9月30日(月)雨

 PM1・30、仕事を抜けて御茶ノ水・K記念病院で鍼治療。帰る途中、秋葉原のホームにある書店でメアリ・H・クラークの新刊「殺したのは私」を買う。クラークの新刊が出ると、なんとなく予感がするものだ。これで、少しの間楽しめる。
PM4。会社に戻り、PM5から定年退社の先輩の送別会。

 元F社の編集者として鳴らしたSさんは、全盛期の週刊漫画アクションで、モンキー・パンチの担当をしていた。創刊10万部がその年のうちに部数急増、1年で50万部まで伸びたという。バロン吉元、上村一夫、黒鉄ひろし、小池一夫…。キラ星のごとき漫画家たちが活躍していた。その頃、読者コーナーに投稿して記念品をもらっていたっけ…。
 PM7、途中で退席し、家路に。

 帰宅したらテレビ東京でナツメロ番組をやっていたので、途中から見る。以前なら決して見なかったのに、トシか? ちょうど小中学生だった時代のナツメロ。当時の歌手たちはみんなはるか年上。別世界のオトナに見えたが、今見ると、みんな若いこと。しかし、子供の頃は、歌詞の中身もよく知らずに歌っていたんだなぁ。オトナの男女の恋の機微なんて、遠い世界の話なのに。「熱海の夜〜♪」「町の灯りに潮風吹けば♪」
 背伸びして歌っていたナツメロの世界さえもとっくに過ぎてしまった。とうに人生の夜半は過ぎて…。

  同世代向けの音楽ばかりで育った今の子供たちって40年後に何をナツメロとして歌ってるんだろう?

9月29日(日)晴れ

 目が覚めたら正午。朝食兼昼食。ネットで注文してあった倉本聰の「愚者の旅」が届いたので読み始めたら、くいくい引き込まれ、夕方まで。以前、森崎偏陸氏から聞いた寺山修司と九條映子(当時)のカップルを追ったドキュメント・ラジオドラマ「いつも裏口で歌った」の話が詳しく述べられている。ドキュメントとドラマを融合させたこの新しいドラマを初めて作ったのは倉本聰なのか? 寺山が佐々木昭一郎と組んで作った「おはよう、インディア」はその後か?

 いずれにせよ、寺山修司との出会いは倉本聰にとっても、いい刺激になったにちがいない。
 ところで、なぜ、倉本聰の「北の国から」にあまり思い入れがないのか、考えてみたら、ちょうど倉本聰が畏友と呼ぶ山田太一の「想い出作り」を見ていて、少し遅れて始まった裏番組「北の国から」は見ていなかったのだった。
 今に続くNHKとの確執、変名で書いた「6羽のかもめ」での加東大介の死、「前略おふくろ様」での田中絹代の死、そして自身の母親の死など、倉本聰のもう一つのベースになっている「死」の記憶が胸にしみる。
 「6羽のかもめ」のテーマである「テレビ批判」がどこに起因するのか、なるほど得心。実家に保存はしてあるが見られないベータ版。DVDで「6羽のかもめ」を買おうか。
 PM3、読書を一時中断して、子供とバッタ捕りに。カマキリのエサ用。残酷というかもしれないが、子供はバッタを食べるカマキリにも、また食べられるバッタにも避けられない「生と死」があるということを知っていく。

9月28日(土)雨

 午後、松尾貴史の主演するG2プロデュース公演をキャンセル。土曜の午後を会報編集にあてないと総会までに仕上がらない。すべて一人で編集・制作しなければならないのでちょっとしんどい。この時期、土曜のマチネが見られなくなるのも損失。

 PM5・30、小川町のオリンパスギャラリーに行き、デジカメの修理。メディアを認識しなくなったのだ。この前と同じ。たぶん、パソコンに画像を取り込むときに使うケーブルの抜き差し時に障害が発生したのではと思う。デジカメ側ではフォーマットもできないので、担当者が別のカメラでフォーマット。なんとか、認識する。「メディアとカメラの相性云々」といわれたが、さて…。 

 PM7。市ヶ谷の法政大学生会館大ホールで万有引力「盲人書簡◎上海篇」。学館のロビー、通路で学生たちが楽器を練習したり、だべっていたり、忙しく動き回っている。熱気のある学生たちの姿を見てると刺激される。

盲人書簡
 「黒いスポットライト」の学生たちが開演前の整理にあたっている。ホール前から門の方まで行列が延びる。やはり学生が多いのか。普段の万有引力の客層と少し違うような気がしたが…。昔、天井桟敷の芝居を見に来る女のコたちがオシャレ系、美術系…とまぶしいくらいの最先端学生たちが多かったように、客席は華やいだ雰囲気。

 根本豊夫人の昌代ちゃんと開演前におしゃべり。父方の祖母が亡くなったので、青森の実家に帰ってきたという。「うちの町は過剰な冠婚葬祭を自粛する宣言を出したばかりなんです。それでちょっと…」

 このHPもよく見てくれてるそうで、「”今日はこんな日”って、どこかのサービスを使っているんですか?」と聞かれる。「違うよ」と答えると、「毎日、調べるのが大変じゃないですか」
 そういう細かいところまで見ていてくれる”読者”の存在はとてもうれしい。

 法政大の大ホールを存分に使った「見えない演劇」。思ったよりも暗転は少ない。シーザーに聞くと「オリジナルよりも暗転は少なくしてある」ということ。明滅するろうそくの灯りの中で、少年探偵団の小林少年と明智小五郎、黒蜥蜴ら異形の人物が展開する、書き換えられたもう一つの歴史劇。闇を切り裂く、裂ぱくの気合に天井桟敷の名残を見る。

 8・35終演。楽屋に行ってシーザー、根本ちゃんに挨拶。ダメ出しをしているところを撮影したが、スモークで焦点が合わず、ピンボケ。デジカメの弱点だ。

 ダメ出しが終わり、高田恵篤、井内俊一と飯田橋の居酒屋まで話ながら歩く。
 PM11・45まで飲み会。シーザーから宝さがしの話を聞く。何かの企画でシーザー指揮でやった宝さがし。大宮かどこかに400人ほど参加者が集まって、電車で移動。途中、道が分かれるたびに脱落者続出。最後は、「ドレミファ橋」で「ファ」の音が出る位置から眺めた方向に見える何かがその宝さがしの目的物…という、大掛かりなイベントだったとか。

 天井桟敷の新聞内新聞「人生万才!」で企画した百円キスの話。百円払えばだれでも、その女の子とキスできるという募集をした。三田の人力飛行機舎の事務所で待ってると、男たちがやってくる。しかし、10分間、話ができるというのにもかかわらず、彼らはモジモジしながら、すぐに帰って行った。キスといっても、軽ーくチュッってなもの。女の子に何かあるといけないので、劇団員は押入れの中に陣取って、様子をうかがっていたとか。
 そういえば、ロンドンブーツの番組で同じような企画がなかったか? 「どっきりカメラもそうだけど、元天井桟敷のスタッフがテレビ局に流れていって、寺山さんが舞台や新聞紙上でやった企画を使ったことが多いみたい」とNさん。
 今日の撮影を担当した映画助監督のU家さんという若い女のコと話したり、元天井桟敷の市川さん、小林拓のペット(うさぎ)の話に笑っているうちに終電を逃がしてしまう。シーザーたちと話していると時間を忘れる。
 なんとか、途中駅までの電車に間に合うように、後ろ髪引かれる思いで、宴席を後にする。シーザーは今日もタクシー帰りか。
 午前1・15、帰宅。

9月27日(金)雨

 PM2・30、K氏と喫茶店。同行した小牧游さんは民芸の女優さん。今度、目白アイピットで一人芝居をやるのだ。しばし歓談。身振り手振り、いかにも才気煥発な「新劇女優」といった感じの小牧さん。民芸にいた友人Oさんのことなど話す。「彼女が、このホンどうですか?って持ってきた作品が、滝沢先生のレパートリーの一つになったんです」
 知らなかった。

 PM6、三軒茶屋。ネットカフェから掲示板にレス。

 PM7、世田谷パブリックシアターで「ミレナ」。斎藤憐作、佐藤信演出。カフカとの恋、共産党入党、脱退、ジャーナリストとして反ナチス運動…と波乱の人生を送ったミレナ(南果歩)、ナチ強制収容所で出会ったコミュニスト・マルガレーテ(渡辺えり子)、収容所の臨時雇い・ゲルダーー3人の女の生き方を軸に、スターリニズムとファシズム、左右の二つの全体主義に翻弄された20世紀の意味を敷衍する。

 ナチズムによって迫害されたユダヤ人たちが、次はパレスチナ人を迫害する。日本に植民地にされ、強制連行された朝鮮人民がこんどは日本の無辜の民を拉致する。破壊と恐怖の連鎖。21世紀もまたその連鎖は続いていく。そこに希望はあるのか。
 舞台は悪夢のようなカフカの作品を劇中に引用しながら、最後にこの言葉で締めくくる。
「おまえが階段を昇ることをやめないかぎり、階段も終わらない。おまえが昇る足もとから、階段は上の方へと伸びていく」
 それでも人間は希望をもち続けなければならない…。まるで外国の翻訳劇を見ているような簡潔なセリフの応酬と演出。スリップ一枚で踊る女優たちの幽玄な美しさ。これは斎藤憐・佐藤信コンビの代表作となるだろう。
 PM9・55終演。
 11・30、帰宅。さすがに疲れた。昨日の「宝さがし」の展開を見る余裕もなし。

9月26日(木)晴れ

 仕事順調。PM3・30、根津の鍼灸院。

PM6帰宅。HPのカウンターが「55555」を超えた時のために考えた「宝さがし」の最終チェック。意外に面倒。あれこれいじっているうちに9時になってしまう。同窓会報のテキスト打ちもしなければならないのに、何をやってるんだか。暇…じゃないのに。
 作った自分としては割と簡単だと思うが、見る人によっては「ナニこれ? やーめた」となるかもしれない。でも、お遊びだから。少しでも楽しんでくれればうれしい。一番、楽しんでいるのは自分だったりして…。

9月25日(水)晴れ

 柳美里の「石に泳ぐ魚」、出版問題で最高裁が差し止め判決。これで出版差し止めが確定した。雑誌小説のモデルにされた柳美里の友人がプライバシーを侵害されたとして、単行本化の差し止めと損害賠償を求めていた。
 小説とはいえ、個人が特定できるような表現で顔の腫瘍などのプライバシー・個人の尊厳を侵害されたという原告女性の訴えが認められたというわけだ。

 表現の自由と個人のプライバシー・人権の衝突は面倒な問題を抱える。「表現の自由」はむろん、保障されなければならないが、それによって侵害された人権はどうなるのか。表現の自由の問題というより、今回のケースは文学の優位性を問うた事件のように思える。何を書いてもそれを文学と呼ぶならば作家は免罪されるのか。他人の容貌、プライバシーを作品にしてよしとする文学とはなにか。

 一番の問題はこの判決によって、政治家、権力者にプライバシー問題で斬り込むことがタブー、足かせになる可能性が出てくること。表現の自由、人権どちらが優位に立つという問題ではない。個別的な事件の判決として受け止めなければ。
 作家の「傲慢」が権力の介入を招くことになれば最悪だ。
 個人を特定できるような表現で他者のプライバシー、名誉感情を傷つけられたくないのは誰しも同じこと。それは、当人が一番良く知っていることだと思うのだが。

 午後、各種支払いで銀行回り。夕方、子供と虫捕りに。6時ともなればもう真っ暗。トンボなどいるはずもないが、帰り道に偶然、木々の間に大カマキリを発見する。自転車を降りて車道に逃げ込んだカマキリをゲット。「パパってすごいだろう」と言うと、子供が珍しく「すごいね!」と素直な感想。夜目でも昆虫を発見できる父を素直に讃えている?


 PM7、カウント55555記念の「宝探し」の構成を考える。昔、寺山修司が「都内某所に宝を埋めました」という新聞紙上宝探しをやっていた。読者はヒントに従って、実際に都内各地の隠し場所を探し回った。そのweb版というわけだ。さて、楽しんでもらえるかどうか…。


9月24日(火)晴れ Tシャツ

 昨日あたりから耳鳴りの調子がいい。しばらくやめていた漢方薬を再開したためか? 鍼灸の効果より漢方に効果があるのか。しばらく様子を見よう。

 仕事を終えた後、会社に残り、同窓会報の原稿チェック。まだ原稿は集まらない。追い込みがきつくなるから早目にほしいのだが。

 PM7・30。新宿シアタートップスでウォーキングスタッフ「サイレン」。娘の不審死を追う元警官の父、家庭内暴力の疑いのある夫、前の男とその恋人、ひそかに逢い引きしていたらしい男ーーさまざまな人間関係が交差するハードタッチの物語。最初はミステリー仕立てにしようとしたらしいが、ミステリーとしては穴だらけだし、人物描写も杜撰。
 作・演出の和田憲明が描きたいのは、つまるところ極限下の人間の心理だけなのだろう。暴力的心理描写のリアルなこと。たとえば、ひところの「静かな演劇」で活写されたリアルな会話をそのまま、渋谷あたりに生息する今時の若者の会話にスライドさせたような、生々しさ。見ていて鳥肌が立つような皮膚感覚の暴力性。カーテンコールでは「被害者」役の河合美智子が涙と鼻水でボロボロになっていたが、そこまで役者を追い詰める演出家・和田憲明の真骨頂か。

 前の席の江森さんと「晴子情歌」の話。受付で石井久美子さんに挨拶。「昨日来てたんですよ、父は。大声だからうるさくて」。温泉主義の例会がないので石井社長ともしばらく会ってない。

 駅に向かう途中、ギター1本の女性ストリートシンガーがワシントン靴店のシャッターの前に。その歌声が妙に心に響くので、しばらく耳を傾ける。なかなかいい感じ。ポップ&キュート。好みの声。
 しかし、立ち止まって聴く人はほんの2、3人。ずっと聴いていたかったが、家に帰らなくては。
 PM11・30。帰宅。
掲示板復旧。サーバーのトラブルだったという管理社からのメール。

9月23日(月)快晴

 11・00起床。昨日の写真を整理。

「昆虫採集に行こうよ」とせがむ子供を自転車の後ろに乗せて原っぱまでサイクリング。すっかり秋の気配。「カマキリ見つけようよ」というので、いそうな場所を丹念に見て回るが、トノサマバッタと赤トンボ、モンシロチョウに、アカタテハくらいしかいない。それでも、秘密の場所など1時間以上も探してようやく小さなカマキリを1匹発見。天は我を見放さず? やぶ蚊に刺されながらのカマキリ捕獲作戦終了。

 夕方、塾に行ってる上のコを待ちながら、家族3人でマンションの周りをジョギング。わずか数百bでも息が上がる。体力は加速度的に落ちているようだ。夕暮れの街を、親子仲良く走っている姿は傍から見たら、絵に描いたような幸せな家族なんだろうな。でも、どんな家族でも板子一枚下はその家族が抱える地獄が渦巻いているもの…。

 横浜で観光オフ会中のAさん、Rさんたちに電話。今日も盛り上がっているようだ。さすがに2日続けての外出はできないので、涙を飲んだが、お祭B型としては、祭に参加できないのが一番つらい。うらましか…。

 PM9・30。野球中継延長で30分遅れで日本テレビ「スーパーテレビ 実録スペシャル よど号ハイジャック 史上最悪の122時間」。当初予定のタイトルは「よど号ハイジャック 122時間の真実」となっていたが、拉致事件の急展開を考慮して、よりセンセーショナルかつ国民感情に配慮した”悪印象”のタイトルに変更した模様。

 1970年3月31日、午前7時30分。羽田発福岡行きボーイング727、通称「よど号」をハイジャックした赤軍派学生9人。番組は当事者の証言を織り交ぜながら、このよど号の北朝鮮までの迷走をドキュメントドラマとして再現したもの。

 国内赤軍派の壊滅と学生運動の閉塞状況を打破しようと、国際根拠地論を呼号し、北から日本に再上陸しようとした赤軍派。「…最後に確認しよう。われわれは”明日のジョー”である」ーー田宮高麿の決行声明は真っ白になって燃え尽きるまで闘った「あしたのジョー」の生きざまを模していた。しかし、田宮に扮した仲村トオルがいかにストイックな革命家を演じようとも、私たちはこのドラマの悲喜劇的な結末を知ってしまっている。

「生きるも死ぬもともに」と誓ったはずの9人は異郷の地で自らの思想と生の葛藤の果てに行く道を違え、生と死の迷走を続けた。変質と転落。メンバーの相次ぐ不審死。そして田宮の不審死。革命を夢見た男たちの32年後の「あした」ーー”かなしく色あせていく青春たち”と口をついて出る歌は単なる感傷にすぎないとしても…。
 
 石田機長は一躍時の人となったため、愛人スキャンダルに巻き込まれ、家族離散、そして再会という流転のの人生を送ることになる。身代わりになった運輸政務次官男・山村新治郎は22年後に娘によって刺殺される。それぞれのよど号事件…。



9月22日(日)曇りのち雨

 9・30に家を出るも、羽田に着いたのが10・55。ぎりぎりセーフ。福岡発のJAS便はやや遅れて到着。ロビーにはすでにRさんの姿。やや遅れてE子さん登場。3人で待っているとほどなくAさん、Tさんの2人がロビーに現れる。6月オフ以来のご対面。旧友に会うような懐かしさ。そのまま京浜急行リムジンバスで横浜駅まで。約30分。

 関内駅に移動して、Aさんたちが泊まるWホテルに直行。チェックインを済ませて1階のレストランで軽い食事。長丁場だからペース配分を考えて…なんて思いつつも、生ビールをクイクイ。かっちゃん組の到着を待つ間にRさんとともにジョッキ4杯。

 埼玉・東京組が到着したのでPM3、ライブハウス「風鈴」へ。E子さんはお台場ライブに行く予定があるので、友人との待ち合わせ場所へ。

 店に着くとすでに満席状態。真ん中にネットグループの席が用意してあり、先乗り組が陣取っている。オフ会グループだけで、総勢19人。かっちゃんが出迎えてくれて、5分押しでスタート。生演奏の迫力と心地よさ、ノリノリのダンスと、4時間はあっという間に過ぎる。それにしてもみんな元気。もしかしたら、この世代が一番元気なのかも。

 ライブが延長したので7時半からオフ会。一人ずつ自己紹介をしていたらアッという間に時は流れ、9時半解散。近くのファミレスに移動してコーヒー。10・35、6人でタクシーに分乗、桜木町駅へ。mさんと秋葉原までご一緒する。Fさんから調べてもらったので終電時間になんとか間に合い、1・00帰宅。楽しい一日。でも、終わるといつも感じるのは、もう少しみんなと話がしたかったな、ということ。めったに会えない福岡組ともあまり話ができず、なんとなく後ろ髪引かれる思い。2時半就寝。

9月21日(土)快晴

 昨夜からHPの掲示板に接続できなくなる。サーバーの障害なのか。朝になっても復旧しないので、大急ぎで臨時の掲示板を作る。有料で契約している掲示板なのに、こんなこと初めて。

 午前中の猛スパートでお昼に仕事終了。ケイタイにMDデッキ修理見積りの連絡。4500円くらいかかるという。保証書が見つからないので有償に。仕方ない。
 同窓会報の出稿予定表を印刷社に頼む。

 PM3、下北沢、ザ・スズナリでシャンプーハット「雨が来る」。初めて見る劇団。温水洋一、みのすけがゲストで出ているので、気になっていたのだが。”何も起こらない”日常演劇の系譜。次回を見ないとわからない…。1時間5分と適度な上演時間。加藤健一事務所のAさんと帰りの電車が一緒になり新宿まで。10月公演の稽古は順調に進んでいるという。

 Aさんと別れて南口で食事。その後、タワーレコードへ。Neoがキャロル・キングの「君の友だち」をハウスふうにカバーしているシングルを視聴。ウーン、買うまでもない。

 PM6、大塚・スタジオVARIOでオフィス・サエ「キル」。山本真理子の戦争民話「広島」シリーズの第4作。被爆した主人公の命の恩人である友人・吉村尚子に焦点を当てた一編。吉村尚子は在日朝鮮人であり、タイトルは、本名「吉」を朝鮮語で「キル」と発音することからきている。朝鮮人だからという理由で防空壕から締め出される尚子。日本軍による朝鮮最後の王妃・閔妃暗殺、強制連行と朝鮮人被爆者など、日本と朝鮮半島の間に横たわる暗い歴史を絡めて、物語は進行する。ただ、拉致事件の直後だけに、微妙な空気が流れるのも事実。約1時間10分。

 PM9、帰宅。しかし、「虫捕りに行こう」と子供に言われ、網を持って自転車に乗り、夜の原っぱへ。収穫ゼロ。PM10帰宅。さて、あすはオフ会。早目に寝よう。

9月20日(金)晴れ

 中部電力・浜岡原発でもトラブル隠しで運転停止。東電、定期検査でもひび割れを隠蔽。原子炉に直結する再循環系配管のひび割れは炉心溶融につながりかねない重大な問題。こんな杜撰な原子力行政・企業倫理のままでは日本人は天寿を全うする前に放射線被爆で死ぬ確率が高いな。

 PM7、池袋・東京芸術劇場小ホール1で結城座「傾城恋飛脚」。3歳から女義太夫を習い始め、今年で88歳を迎えた”肝っ玉母さん”竹本素京の米寿記念公演。高齢とは思えない声の張りと艶。三味線の音色。367年の歴史を持つ、糸あやつり人形芝居の結城座は70年代から、黒テントの佐藤信、第三エロチカの川村毅ら演劇界の前衛と組んで、古典と同時に新作に意欲を燃やしてきた。伝統にあぐらをかくことなく精進してきた結城座。1時間半、出ずっぱりの竹本素京に感服。88歳にしてこのエネルギー。幼いころから芸事を叩き込まれてきた古典芸能の演者というのはすごい。PM8・30終演。川村毅夫妻がいたので奥さんの平井さんに挨拶。出口で制作の結城育子氏に挨拶して引き上げる。PM9・30帰宅。


9月19日(木)晴れ

 涼しくはなったが、まだTシャツ1枚でOK。午後、T氏から訪問の電話。通院時間と重なるので断る。
PM3・30、根津の鍼灸院。「高音の耳鳴りで安定してしまうと治癒は難しいかもしれませんね」と院長。
PM6、帰宅。娘のピアノ教室に同行し、PM9帰宅。レッスンの間、同窓会報の面割を考えていた。そろそろ始動しなくては。

9月18日(水)晴れ

 暑さがぶり返す。午後から外を散歩。新しいコンテンツのために、78年の「走れ歌謡曲」最終回を聴く。懐かしい声。

 浅田次郎の「壬生義士伝」読了。週刊誌連載時にたまたま目を通したことがあって、斗南(となみ)に斗南(となん)とルビをふっていたので、「なんだこりゃ」と思っていた。関わりのある地名を間違えられるほど不愉快なことはない。文庫になったら直っていた。

 浅田次郎の小説は確かに巧い。しかし、巧すぎるのも良し悪しだ。俳優教室の優等生のような”うまい役者”に興味が持てないのと同様、”巧い”浅田次郎の小説にはまったく感興が湧かない。

「鉄道員」もそうだが、はなから「泣かせよう、泣かせよう」という作者の底意が見えすぎて、鼻白んでしまうのだ。浅田ファンには申し訳ないが、「泣け」とせっつかれて泣けるものでない。作者の影がちらつきすぎる小説は好きになれない。上下二巻一気に読ませる手腕はさすがだが、それだけ。昔の日活アクションの予定調和な安直さとどこか通じるように思うといえば言い過ぎか。すいません、浅田ファンの方々。

 「天体観測」最終回をビデオで見る。こっちは泣ける。フィクションの中の青春の別れと旅立ちに”ドラマ的リアリティー”を感じるから。同じウソでも、ウソのつきかたが好き。

 金正日「拉致」認知発言以降、各地で在日に対するイヤガラセ、脅迫事件が頻発しているという。37年間の植民地支配が生んだ憎悪は57年間の政治的空白でそのまま放置された。そして、拉致事件で再燃。ここにも憎悪の連鎖がある。マスコミはいたずらに反「北」感情を煽るよりも、国家が自らの「非」を認めたということを評価しなくては。「私が悪いんじゃない、部下が勝手にしたこと」という「社長」の言い草は気に入らないが、「両国の間には不幸な歴史があった」などとわけのわからない謝罪をするよりナンボかましだと思うのだが…。
 もちろん、「自分が横田めぐみさんら拉致された人の肉親だとしたら、そんな冷静なこと言えるか!」という非難の声は胸に渦巻くが、憎悪は憎悪しか生み出さないというのもまた事実だと思うのだ。

 東電が社内調査結果を小泉訪朝に合わせて発表。ドサクサにまぎれて、国民の注意をそらすのが狙い。企業が記者発表するときは入念にタイミングをはかって最大限の効果のある日を設定するのが常識。一番、国民の耳目に届きにくい日を選んだというのは、意図するところがミエミエ。原発計画をかかえる各市町村の首長は一応「原子力に対する不満・不安」を言明するが、その実、「ヘタをうちやがって。早く終息させて推進の軌道に戻してくれ」というのが本音だろう。なんといっても原発はカネになる。財政破綻でアップアップの市町村にとっては一発で元気になる覚醒剤だもの。 

MDコンポのカセットが突然、故障。修理に出すが、買ったときの保証書が見つからない。多大な出費になるか…。保証書は大事にしなきゃ。

 夕方、高校時代の先生に電話。会報の原稿を依頼する。お2人とも快く引き受けてくださる。これで一安心。

9月17日(火)晴れ

 小泉訪朝でマスメディア一日躁状態。

 金正日総書記が初めて日本人拉致問題を認めた。すでに死亡している人が8人、生存者が5人という。
 わが子を異国の地で失った親たちの悲痛な気持ちは想像するに余りある。国家による一般市民の拉致。なんという無残な。絶対に許されることではない。国家の犠牲になるのはいつも罪もない無辜の民だ。

 戦時中、父は山奥で森林伐採に従事していた。ある日、1人の男が林の間から父たちの前に飛び出してきた。疲れ切り、怯えた顔。工事現場から逃げてきた朝鮮人だった。

 私の故郷・下北半島には完成することなく頓挫した”幻の大間鉄道”と呼ばれる鉄道計画があった。大畑村から要塞・砲台のある大間をつなぐための軍用鉄道だ。

 その鉄道工事にかり出されたのはほとんどが朝鮮人労働者だった。日本は植民地・朝鮮半島から100万人以上ともいわれる朝鮮人を拉致・強制連行してきた。そして日本各地で労働力として使役した。下北地方にも2万人以上の朝鮮人が連行されてきたという。
 父の前に現れた男は、その中の1人。大間鉄道工事に使役されていた朝鮮人だった。

「桑畑地区に大きな飯場があった。そこから山を越えて逃げてきたんだろう。水と握り飯を渡して逃がしてやったけど、その後どうしたかはわからない」と父は言う。山奥には、時折、そんな朝鮮人労働者が逃亡してきたという。

「警察に通報したり、捕まえようとする人は誰もいなかったな。みんな握り飯やって逃がしたもんだ」
 山の男の暗黙のルールだろうか。逃げた朝鮮人たちはその後、山を越え、どこにたどり着いたのだろう。生きて故郷に帰れただろうか。終戦後、下北半島から故郷に引き揚げる途中、多くの朝鮮人が亡くなった事件もある。大湊から出航し、京都・舞鶴沖で謎の沈没をした浮島丸事件だ。

 戦後、国家による100万人単位の拉致事件の反省・謝罪を日本は果たして行ってきたのだろうか。57年たっても解消されない民族差別。「謝った」と言うその裏でアカンベエしているとしか思えない政治家たち。

 拉致問題の根は深い。

 PM6、トップスで休憩。同窓会報の構成を検討。どうにも原稿が足りない。後輩のMさんに電話すると、すぐに心当たりを探してくれる。実に心強い。

 さくらやをのぞいた後、PM7・30、新宿シアター・トップスで「路地裏の楽園」。俳優すまけいの脳梗塞復帰第2作。「この世に思い残すことなく旅立とうとする俳優」を演じるすまさん。有薗芳記らと舞台で飄々と遊ぶ姿に「まだまだ死ねない」のメッセージが込められる。

 客席に外波山文明、流山児祥、松田政男さんたちの顔。そういえば、今朝の夢に流山児氏が出てきた。どこかの劇場でカウンターを挟んで話している夢。正夢か? しかし、耳鳴りひどく、目礼だけで帰宅の途につく。

 途中で高校時代の恩師Y先生に電話。同窓会報の相談をすると、「それなら文化財保護の活動をしているN先生が最適ですよ」と電話番号を教えてくれる。苦しいときの神頼み、ではないがY先生に相談すればなんとかなるとつい甘えてしまう。会話の中で、母校OB教師たちのグループがあるということを始めて知る。各地の高校を転任した先生たちが、私の母校の徽章を冠したグループを作って活動している。実にうれしい話。
 PM11帰宅。

9月16日(月)雨

 早起きして、あちこち見て回ろうと思っていたが、案の定、寝坊揃い。起き抜けはプールのようなでかい風呂にお湯を張り、朝風呂。朝食兼昼食の後、片付けをして保養所を後にする。
 
 
犬吠埼までドライブ。雨がぽつりぽつり降ってくる。こりゃまずい展開。約1時間で到着。マリンパークは何度も見たのでパスして、おみやげを物色。風があり波が高い海。子供たちと海岸へ降りて、カニ探し。打ち寄せる波のしぶきがかかるたびに歓声をあげる2人。やっぱり自然の中で遊んでいるのが一番楽しそう。あまりにも寒いので持ってきたジージャンを羽織る。Tシャツの季節は終わりか?

 PM3、家路に就くも、帰り道は遠かった。クルマが数珠つなぎ。ノロノロ運転でへとへと。4時間半もかかって家にたどり着く。千葉方面からの帰りはいつも同じ目に遭うのに学習が足りない…。

9月15日(日)晴れ

 午後、娘の模試が終わるのを待って一泊ドライブへ出発。クルマの流れはスムーズ。1時間半で九十九里に到着。近くの温泉センターで砂風呂や温水プールに。終業間際とあって、砂かけのおじさんたちは「もう今日は店じまいだ」といった雰囲気で、ホースの水で周りを洗っている。「追い出すわけじゃないよ」とは言うものの、落ち着かなくて15分で砂風呂から退散。小3の息子は砂風呂初体験。おとなしく砂の中に埋まってるのがおかしい。
 プールでしばらく遊んで、保養所へ。行きつけの寿司屋で夕食。値段は高いがうまい。ただ、「アワビのバター焼き」なるものが、そのへんの海岸で落ちてるヨメガカサみたいな貝だったのはびっくり。これをアワビと称するとは。今回は予算オーバーしないようにと思ったが、この夕食は予定外の出費。
 PM10就寝。

9月14日(土)晴れ

 気温急変。Tシャツ1枚では寒い。駅のホームで電車を待つ間、風が冷たいこと。油断すると風邪をひきかねない。
 仕事サクサク。お昼、近くの中華屋さんで焼肉定食950円。2カ月くらい前に隣のコンビニが閉店したため、ヨーグルト、アイスなどデザートを買わなくなってしまった。ほんの20bも歩けば別なコンビニがあるのに、会社と逆方向なので足が向かない。人間の行動原理なんて案外そんな単純なものかもしれない。

 石原都知事の構想する公営カジノの「見本市」が10月に全国の首長や国会議員を集めて行われるとか。日本人に欧米流の高級ギャンブル場が似合うかどうかは別にして、「カジノの収益の一部をギャンブル依存症の人々の福利厚生にあてたい」と語る自民党関係者のコメントは大マジメなのかブラックユーモアなのか? たぶん前者だというところが怖い。

 PM2、シアタートラムで劇団1980「値踏み算」。莫大な遺産相続をめぐる一家の複雑な家庭事情を軸に、欲に翻弄される人間模様を描くブラックコメディー。背景にニッポン人の抱える病理が透けて見える。3・45終演。会社に戻り、後片付け。PM7帰宅。
 土曜日に家に居るなんて久しぶり。明日は長距離ドライブ。早めに寝よう。

9月13日(金)曇り

 4・40起床。外は真っ暗。眠い。疲労感。もう少しするとこれに寒いが加わる。

 午後、御茶ノ水の鍼灸の予定をキャンセル。仕事がたてこんで時間がない。
 PM6帰宅。高校時代の同級生から封書。なんだろうと思ったら、夏に田舎でクラス会をやったのだとか。そのときに作った名簿を送ってくれたのだった。出身地が離れているので、なかなか所在がつかめないということもあって、クラス会は卒業以来一度も出席したことがない。名前を見ると30年前の顔が浮かんでくる。住所不明も何人かいる。備考欄に「死亡」の文字。いつも明るくて気さくだったTさん。高校入学時、なにかと親切にしてくれた記憶がある。死という文字から一番遠い人だったのに。人間の運命はわからない。

 会いたいと思う人にかぎって行方不明。いつか会えるだろうと思っていても、いつしか残された時間が少なくなっていく。会えるときに会っておかなくては。

9月12日(木)晴れ

 だいぶ朝夕が過ごしやすくなった。しかし、まだタオルケット1枚で十分。
 昼、同窓会幹事のS氏が同窓会会報の原稿を何本か持参する。暇をみてそのうち何本かテキストデータに打ち直す。毎年、この作業がまた大変なのだ。

 昼休み、隅田川河畔を散歩しながら8月に録音したNHKのオーディオドラマを聴く。なかなか時間が取れないので、昼休みを利用して歩きながら……と思ったのだが、野坂昭如の戦争童話「干からびた象と象使いの話」を聴いているうちに、目の前の隅田川の景色がじんわりとぼやけてくる。「凧になったお母さん」にいたっては、もう……。動物園の象や猛獣が危険との理由で殺されたのは1943年、敗戦の2年前だということを実は初めて知った。てっきり空襲が激しくなった敗戦の年だとばかり思っていた。そんな早い段階で、動物を始末しなければならなかったとは。軍部にとっては国民の敵への憎しみをあおり、切迫する情勢を周知させる一石二鳥だったのだ。

「凧になったお母さん」は空襲で炎の中に投げ出された母子の物語。迫り来る火から子供をかばいながら自分の汗を涙をそして乳を子供の体にふりかける母親。最後には体中の毛穴から血を吹き出させ、「熱いよう」と叫ぶ我が子にかける母親の姿はエログロナンセンスに慣れた現代人から見れば、哄笑を伴うものかもしれない。しかし、そのグロテスクな描写にこそ真実を映す崇高さが漂う。二木てるみが母親役を熱演。

PM4、根津の鍼灸院。2週続けて休んでしまったので、ちょっぴり気後れ。治療の間隔があいたためか、このところ耳鳴りの具合はよくない。PM5・15治療を終えて新宿へ。

 PM6、和幸でカツの雅定食1130円。M輪明宏さんが奥の席にいたが、若い男性と2人で食事中なので声をかけるのをさし控える。

 PM7、紀伊國屋サザンシアターで泪目銀座「これはあけぼの」。元アイドルで今は落ち目のVシネマ女優という役で、とよた真帆が出演。劇作家役の川平慈英らと一夜の同窓会のてん末。「もう1行も書けないんだ」と告白する劇作家の姿に作者の福島三郎を重ね合わせてしまう。このところの福島三郎の芝居を見ていると、この自虐的なセリフは案外、本音なのかもしれない。芸能界や劇作家などの楽屋話は昔なら避けて通っただろうが、あえて取り上げたのは、本当に書くネタに尽きたのでは。そう思わせる低調な舞台。

 キャラクターのおかしさだけで、客席に笑いが起こっていたが、それは本来の福島三郎の芝居とは違う。三谷幸喜を追撃する最有力候補と思っていたが、スランプは長い。かつてのキレのあるコメディーを期待したいが…。
 とよた真帆の背の高さにびっくり。さすがモデル出身。元ゴーバンズの森若香織はすっかり福島組の常連だ。キュートな婚約者役を好演。
 福島三郎の芝居はまったりのんびりと見たいものだが、今日の客席は最悪。途中で携帯を時計代わりに開くヤツ、おかしくもないところでけたたましく笑う男。いびきをかきながら眠るヤツ……気が散ってしょうがなかったのも、悪印象の一因か。

9・15終演。急いで電車に乗るも、家に着くとPM11。1分でも早く眠りたい。

9月11日(火)快晴

 今日もまた暑い一日。昼からうだうだとパソコン前でHPの更新。合間に昨日録画しておいた「天体観測」を見る。脚本、演出、役者ーー三者のアンサンブルが絶妙。奇跡的なドラマといえる。坂口憲二は単純なように見えて、実に細かな演技をしている。愚かで痛ましく、それゆえまぶしい青春群像。来週で最終回。NHKの「少年たち3」も終わったし、もう見るべきテレビドラマはなくなった。そういえば、「濱マイク」もフェイドアウトしてしまった…。
 PM5、喫茶店で夕涼み。帰宅してHP更新の続き。時折、眠気に襲われる。今日は早く寝よう。

9月10日(火)晴れ

 一人芝居で野坂昭如氏の戦争童話「ウミガメと少年と」を取り上げる外波山文明さんが、芝居のリリースの中で「戦後57年たった今、なお戦争の反省すら忘れ、何か不穏の空気の漂う中、あらぬ方向へと進んでいるような気がしてなりません。”アメリカの正義”を許してはいけません。(略)今こそ、ハッキリと正面から自分の言葉で、物事を言っていかなければならないと思います。恥ずしがらず、キチンと堂々と静かに……」

 70年代、体一つで全国を行脚したはみだし劇場の”河原者”外波山文明氏。直情な人だけに、言葉を濁さず、「許してはいけません」という断定口調にはいっそ、すがすがしさを感じてしまう。それは、漫画家・小林某や西部某のようなコンプレックスの裏返しのような「反米愛国」とはまったく別の庶民の視点からの「反戦」宣言にほかならないからだ。

 仕事を終えて、PM6、六本木へ。PM7から、俳優座劇場裏の旧三河台小学校校舎で新宿梁山泊の紫テント公演「吸血姫」。

 校庭にテントが張られ、入り口は学校の玄関。受付でAさんが「この前は写真ありがとうございました」。アトリエ公演の時にデジカメ写真を送ったのだった。梁山泊をやめても毎回受付を手伝っているAさん。初期メンバーの一人で、大好きな女優さんだった。

 中庭で開演を待つ。客として来ている六平直政を見つけて挨拶。出る出るといいながら、もう何年「休演」しているのだろう。すっかり売れっ子俳優になり、超多忙の様子。話しする相手も渡辺哲ら俳優・タレント仲間…。

 10時30分終演。2回の休憩を挟む3時間半の大作。黒沼弘巳が久しぶりに「客演」。大久保鷹の怪演とあいまって唐十郎の初期戯曲の破天荒を体現している。なによりも近藤結宥花がいい。見違えるようにキレのある芝居をしている。一時、ふっくらとした体も引き締まり、劇中の華、「引越し看護婦」を堂々と演じている。
 終演後、Mさんに「いつも通り、中で飲みますよ」と誘われたが、時間も遅く、今日は客にタレント陣が多そうなので、遠慮して引き上げる。なぜか今日は気後れしてしまう。場所が六本木だからか?
 金ちゃんに挨拶もできなかった。今日は演出に専念し、役者としての金守珍を見られなかったのが残念。映画「夜を賭けて」11月30日公開。ヒットしてほしい。
 11・50帰宅。

9月9日(月)曇り時々雨

 朝から曇り空。昨夜は久しぶりに朝までぐっすり眠ることができた。しかし、夏の疲れが出たのか、疲労感あり、いつもより目覚めが悪い。

 お昼、久しぶりに隅田川河畔を歩いてみる。1カ月ぶりか。以前なら、1時間2時間平気で歩いていたのに、やけに遠く感じる。
 
立ち止まって、花壇の周りを飛び交うすずめ蛾をパチリ。一瞬も羽を休めることなくホバリングしてるのでレンズに入れるだけで大変。傍では小さな蛾がヒラリ。
 しばらく、その場でシャッターを切っていると、アゲハがゆらりと飛んできて、蜜に口を伸ばす。長いこと佇んでいたので、警戒する様子もない。……てなことをしてるうちにウォーキングの時間がなくなり、帰社。
PM4、退社。
 PM7、テレビの「ドキュメンタリ−北の国からの真実」を横目で見ているうちに引き込まれてしまい最後まで。番組の裏にあるさまざまな人間ドラマに涙また涙。テレビ界にとっても、一つの時代の終わりなんだろうな。


9月8日(日)晴れ

 朝のうち過ごしやすかったので、部屋の掃除。モノが多すぎて飽和状態だから、整理整頓する余裕がない。すす払いをして、元の位置に戻すということしかできない。年々増える本とCD、このCDの容積がばかにならない。宝くじが当たったら、広い家に引っ越して、なんて考えてる間に人生終わるな。

 小学生の頃、夜中に布団の中で、よく、「自分が死んだらどうなるんだろう」と思った。「自分が」の所には、親や祖父母が入っていたこともある。「死んだ後のこと」を考えると、悲しみが押し寄せて、一人、枕を濡らしたものだ。自分が死んでも世の中ずっと続いている、それは理不尽だ、と理不尽な怒りをつのらせたこともあった。

 オトナになって、夜中にふと目が覚めることがある。こめかみの血管が脈打っている。血液の循環を感じる。隣の部屋では子供たちの規則正しい呼吸の音。
 体調がすぐれない時には、「もし、ここで呼吸が止まったら。心臓が動きを止めたら」とゾッとすることがある。人間って、生まれてから死ぬまでよく何十年も呼吸し続け、心臓が動き続けるものだ。生きるってことはもしかしたら、奇跡的なことじゃないかと妙に感動したりする。

 生きることが奇跡なら、その奇跡を大事にしなきゃ。「なんで人は人を殺しちゃいけないの?」という高校生だか中学生の素朴な問いにおたおたした文化人・学者たち。生きること、生命があるということは宇宙の中の奇跡なんだ。奇跡を壊しちゃいけない。そんな問いを発することができるのも何者かが人間に生命を与えたからではないか。
 今生きている世界中の人たちも百年後には等しくこの世から消えているだろう(例外はあるにしろ)。そう考えたら、世界中の人たちは同じ時代の同志なのだ。
 争ってばかりじゃつまらない。

 林美雄さんのテープを何本か聴いてみる。1980年9月16日の放送では「ユアヒットしないパレード」でいしだあゆみの「あの人は風の中」を繰り返しかけている。圏外には「発売前でまだ曲名が決まっていません」というRCサクセションの「トランジスタラジオ」がいち早く紹介されている。やはり林さんの耳は確かだった。

 渋谷の街角で偶然聞いた早大雄弁会の「原発是か非か」という全国キャバンに目を留め、彼らをラジオに引っ張り出して原発に関する意見交換をしている。パックを降板する直前だからできたのか。今では原発はマスコミ最大のタブー。林さんの最後っ屁のようなものか。それにしても、街角で見た「興味深いこと」を即座にラジオに引っ張り出してくる。やはりアナウンサーというよりもジャーナリストだったんだ。

 PM8。食事。MDの整理。

9月7日(土)曇り時々雨

 大車輪で仕事を片付け、PN1・30。TBS裏の赤坂ACTシアターへ。

 劇団ふるさときゃらばん「パパの明日はわからない」。不況の時代、スポンサーがなかなか見つからず、前回公演からだいぶ時間がたった「ふるきゃら」の新作。キャパ1200の劇場はほぼ満席だから、客は入っているのだろう。

 しかし、舞台の方はおせじにもいいデキとはいえない。リストラで首切り役になった食品会社の部長がやがて自分もリストラ要員に。最後に、若手への置き土産として、新製品の開発プロジェクトを許可する。そのプロジェクトが功を奏し、新製品「キジ焼き弁当」は大ヒット商品に。しかし、売れ過ぎて生産ラインがおいつかない。現場と営業の確執が…。一方、リストラされた部長の家族は以前から崩壊していたが、「粗大ゴミ」の出現でさらに、崩壊度は進む。忍従してきた妻は外の仕事に生きがいを見い出し、同居している祖父も昔取った杵柄で、大工仕事を見つけてくる。親に反発してきた高校生の娘も…。

 一応、ストーリーは整っているように見えて、実は場当たりな展開。開幕の群衆タップは見ごたえがあるが、あとは…。結局、抜きん出たスターがいない、魅力ある役者がいない、踊りもそんなにうまくはない、つまるところ、やぼったいだけの舞台、に見えてしまう。
 前作の印象とは大違い。脚本の煮詰め方が足りなかったのか。スターのいない群集劇は脚本がすべて。民衆ミュージカルの雄として応援はしたいが、このままだと、ふるきゃらの明日もわからなくなる…。

 PM4・10終演。一ツ木通りを抜けて赤坂見附駅へ。上京したての30年前、ここでデビュー直後の風吹ジュンを見たっけ。週刊プレイボーイの表紙そのまま。こんなに綺麗な人がいるなんて、と思ったものだ。

 四谷で南北線に乗り換えて市ヶ谷へ。わずか5分。南北線ができて便利になった。
PM5、大蔵省印刷局記念館で高校同窓会の幹事会。10月の同窓会総会まで1カ月余り。最後の幹事会だ。そろそろ会報の編集を始めなくてはと思うが、今年は腰が重い。毎日手一杯で余裕がないというべきか。コンテンツもまったく考えていない。

 20数人の幹事にも「高校時代私は…」に続く文を60字以内で書いてもらう。お題拝借。60字という短い文に人柄が出るものだ。
 幹事会で談笑しているうちに思いついて、多趣味のFさんに「趣味」をテーマにした原稿を依頼。これで2つ、コンテンツができた、と。

 PM9、初めて南北線経由で乗り継ぎ帰宅。時間の節約にはなるが、料金は高い(630円+170円)。

 マンションの近くにさしかかると、公園や空き地に提灯が下げられ、ビッグバンドの演奏が夜空にこだましている。今日はマンション自治会のお祭。隣接した二つのマンション棟が毎年、合同で開催している。手作り屋台が並び、ビールを傾けるママさんたち。潤いのないマンション暮らし、たまにこんなお祭もいい。
 PM10。幹事会でも飲んだし、お祭でも少々。酔いが回り、パソコンを開く気力もなく、そのままふとんに倒れこむ。

9月6日(金)雨

 朝から雨が降り続く。ようやく残暑から解放されるのか。
 電車に乗ってから、昨日、子供に頼まれた新しい算数ノートがバッグに入れたままになっていたことを思い出す。学校に行って肩身の狭い思いをするだろうと、途中駅から引き返す。いつもより30分遅れの出社。

 昨日の原稿を推敲してメール送信する。
 PM7、銀座・博品館劇場で「ピアノ・バー」。雨宿りをするためカクテルバーに飛び込んだ4人の男女の偶然の出会いと別れを描いたミュージカル。ほとんどセリフなし。今陽子、シルビア・グラブ、玉野和紀、吉田さとる、岡幸二郎、戸井勝海といった実力派の俳優が競演。ピアノ演奏と歌だけで進行するシャレたオトナのラブロマンス。
 舞台を見ながら、「そういえば中学生の頃、ピンキーが好きだったなあ。月刊平凡の付録のポスターを壁に貼ったり、生徒手帖にピンキーの切り抜きを入れてたっけ」と思いははるか彼方へ。あの頃のピンキーは可愛かったが、今はすっかり…。お互い様か。
 8・35終演。いまいちノレず。それはほかの観客も同じだったようで、アンコールの拍手もすぐに途絶えてしまう。ピアノと歌だけの構成は単調で平板になってしまう。PM10、帰宅。雨は降り続く。家に入ると、テレビでは「北の国から」最終章。ビデオに撮ってあとで見よう。

9月5日(木)快晴

 PM5、仕事帰りに家のそばの喫茶店で劇団のパンフ用の依頼原稿書き。明日が締め切り。たかだか3枚ほどでも、追い詰められないと書けないものだ。夏休みの宿題か試験勉強と一緒。
 PM6帰宅。きょうから娘のピアノ教室が曜日変更になり、場所も遠くなったため予定していた芝居をキャンセル。PN9、S駅からタクシーで1メーターのところにあるM先生の実家兼教室へ。1時間ちょっとの練習を待つ間、原稿書き。PM10・15終了。帰宅は11・00。これからこの日程が組まれるのか。疲労の極み。もっとも、受験生である娘のハードスケジュールに比べれば、たいしたことないか。風呂に入って、即就寝。

9月4日(水)快晴

 オフ日だが、午後からK記念病院で鍼治療。快方に向かう気配がないのに、このまま通っても治療費がかかるばかり。
 待合室で新聞を広げる。

 東電の損傷隠し事件で東電がマスコミへの広告出稿を年内4カ月自粛するという。相手が電力会社だけに、「消費者」は日ハムに対するように、不買運動をすることもできない。また、事件を調査・報道するマスコミは広告を止められ、不況の中、ただでさえ苦しい台所がさらに苦しくなる。こんな事態を想定して、東電・電事連は日頃から巨額の広告出稿という形でマスコミ対策をしている。「口封じ」の意味もあるが、広告という「ヤク」を打たれ続けたマスコミは、その「ヤク」を止められると生きていけない。 
 
 真実を報道することが自分の首を締めることになるという皮肉。おそらく、東電に対する追及は腰がひけたものになっていくだろう。つまるところ、大事故が起こらない限り、どんな事故隠し、損傷隠しをしても東電=国家は安泰というわけだ。どっちに転んでも国民がバカを見るという不条理。

 ”自主憲法”制定が社是の読売新聞が朝刊のコラムで、作家・塩野七生の「時代にあわせて憲法も変わるべき」という言葉を引いて、またしても改憲の主張。その理由が「裁判官の給与規定を憲法が規定している。→裁判官の給与も時代に合わせて引き下げなくてはならない。→今の憲法では給与引き下げは違憲になる。→だから、憲法を改正しなくては」というアホらしい論理。改憲の目的はほかにあるだろうに、それをネグって、裁判官給与問題に矮小化する。こんなことを一面下の「コラム」で書くなんて、さもしい新聞になったものだ。

 毎日新聞朝刊で東電事件の続報。97年以降、福島第一原発で損傷部分を交換した際、「ひび割れの予防保全」と虚偽の記載をしてきたという。実際に損傷部分があり、それを修理したのに、あたかも損傷がなく、ただ単に予防的措置をしたと言う。これってフツー、事実の隠蔽、ウソつきと言うんじゃないの。ウソにウソを重ねる。まるで、この前NHKで見た「幻の大本営発表」だ。

 「痴漢行為で無罪になった30歳の男性が、民事裁判で一転して有罪判決」。その理由として、休みの日にわざわざ早起きして混雑した電車に乗ったこと、途中で席を立って車両を乗り換えたことなどが「不自然」と認定されたのだという。ウーン、事件の真偽は別にして、人間の行動をどこで不自然と判断するんだろう。休みの日に早起きして電車に乗ることが不自然だったら、川が見たくなって昼休みに隅田川河畔を散歩したり、蝶を追いかけて路地裏に踏み込んでしまう人も「不自然」なのかな…。

 PM4、家の近くの喫茶店で小一時間休憩してから帰宅。夜、子供とプロレスごっこ。娘の塾が始まる。夏休みの夏季講習が面白かったので、後期も行きたいと。親のスネは細るばかり。
PM8・54、テレビ東京で山田太一ドラマ「香港明星迷」。録画して後で見よう。

9月3日(火)快晴

 きょうもまたうんざりするような暑さ。

 仕事を終えて下北沢へ。ヴィレッジ・ヴァンガードで寺山修司「私という謎」(講談社文芸文庫)。文庫でも1200円もするのだ。びっくり。丸尾末広、佐伯俊夫らのマンガなど2000円〜5000円。買えない…。
PM7、本多劇場で文化座「青春デンデケデケデケ」。ついこの前、駅前劇場で見たばかりと思っていたが、初演は93年。もう10年ちかくたっているのだ。自分の中の時間軸がずれている。林美雄さんに最後に会ったのもつい2、3年前と思っていたが、日記を調べても出てこない。もっと前だったのか。この頃、身の周りの時間の流れが加速度的に速くなっている。

 さて、初演の時は文化座というカタい新劇団がエレキギターの生演奏を織り込んだ青春物語をやるというので、意外に思ったっけ。もっとも当人たちが一番違和感があったようで、佐々木愛が心配そうに若手の舞台を見ていたことを思い出す。

 しかし、その心配は杞憂に終わり、それから全国の演劇鑑賞団体のお墨付きももらって、今まで全国で350公演を行ってきた。ヘタだった楽器演奏も次第に上達し、今回などアマバンドにも負けない出来。劇中で演奏したのは「パイプライン」「十番街の殺人」「レッツゴー」の3曲。最初のシーンはあまりにもヘタなのでどうしようかと思ったが、演出だったようで、最後はびしっと決めていた。
 ベンチャーズに憧れてバンドを始めた地方の高校生たちのちょっぴりせつない青春を、50歳を過ぎた現在の視点から振り返った物語。中央に回り舞台。レコードプレーヤーの形をしている。親の様子を見るために久しぶりに帰郷するチッくんが再会したかつての仲間たち。役者たちはその場で背広を脱ぎ、高校生に変身していく。バック・トゥ・ザ・青春。

 文化座にしては振り付けのセンスもいい。女子高生たちが舞台転換のたびに踊りながら登場し、小道具の配置換えをする趣向は初演から同じだが、やぼったかった印象は消え、なかなかダンスもうまくなった。
 上演時間も2時間弱。これくらいなら上出来。PM9、制作のS氏、N氏に挨拶して引き上げる。
PM11帰宅。

9月2日(月)快晴

 真夏のような暑さが続く。昨夜、録音した「林美雄フォーエバー」を聴きながら電車に乗る。小島一慶の、感情を抑えながら、淡々と司会進行を務める姿に心打たれる。
 一人のアナウンサーの追悼番組を2時間にわたって放送する。例のないことだろう。しかも、音楽の使い方といい、構成といい、いかにも「林さんらしい」追悼番組。早朝から気持ちが高ぶってしまい、仕事モードの転換に難儀する。

 頼まれている原稿を書かなければならないし、そろそろ恒例の同窓会報の編集にも着手しなければならないのだが気分がのらない。
 仕事を終えての帰りの電車で放送の残り半分を聴く。涙止まらず。
 PM6帰宅。メールチェックなどしているうちにPM9・15、「少年たち3」が始まってしまう。見終わって、子供の相手をしていると時計は11時を回る。もっと時間があれば…。

9月1日(日)快晴

 10時起床。HPの更新。ラジオドラマの「日記」がいつの間にかリンクできなくなっていた。無料掲示板を日記代わりにしていたのだが、通告もなしにリンクが切れるなんて。無料とはいっても…。データを保存していなかったのが悔やまれる。ほとんど書いてはいなかったが。

 その轍は踏みたくないので、芝居の日記のデータを自分のパソコンに移す。この作業だけで2時間。そのうち気温は上昇し、部屋の中は蒸し風呂状態。とてもじゃないが、モノを考えたり、建設的なことはできない。外に避難。タワーレコードで避暑。渚ようこの新譜「ヨーコ・エレガンス 渚ようこの華麗なる世界」を買う。

 クレイジーケンバンドの横山剣がプロデュース。いつものデカダンな昭和歌謡の世界に加えて、剣のオリジナル「第三京浜」がピタリとはまっている。平山美紀の「ビューティフル・ヨコハマ」、プレスリーの「この胸のときめきを」カバーがいい。
 頭脳警察のCDがキャンペーン中。PANTAの最新作「波紋の上の球体」を買う。あとでじっくり聴いてみよう。

 夕方帰宅。子供の夏休み宿題の理科実験観察記録写真をプリントしようと思ったら、インク切れ。肝心なときに用をなさない、マーフィーの法則。
 仕方なく、また電気店に。夕方になっても気温は下がらず。
 長野県知事選は大方の予想通り、田中康夫当選。反田中派もこれで当分の間は手が出せないだろうが、次の手は打ってくるはず。そのとき、時代の空気はどう変化しているか…。
 民主党議員・今井澄氏死去。69年、東大安田講堂に最後までたてこもった東大全共闘防衛隊長。長野選出の民主党の議員が反田中に寝返ったのに、ひとり田中支持を表明した。その意味では、最後まで筋を通したといえるだろう。