3月31日(日)晴れのち雨

 
昼過ぎに目覚め。昨日の日記を書いて、夕方、娘と買い物。明日の支度のため。帰る途中、雷がゴロゴロ。今日は早めに寝よう。明日は大阪だ。
 夜、思い立って、森田童子のページに彼女が1983年に朝日新聞に連載したコラムをアップ。シーザーや寺山さんのことも言及している。曲馬館の桜井大造のことも。風の旅団が消え、新しい集団「野戦の月」に移行した桜井大造。ここ1年ほど公演がない。彼のテント芝居は最後のアングラといえるだろう。その姿を見ないのはさびしい。
3月30日(土)晴れ時々小雨

 
きょうでしばし会社とお別れ。仕事を終えて机周りを整理する。

 PM2、中野ポケットでストレイ・ドッグの「竜二」。大ヒットした映画「竜二」を製作・主演しながら、その栄光を見ることなく胃がんで死んだ金子正次の姿を映画と絡めながら追う。脚本・演出の森岡利行が大きな影響を受けたということで、思い入れの深さがうかがえる舞台となった。

 軽いギャグのジャブで笑わせながらも、後半30分はこらえきれずにただただ涙。死期を迎えた金子の、仲間との別れのシーンが近づくにつれ涙で舞台がかすんで見えなくなる。終幕、舞台ではベッドで痛みに耐えてのたうちまわる金子のそばで、彼を励ます町田龍作(松田優作)、内山(内田栄一)の悲痛な姿が。思えば、すでに二人とも鬼籍に入り、この世にいないのだ。
 がんの痛みと闘う金子を4時間も立ち尽くしたまま励まし続けたという優作はそれからほどなくして自らも病に倒れた。脚本家・内田栄一も金子の後を追うように旅立った。これは死者たちへの鎮魂の舞台なのだろう。

 芝居が終わった後、森岡氏と立話。「舞台の最後に使った映像(有名な肉屋の別れのシーン)は当時と同じ場所で撮ったんです。当時、映画の撮影を偶然見ていましてね。竜二が自分の人生を変えたといえます」と森岡氏。松田優作と金子正次の友情の挿話に話が行くが、話をしていてもつい涙が出てきてしょうがない。恥ずかしいので、森岡氏に別れを告げて早々に引き上げる。

 PM5、いったん会社に戻り忘れ物はないかチェック。PM5・45、表参道のキョードー東京に寄り、ブリトニーのチケットをもらって帰る。

PM6・30、下北沢。今日はまたすごい人出。新入学の時期。地方から出てきた学生たちがどっと押し寄せるのだろう。小さな下北の駅は立錐の余地もないほど。「道草」でカレイ定食=997円。

 PM7、「劇」小劇場の前は黒山の人だかり。椿組の「お葉」が上演されているのだ。開演を待つ客の群れ。そこをすり抜けてスズナリへ。流山児★事務所「最後から二番目の邪魔者」。B級遊撃隊・佃典彦の作品を少年王者館・天野天街が演出するというミスマッチ感に期待したら、なるほど、これは「どこにもない芝居」(流山児祥)だ。引きこもり男の見た一瞬の幻想・妄想。男10数人がふんどし一丁の相撲取り姿で、少年王者館独特の振り付けで踊る異様な迫力。御大・流山児まで裸になり、どつき、どつかれる大奮闘。「やっぱり役者はいいよ」と流山児。1時間45分。狂乱の妄想劇。終演後、ロビーにいた天野天街に挨拶。「地獄めぐり」大阪公演を終えてきたばかりという風間水希、海津義孝と雑談。商業演劇となると、いろんなコトがあるようだ。
 「ふるさと」は椿組、西山水木組(本多スタジオで公演中)で占拠。流山児組は3階で飲み会。途中、北村有起哉とばったり。流山児に挨拶していた。「飲みに行かないの」というと「これから行くところがあるので。すみません」と笑顔の有起哉。夜公演がないとほかの舞台を見ている。本当に芝居が好きなんだな。彼。

 宴席で演劇好きの下関の銀行員氏と話。流山児事務所でよく会う人。
「昨日早朝に、家族が寝ている間にそっと抜け出して来たんです」と言う。「ちょっとそこまで」が東京に芝居を見にくることなのだから、すごい。同年齢で、バリバリの銀行員。
「月ー金は朝9時から夜11まで仕事。土曜も9時〜9時。私にとってはこうして一人で東京に来て芝居を見たり美術館めぐりをしたりするのが、息抜きなんですよ」
 おだやかな笑顔。学生時代に芝居の手伝いをしていたとか。彼のような趣味と生活を両立させる生き方もいい。

 海津氏から大阪での役者A遅刻事件を聞く。例によって朝まで深酒したAが酔っ払って劇場入りに遅刻。彼の出番を逆算して「地獄」開演を10分繰り下げたそうな。商業演劇を遅刻したA。前代未聞だ。みんなに愛されるAだから事なきを得たというが、普通なら永久追放とまではいかなくても、ペナルティーは大きいんじゃないか…。PM11・30。代々木上原最終11・55の電車に乗り途中駅止まり。AM1・30。タクシー帰宅。
3月29日(金)雨

 
鯨統一郎「隕石誘拐」読み終える。宮沢賢治の隠しダイヤのナゾをめぐる誘拐事件の顛末。着想は面白いが、童話ふうになったりハードなセクシャルバイオレンスになったり、一貫性がない。途中で投げ出そうと思ったが、渋々最後まで。奇想と情熱だけでは小説は成り立たないものだと小説作法の難しさを再認識。

 PM4・30。歯医者で治療。この前の失敗の続き。あのときの痛さを思い出すと、憂鬱になる。PM5・30、今日は慎重に治療が行なわれたようで、なんとか無事終了。家に戻り、夕食もそこそこに娘のピアノ教室へ。いつものように駅の地下待合所で時間つぶし。雨が降っているせいもあって寒い。再び娘を迎えに行くバスの待ち時間を利用して佐々木昭一郎氏に電話。
 PM9・00娘と帰宅。
3月28日(木)晴れ

 
雨上がりで気温が上昇したためか、花粉がひどい。薬も効かないようで朝のうち、花粉症に悩まされる。
 PM6、新宿。南口の定食屋でカレイ煮つけ+目玉焼き=950円。タワーレコードを散策。7・30、スペースゼロで遊◎機械プロデュース「ノーセンス」。サーカスの面白さと演劇をドッキングというが、ウーム…。白井晃さん、まだ体調が戻らないのかヤセた姿が痛々しい。開演前にトイレで北村有起哉とバッタリ。「おとといは、どうも。昨日も遅くまで飲み会でしたよ。夜は自分の出番がないので抜けてきたんです」と笑顔で挨拶。
 9・00終演。帰り、制作のBさんに挨拶。楽屋には寄らずに引き揚げる。再びタワーに寄って、「大西ユカリと新世界」なるアルバムを買う。ビッグバンドを従えたコテコテの昭和歌謡曲ふうサウンド。朱里エイ子の「北国行きで」をカバーしていて、それが聞きたかったのだ。
PM10・30帰宅。疲労感。
3月26日(水)雨

 
朝から小雨が降り続く。

 広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」号の副機長、故ロバート・ルイス大尉の直筆記録がニューヨークで競売にかけられるという。原爆投下直後、「1分間、これから何が起きるのか、誰にもわからなかった」。きのこ雲を見て、「あと百年生きたとしても、この数分のことは忘れない。神よ、われわれは何をしてしまったのか」と記述した。

 現代は映像の時代だ。もしも、9・11の映像が撮影されることがなく、全世界にあの映像が流れなかったとしたら9・11の衝撃はあれほどだったか。もし、57年前に、放射能にも、熱線にも耐え得るテレビカメラが原爆投下時のヒロシマをテレビで生中継したとしよう。その光景を全世界が目にしたとしたら……。
 戦争による残虐な映像は決してお茶の間には流れない。映像は諸刃の剣。時には人々から想像力を奪い取る。

  それにしてもエゲツないこの頃の辻元辞職のマスコミ報道。社民党を少数政党だと思ってカサにかかっているのがミエミエ。疑惑のレベルが違う連中には及び腰なクセして、「疑惑を明らかに」だと。政治家のカネについて百も承知の政治部記者連中がよく言うよ。どうせやるのなら、辻元的次元じゃなく、恒常化している秘書給与のピンハネ問題や政策秘書制度問題を追及すればいいのに、「辞職する、しない」に矮小化。どうせ野中あたりが右派メディアの新潮にリークしたんだろうけど、宗男追及の「見せしめ」なのが明らか。各議員のスキャンダルを一手に握っている男が小出しにして情報操作する。それに乗っかるマスコミ。こんな茶番を続けるウラには、戦争ができる国を目指す連中が「個人情報保護法」はじめ、メディア規制法可決に向けた策動をカモフラージュしたいという意図がある。
 それを知ってる辻元だからこそ、「空気」を感じ取って、早めに辞職し、反撃すればよかったのだが、タイミングが遅すぎた。政治家になると周りの「空気」が見えなくなるものか。ま、一番悪いのは偉そうなことを言いながら何もしない大新聞の政治部記者だが。
 午後から、部屋掃除。耳鳴り再発。不快度50。なぜだ?
3月26日(火)雨

 
雨だというのに朝から青いビニールシートを持って公園で桜見物の陣取りをしている人たちがいる。今年は開花が早過ぎたので去年の新入社員が2年連続で陣取りにかり出されたのか。この雨の中、花見はできるのだろうか。とりあえず場所を確保というところ?

 PM3、ベニサンピットでtpt「火あそび」。平日昼公演とあってかtptにしては客席密度薄い。中川安奈、塩野谷正幸、真名古敬二ら実力派が演技の火花を散らすストリンドベリの耽美作。中川安奈の夫である演出家・栗山民也氏が客席にいたので、思わず緊張してしまう。広い大劇場ならいざ知らず、手を伸ばせば舞台に届くような小劇場。目の前で妻の演技を見るのはどんな気持ちだろう。安奈にしても、客席から夫が見ているのはやりにくいだろうに。しかも、艶麗な役で、男優との絡みもある。
 関係のない自分が緊張するのはヘンな話だが…。

 そのあたりの微妙な感情について、後で中川安奈に聞くと、「シチュエーションとしては、やはり互いにイヤかもしれませんね」との答え。ウーン、そうなんだろうなぁ。PM4・10終演。上演時間1時間。今日はtptダブルヘッダー。

 秋葉原で時間をつぶし、PM7、ベニサンに戻り「アダムとイブ 私の犯罪学」。寺山修司の初期作品。猥雑さの中に聖性が見え隠れするポップな詩劇。「火あそび」と同じ出演者ながら、役どころはガラリ一変。中川安奈は中年の女・または欲深きイブという役。「火あそび」での男の心を弄ぶ妖艶な美女から一転して怠惰で卑俗な母親役の演技に変わる。さすがは演技派女優。塩野谷は例によって、頭を壁に打ち付けたり、三角倒立する「肉体言語」を取り入れ、台本にない行間を埋める。猥雑ではあるが、奇妙な静謐さも漂う好舞台。約1時間10分。

 終演後、楽屋に行くと塩野谷氏が「上がって上がって」と手招き。楽屋で「店を開いて」毎日打ち上げをしているのだとか。ビールで乾杯した後、歓談。tptならではのシブい役者たちが楽屋見舞いで勢ぞろい。山本亨、千葉哲也、山中聡、二瓶鮫一、三田村周三…。北村有起哉、山本亨らと雑談。

 10時に閉店。近くの店に河岸を変えて飲みなおし。塩野谷、中川安奈、植野葉子、千葉哲也、三田村周三、山本亨らと11時過ぎまで。中川安奈の小劇場好きにはびっくり。千田是也氏の孫、映画「敦煌」での華麗なデビューと芸能界の人というイメージがあったが、第三次小劇場ブームが彼女の演劇原体験だとか。中でも第三エロチカのファンだったとは。意外な発見。気さくでいい感じ。千葉哲也も見かけ通り豪快。11時半、帰りの方向が一緒なので千葉、安奈の3人で電車に。ビール、焼酎、ワインですっかりできあがってしまい帰宅してから倒れこむように布団の中。
3月25日(月)晴れ

 
仕事帰りに鯨統一郎著「隕石誘拐」を買う。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をモチーフにしたミステリーというふれこみ。初めて読む作家。当たりか外れか。

 上野で途中下車。煎じ薬が切れたので漢方薬局で補充する。ここ4〜5日、非常に調子がよく、昨日など、もう9割方治ったのではと思うほど耳鳴りはおさまっていた。頭全体に響くキンキン音を忘れかけていたのだが、今日、会社に行くとまたあの金属のセミの合唱が始まる。不思議なことだ。昨日と変わったことといえば、花粉症対策の鼻炎用錠剤を飲まなかったこと。まさか、それで耳鳴りが抑えられていたということはあるまいに…。でも、いろんな条件をひとつ一つ点検して、なにが良くないのか、良いのかを絞ったほうがいいのかも。
 病院からもらったビタミン剤、漢方薬、あるいは睡眠時間、疲れ…どの要素でここ数日快調だったか?
 PM6、帰宅。
3月24日(日)晴れ

 
昼近くに目がさめる。昨日買ったフォークCDを聴く。万里村れいとタイムセラーズ「今日も夢みる」、キャッスル&ゲイツ「おはなし」、フォーセインツ「小さな日記」、ザ・リガニーズ「海は恋してる」……。中学から高校にかけて深夜放送で流れていたカレッジフォーク。あの頃、大学生も東京という言葉もおぼろにけぶるはるか彼方の世界。「若者」という言葉にも新鮮な響きがあった。まだ恋に恋することしか知らない少年。ふいにその時代の自分が目の前に現れたようで、胸がせつなくなる。まだ見ぬ東京、まだ見ぬともだち、まだ見ぬ恋人。「憧れ」だけの時代。トワ・エ・モワの「或る日突然」も久しぶりに聴くとなんていい歌だったんだろうと思う。あの頃は気がつかなかったけど。
 中也ではないけど、思えば遠くに来たもんだ。あの頃の自分はどこに行ったのか。今ある自分はいつから今の自分になったのか。

 どんなに年齢や経験を重ねても、人間は10代の記憶の呪縛からは逃れられないものなのだろう。10代の記憶の箱の中にはまだ「夜明け」や「希望」や「夢」や「恋」や「明日」が残っている。たぶんそれは死ぬまで変わらない。
 などと、感傷にひたりながら、中2の娘にCDを聴かせると、「なんか、眠くなっちゃう。テンポが遅いんだもの。AYUの方がずっといいよ」だと。…カックンルンバ。
3月23日(土)晴れ

 
仕事を終えて、PM2、新宿パンムルムスでハイレグジーザス新人公演「威風凛凛ハラキリカーニバル」。どうも見覚えのある小スペースだと思ったら、移転する前のタイニィアリスだ。客席後方で三宅弘城と会話中の河原雅彦に挨拶。「新人公演まで見に来てくださって…」と河原氏。このところ役者として舞台に出ずっぱり。「これくらい出ていれば普通は億単位の稼ぎになるんでしょけど、カネにはならなくて」と苦笑。

 新人公演とはいっても、ハイレグの先輩たちのネタ&演出。本公演のようなもの。最後のネタの「フードファイト」もグロにならず清新な印象さえ受けるのは総代・河原の薫陶よろしきというところか。個人的には小柄で度胸満点、チャーミングな伊藤海に1票。ウーン、しかしこの極めつけのエロ・グロ・おバカ路線どこまで続くのか。「もう、やりません」と河原は言うのだが…。こんなに腹をくくっておバカに徹する集団はハイレグしかいない。ここまで徹底的にやられると神々しささえ感じてしまう。このはみ出しぶりは60年代アングラとも相通じるものがある。河原氏にはオトナにならず、まだまだ頑張って欲しい。

 PM3・45。ヴァージンレコードに寄りあれこれ試聴。原由子の昭和歌謡曲カバー集がバカ売れしている。選曲は確かにいい。ただ彼女の声質は好みじゃないのでパス。
 女性ラッパー、Miss Mondayの1stアルバム「Free ya」を買う。
 ふらりとフォーク、GSコーナーに行ってみる。最近は結構昔の音源の再発が多いようで稀少盤も多く棚に並んでいる。ノスタルジーにかられ、「フォーク・ビレッジ選集1」を買ってしまう。
 「今日も夢みる」「おはなし」「小さな日記」など大好きなカレッジフォークが多数収録されているのだ。

 PM6。ザムザ阿佐谷で万有引力「野球一族の陰謀」。万有始まって以来のギャクコメディー。根本豊、高田恵篤、伊野尾理枝らベテランがギャグ芝居を嬉々として演じる。初めはとまどったが、後半は隣に座った小松杏里と大笑い。これもありか…と思いつつも胸中複雑。

 7・45終演。シーザーとつぼ八へ。今回の芝居は外部の役者が半分以上とか。舞台の上で異質だったパンチライダースという色っぽい二人組の女の子もパフォーマンス系のユニットらしい。60年代サイケデリック衣装の彼女たち、どこか天井桟敷の美学と通じるものがあって気になっていた。

 根本さん、シーザーと「寺山映画」の話で盛り上がる。8時からなので時間もたっぷり。まだ話し足りないが電車の時間。11時過ぎに宴席を辞して駅に。ホームで電車を待っていたら、さっきまで隣で一緒に話をしていたエッティこと宮地悦子くんや水岡氏、浅野泉、根本夫妻と合流。新宿まで。エッティは親の反対を押し切って博多から芝居をやるために上京し、扉座の研究生をしていたとか。自分のやりたいことをしっかり持っている人は目の輝きが違う。頑張って欲しいものだ。
 途中からタクシー。AM1帰宅。
3月22日(金)晴れのち雨

 
PM4、退社。小雨がぱらついているので傘を持って出る。PM7、新宿・紀伊國屋サザンシアターでウォーキングスタッフ&ネビュラプロジェクト「タワーリング・ライフ」。受付で石井久美子さんに挨拶。ロビーでラッパ屋の山家さんと。「よく会いますね」と笑う。今日は福本伸一、木村靖司と一緒。

 和田憲明の描く世界は同世代の鐘下辰男と相通じるものがある。世間からはみだした男と女たち。違うのは、いわゆる演劇的リアリティーではなく映画出身の和田のそれは、まさにホンモノと見まごうばかりのリアリズム。役者の演技に鬼気迫るものを感じる。2時間がこれほど短く感じられたのは初めて。しかし、こういう芝居に限って客席が薄い。もっと入ってもよさそうなものだが。
PM10・30帰宅。雨降りやまず。
3月21日(木)晴れ

 
11・00起床。昨日寝たのが0・30。睡眠時間たっぷり。しかし、就寝中に頭痛。いったん起きて朝・昼兼用の食事をして頭痛薬を服用。土曜日放送したFMシアターを聴いているうちにまた深い眠りに。目覚めると4時。なんだか一日中寝ている。疲れているのかなあ…。自分じゃまったく疲れは感じないのに。
 耳鳴り不快度20のまま推移。やはり家にいるときは悪化しない。

 「こわい部屋」を読むも集中できず。ラジオドラマしかり。一日中、家でうだうだしてると貴重な時間を無駄にしているようで不安になる。これはB型特有の不安神経症?
 夕方、ようやく体が目覚め、こうして日記を書く気力が出てくるのだが…。外は突風。地鳴りがして、このままマンションが吹き飛ばされそうな風の強さ。満開の桜も風に散らされてかわいそう。
3月20日(水)快晴

 
オフ日。せっかくの休みというのに、細々とした雑用をこなしているうちに一日が終わってしまう。
 耳鳴りは朝のうち軽いジーんという音からスタートし、次第にキーンという金属音に変化するのが常なのだが、今日は悪化せず。そのまま推移。最悪を100とすれば20の状態が続く。毎度のことながら、なぜ休みの日だと耳鳴りがひどくならないのか。非常に不思議。確かに時間に追い立てられるような仕事だから、きついと感じるが、それがストレスだとは思えないし、かえって家にいるとHPの更新やらなにやらで強迫的なストレスを感じるのに。人間の心理の複雑さよ。

 「耳鳴りの原因になるもの」として恒常的な騒音があげられる。ふと思う。パソコンから出る甲高いキーンという音。もしかしたら、それが原因なのでは。今まで気づかずにいたが、HDDの回転音が非常にうるさい。耳鳴りとして感じる音と同じ周波数だ。休みの日など、長時間パソコンの前に座っているとき、知らず知らずのうちに、その音が耳への騒音になっていたのでは。そう考えると右耳に偏る耳鳴りも説明がつく。パソコン本体を右に置いてるのだから。
 しかし、このパソコンまだ1年しかたっていないのに、最初から故障ばかり。最後にこの騒音。失敗だったかhp。
3月19日(火)快晴

 
午前中で仕事を終え、午後から神尾記念病院へ。1時半に受付を済ませるも、診察の順番が回ってきたのは4時過ぎ。待ち時間の長いこと。その間に今朝、大澤氏が送ってくれた女優Aさんのエッセイ原稿を読む。1階の喫茶室の壁に銀行の電光掲示板のように待ち時間の経過が表示されるので、普通の病院のようにイライラすることもない。

 改めて行った聴力検査も異常なし。外耳の炎症もおさまっている。「それでも耳鳴りがするということは、原因が不明ということですね」と副院長。あっさりサジを投げられてしまった。次回はこの病院だけで行なっている対症療法を受けることにする。「効果があるかどうかは個人差もありますから」とクギを刺されるが…。

 PM6・30、信濃町・文学座アトリエで「退屈な時間」「ベンゲット道路」の二本立て。

 早く着いたので本屋で北村薫編,・新潮文庫「謎のギャラリー こわい部屋」を買う。古今東西の奇妙な味の短編アンソロジー。開演前に数編読む。冒頭の「七階」という短編が抜群に面白い。ディーノ・ブッツァーティというイタリアの作家の作品。ある町のある有名病院に入院した一人の男の恐怖を描いたもの。その病院は7階建てで、1階は瀕死の患者専用。上階に行くに従って軽症患者となっている。7階に入院した男は自分の病気をたいしたことはないと喜ぶが、病院側に「手違い」「ほかの患者のため」「少しの間だけ」と理由をつけられ、次第に下階に下りて行く。それがまた逆らえないきちんとした理由。自らの意志に反して状況が悪化していくという心理恐怖の傑作。その運命の流れが不自然に見えないのがうまい。

 初めて読んだ作家だが、カフカの再来といわれるイタリア現代文学の個性派とか。カミュのたっての希望で戯曲版がフランス語訳されているという。なるほど、舞台化しても面白い作品だと思う。今日の「ベンゲット道路」の演出助手をしている松本祐子に演出させたら切れ味のいい舞台に仕上がるかも、なんて思いつつ、1作目の「退屈な時間」を見る。数組の男女の複雑な恋愛模様をスケッチしたサロン劇。休憩時間に松本祐子さん、朝日新聞の今村氏と立ち話。いつもながら元気印の松本さん、次の演出は研究生公演とか。彼女の実力をもってすれば、宮田慶子のように外部演出依頼が殺到する売れっ子になるのも間近だろう。
 フィリピンでの過酷な道路建設に従事した日本人作業員たちの姿を描いた「ベンゲット道路」。もともとはラジオドラマ作品。1942年の放送だから、いくぶん国威発揚ドラマふう。演出の西川信廣はそれを逆手に取り、皮肉を込めたラストシーンにしている。
PM9・20終演。松本祐子さんに挨拶して帰る。

 電車の中でアンソロジーの続き。小熊秀雄の「お月さまと馬賊」「マナイタの化けた話」を読む。鮮烈なイメージが残る傑作。この人の童話集が売れているというのもうなずける。

 この頃使い始めたSUICAイオカード。残金がなくなったので自動販売機でチャージする。なるほど、使い捨てじゃないから便利ではある。
 PM11帰宅。
3月18日(月)快晴

 
会社の行き帰りの電車の中でシーザー本を読む。この本の画期的なことは音楽というジャンルからシーザーと天井桟敷にアプローチした点だ。今まで演劇および寺山修司論からアプローチした本は多いが、シーザーという”もう一人の寺山修司”を通した天井桟敷本はなかったように思う。著者たちは熱烈なシーザーリスペクターらしいが、通りいっぺんのインタビューやシーザー論ではなく、シーザー自身でさえ気づいていないシーザー音楽の独自性・普遍性に肉薄する。天井桟敷によって人生を変えられたと公言する人たちがここにもいた。

 PM6・30帰宅。夕食も慌しく、ピアノ教室に娘を送っていく。駅の待合所で時間をつぶし、PM9にまた迎えに。バスで2区間だから駅から20分ほど歩く。風が強く小雨もぱらつく。帰宅はPM10。芝居を見て帰るのとほとんど同じ時間だ。疲れを感じる。耳鳴りも強くなる。自分ではストレスを感じていないと思っても、毎日こんな生活では、目に見えない疲れが体に蓄積しているのかもしれない。
PM11、就寝。
3月17日(日)晴れ

 
街はTシャツ姿が目立つ。午後、渋谷へ。シターコクーンで「身毒丸」。出演者の一人・蘭妖子さんが招待してくれたのだ。蜷川演出の初演から数年。藤原竜也版は初めてだ。
 寺山修司作とは銘打っているが、これは寺山修司の芝居とはまったく別物。初演時にも感じたが、蜷川幸雄は寺山+岸田理生の脚本をなぞっているに過ぎない。寺山修司とシーザーが作った「身毒丸」に比べたら雲泥の差。かつて「寺山修司の演劇など私にはまったく興味の対象外」と大口をたたいた蜷川がなぜ寺山の「身毒丸」を演出するのか、そこをはっきりさせないまま、いつのまにか「蜷川・身毒丸」が定番化している事実は極めて不快。

 さて、舞台。蘭さんが元天井桟敷組として頑張っていたが、いかんせん、蜷川演出は寺山の美意識とは対極。寺山修司の抑制の美学がない。野放図な猥雑さだけ。藤原竜也も一本調子の芝居しかできないし、表情に乏しい。白石加代子の母親役も、どうみても…。初演時の感想と同じ。シーザーは早くオリジナルの「身毒丸」を公演して、これがホンモノの「身毒丸」だと、寺山ファンに示してほしい。「身毒丸」は寺山演劇の中でも、シーザーの音楽を前面に出した「見世物オペラ」として最高傑作。これを再び見ないことには死ねない。
 4・50。終演後、楽屋を訪ねて蘭さんに挨拶。「日曜日、家でゆっくりしていたいでしょうに、来てくれてありがとう」と蘭さん。シーザー本の話などして楽屋を辞す。蘭さんは本当にいい人だ。

 PM5・30帰宅。
 今日は朝から耳鳴り音が低く小さい。すこぶる調子良い。このまま推移してくれれば。しかし、なぜ、その日の体調によって耳鳴りが変化するのか。不思議。
3月16日(土)晴れ

 
仕事を終えて、PM3、中野ザ・ポケットで龍昇企画「水を運ぶ夜」。詩人・平田俊子の作品。公園に並んで立つ2本の木が語り合い、人生に疲れた男と女が通り過ぎる不可思議な夜の情景。藤井びん、大鷹明良、立石凉子らオトナの俳優でしかできない濃密な空間。PM4・45終演。阿佐ヶ谷に行き、ダイヤ街で食事。クジラの刺身定食900円+目玉焼き300円。久しぶりにクジラを食す。なんだか馬刺しのような味。子供の頃はよくクジラの焼肉が食卓に出たものだが。あれは、クジラの何焼きって言ったっけ。

 駅から歩き、馬橋公園を散歩。小学生たちがサッカーに興じている。夕闇にこだまする子供たちの嬌声。借景となる秀和レジデンスは拓郎の「高円寺」に歌われた昔のまま。学生時代に住んでいたアパートの周辺はすっかり様変わりしている。いつのまにか取り壊され、跡地には新しい住宅が建っている。昔住んだアパート。訪ねていくとその郵便受けに20年ぶりに、私宛の手紙が届いている。見覚えのある筆跡。そんな夢を見たのはいつの日か。

 PM7、ザムザ阿佐谷で万有引力「水馬 AMENBO」を見る。若手俳優たちによる公演。セリフを排した舞踏劇。どうせ沈黙劇にするなら、もう少し肉体の動きを抑制した方がいいだろう。

 PM8・30終演。つぼ八で、大澤さん、白石さん、市川さん、シーザーらと飲み会。白夜書房から25日に出版されるシーザーの本「J・A・シーザーの世界」を見せてもらう。CDーROM付の豪華本。142ページだが、普通の単行本のゆうに5冊分の分量はある。ものすごいボリュームの活字。帰りの電車で1時間半かけてたったの28ページしか読み進めなかったのだから、その分量のすごさがわかろうというもの。音楽畑の人が編集しただけあってビジュアルも凝っている。本の帯の惹句じゃないけど、まさに「生きている伝説」だ。4700円+税と値段は高めだが、値段以上の価値はあると断言しよう。
 PM11、宴会は続いているが電車がなくなるので一人引き上げる。PM1帰宅。
3月15日(金)晴れ

 
真夏日。なんとか午前中の仕事を終えて、あとはのんびり。昼食後の歯磨きをしていたら、この前、取れて直したばかりの前歯のプラスチックが取れてくる。こんなにもろいものなのか。これじゃ、用をなさないのでは。PM3・30。早めに会社を出て歯医者へ。それが終わると針灸院へ。効果がないとわかっているのだけど。
 ここしばらく、演劇日記お休みしている。耳鳴りで集中できないのだ。日がたつと書く意欲がなくなるので、なるべく頑張ろう。

 午後、鈴木宗男離党記者会見。泣くぞ泣くぞと思って見ていたら案の定、泣きが入る。あの涙にコロッとだまされる人も多いんだな。「大嫌い」と批判的だったカミさんも「可哀相に見えた。ほかにもっと悪い人がいるだろうに」と風向きが変わる。哀れではあるが、議員辞職して再起の芽は摘んだほうがいい。ただ、右も左も宗男をいけにえにして事足れりという風潮は危険。右派メディアまでが宗男放逐の大合唱というのは、不気味。宗男をスケープゴートに、何かを隠蔽する意思が働いている。

 青森、核燃サイクル阻止1万人訴訟のウラン濃縮工場訴訟で住民敗訴。もともと司法には期待していないが、工場周辺の活断層の存在に対し「原発と同程度の高度な耐震設計は不必要」という判決理由はあんまりだ。巨大地震を想定しない核施設は核爆弾のようなもの。国に遠慮してモノいえない司法など司法ではない。
3月14日(木)晴れ

 
夏のような暑さ。
午後、30分だけ横になろうと仮眠室に入ったらそのまま2時間熟睡。気がつくと4時半過ぎ。疲れているのか……。

 PM7。落合にある新宿梁山泊のアトリエ「芝居砦・満天星」で「アリババ」「愛の乞食」の2本立て。唐十郎初期の作品を金守珍が演出・出演。公衆便所やアパートの一室が極寒の満州大陸の戦場と通底する。いまや死語になってしまった感のあるアングラ芝居の熱気が伝わってくる好舞台。客席に出演者の一人・近藤弐吉の姿。聞くと、NHK大河の出演スタンバイで前半は出演できないとのこと。後半のBバージョンで「愛の乞食」に出演するという。「やっぱり、舞台はいいですよ。テレビは細切れだから、自分が何やってるかわからないもの」。

 終演後、劇場内のバー・ラウンジで飲み会。作家の梁石日氏に挨拶。金守珍の演出した映画「夜を賭けて」の原作者であり、「ニュース23」でロケのリポートも行ったという梁氏、「”夜を賭けて”は喩えて言うなら”七人の侍”のパワーとダイナミズムに匹敵するすごい作品です」と絶賛。それを受けて金さんも「映画賞を独占した”GO”がメッキなら、こっちはホンモノの在日の映画。映画の中身は段違いだから、見てください」と意気盛ん。ひとしきり、ロケのエピソードが飛び交う。昨日の初日は六平直政、唐十郎氏が来ていたという。六平ちゃんは今年は蜷川マクベスも控えているので、梁山泊出演は来年以降とか。六平を演出できるのは金さんをおいてはいないのでは。どの舞台を見てもいまひとつ六平ちゃんの良さが生かされていないような気がする。

 秋元啓移子、三浦伸子、近藤結宥花らと青森・大間の話で盛り上がる。何年か前の冬、鄭義信らと下北ツアーをしたという。「寿司屋で食べたマグロがびっくりするほどおいしかった。その時は寒立馬が見られなかったし、恐山も閉鎖されていたから、今度、また行ってみたいですね」と伸子ちゃん。

 旗揚げから14年。「昔と全然変わらないですね」なんて彼女たちに言われるが、私からすれば彼女たちの方こそ変わらないと思う。同窓会気分の楽しいお酒につい時間を忘れてしまい、気がつくと11時過ぎ。大久保鷹、小檜山洋一両氏と帰り際におしゃべり。渡会さんが「一頃から比べてふっくらしたんじゃないですか。一時、病気でほっそりしてましたよね」と言う。そうかな? 玄関まで見送ってくれた金さんらに別れを告げ、まだ続く宴の余韻を背に家路につく。こんな楽しい飲み会なら、帰りの道のりも苦にならない。
AM0・30帰宅。お風呂に入ってそのままダウン。疲れからか耳鳴りがひどくなり、布団に入ってもなかなか寝つけない。4時間睡眠はキツイ。
3月13日(水)晴れ

 
オフ日。AM11。歯医者へ。奥の歯に新しい冠をかぶせる日。ところが、担当の医師が忙しく、女性の技工士?に任せきり。麻酔で感覚が鈍っているせいもあって、噛み合わせの調整がうまくいかない。そのうち削りすぎたようだ。いざ、医師が装着という段になって違和感を訴えると、医者も気がついたらしい。上の歯と下の歯の間が空くのだから、もう一度型取りするハメに。1週間、歯痛に悩まされた苦労が水の泡。しっかりしてほしいよA医院。

 歯医者から青山に直行。PM1・30。青山劇場で「ホンク!」。アンデルセンの「みにくいアヒルの子」を元にしたミュージカル。主演の美勇士はますます父親・桑名正博に似てきた。ついこの前、アン・ルイスに男児誕生なんて騒がれたと思っていたのに、いまやミュージカルの主演なんだから、月日のたつのは早いもの。平日マチネもあってか客席は4分の1程度。青山劇場でこの入りはちょっとさびしい。

 終演後、楽屋に池田有希子を訪ねる。ごった返す訪問客の間を縫って、いつものように明るい笑顔で駆け寄って来る。
「見に来てくれてありがとうございます。でも、今日はちょっと客の薄い日でしたね…。平日マチネは初めてなんですよ。薄いかなあと思っていたら、やっぱり。ウーン、宣伝不足なのかなぁ」とちょっぴり残念そう。
 今日の舞台ではほとんど出づっぱりで、準主役というよりも完全なメインキャストだった。彼女の歌唱力・ダンス・表現力が外国人演出家に受け入れられたのだろう。次回の「リトル・ボイス」ではタイトルロールを演じる。彼女のような力のある女優が大きな舞台に抜擢されるのはうれしいことだ。

 PM6帰宅。休みの日だというのに、いつもと変わらない時間。舞台は映画と違って生ものだから、見逃すわけにいかなかった。コピーできない文化・芸術が舞台。
 いまや何でもコピーできる時代。その究極がクローンキャットだろう。愛するペットを生き返らせたい。永遠に愛し続けたい。それは誰もが願うこと。しかし、人間も動物も「死すべき存在」だからこそ、いとおしい。もしもペットの復活が可能になったとしたら、いつでも見られるとぞんざいに扱いがちなビデオテープのように、その命の価値は薄っぺらなものになるかもしれない。ましてやクローン人間は…。
 国家の暴力が罪のない人たちを殺戮し続ける。その一方で、クローン猫が作られる。世界は不条理だ。
3月12日(火)晴れ

 
まるで初夏のような気候。もうコートも必要ない。

 PM7、新宿紀伊國屋サザンシアターでシアター21「グラディスおばあさんの画廊」。老人性痴呆症になった祖母の晩年を孫の追想というスタイルで描いた名作。ピュリッツア賞候補になったというのもうなずけるすばらしい戯曲。宮田慶子の演出は的確で緻密。祖母を演じた岩崎加根子入魂の一作となった。見事の一語。大沢健の端正な演技にも好感。11・00帰宅。

 今日も一日耳鳴りおさまらず。最悪を100とするなら、80と90の間を行ったり来たり。
 他人には聴こえない耳鳴りという現象。たとえば気の迷い、空耳と言われても反証しようがない。自分は正気であるということを証明する困難にも似ている。ミステリーによくあるように、鑑定人によって「狂気」と認定されたら、その人はどうやって自分の正気を立証できるだろう。狂気と正気の境界なんてあいまいなものだ。権力が狂気を認定、措置入院させる保安処分の危険性もそこにあるのだろう。
 デビッド・L・リンジー「ガラスの暗殺者」を読み始める。冒頭、ゴルゴ13ばりのハデな暗殺シーン。緻密でハードな作品が多かったが、しばらく読まないうちに傾向変えたのか?
3月11日(月)晴れ

 
午前中のテレビ番組は鈴木宗男証人喚問一色。ロッキード事件以来の加熱ぶり。しかし、中身は限りなく薄ら寒い。質問に立つ野党議員は大向こうのウケ狙いミエミエ。アメリカの裁判劇みたいな緻密な論理と証拠で攻めるシーンは期待できず。質問の端々に、スポーツ紙の見出しを意識したフレーズを織り込むだけ。社民の辻元清美にしてから「疑惑の総合商社」だの「同じ名前だから、お母さんだと思って答えるように」だのしょうもない見出し言葉を連発。自民の浅野勝人にいたっては、自分の娘からの”応援”メールを読み上げる始末。アホか、こいつは。こんなやつらが選良といわれるのだからニッポン低国と言われても仕方ない。辻元の挑発に乗って本性現す宗男も絵に描いたような単純さ。

 早めに帰宅して、針灸へ。その後、娘のピアノ教室の送り迎えで夜10時。ローレンス・ブロック「死者との誓い」読了。PWA(アメリカ私立探偵作家クラブ)最優秀長編賞受賞作でシリーズ最高傑作といわれるだけあって、人物描写の確かさ、なによりもアメリカ社会に蔓延する理不尽な死との静かな折り合いのつけ方が見事。それは探偵小説の定石から一歩踏み出した死と生の「人間小説」といってもいいだろう。文句なしの傑作だ。
3月10日(日)晴れ

 
お昼近くまで惰眠をむさぼる。知っている女優二人が登場する甘美な夢をみていた。目ざめてもまだ余韻が残る甘酸っぱい夢。いったい何の予兆?

 おとといあたりから耳鳴りがまた強くなる。しばらく調子がよく、もう治ったかと思っていたのだが。なぜだろう。
 パソコンに向かって昨日のオフ会のレスをつけようと思うのだが、パソコンから出るキーンという金属音が耳について耐えられない。諦めてパソコンを閉じる。

 去年から創設された会社のリフレッシュ休暇をもらえることになった。規定の勤続年数に達したわけだ。ここ数年、まだ若い同僚が何人もバタバタと倒れ、亡くなった。ハードな仕事だからか。そこで創設されたのがリフレッシュ休暇。1週間通して休める。
 さて、その休暇をどう使おうか悩んだ。まとまった休みをもらえるなんて、たぶん定年までないだろう。一人でどこかの温泉に行ってのんびり過ごしたい。田舎に帰って物置小屋の一角を占める膨大な本や資料の整理もいい。などと考えていた。しかし配偶者の答えは「いいわね。主婦にはリフレッシュ休暇なんてないし」とボソッ。
 ウーン、やはり一人でどこかへ…なんて無理な話なんだな。子供の春休みに合わせて休暇をとったのはそんな予感がしていたから。
 結局、休暇の前半は大阪のUSJに2泊3日の小旅行と決定。たった3日でも30万近くかかるのだから、真っ青。これじゃリフレッシュどころの話じゃない、と思うのだが…。
 夕方、竜さんから電話。オフ会および付帯事項の打ち合わせ。

 昨日、電池が切れたらしく腕時計がストップしたので町の便利屋さんに持っていく。竜頭を引っ張ると支えの環が取れてくる。もう20年以上使っている時計だもの、ガタがきてもおかしくない。これは従弟が大学の卒業祝いに買ってくれたものだ。「社会人が使っても恥ずかしくない時計にするんだよ」と従弟の母、つまり私の伯母に言われたとか。当時確か6万円近い値段だったはず。腕時計はこれ一つきり、ずっと同じものを使ってきた。時計は時間がわかればいい、という実用重視のB型の性格だからこれまで買い替えなんて考えたこともない。なによりも従弟の真心がこもっている。でも、そろそろ替えどきなのか…などと思ったが、店の人が「かなり古い型なので電池の容量も大きくて、前に交換してから3年ももったんですね」と驚いていた。今の時計の電池の容量は小さいらしい。とりあえず、まだ使えそうだ。このぶんだと、30年くらいもつかな。モノの寿命が短くなり、人間の命の重みが軽んじられている現代社会。ささかやな抵抗……になるか。
3月9日(土)晴れ

 
大事な用事があるときに限ってポカをしてしまう。会社に行ってから携帯を忘れたことに気づく。まずい。今日のオフ会の連絡用に欠かせないツールだし、家に置いたままだとどんな災厄が降りかかるかわからない。大急ぎで仕事を片付け、携帯を取りに家に戻る。往復2時間の時間のロスと予想される災いを天秤にかけると、やはり後者を解消したほうが精神衛生上良い。

 PM2。下北沢ザ・スズナリで燐光群+グッドフェローズ「錦小路の素浪人」。開演ぎりぎりセーフ。このところこんな綱渡りばかり。
 いかにも鐘下辰男の初期の作・演出らしい幕末の閉塞した青春群像。ガジラと燐光群のコラボレーション、まるで兄弟のようだ。

 終演後、ロビーで永井愛、坂手洋二両氏と立ち話。「日記見てますよ」と愛さん。「日記だけじゃなく芝居日記や本、音楽のこととか…よく続きますね。私にはとてもできないわ、なまけものだから」と笑う。
 坂手氏は例の新国立劇場予算使いきり宴会問題に関して意見書を送ったとか。「新国立関係者の間じゃ嫌われているかも」と坂手氏。「お茶でもどうですか?」と二人に誘われたが、オフ会があるので残念ながら断り、一人駅に向かう。
「日本の演劇は脆弱なものだから批判しないで暖かく見守り育てるべき。新聞の劇評はそこを考慮してあまり批判的なことは書かないで欲しい」とのたもう昨今の劇団・演劇制作者の考え方。「小泉首相を批判せず、仕事がしやすいような環境を作ることがマスコミにとって大事なこと」と言ったどこぞの大新聞の論説委員と似たような論理をどう思うか二人に聞いてみたかったのだが。

 PM5。新宿の居酒屋「汐路」。BARAさんの送別会と6月のりぼん部屋東京オフ準備会の合同オフ会。総勢12人。初めて会う人も何人かいたが、すぐに打ち解けて同窓会のようなノリ。PM7・30に二次会会場に移動。その後、三次会のカラオケへ。11時、ひとまず解散。BARAさんを囲む朝までカラオケコース組と別れてヤプくんと新宿駅へ。大宮行きの最終に間に合い、西川口からタクシー帰り。AM1・30帰宅。
3月8日(金)晴れ

 
花粉症の影響で夜中に何度も目がさめるものだから、寝不足。無意識のうちに目覚ましを止めていたらしい。気がつくと5・40。家を出る時間だ。あわてて食事を済ませて飛び出す。いつもより25分遅れで出社。遅刻なんて1年に1回くらいか。
 PM5、帰宅後、花粉症の薬をもらいに内科へ。その帰りに針灸院。満身創痍だ。さて、明日は合同オフ。早めに寝よう。
3月7日(木)晴れ

 
耳鳴りがかなりおさまってきたと思ったら今度は花粉症がひどい。1回飲めば1〜2日は効いていた鼻炎用のクスリも次第に効き目が落ちてきて、夕方もう1錠飲まないと鼻水、クシャミでボロボロ。

 PM6・30。新宿・紀伊國屋ホールでこまつ座「國語元年」。前売り即日完売とか。関係者も補助席が多い。後で聞くと1000人近い観客を断らざるを得なかったとか。隣席の毎日新聞の高橋さんと開演までおしゃべり。
 休憩入れて3時間10分。遅くなるのでいつもは速攻で帰るのだが、高橋さんに「ちょっと残りましょう」と言われたので久しぶりに初日乾杯に出る。ラッパ屋の山家さん、朝日の今村さんらと歓談。ラッパ屋の三鴨さんがこまつ座初出演。前から知っている役者が大きな舞台に抜擢されて出ると他人事ながら、ドキドキしてしまう。三鴨さんは見た目通りのキャラクター。舞台より、間近で見るほうが可愛い。最後に井上ひさし氏の挨拶。「この芝居を15年間封じてきた理由はただひとつ。思い出したくなかったから」と。前妻・好子さんとのゴタゴタの最中に書いた芝居で、一つひとつのセリフに忘れられないツライ思い出があるのだという。そこまで言うとは実に率直な人だ。11・30帰宅。
3月6日(水)晴れ

 
オフ日。11・30、歯科医へ。1時終了。その足で「千と千尋の神隠し」を見に行く。サイフの中で前売り券が何カ月眠っていたことか。
 さすがに場内は10数人の観客。昔見た「白蛇伝」とか「安寿と厨子王」といった東映動画のなめらかな動きと流麗な絵のタッチと比較すれば、浮遊感を得意とする宮崎アニメでさえどうしてもテレビアニメの延長上に見えてしまう。でも、所々、ああ、「映画」だなあと思うシーンも。フッと息を吹きかけるとその息がくるりと巻き上がって姿を変える。あのシーンは東映動画ふう。世界の宮崎アニメにケチつけるなんて、罰当たりなんだろうけど。手塚治虫と袂を分った宮崎駿に対しては、どうも内心複雑なものを払拭できない。宮崎に批判されたまま亡くなった手塚治虫が気の毒だ。宮崎に手塚治虫は超えられない。

 ローレンス・ブロックの「死者との誓い」を読み始める。抑制された文体。ハードボイルドの真髄。しょっぱなからクイクイ読ませる。
3月5日(火)晴れ

 
今日も花粉が多い日。朝のうち目が赤かったが、一仕事終えた午前10時頃にはすっかり元通り。目薬と飲み薬が効いたのだろう。

 午後3時、早めに仕事を終えてK記念病院に行く。明日で薬が飲み終わるのだ。3時半に受付を済ませ、目の前の公園で咲いている花をパチリ。
 散歩したり、食事したり時間を潰すがなかなか順番が回ってこない。この病院は受付の時に自分の好きな医者を選べるので、人気のある医者は受付の時の整理番号が大きくなる。それでもいいという人が長時間待つことになる。午後5時過ぎには、一人の医師の患者は終了。人気がなければ患者数が少ないので早く診察が終わってしまう。厳しい競争原理が働いている。

 PM6・10。ようやく順番が回ってくる。今回は初診と同じ副院長。哲学者ふうの顔だちに物腰もやわらか。いかにも腕のいい医者という雰囲気を漂わせてる。かなりの年配と思いきや、プロフィールを見たら自分より年下だったので驚く。医者や弁護士といった職業は実際の年齢より落ち着いて見えるのだろう。
 「薬を追加しましたから、それが終わったら2週間後にもう一度検査しましょう」と言ってくれる。「新しい薬」といわれただけでなんとなく安心する。あとで見たらただのビタミン剤なのだが、患者にとっては、医者のささいな気遣いだけで、気持ちが休まるものなのだ。

 PM6・35。薬局で薬をもらって駅にダッシュ。PM7から下北沢OFF OFFシアターでR+1「スラブ・ディフェンス2000」を見る予定なのだ。すでに連絡済みなので、遅れたら悪いと思い、電話する。25分でお茶の水から下北沢までたどり着けるか。まず無理だろうということで、取りあえず向かうけど、間に合わなかったらパスするかも、と制作の人に話す。ところが、なんとPM7・00ジャストに下北沢に到着。劇場に行くと開演は押している。それも満席で客が入りきれないため。あいまいな返事をしたため、すでに予約席は解除。「申し訳ないんですが…」とぎゅうぎゅうの中、立見となる。芝居の立見は学生時代以来か。1時間15分の小品なので助かった。ちょっと体の調子がいいからといってストレスになるような綱渡りゲームはやめた方がいい。
 PM8・30。雑貨屋で炭リンスを買って帰る。PM9・50帰宅。
3月4日(月)晴れ

 
昨夜は寝る前にクラークの新刊「見ないふりして」(原題Pretend You Don’t See Her)を読み始めたら、つい時間を忘れ11時まで。続きは今日の行き帰りの電車の中。
 偶然、殺人犯を目撃してしまったために、FBIの証人保護プログラムの適用を受けて、別人として生活することを余儀なくされる主人公の女性。殺人犯の追跡を受けながら、真犯人に結びつく日記の謎に迫るというサスペンス。クラーク久々のヒットだ。このところハーレクイン化していたクラーク作品だが、「誰かが見ている」など初期のサスペンスロマンをほうふつとさせる展開。うまい。こういう作品を読むと、日本の流行作家のミステリーはただの紙クズだなぁと思ってしまう。70歳なのにコンスタントに1年1冊のペースを守るクラーク。世界で初めて、存命中で、しかも第一線で活躍する作家の名前を冠したロマンティックサスペンス文学賞「メアリ・ヒギンズ・クラーク賞」が創設されたというのもうなずける。
 
PM6・50帰宅。
3月3日(日)晴れ

 
終日家で過ごす。パソコンの回転音が耳に障るので電源を切る。そして久しぶりに古いカセットを取り出して聴く。30年近く前に録音したラジオをカセットにダビングしたもの。小椋佳の「海辺の恋」、森山良子の「てのひら」、休みの国、冒険者たちのテーマ、「恋したら」、竹谷英子さんのDJ…懐かしい音源を聴くと心がやすまる。「海辺の恋」は佐藤春夫の詩に曲をつけたもので、たしかNHKの銀河小説の主題歌だったはず。そのドラマのタイトルは何だったのだろう。

 夕食は家族でちらし寿司。雛人形の前で一家団欒。ついこの前まで、休みの日になるとまとわりついて離れなかった娘が来年は高校受験。月日の流れは早い。
 気力が萎えている時は無理をせずそれなりに過ごそう。
3月2日(土)晴れ

 
花粉予報で「最悪の日」。どうりで目にきたわけだ。朝起きたらまぶたがはれてひどい状態。会社に行って仕事してても目のかゆさに集中できず。それでもなんとか仕事をこなす。よくやったと自分を褒めておこう。

 PM2、銀座・博品館劇場で「源氏物語朗読」。今日は有馬稲子。隣の席に和服姿の淡路恵子。斜め前に崔洋一監督。崔監督は4月の三越劇場に役者として出演する。共演が有馬稲子だからその関係で来たのだろう。さすがベテランの有馬稲子、立て板に水の前解説。そして朗読の妙。3・50終演。いったん会社に戻り、帰り支度。PM6帰宅。鍼灸院に行って鍼をうってもらう。耳鳴りが緩和したのはもしかしたら別の要因かもしれないが、鍼をうった翌日のことだから、もう一度試しておいても損はない。
 夜、食事・風呂・日記更新でPM10。メアリ・H・クラークの「見ないふりして」読みはじめる。
3月1日(金)晴れ

 今日は耳鳴りはするものの周波数低く、過ごしやすい。昨日の鍼が効いたのか?

 PM5、仕事を終えて両国へ。PM7からシアターXで遊行舎の「十三の砂山」。昨日買った「リカ」の後半を読んでしまおうと早めに到着。デニーズに入ろうとしたら窓際の席に九條今日子さんの顔。白石征さんと二人でお茶を飲んでいたので同席する。三人で歓談。お腹がすいたのでハンバーグとカキフライ定食を注文したら、九條さんが「寺山も同じようなのを食べていたわよ」と笑う。寺山さんは必ず二品以上じゃないとダメだったとか。「よく食べていたのがカレーうどんとカツ丼の組み合わせでしたね」と白石さん。「刺身も好きだった。でも、やっぱり魚は青森のが一番って言ってたわね」と九條さん。

 PM7〜9・15、本番鑑賞。楽日とあって立見もでるほど盛況。終演後、九條さんは札幌大の学長をしている山口昌男さんを送ってタクシーで東京駅方面へ。私はシーザー、偏陸、大澤さんらと白木屋に先乗り。バラシがあるので役者・スタッフは11時以降の飲み会になる。白木屋に着くとすでに齋藤慎爾氏らのグループが先着していた。
 大田区職員のNさんを交えて5人で乾杯。偏陸、シーザーの天井桟敷時代の裏話に笑い転げる。シーザーがユーゴ公演の際、ラストの名乗りのシーンでセリフを忘れてしまったエピソードは初めて聞いた。それ以来寺山さんは「シーザー、セリフはいいからね」と言ったとか。「舞台で、こう手を伸ばして出てくるシーザーのダンスはカッコよかったんだから」と偏陸。いまでもそうなのだから、当時のシーザーの神秘性、カッコよさは想像にかたくない。伝説の世界だ。近々、シーザー音楽の集大成ともいうべきCD−ROMブックが発売される。秘蔵写真もいっぱいで、かなりのボリュームだから読み応えがある。

 11時、話し足りないが、翌日の仕事に差し支えるので先に退席。家路につく。
 
 舞台の途中からやたらと目がかゆいと思ったら、鏡の中の自分の顔を見てびっくり。目が真っ赤。花粉症だ。今まで目に来たことはなかったのに、今年は目にまで症状が出始めた。耳の次は目か。0時帰宅。いつもなら無理してでもHPを更新して寝るのだが、もはやその気力なし。パソコン立ち上げることなく就寝。

 電車の中で「リカ」読了。スピード感のある文章で一気呵成に読んでしまったが、最初の10数ページを読んだだけで結末の恐怖の伏線がバレバレ。伏線は綿密に張らなければ意味がない。まるで初心者マージャン。見え見えの引っ掛け迷彩。しかも後半の展開は薄っぺらな2時間ドラマのよう。これがホラー大賞とは…。出会い系サイトにはまった中年男が正体不明のメールフレンドにおびやかされるという前半は期待を抱かせた。スリリングな心理サスペンスかと思いきや、あんなお子様ホラーになるとは。軽すぎる。