1月31日(木)晴れ

 
医療の進歩は日進月歩。もう少し病気を発症するのが遅かったら、新しい治療法を試みることができたのに、と悔しい思いをしてきた人たちも多いに違いない。母がいわゆる難病で亡くなって7年目。つい最近、その病気解明に新しい手がかりが生まれたとの報道に接し、複雑な思い。もう少し、生きていてくれたなら…。しかし、「もしも」を言っても詮無いことなのだろう。もし、あの電車に乗らなければ、もしあの道を通らなければ…。世の中は不条理な「もし」に満ちている。
1月30日(水)晴れ

 
深夜にネットのニュースで田中真紀子更迭を知る。鈴木宗男の外務省へのNGO排除「命令」が事実なら鈴木は即刻議員辞職すべき重大問題なのに、「ケンカ両成敗」とは笑わせる。「涙は女の武器」発言を見ても小泉という男の頭の中身は知れそうなもの。野上某という事務次官もそのひげ面に似合わずセコいやつだ。

 それにしてもキャッチフレーズとパフォーマンスだけでもってる小泉首相を支持し続ける国民の思考停止ぶりが最大のがん。田中真紀子問題も個人の資質のレベルに矮小化して更迭への露払い役をつとめたマスコミもひどい。この期に及んで「ケンカ両成敗」などという口当たりのいい見出しで問題の本質を隠蔽するのだから、もう何をかいわんや、瀬戸わんや。

 真紀子更迭で議員辞職のインパクトがかすんでしまった巨泉だけど、本来ならば政界に激震が走っていたはず。タイミングが悪かった。どうせ、文春、新潮あたりの右派メディアから「無責任だ」の大合唱が起こるのだろうが、マスゾエだの大仁田だのチンピラ議員風情に言われたくはない。「やはり野に置けーー」だったにすぎない。1977年、羽仁五郎氏に出馬を促された巨泉が固持したのも、自分は政治家ではなく野にいて発言する評論家の資質だと見極めていたから。その巨泉が政治家になったということはあまりにもひどすぎる時代の証左。だれもが田中康夫になれるとは限らない。脱党ではなく辞職を選んだ巨泉は「政治家」向きではなかったということだ。

 午後、歯医者に行って奥歯に冠をかぶせる。昔と違って冠もピッタリフィット。歯科技術は格段の進歩だ。
1月29日(火)晴れ

 
昼過ぎまで仕事がバタついて、息つく暇もないほど忙しい。同僚が一人休みなのでその分の仕事が回ってきたためだ。午後、ようやく一段落ついたのでネットサーフィン。昨日、石田信之さんが「ホームページ作ったんですよ」と言っていたので検索して訪問。青春時代のエピソードーー駅での母との別れのくだりが泣かせる。

 PM5・30。三軒茶屋。すずらん通りの定食屋でさんま定食と目玉焼き=830円。PM6。TSUTAYA。CDを物色するも聴きたい新譜なし。このところニューリリースは不作気味。DVDのコーナーを見るが、映画はレンタルで十分。いくら安くてもDVDは結局棚の飾り物になってしまう。それなら昔のテレビドラマの方がいい。「俺たちの勲章」を手にとる。10代の終わりに見たドラマで、非常に印象深い作品だ。なるほど、澤田幸弘、山本迪夫、降旗康男、出目昌伸、斎藤光正と映画本編出身のそうそうたる監督が演出している。当時のテレビドラマの水準の高さは映画界からの才能の流出とリンクしている。「傷だらけの天使」しかり。買おうと思うのだがBOXで3万円となるとなかなか手が出ない。もう少し安くならないものか。

 1時間ほど時間を潰した後、パブリックシアターへ。松本修演出の「若草物語」。いつものスタイリッシュな松本演出と趣が変わり、やけに「大衆的」。くすぐり芝居が目立つ舞台だ。ことに木野花が奔放な芝居をして、客席の笑いを誘うのだけど、「ウーム、それでいいの?」と客席の反応と反比例して私の表情はこわばっていく。各地を巡演していく芝居だからウケなければ、という思いがあるのだろうけど。ちょっとやり過ぎ?

 休憩時間に客席で劇作家&演出家の永井愛さんの姿を見かけたので挨拶。田岡美也子さんたちと一緒だ。先日、永井さんがNHKテレビに出演した際、「パソコンがウイルスに感染して…」という話をしていたので、その後の経過を聞いてみる。もう大丈夫らしいが、住所録に登録していない人にまでウイルス添付メールが行ったのはなぜだろうと訝しげ。第三者経由? なぜだろう。次回の二兎社公演は10月とか。

 終演後、楽屋で黒木美奈子さんに挨拶。相変わらずチャーミングな方。旅の最後の沖縄公演を楽しみにしているという。ロビーに移り松本修さんと立ち話。昔とった杵柄ですっかり役者づいてる松本さん。そういえば後ろの席のおばさん団体が「あの父親やった人、上手ねぇ。雰囲気があっていいわ」とほめていた。さすがは元文学座。

 劇場からの帰りに会社の経理のMさんとばったり。自宅が三軒茶屋だという。いいとこに住んでる。うらやましい。
 PM11帰宅。今日から娘がスキー合宿なので、一人分家に空間ができた。その空間がやはり淋しい。いつか子供たちが巣立っていったらどうすればいいのか。…なんて、15で家を出た人のセリフじゃない? 親をほっといて好きなことをしてきた自分。親の心痛はいかばかりだったか。明日30日は母の命日。丸7年たつが、まだ心の整理がつかない。もう少し一緒に暮らしてあげればよかったと後悔ばかり。
1月28日(月)晴れ

 
仕事が終わった後、俳優の石田信之さんと飲む約束をしていたが、ケイタイを家に忘れるというドジをしてしまったために、荻窪駅で待ち合わせしていた石田さんとすれ違い。やむなく、家に電話したらちょうど石田さんからの電話が入ってる最中。反対側の改札で待っていたという。一つしかないと勘違いしていたが、そういえば確かに西と南・北があった。荻窪に住んだことがありながら、すっかり忘れていた。PM6・10、西口にいた石田さん、そして石田さんの友人のSさんと合流して、石田さんのポン友の経営する居酒屋「いちべえ」へ。地酒を数多くそろえている人気店。

 石田さんと会うのは二度目。ちょうど去年の今ごろ、「ミラーマン」の思い出話を聞くためにお会いしたのだった。「今度飲みましょう」と誘われたが、一度時間が合わずお流れになっていた。今年になってから、石田さんからお誘いの電話があり、今日の飲み会になった次第。「今度ね」といいながら、「今度」がないのが業界の常だが、石田さんは義理堅い方。わざわざ誘ってくれるのだから、うれしい。
 飲みながら、京都撮影所時代の話や共演した俳優の裏話など興味深い話をしてくれる。3時間はあっという間。Sさんと駅で別れ、石田さんと新宿駅まで。「こんど家に泊りがけできて下さいよ」といってくれる石田さん。気さくでいい人だ。
 10・30帰宅。
1月27日(日)曇り時々雨

 
10時起床。午後、子供の宿題、ブーメラン作りを手伝う。雨の中、自転車で工作台紙を買いにダイエーへ。子供の頃は方眼用紙1枚で、自動車やら戦車やら、いろんなものを作った。プラモデルは高価だったから、紙で何でも作ったのだった。しかし、工作大好き少年の子供はゲームに夢中にはなるが一人でカッターを使うのさえおぼつかない。見かねてつい自分で作ってしまう。今の子供はゲームのコントローラーを扱うテクニックはすごいが、カッターやハサミの扱いはヘタ。モノ作りの機会がないのが一番の原因だろうけど。できあいが氾濫しているから、わざわざ紙やプラスチックでモノを作ろうとは思わないんだろうなあ。ゲームは子供の創造能力・創作能力を奪う。とぼやいても、もうムダなのだろうけど。

1月26日(土)曇り一時雪、のち雨

 仕事を終えて、PM2・30。ザムザ阿佐ヶ谷で月蝕歌劇団「女神ワルキューレ海底行」。ぎりぎり駆け込み。吉田光彦さんが来ていたので隣の席に座らせてもらう。開演まで雑談。月蝕も早いもので結成16年。かつての「螳螂」の美加理も40歳を越えた…云々。
 「ワルキューレーー」は今回で何演目かの上演。予告編のために麻田真夕と長崎萌が出演。

 終演後、急いで新宿に向かう。TGCのオフ会があるのだ。夕方から天気が崩れるという予報だったが、まさか雨になるとは思わず、傘も持たずに急行。5時からの一次会はOKPさん、MROさん、DJさん、そして北海道から駆けつけたKGPさんの5人。7時からの二次会はDD、BRさん、そしてKWくんの3人が合流。11・30まで。三次会のカラオケはさすがに体力的にもきつくてパスさせてもらう。帰り道は大粒の氷雨。頭からズブ濡れになりながら駅に向かう。タクシーを乗り継いでAM1帰宅。
 今ごろ、新宿のカラオケボックスではOKP、DD、BR、KGPさんが熱唱していることだろう。早朝北海道にとんぼ帰りにKGPさんはBRさんの歌を堪能できただろうか。しかし、今日最大の衝撃はBRさんの思いもよらぬ告白。人生の岐路か…。 
1月25日(金)晴れ

 いつもより早めに寝ているはずなのに、朝の目覚めがよくない。非常にツライ。いったん起き上がってもまた2分ほど布団の上でまどろむ。どうしたのだろう、この頃。劇場から遠ざかっているし、夜更かしもしていないのに。

 昼食後、どうにも眠くてたまらず仮眠室で横になったら起きられず、2時間眠り続ける。こりゃ、風邪か? ほとんど自覚症状がないのに。
 PM4、今日も月蝕歌劇団を諦め帰宅。家に帰り着く頃にはすっかり回復しているが、念のため、近くの個人病院に行って薬をもらってくる。明日は飲み会。体調を万全にしないと。今夜は早く寝よう。
 「誰でもピカソ」「木更津キャッツアイ」「トリック2」は録画。

 札幌ビール園で飲み放題の客に前日の残りビールを混ぜて売っていたという。なんだかなあ…。
1月24日(木)晴れ

 
朝刊を開くと弁護士・遠藤誠氏の訃報。肺がんのため22日に亡くなったという。個人情報保護法案反対集会の時には元気な姿を見せていたのに…。愕然とする。永山則夫の弁護を引き受け、永山処刑後の遺骨も引き取っていた。反権力を貫き通した気骨の人。明晰な論理と真情あふれる人間性。もうあのような人は現れないだろう。

 仕事を終えて帰宅。芝居に行く予定だったが、体がだるい。寝不足なのか、いまひとつスッキリしないのだ。家族そろっての夕飯。「やっぱりみんなで食べるとおいしいね」と子供たち。胸中複雑。

 豚にホウレンソウの遺伝子を埋め込み肉質をヘルシーに改造することに成功したと夕刊一面トップ。遺伝子組み替えが植物と動物の間で行なわれる。しかし、手放しで喜んでいいのか。豚を食肉としか考えない資本の論理はどこかで破綻をきたす。生命を操作できると考える人間は自然の摂理に復讐されないだろうか。狂牛病の次は狂豚病なんてシャレにならない。とんでもない時代に生きてる…。 
1月23日(水)晴れ
 

 オフ日。お昼頃、マンションの管理人が「屋上にきてくれませんか」と訪ねてくる。水漏れした家があるとかで、屋上の検分に立ち会ってほしいのだという。同じ階の人何人かと屋上に出て応急処置をしている派遣業者の話を聞く。屋上に出たのは初めて。ベランダからの眺めとはまったく違う。下をのぞき込むと足が震えるほど。360度のパノラマ風景。天気がいいので遠くまで見渡せる。絶景。
 PM2、歯医者へ。奥歯に仮冠。
 家に帰り、HPの手直し。ラジオドラマのページをフレームにする。結構手間取る。
 不要ファイルを削除したりレジストリを再構築するソフトをインストール。無駄なファイルやアプリケーションを削除したら、いくぶんリソースがアップ。これでフリーズすることも少なくなるか?
1月22日(火)晴れ

 
訳あってパソコンを起動させたまま会社に。まるで春先のような陽気。いったい冬はどこに行ってしまったのか。仕事をしていてもパソコンが気になり落ち着かない。会社のシステム担当に尋ねると、どうやら事態は深刻なものではなさそう。一安心。

 PM6・30。文学座アトリエで「大寺学校」。3人の創立者を記念した公演。ニ幕で製作のIさんが役者として舞台に出演したため客席の一部がどよめく。8・55終演。10・00帰宅。アドバイス通りの起動をさせたら無事パソコンが立ち上がる。ホッと一息。昨日一日家でネットができなかっただけでかなりのストレスを感じるとは。ネット抜きの生活はもう考えられないんだろうなあ。
1月21日(月)雨
 

 朝から雨。午後、雷鳴が轟き、雨の勢いも強まる。昼休みに銀座のビックカメラに行ってハードディスクのパーテーションソフトと不要ファイルの整理ソフトを買ってくる。会社に帰って包みを開け、即座にユーザー登録。これを怠ると後でサポートが受けられなくなる。以前は「いいや、あとで」などと、つい登録し忘れてしまい、ソフトの不具合が起きたときに泣いたこともあるから、同じ轍は踏まない。
PM4、仕事を終えて家に直行。ソフトを入れる前にセキュリティーソフトの不具合をなんとかしようと思い立ったのが命取り。思わぬトラブルに見舞われ、新しいソフトを入れるどころの話じゃなくなった。そのため、PM8・30に就寝。AM3に起きてパソコンチェック。しかし…。
1月20日(日)晴れ

 
誕生日。とうとう寺山修司の亡くなった年齢と同じになってしまった。誕生日を迎えるたびに「その年齢までには何かきちんとしたことを…」と思いながら過ごしてきたが、結局何も出来ないままその歳を迎えてしまった。忸怩たる思いがどこかにある。
 お昼、家族が誕生祝いをしてくれる。
 夕方のピアノ教室の送迎までに時間があるのでHP改修作業。ところがデータをあやまって削除してしまう。バックアップはとってるが、復元できない。なぜだ? ウーム、パソコントラブル続き。8時半に帰宅し、作業続行するも解決せず。11時就寝。
1月19日(土)晴れ

 
夕方まで会社。その後、向かいの雀荘で後輩たちとマージャン。去年暮れのリターンマッチ。結果、ほんの少し浮いただけ。場代を払ったらトントン。0時帰宅。今週はほとんど外出せず、パソコンとにらめっこしていた。そんな生活がたたってか、このところやや鬱気味。積極的に動いていないと気力・体力は衰えてしまうのか。来週からは元の生活に戻そう。
1月18日(金)晴れ

 今日も家に直行。「どうしたの? 最近」と家族。昨日のシステム復元の影響のためか、パソコンの一部に不具合が出てしまった。一難去ってまた一難。
 10時から新番組「木更津キャッツアイ」を見る。宮藤官九郎脚本。古田新太、小日向文世、阿部サダヲら出演。懐かしの森下愛子も。奇妙なテンポのある異色作。しかし、第1回目から説明なしの展開で、視聴者はついていけるのだろうか。
11時半就寝。
1月17日(木)雨
 
今週は寄り道せずにまっすぐ帰宅が続いている。この分だと1週間芝居を見ない日が続きそう。少し間があくと、腰が重くなってしまう。ふだん、芝居を見るのに大変なエネルギーを使っているんだということがわかる。
 
 5時に帰宅し、近所の内科医で花粉症のクスリをもらってくる。「毎年2月なんですけど、今年は早いですね」と先生。転ばぬ先の杖。 

 夕食後、演劇のページをフレーム化。一段落ついてホッとしたはいいが、その直後、ネット接続のソフトがヘンになり、アップできない。初めは「再起動したらなんとかなるだろう」とノンキに構えていたが、事はそんなに簡単じゃなかった。1時間以上もあちらこちらを点検したが、原因不明。ついには初めての試み「システムの復元」に挑戦。ドキドキものだったが、それが功を奏し、無事ネット接続が復活。

 それにしても、ネットに接続できないだけで、ストレスがたまるものだとは。普段、いかにネット中心の生活になっていることか。早めに寝ようと思ったが、そんなこんなで11時をまわってしまう。しかし、パソコンって何が起こるかわからない。パソコンを買ってから様々な「試練」を乗り越えてきたからもう怖いものはない? なにしろ、今まで最大の失敗はOSを削除してしまったことだから。そんな大胆なことをしでかしたのは世間広しと言えど私くらいのものだろう。今思い出しても冷や汗が出る…。
1月16日(水)くもり後小雨

 オフ日。午後、歯医者。帰り、タワーレコードへ。しかし、聴きたいものがない。
 家に戻ってHPをいじる。音楽のページのフレーム化。借りてきたDVD「シティ・オブ・エンジェル」を鑑賞。早めに就寝。
1月15日(火)晴れ

 
ぽかぽか陽気が続き、花粉が飛び始めたのだろうか、朝から花粉症状態。クスリも効かず、ついたてつづけに2錠飲んだら、強烈な眠気に襲われ、午後、1時間半ほど仮眠。3時にめざめる。今日は芝居予定のない日。ぽっかり時間が空くとなんだか不安になる。何か見に行こうか、それとも友だちに会いに行こうかなどと思ったが、頭の中がいまいちスッキリしない。寄り道せず、まっすぐ家に帰ることにする。

 夜、リンクの下線を消すにはどうしたらいいのか調べていたら、いままでわからなかった「スタイルシート」の概念がわかるようになった。なるほど、ホームページ作りは奥が深い。サイトを修正しているうちにとうに夜半は過ぎて…。
 休みの前の日はつい夜更かししてしまう。
1月14日(月)晴れ

 
昼から子供と近所の科学館へ。あいにく休館日だったので、公園で一緒に遊ぶ。ぽかぽか陽気。芝生に寝転んで空を見上げると雲が形を変えて流れていく。ゆったりとした時間。しかし、子供はコンピューターゲームの方が気になるらしく「もう帰ろうよ」というので、早々に退散。成人式帰りなのか、晴れ着姿の女の子たちの姿が目に付く。仲間と写真を撮り合ったり、うれしそうな笑顔の彼女たち。
 家に帰って押入れを掃除。その後、「マレーナ」を見ようと思ったが、HPの更新を優先。そうこうしている間に夕食の時間。そして風呂。9時から「マレーナ」を見て11時まで。反ファシズムを底流にしたジュゼッペ版「青い体験」&「哀愁」。少年が憧れる未亡人、モニカ・ベルッチが美しい。11・30就寝。
1月13日(日)晴れ

 
お昼は近所の和風ファミレスで食事。家に戻る途中、TSUTAYAで「マレーナ」を借りてくる。夕方までHPの芝居のページをいじったり、「お題拝借」を更新したり。しかし、作業途中でお題の掲示板のアドレスが不明になり、せっかく書き込んだのがパー。もう一度新しく掲示板を借り替えるハメに。その後は、日記ページのフレーム化に着手。しかし、どうしてもアップできない。どこが悪いのかわからない。仕方なく作業中止。そんなこんなで深夜1時をまわってしまう。結局、一日HPにかかりきりだった。疲労困憊。と思いきや、なんとか午前3時過ぎにフレーム化に成功。うれしい。フレームなんて上級者にはなんてことないテクニックなんだろうけど。もう、素直にうれしいと二度言っちゃおう。フレームに対応していない方はいらっしゃいますか。非フレーム用のページは後で作ります。見えないようだったらおしらせください。
1月12日(土)晴れ

 世間的には正月明けの3連休初日。朝の電車はもちろんガラ空き。
 午前中に仕事を終えてPM3、新宿タイニィアリスでARROW「月と青空」を見に行く。元演劇舎蟷螂、現・月光舎の小松杏里が主宰するワークショップ公演。本公演もずっと見てないから杏里の芝居は何年ぶりだろう。劇場のタイニィアリス自体も久しぶりだ。
 舞台は東京キッドブラザースふうの愛と青春の物語。しかし、何かが欠けている。愛と希望といっても、それはすべて自己完結してしまう現代の若者たちの姿。時代と向き合い傷つき、それでも夢を見る悲しみのピエロはそこにいない。

 終演後、見に来ていた旧知の友人・Yさんと杏里の3人で立話。杏里の息子のMくんは娘と同学年。吹奏楽部で次期生徒会長とか。お互いについこの前子供が生まれたと思っていたのに…。時の流れは早い。「下北沢の古里庵に行ってる?」と杏里。そういえば、杏里と親しくなったのは古里庵を介してだった。もうずいぶん顔を出してないが、今度行ってみよう。
 Yさんと話しながら駅まで。フリーライターのYさんとは10年以上前からのつきあい。演劇ミニコミ紙を通じた仲間だったが、このごろ当時の友人ともなかなか会う機会がない。別れ際、「ホームページがあるのでのぞいてみて」と彼女に言うと、「えっ、ホント? 私も作りたいんだけど。難しいんでしょう」とYさん。
 そういえば、自分のホームページを周囲に宣伝したことがなかったことに気づく。開設以来、見てくれているのはバーチャルなネット世界で作った友人たちがほとんど。

 会社経由で渋谷へ。パルコで三谷幸喜の「彦馬がゆく」。サンシャインボーイズ時代に見ている作品だが、だいぶ手を加えたようだ。3時間15分だが、そんなに長くは感じない。どこといってケチをつけるところがない作品。好き嫌いは別だけど。
11・30帰宅。パソコンは子供がゲーム使用中。疲れもありそのまま就寝。
1月11日(金)晴れ
 冬だというのにポカポカ陽気。昼、青山で「天保十二年のシェイクスピア」の記者発表。今回のキャストにはワイドショーネタになる俳優はいないのでテレビ局リポーターの奇怪な質問もほとんどなくスムーズ。唯一(?)の芸能人・上川隆也へは女性リポーターによる例によって回りくどい恋愛関係の質問。上川憮然。
 PM6帰宅。HPをあちこちいじるも時間がなく中止。もっと使い勝手のいいHPにしたいのだが。
1月10日(木)晴れ

 休みの翌日は朝がつらい。4・50起床。中空に月が引っかかっている。寒さが本格的になるこれからの時期はますます朝がイヤになる。…なんて贅沢言ってられないか。
 仕事を終えてPM7に銀座・博品館劇場で「シューズ・オン!3」。タップと歌とダンスのエンターテインメントショー。ダンス、演劇界の実力派の絶妙なコラボレーションが冴え渡る。川平慈英のコメディーリリーフがちょっとやりすぎの感もあるが、全体を見渡すと今年は抜群の出来。シルビア・グラブ、平沢智が群を抜いてうまい。なによりも華がある。2時間はあっという間に過ぎる。PM10帰宅。
1月9日(水)晴れ

 
午前中、自転車で15分の市警察署に行き、運転免許証の更新。ゴールドカードの権利をなくしたが、それでも「優良ドライバー」で講習15分。待ち時間を入れて1時間ほどで免許交付。

 途中でタワーレコードに寄り、CD2枚。同じフロアに新しくできた本屋さんの看板が見えたのでふらりとのぞくとこれが古書店。しかし、レイアウトや展示がシャレていて、まるでCDショップ。山田風太郎の文庫があったので4冊購入。角川版の忍法もの。絶版だから貴重。

少女漫画のコーナーを見ていると一人の男の店員に「何かお探しですか」と声をかけられる。「清原なつののマンガがないか見てるんですけど」と答えると、「残念ですけど、うちにはないですね」と即答。まだ若い店員なのに清原なつのの名前を知っているとは。驚きあやしみ、「清原なつのをよくご存知で」と問うと、「前に在庫倉庫にいたことがあって、たまに問い合わせがあったんですよ。当時もめったに見ませんでしたね」と店員。

 はなとゆめコミックスの清原なつの「花岡さんの夏休み」をずっと探し続けているのだが、清原なつのの著書自体をほとんど見かけない。「花岡さんの夏休み」は20年ほど前に読んで思い出のある作品。たしか別冊太陽の「少女漫画の世界」の中でも少女漫画史上に残る名作として取り上げられていたはず。古本屋を見つけるたびにあるかもしれないと探すのだが、もはや稀少本。清原なつのも成人マンガに転向して、その後どうしていることか。

 午後は歯医者へ。夕方帰宅。レンタル屋で借りた「バッファロー66」を見る。スタイリッシュな映像としゃれたラブストーリー。いかにも映画的な映画だ。セクシャルなシーンもあり、子供が傍にいたため、途中からパソコンに移して見終える。

 その後、フレームを使ったホームページ作りの勉強。フレームってどうも苦手なので今まで避けてきたが、日記のページなどはフレームの方が見やすいに違いない。何度か作ってはプレビューを繰り返す。しかし、子供とオセロやったり、時間がブツ切りになるので途中で断念。こんど時間のあるときにチャレンジしよう。
1月8日(火)晴れ

 通勤の行き帰りに電車の中で宝島社の「Jポップ批評 されど我らがユーミン」を読む。まるごと1冊ユーミン本であり、中でも松任谷由実の500以上の発表曲から150曲余りを6枚組ボックス仕様にして、それぞれライナーノーツをつけたらどうなるかという試みが面白い。

 同世代から20代まだ幅広い世代の音楽評論家・業界人のつけるコメントは「ユーミン体験」によってかなりばらつきがあり、毀誉褒貶かまびすしい。ドリカム、Misia、ayuといった新興勢力に押されがちで、ひところの勢いがなくなったユーミンブランドだが、これほど徹底的に論じられるのは腐っても鯛、ユーミン神話はまだ健在ということか。

 73年頃、アルバム「ひこうき雲」を出したばかりで、まだ美大の学生だったユーミンはよく林美雄さんの深夜放送「パックインミュージック」にゲストで出ていた。林美雄は毎週繰り返し「ひこうき雲」をかけた。メッセージ性の強いフォークソングの終焉の時代であり、陽水、拓郎がのしてきた頃。ユーミンの歌は政治的メッセージもなければ荒々しい若者特有の息吹を感じさせる歌でもなかった。来るべき「個」の時代を予見させるように、自己完結する「私小説」、サウンド志向の強い、まさに中産階級音楽だった。ほとんど興味の対象外。というより反発の方が強かった。まだ「歌には政治的メッセージがあるべき」という頑なな思いにとらわれていたんだろう。初めてテレビで歌った時にはあまりにも音程がはずれっぱなしで聴いてるほうが恥ずかしくなったものだ。

 それがいつからユーミンを許せるようになったかは判然としないが、「MISSLIM」「コバルト・アワー」「ユーミンブランド」「14番目の月」と荒井由実時代のアルバムはかなり聴き込んだから、ユーミン音楽アレルギーがなくなったのは案外早かったのかもしれない。

 しかし、なんといっても「流線型’80」「OLIVE」こそマイベストアルバムだ。「埠頭を渡る風」を聴くと今でも胸がキュッとしめつけられる。涙とともにユーミンを聴いたものにしかユーミンは語れない?
 などといっても、ここ何年もユーミンのアルバムはちゃんと聴いてないんだなあ。聴いても、繰り返し聴く気にはなれない。昔の方がいい曲だったと思うのは同世代の感傷にすぎないのか。それとも…。
 
 この前、頭脳警察のパンタが「実はユーミンは遠い親戚(血縁関係はない)だということがわかってね。ウーン、ユーミンと親戚か。でも”いちご白書”は今でも許せない(笑い)」と言っていたっけ。

 仕事帰りに銀座で映画「アメリ」を観る。チケットがあっても整理券をもらって並ばないと入れない。整理番号101番。ロングランは続きそうだ。

 内向的で空想ばかりしている少女アメリが町の人たちにもたらす奇跡。ジャン=ピエール・ジュネの映像はいくぶんグロテスク。現実世界と相容れないアメリの心象風景とマッチしている。アメリ役のオドレイ・トトゥも初めは冴えない女優に見えたが、見るほどに輝きを増し、なるほど、この役は彼女にしかできないと思わせる。日本人ならこの役は高泉淳子か。エンドロールが終わるまで席を立つ人がほとんどいなかったのはうれしい。それにしても不思議な映画だった。まさにフランス映画。ハリウッドでは絶対に作れない。

 PM10帰宅。HP更新。
1月7日(月)晴れ

 
正月競馬3連チャン。グリーンチャンネル前に陣取る同僚たち。電話投票ができるので、つい買ってしまい、結果は…。今年もギャンブル運は良くないみたい。

 PM5帰宅。小型機でビルに突っ込んだ15歳の少年の書き残したメモにビンラディンへの「共感」が記されていたという。少なくとも大人よりは少年たちの方ががテロを誘発した世界の真実を直視していたことは間違いない。
 昨日はなぜか輾転反側、何度も目がさめ、熟睡できなかった。さて、今日は早く寝て睡眠不足を取り戻そう。
1月6日(日)快晴

 AM9。起床。日記を書いてアップしようとしたら上書きできず。何度試みてもダメなので強制終了。どうも最近、極端なリソース不足が頻発。表組を作ろうとして、同時に表組の窓を3つ立ち上げただけで「リソース不足」で動かなくなる。これじゃ、マルチタスクのパソコンの意味がない。ただのワープロだ。一日に何回強制終了していることか。ストレスがたまるばかり。メーカーはOSの再インストールでダメならハード的な原因があるかもしれないので、まず再インストールしてみてくださいというが、膨大なデータの退避や煩雑な設定を考えるとためらってしまう。だいたい、プロバイダー設定だって細かな設定内容はもう忘れてしまっているんだから…。

 午後、子供を連れて近所の理容室へ。二人ともだいぶ髪の毛が伸びた。子供の頃はお正月前に母に床屋に行かされたものだ。大人になっても、実家に帰るたびに「そんなに髪を伸ばして。むさくるしいから切りなさい」と母に言われたっけ。70年代の長髪が流行った頃はさすがに何も言わなかったが…。

 今は誰も注意してくれないからついついのばし放題になってしまう。

「注意」という行為は批評と似ている。そこには第三者の目が介在する。
「批評」がない分野は自己点検しないから、野放図になりがちだ。テレビという映像メディアが今のように腐敗堕落したのもきちんとした批評が成立しない文化だからだろう。日々流れ消費されていくテレビ文化に批評というチェック機構はない。

 日本の演劇界が世界的に見てもすぐれた作品を生み出し続けているのも、そこに「批評」が存在するからといっても過言ではない。「批評ではなくサポートを」と「批評」と「批判」を混同して批評に目くじらたてる演劇人もいるようだが、それは的外れだ。きちんとした批評行為は演劇の実践と同じく演劇の活性化に寄与する。もちろん、criticの名に値する、深く穿つ行為をしている評論家は稀だろうけど。
 「批評」は作家にとっての編集者の役割ともいえる。作家は一人では作品を生み出せない。そこに作家をリードする編集者が介在してはじめて作品が生まれる。いい作家にはいい編集者が存在するものだ。
 批評にさらされない文化・芸術は絶えず厳しく自己点検しないと自滅する。子供のしつけや教育も批評と考えるなら、正月前に子供を床屋に連れて行かなかった親=私はきちんとした批評をしなかった父親稼業失格者ということになるか…?
 ウーム、どこかで話が混線してしまった。
1月5日(土)曇り一時あられ&みぞれ

 仕事を早めに切り上げ、PM3、池袋サンシャイン劇場で「セーラームーン」。なんだかここ2〜3年、芝居初めが「セーラームーン」のような気が…。まぁいいか。例によってオタク、子連れの間に挟まれて、居心地いまいち。しかし、美少女たちのエネルギッシュな舞台は新春にふさわしい…かも。PM5・30終演。
 タワーレコードに寄ってCD物色。
 PM8帰宅。食事をすませ、HP更新をと思ったが、子供たちにパソコンを占拠されているため断念。そのまま布団の中。朝まで熟睡。
1月4日(金)快晴

 仕事始め。街も会社も閑散としていて、世間的にはまだお正月。午前中に今日の仕事を終えて、午後は明日の分に手をつける。夕方、早めに帰宅し、子供の遊びの相手。あっという間に就寝時間。
 このところ、何話かパソコンで見ている「少年ジェット」。40年前の東京の風景のなんとのんびりしたことか。でこぼこ道が残っているし、住宅街も広々。浅草橋から五重の塔が見える。子供の頃に憧れた東京の姿がそこにある。住んだこともないのに既視感と同時に妙な懐かしさをおぼえる。
1月3日(水)晴れ

 
義母が年始に来たので迎えに出る。午後は子供と凧揚げ。公園はほどよい風が吹き、凧揚げ日和。凧といぅても今の時代は洋凧。子供の頃は竹で和凧を作ったものだ。半紙を何枚使ったかで凧の大きさが決まる。凧の足はワラ縄だった。田んぼで揚げる凧の爽快さ。今の凧は真上に揚って威勢はいいがいまいち風流さに欠ける。

 家に帰って、DVDを見ようと思ったが、途中で何度も子供とプロレスごっこ。そんなこんなで、正月休み最後の一日はまたたくまに過ぎる。結局、正月休みといっても、まとまった時間で何かをするというには至らず。まとまった時間が欲しいというのはサラリーマンにとって、かなわぬ夢か。時間がたっぷりとれる時には、すでにその時間は無用の長物になっていたりして。まぁ、こつこつと毎日、時間を作るしかないか。
 夕食はアワビなど海産物に舌鼓。毎年、田舎の親戚が送ってくれるアワビなど海の幸に大感謝。こんな贅沢はないと思う。
 さて、明日からまた仕事。がんばろう。
1月2日(水)晴れ一時雨雪

 
午後から初詣。賑わいは例年通り。違うのは牛串焼きの露天商に「この肉は安全です」の看板がかかっていることか。
 はしご乗りが出ていて、参拝客の拍手喝采を浴びている。人出が多く賽銭箱に近づけず。そのうち家族とも離れ離れ。こんなとき携帯電話が役に立つ。

 帰り道、急に冷え込んできたと思ったら雪が降ってくる。斜めに風を切るように。小麦粉を投げつけられたような、ヘンな雪。小一時間でやんだので、地面が濡れただけ。

 家に帰って、パソコンでDVDを見る。テレビは家族に占領されているから仕方ない。

 「少年ジェット」の「狂った画家」編を最後まで見る。5歳の時に見て以来だから、もちろん細かな所はほとんど覚えていないものの、地下室や洋館、絵から抜け出すフラワーという女の幽霊。バラの花びらを吹き付けるシーンははっきりと思い出せる。

 それにしても、嫉妬の犠牲となって狂った画家、よみがえった花嫁、二つの血の宝石、麻薬密輸団…と昔の子供向けテレビの展開・内容はずっしりと重い。しかも、これが「少年ジェット」の最終回ということで、宿敵・ブラックデビルは宝石をめぐる人間のドロドロとした業に、たまりかね、怪盗稼業から足を洗い、それまで集めた宝石を東京湾に捨ててしまうのだ。そしてジェットに「おまえの正義が実現されることを世界のどこかで見守ってる」とエールの手紙を送る。
 初めて知ったのだが、このブラックデビル、決して人を殺さず、麻薬にも手を出さなかったらしい。怪盗ルパンのダンディズムを継承したキャラクターだったのだろう。金持ちから宝石は盗むが、人は傷つけない。
 子供の頃に漫然と見ていたテレビドラマだったが、意外に奥が深いものがあったりして…。
 
 ジェットの正義はその後どうなったのだろうか。
 フォーク・クルセダースの北山修は71年頃、深夜放送「パック・イン・ミュージック」の最終回でこう言った。
「ボクらが声援を送った少年ジェットがなぜ、今の時代にいないのか。それは彼が警視庁の荒川警部の友人として難事件を解決した、いわば警察のシンボルだったからにほかならない。たとえば、今、三里塚に行って空港反対派のおばあさんやおじさんを彼が機動隊と一緒になって排除することができるか。ジェット少年の正義が苦悩することを余儀なくされる時代だから、正義の味方はその存在を許されなくなったのだ」。
 ジェットが今、アフガンに行ったらアメリカにつくか、アルカイダにつくか、それとも…。「正義」の座標軸が国家の意思によって大きく動くことがさらけ出された現代。「正義」など国家の口実にすぎないというのは簡単だが。しかし……。「正義の味方」が「正義の味方」でありえた時代はいまよりはマシな時代だったかもしれない。もっとも、寺山修司ふうに言えば、正義の味方がいない時代は不幸だが、正義の味方を必要とする時代はもっと不幸だ、となるのだろうけど。
1月1日(火)
 朝、起きようと思ったら軽い吐き気。風邪のようだ。そのままお昼まで布団の中。起きてはみたものの、体調不良。正月というのに、風邪とは。年末のツケが一気に押し寄せたか。終日、家でぶらぶら。

 初夢は中学の同窓会の夢。M子さんという幼なじみと話している夢。卒業してたった1回、それも最後に会ったのが10年ほど前。確か愛知県の方に住んでいると思ったが、どうしているんだろう。なぜ彼女の顔を思い出したかわからない。夢の中だから、彼女ともはっきりわからない。子供の頃の顔しか覚えていないし、10年前の顔さえ定かでない。懐かしい顔が夢に出てくると、無性に人恋しくなる。子供の頃、夏休みになると、よく学校の教室の夢を見たものだ。誰もいない教室。胸が締め付けられるような不安と懐かしさ。

 冬になると夢を見るのはなぜだろう。もちろん、夢は毎日見ているのだろうけど、朝まではっきり覚えているのは寒い季節に多い。
 
 正月は子供の頃は楽しい非日常のイベントだった。今と違って雪も多く積もったから、野山でソリ遊びをしたものだ。初めて雪が降った日に、ソリを出して雪の上を滑らせると鉄でできたレールのサビがだんだん落ちてピカピカになる。小高い丘から一気に滑り落ちる快感。

 テレビからは「春の海」が流れ、HBC(北海道放送)やSTV(札幌テレビ)からは海の向こうの北海道の会社の社長たちの年頭の名刺CMが流れた。家もいつもとは違う非日常。「じょい」と呼ばれるふだん使わない部屋に火鉢が置かれ、張り替えられた障子が立つ。ピーンと張り詰めた空気。年始に来るいとこたちとみかん刺しをしたり、火鉢で煎餅を焼いたり…。漫画雑誌の正月特大号の付録を組み立て、かまくらを作り、野山に行ってウサギ罠を仕掛け…。あんなに楽しい日々はもうないだろう。「ペチカ」や「雪の降る街を」を聴くと、子供の頃の雪景色が目に浮かぶ。

 子供に残してやれるのは、楽しい思い出だけなのに、正月といっても普段と変わらない日常生活では、申し訳ない。明日は初詣。せめて普段と違う一日となりますように……。