8月31日(土)快晴 朝から根を詰めて仕事。胃が痛くなりそうな緊張感が続く。ま、そのために午後には解放される快感を味わうのだからいいか…。 PM2、銀座・博品館劇場で”キングス・オブ・タップ”中野ブラザーズの結成55周年記念公演「That’s Tap 55th」。 もう、これはまさにエンターテインメントの極致。ショーとは何かを知り尽くした真のプロフェッショナルの仕事だ。 女性ダンサー3人を従えたオープニングのタップ、ジャズダンスから2人の交互のソロ、共演、「シング・シング・シング」の大団円まで25分間の第一部の濃密なステージ。 15分の休憩を挟んで、和太鼓との競演、トーク、歌、バンド演奏、20年前の35周年記念のテレビ番組放映、マイクを持っての歌、タップ、シナトラメドレー、長兄の南風カオルの大衆芝居劇中歌歌唱、兄の日本語歌、弟のタップによる「ミスター・ボージャングル」、フィナーレと、まさに極上のメニュー。これが、よどみなく進行し、合間のMCもムダなく緩急の効いた2時間10分。実は中野ブラザーズのステージを見たことがなかったので、「どうせ還暦過ぎのジイサンたちの気の抜けたタップだろう」と期待せずに行ったものだから、予断との落差に驚愕。「一番好きな歌です」と弟の啓介氏が歌った浜田省吾の「もうひとつの土曜日」には鳥肌がたつくらいの衝撃。ハマショーって今まで興味がなかったが、この歌を聴いた瞬間、打ちのめされた。こんなにいい歌だったのか。 若い頃から本場ラスベガスの舞台でステージに立ち、常に第一線で活躍してきた2人。宝塚、四季の指導はもとより、コンボイショーの今村ねずみ、女優の松下由樹(タップダンサーとしても実力派)らを育てただけはある。中野ブラザーズのタップを知らなかった自分の不明を恥じるばかり。トシはとっても、体が柔軟で、バネがあり、動きも流麗、歌も素晴らしい。今まで見てきたミュージカルやレビューはいったい何だったのだろうと思うほど、どれをとってもすばらしすぎるステージ。いかにお客さんを楽しませ、自分たちも楽しむかを知り尽くしたプロの芸。こんなにもスゴいショーを60過ぎたジイサン2人が軽々とやるなんて! 感謝感激雨あられ。生まれてこのかた、見てきたエンターテインメントの中で文句なしにベストワン。 20年前のテレビ番組も素晴らしい。中野ブラザーズを世に送り出した江利チエミ、山本直純らがにこやかに話しているシーンが映されるが2人とも今はなく、オーケストラと中野ブラザーズを共演させた「題名のない音楽会」の黛敏郎もいない。 しかし…20年間前のテレビを見ると今の音楽番組がいかに情けないものになったかよくわかる。今の歌番はクズ以下のシロモノ。ドラマだけでなく、ホンモノのショーがテレビから消えてしまったのだ。なんと不幸な時代。 PM4・30。会社に戻り、後片付け。 PM7、ベニサン・ピットでtpt「bash」。ギリシャ悲劇を現代の視点で再構築し、人間の原罪を問うニール・ラビュートの作品。3つの暴力事件を一人の人物の告白という形で演じるモノローグドラマ。デヴィッド・ゴサードが演出。秋山菜津子と千葉哲也がそれぞれ50分近いモノローグを2編。最後に2人で40分のモノローグ。 舞台後方は赤茶けた岩肌の山脈、その下に小さな家が何軒か立っているという、箱庭のようなセット。主人公がモルモン教徒というので、このセットになったのか。 常勝のtptにしては客席の3分の1が空席。演劇不況もここまできたか。 観客席に向けて語りかける独白ドラマは役者もそうだが、客のほうも緊張する。中劇場クラスなら、客席が遠く、役者の視線の行方も気にならないかもしれないが、ベニサンは小さな小屋。役者と目が合うこともしばしば。秋山菜津子、この前の「ブルールーム」で演劇賞を独占したが、今回の舞台はいまひとつ物足りない。 最後の物語など、宗教性を抜きにしたら、ただのオヤジ狩りの話になってしまう。外国の戯曲はむずかしい。この手の舞台は役者にとっては実力を試されるやりがいのある舞台なのだろうが、客は難行苦行の僧侶を見ているような気分になる場合も…。 PM9・40終演。PM11帰宅。 8月30日(金)快晴 東電3原発(福島第1、福島第2、柏崎刈羽)で自主点検でひび割れなどが見つかりながら、国への報告で29件もの虚偽の記載をしたことが発覚した。BSEどころの騒ぎじゃない。点検で見つかった不具合箇所の放置は重大な事故につながりかねない。点検作業は東電とGEの子会社GEII(ゼネラル・エレクトリック・インターナショナル)が行い、今年3月のGEII社長の来日の際、指摘され、調査に動いたのだという。もっとも、その2年前に内部告発があったそうで、GEII社長の来日で隠しおおせないと判断したのだろう。 どうして不具合があるのに修理しないのか。要は、稼動停止を避けたいという会社の思惑が背景にある。原発の稼動率アップこそが今の原子力産業の至上命題。そのためには修理で停止させることを避けたいというわけだ。なんとも空恐ろしい。ついこの間、定期検査を簡略化する方針を原子力安全・保安院が打ち出したばかり。これじゃ、どうぞ、事故を起こしてくださいというようなもの。原発の重大事故は立地周辺のみならず、全国、全世界を巻き込む。安全点検は最高度に行わなければならないというのに、それをごまかすなんて…。 PM6帰宅。家族団らん。PM10、途中から「北の国から」総集編・後編を見る。俳優のすまけいさんが、大病をして以来、「テレビを見ていて、お涙頂戴ドラマだとわかっていても、つい泣けてしまう。どうしたんだろう。チキショー」と語っていたが、このドラマも、わかっていてもつい泣けてしまう。ま、「泣けるドラマはいいドラマ」と勝手に解釈するのだが…。 8月29日(木)快晴 東京都が大道芸人に「鑑札」を与えたという。多数の応募者の中から選別して、都内で大道芸ができる資格を与えたのだとか。お上から首輪をつけられてうれしいのか? 大道芸っていったい…。 PM3・40、御茶ノ水K記念病院で鍼治療。 PM5、新宿で従姉の娘たち、Sちゃん、Kちゃんと落ち合う。2人とも二十歳。待ち合わせ場所でKちゃんに声をかけたら不審そうな顔。Kちゃんとはほとんど会う機会がないから当然か。ヘンな大人が声をかけてきたと思ったらしい。プチ・ショック…。近くの喫茶店でお茶。 PM7帰宅。芝居を見る予定だったが、キャンセル。どうも気が乗らない。帰宅して娘の高校進学のことで話し合い。その後、親子で花札。PM10、TBS「アクセス」を初めて聴く。二木氏出演。関口宏ゲスト。 8月28日(水)快晴 6時に目が覚めるも、昨夜の酒が残っているようで頭が重い。二度寝。10時起床。厳しすぎる残暑。日記を書いて、掲示板にレスをつけるだけで半日経過。冷房のない部屋の中はムッとする熱気。本を読んだり音楽を聴く気にもなれず、ぼんやりとパソコンの前に座っている。「林美雄」で検索した掲示板を読んでいると、彼がいかに多くの聴取者に慕われていたかがわかる。もちろん、世代によって温度差はあるが…。 夕食後、家の中を真っ暗にして子供たちとお化け屋敷ごっこ。ちょっとしたことで子供というのは大喜びするものだ。 世界中の人が同時に目をつぶれば世界は闇に閉ざされる。世界を覆う共同幻想は消滅する。その次にみんなが目を開けれたとき、国家も権力も地上から消滅している。目を閉じるだけで世界は消えることにみんなが気がつけば…。などと白昼の夢想。 PM10就寝。 8月27日(火)快晴 休みの前日なのに、芝居の予定を入れなかった。そのため朝から気が楽。芝居を見るという行為がいかにエネルギーを使うか、だ。 PM5退社。 PM6、いったん家に帰り、置いてあった手土産を持ってG駅まで引き返す。上り電車はガラ空き。駅から5、6分歩いたところに小料理屋「S」がある。ノレンをくぐると、「いらっしゃい。…えっ、××くん? どうしたの?」と驚くSの声。わざと顔をうつむかせて入ったのだが、やはり幼なじみ。すぐに気づいたようだ。6、7年ぶりだろうか。お盆に田舎のクラス会で会って以来。「誰にも教えてないのに…」と不思議そうな顔。田舎に住んでるNに聞いたというと、「そうなんだ、田舎の実家のほかには知らせてなかったんだけど、どこでわかったんだろう」 昔からスリムな体型だったが、変わっていない。きびきびとよく動く。店は去年の11月にオープンしたという。 「まさか自分でもこういう商売をやるとは思っていなかった。前に勤めていた会社を辞めて、食べていくには何か仕事をしなきゃと思っていたとき、偶然不動産屋で物件を見て、すぐ決めちゃった…」 カウンターと座敷にテーブル二つの小さな店。話をしていると、ほどなくお客さんが一人入ってくる。近所のオジイさんとか。裏に回ってお寿司の差し入れ。 「ここのママさんはきちんとしてるから好きなんだよ。普通、俺らみたいな酔っ払いが行く店は、どこでも勘定をごまかすのが当たり前でしょ。200円のお通しを500円につけたりね。そういうのって酔っ払っててもすぐわかる。ところがこの人は決してそういう姑息なことをしない。料理の値段だって安いでしょ。もっと商売っ気出して高くしてもいいと思うんだよ。まあ、そういう素人っぽさが気に入ってるんだけどな」 お客さんは近所のおじさんおばさんが主らしい。「夜12時を過ぎると、お客さんも増えるんだけど、私は12時でおしまいって決めてあるから、さっさと店じまいしちゃうの」 掃除の行き届いた店の中は清潔でチリ一つ落ちてない。 考えてみれば中学までは一緒だが、高校は別。たまに田舎のクラス会で会うだけだから、中学を卒業してから30年以上、ほんとに数えるくらいしか会っていない。それでも、幼なじみというのはいつまでたっても懐かしい友だちだ。 2年前に離婚し、子供たちはそれぞれ独立。いろいろ苦労はあったと思うが、そんなことはおくびにも出さず、こうやって元気に自立しているのを見るとなんだかさわやかな気分になる。 11時、新しいお客さんが入ってきたのをシオに引き上げる。 「勘定はいいわよ。お土産ももらっちゃって」とS。こういう商売っ気のなさ、人の良さが同郷人の特徴なんだな。勘定書きのメモを見せてもらったら、結構飲んだはずなのに、これまた数字の小さいこと。「お客なんだから、ちゃんと勘定はもらわなきゃダメだよ」と、レジの前でまるで「オレが払う」「私が」の光景。 PM11・30帰宅。店を出たとたん、一気に酔いが回り、わずか20分の電車が長く感じられる。家に入ったとたん倒れ込んでしまう。昨日から掲示板のレスもつけられず。 8月26日(月)快晴 睡眠不足か風邪なのか、午後になって鼻がムズムズ。まるで花粉症状態。仕方なく鼻炎用カプセルを1錠服用。 週刊誌で宮崎駿監督が「今の日本が乱れているのは礼儀を忘れた日本人が多いから」と発言していた。宮崎監督のいう礼儀というのは「心のブレーキ」のこと。「それをやっちゃあ、おしまいよ」という、暗黙の自己規制がなくなり、おカネ儲けのためならブレーキなどとっ外してアクセル全開という風潮が蔓延したからという。 テレビのバラエティー番組などその最たるもの。カネを目の前につらつかせて素人のプライバシーが切り売りされる「ドキュメント・バラエティー」の横行はいつから始まったのか。ヤラセがほとんどだろうが、それにしてもあさましい。夫婦ゲンカ、恋人の素行調査……。昔なら思いついただけで踏み止まっただろう企画が今のテレビ局ではゴールデンタイムで当たり前のように放送されている。 虚構を武器に現実原則を侵犯しようと企てたのは寺山修司だが、彼の行った市街劇もまた、市民の反撃に遭い、指弾された。しかし、寺山修司が企てた小市民社会への挑戦と今のテレビ局がやってる素人参加のドキュメントとは似ているようでまったく異なる。 「天井桟敷とは演劇による革命への無の贈与であった」とは寺山修司の弁。今のテレビは視聴者の想像力を奪い、ひたすら権力に奉仕するだけ。ラジオも似たようなものだ。「深夜の解放区」「もうひとつの別の広場」と呼ばれた深夜放送がかつてあった。当時の深夜放送に寄せられたリスナーの言葉はどれもが若者らしい切実で真摯な声にあふれていた。社会や自分の生き方への疑問、恋の悩み…。それを受け止めるDJもまた誠実なアニキ、アネキだった。一人ひとりの人生を受け止めるために、DJ自身も悩み、苦しむ「仲間」の一人だった。みんなが同じ言葉を共有した短い夢の時間。1980年の林美雄さんのパックの終了はそんな夢の季節の終焉を象徴していた。 田舎に帰ったときに、思いついたように開く「もう一つの別の広場」「続々もうひとつの別の広場」。そこに寄せられた聴取者たちの青春の息吹には、時代を超えて圧倒される。あのエネルギーはいったい何だったのだろう…。 みんなが「トモダチ」になり「アニキ」のいない時代。今の若者が不幸だとしたら、「アニキ」がいない時代だからではないか、とふと思う。 帰り道、G駅で途中下車。中学の同級生が始めたという居酒屋を探しあてる。居酒屋というよりも小料理屋さんだ。開店前らしく、ノレンがしまってある。手土産を持ったこなかったことに気づき、とりあえず場所確認だけで店を素通り、駅に戻る。 PM6帰宅。ビールを1本飲んだだけで酔いが回ってしまう。日曜日に出かけたせいか疲労感もあり、パソコンに向かう気力なく早目に就寝。 8月25日(日)快晴 PM3、品川へ。新高輪プリンスホテルでTBSアナウンサー林美雄さんの追悼会「サマークリスマス 林美雄フォーエバー」。会場の「北辰の間」はキャパ1200人の大宴会場。それなのに、参会者で立錐の余地もないほど。いかに幅広い交流があったかを物語る人、人…。会場に流れるのはディランU「プカプカ」下田逸郎「セクシー」、森田童子「さよなら僕のともだち」など、林パックでかけまくった曲。 受付でPANTAさんとNちゃんの2人に遭遇。「ユア・ヒットしないパレード」でPANTAの「ルイーズ」を延々かけ続けたのが林さん。PANTA自身も何度かパックに出演している。3人で献花の列に加わる。献花が終わり、ちょうど林夫人の前を通るとき、パック何周年記念のときの録音で、PANTAが替え歌を歌っている場面になる。テレくさそうに「今歌ってるのがボクです」と夫人に挨拶するPANTA。 3時開始予定だが、献花の列が延々続き、30〜40分遅れる。司会は小林豊アナウンサー。 黙祷の後、TBS砂原会長の心のこもった挨拶。続いて、林美雄さんの先輩であり、近所づきあいもあったという山本文郎アナが挨拶。ほほえましいエピソードを披露して会場をわかせる。 次にナッチャコパックの白石冬美さん。野沢那智が地方にいるため一人で挨拶。パックが終わる頃、パックの生みの親である熊沢ディレクターと林美雄さんがナッチャコパック放送中に調整室に現れたこと。野沢那智が「パックが終わる」と直感したというエピソードなどを話す。「パックの最終回。参加したDJたちが帰った後も、始発まで林さんはパックメイトの相手をしたそうです。林さんはパックの幕引きを最後まで一人でやりとげたんですね」 歓談の後は、松崎しげる、キネマ旬報の植草信和氏の挨拶。松崎しげるは、売れない頃の西田敏行と一緒に林美雄とテレビ番組を司会したり、仲がよかった。黒い顔の松崎もしんみり。 植草氏は伝説のイベント「歌う銀幕スター 夢の狂宴」を一緒にプロデュ−スした時のエピソードを。日本映画を元気にしたいという情熱があのイベントを可能にしたのだ。 林美雄が「この映画で人生を変えられた」と言ったという藤田敏八監督の「八月の濡れた砂」。主題歌を誰が歌っているのか、調布撮影所まで飛んでいって探したという。その石川セリが登場。「八月の濡れた砂」を歌う。途中、歌詞をつっかえてしまったが、ほとんど変わっていないセリの歌声。 次は山崎ハコ。林美雄さんは上京したてのハコのライブを誰よりも早く見たことを自慢していたとか。林さんが好きだったという「さよならの鐘」を弾き語り。 歓談の間に、ミスタースリムカンパニーの山本明子さんを見つけ、談笑。テーブルの周りは梨本謙次郎などスリムのメンバーが陣取っている。 歓談後の登場はそのミスタースリムカンパニーの親分、深水龍作。「客が入らなくて解散しようかと悩んでいた」というスリムをパックで支援し続け、解散を踏みとどまらせ、その後のスリムの黄金期を作った最大の功労者が林さん。去り行く友へ捧げる龍作のバラードがジーンと胸にしみる。 PANTAさんが「もうずいぶん龍作と会ってない、会いたいなぁ」と言ってたが、会場で再会し、抱き合ったとか。よかった。後で龍作さんに聞いたら、「PANTAとも会えたし、これからお互いに連絡をとるようにするよ」と言っていた。30年の時空を超えた友情の復活。林さんが取り持ったことになる。 次に原田芳雄さんがギターを持って登場。リンゴ追分を歌い、間奏で林さんへの友情ある言葉を述べる。ダブル・ヨシオは仲が良かった。「松田優作と2人で夜中にパックを聴いていて、”おい、行くか”ってよくTBSに行ったものです」。ブースには、原田芳雄がいつ来てもいいように、オンボロギターとバーボンが置いてあったという。パックで何度、原田芳雄のリンゴ追分を聴いたことだろう。スリムになった原田芳雄はギターを抱えているとクラプトンをほうふつとさせる。あんなふうに年齢を重ねたいものだ。テレビでおじいちゃん役などやってほしくない。 ゲストの最後は松任谷由実。名前が呼ばれると会場がどよめく。予想はしていたが、さすがにユーミン、恩を忘れない。まだ無名の荒井由実を強力にプッシュし続けたのが林さん。「ユーミンの愛称も林さんが広めてくれたようなもの」と言う。「昔の林さんの写真見ましたけど、林さんは今でいうオタクの元祖だったんですね。カルトの何たるかを林さんを通して知ったような気がします」と軽いジャブで笑いを取る。そして、パックをやめた林さんのために作った「旅立つ秋」を歌う。考えてみたら、パックでユーミンを知ってから30年近くたつが、ナマのユーミンを見るのは初めて。75年頃、初めてTBSテレビに出たユーミンを見たとき、歌唱はイマイチという印象があったが、歌がうまくなったのに感動。しっとりと歌い上げる。 そして、最後、文子夫人の挨拶。気丈に生前のエピソードや最期の様子を語る。病状が悪化しても明るく振舞っていた林さんがたった一度涙を流したことがあるという。それは、亡くなる2カ月前に予定していた三男と日本舞踊の共演ができなくなったこと。パックをやめたあと、日本舞踊にのめりこんでいたというのは知っていたが、親子共演か…。情報を発信するだけでなく、自分自身でも何かやりたかったんだろうなぁ。 その最期の願いをかなえるべく、遺影をバックに、三男と舞踊の家元が森進一の「それは恋」を踊る。三男のなんときれいなこと。17歳の誕生日を迎えた日、夫人が報告すると、力強い声で「おぉッ」と答えたという林さん。その翌日に息を引き取った。遺影が微笑んでいる。 パックの最終放送の挨拶をする林さんの声を背景に、「青春の蹉跌」のテーマ、「フォローミー」のテーマが流れ、サマークリスマスはすべて終了する。シリア・ポールの「夢で会えたら」(後から思うと吉田美奈子の方だったかもしれない……)が会場に響き渡る。 ぞろぞろと出口に向かう参会者。司会を務めた小林豊が顔をうつむかせたまま肩を震わせている。嗚咽を押さえようとしてるのがわかる。体が小刻みに震えている。にらみつけるように遺影に目をやり、あふれる涙をぬぐっている。林さんのことを好きだったんだな、きっと。周りの同僚たちもそんな小林豊の姿に声をかけられず、そっと見守っている。最後の印象的な一コマ。 PM6終了。 会場では沢竜二さんに挨拶。いつも手紙で挨拶を交わすが、お会いするのは初めて。「林さんと仲が良かったんです」と言う。 帰り、ロビーでギターケースを抱えた原田芳雄に、元ガロの大野真澄が駆け寄って笑顔で握手を交わしていた。 それにしても、林美雄の偉大さよ。死してなお、あんなに参会者を集め、豪華なゲスト陣で楽しませる。一アナウンサーではない。ジャンルを超えた表現者だったのだ。同時代を過ごしたことに感謝したい。 PM7・30帰宅。今日は阿波踊りの最終日。駅周辺は人の波で身動きできない。おそらく50万人は出てるだろう。ケイタイも通じなくて、先に出た家族と会えないまま、また家に戻るハメに。年々、この近辺の祭の人出が増えているようだ。 PM9、帰ってきた息子の甚平姿をパチリ。10時には娘の帰還。浴衣姿にシャッター。 PM11・30。日誌を書き終え、就寝。 8月24日(土)快晴 仕事サクサク。午前中でケリがつく。 仕事を終えて、PM2・30、下北沢へ。「ハイレグ・ジーザス」解散公演シリーズ「ベターなジーザス」。ハイレグ公演とはいっても、ベターポーヅの西島明の作・演出。中坪由起子、今奈良孝行、伊藤海、及川水生来がベターポーヅに参加した混合戦。河原雅彦は「月影十番勝負」「検察側の証人」をかけもち稽古中。ベターポーヅは初めて見た。ハイレグに客演する加藤直美しか知らなかったのでイメージがつかめなかったが、最近よくある不条理ギャグ・コント芝居。しりあがり寿や吉田戦車のマンガを舞台にしたようなもの。やってる方は意味ありげだが、見ていてつらい&つまらん。1時間20分でも飽き飽き。ハイレグ目当てで来たお客さんも肩透かし。 新宿に行き、南口のタワーレコードへ。小田急の切符では南口から出られないということを初めて知った。駅員に「東口に回ってください」と言われ、またホームを突き抜け、東口方面まで迂回。なんで、そんな面倒なことしなけりゃいけないのか、納得できない。 タワーレコードで1時間ほどCDを物色。Minmiの「パーフェクトバージョン」、プシンの新譜「フォエバー」、ついに長野から東京に進出したゴーグルエースの「東京エレキッド」。寺山修司の「田園に死す」のサントラ復刻版、小椋佳の「彷徨」、鳳山雅姫のポエトリーリーディング「読む詩その2」。小椋佳のレコードは「青春」がよく知られているが、同じくナレーション入りの2作目「雨」が一番好き。高校時代にお昼の放送で流したものだ。まだ小椋佳の顔も知られず、ジャケットの岡田祐介をイメージしていたっけ。ルックスは落差があったけど。「雨」のレコードは実家に置いてあり、小椋佳もしばらく聴いていなかった。久しぶりに聴くと懐かしさで胸が締め付けられるよう。小椋佳もまた寺山修司に才能を見い出された人。映画「初恋地獄篇」の音楽を担当している。「田園に死す」のサントラ盤をラジオでよく流していた林美雄さんの誕生日「サマークリスマス」は明日。新高輪プリンスで行われる。スポーツ紙に載った告知記事はまるで、林さんの「苦労多かるローカルニュース」だ。死んだことさえ信じられない。まして追悼会など冗談としか思えない。 ピアノにのせて詩を朗読する鳳山雅姫。200円と廉価。「田園に死す」「彷徨」鳳山」−−そういえば3枚とも「詩」のCDだ。 PM7、シアター・トップスで「花緑落語」。ラッパ屋の鈴木聡の新作落語。正味1時間ほど。真ん中にトークライブを挟んでの二部構成。小さんの孫・花緑。9歳から落語を始めたという。さすがに巧みな話術。トークのゲストは18歳のバラドル、ベッキー。落語に登場する、携帯にストラップを山ほどくっつけた女のコのモデルはベッキーということで、その携帯の現物を持って登場。頭の回転の速いコ。さすがの花緑もタジタジ。いつもは裏方の鈴木聡も司会役を嬉々としてこなしている。あれ? 鈴木聡ってこんなに多弁だっけ? まるで自分が主役のよう。 PM9終演。制作のYさんに挨拶して引き上げる。劇場を出たところで、田舎にいる同級生Nに電話。同級生のSさんが東京で居酒屋を開いているという話を聞いたので、その住所を教えてもらう。こんど訪ねてみよう。 電車の中で今日買った「ロック画報」を読む。GS特集。特集の1本はカルトGSとしてブームの火付け役になった「ザ・ダイナマイツ」。 しかし、一口にGSといっても、マイナーなグループは星の数ほどあったんだ。それを研究する音楽ファンはGSをリアルタイムで知らない若い世代。カルトの復活はいつでも、こうした若い世代の探究心から生まれる。シーザーもカルトの帝王として連載中。付録の音源はダイナマイツの「恋はもうたくさん」、「のぼせちゃいけない」、モップス、オックス、ハプニングス・フォーetc。チープ、ダサイ、歌謡曲っぽいと切り捨てられてきたGSだが、なかなかどうして奥が深い。 オックスの野口ヒデトがインタビューで「今出てるライブ盤は本当のオックスじゃない。なぜって”テルミー”で全員の音が最後まで入ってるもの。ボクラのライブでは、アンプ倒したりドラムセットを投げたり、舞台下に引きずりこまれたり、最後はベースラインだけで終わるのがホンモノのオックスのライブ。完全燃焼したライブ音源じゃないです」と誇らしげに語っているのが笑える。赤松愛の脱退騒ぎは仕掛け人がいたとか。 ギター音を歪ませるファズが発明された頃、モップスの星勝がレコーディングルームでファズの音を出したらディレクターに「ギターの方、すみません、スピーカーが割れてるんですけど」といわれたというエピソードも笑える。当時はすべて手探りだったんだろうな。 PM10・30帰宅。疲れ気味なので早目に就寝。 8月23日(金)雨 比較的仕事がラクだったので、たまっていた郵便物を整理。机周りすっきり。 浜岡原発で見つかった配管の亀裂は振動によるものと推定されると毎日新聞。生き物は死に、モノは壊れる。技術に絶対はない。安全神話はとっくに崩壊しているというのに…。 早目に帰宅。夜8時半からピアノ教室の送迎がある予定だったが、母娘が帰ってきたのが7時。今日あった高校見学会で疲れ果てたのか、さすがに夜遅いピアノはキャンセル。 昨夜、録画しておいたWOWOW「FUJIロックフェス2002」を見る。清志郎+矢野顕子1曲、陽水が2曲、エゴ・ラッピンも2曲、デターミネーション、この夏聴きまくったドライ&ヘビーも出演。動くリクル・マイを初めて見る。思ったよりも華奢なコ。 PM10、「北の国から」総集編を放送しているのを忘れていた。途中から見たが、やっぱり泣ける。雪の中で横山めぐみが手を振るシーン、あれは「いつの間にか少女は」だろう。「出発」か。30年前を思い出して胸がせつなくなる。6、7日でいよいよ放送終了か…。 8月22日(木)快晴 朝起きるのがつらい時期。眠りをむさぼっていたいものだが…。 PM3・30根津鍼灸院。PM5・45まで。 PM6・20、下北沢。久しぶりに賑わいのある町を歩く。ヴィレッジバンガードでダリの絵葉書と「ユリイカ」千と千尋の神隠し特集号を買う。 PM7。「劇」小劇場で三田村組「ペンギンの庭」。元燐光群の美香らが出るので期待したが、ウーム…。夏休み中の職員室を舞台に、ビデオ盗撮の疑いで学校を辞めることになった教師をめぐって、教頭やほかの教師の人間模様が描写される日常コメディー。人物の描き分けや役者の魅力によっては面白いものになる素材ではあるが、いかんせん脚本がスカ。クスリとも笑えなかった。ひたすら終演を待つ苦行の時間。9・45終演。PM10・10帰宅。 8月21日(水)快晴 午後から子供を連れて市営プールへ。平日だが夏休み中とあって子供連れや若いカップルがプールサイドを闊歩する。日差しは強いものの、風もあり、1時間も流れるプールで回遊していたらすっかり体が冷えてしまった。「もう帰ろう」と震えながら言う息子。バスで駅まで。少し前ならバスを待たずにタクシーを使うところだが、このご時世、そんなことはしてられない。 PM5帰宅。夏休みの日誌をアップ。高校受験のための情報収集とかで、娘にパソコンを占拠され、仕方なく10時就寝。 8月20日(火)快晴 PM3・20、K記念病院で鍼。ここ1週間、田舎にいてもやはり不調だった。睡眠時間もストレスもなかったはずなのに。調子のいい時期がなくて不調が長い。鍼治療は効果あったということか? PM6・30。新橋演舞場で劇団☆新感線「アテルイ」。当日券を求めて連日長蛇の列ができているという。まさに新感線の栄耀栄華、得意の絶頂。今回は旧知のSさんの好意で観劇できたが、関係者もすべて補助席とか。劇団☆新感線の新社長H氏の方針なのだろう。東京進出の頃から微力ながら支援してきた自分にとって、この大躍進は喜ばしいが、一方で複雑な気分。「水を飲むときに、井戸を掘った人の恩を忘れない」という中国のことわざもある…。 市川染五郎、堤真一、水野美紀のトライアングルを中心にした古代活劇。「いのうえ歌舞伎」にピタリとはまった染五郎の動きの流麗さ、ウェートを落として精悍な顔つきになった堤真一の立ち姿の美しさ、そして、アクション女優として絶賛される水野美紀のキレのいい動き。どれもが一級のエンターテインメント。特に水野美紀がこれほど華麗なアクションを見せるとは驚き。注目は西牟田恵。3人のスターに伍して堂々の演技。アクションシーンの体のキレもよく、なによりも役の比重が大きい。二幕ではほとんど主演扱い。演舞場で西牟田恵を見られるとは…。 30分の休憩を挟んで10時終演。3時間半。 終演後、Sさんと一緒に楽屋へ。演舞場の楽屋口は靴を脱いで上がるようになっている。楽屋前で待つとほどなくメイクを落とした西牟田恵登場。「アクションですか? そんなに殺陣のシーンは稽古しなかったですよ」。いつもながらクール&キュート。面会人がほかにもあるので青森みやげを渡して早々に退出。応援してきた女優が成長していくのを見るのはうれしい。 帰りの電車で分厚いパンフを開く。座付き作家中島かずきとガンダムの作者・富野由悠季の対談が面白い。富野氏は1941年生まれの61歳、中島氏は43歳。脚本を読んだ富野氏が「あなたの脚本は繰り返しが多い。長すぎる」とズケズケと切り込む。「アニメの編集をしていると1時間30分以上になるとどうしても最初の方のシーンが思い出せなくなる。何度繰り返しても同じ。人間の記憶の限界は1時間半が限度。昔の映画が1時間40分というのは人間の生理に合っているんです」「構成の配分があまりよくないので登場人物がボケて見える。途中で飽きてきちゃう」「その年齢(43歳)はタチの悪い年齢。舞台を3時間持たせられるという思ってしまう年齢なんです」 いやはや、これほど、新感線の急所をズバリ言い当てた人はいない。まさに富野氏が言う「長さ」と「飽き」こそが新感線の問題なのだ。若さにまかせて3時間超の舞台を平気で行うが、観客はその長さに耐えられるかといえば、そうでもない。確かに面白い。だけど、見終わった後は残るものはない。疲労感の方が強い。それが正直な感想だろう。富野氏の率直な意見がいのうえ・中島コンビに届くか、それはわからないが、さすがにガンダム・富野氏の目は鋭い。 11・30帰宅。 8月19日(月)雨時々晴れ AM4・45起床。こんな時間に毎日起きていたのか…。 AM6・45出社。午前中はなんとなく違和感。「元気ないね」と周りの同僚。元気がないのではなく、まだ場の空気に慣れないのだ。午後、徐々にカンを取り戻し、外線電話で旧知の人たちと話しているうちに活力が体から湧いてくる。ウーン、やっぱり人と話すのが一番か。劇団SのM氏から原稿依頼。 PM5帰宅。今日でHPのヒット数が5万に到達。さて、記念品は…。 8月18日(日)快晴 休みの間の日記を書いたり、録画しておいたNHK「少年たち3」を見たり、一日のんびりとした時間を過ごす。 午後、使い捨てカメラを現像に出し、引き取りに行った際、クジ引き。「アッ」と、店の人が驚いた声を出すので何だろうと思ったら、1等のキャラクター・トースターが当たったのだった。トットコハム太郎のキャラクターがパンの焦げ目につくというトースター。「おめでとうございます。これを目当てに何度もいらっしゃる人がいるんですよ」と店員。1回で当たるとはツイてる。ヘビの抜け殻のご利益? 近所の奥さんと立ち話中の家内に報告すると、その奥さん「それじゃ、娘さんの受験のときに抜け殻を首に巻いていけば?」とマジメな顔。 帰省前に、子供と虫取りをし、自転車の前カゴを虫カゴ代わりにして、カマキリとトノサマバッタを入れていたことをすっかり忘れていた。自転車に乗ろうとしてそのことに気づき、あわてて覆いを外すとカマキリは生存。元気に顔を向ける。かわいそうに思い、すぐに草むらに放してあげる。カマキリの生命力、たいしたものだ。 翌日から仕事だと思うと憂鬱に。この感覚には一生、慣れる事はないな。 PM10、就寝。 8月17日(土)青森・晴れ 午前9時、ドーンという花火を打ち上げる音がこだまする。雨模様が心配だったが、予定通り祭典が行われるのだ。帰京の時刻に間があるのでお墓参りをし、その足で神社の階段を駆け上がり、町を見渡す。 町の景色もずいぶん変わった。家々の屋根の間に工事中の橋が見え隠れする。完成するのは4年後という。町の中で一番大きな橋。隣町には小さな川しかないので、たぶん、この橋が北通り一帯では一番大きい橋かもしれない。子供の頃は木造だった。橋の所々に穴があき、そこから下を流れる川にパラパラと砂利が落ちていった。腹ばいになってその隙間から川をのぞきこんだものだ。橋げたを伝って河原に下りたこともある。橋の欄干から川を眺めていると、川の流れと逆方向に体が飛び退る。まだ見ぬ遠い町に連れ去られてしまいそうな不思議な感覚。まだクルマといえば、バスかダンプカーくらいなもの。冬にはその橋からソリや竹スキーで滑ったりした。のどかな時代。 その後、コースを変えて2度架け替えをしたから今回で4度目。交通量が増え、橋げたの痛みも激しいのだろうか。 10時、「それじゃ」と居間にいる父に声をかけ、クルマに乗り込む。父も涙もろい方だ。だから男同士はさりげない別れがいい。今まさに出発しようとする祭りの山車のそばをすり抜け、故郷の風景を後にする。はるか昔、隣町の悪ガキたちとの決戦場になった白砂海岸には工事の車両が行き交い、ガードマンが立哨している。来年、帰ってきた時、この道を再び通ることはできるのだろうか……。 PM11・30。M市到着。少し時間に余裕があるので、中学の恩師の家に寄り道しようと思い、クルマを走らせるが、先生の家はなかなか見つからず、そのうち時間がなくなり訪問を断念。PM1・40野辺地着。お祭りのため、迂回路となっていて、給油していたらあやうく列車に遅れるところだった。 在来線、新幹線と乗り継ぎ、PM7・30、上野着。思ったほど暑くない。涼しい風さえ吹いているようだ。1週間で気候に変化が。 帰宅して家族と再会。下の子は父親不在が長かったのか、はしゃぎ気味。久しぶりにパソコンを開く。留守の間もたくさんの方がアクセスしてくれ、掲示板も賑わっている。これほどうれしいことはない。心から感謝。 PM11就寝。 8月10日(土)快晴 サクサクと仕事を片付け、PM2、下落合TACCSで劇団ギルド「子午線の風」。いつも案内をいただきながら、不義理を重ねていたので、今回初見。主宰の高谷信之氏とは6、7年前、盛岡の劇作家大会で流山児、高取氏らと一緒に飲んだのが初めての出会い。流山児と同世代。舞台よりもラジオドラマが多い。 新撰組・土方歳三の生き方を軸に、同時期の世界の芸術家、探検家などの生涯を並列して描く。魅力ある俳優はいるが…。 PM7・30帰宅。ビールを飲みながら、NHKの懐かしのメロディー。つい見入ってしまう。ついでに唱和したりして…。懐メロは親の世代の専売特許と思っていたが、よくよく画面を見ると、歌っている歌手は自分たちと同世代かちょっと上。トワ・エ・モアの男の方なんてまるで当時の面影のないおじさんに変貌している。ヤング101の平均年齢が53歳! 自分も年齢を意識するはずだよなぁ。 すっかり酔ってしまったので、テレビに合わせて高歌放吟。しかし、一人だけ、耳をそばだてて聴き入ってしまったシンガーがいた。なんと、元ジャックスの早川義夫がピアノの弾き語りで「サルビアの花」を歌ったのだ。NHKも味なマネをする。このシーンを見ただけで、モトがとれた。全体の流れから見ると異質な空間がそこにあった。 あすから帰省。前夜は「あしたの朝の一番列車で〜カワイコちゃんの待ってる町へ♪」という高田渡の歌を聴くのが毎年の慣わし。 今夜は早寝だ。 8月9日(金)快晴 電車の中で「晴子情歌」下巻を読む。よくぞこれほど綿密に取材したものだ。高村薫は東北出身ではなかったと思うが、南部弁のニュアンスも正確に表現されている。中には忘れかけていた方言もあり、「そうそう、こんな言い方をした」と古い記憶を呼び覚ます。 午後1時、田中真紀子辞職願い提出の報。辞職によって真紀子逮捕は遠のいた。逮捕回避と辞職をバーターしたといえる。しかし、世論の風向き次第で真紀子逮捕=永久追放もありうる。それほど、政界中枢の真紀子への恐怖と憎悪は激しい。 しかし、真紀子が辞職するのなら今の国会議員はほとんどが「同罪」として辞職しなければならないだろう。親・親族を秘書にして国の税金を流用している連中が山ほどいる。秘書給与流用疑惑などというチンケな疑惑より、もっとほかに正さなければならない構造的な問題は山ほどあるだろうに。外務省という伏魔殿に斬り込んだことで報復・狙い撃ちされたとしか言いようがない。いわば見せしめ。「国家」に逆らう者は誰であっても容赦されない。”たかだか秘書給与問題”でこれほどまでに長期にわたって執拗に全マスコミがキャンペーンを繰り広げるという異常さ。その総力戦がほかの疑獄事件でもずっと続いていたら日本は今よりまともになっただろうに。真紀子をスケープゴートにして「政界浄化」の高札を掲げるなど、片腹痛い。山崎某の筆舌に尽くしがたいドロドロスキャンダルはいつの間にか雲散霧消、政治家として息を吹き返している。真紀子と同様のキャンペーンを1週間続けたら山崎某の政治家生命は完全にアウトだった。真紀子の場合は人格まで攻撃材料になるのに、ほかの政治家の場合はどんなに醜悪でも、「下半身人格」ということで攻撃対象にならない。不思議だ。 有事法案、住基ネット、スパイ防止法、個人情報保護法……いつも出し遅れの証文みたいに、大勢が決してからアリバイ的なキャンペーンをする大マスコミが真紀子問題だけは執拗に繰り返し報道した。これが何を意味するか。新聞、テレビは戦時中の大本営発表の垂れ流しから何も進歩していない。権力に追随するだけの報道など国民にとって百害あって一利なし。 PM5帰宅。借りてきた「天体観測」のビデオを見る。やっぱり今回も泣けた。 PM9〜10・30。映画「ひとりっ子」を見る。30年ぶりだが、おぼえているシーンやセリフがたくさんある。山本亘も藤田弓子も若い。記憶違いだったのは、主人公に父親がいたこと。てっきり母一人子一人だと思い込んでいた。しかも、山本亘の兄は赤ん坊のときに戦争で死んでいたのだ。亘が技術を学ぶという目的で深く考えもせず防衛大に進学することに危惧をおぼえたのはそのため。タイトルの意味を勘違いしていた。父親役は北村和夫。息子が学費のかからない防衛大にうかったことを単純に喜ぶ、家庭を顧みないサラリーマン。なぜ、この父親のことを記憶から抹消していたのだろう。父親とはかくも存在感のないものなのか。図式的な反戦映画ではなく、当時の高校生の生き生きした姿を活写した青春劇。今見てもまったく古びていない。時代状況は変わらないどころかますますひどくなっているからか。 さて、あと2日で帰省。準備しなくては。 8月8日(木)快晴 猛暑が続き、炎天下、外に出ると、まるでフライパンの上で煎られる豆になった気分。 午後、高校同窓会支部のSさんが訪問。今年の同窓会報のことなどを打ち合わせ。 PM7、天王洲アイル・アートスフィアで「ライアー・ガール」。小池栄子の初主演・初舞台。倒産寸前のゲーム会社の社長が不思議な老婆のくれたドリンク剤を飲み、若い女に変身する。その変身後が彼女。全編、オヤジ言葉と仕草で通さなければならない難役。しかし、舞台カンがいい。初舞台とは思えない軽妙な演技と存在感。下北沢生まれだけあって(?)、芝居に対する感性が抜群。途中で脱落したが、つかこうへい事務所の8期生だったとか。 ラサール石井の作・演出。会社乗っ取り騒動を軸に、家族の再生、失われつつある時代への郷愁などテーマもくっきり、まさに涙と笑いのエンターテインメントだ。タレント芝居のお手軽さに陥らず、細部にこだわり、出演者一人ひとりに当てて書いた脚本。うまい。 それにしても、小池栄子はまさにラサールのタイプだ。ダイナマイトボディーで目鼻立ちがはっきりしていて、竹を割ったような男性的な性格。好きな女性のタイプというのは、結局ずっと変わらないんだな。 PM11帰宅。 8月7日(水)快晴 PM1、お茶の水・K記念病院。休みの日なのに、予約が取れたのがこの日しかなく、鍼治療を。PM3まで。 帰宅して、息子と空き地で青大将探し。収穫はカマキリが1匹。あまりにも多すぎて、トノサマバッタは見向きもせず。 空き地の近くに道路ができるらしく、工事中の看板。バッタの天国である原っぱも近いうち消える運命。子供に残せるのは思い出だけ。空き地は消えても思い出は残るだろうか。 夕方、自宅近くの路上で母娘2人連れとすれ違う。その瞬間、スラリとした、いかにも今風の女の子の方が「こんにちは! お久しぶりです」と声を掛けてくるのでびっくり。「あれ? こんな若いコとどこで会ったっけ」。よく見ると、母親は娘の同級生Aちゃんのお母さん。女の子はAちゃんの姉のKちゃん。遠くに引っ越したので5、6年は会っていなかった。家族で1泊旅行をしたこともあった。Kちゃんが「○○クン、お姉さんとお風呂に入ったのをおぼえてる?」と息子に聞くが、彼は「???」。まだ3歳だった。おぼえているはずはない。 当時、Kちゃんは中学生。それが18歳に。見違えるとはこのこと。この時期の女の子の変化は劇的だ。羽化した蝶のよう。うちのサナギもいつか羽化するのか…。 晩酌でビールを1本飲んだだけで、もう眠気が。疲れているのか。 毎週のお楽しみ、「天体観測」は家人に録画を頼んだものの、野球中継の延長で後半が入っていないことが判明。朝からショック。明日、会社の人で録画してる人がいたら借りよう。「濱マイク」も見る気力が湧かず。 8月6日(火)快晴。36℃ 午後、睡魔に襲われ仮眠室で横になったらそのまま吸い込まれるように眠りの中。2時間近くも眠ってしまう。疲れてるのか。 PM6、阿佐ヶ谷。「江戸竹」でくじら刺身定食900円。その後、七夕で賑わう商店街をぶらり。電気屋さんの店先にあった安売りビデオの中に家城巳代治監督の「ひとりっ子」を見つける。70年安保を前に防衛大への進学をめぐり、葛藤する母子と当時の時代状況を描いた秀作。テレビ放映が政府の圧力で中止され、劇場版として全国で公開運動が起こった。高校生のときに、体育館で上映されたのを見ている。30年ぶりの邂逅。2500円の掘り出し物だ。 PM7、ザムザ阿佐ヶ谷で月蝕歌劇団「時代はサーカスの象にのって2002」。天井桟敷が上演した1969年の同名ミュージカルだが、脚本・演出の高取英は映画「田園に死す」と、没になった寺山版「ヘアー」をコラージュし、9・11以降のアメリカと世界を視野に入れた舞台に仕上げている。制服向上委員会のアイドルたちと月蝕の合同公演。PANTAとシーザーの音楽という豪華版。中盤はキッドブラザースふう音楽で、いつもの月蝕とは別の新鮮な印象。 終演後、高取、保鳴美凛の三人で飲み会。PM11・45。途中で終電がなくなり、上野からタクシー帰宅。 8月5日(月)快晴 空から目に見えない檻がスルスルと下りてきて国民の上をすっぽりと覆うーー今日から住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)がスタートした。個人情報を保護する法律もないまま、個人の情報が行政ネットをかけめぐる。実質的な国民総背番号制の始まり。オーウェルの「1984」が予言した超管理社会が18年遅れで日本社会を覆った日として記憶されることだろう。 住基ネットが目的とするところは国民の管理・監視を円滑にすること。今は住所や名前、生年月日など少ない項目だが、「税金や金融の決済」にまで大臣が言及するということは、国民の個人情報が国家によって一元管理されるということ。将来的には徴兵、徴用のためのリスト作成が射程に入っている。むしろそっちが主目的だろう。生まれた瞬間から11ケタの番号を割り振られては、徴兵を逃れようにも手段がない。一昔前なら、こんな法律、施行されるはずもないのに……。 一方、周囲を敵に取り囲まれた状態で指導力を発揮しようとすると、独裁の汚名を着せられる。田中康夫を緑のファシズムと呼ぶ連中って何だ? 長野に吹き始めた反田中の逆風は脱ダム宣言を抜きにしてはその正体が見えなくなる。市民派を装う女性弁護士の裏に見え隠れする県議団。 力のベクトルが上から下に向うとき、それは権力と呼ばれ、下から上に向うならそれは暴力と呼ばれると言ったのは寺山修司だった。ジョン・レノンの「POWER TO THE PEOPLE」のPOWERは暴力のことだ。その伝でいえば、脱ダム宣言を”緑のファシズム”と呼ぶなら呼べばいい。それこそ下から上への暴力と同義なのだから。一見、田中康夫と同じように”抵抗勢力”に取り囲まれてなすすべもない構図の小泉、これはベクトルが上から下。しかも迷走。論外だ。 テレビドラマに映画リバイバル…慎太郎ブームを演出するマスコミ。権力の頂点に立ちたくてうずうずしている石原慎太郎の露払い役を嬉々としてつとめるそれら一部のマスコミはやがて権力によって裏切られるだろう。 それにしても、狡猾なのはこれほど疑問の声があがっているのに住基ネットを強行した政府。マスコミ規制法である「個人情報保護法」の成立を見据えているのだろう。住基ネットの問題点を改善するために個人情報保護法を早急に制定しなければ、という国民の意識をミスリードするのが狙い。一石二鳥というわけだ。真の「個人情報保護法」は必要だが、審議継続になった政府の個人情報保護法案がこれで息を吹き返しそうな雲行き。客の目が甘いと演出家はラクだ。 PM4、小川町のオリンパス顧客センターへ。デジカメがまたしても調子よくない。メディアを認識しないのだ。担当の人に「パソコンで画像を消去しませんでした?」と聞かれる。アダプター経由でパソコンに画像を取り込んでいるので当然それはやっている。「今度から消去はカメラ側でやってください。たまにあるんです、誤作動が」。メディアをフォーマットしたら異常は直った。フーム、デジタル機器の取り扱いは難しい。 PM6帰宅。食後、ピアノ教室の迎えに行きPM9再帰宅。 8月4日(日)快晴 昼から息子と2人でボウリングへ。「ボウリング、ボウリング」と騒いでいた息子も5ゲームやったらさすがに疲れたのか、「もう帰ろう」。バスで最寄駅に戻り、それからいつもの空き地へ。「この前の青大将捕まえよう」。トカゲは何匹か見つけたが、そうそううまくヘビが出てくるわけはない。湿地でザリガニ、カエルになり始めのおたまじゃくしなどを観察。2時間以上も歩き回って夕方帰宅。 帰省の準備。 8月3日(土)快晴 仕事を中断、午後、原宿まで足をのばす。東京の企業セミナーに来ているK君が買い物中。彼とお茶を飲み、その後、東中野でH君と会う。2人とも従姉の息子。兄弟のいない私にとって従姉は姉妹と同じ。その子供たちも成長し、今青春の真っ只中。はるか遠くにきてしまった自分にとって、2人の姿はまばゆいばかりに映る。 PM4・30。会社に戻り、仕事を続行。 PM7、恵比寿エコー劇場で「青年がみな死ぬ時」。「ゲバゲバ90分」「11PM」のテレビ作家でもあった座付き作家&演出家、キノトール氏の2年遅れの追悼公演。特攻隊の出撃基地の旅館を舞台に1965年と1945年、二つの時間が交錯する。特攻前夜の隊員たちの人間模様、ベトナム戦争に義勇兵として参加しようとする現代の若者、スパイ、脱走、刹那の恋愛…さまざまな要素が絡み合って、「時代が終わるとき青年はみな死ぬ。そして新しい時代がきてまた青年はみな死ぬ」という狂女の詠嘆で幕は下りる。 寓意を含んだキノトールの脚本。これをストレートな新劇調の演出で通されると、キノトールの意図した寓意が伝わってこない。ただの荒唐無稽なポンチ絵になってしまう。今回の追悼公演は完全に演出の仕方を間違えている。この脚本こそケラあたりに演出させたい。 開演前、演劇評論家の七字英輔氏と会う。8月末にルーマニアの劇団を招聘して公演するという。「どこに行ってもちらしを全然見ないんです。大丈夫かな」とバッグからちらしを取り出して渡してくれる。 8・50終演。制作のA氏に挨拶して駅にダッシュ。R氏に電話すると「盛り上がってますよ。これから二軒目行くみたい」というので、新宿に直行。この前の同年代オフ会の反省会を5時から開いているのだ。9・10、紀伊國屋前でR、F、O、Yの各氏と合流。二次会のカラオケ屋さんへ。すっかり出来上がっている4人の中にシラフ1人が闖入。しかし、話が盛り上がること。歌ったのはわずか数曲。気がつくと11時半。駅で4人と別れ、家路に。最終電車に間に合い、0・50帰宅。この前のボウリングのときに部屋のカギを落としたので、寝ている家人を起こすことに。しまった…。 8月2日(金)晴れのち雨 PM4、突然の雷雨。昨日ほどひどくはないが、雷の音が鳴り響く。帰宅を見合わせている間に、ビシッという音がフロアに響く。そばにいた同僚が一斉に音のした方を振り向く。目撃した人によれば窓際の空間に鋭い光が真一文字に走ったという。放電現象? おそろしや…。 PM5・30帰宅。家のほうはうってかわってカラリと晴れている。関東でも地域によって気象がだいぶ違う。帰宅すると義母が来ている。きょうからしばらく滞在する。 早い夕食を取り、あとはのんびりと。たまにはこんな日があってもいい。 8月1日(木)晴れのち雷雨 PM7、下北沢ザ・スズナリで燐光群「CVR」を見る。CVRはコックピット・ボイス・レコーダーのこと。アルファベットの音で説明するときに、チャーリーのC、ビクターのV、ロミオのRと表現する。実際に起きた世界の6件の飛行機事故のCVRに残された記録を再現し、極限状態における人間の心理をリアルに描き出す。1999年のニューヨーク初演以来、航空関係者、医療関係者などの注目を集め、8カ月のロングランを続けたという。 舞台のコックピットで展開する機長と副操縦士らの息詰まる会話。1時間20分という比較的短い上演時間にもかかわらず、見終わった時には、ぐったりと重い疲労感に包まれる。6例の中で客席がもっとも緊張したのは85年のJAL123便のCVRだ。しわぶき一つない客席。 その客席にはいつもの燐光群の客層とは異質の、高齢の観客が目立つ。航空関係者だろうか。終演後、演出の坂手洋二氏に聞いてみたいことが山ほどあったが、気分が乗らず、そのまま引き上げる。 PM10、途中の急行停車駅に降りたとたん、ものすごい風雨。ホームの真ん中に避難しても雨が吹き込んで濡れてしまうほど。 下車駅でしばらく様子を見るが、使い捨て傘を買い、家に向かう。絶間なく鳴り響く雷の音。暗い闇を真昼のように照らし出す稲妻。まるでテレビで見た湾岸戦争の空爆のようだ。恐怖感が体を包む。家に向かうたった数分が異常に長く感じられる。雷雨は1時間以上も連続する。ベランダから暗い空を見ていると、ほとんど間をおかず、闇を切り裂くように地上に向かって稲妻が走る。テレビの科学番組を見ているような不思議な感覚。こんなにひどい雷雨は生まれて初めてだ。 湾岸戦争のようと言ったが、雷雨でさえこの恐怖。いつ着弾するやもしれぬ空爆の恐怖はいかばかりか。想像もつかない。 一時停電。落雷に注意し、パソコンを起動せず、就寝。 |