている。
12月21日(金)氷雨

 
今日も年末進行で大忙し。
 羽野晶紀が婚約。13年ほど前に一度、取材したことがあった。まだ劇団☆新感線の中では二番手の位置だったが、高田聖子とペアで先物買い取材。キュートで頭の回転も速く、性格のいいお嬢さんだった。伝統芸の世界に入っていくのは困難が伴うとは思うが、幸せになってほしいものだ。

 PM7、目白アイピットで井沢希旨子プロデュース公演「X−COW XICOカフェイン/036ウォーター」(スエヒロケイスケ作)を見に行く。流山児★事務所の井沢ちゃんとは結構長いつきあい。初めてのプロデュース公演だから見に行かないと。
 劇場の「アイピット目白」は初めて。完成した当初から何度もお誘いがあったのに不義理していた。
 5分前に客席に滑り込む。流山児氏、天野天街氏も来ていたので挨拶。ひょいと後ろを振り向くと石井光三社長。娘の久美子さんと一緒だ。社長も温泉主義のメンバーで、この前の秋田旅行は都合で行けなかったのだ。「鶴の湯、ええとこでしたでしょ」とひとしきり温泉談義。差し入れのお酒のお礼を言う。
 舞台はなんとも居心地の悪い不条理劇と思いきや、後半少しずつ糸がほどけてきて、なるほど面白いホンと納得。
 1時間45分。終演後、ロビーに出てきた井沢ちゃんに挨拶。飲み会に誘われるが、明日も仕事、後ろ髪引かれながら劇場をあとにする。10時帰宅。
12月20日(木)晴れ

 
花粉症(?)で朝から鼻水止まらず、鼻炎用カプセルでしのぐ。体調すこぶる悪し。おまけに今の時期、仕事がメチャ忙しい。PM5・30。会社に10時間いるとさすがに頭の中は飽和状態。まっすぐ帰宅。久しぶりに整体へ。
 帰宅後も原稿書き。
12月19日(水)晴れ

 
オフ日。午後から池尻大橋のユニバーサルレコードへ。PM2〜3、「EGO−WRAPPIN」の二人に話を聞く。シングル「色彩のブルース」がオリコンチャート上位に上がってきているが、当人たちはいたって平静。「いい音楽を作っていければそれが最高」と。とんがったミュージシャンにありがちなアクの強さは感じられず非常に素直でナイーブ。ますますファンになってしまった。

 PM4、秋葉原で途中下車。石丸電気でDVDを物色。沢田研二の「悪魔のようなあいつ」1万9000円。「少年ジェット」の第三巻2万2000円。ウーム、いまいちふんぎりがつかない。以前なら、迷わず即買したのだろうが、今は100円でも安い買い物にしたい。さて、どこで買ったら一番安く買えるか?
 PM6帰宅。
12月18日(火)晴れ

 午後、近くの公園でドラマの撮影をしていたので覗くと松下由樹と蟹江敬三の顔。2時間ドラマか?
 PM6帰宅。火曜日にまっすぐ家に帰るなんて何カ月ぶりだろう。仕事しなきゃと思いつつ、田舎から送ってきたシャケとばの誘惑にかられビールを飲んでしまう。ついで缶チューハイ。
 まあ、いいや、夜中に起きて仕事すれば、となんと8時には布団の中。まるで、受験生。しかし、とろとろと眠り続け、目がさめると朝6時。さて、これから家でお仕事。
12月17日(月)晴れ

 
曜日ボケか、家にケイタイとサイフを忘れて出勤。午後になってようやく気づく。夕方、帰宅するとケイタイに大事な伝言。あわててかけ直し事なきを得る。

 夕食後、娘をピアノ教室まで送る。帰り道、「これは誰も思いつかないだろう」というグッドアイデアがひらめく。メモせず、そのまま電車に乗るが、家に着く頃にはそのアイデアが何だったのか思い出せない。とてつもなくすばらしいアイデアだということは覚えているのに。夢の中ではよくある話だが、起きているときに、こんなことが…。嗚呼。
12月16日(日)晴れ

 年に1度の休日出勤。日曜朝6時の電車でも結構サラリーマンらしき人たちがカバンを抱えて乗車する。みんな休日出勤?

 日曜に営業している店はほとんどないので昼食は近くのホテルで。特別ランチがサーロインステーキ(1000円)だが、シュリンプカレーにする。

 夕方5時退社。家に帰って食事前の入浴。仕事が一段落したためか、妙にくつろいでしまう。いつもはカラスの行水なのに、30分近く湯船の中でアカペラ。ふーっ。さすがに出たら湯あたりでめまいが。

 ドイツで14日、国内19基の原発すべてを2020年までに廃棄することが決定された。「脱原発」が連邦議会で承認、可決されたのだ。自然界に存在しない放射性廃棄物を半永久的に管理しつづけることができるという幻想からの脱却。科学と発展の名のもとに、自然の摂理に反した行為をする人間は必ず自然界からしっぺ返しをくらう。共食いさせたことから起こった狂牛病しかり。原発は恒常的に放射能を排出し続ける。放射性廃棄物の毒性は半永久的。どこに原発を推し進める論理があるのか。あるとすれば「作れば作るほど原発産業が儲かる」という資本の論理だけ。「電力不足はどうする」という恫喝には、「原発がなくてもほかの発電施設で十分まかなえる」と答えればいいだけのこと。ドイツの決断がそれを証明する。たった一度、大事故が起こるだけで全人類が死滅するであろう原発に一分の理もなし。
12月15日(土)晴れ

 さすがに5日連チャンというわけにはいかず。黒テントをキャンセル。PM7、帰宅。

 横田基地に隣接する農家の畑のホウレンソウが夜間照明の影響で異常成長したため売り物にならず廃棄とか。テロ事件で警戒する米軍の夜間投光で農家に被害とは。どうせ、米軍に農家の被害を補償する気はないだろう。思いやり予算だなんだと米軍には莫大な予算を使っている従属国ニッポンが肩代わりか。失業者があふれていて国民に痛みを要請するのに、日本国家はまだ世界有数の金持ち国家だ。国民が貧しいのに国家は金持ち? 高田渡の「わからない節」じゃないけど、わからないったら、わからない。
12月14日(金)晴れ

 暮れの仕事テンコ盛りモードに突入。息つく暇もない。それなのに、夜はGOGO!7188のライブを見るために渋谷AXへ。11時、帰ってきてそのままバタンQ。過労死寸前。なにやってんだか。
12月13日(木)雨

 しのつく雨に気分もブルー。
 PM4・30、六本木「貴奈」で浅川マキさんと待ち合わせ。6・05までお茶。そのあと、タクシーで三軒茶屋へ。PM7開演の二兎社「日暮町風土記」を見るため。15分前に到着。近くの立ち食いソバでたぬきうどんを流し込む。どうして、いつもこんなに時間がないのか。休憩時間に武岡淳一さんや青年座の森さん、さすがわささめさんらと立話。初日なので関係者が大勢。9・40終演。元ぴあの鎌滝さんと帰りの電車。11・20帰宅。疲労でボロボロ。3連チャンはきつい。せめて家が都内だったなら。
12月12日(水)晴れ

 休みなのに午後から赤坂まで出る。PM2〜5・10、ACTシアターで劇団☆新感線の「直撃! ドラゴンロック3 轟天VSエイリアン」。大きな芸能プロダクションと組んだ大作よりも、このシリーズが好き。大の大人がおバカで間抜けなことに一生懸命になる、いわば劇団☆新感線の本道。しかし、今回はカネがかかってる。CGやセットが豪華版。客の入りは7〜8割。満席でもたぶん収支はトントンだろう。ひとつ置いた隣の席が沢美也子さん。久しぶりに会った。帰りに、いのうえひでのり、細川展裕氏に挨拶。6・30帰宅。
12月11日(火)晴れ

 
コートなしでは街を歩けないくらいの寒さ。

 仕事を早めに切り上げ、PM3、新宿スペース・ゼロでストレイ・ドッグプロデュース「黒川芽以ライブ」のリハーサルを見に行く。夜の本番は予定が変えられず、リハーサルだけでもと思ったのだ。

 バックバンドの音調整の真っ最中。その間、椅子に座って舞台を眺めながら、座長である森岡利行さんとダベる。最近は「ガチンコ!」の鬼演出家としてテレビに出ている森岡さんに「ガチンコ!」の興味深い裏話を聞く。「なるほど、やっぱり…」。

 劇団員は「USO」の再現ドラマに出たり、CMに出たりで結構生活が成り立つらしく、昔の小劇場の役者のように、水商売でバイトする人は少なくなったらしい。それにしても、このところ、ストレイドッグは美形の女優が多くなった。「なぜか、そんなコばかり集まってくるんですよ」と森岡さん。秋月リサは元制服向上委員会のメンバー。姉がバンドをやっていて、7才になる息子を連れて見学。今日の主役の黒川芽以は中学2年。アイドルとして人気トップ。写真集「レモンドロップ」が2万部も売れているとか。

「場当たり」に手間取り、通しのリハが始まったのが4時半。途中、止めてダメ出しをするので結局最後まで曲のリハーサルはできず。6時10分終了。ダンスはいいとして歌になるとやや部が悪い役者が多かったが、黒川芽以はさすがダテにアイドルタレントをやっていない。衣装をつけた本格的なリハーサルになったとたん見違えるほど輝きはじめ、トップアイドルのオーラを放射する。歌もうまい。
 劇場のロビーに出るとすでに開場しており、扉の前に観客がズラリと列を作っている。10代から20、30代の男がほとんど。

 後ろ髪引かれる思いで劇場を後にし、駅までダッシュ。都営新宿線に飛び乗り、森下まで。7時からベニサン・ピットで「ブルー・ルーム」。15分前に到着し、コンビニに駆け込んでおにぎりを1個買い、近くの公園で急いで食べる。どうしてこんな綱渡りをしなければならないのか…。

 3分前に受付を済ませる。この演劇不況の中、来年15日までロングランなのに、前売りは即日完売という異常人気。その理由は無論、主役の内野聖陽人気。内野の出る芝居はプラチナチケット。名前で客を呼べる数少ない役者だ。客席の99パーセントは内野目当ての女性客。私の目当ては相手役の秋山菜津子。今の演劇界で彼女の発するフェロモンにかなう女優はいない。エロチシズムとウイットに富んだ舞台。途中、観客の目が点になったセクシュアルなシーンもあり、2時間は瞬く間に過ぎる。帰りに、制作の門井さんに「秋山いいですね」と言うと「みなさん秋山さんをホメるんですよ」と笑う。

 9時5分。タクシーで会社に戻り、買っておいたゲームキューブを家に持ち帰る。10・30、幸い、子供はもう寝ていたのでサンタのプレゼントを見られずにすむ。
0・30就寝。
12月10日(月)晴れ

 本格的な冬の到来を告げるような、底冷えのする朝だった。高架のホームは風がピューピュー。電車を待つ間も寒さに震える。

 午前10時、会社のビルにオープンしたレストランでおやつにケーキを買ったら、ちゃんこ鍋のたれ、生茶漬け、たくあんの詰め合わせがついてくる。300円のケーキに1000円以上のオマケ。ツイテる。

 昼休み、ビックP館に行ってクリスマスプレゼントの「ゲームキューブ」を買う。「少年ジェット」のDVDに目が行くが、懐かしのTVドラマシリーズは値段が高い。伸びた手が引っ込む。
 会社に戻ると浅川マキさんから電話。大阪公演から帰ってきたとか。疲れた様子。「声がガラガラでしょう。大阪で叫んじゃったから」と。

 PM6、帰宅。
 昨夜録画したNHKアーカイブス「日本ダービーの日」を見る。動いている寺山さんを見るのは久しぶりだ。「人は馬に賭けるのではなく、自分自身に賭けるんだね。子供の頃から不運続きの人は追い込み馬の、最後の直線で一気に他の馬を追い抜く姿に自分の希望を重ねる…」「会社に入って定年までいくら稼げるか計算できてしまうような、いわばベルトコンベアに乗った社会で、もしかしたら、偶然性が自分に幸福をもたらすのではないか、競馬場はそんな偶然性に賭ける人たちの夢や期待のドラマであふれている」
 懐かしい寺山節に胸が熱くなる。

 番組は1978年、第45回ダービーに出場した同期の騎手3人の姿を追う。レース終了後、「同期生3人のドラマは向こう正面に差し掛かったばかり。3年、5年、そしてその先、直線コースなっても彼らのレースは続いていく」という寺山の言葉の通り、番組放映後、3人にもそれぞれのドラマが待っていた。岡部幸雄は6年後にダービーを制し、いまなお現役最年長騎手。柴田政人は19回目の挑戦でダービー騎手となり、今は調教師。この日のダービーで3着入賞した福永洋一は翌年、落馬事故にあい今も闘病・リハビリ中。しかし、息子の福永祐一が父親のあとを継いで騎手となり活躍している。まさに人生いろいろ。寺山修司が生きていたら福永親子の壮絶な競馬人生を一篇の詩にしたに違いない。
12月9日(日)晴れ

 
9・30起床。午後から「ハリー・ポッター」を見に、電車で3駅移動。ところが、普段は閑散としている映画館なのに、チケット売り場に長い行列。これは…。係員が「この回は立ち見になります」と連呼。残念ながらリタイア。

 夕方、家に帰りHPを更新。部屋をささっと片付けて、とりためたビデオを見ようかと思ったが、中身を確かめてラベルを作っているうちに時間切れ。新しいプリンターはラベルの細かな文字もくっきり。

 タリバンの外国人義勇兵、米国籍ジョン・ウォーカー氏(20)に対して、米国内では、反逆罪に問うべきだという声が高まりつつあるという。マルコムXの自伝を読み、イスラムに改宗し、タリバンの思想に共鳴して自ら志願して義勇兵になった彼を、ブッシュは「かわいそうな子。洗脳されたに違いない」と表現。行為が違法なら裁かれてしかるべきだが、思想は裁いてはいけない。あんなに輝いて見えたアメリカ。今のアメリカはあまりにも無残だ。
 
 パソコンに向かっていると、娘が「最近、この曲が大好きで、耳から離れないの」とジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」を口ずさむ。たまたまCDデッキのトレイに「ジョンの伝説」が入っていたので、スイッチオン。スピーカーから「So this is Christmas and what have you done」とレノンの歌。「えー、パパも知ってるの。すごい、感動しちゃう」と娘。ちょうど娘と同じくらいの年の頃、聴いたのだった。一巡したわけか。歌はいつまでも残る。
 そういえば、平和運動を続けるレノンを危険人物としてアメリカは長い間永住権を与えなかった。その頃から本質は変わっていなかったのか、アメリカよ。

 明日は寺山修司の誕生日。今日の深夜には寺山修司のダービーリポート姿が見られる。「時折、思いだされる人よりも、忘れられない人になりたい」と言った寺山修司。懐かしい姿を楽しみに待ちたい。
12月8日(土)晴れ

 
ようやく週末。今週は長かった。

 PM2、新宿スペース・ゼロでG2プロデュース「天才脚本家」。右隣の席がラッパ屋の俳優U氏。左は友達のA氏。二人とも途中で居眠り。U氏は後半、時計を気にしてばかり。オレもつられて一瞬、ウトウト…。
 PM5、会社に戻り、一仕事。PM7、青山円形劇場で遊◎機械/全自動シアター「ア・ラ・カルト」。毎年恒例の舞台だが、年末の忙しさにかまけてここ何年かは欠席の返事ばかり。久しぶりに見たら白井、高泉コンビはすでに名人の域。3時間たっぷりと楽しませてもらう。休憩時間に制作のBさんと立ち話。「白井さん、ちょっとやせたんじゃないですか」「そうなんです。忙しすぎるんですよ。あっ、病気じゃないですからね」(笑い)。元早川書房のMさんが隣の席。俳優座劇場の「風の季節」が面白かったとか。鶉野昭彦氏の長女、鶉野樹理が主演なのだ。見たいが行く時間がなさそう。
 終わって外に出ると今日はやけに冷え込む。青山通りの両サイドには日の丸と「皇太子殿下おめでとう」の旗の列。
 電車に乗ったとたん熟睡。PM11・30帰宅。疲労ピーク。
12月7日(金)晴れ

 
仕事帰りに銀座へ。チャンスセンター前は年末ジャンボを買う人たちが長い行列を作っている。有楽町のビック・P館に寄り、プリンターを買う。キヤノンのF900。家に帰り、さっそくドライバーをインストール。試しに写真を印刷すると、なるほどくっきり鮮やか。4年前に買った430Jに比べたら雲泥の差だ。新しい機材が入るとなんとはなしにうれしくなる。
12月6日(木)雨のち晴れ

 
このところ、ほとんどのコンビニや百貨店の入り口に「奉祝」の文字が張り出されている。横並びニッポン奉祝の時代。

 仕事を早めに終えて日比谷スカラ座で「ブリジット・ジョーンズの日記」を見る。劇中の収録曲はこのところ毎日MDで聴いていて選曲のセンスの良さに惹かれていた。映画本編もセンス抜群。30過ぎの自立した独身女性のドジでけなげなラブストーリー。実家に帰ると親には早く結婚しろと言われ、バツイチ男を紹介されるわ、遊び人の上司には二股かけられる。唯一の息抜きは結婚できないゲイや独身仲間とのおかしな友情、そしてお酒にタバコ…。これって世界共通なんだ。主演のレニー・ゼルウィガーはこの映画のために体重を6キロ増やしたとか。表情豊かでとってもチャーミングな女優さん。相手役のコリン・ファースは遊◎機械/全自動シアターの白井晃と似ている。後味もすっきりの良質な映画。最近はハデなアクションやSFXばかりで食傷気味だったが、久しぶりに「映画」を見たという気がした。粋でオシャレなイギリス映画。

 夕方、新宿のヨドバシのプリンター売り場でエプソンとキヤノンを比較。やはり画質はエプソンが上だ。ただスペース取りが大きい。どうしようか。

 PM7、下北沢ザ・スズナリで燐光群の「白鯨」。布とロープを使ったシンプルな舞台でメルヴィルの「白鯨」を舞台化。意欲的ではあるが、様式に流された感も。居合わせた江森さんと電車で途中まで。「温泉から帰ってきて2日くらい調子悪かったよ」と江森さん。やはり江森さんもそうか。のんびりするよりもスケジュールに追いまくられていたもの…。
 10・30帰宅。寝不足でふらふら。
12月5日(水)快晴

 完璧な寝不足。朝起きるのが非常につらい。電車に乗った瞬間、ぐっすりと眠り込んでしまった。
 パソコンの表示が異常になったことが気になり鬱々とした半日。だが、サポートセンターに電話して聞いたところ、その異常はフォントキャッシュが壊れたからでしょうとあっさり診断。よくある現象らしい。セーフモードで立ち上げて、再起動すれば直るという。とたんに気分も晴々。ゲンキンなものだ。
 PM6、会社近くのふぐ屋で忘年会。ふぐ刺し、ふぐ鍋、たらばガニ、寿司の食べ放題。不況でふぐ屋もダンピングしてるのか?
 ビンゴ大会では一番最初にビンゴ。副賞でキャッシュ。ビンゴで最初にあがるなんて初めてのこと。こんなにツイて大丈夫か?
 9時帰宅。公衆電話からS氏に電話。パソコンも指示通りの立ち上げで表示異常が直る。
さて、今日は早く寝よう。
11月4日(火)雨のち晴れ

 
PM7〜9・40、ル・テアトル銀座で「GODSPELL」。山本耕史があまりにもデブなのでびっくり。大沢樹生と比べたらどっちがキリストでどっちがユダなのかミスキャストだ。前の席に座った川平慈英がはしゃいでうるさいこと。眼鏡を忘れたので、舞台がよく見えず半分は楽しめなかった。11時帰宅。パソコンを立ち上げるとどうもヘン。バッテンマークなど画面のあちこちが数字に変化している。留守の間に家人がどこかいじったか? 原因がわからないので不安。
12月3日(月)晴れ
 
田沢湖
最終日。8時に起きてお風呂へ。朝食をすませてまたお風呂。お昼過ぎにチェックアウト。田沢湖駅までの途中に田沢湖の雄大な景色が見えるのでそれをデジカメで撮ろうと思ったら途中で電池切れ。デジカメは電池なければただの箱。残念。
 2時半の新幹線で秋田を後にする。大宮で映画評論家のM田さんと一緒に下車。埼京線に乗り換え、6時帰宅。のんびりしに行ったはずなのに、「どうしたの?そんなに疲れ切った顔で」と家人に言われる。ウーン、確かに疲れた。
12月2日(日)晴れ

 
本陣 つらら 鶴の湯
食事前に、10分ほど離れた乳頭温泉・本陣の露天風呂に行く。今までいろんな温泉を見てきたメンバーたちが「これまでで最高」と口をそろえた鶴の湯の露天風呂。軒下につらら。つららを見たのはずいぶん久しぶり。
 雪景色を眺めながらの露天は情緒があり、雰囲気もいい。一応、男女で分かれているが、混浴もOKらしく、若い女の子がボーイフレンドらしい男二人と一緒に入ってくる。女の子を挟んでデジカメで記念撮影してる彼ら。

 乳頭の見え隠れする露天かな

 湯煙につらら手折りて雪見酒


 別館に戻り、食事をすませて、次の目的地・新玉川温泉に出発。いったん田沢湖駅に戻り、そこから1時間ちょっとバスに揺られ、さらに山中へ。途中、眠ってしまい、田沢湖の雄大な景色を見逃してしまう。

 山奥に忽然と現れた近代的な豪華ホテル。お昼の食事は稲庭うどん。

 「名物」の岩盤風呂を体験しようと、1時半、一人を除いてロビーに集合。すぐ近くだというので、丹前姿もいたが、ホテルの従業員に丁重に断られる。なんでもイオウの匂いがつくので、自前の服装で行かなくてはならないとか。あらかじめ用意したジャージを着用。みんな思い思いの姿。わずか15分の距離だが、そこまでは雪上車。後ろから乗り込み、外からバタンとドアを締められると中からは開けられない。振動が激しく、ぎゅうぎゅう詰めにされた車内に向き合った姿は、まるで囚人護送車。雪上車があんなに振動するものだとは。
 
岩盤浴
シューシューと煙と熱泉が噴出する岩場を通って「岩盤風呂」へ。雪が舞い、風がピューピュー。荒涼とした風景の中に、掘建て小屋が3軒ほど見える。立ち上がると頭がつかえそうな低いあばら屋。冬場はそこが「岩盤風呂」なのだとか。
 煙がたちこめる小屋に身を縮めるようにして入ると、中ではゴザを敷いた上にゴロンと横になり先客が3人ほど。6〜7人も入れば一杯。ようやく「岩盤風呂」の意味がわかる。岩の熱で体を温めるのだ。寒さに震えながら買ったゴザの上に寝転ぶが狭いので、みんな横半身にならないと寝られない。おまけに場所によって熱いところは火傷するほど極端に熱い。上からは水がぽたりぽたり。次の雪上車が来るまで苦痛と忍耐の2時間。
 途中で入ってきた地元の女の子は慣れた手つきで用意のゴザを敷き、毛布をかぶってすやすやと寝息。
 しかし、恐山のような荒涼とした冬景色の中、ゴザを片手に薄汚れた格好で小屋に寝そべる老齢者たち。煙が充満してお互いの顔も見えないほど。「まるで難民の群れだね」と誰かがポツリ。

 4時半、寒さに震えながら迎えの雪上車に乗り込む。饒舌な集団が寡黙に。

 ホテルに戻ってすぐに大温泉に。いやあ、普通の温泉の落ち着くこと。この新玉川温泉はがんや皮膚病に効能があるという。有名な俳優・H氏もお忍びで通って「がん」を全快させたという話がある。お湯に入るとピリピリする。自分だけかな、どこか傷があるのかな、と思ったらみんな首をひねって「痛くない?」。強い酸で皮膚がピリピリするらしい。50パーセント湯、歩行湯など、バリエーションが豊富で飽きない。このお風呂も好評。
 夜の宴会は9時にスタートして1時まで。ほんとにタフな人たち。
12月1日(土)快晴

 仕事を早めに切り上げ、PM2・04の新幹線こまちで秋田へ。温泉会のメンバーはすでに午前中に出発、今頃は秋田に着いている頃。一人北に向かうわが身がなんとなくわびしい。次第に夕闇が車窓の外を被い、旅情をもよおすというよりも、心細さがつのる。そういえば秋田は高校生の時に行って以来。あのときも一人旅、雪が降っていたっけ。

 PM5・09、田沢湖駅着。バスの時間まで間があるので、駅の観光案内所で休憩。パソコンが2台置いてあり、「インターネットを自由に」と書いてあるので、さっそく自分のHPにアクセス。ヤフーだと「佐々木昭一郎」で検索するとヒットするのだ。遠い異郷で自分のHPを見るのはなんとなく不思議な感覚。

 路線バス、送迎バスを乗り継いで目的地の乳頭温泉・鶴の湯へ。町中は雪がほとんどなかったが、山中は雪が積もり寒い。今年初めての雪。なんとはなしにうれしくなる。
 宿に入ると、ほかの人たちはすでに夕食中なので、旅装を解いて参加。炉端を囲む食事、風情があっていい。今回参加できなかったI井シャチョーから焼酎の差し入れ。
鶴の湯

 夕食後の二次会、それが終わった午前1時から4時頃までマージャン。男では私が最年少で、平均年齢60歳というのに、そのへんの若者が束になってもかなわない歴戦のつわものばかり。酒は強いわ寝なくても元気という、まさに無頼派集団。毎回そうだが、政治経済から文化芸能まで話題が幅広く飽きることがない。これでI井シャチョーがいたらますます収拾つかなくなるのだが……。