4月30日(火)雨
 
PM7、ル テアトル銀座で「フォーティンブラス」。PM11帰宅。疲れて日誌を書く気力なし。
4月29日(月)快晴

 
9・30起床。衆院和歌山2区補選、参院新潟補選、徳島県知事のトリプル選挙で自民1勝2敗。順当。

 昨日借りてきた「ユメノ銀河」と「独立愚連隊」を見る。1959年の岡本喜八作品。今まで見る機会を逃がしていたが、なるほど大傑作。映画とはかくあるべしという見本。上原美佐も馬賊・鶴田浩二の妹役で出ている。黒澤明の「隠し砦の三悪人」のお姫様とはまた別の可憐さ。
 PM3・30。根津。つつじ祭りで賑わっている。K針灸院で治療。今日は朝から耳鳴りは良好。明朝の具合がどうなるか。

PM6帰宅。明日から仕事。ビデオを返したり、雑事をしているうちに8時を回ってしまう。休みのほうが疲れるみたいだ。
4月28日(日)快晴

 
連休になると「どこかに出かけなければ」という強迫観念にとらわれ、揚句の果てに疲労困憊の悪循環。今回の連休は予定を立てずに過ごしたいが義父の墓参りもあり、そうもいかない。「青森の実家には1週間も滞在するのに、私の家の墓参りは日帰りなの…」との配偶者の不満もあり…。

 午後、子供と一緒に回転寿司で食事。その帰りにいつもの原っぱへ。家でゲームをやってるよりよっぽど健康的だ。
 ビデオレンタル屋で岡本喜八の「独立愚連隊」、石井聰亙「ユメノ銀河」、「オーロラの彼方へ」の3本を借りる。ビデオ一体型テレビのビデオ部分が壊れたままなので、この機会に安いデッキを買ってくる。これで自分の部屋でいつでもビデオが見られる。

 夕方、「オーロラの彼方へ」を鑑賞。途中からタイムパラドックスをどう処理するのかに興味が移る。しかし、さすが米流エンターテインメント映画。難なく処理、ラストに至っては滂沱の涙。「もしも、…が…だったら」と時間を逆転させたいと願う人たちにとって、涙ものの映画。
 吉祥寺に行きたいと思えども吉祥寺はあまりに遠し…。
 10・30、就寝。休みの日に限って眠くなる。ほんとうはこんな日こそ夜更かししたいのに。
4月27日(土)快晴

 昨日に引き続き風の冷たいこと。油断をすると風邪をひきかねない。

 連休の初日とあって街は閑散。仕事はいつも通りで休みが入るため、かえって忙しいくらい。

 PM2、仕事を抜けて大塚・スタジオバリオでオフィス・サエ「広島の母たち」。偶然、電車の中で読んでいた山田風太郎ミステリー傑作選の中の一編「ビキニ環礁午前四時」にさしかかった。1954年の作品。広島で被爆し、生き残った少女とその兄を待ち受ける歴史の皮肉を描いたものだが、ニヒリスティックな笑いを伴う風太郎に珍しく剛球勝負の一編。あまりの直球に気が差したのかこれまで単行本未収録。「戦争はなくならない。勝った国が一度敗戦の痛みを知るまでは。あの原爆の痛みを自分の身で知るまではね」
「もう、これからの戦争はかくれる所はないよ。実験したほうでも驚いたのじゃないか。まだこんな火遊びを続けるヤツは気の狂った地球一の大阿呆だよ」
 作家のストレートな怒りがうかがえる1作だ。

 久しぶりのスタジオバリオ。50人も入れば満席なのだが、今日は席を詰めて入れるほど客が入っていた。

「お母さーん、かあちゃーん、母さーん」というかすかな声がうめき声に変わり、母の名を呼ぶ被爆市民の何十万の叫びになっていく冒頭のシーンから涙があふれてきて困った。

 原爆投下直後、姉に助け出され命が助かった少女の、悪夢のような日々と疎開先から駆けつけた母との邂逅を描いた山本真理子の戦争民話をそのまま舞台にのせたもの。いわばリーディングドラマだが、役者たちの演技を伴ったリーディングであり、演出・露川冴独自の新しい舞台形式といえる。1人の少女を3人の少女が演じ、ト書きの部分も俳優たちがセリフとして演技する。少女役の女優たちの清新で凄烈な演技、何役もつないでいく年配の俳優たちの素朴で重厚な演技。1時間40分の間、ほとんど涙をこらえるので必死だった。ヒロシマの惨禍は何十年も本や映画、ドラマで見聞きしているのに、これほど酸鼻な死を実感するのはなぜだろう。終演後、露川さんに挨拶して外に出る。制作のS氏と立ち話。芝居を見終わると眼鏡を外してバッグにしまうのだが、真っ赤な目を見られたくないので、眼鏡をかけたまま。S氏は映画の制作が本業らしいが、「広島」シリーズを見て感動し、芝居の制作に協力しているという。

 「広島の姉妹」「広島の友」そして「広島の母たち」。この三部作こそ多くの人に見てもらいたい。
 それにしても、ヒロシマから半世紀。核の恐怖を体験しているはずの日本人が平和利用という名のもとに原発の増殖を追認してきたことの愚かさよ。爆発でも燃焼でも核は核。放射能の恐怖に変わりはない。いつから人類は放射能を浴びても平気な体になったというのか。「ヒロシマ」の悲劇は今も続いているのだ。
 PM5、会社に戻り仕事の後片付け。PM6、花屋に寄って鉢植えの花を買って帰宅。
4月26日(金)晴れ

 
急に冷え込む。Tシャツ1枚では風邪をひきそう。

 PM7。亀戸カメリアホールで小松政夫+団しん也の「おとなげない大人たち」。昔の栄光を忘れられない芸人コンビの一夜の復活劇。テレビから「芸」が消えて久しい。2人の舞台は芸人に芸があった時代を思い出させる。今のテレビにあるのは客いじりと内輪受けのバカ騒ぎだけ。小松政夫と団しん也の「芸」を楽しむ。PM9・40帰宅。

 ウロウロしているうちにテレビで「夢のカリフォルニア」が始まっている。初回見逃したが評判がいいので見ようと思っていたのだ。
 ちょうど野村宏伸と国仲凉子の会話シーン。「私”なんか”なんて言っちゃいけないな」なんていう会話。あれ? どこかで聞いたことのあるセリフと「間」。これって山田太一ドラマじゃないの。思わず見入ってしまう。柴咲コウ、余貴美子、宮藤官九郎、いい配役。で、ラストの一人称ナレーションは倉本聡か。脚本の岡田惠和って2人のいいとこ取り?
 まだ展開がわからないが、毎週見るドラマができたかも。
4月25日(木)雨

 
仕事帰りにK記念病院で混合ガス療法。
 PM7、東京ドームでブリトニー・スピアーズのライブ。CDもロクに聴いたことないのに、気分はミーハー。アリーナの割とステージに近い席。間近で見るとやはり可愛い。ウワサのスペクタクル演出もまずまず。アンコールは例のウォーターマジック。水のカーテンに濡れそぼつブリトニー。ほとんど口パクだったが、激しいダンスシーンが多い外タレのライブでは仕方ないことなのか?
 9・20終演。規制退場にもかかわらずかなり早い退出だったが、人波が動かず、外に出てから駅までたどりつくのに40分もかかってしまう。PM11帰宅。

 雨の中、劇作家・井上ひさし氏らが「個人情報保護法案」反対のアッピール。書籍協会、雑誌協会、民放連、出版労連が個人情報保護法案に反対表明。国会で審議入りしてから、法案の危険性をキャンペーンしはじめた各中央紙。腰を上げるのが遅すぎる。動き出した汽車を止めるのではなく、動く前に止めなくては。「これだけやりました。でも仕方ない」というアリバイ作りにしかならない。本気で取り組んでいれば、国会審議などできるシロモノではないことが明白なのに。「一点だけ答えてほしい。治安維持法下で言論の自由はあったと思うか」という城山三郎の最後の手紙を握りつぶした小泉首相。歴史に名を残す、戦後最悪の首相となる道を選ぶのか。

 それにしても、辻元清美にしつこく迫る自公議員の厚顔無恥。自分の頭のハエさえ追えない連中がよく言うよ、だ。巨悪には目をつぶり、大根泥棒を吊るし上げる最悪な連中。

4月24日(水)快晴

 
9・30起床。昨日の酒が少し残っている。耳鳴りはほとんど消えている。昨日の鍼灸? まさか。理由はなんであれ、頭の中で耳鳴りがしないのがこんなに快適とは。

 午後、近所の「鹿公園」を散歩。子供を遊ばせる若い母親、日向ぼっこするお年寄り。鹿も暑いのか日陰で涼んでいる。
 PM3、歯医者。帰りにタワーレコード。テレジアの「ゴスペルクイーン」を購入。雑貨屋「ヴィレッジバンガード」をのぞく。カルトっぽい本やマンガ、レコード、雑貨。目移りがして結局いつも何も買わずに帰る。中山千夏のCDブックが3300円で売られていた。珍しい。

 PM5、帰宅。CDを聴きながら横になるとうとうと…。目覚めて夕食。パソコンに向かう。またあのイヤな耳鳴りが強くなり始める。やっぱり今朝の快適さは一時的なものだったのか。そんなにうまくいくわけないと思っていたが…。
4月23日(火)快晴

 PM2・30、会社の上司の紹介で根津のK針灸クリニックへ行くことにする。築地駅のホームで喪服姿の元天井桟敷女優Rさんとばったり。本願寺で行なわれた劇作家氏の葬儀の帰り。一時、彼女が師事していた方とか。銀座で別れて日比谷ー根津。瀟洒なマンションの一室で開業しており、院長は女医さん。落ち着いた声音に技術に対する自信を感じる。ここならなんとかしてくれそうという期待。約2時間、鍼と灸、マッサージ。耳鳴りに変化はないが、即効というわけでもないだろう。初診料2000円+治療費5000円。

 PM7、銀座・博品館劇場で元SKD有志による公演、薔薇笑亭SKD「夢 愛 翔」。客席に小田嶋雄志、大沢健の顔。ウーン……まるで発表会。PM9終演。

 高校の同窓生から新橋でお店を始めたので来て、といわれていたことを思い出す。せっかくだからと電話して場所を聞き、行ってみる。駅から歩いて2、3分の小路に店はあった。「久しぶり」と笑顔のMさん。ほかに客は2人だけ。昔からある店を引き継いだという。区画整理のため、あと2年ほど店もなくなるのでそのワンポイントリリーフのようだ。11・30の閉店まで隣席の客たちと歓談&カラオケ。店じまいをしたMさんと新橋駅で別れ、銀座駅に行くとすでに最終電車が出た後。仕方なく、なるべく家に近い駅まで、と山手線を乗り継いで赤羽駅まで。すべての電車が終了。赤羽からタクシー。7000円。ふところが痛い。AM2帰宅。酔いが回り、そのままふとんに倒れこむ。スナックで結構飲んだようだ。
4月22日(月)快晴

 
小泉靖国参拝。有事法制制定強行のために「空気」を入れに行ったか。変人というよりもはただの凡人。凡人の迷走ほど怖いものはない。国家はいったん法律を作ったら運用は意のまま。人も家屋も必要とあれば徴集・没収されるのが有事法。ワールドカップのドサクサにまぎれて強行するのは見え見え。万博が70年安保のカムフラージュだったように。姑息な男。

 PM3、京楽座のAさん、来社。5月の「しのだづま考」の情宣。PM4退社。駅に着いて家に電話すると「今日のピアノ教室は先生の都合で中止になった」とのこと。PM5、あまりにも早すぎる帰宅。その代わり、買い物やらなにやら余計な用事を頼まれ、PM7・30まで暇なし。
 食後、ビデオをレンタル屋に返しに行く娘の付き添い。夜道は危険だから。学校のことやら友だちのこと、ひっきりなしにしゃべる娘。女の子っていつからおしゃべりになるんだろう。小さい頃はおとなしい子だったのに…。

 帰ってから息子と近くの公園まで競走&ランニング。「パパは遅いんだもの」と挑戦的な態度。普段、わざと負けてやっているので、子供はそう思うらしい。だから今日は全力疾走。「どうだ、速いだろ」「…うん、速すぎるよ」。参ったか。
 たまには父親の威厳を見せないと。

 私が子供の頃、父は山で木材伐採の仕事をしていた。筋骨隆々、太い丸太も軽々運ぶ。冬にはウサギ罠を仕掛け、山ウサギを獲ってくる。小学校のとき、鳩小屋を作ろうとして手こずっていたら、見かねて、あっという間に作ってくれた。夏の昆布漁に出れば、下手な漁師顔負けで、いつもよその船よりたくさん採ってくる。岸に引き上げるときに内心得意だった。寝る前にふとんに腹ばいになって必ず小説本を読んでいたので、そのクセがいつのまにか伝染してしまった。物知りでなんでもできて、子供心に「父はすごい、偉い」と思ったものだ。

 力の入れ加減も大事だけど、やっぱり全力で自分の生き方をみせるのが子供にとっての教育なんだろうなあ、とふと思ったりして。でも、家にいるときはパソコンの前とかゴロ寝じゃ、やっぱりリスペクトされるのはムリか。

 PM9・15。「私の青空2002」。
4月21日(日)雨

 9・30起床。体調いまいち。夕方、商店街のカメラ屋にこの前のUSJ写真を取りに行った以外は終日家で過ごす。ムリしてHP更新するのはやめ、ぼんやりと過ごすのもいいのかもしれない。
 昨日買った「ドン・キホーテ」のドラマCDを聴いているうちにうとうと。2時間ほど夢の中。サラ・ブライトマンも劇場などで大音量で聴けばいいのだけど、マンション住まい。周りに気兼ねしながらステレオで聴いてもいまいち迫力不足。防音装置の完備した地下室でレコードを聴くという夢は夢のまま終わるだろうな。
4月20日(土)快晴

 いつも通りの土曜日。仕事は順調。
 PM2、恵比寿エコー劇場でテアトル・エコー「シルヴィアの結婚」。ジミー・チンの日本初演作。休憩時間にロビーで納谷悟朗、熊倉一雄らの出演するオーディオドラマCD「ドン・キホーテ」を先行発売していたので購入。2100円。

 PM5、会社に戻り後片付け。夕方の予定なし。10・30から池袋・新文芸坐で日本ピンク映画大賞の授賞式&オールナイト上映会。麻田真夕が新人賞をとったのでお祝いに行こうかと思ったが、耳鳴りが強くなり気力減退。10・30まで待てない。ホームで電車を待つ間、「仁義なき映画列伝」を読む。東映仁侠映画か。なぜ今こんなに気になるのだろう。時代遅れのアナクロ映画。誰も見向きもしない映画。しかし、ただのアナクロと片付けられない魅力が確かにあった。耐えに耐えた主人公が最後に恨みを爆発させ、単身敵の牙城に乗り込んでいく。死に花を咲かせるため。日本人好みの忠臣蔵パターン。

 理屈抜きの情念劇。あらゆることがシステムに組み込まれ、個人が組織に埋没せざるを得ない現代こそ、あの「情念」の映画が再び見直されてもいいのではないか。巨大なシステムに風穴を開けるのは個人の情念、ルサンチマンしかない。アメリカという世界一の軍事大国が恐怖するのも国家的軍事力ではなく、個人テロ。システムに対抗するのはもはや個人の自爆しかない時代。パレスチナの自爆テロは単身、ドスをもって組織に殴り込む一匹狼の健さんの姿に重なる。民間人を巻き込む無差別テロという点は肯けないが。30年遅れで現代人は今、東映やくざ映画の時代に生きているのではないか。
 ちょうど昭和館で「緋牡丹博徒」をやっている。行ってみようかとふと思うが、ホームに電車が入ってくる。反対のホームに行く気力がない。

 PM7帰宅。土曜日にこんなに早く帰るのは久しぶりだ。途中、レコード屋でサラ・ブライトマンの新譜を買う。おととい見た入江雅人の芝居の中で女性ボーカルの「青い影」を使っていたのだ。プロコル・ハルムの名曲を誰がカバーしているのかと調べたらサラ・ブライトマンだった。「スカボロ・フェア」「暗い日曜日」「若葉のころ」など名曲・懐かしい曲のカバーも入っている。さっそくヘッドフォンで聴いてみる。やはり「青い影」がいい。そういえば、高校時代に初めて買ったシングルがプロコル・ハルムの「月の光」だった。
 
 9時頃、子供たちにせがまれ、3人で駅前の「TSUTAYA」に行く。「じゃんけんで負けたらおんぶ」のルール。小3の息子を背負う。まだまだ軽い。しかし、いつか背負えなくなる季節がやってくる。

 ふと、父の背中の感触を思い出す。夏の夜道。親戚の家に遊びに行った帰り、迎えに来た父と家までの道のり。寝たふりをしていつまでも背負われていたっけ。虫の音、蚊取り線香、田んぼを飛び交う無数のホタルたち。川のせせらぎ、薄目を開けて見た満天の星。遠い日の幻影。

「いいなあ、○○は。私も、ちっちゃな時はオトーさんにおんぶしてもらったんだよ」と隣で中3娘が言う。この子たちもいつか親の背中の感触を思い出す日がくるのだろうか。

 家に帰りあんず酒を飲む。少し酔いが回ったか…。
4月20日(金)快晴

 
PM1・30、会社を早退してK記念病院へ。薬がなくなってしばらく経つので補充のため。どうせ薬を飲んでも効果がないとは思っても気休めは必要だ。ついでに初めて「混合ガス療法」を試す。ずらりと並んだベッドの上に寝て酸素吸入器をつけ、腕に点滴の管をつけた患者たちの光景はなんとなく安っぽいSFふうで、どこかいかがわしさを感じてしまう。それで、好転すればよいのだが、30分の吸入で特に変化なし。眠気にちょっとうとうとして、それが耳鳴り減少と錯覚したことくらいか。

 電車の中で倉橋由美子の「よもつひらさか往還」を読む。冥界と現実のあわいを漂う上質の怪異掌編連作。生者と死者の交歓を描いても作者によってこんなにも違うものか。浅田某の小説など倉橋由美子に比べればお子様ランチ。…てなことを言うとまた敵を作るな…。

 PM5、帰宅。アマゾンから「仁義なき映画列伝」が届く。ネットで注文して2日の早技。自分の好きな映画の評価を見る。高校時代にむつ市の「ほらく」で見た「日本女侠伝 鉄火芸者」、これは私のベストワン。筆者は60点。意外に低い評価だ。この映画は藤純子の東映任侠映画の中では一番好きな作品だ。相方の菅原文太がまだやくざ俳優として駆け出しの頃。義理と人情の狭間にゆれる花一輪。藤純子の美しく凛々しい姿に悩殺。熱に浮かされるように二日続けて見に行ったのだった。あの頃の私のアイドルは天地真理と栗田ひろみと藤純子。ウーン、なんという無節操。

 「鉄火芸者」はその後、テレビで放送されたとき、テープレコーダーに録音して繰り返し聴いたものだ。ビデオ出てないかな…?
 「緋牡丹博徒 お竜参上」80点。よし! これは納得。流れ者の博徒・菅原文太との橋の別れのシーン。手渡したミカンが文太の手から転げ落ち、雪の上をころころと転がっていく、見交わす目と目。あのシーンだけで私なら100点あげる。しかし、ざっと眺めると、「仁義なき戦い」以降の実録路線は、あまり記憶に残らないなあ。たぶん、理性で映画を見るようになっていたんだろう。様式美あふれる東映任侠映画路線こそが追憶の映画だ。
 
 この前見逃した1966年作品「博徒七人」77点。やはり当時の東映仁侠映画でも異色作だったようだ。昭和館での上映は昨日で終わり。もう見る機会がない。どこかでやってくれないものか。あの続きが気になる。
 それにしても、渡哲也の日活「無頼シリーズ」「大幹部シリーズ」をオールナイトで見た10代。「よし!」「哲也、後ろに気をつけろ!」客席とスクリーンが一体になって映画を楽しんだ時代、あの頃は映画館も熱く、楽しかった。醒めちゃいかんな、人間は。 
4月18日(木)快晴

 
昨夜は10過ぎに就寝という、いつにない「早寝」だったので、朝の目覚めは快適。やはり睡眠時間は大切。そして、話し合いも大切。昨日の自治会幹部との話し合いに決着がついて気分はスッキリ。人間、話せばわかる。

 今日、成田空港の新滑走路から1番機が飛び立つ。話し合いもなく、まず最初に閣議決定という農民の頭越しの「国策決定」が今も続く成田空港問題の根底にある。カネで横っつらをはたき、それでも言うことを聞かなければ暴力で排除する。そんな国家のおごりのために成田で何人が死に、何千人が負傷したか。成田空港の下には恨みを残して死んだ農民と学生、労働者の屍が幾重にも埋まっている。今も後遺症のために社会復帰できない人もいる。

 抵抗する農家があるにも関わらず、その頭上を巨大な飛行機が飛ぶ。わずか40メートルの上を。電車のガード下並みの騒音を受けながら畑を耕さざるをえない反対派農家。まるで拷問に等しい。耐えきれず転地することを強要する国家によるイヤガラセ。空港完成という既成事実を積み重ねて、反対する人間を分断・排除するヤリ口はまるでヤクザと同じ。

 それにしても、「滑走路建設に邪魔な農家をなんとかできないものか。政府はそろそろ法的な対応をしてもいいのではないか」と社説で強制代執行を扇動する読売新聞とはいったいなんなのか。権力をチェックするマスコミとしての矜持も意地もないただの御用新聞に成り下がった読売。泉下のOB黒田清も泣いていることだろう。
 有事法制が通過すれば、民間の家屋・土地の徴発も可能になる。当然、空港は軍事空港化する。当初から「成田空港は軍事空港である」と喝破した農民・学生の正しさがここにきて証明されるとは。歴史の皮肉。

 PM6、池袋タワーレコードをのぞく。インディーズでよさそうなのが何枚かあったが時間がなくなり買わずに帰る。PM7、新宿紀伊國屋ホールで入江雅人一人芝居「筑豊ロッキー」。ゲストは八嶋智人。
 客席右斜め前方に古田新太、前席に梶原善、その前に京野ことみ、ひとつおいて深津絵里。篠井英介、山中聡の顔も。
 京野ことみの可愛いこと。テレビで見るよりずっとキュートだ。……わたしゃミーハーか。PM10終演。帰りの電車路線、どれが一番早く帰れるか迷っているうちに、どんどん電車が遅れて結局、いつもより遠回りに。なんのこっちゃ。PM11・30帰宅。
4月17日(水)快晴

 
強風と夏のような暑さ。午前中、針灸院へ。
 
 午後、マンション自治会の問題で件の会長と話し合いの場を持つ。オブザーバーとして副会長Y氏に同行してもらう。会長は85歳という高齢。がんこ一徹な人との評判で、話し合いは当初難航するが、顔つき合わせて話せば分りあえるものだ。感情的なしこりは氷解。顔見知りの元会長T氏も話し合いの席に顔を見せ、4人で会談。当方の懸念にも理解を示してくれる。副会長、T氏の顔も立て、今回の問題に関してはこれ以上、追及しないことにする。
 それにしても話し合うことの大切さよ。顔の見えない者同士のコミュニケーションは誤解を生み、それがまた誤解の連鎖につながる。互いに顔を付き合わせれば、表情、態度でその人の真意がよくわかる。
 ネットもまた顔の見えないコミュニケーション。思わぬところで誤解されていることも多いのだろうな、と反省。

 ビデオ屋で「花様年華」「トゥーム・レイダー」を借りる。ビデオの調子がよくないので、「花様年華」は後日に。DVD仕様の「トゥーム・レイダー」から鑑賞。
 アマゾンに注文した倉橋由美子「よもつひらさか往還」が届く。読むのが楽しみ。
4月16日(火)晴れ

 
朝、明るい日差しに目がさめ、枕もとの時計を見たら6・30。あわてて、飛び起き、牛乳とパンを流し込み、駅に向かう。20数年、会社に勤めていて1時間以上も寝坊するのは初めてだ。目覚まし時計が鳴った記憶がない。セットし忘れか? 駅に入ってきた電車に飛び乗って会社へ。朝の満員電車。立ちっぱなしで1時間。7・45着。たまたま今朝の担当シフトが軽かったので事なきを得たが、綱渡りにヒヤリ。家人など「今日は水曜日で休みじゃなかったの」などと寝ぼけたことを言うので、「ウン?そうだったかな?」と目覚めないままの頭は混乱。一瞬、曜日を錯覚したのだったが…

 PM4・30。仕事を終えて、新宿へ。今月いっぱいで新宿の名画座「昭和館」が閉館になるという話を聞いて、その前に行ってみようと思いたったのだ。東京に暮らして30年余りだが、昭和館に行ったのは数えるほど。名画座といえば池袋・文芸坐、飯田橋ギンレイホール、早稲田松竹、大塚名画座などが主流だった。ヤクザ映画専門の昭和館地下は80年代以降は映画ファンにとってもなじみのある名画座ではなかったように思う。しかし、そこに昭和館があるということだけで、安心できたのも事実。行かなくてもそこにあるだけで「ある時代のムード」を代表するような映画館。それが昭和館。東京タワーのようなものか。なくなってしまうとなると、妙に淋しい。
中野武蔵野ホールの仁侠映画特集チラシ
 ヤクザ映画3本立て。1300円払って中に入る。ざっと見渡して約20人。仕事の途中さぼっているのか中年のサラリーマン、高齢者、職業のわからない怪しげな男たち。「最後の博徒」の途中から見る。松方弘樹が主演のもう一つの「仁義なき戦い」。冤罪事件を勝ち取った実在の組長・波谷守之をモデルにしている。成田三樹夫、鶴田浩二など今は亡き俳優が大挙して出演している。名匠・山下耕作監督。鶴田浩二の遺作でもある。まさに鬼気迫る演技。「仁義なき戦い」とは違う仁侠映画の趣き。こうしてしみじみと東映やくざ映画を見ると、今のVシネマのやくざ役者がいかに小粒になったかがわかる。「顔」が違うのだ。哀川某が主演するようなVシネマ、見る気がしないもんなぁ。

 次の「博徒七人」は鶴田浩二、山本燐一、藤山寛美、山城新伍らが活躍する「7人の侍」のやくざ版。片腕、隻眼、片足…いずれも体にハンディがあるという不思議な映画。初めて見たが、みんな若いこと。時間がなくて最初の15分で出てきたが、これは珍品。なんとかきちんと見たいものだ。

 映画館を出て南口の定食屋で赤魚の煮付け定食850円。

 PM7・30、シタートップスで劇団道学先生「兄妹どんぶり」。前作の「エキスポ」を見たときの胸の打ち震える思い再び。期待通り、いやそれ以上だ。至福の2時間15分。この舞台と時間を真空パックにして、いつまでも愛でていたいと思えるほどの面白さ、哀しさ。今年、いや、ここ何年かの舞台の中でためらわずベスト1にあげたい。三谷幸喜なにするものぞ。これこそ細部まで神が宿ったコメディーだ。初舞台とは思えない演歌歌手・谷本知美に花マル。舞台はその日見た観客だけのもの。過ぎ行く目の前の舞台がこれほどいとおしいと思ったことはない。
 PM11・10帰宅。「兄妹どんぶり」の興奮さめやらず。
4月15日(月)晴れ

 
仕事帰りに修理に出していたデジカメをとってくる。結局、保証書が見つからないまま。「いいですよ、今回は無償で結構です」とオリンパス。オリンパスはいい会社だ(笑)

 帰宅後、ピアノ教室の送り迎え。待つ間、マンション自治会会長に電話。特定企業の企業戦略を自治会が後押しする問題について質問したのだが、「自分の独断でやったこと。なぜ悪いのか」「前から決まっていたこと」「自分は会長になったばかりでよく分らない」と返答がころころ変わり、揚句の果ては激昂して電話をガチャンと切られる。やましいことがなければ穏やかに話せるだろうに、最初からケンカ腰。お話にならない。たった500円の参加費でアゴ、アシ、おみやげ付の見学会なんてロクなもんじゃない。中立であるべき自治会がなぜ企業の宥和策に肩入れするのかわからない。その経過を聞こうとしただけなのに、取り付く島もない。
「自治会とケンカして、もし私たちに何かあったらどうするの」と心配顔の妻。だが、世の中には妥協できないこともある。われながら損な性分。しかし、そぞろ歩きは軟派でも心にゃ硬派の血が通う♪ってね。

 PM9・15、「私の青空2002」を見た後、HP更新して就寝。
4月14日(日)快晴

 
昼、小3の息子を自転車に乗せて外出。ゲームソフトの店に行きたいというので何軒か回り、その途中、近くの川の土手に行き、自転車を降りて散歩。天気も上々。川に釣り糸をたれている人たち。生活排水が流れ込み、濁った川の水。鯉が釣れるらしいが、どのビクにもまだ影がない。「そっちに行くとマムシが出るらしいですよ」と草むらを指して注意してくれる親子連れ。「こんな時間に来てもなかなか釣れませんね」と諦め顔のオトーさん。

 若い男女3人はルアーで投げ釣り。そばを通ると「釣りって初めてなんだよなあ。これでいいのかな」と一人が周りに聞こえるような言い訳。女1人と男2人の「冒険者たち」パターンか。ルアーで鯉なんて釣れるのか? ちょっとほほえましい若者たち。

 しばらく河原で子供の相手。枯れ枝でチャンバラごっこ。子供はこんな遊びに生き生きとした表情を見せる。枯れ枝を振り回して駆け回る。子供の頃のチャンバラごっこ。首から上は斬ってはダメとか子供の世界のルールがあった。斬られたら十数えるまで死んだまま、とか。子供はそんな遊びのルールを身に付けて、次第に社会的なルールを覚えていった。ガキ大将を中心にした空き地のコミュニティーが消失してしまった現代、ガキ大将にかわって誰がルールを教えるのだろう。ゲームの世界の中が子供たちのルールになっている。触れ合いのない世界のルールはさみしい。

 チャンバラごっこのそばを先ほどの親子連れが通りかかる。こちらを見ていた子供が父親に向かって何かささやく。遠ざかっていく2人は、歩きながら釣り竿と網でチャンバラのマネ。うらやましかったらしい。

 子供の頃に親が歌っていた歌はいつまでも忘れないものだ。「旅の夜風」「誰か故郷を想わざる」「夜霧のブルース」−−父母が歌っていた歌は空で歌える。「夢のスマロかホンキュの街か♪」とスマロもホンキュもいまだによく分らないのだが、なぜか知らない上海の懐かしい情景としてよみがえる。

 自分の子供は大人になったとき、父親の歌を思い出すだろうか、とふと思う。自転車のペダルをこぎながら「何を歌おうか」と考える。小学生の頃に聴いた歌が一番歌いやすいよなぁ。梶光夫や舟木一夫、三田明…。しかし、口をついて出た歌はなぜか「亜麻色の長い髪を〜♪」というヴィレッジ・シンガーズの歌。あれ? なんでこの歌が出てきたんだろう。ついで、「長い髪の少女〜♪」。ゴールデンカップス。うーん、GSか。そういえば高校生以降の歌って、あまり歌わないなぁ。フォーク、ロックは鼻歌にならない。高田渡の「自転車に乗って」はつい口ずさんでしまうが。
 というわけで、子供に聴かせるように歌っていたら、「その歌知ってるよ。テレビで聴いたことあるもん」と。「亜麻色の髪の乙女」、リバイバルしてるのか?

 家に帰る途中、手塚治虫のキャラクターを使った回転寿司店に入る。ここは前にも何度か来てそのたびに「失敗」していた店。しかし、人間は忘れっぽい。今日は大丈夫だろうと思ったが、流れてきた皿の寿司を一口食べて、「ウーン…」。シャリに酢味がない。ただのご飯だ。結構、客は入っているのだが、こんなひどい寿司を疑問も持たずに食しているのだろうか。いくら一皿100円とはいってもこれはあんまりだ。キャラクターが泣いている。

 PM3、帰宅。皐月賞を観戦。2−9の超万馬券。二週続けてG1が大波乱。ヒモのタイガーカフェは買っていたが、まさかノーリーズンが勝つとは。単賞万馬券。「ノーリーズン・トゥ・クライ」。クラプトンか。

 作家の倉橋由美子氏も最近、24時間、原因不明の耳鳴りが続いているという新聞のコラム。やはり人知れず、耳鳴りで苦しんでいる人は多いようだ。最新作「よもつひらさか往還」をアマゾンで注文。
 耳鳴りはいまだに24時間鳴り響いている。1週間に1日、小康状態の日もあるのだが。慣れるのにはまだ時間がかかりそう。

 昨日、銀座で「個人情報保護法案」反対のデモを作家、ジャーナリストら250人が行う。「人権擁護法案」「青少年有害社会環境対策基本法案」と合わせてメディア規制法3点セットが成立すれば、言論・出版の自由など吹っ飛んでしまう。どの法案も建前は人権擁護をうたっているが、実態は個人ではなく権力を保護するための法案。このメディア規制法を成立させれば、政治家は汚職やり放題。有事法制制定など朝飯前。こんな法案をやすやすと通させる国民に未来はない。「地獄まで落ちないと目がさめないダメな日本人」と誰かが言っていたが、あえてそれに異を唱える気も失せた。一度地獄を見て生還できた人が今の日本国憲法の精神に同意したのではなかったか。それを同じ過ちを繰り返すとすれば…。

4月13日(土)晴れ

 PM2、仕事を終えて阿佐ヶ谷へ。勝田演劇事務所公演「9つの不気味な物語」。石井ひとみが目当て。木山事務所の「三人姉妹」に村松恭子が出演したのがきっかけで勝田安彦氏と結婚したということもあって、今回の公演には元梁山泊組が4人も出ている。ゴシックホラーのオムニバス。2時間15分に9つの物語だから短編の連鎖で飽きることはない。勝田氏自身が朗読・俳優として出演している。演出家の顔しか知らないのでびっくり。いい声だ。今回の演出もきめ細かい。ミュージカルの演出よりいいのでは。
 小長谷勝彦という俳優に魅了される。実に達者な俳優だ。
 終演後、石井と立話。「来年のアメリカの再演まで舞台はないんですよ」と石井。植村結子と友だちらしい。彼女は去年でストレイドッグを辞めたという。

 下北沢に行く前に夕食をとろうと思ってダイヤ街の「江戸竹」へ。鯨の刺身定食が目当てだったが、入り口の黒板に「青森産ホンマグロ 赤身、中トロ、大トロ1500円」の文字。もしやと思って中に入ると、やはりそう。「青森大間産のホンマグロ 大トロ定食2700円。中トロ定食1700円」
 もしかして大間のマグロを東京で食べるのは初めてか? 1500円の赤身とのセットを注文。さすがに2700円の大トロは手が出ない。店の主人に聞くと、「大間のマグロはキロ2万円だからね。その値段はほとんど原価ですよ」とのこと。味わって食す。

 店を出て下北沢へ。
 相変わらず駅周辺は若い人たちでにぎわっている。今の時期は特に多い。ディスクユニオンをのぞき、踏切を渡り喫茶店「イ−ハトーボ」へ。中に入ろうと思ったが、気が変わり引き返す。ヴィレッジバンガードで諸星大二郎の「栞と紙魚子シリーズ「夜の魚」、つりたくにこ未発表作品集「彼方へ」を買う。
 PM7、本多劇場で劇団離風霊船の「サブジェクション2002」。並びの席の扇田昭彦氏に挨拶。小田嶋雄志氏の姿も。

 高橋克実が退団した頃から、なぜか離風霊船の芝居を観る機会が少なくなっていた。しかし、今日の舞台を見ると若手も育っているし、神野美紀や松戸俊二、小林裕忠も頑張っている。伊東由美子もまだまだイケル。これからも「静かな演劇」ではなく、物語る活劇を続けていってほしい。切れのいい演出で今回の舞台も十二分に楽しめた。PM9終演。
 PM10・30帰宅。
4月12日(金)晴れ

 
ナチスの迫害から逃れるユダヤ人難民にビザを発給し、6000人ともいわれるユダヤ人を救った元リトアニア領事代理の杉原千畝氏の遺族がイスラエルのシャロン首相にパレスチナからの撤退を訴える親書を送った。その中で、「主人の書いたビザはあれでよかったのか、書かなければよかったのかもしれないと悩まざるをえません」という文言を入れたという。ウーン、そこまで言うとは…。

 PM4・30退社。5時を過ぎても外は明るい。日が高いと家に帰るのがもったいないような気がして、駅を降りると昨日の喫茶店に行ってみる。雰囲気は抜群。しかし、客が一人だとなんとなく落ち着かないものだ。30分ほどで引き上げる。夕食後、デジカメの保証書を探すが出てこない。出てくるのはほかの製品の保証書ばかり。マーフィーの法則か。
4月11日(木)雨

 
オリンパスから「デジカメの修理が終わりましたので保証書をお持ちください」の連絡。早い。

PM7、品川・六行会ホールで劇団AUN「リチャード3世」。主演の吉田鋼太郎は好きな役者だが、3時間余りの上演時間は疲れる。居眠りせずに完走しただけでよしとしよう。帰り、観に来ていたK森くんと品川まで。久しぶりの邂逅。帰宅0時。睡眠時間足りず。
4月10日(水)晴れ

 
急に冷え込み、Tシャツ1枚では寒い。歯磨きをしていたら歯からプラスチックの補強剤が取れたので午後から歯医者に行き、治療。担当医の勤務日が変わったので、今日から別の医者が担当。「それ、違うだろ」「腕を組んでる暇なんてないだろ」と歯科助手に小言を言うので「このコンビ、大丈夫かいな」と心配になってしまう。
 歯医者の後はタワーレコードに行ってCD物色。シェリル・クロウの新譜に食指。レニー・クラヴィッツが共演している。
 この前、散歩の途中迷い込んだ通りにシャレた喫茶店があったので、遠回りだったが行ってみる。2階がギャラリーになっている。吉祥寺あたりにありそうなしゃれた店。雰囲気最高。禁煙というのもいい。
 夕方、家に帰り、依頼された原稿を書く。PM11就寝。
4月9日(火)晴れのち雨

 
イベントプロデューサーの大澤氏から20日からスタートする札幌での寺山修司展ファイナルのスケジュール決定稿届く。6月までのロングランだからその間に一度は行ってみたいが、さて……。

 PM5。仕事を終えて渋谷へ。HMVでプシンの新譜「パクス・グルーブ」を買う。レゲエの女王プシンが歌うジャズ・R&BがGOOD。SAKURAの新譜も試聴したが、今回のセルフプロデュース作品、どうもしっくりこない。SAKURAのよさが出ていない。やはり他の人にプロデュースしてもらった方がいい音楽ができるのでは。デキが今ひとつで食指動かず。

 PM6、元ジァンジァンを改装した「ルノアール」でコーヒー。500円。初めて入った。部分的に柱や壁は元のままを生かした内装。客席だったところにテーブル。ここが劇場だったなんて…。

 PM7、パルコ劇場で美輪明宏の「葵の上」「卒塔婆小町」二本立て。オフィス・ミワのKさんから美輪さんの新著をいただく。

 席につくと左が古館伊知郎氏。劇場などでは芸能人は必要以上にはしゃいで自分の存在を周りにアピールするものだが、古館氏は終始寡黙。休憩時間になるとすばやく姿を消し、終演後もひっそりとエレベーターに乗り込んでいた。上演中居眠りすることもなく、席から身を乗り出すようにして舞台を観ていたのが印象的。

 右隣はどこかの演劇雑誌のライターだろうか。それともテレビ局のスタッフ? 30代の若い男。場内が暗くなって舞台が始まると、ライト付のペンを取り出してメモ取りを始める。視界の端に明るいライトがちらちら。気になって舞台に集中できない。

 視線を送って注意を促すが、まったく気にとめていないそぶり。メモだけなら許せるが、ライトを灯らせるというのは非常識にもほどがある。何か勘違いしてないかこの男。3分間猶予を与えるが、相変わらず膝の上にノートを広げ、その上にライトペンを走らせている。仕方なく、耳元でささやいてあげる。「あなた、その光るメモ、ちょっと迷惑ですよ」

 一瞬、不快そうな顔でこちらを見るが、そそくさとペンとノートをしまう。誰だか知らないが、ほかの劇場でも同じ事をやっていたとしたら周りが迷惑だ。ここはきちんと世間のルールを教えてあげなければ。招待客だろうがなんだろうが、ライト付ペンでメモを取るなんぞ常識外。何か勘違いしてるんだろうな、この手の男。

 PM9・10終演。Kさんに挨拶してエレベーターに。雨なのに若い人であふれかえり、「夜はこれから」といった風情の渋谷。途中のジーンズショップでTシャツ2枚買う。6090円。PM10・40帰宅。
4月8日(月)快晴

 
1週間ぶりの出勤。気が重い。仕事への意欲わかず。しかし、こんな日に限ってメチャ忙しい。いやでもエンジンが温まっていく。そんなこんなで午後には臨戦モード復活。こうしてまた日常に戻っていくのか。

 PM4・30。会社帰りに小川町のオリンパス顧客センターに寄ってデジカメの修理依頼。「落とした形跡もないし、記録されないのはどうしてだろう? 保証期間が過ぎていますけど、無料でやらせていただきます」と技術担当者。

 PM6、帰宅。部活が遅くなったとかで、娘のピアノレッスン休み。送り迎えなし。PM9から「私の青空2002」。優柔不断な健人の態度に中3娘が「ああいう人って大嫌い」。「私には子供がいる」と母親の武器をちらつかせる主人公・なずなにも「子供を盾にする女も嫌い」と。津軽女・菊川にも「なんかあの女の、うざったい」。色男・草刈正雄も「なに?あの人」とにべもない。ウーン、要するに大人がみんな大嫌いなんだ。今はそんな年ごろなんだろうな。
4月7日(日)快晴

 
休暇最後の日。といっても気分は普通の日曜日。朝から花粉症がひどい。それだけで気力が萎えてしまう。時間がたっぷりあるはずなのに、パソコンの前でネットをうろうろしたり、寝転んで古いカセットの音楽を聴いたり…もう全然活動的ではない。思考停止状態。頼まれ事もいくつかあるのに手付かずのまま。こうして、いつも休みの時間は無為に費えてしまう。
 休みが終わる頃になって、あれもしなきゃ、これもやっておくべきだった、なんて思うんだな。これを後悔という…か。 
 
 今日はアトム生誕1年前記念日。BSで午後からアトムの特集。千住真理子がアトムのテーマを演奏し、各界の手塚ファンからコメントが多数寄せられる。手塚治虫が生きていたらどんなに喜んだろう。アトム生誕を見ずして逝った手塚治虫。午後7時のニュースを挟んでアトムアニメのリクエストベストテンが続行される。しかし、ニュースに映し出されたのはパレスチナに侵攻中のイスラエルの戦闘シーン。国際世論の批判にも耳を貸さずにパレスチナを爆撃、アラファト議長監禁を続行するイスラエル。民間人多数が犠牲になっている。イスラエルを支援するアメリカ・ブッシュ大統領のテレビ映像を見ると、その背景にロデオの絵がかかっている。まさに戦争屋・ブッシュを象徴するワンカット。

 そのニュースが終わるとアトムの中でも人気の高い「ロボット世界一決定戦」の回後編。人間のなぐさみのために作られた戦闘用ロボットたちの戦い。アトムは戦いのむなしさを訴える。しかし、戦いのために作られたロボットはアトムに別れを告げて、自爆していく。

 手塚治虫は単純なヒューマニストではない。根底にあるのは、大量殺戮と破壊を目撃した自らの戦争体験。人間存在そのものを疑うペシミズムとの相克がそこにある。しかし、手塚は「それでもやはり人間は信じ合わなければいけないのだ」という思いを作品に込める。

 「いくら強いロボットを作っても、さらに強いロボットが出てくる。戦うのではなく信じ合うことが大切だよ」というアトムのセリフに思わず涙。「いくら力で相手を屈服させても憎悪はさらに増幅する」。まるで今の世界状況と同じ。アトムのメッセージは今も有効だ。
 山下達郎ではないが、ボクらはいつまでもアトムの子供なのだろう。
4月6日(土)快晴

 
PM1。俳優座劇場で上演中の木山事務所「慶応某年ちぎれ雲」を見に行く途中、渋谷に立ち寄る。友人と渋谷を散策中のネット仲間かなちゃんと落ち合う。わずか10分の立ち話。ネットで毎日のように”話している”ため初対面という気がしない。

 PM2、六本木・俳優座劇場。プロデューサーの木山氏に挨拶。幕末を背景にした、福田善之40年後のもうひとつの「真田風雲録」。期待したのだが、ウーン…。歌はよかったが、役者が……。
 4・40終演。福田善之氏と話をしたかったのだが、機会を見つけられず劇場を後にする。途中、会社に寄って「リハビリ」。あさってからまた仕事、と思うといささか憂鬱。会社の空気になじんでおこうと思ったのだ。

 週明け、テレビ・週刊誌はまたぞろ社民・土井叩きが始まるのか。誤解を恐れずにいえば、社民の犯罪など、政権政党の構造汚職に比べれば万引きと強盗放火殺人の違いのようなもの。税金泥棒ではないかといきりたつ御用評論家には三上寛の歌を聴かせてあげよう。

「八百屋の前で泣いている 子供背負った泥棒よ キャベツ一つ盗むのに 涙はいらないぜ」

 社民の秘書給与プール疑惑など、この程度の犯罪にすぎない。要は有事立法を是が非でも通したい連中の社民潰しの謀略だ。
4月5日(金)快晴

 
燃えるゴミの日。6・30に起きて集荷所まで運び、その後、再びふとんの中。午後、子供と一緒に理髪店に行きヘアカット。帰宅後、冬物をレンタルルームにしまい、夏物を出してくる。

 PM4・30、思い立って電車を乗り継ぎ北区十条へ。ジュリアン・デュビビエの映画「舞踏会の手帖」じゃないけど、東京に来て初めて住んだ町を再訪しようと思ったのだ。いつでも行けると思って今まできたが、思い切らないと、ついぐずぐず、いつまでもふんぎりがつかない。いうなればミニ・センチメンタルジャーニー。

 PM5、十条に到着。仲通り商店街を抜けて、姥ヶ橋交差点に。そこから20bくらいのところ、環七沿いに初めて住んだアパートがあったのだ。姥ヶ橋交差点にはいつのまにか陸橋ができている。数年前に完成したらしい。確かこのあたりだと思ったが…とアパートのあった場所をうろうろするが、見慣れたはずの風景は一変している。そこにあるはずのアパートがない。当時の大家さんは60を越していたはずだから生きていたら90余才。ガンコなおばあさんで口うるさかったが、そのぶん、なんでも親身に相談に乗ってくれたものだ。アパートの二階に住んでいた幼稚園の先生からヘザーちゃんという米国人の女の子の父母宛の英文代筆を頼まれたっけ…などと当時の記憶がよみがえる。

 近所の銭湯も入り口にベニヤ板が打ち付けられ、朽ち果てたまま捨て置かれている。銭湯帰りに立ち寄った小さな公園もブランコもない。アパートがあったとおぼしき地所には真新しい個人住宅が建っている。30年だもんなぁ。そりゃ、町も人も変わる。わずかに当時開店したばかりの喫茶店「あずみ野」が残っているだけ。
 ほとんど当時の面影を見出せないまま、駅に戻り赤羽へ。
 PM6、改札口で待ってくれていた小田嶋隆氏に会う。辛口のコラムニストとして活躍する小田嶋氏。今回の目的は実は彼に会うことだった。

 約30年前、浪人時代に赤羽の喫茶店「アテネ」でウェイターのアルバイトしていた。その夏、小石川高校の高校生2人がアルバイトに来た。その一人が小田嶋氏だった。仕事が終わった後、アルバイト同士が集まって、近くの公園に行って朝までとりとめのない話をしたり、マージャンをしたり…。楽しい思い出の中に彼の顔。その後、同じ大学に入ったらしく、二度ほど構内ですれ違ったがそれっきり。

 10数年前、彼の著作の裏表紙の近影がどうもあの高校生に似ているので、もしかしたらと思っていた。何年か前、彼のHPにメールを出して確かめたら、やはりそうだった。当時のこともよくおぼえてくれていた。そのうち会いましょうと約束しながら、つい今日まで。高校生からいきなり40代の顔。考えてみたら年だって2歳しか違わないのだ。駅のそばの喫茶店で30年の空白を埋める。気がついたら8・30。2時間半もしゃべっていた。遅い夕食を取り、9・00、駅で別れる。30年ぶりに会った小田嶋氏だが、ときおり見せるとびっきりの笑顔は高校生の頃のままだった。また機会をみつけて会いたいものだ。
 10・00帰宅。
4月4日(木)快晴

 
お昼近くに起床。PM1に歯医者へ。この前、試しにかぶせた歯が、水にしみて痛む。「生きている歯なので痛むんでしょう。だんだん慣れると思うんですけど」と医師。大丈夫かいな。

 休みもあと3日。のんびりと過ごしたいのだけど、いろいろやることがいっぱい。冬物をしまってTシャツを貸しルームから出してこないと着るものがなくなる。もうすっかり初夏の気候。人が仕事をしている間に休みがあるというのも良し悪しだ。ゆっくりのんびり休まなきゃ、という思いと、せっかくの休み。この機会に何かしなきゃという強迫感が混在し、あまり居心地が良くない。なんのこっちゃ。
 結局、揺れる思いと裏腹に、あちこちうろついたあげく映画館に飛び込んで「ロード・オブ・リング」を鑑賞。帰りに整骨院でハリ治療。これじゃ普段と変わらない。ウーム、計画性のないB型の行動パターン…。
4月3日(水)快晴

 
とうとう最終日。あっという間の3日間。こんなことなら、もう少しゆっくり滞在すればよかった。10時にチェックアウトして難波駅へ。コインロッカーに荷物を預けて戎橋あたりを散策。大阪に来たからには、やっぱり名物の食いだおれ人形を見せなくちゃ。行列のできる店でたこ焼きを買って新幹線へ。PM2・16、一路東京へ。東京駅から武蔵野線に乗り継いで遠回りで家路に。平日のラッシュ時、大きな荷物を何個もかかえて地下鉄に乗るわけにはいかない。舞浜からTDL帰りの家族連れがどっと乗り込む。PM6・40、帰宅。
 メールチェックとHP回りで深夜まで。さすがに疲労困憊。
4月2日(火)快晴

 
ピーカン照りの一日。朝一番のホテルのシャトルバスで船着場まで。そこからチャーター船でUSJに。9時の開園をやや過ぎた頃に到着するとすでにチケット売り場には長蛇の列。チケット引き換えまでに1時間以上並ぶ。入園前にすでに疲れてしまう。

 ディズニーランドもそうだが、人の群れを見るだけでゲンナリ。この広さ、この人数。いつも思う。生まれ故郷の青森・下北半島の全人口の何倍かがこの一角に終結しているのだ。それを考えると気が遠くなる。これって田舎物の発想なんだろうな。

 行き当たりばったりで、まずはバック・トゥ・ザ・フューチャーの整理券に並び、4時の回の優先権を確保。それから、ジョーズに2時間並ぶ。芝居1本見るだけの時間を延々と行列に並ぶのだから消耗著しい。「ジョーズ」では熱風が直撃。やけどするんじゃないかと思うほど。結構ハード。
 次の「ウォーターワールド」も見せ場たっぷり。維新派+劇団☆新感線の芝居のようなものか。しかも60年代アングラが入ってる。水をかけて客いじりするなんてのは、状況劇場が得意としたところ。USJがアングラをパクったということか(?)

 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の3D映像で肝をつぶし、ジュラシックパークで2時間半行列。恐竜に追いかけられ、ずぶ濡れになって退散。PM8にはハリウッドマジックなる花火とショー。これがすごいスペクタクル。USJは子供向けというよりも大人が楽しめるテーマパークのようだ。帰りは例によって買い物に時間を費やす女性組に待ちぼうけ。地下鉄乗り継いで11・20ホテル着。
4月1日(月)快晴

 
7・30、電車で東京駅へ。朝のラッシュにぶつかりもみくちゃにされ、息も絶え絶えの子供たち。「電車通勤ってこんなに大変なの?」とひきつった顔。電車通学を楽しみにしていた娘は「自転車で行ける高校にしようかな」とポツリ。

 9・03の新幹線で大阪へ。到着直後、「お腹がすいた」というので駅で食事。トイレだ食事だとカルガモを引き連れる親ガモの気苦労。人心地ついた後、地下鉄で「なか埠頭」へ。おととしまでは秋になるとここの南港ふれあい広場で行なわれる維新派の野外劇を見に来ていたので多少の土地鑑があった。宿泊は難波近辺のビジネスホテルか国際交流センターホテルと決まっていたが今回はハイアットリージェンシー大阪。なるほどここがそうか。いつも横目でそばを通り過ぎるだけだった。
 
 旅行代理店に頼んで取ってもらったので、着くまで自分がどこに泊まるのかさえ気にしていなかったのだった。B型無頓着。会社で今回の大阪旅行の予算を話したら「あと10万足せば本場のUSJに行って来られるぞ」と言われたのだが、なるほど、そういう意味か。ほんと、私ゃ旅行下手。しかも二部屋だから広すぎる。こんな豪華なホテル(私にしては)とは思わなかった。安いとこに泊まればそのぶん豪勢ツアーになったのに……。などと後悔したが、気を取り直して大阪港に行って海遊館で半日過ごす。水族館に大観覧車。デジカメでパチパチ撮りまくる。しかし、1枚撮るたびに「撮影枚数がゼロです」の表示。ヘンだなあと思いつつも、いったんオフにしてから立ち上げるとシャッターが押せるのでそのまま続行。しかし、モニターチェックで異常に気づけばよかったのだが、翌日のUSJまでまったく写真が撮影されていなかったのだった。突然の故障。なぜだ。ついてない。

 PM9、ホテルに戻る。初めて体験するユニットバス・トイレ、ガラス張りのシャワーコーナーにとまどう子供たち。明日のUSJを前に早めに就寝。枕の高さが違うため、なかなか寝付かれず。