11月30日(土)晴れ
すぐに治るかと思った風邪が長引いている。ノドの痛みは治まったものの、熱っぽくて体全体がだるい。
仕事を早々に切り上げ、三軒茶屋へ。1・00PM、シアタートラムでアートネットワーク・ジャパンの企画公演「南回帰線の渦」。土田英生の作・演出。オーストラリアに社員旅行で行った霊感商品会社の社員たちの人間模様を描く土田得意の会話劇。木場勝己が土田作品初出演。さすがに役者、微妙なズレが漂う舞台に溶け込んでいる。舞台は面白いのだが、体調が悪く、風邪薬のせいで時折眠気に襲われる。
2・40終演。新宿に行き、「和幸」で早めの夕食。4・05、武蔵野館4に行くと行列が出来ている。「夜を賭けて」初日。梁山泊の小檜山氏がいたので立ち話。この前の回が舞台挨拶だったという。「次は渋谷のシネアミューズで舞台挨拶があるんです」と、そちらに移動していく。
六平直政がいたので、この前の金守珍の連載の話題をひとくさり。「読みましたよ、オレの話が一番面白いんじゃない?」と彼。
客席はほぼ満席。遅れて入ったので前の方の席に座る。
さて、「夜を賭けて」、どうなるかと思いきや、これがなんとも素晴らしいデキ。サンデー毎日の映画評で中野翠が★ひとつ、ほかの誰かも同じような評価だったので、「やはり演劇畑の監督の映画はダメなのかなぁ」とあまり期待はしていなかったが、なんとその予想は大外れ。中野翠どこを見てるんだか。味噌汁で顔を洗って出直した方がいい。
これぞまさに正統な「映画」ではないか。画面から放射されるエネルギーたるやそのへんの凡百の日本映画が吹っ飛ぶほどの勢い。なによりも人間が活き活きしている。主演の山本太郎が骨太であると同時にお茶目さを見せていていい。対立するヤクザ役の山田純大の酷薄な凄みといったら、背筋が寒くなるような迫力。樹木希林も抑えた演技、清川虹子も89歳とは思えない気骨のある演技。これが遺作となったが、本望だろう。
舞台の演出家が映画を撮るとほとんどが失敗するのは、スクリーンをプロセニアムに見立て、映画で舞台劇を作ってしまうのが原因といわれる。
しかし、金守珍は韓国に作った百軒長屋や運河、廃墟をものの見事にスクリーンに活写、とてつもない迫力の人間喜劇にした。近年の日本映画を吹っ飛ばす爆弾のような作品。見終わった後、思わず拍手をしたくなったほど。「映画を見て泣いたのは久しぶりですよ」と六平に話したら「オレも0号試写しか見てなかったんで完成版を初めて見たけど、泣いたね」と彼。ウソもおせじもなく、「夜を賭けて」は今年の日本映画のベストワンだ。躍動する映像とエネルギッシュな笑いに満ちた映画はかつての深作欽二映画をホウフツとさせる。やはり映画は若いエネルギーがある時に撮らなければだめか。
7・00PM、スペース・ゼロで自転車キンクリートSTORE「ダイアナ牧師の大穴」。池田有希子がジテキン初出演というので期待したが、これは大外れ。ジテキン初のゴスペルミュージカルとうたったが、「お話はカンのいい人は最初だけですぐ結末もわかると思います」「ミュージカルといっても期待されると困る、チープなミュージカルです」と最初から演出・鈴木裕美が予防線を張っていた理由がわかった。
ある田舎町の教会が舞台。日曜礼拝に通ってくるのは3人の主婦たち。ある日、ゴージャスな女性が現れ、5千円の献金をしていく。なぜか? それはこの教会で祈ったら競馬で大穴を当てたから、というもの。雨漏り、床抜けのオンボロ教会を修繕するために、悩んだあげく、ついに牧師までその女に競馬資金を渡し…。結末は書かないけど、5分で終わるお話をミュージカル仕立てで2時間10分に拡大しただけ。物語が転がっていかないので、薄味のコーヒーを何度も飲ませれたような気分。肝心の「歌」も賛美歌に替え歌をのせただけ。ヘタなカラオケを聴かされているようなもの。編曲がダメなので、あれだけ歌のうまい池田有希子でさえ、いいところなし。思いつきで作った舞台としか思えない。
終演後、前の席に座っていた池田有希子の父・アトリエ・ダンカンの池田さんに挨拶。風邪をうつしちゃいけないので楽屋に寄らずに引き上げる。
10・30帰宅。風邪がますますひどくなったようだ。
11月29日(金)晴れ
風邪で不調。午後、会社を早退。帰宅して横になる。NLTの「オスカー」キャンセル。男優の中で一番のお気に入り、大沢健が出ているのだが、残念。夕方、食事のために起きて、そのあと、音楽のページをアップ。9・00PM就寝。
11月28日(木)晴れ
ノドの痛みで夜中に何度か目が覚める。ツバを飲み込むと違和感がある。風邪の兆候。トイレに立ったついでにイソジンでうがい。なるべく睡眠時間を取ろうと気持ちを集中させて寝入る。この程度なら朝起きたら快方に向かうはず、と思ったが、4・50、起きてもノドの痛みはひいていない。
昨日の「ジムノパディ」を聴きながら会社へ。やはりこのグループはただ者ではない。いいものを見つけた。
午前中、なんとかだましだまし仕事。熱と鼻水がない分、いくぶん体がラクといえばラク。ノド飴が手放せない。
梁山泊・M浦さんから電話。風吹ジュンの回の件。
2・00、会社を早引けして家の近くの病院へ。途中、タワーレコードに寄って大瀧詠一トリビュート「ナイヤガラで恋をして」を買う。クレイジー・ケン・バンドの「Tシャツに口紅」、BEGIN「恋するカレン」など、11組がナイヤガラ・ソングをカバー。いい感じに仕上がっている。
病院で1時間待ち。風邪薬をもらって帰宅。これで明日には治っているはず。
8・00にピアノ教室送り迎え。
11月27日(水)晴れ
午後から郵便局で小学校の諸経費の振替手続き。その後、タワーレコードへ。インディーズコーナーで見つけたジムノペディというグループの「雨、所により花吹雪」がスゴイ。「ジムノペディ」とはサティの曲のタイトル。映画「鬼火」で使われていたのが有名か。遡れば、古代ギリシャのスパルタで開催された祭典のことで、裸の少年が披露する踊りのこととか。ま、そんなことはさておき、小島麻由美のような声質のタナカ・ナオミのボーカルがずば抜けていい。音作りもジャズ、ロック、昭和歌謡ふうと千変万化。一聴即買い。このグループは大化けするかも。
Asafestoonの「SUIREN」も同時購入。
「犬夜叉」11巻から再読。あと17巻…。今、安心して読めるマンガは高橋留美子くらいか。妖怪の絵ひとつとっても、時代考証に基いており、ユニーク。手塚治虫の衣鉢を継ぐ数少ない漫画家の一人だろう。
朝起きたときにノドに痛み。風邪の兆候か。今夜は早めに店じまいしよう。
11月27日(火)晴れ
3・20、K記念病院で鍼治療。4・10終了。このところ、夜中に目が覚めると耳鳴りがきつい。昼はそんなでもないが。
5・30PM、麻布十番。A川マキさんの部屋を訪ねる。新しいマンションに引っ越して初めての訪問なので、道に迷い、30分以上麻布十番をうろうろ。
「まるで60年代の部屋でしょう」とマキさん。壁には沖縄でファンにもらったというビンラディンTシャツがピンで留めてある。「持っててもしょうがないから」と貴重なCDや本もどんどん人にあげてしまうので、本棚にはCDと本が少し。家具らしいものもほとんどない。生活に縛られず、風のように生きているマキさん。青年劇画誌に連載しているエッセイのタイトルは「こんなふうに過ぎていくのなら」。
「あと1回で終わりなの」
1時間ほどで引き上げようと思ったが、いつものようについつい話し込んでしまい時計を見たら10・00。帰り、わざわざ車道に出てタクシーをつかまえてくれる。
マキさんの部屋にあった雑誌の切り抜きに、作詞家の喜多條忠が「かぐや姫のために書いた”マキシーのために”はマキの部屋でたむろしていたボクたち若者の青春の日々を投影している」と書いてあった。「青山にでっかいビルを建てて おかしな連中集めて 自由な自由なお城をつくろうよ♪」
マキさんは昔も今も若い人たちに優しい。
11・30帰宅。部屋の鍵を忘れたので寝入りばなの家人を起こしてしまったようだ。今日に限って寝るのが早い。
11月25日(月)雨
朝、クシャミ・鼻水。仕方なく鼻炎薬を服用するが、効き始めたのが午後になってから。午前中はほとんど活動できず。
4・00PM退社。5・00帰宅。久しぶりに当山ひとみを聴いてみる。94年のアルバム「ラバーズ・イン・ニューヨーク」。ボズ・スキャッグス、レオン・ラッセルのカバー集。AORと銘打たれている。AORも今では死語か。
夕食後、NHKドラマ「風の盆から」をビデオで見る。市川森一脚本ということで録画を頼んでおいたのだ。「4回も見た」と家人が言うので、やはり当たりだったかなと思ったが、見終わって「…?」。自殺した娘と父親が「風の盆」の一夜に出会う。またしても死者と生者の交歓もの。娘の自殺の原因が、実の娘とは知らずに発した一言「君には音楽の才能がない」というのもなんだかなぁ。ムード先行型の観光ドラマにしか見えない。こんなドラマなら以前放送した「幽婚」「烏鯉」(共に市川森一脚本)の方がまだ納得できる。このシーズンのNHK単発ドラマは芸術祭向けの”賞狙い”がほとんど、それも今は安全パイばかり、とTAMA映画フォーラムで佐々木昭一郎氏が言ってたが、テーマ、情感ーー確かに安全パイのドラマだ。市川森一ならもう少し冒険してもいいと思うのだけど。
11月24日(日)晴れ
6時に起きて、映画「ハリーポッター」を見にS駅へ。朝一番なら空いているだろううと昨日のうちに家族で合意ができていたらしい。寝たのが1時だから眠いこと。7・20の第一回を狙ったがすでに行列ができている。考えることは皆同じ。それでもなんとか座席は確保。コンビニで買ったおにぎりを食べて開映待ち。しかし、寝不足がたたり、始まって5分で沈没。終わる5分前に目が覚める。「いつもそうなんだから」と周りは呆れ顔。家族で映画館に行って、最後までまともに見たためしがない。今までは子供向けという要因もあったが、今日は単に睡眠不足が原因。
映画館を出て書店に。土屋隆夫の作品で唯一読んでいなかった「赤の組曲」と長部日出雄の「天皇はどこから来たか」を買う。
午前中に帰宅して、読み終わったマンガを古本屋に持っていくという下の子供に付き添い。30冊ほどで1300円。文庫新刊でも50円にしかならない。「犬夜叉」既刊全巻を売るというので「読むまで待って」とストップをかけ、夕方から読み始めるも、途中で「ランニングしよう」と子供に誘われ、隣駅までジョギング。帰宅して夕食。「犬夜叉」の続き。なんだかんだと一日は飛ぶように過ぎ去り、土屋隆夫を読む時間なし。
11月23日(土)曇りのち雨
午後からTAMA映画フォ−ラムへ。片道1時間半。立川でモノレールに乗り換える。途中駅に多摩動物公園が。はるか昔に来たことがあるが、モノレールなんてあったっけ?と思ったら2年前に開通したばかりとか。車窓から臨む多摩の紅葉が美しい。微妙に色合いが異なる紅葉の間に住宅が立ち並ぶ。しかし、はるか向こうの丘陵に雪景色のように白く点在しているのが住宅街だということに気づいて驚く。多摩ってこんな所だっけ? ニュータウンと呼ばれた頃からさらに30年近い年月が流れているのだから、開発も進んだのだろうが、小高い丘陵のほとんどが宅地化しているように見える。異様な景色だ。
終点の多摩センターで降りてパルテノン多摩へ。バブル時代にできた施設ということが一目でわかる豪華な外観。こんな時代に運営は苦しいだろう。
会場に入る前に、着信があったM浦さん、Iさんに電話。
「春・音の光」と「紅い花」の二本立て。「紅い花」はつげ義春の「ねじ式」「沼」古本と少女」などをオムニバスにした作品。一貫して流れるのは「死と再生」つまり「エロスとタナトス」。「沼」で見せる「夜中に蛇に首を締められる」少女・沢井桃子の苦悶の表情は凡百のAVよりはるかにエロチシズムを感じさせる。
休憩時間に外に出ると肌を刺すような寒さ。小雨もぱらつく。ケイタイで大阪方面に電話するも通じない。地下鉄か?
4・30〜6・20は塚本晋也監督と佐々木昭一郎氏のトーク。司会は実行委員の黒川さん。塚本監督は「紅い花」「四季・ユートピアノ」をリアルタイムで見たとか。「鉄男」の塚本晋也と「紅い花」の佐々木昭一郎はイメージ的に結びつかないが、10代の塚本晋也をテレビの画面に釘付けにした「映像の吸引力」という点で共通項があるのかもしれない。
話が弾み時間をオーバー。最後に「紅い花」の少年、シンデンのマサジ役をやった俳優が紹介される。八丈島に滞在していたところを佐々木さんが呼んだのだとか。「今は小劇場で芝居やってます」と言ってたが、どこの劇団だろう。
6・20終演。サイトを通じて交流のある大学1年のN君とロビーで対面。彼は受験勉強中に「夢の島少女」に出会ってしまったという。古びることなく今の10代をも魅了する佐々木作品。
帰り際、佐々木さんに挨拶。奥さんも一緒。何度も電話で話をしているが奥さんと会うのは初めて。去年の司会を務めた是枝監督も客席に。
7・00過ぎから近くのレストランでオフ会。音頭をとったのは「微音空間」の主宰者S氏。13人が参加し、あとから実行委員会の黒川さんも駆けつける。Mさんはじめ、初対面がほとんどだが、佐々木昭一郎という共通の話題で結構盛り上がる。 2時間の予定が、気がついたら10時過ぎ。帰りの電車も気になるので解散。西国分寺に11・20。最寄り駅に着いたのが0・00。長い一日。
ゲラチェックのため、KS氏にFAX。
11月22日(金)晴れ
連休前とあって会社は閑散。午前中で仕事が片付くが、夕方まで雑用。
4・00PM退社、下北沢へ。喫茶店ZACを覗いたらT取氏が打ち合わせ中。同席して5時過ぎまでお茶。松文館のワイセツ裁判の話など。
劇団四季の舞台を見に行くというT氏と別れてネット喫茶へ。6・30まで。その後、ディスクユニオンでCDを物色。
7・00PM、ザ・スズナリで演劇企画集団THE・ガジラ「ルート64」。
オウム真理教による坂本弁護士殺害事件をモチーフにした舞台。殺害シーンなど、あまりの生々しさに客席が凍りつく。演劇的虚構と現実の事件が溶暗し、言いようのない胸苦しさをおぼえる。「被害者役」として質感のある人形を使用していることも一つの要因だろう。4人の出演者のうちただ一人の女性・岡まゆみなど、幕開きからすでに目がうつろ、赤く充血しており、芝居の過酷さを物語っている。現実にあった事件を再現するというのは、役者にとっても、かなりつらい体験であるに違いない。舞台では虚構であっても常に現実と表裏一体、役になり切ればなり切るほど、精神的に追い込まれる。
現実に題材を求めた舞台は数多いが、ここまで役者を追い詰め、リアルな皮膚感を追究した芝居はないのでは。
役者が退場し、客電がついても、客席はシーンと凍りついたまま。拍手するのさえはばかられるという舞台は初めての体験。ぱらぱらと拍手が起こったがすぐやんでしまう。退場する客は一様にこわばった顔。すさまじい舞台だった。
帰りがけ、制作のWさんに挨拶。同僚のF氏がきょうは一緒に来る予定だったが、泊まり明けなのでキャンセル。
昨日,亡くなった高円宮が以前、スズナリで上演した鐘下辰男の舞台に来たことがあると聞いていたので、そのことを話すと、「その時だけじゃなくて、毎回、見に来ていたんです。今回も27日にいらっしゃる予定でした」という。鐘下辰男のファンだったらしい。彼の芝居は今回に限らず、極限下の人間を描いたものが多い。永山則夫を描いた「TATSUYA」もそう。高円宮はいつもスズナリの前に黒塗りの乗用車2台でやってきて、警護の人と一緒に見て帰ったという。鐘下の作品には「反権力」的な色彩も強い。そんな芝居を皇族としてどんな思いで見ていたのだろう。
父の三笠宮は戦時中の中国人虐殺の話を直接、軍から聞いたと回顧したり、天皇家と朝鮮半島は強い絆があると天皇のルーツに言及するなど気骨のある学者肌。戦後、新憲法制定の審議に際しても「先の大戦で全世界に対して迷惑をかけた日本は厳正な局外永世中立の道を選ぶべきであり、そのためには武力を放逐することが、その正義感の発達に役立つ」と9条擁護の論陣を張った。
兄の寛仁もヒゲの殿下として庶民的な人気があった。高円宮が父、兄の影響を強く受けたことは想像にかたくない。47歳。カナダ留学で「自由」を享受、また60年代に世界中に吹き荒れたスチューデントパワーの息吹も直接体験した世代だ。下北沢のこぎたない芝居小屋にわざわざ足を運ぶバックボーンがそのへんにあったのかもしれない。
10・30帰宅。
11月21日(木)晴れ
夜中に腹痛で目がさめる。風邪に伴う腹痛のようだ。今までは体調が悪くてもいったん眠ったら朝まで起きなかったのに…。年齢とともに、体も変化していくのか。
4・00退社。帰りに銀座・山野楽器に寄ってチェウニのアルバム「TOKYO トーキョー 東京」を買う。「池上線」「私鉄沿線」「メランコリー」「ウ・ナ・セラディ東京」などのカバー曲が13曲。家に帰りビールを飲みながら聴いてみる。さまざまな風景が浮かんできて胸が締め付けられる。このまま酔いに身を任せ、追憶と感傷の虜に。そんな気分。
蓮池薫さん夫妻がパソコンをいじった、初めてメールを受信した、マージャンゲームをやってみたと、拉致帰国者の一挙手一投足を取り上げるメディアーー彼らはパンダじゃない。「日本はすごいだろう、パソコンなんてさわったことないだろう。モノがたくさんあるだろう」ーー報じられるその根底に、日本人の優越感が見え隠れする。「遅れている北朝鮮にはもう帰りたくないだろう」という、帰国者を侮蔑した発想。
東京に来て、初めて帰郷した時の自分を思い出す。方言を恥ずかしいものとして忌避し、田舎の風景を軽侮し、あやしげな東京弁を使って相手をケムに巻き、さも自分をススンでいる都会人に見せようとする。今思うと、穴があったら入りたいくらい恥ずかしい。まったくアホとしか言いようがない。都会生活をほんの少し経験しただけの田舎者の舞い上がりよう。
あの時の自分の気持ちと蓮池さんら北朝鮮からの帰国者を「田舎者」「浦島太郎」として扱っているマスコミ。シチュエーションは違うけど、どこかその卑しい心性似通っていないか?
それにしても、日ごと強まる「北憎し」の大合唱。「北」という仮想敵をバネに、日本を一気に全体主義国家にしようと策動する勢力の増大。
作家・辺見庸氏が言うように、米軍兵による沖縄少女レイプ事件、えひめ丸沈没事件の時に、国会も国民もこれほど怒りの声を上げただろうか、と思う。北バッシングに対する違和感はそこにある。強い相手にはヘイコラして、叩きやすい相手には外交信義を破棄してまで強面で迫るーー一番嫌いなタイプ。北を叩くなら、アメリカの横暴も指弾するべきだし、沖縄の人たちを踏みつけに”繁栄”してきた戦後のニッポンはどうなんだと自問するべきだと思う。…てなことを書くと、文春あたりが「拉致と基地問題を同等に論ずるのは北の戦略に乗った売国奴」と難くせをつけるんだろうけど。
11月20日(水)晴れ
オフ日。9・00起床。朝までずっと同じ夢を見続けていた。仕事絡みの大ネタを取った夢。
小学校の学費振替が来年から郵便局に移行するので、口座振替の手続きに郵便局へ。その帰り、電車に飛び乗り、新宿へ。紀伊國屋サザンシアターで扉座公演「いちご畑よ永遠に」。どうしても日程の折り合いがつかず、きょうの昼公演にしてもらったのだ。
休日は家庭中心にという決め事があるので、当然、隠密行動。行き帰りだけで電車3時間。芝居2時間半。あわせて5時間半の逃亡。休みの日なのに疲れるし、家からは何度も留守番電話が入るし、気の休まる暇がない。
舞台はジョン・レノンと最初の夫人・シンシアの出会いから別れを中心に、ビートルズのメンバーたちの青春を描いたもの。昼公演なのに高校生が多いと思ったら、田無高校の生徒たちの演劇鑑賞日とか。客席の半数が高校生。
説教くさい横内謙介の芝居は苦手なのだが、今回は見直した。佐藤累央がツッパリ時代のジョンから晩年の穏やかな表情のジョンまでを演じるのだが、新人らしい溌剌とした演技に大器の片鱗がうかがえる。劇中、実際にギターを弾いて歌うのだが、これも結構いい感じ。
そして、なによりも山田まりあの芝居が抜群。昨夜のさとう珠緒と比べるのは悪いが、雲泥の差。扉座のベテラン勢に伍して堂々の演技。ここまでやるとは正直言って思わなかった。山田まりあはスゴイ。
「スターティング・オーバー」が流れ、「ハッピー・クリスマス」を合唱するラストの15分は涙ボロボロ。横内の芝居で泣いたのは初めてだ。カーテンコールは「スタンド・バイ・ミー」。音楽劇としても一級品。横内謙介の新しい展開か。遠出してきたかいがあった。
4・30、T取氏から留守電が入っていたので電話。
5・00、上野の漢方薬局に寄り、耳鳴りの煎じ薬を購入。
6・00PM帰宅。まるでいつもと同じ、仕事帰りのようなもの。家族のウケは当然良くない。仕事と家庭。この相克はいつになったら解消されるのだろう。
11月19日(火)晴れ
いよいよ本格的な冬の寒さに突入。そろそろコートが必要か。
3・40PM、御茶ノ水K記念病院で鍼治療。5400円。4・50PM、新宿梁山泊のM浦さんに電話。3・00から渋谷で行われている金守珍氏インタビューの様子を聞く。「もう少しかかるようです」とM浦さん。映画のパブリシティーになればと思い、セッティングしたのだ。
7・00PM、銀座・博品館劇場で「ある豊かな生活」。ルームシェアリングを始めた29歳の小劇場女性脚本家(さとう珠緒)と19歳の東大生(内田慈啓)、69歳の引退教師(犬塚弘)の奇妙なトライアングルを描いたもの。
作・演出の福島三郎は大きな劇場でやる芝居は肩に力が入りすぎて無難路線に走る傾向があるが、この程度の小さなハコの方がのびのびしている。気負いのない、ハートウォームな物語。珠緒の劇団仲間を演じる今井陽子が実に達者。舞台は3度目というが、抜群の舞台感覚。プロフィールを見ると、テレビの「オヤジィ」に出ていたとある。青森出身、うまい役者だ。
今回がさとう珠緒の初舞台。彼女がブレイクする前、某アイドル誌の忘年会にライターのM氏が連れてきたのが彼女だった。実に明るくキュートな女の子だった。ヒロインを演じていた特撮子供番組が終わった頃か。
「1月2日生まれなので、いつも一人きりのさびしい誕生日なんです」と笑い、「いつか舞台もやってみたいです」とキラキラ目を輝かせていたが、その数年後、初舞台で主役とは本人も想像できなかっただろうな。あのとき撮ったツーショットはお宝か?
9・20終演。プロデューサーのYさんに挨拶して劇場を出ると銀座のビル壁面には早くもクリスマスの飾りつけ。
10・30帰宅。連チャンで遅い帰宅なので疲労感。HP更新もせず、就寝。
11月18日(月)晴れ
4・00PM退社。渋谷で俳優のI氏と待ち合わせ。飲み会の約束をしていたのだ。タワーレコードで時間をつぶしていると、ケイタイの呼び出し音。Iさんの奥さんから。「主人がケイタイを忘れて行ったもので…」。去年、Iさんと約束したときの自分の失敗を今年はIさんが…。なんと気の合うことか。
東急インの前に立っているIさんと合流、近くの店で食事&お酒。「水戸黄門」の出演で京都撮影所に行ってきたばかりとか。先日の舞台のことなどを話題にお酒をクイクイ。
5時から飲み始めたので7時に場所変え。駅前の「のんべぇ横丁」に行ってみる。タワーレコードから東急インに行く途中、ガードをくぐってみて初めてそこに飲み屋街があるのに気がついたのだった。東京に30年も住んでいて、のんべぇ横丁に足を踏み入れたことがなかった。Iさんも「面白そうですね。行ってみましょう」と乗り気なので、二人で「のんべぇ横丁」へ。
バラックの小さな店が並び、そこだけタイムスリップしたような一角。一回りして、その中の一軒の店に入る。「会津」という看板。ほかの店は若い女の子やサラリーマンでぎゅうぎゅう詰めなのに、その店は私達二人だけ。年取ったおばあさんが一人で切り盛りしている。店の壁にはお客さんたちと撮った記念写真が所狭しと貼られ、有線放送からは昭和30年代の懐かしい歌謡曲が流れる。カウンターは6人も座れば満席。「36年前からこの店やってるのよ」とおかあさん。年齢を聞いてびっくり。82歳とか。かくしゃくとして、そんなトシには見えない。ビール、にごり酒、焼酎、日本酒と飲むほどにチャンポン。
客は後から入ってきた京都出身という若いサラリーマンだけ。「これを飲んだら帰りましょう」と杯を重ねながら、結局、10時まで。落ち着いた雰囲気。終戦直後のバラックにサッシを入れたり、少し手を加えただけの店が40軒。渋谷のど真ん中にこんな横丁があるなんて。「ナンジャタウン」に紛れ込んだようなひととき。地下鉄のホームでIさんと別れ、家路に。11・30着。風呂、0・30就寝。
11月17日(日)曇り
高校訪問で母娘は不在。11・00AM、下の子を連れてN駅まで。科学館の中にあるプラネタリウムに。以前はパノラマ映画を上映していたが、今は予算削減なのか、簡易な番組とプラネタリウムだけ。2時間、館内を探検し、2・00PM帰宅。
夕方、理髪店へ。ほとんど長髪状態になっていたのでカットしてスッキリ。しかし、切り過ぎた感なきにしも…。
帰りにタワーレコードに寄り、アルバート・キングの「LIVE WIRE/BLUES POWER」を購入。
会報の礼状が届いていたので、高校時代の担任教師に携帯から電話。「○○です。久しぶりです」「おお、○○か」。 苗字ではなく名前を呼んでくれたのがやけに嬉しい。
作家・M氏から礼状。むつ市の伝統踊り「おしまこ音頭」を小説に書きたいと思っていたとのこと。出版社、Y谷ラウンドが倒産したという。「小説のネタが次々と発生してきます」と笑い飛ばすM氏。「ユリイカ」で連載が始まる予定。
11月16日(土)晴れ
今年一番の寒さ。風の冷たさが違う。
仕事を終えて、2・00PM、下北沢へ。スズナリで大阪の劇団太陽族「そして夜に光った」。奇妙な理髪店を舞台に虚実の皮膜を往還する70年代演劇。渡辺えり子の男版?
3・50終演。「げんこつ屋」でげんこつラーメン。20年前の味はないものの、まぁそれなりの味。マンガ喫茶でネット。時間に追われず、ゆったりとレスがつけられる。
6・30、本多劇場で青年座「ハロルドとモード」。人生に喜びを見い出せず虚無的に生きる青年ハロルドと、80歳を目前にしながらも人生を謳歌する老女モード。二人の人生の交差させ、せつなくも美しい結末へと導く。原作はコリン・ヒギンズの映画。71年に公開され、一部でカルト的な人気を博した。いわゆるアメリカン・ニューシネマの系譜に連なる作品。ベトナム反戦運動をダイレクトに反映しており、モードはナチスによって迫害されたユダヤ人ということがほのめかされる。
ブラックな笑いで味付けされ、演出も手堅い。俳優たちも充実していて、78歳の東恵美子がモード役を好演している。一部、セリフが出ず、プロンプの声が聞こえたが、客席はほとんど気がつかないまま。あわてず騒がす、さすがに年季が入っている。相手役の鈴木浩介好演。つぶやくような声も客席までよく通る。しかし、虚無的な青年というよりも、ただの気弱な青年という印象。
70年代という時代を表現するため、ビートルズ、ストーンズのナンバーが効果的に使われていた。休憩時間、客席後方に陣取った若い女の子たちが「すっごく面白ーい。もっと違うお芝居かと思ってた」とにぎやかにおしゃべり。
9・20終演。休憩10分を挟んで2時間40分。
帰り際、森さんが「沢井桃子さんの件、調べて連絡します」と言ってくれる。TAMA映画祭まで1週間。時間切れなので、今回はボツに。
11・15帰宅。
11月15日(金)快晴
お昼に築地市場を通りかかったので、店先に並んでいた鮭トバを買う。一袋1000円。田舎から送ってもらう鮭トバとはだいぶ質が落ちるが、酒のつまみには手ごろ。
ピアノ教室の送迎がある日だったが、娘の風邪でキャンセル。
6・30PM帰宅。ビールに酎ハイでやや酩酊。
中央教育審議会が教育基本法に「愛国心」を盛り込む方針という報道に目が点。一昔前なら「苦労多かるローカルニュース」の類が、現実のニュースになっている。今は本当に21世紀か?
「愛国心とはならず者の最後の拠り所である」と言ったのは誰だったか。
愛国心を法体系に織り込まなければならない国家とはいったい何か。
ファッショとは薪を一つに束ねる意味だと聞いた事がある。ファシズムは短い薪も長い薪も一つにまとめて、国家という燃え盛る炎の中にくべる行為。愛国心を鼓舞しなければならない日本は全体主義国家へまっしぐら。
盗聴法に始まって住基ネット、エセ個人情報保護法と国家の個人統制法策動はとどまることを知らない。
「法律は個人の尊厳を国家の恣意から守るもの。換言すれば法律とは国家から個人を保護するもの」というのが法の精神であるはずなのに、時代は果てしなく逆走し始め、法を、国家が国民を思い通りに支配する道具にしようとしている。
いまや「国民の敵」となった北朝鮮。その独裁国家体制を指弾する人々がなぜ、同じ道を歩もうとする自国の暴走を容認するのかわからない。
「愛国心って、あったほうがいいじゃん」と真剣に言う若者たちが増えているという。スポーツを国家忠誠の目的に利用するのはヒトラー以降、為政者の常套手段。W杯以降、少しは残っていた日の丸・君が代アレルギーがほぼ完璧に解消したのがいい例だろう。今ではスポーツ試合開始前の君が代斉唱は当たり前になってしまった。これによって、君が代を歌わない人間は非国民という図式ができあがる。
しかし、強制された「愛」ほど恐ろしいものはない。生まれた町を愛する、卒業した学校を愛する、それは自然な感情の発露。しかし、国家が国民に対して忠誠を誓えと迫る愛国心とはまったく別ものだ。「愛」を強制される国民は国家という名のストーカーに24時間監視され、追いかけられる。その行き着く先は抱きつき心中……?
そもそも愛するに足る国なのか、この国は……。
かつて寺山修司がうたった「望郷」の一首を思い起こさずにはいられない。
マッチする つかのま海に霧深し 身捨つるほどの 祖国はありや
11月14日(木)快晴
マチネでパルコ+ル テアトルセゾン提携公演「ブロンドに首ったけ」。
ハリウッドのセックスシンボル、メイ・ウェストの生涯を、メイ・ウェストおたくの若者のカップルを通して描いたもの。黒柳徹子が20代の若い女性とメイの二役を演じるのだが、メイはともかく、20代の女の子役はだいぶ無理がある。彼女独特の発声がベタッとした老人声なのだ。容姿はごまかせても声はごまかせない。団時朗、田中健の女装もあり、それなりに楽しめるが、戯曲自体は深みに欠けてイマイチ。4・35終演。その足で天王洲アイル、アートスフィアへ。
5・00PM、「伝説の女優」ゲネプロ。
木の実ナナ、浅丘ルリ子が落ちぶれたハリウッド女優という役。犬猿の仲の二人を同じ舞台に立たせようというプロデューサーの策略で顔合わせした二人だが、会うなり壮絶なバトルが展開する。ホイホイ・ミュージックスクール時代から40年? 木の実ナナも息が長い。浅丘ルリ子も。まさに伝説の女優たち。高畑淳子、斎藤晴彦が脇を固める。大澄賢也が男性ストリッパーを演じるがムダ肉まったくなし。さすがの鍛錬。斎藤晴彦セリフ忘れてプロンプ入る。ゲネだからいいようなもの、女優二人が完璧なだけに見ている方が冷や汗。
7・15終演。8・45帰宅。
「週刊金曜日」が平壌に滞在している曽我ひとみさんの夫と子供に単独インタビューした。
全国紙夕刊で「週刊金曜日の記者二人が曽我さん宅に押しかけ、記事を見せ…」と表現されていることが、今の拉致問題の「報道管制」ぶりを端的に表している。訪ねたのではなく、「押しかけた」というニュアンス。明日からまたものものしく、「週刊金曜日は北朝鮮の代弁者」「北を利する売国奴」というマスコミの総攻撃が始まるだろう。「救う会」「拉致議連」のコントロール下にあるマスコミは拉致被害者のことは二の次で、ひたすら打倒北朝鮮という政治目的を世論にするための御用機関に成り下がっている。
「報道協定」が結ばれる誘拐事件ならいざ知らず、事件の当事者に取材し、報道するのはメデイアとして当然のこと。その報道の当否は読者が判断する。取材自体が「反国家行為」「国賊」とされる今の日本はほとんどファシズムに片足を突っ込んでいるとしか思えない。石原某のように「非道な国とは戦争だ」と煽られれば枯れ草に火がつくように「愛国」の炎が燃え広がるだろう。
国家の思惑で振り回される拉致被害者とその家族こそが最大の被害者だ。
11月13日(水)晴れ
8・00AM、目が覚めるとおなかの調子が悪い。胃腸薬を飲んで二度寝。11・30に再度起床。風邪をひいたのか、気分不良。お昼を食べて、ぼんやり。外出するでもなくビデオでジャン・ギャバンの「港のマリー」を見ていると、またうつらうつらしてきて、布団にもぐり込む。夕方まで熟睡。娘が風邪で早退してきたし、風邪が蔓延しているのか。
5・00PM、まだだるいが寝ていても仕方ないので起きてクリーニング店、スーパーへ。7・00PM、夕食後、お風呂に入り、早寝。
11月12日(火)晴れ
仕事を早めに終えて渋谷に急行。4・10PM、渋谷東急で評判の映画「たそがれ清兵衛」を見る。早い時間にもかかわらず、サラリーマンや学生たちで結構席は埋まっている。
山田洋次監督初の時代劇。庄内の静謐な風景が郷愁を誘う。舞踏の田中泯が真田広之の敵役という重要な役どころ。役者の演技とは違うリアリティーを放射している。45年生まれだから57歳か。舞踏者として長年の活動、さすがに体の動きにキレがある。薄暗い室内での殺陣のリアリズム。
まさに藤沢周平の世界。時代劇に仮託した家族愛についほろり。しかし、タイトルになっている「たそがれ」だが、「たそがれどきの勤務終了になると家路を急ぐ貧乏武士」という設定、江戸時代の役人のお城勤務は午後の早い時間で終わりだったのでは? 夕暮れ時まで勤番というのは…? ま、それを言っちゃあ、小説が成り立たないのかもしれないけど。6・35終映。公園通りに急ぐ。
7・00PM、パルコ劇場で「マイ・ロックンロール・スター」。エレベーター前で友人のD井さんに声をかけられる。神戸帰りとかで、体調悪そう。エレベーターから降りてくるささめ氏とばったり。「ちょっと用事があったので」と彼。
長塚圭史作・演出、京三主演とあって場内満席。しかし、悪意ある家庭劇の破調についていけず、30分で飽きてしまう。終演後、D井さんと駅まで。「いつもの長塚作品とはちょっと違うので…」と弁護していたが、ウーン…。
10・30、G駅で途中下車。時間が遅いので、このまままっすぐ帰ろうと思ったが、明日は休み。思い直して小料理屋「M」へ。1カ月ぶりか。お客さんは2人。席につくや、いきなり、「私、こういうもので」と名刺を差し出されてしまう。S能大学の教授とか。気さくといえば気さくが、出会い頭の名刺交換に…?
その後、S子を交え、にぎやかに談笑。23日に開店1周年記念を行うとか。「無理しなくてもいいけど、よかったら来て」と。0・00駅へ。
帰宅後、メールチェック&レス。2・00AM就寝。
11月12日(月)晴れ
5時までぐっすり。約10時間の睡眠。鍾乳洞のような真っ暗な洞窟を懐中電灯で照らしながら歩いて行くと、地上に田舎の小学校の校舎が見える。しかし、土砂が崩れ、なかなか地上に這い上がれないという夢を見ていた。何の暗示?
今日は珍しく朝の「花粉症」がない。仕事も早めに片付き、まったりとした午後。4・00PM、退社。家路につく。
お気に入りの歌姫のリンクをたどって若手のストリートミュージシャンのHPをのぞいてみる。ニール・ヤングやボブ・ディラン、岡林信康に憧れるという10代の若者。しかし、彼の書いた日記を読むと意外に古いオヤジ体質にびっくり。
北朝鮮の拉致事件に憤るのはいいが、まるで扇動漫画家・小林某の垂れ流す復古主義の言説のコピーのよう。古臭い保守主義者の戯言と見まごう言葉の羅列。いわく「北朝鮮は恐ろしい。日本が侵略されたらどうすればいいんだ。憲法を改正して自衛隊を軍隊にしなくては」、いわく「NOといえる国にならなければ」
時代の保守化はここまで進んだということか。一番多感な若者がいとも簡単に憂国・ネオ愛国者を気取る。
映画「狂気の桜」で音楽を担当したヒップホップグループ「キングギドラ」には「売国奴倒すたびに興奮 日本の誇り守る…」という歌詞があるというし、同性愛者を差別した「ニセもん野郎にホモ野郎 一発で仕止める言葉のドライブバイ こいつやってもいいか 奴の命奪ってもいいか」という歌詞でCD回収事件も起こしている。
ブラックミュージックたるヒップホップは根底に人種差別に対する抗議の意思があるだろうし、イギリスのパンクも体制に対する労働者階級のアンチ・ミュージックだった。
セックスピストルズが「God Save The Qeen」で「女王陛下がなんぼのもんじゃい」と歌ったのは77年。パンクもヒップホップも日本の中産階級少年たちにはただ形をマネただけのパクリ・ミュージックにすぎないのだろう。
かつて「天○陛○も便所の中では紙(神)頼み」と歌った岡林信康や、「何にもしねーで ふざけるな 何が日本の象徴だ!」と叫んだ「アナーキー」。権威や権力を歌で批判・シャレのめした反骨のロッカー、ミュージシャンはどこへ行ったのか。金持ち、中産階級のボンボンが憂国を気取ってラップだヒップホップだ。そして、そのカッコよさに惹かれて貧乏な「ストリート少年」たちが陳腐で勘違いな憂国を語り始める。ロック=反体制という図式はとうの昔に崩れたが、ここまで低レベルになろうとは。
野郎たちのヒップホップグループに生理的な嫌悪感を持つのは野性の本能がなせるわざ? もちろん、中にはまっとうなグループもあることはあるが…。
11月11日(日)快晴
高校見学で娘たちは留守。下の子供を連れて釣り堀へ。1時間いてまったく釣れず。ほかの人も似たようなもの。入れ食いも面白みに欠けるが、まったく当たりがないというのもつまらない。
夕方帰宅。先日見た15年前のNHKドラマ「翼をください」が意外な拾い物だったので、娘に見せようと思い、ビデオ上映会を始めるが、途中でざわざわと落ち着きがないので中止。せっかくいいテレビドラマなのに…。気力が失せてしまい、風呂に入ってもぐり込む。時計を見るとなんと7・30。
11月9日(土)晴れ
3日連続で花粉症状態。クスリで抑える。
2・00PM、俳優座劇場でテアトル・エコー「サンシャイン・ボーイズ」。納谷悟朗、熊倉一雄コンビでニール・サイモンの名作。ケンカ別れした落ち目の芸人コンビが周囲のはからいで復活するが、またまた衝突してしまう。笑わせて笑わせて最後はホロリ。70歳を越えた納谷・熊倉コンビはこれが最後とか。熊倉一雄の飄々としたたたずまいがいい。
思えば、熊倉一雄が声の出演をしていた「物知り博士」のケペル先生をテレビで見ていたのが幼稚園の頃。黒柳徹子もそうだが、40年以上も前にテレビで見ていた役者を今も舞台で見るのは不思議な気がする。
開幕前にM新聞のT橋さんとおしゃべり。ゴダールの来日共同会見に出席し、いたく感動したというT橋さん。この頃、折りにつけ、ゴダールを引用している。「2回ばかり、書きました。よく読んでますね。ゴダールに影響された世代は私が最年長でしょう」。
4・30終演。劇場前でT橋さんと別れて帰社。ソワレの木山事務所「人間万事漱石の自転車」はキャンセル。急いで電車に乗り、6・40降車駅に。娘のピアノ教室送迎。練習をしている間にデニーズで夕食。9・00帰宅。
11月8日(金)晴れ
花粉症なのか鼻炎なのか、朝からクシャミ・鼻水。仕事にならないので、クスリを服用すると眠気が襲ってきて意識朦朧。悪循環だ。
3・00PM、K記念病院で鍼治療。
5・00PM、タワーレコードで1時間CD視聴。SAKURA「ラヴをばらまこう」、中澤真由「funky flushin’」、高宮マキ「鱗」の3枚を購入。野宮真貴の新譜は買わず。
6・00PM、新宿南口・ヨドバシカメラに寄ってミニヘッドフォンを購入。音漏れ80%カットのうたい文句。昔のイヤホンのように耳に深く差し込むタイプ。実際に装着してみるとボリュームを上げても音漏れはほとんどしない。その代わり音質はいまひとつだが、電車の中で聴く分にはまったく差し支えない。これで、電車の中でオーディオドラマを心置きなく聞ける。
7・00PM、新宿パークハイアット東京39階大広間で映画「夜を賭けて」完成記念パーティー。会費1万円。約300人が出席。映画関係者が多いのか、見知った顔はほとんどいない。主催の新宿梁山泊座長・金守珍に挨拶。珍しく背広姿。30日から公開され、動員数によって公開館が拡大されるので背水の陣。製作費5億というが、韓国に作ったオープンセットは劇団員が総出で作り上げたもの。無償の労働を考えると、それよりも費用はかかったはず。
金さんの挨拶に続いて、司会進行を丸山昇一が担当。アシスタントは梁山泊の女優・渡会久美子。丸山氏は「夜を賭けて」の脚本家。K2の長友啓典氏の挨拶に続いて、三木元首相夫人・睦子氏が壇上に。高齢のはずだが、かくしゃくとしている。
「私の世代は日本人が朝鮮の人たちにどんなひどいことをしてきたか、知っています。この映画が日本と朝鮮・韓国との架け橋になるよう祈ります」と挨拶する。唐十郎氏は「日本の昼を黒く塗りつぶしてほしい」とエール。
”怪人”庚芳夫氏が大きな紙袋を持って現れたので何かと思ったら、江川達也の「家畜人ヤプー」。大久保鷹氏に手渡す。庚氏とひとしきり立ち話。五木寛之氏の菊池寛賞、野坂昭如氏の泉鏡花賞受賞の話題。
遅くなって高取英氏がふらりとやってくる。唐十郎氏と立ち話。北の国からの話題を振ると、唐さん、実にうれしそうな顔。流氷が来るのを待って午前2時からメイクして待機していたが、何日も肩透かしをくらったこと。流氷の上を歩くとき、氷の裂け目に落ちても大丈夫なように、救命具をつけた上に衣装を着たので、その重量に腰を痛めてしまったことなどを身振り手振りで話してくれる。
「北の国から」放送後、生保とお酒のCM出演依頼があったそうだが、絵コンテを見たら自分の扱いが気に入らないのと、劇団員の反対ですべて断ったとか。CMギャラに目もくれず、さすが唐十郎、気骨がある。
出演者の一人・山村美智さんに挨拶。2カ月ほど前、ふたり芝居を銀座みゆき館で上演した際、ちょっとだけ協力したのだが、その後、丁寧な礼状が届いていた。そのことを話すと、「また(芝居を)やりたいと思っているんです。この次はぜひおいでください」と笑顔。元祖・ひょうきんアナは同世代のはずだが、さすがに若く見える。
歓談をはさみ、出演者の紹介。山本太郎、奥田瑛二、山田純大、大久保鷹、ユー・ヒョンギョン、風吹ジュンらが壇上に並ぶ。風吹ジュンを見ると、74年に上京した際、TBS前で颯爽と歩く風吹ジュンの姿を思い出す。まだ売れる前、あんなにきれいな女の子見たことなかった。
朝日新聞のI村氏、友人のK滝氏などと立ち話。中村敦夫、岡留安則氏らの顔も。
9・00終宴。
梁山泊のOG・秋元啓移子さんが「今、朴保さんのCDを作っているんです。ソロアルバムは初めて。ドアーズでライブもやりますからよろしくお願いします」とにこやかに挨拶。おみやげを配る近藤結宥花たち。
高取氏と二人でタクシーで2丁目の「B」に。花園神社の見世物小屋興行も好評とか。10・30まで四方山話。
0・00帰宅。疲労感。お風呂に入り、そのまま就寝。
11月7日(木)快晴
この時期は朝がつらい。午前5時40分。暗い・寒い・眠いの三重苦。途中駅で始発を待ち、降車駅まで40分。シートが温まるにつれ、下から暖気が体を伝い、眠気に襲われる。降車駅で目を覚ますと、眠くて眠くて…。今日こそは早く寝ようと思う。しかし、昨夜も10・30には布団に入ったが、午前3時に一度目が覚めてしまった。体のリズムがいまひとつ良くない。
会社に着いたとたん、クシャミ、鼻水。花粉症かと思いきや、気温差が引き起こす鼻炎なのかも。お昼、郵便局に会報発送に行く。
4・00PM、退社。途中駅で降車し、「アゴ」の干物を買う。一袋450円。
帰宅後、それをつまみにビール。
家人が風邪気味。ひどくならなければいいのだが。
米・中間選挙で上・下院とも共和党が多数を占める。これでイラク侵略が早まるだろう。アメリカの右傾化はとどまることを知らない。民主党支持の映画スター、ロバート・レッドフォードがブッシュ支持に転向したという外電も漏れ伝わる。日本では憲法改悪が現実的日程に上ってきた。戦争ができるニッポン、戦争をしたくてたまらないニッポン。笑ってしまうような「いつか来た道」。自分の子供たちが大人になった時、彼らを待っているのは新たな戦場。あれだけ人が死んでも鳩は休めない。いいかい、坊や、お空を吹く放射能雲だけが知ってるだけさ…。
バラエティー番組「電波少年に毛が生えた」鳩山由紀夫急襲「事件」で日本テレビが問題箇所の放送自粛決定。読売=日テレラインはわざとヒンシュクを買うような「取材」をしてマスコミ規制の世論を喚起しようとしているとしか思えない。読売・ナベツネの指令か? あたかも国会でメディア規制法たる人権擁護法の審議が始まろうとしている。野党代表を怒らせて、法案成立を目指そうとしているのだろう。姑息。旧江戸城や信濃町の御殿になど突撃できないくせに…。ただの弱い者イジメ。最低なテレビ界。
11月6日(水)快晴
オフ日。10・00AM起床。お昼を一緒に外食。タワーレコードに寄り、浜田真理子の「聖夜」(1200円)を購入。去年あたりから見かける浜田真理子の黒表紙のアルバムは確かに傑作だとは思うが、なかなか手が伸びない。聴くにはちょっと重い。その点、このミニアルバムがちょうどいい。「聖夜」「教訓1」「さとうきび畑」の3曲。ピアノの弾き語りで聴く「反戦歌」。
同窓会会報を送った高校の恩師から丁寧な礼状が届く。住所がわかる教師への会報の発送をしているうちに時間がたち、夕方から子供と床屋さんへ。自分の番が来る前に子供の散髪が終わったので、自分の調髪を後日にして一緒に帰る。
帰宅して、今度は2駅離れた「DOIT」へフックを買いに。子供のモデルガンを壁に吊るすため。7・00帰宅。夕食、風呂で9・00PM。結局、一日雑用で終わってしまう。録画したテレビドラマ「翼をください」も観られなかった。
「こんなふうに過ぎていくのなら いつかまた どこかで誰かに出会うだろう あんたは去ってしまうし あの娘もあっさり結婚 今夜ほどさびしい夜はない…」
夕暮れの町を歩くときにふと、浅川マキの歌が口をついて出る。
こんなふうに過ぎていくのなら…。
11月5日(火)快晴
PM4、仕事を終えて日比谷まで歩く。PM7の「アイ・ガット・マーマン」ゲネプロまで時間があるので、映画を見ようと思ったのだが、ちょうどタイミングよくPM4・40〜6・30の上映時間が「リング」。米国版は日本版とどう違うだろうと興味半分で観る。ほぼ原版を踏襲しているが、ラストは改変。やはりハリウッドらしい余韻で終わっている。ただ、俳優もムードもB級映画そのもの。怖さの点でも中田監督の日本オリジナルに軍配。
PM7、博品館劇場。宮本亜門演出「アイ・ガット・マーマン」。K滝氏、M好氏、事務所を立ち上げたばかりのT村氏、T村氏の同僚のN村さんら業界仲間と席が近接。前から2、3列目なので、「こんなに舞台に近い席初めてだよね」とM好氏。休憩時間に男4人で談笑。
中島啓江らのオリジナルキャストではなく、山崎ちか、シルビア・グラブ、浦島りんのウィッチシスターズ版。お気に入りのシルビアとちかが出ていればオンの字。思った通り、息もピッタリの3人の舞台に陶然。山崎ちかは舌ピアス、背中にタトゥー。大好きなダンサーだが、歌はやや声量不足でいまひとつ物足りない。シルビアは安定度抜群。
関係者向けゲネプロなので、客いじりのシーンで元自由劇場→東京壱組の俳優・斎藤暁氏(俳優の二瓶鮫一と一緒に来ていた)が舞台に上げられ、笑いを取っていた。
客席に元MOTHERの升毅さんの姿があったので、声をかける。「検察側の証人」が終わって、来年11まで舞台はお休みとか。「明日から中野のMOMOで元マザーのメンバーが出る芝居をやりますから、よかったら観にいらして下さい」とにっこり。
そういえば、升さんのMOTHER時代の演目に「アイ・ガット・マッスン」というパロディーがあったっけ。かなり好きだったけど、もう観られないのは残念。
PM8・55終演。急いで家路に。
11月4日(月)快晴
AM10起床。昨夜は早く寝たので睡眠は足りているはずなのに、どうにも体調がスッキリしない。家族の外出につきあい、帰宅後、夕方までネットサーフィン。その後、バルコニーに置いてあった不要物を整理。屋上防水工事が始まっているためモノを置けないのだ。管理人室に行って、前日のゴミ出し許可をもらう。朝、ゴミを出していたら仕事に遅れてしまう。生ゴミは朝出すとして、その他の燃えるゴミを1階の集積場に運ぶ。往復すること1時間。かなりの量のゴミが出る。ほかの居住者と会うと、「前日にゴミだしはダメですよ」などと言わているようで、ちょっとバツが悪い。
中には堂々と前の日にゴミを出している人もいるが、そんな人はどんな神経をしているのだろう。
PM7、ゴミ出しを終えてホッと一息。
しかし、どうにも気力が萎えて、何も手につかず。早めに就寝か。
11月3日(日)快晴
明け方、隣のRさんが起きてどこかへ出かけたのは知っていたが、頭痛と吐き気でベッドから出られず。朝から水ばかり飲んでいる。ハウスの窓から、かまどに火をi入れるTRさんの姿が見えるも、立ち上がる元気なし。8時過ぎ、ようやく起きてみんなに挨拶。朝食はK斎ちゃんのスパゲティ。KMさん、相変わらず精力的に朝食作りをするも、二日酔いで食べ物を受け付けず。
沢の方に近づくとゴーッゴーッという川の音。風は冷たいが、陽が当たると糸とんぼ、赤とんぼが頼りなげに飛び交う。風に吹かれる銀色の糸の先に小さな蜘蛛。はるか彼方の山の頂にはうっすらと雪が。八ヶ岳の初冬。
食後、後片付けをして11時過ぎにチェックアウト。TRさん提案のジャンケン遊戯で残り物の食材を各自で分け合う。
そして、いざ出発、という段になってTRさんが突如、桃太郎さんのあてぶり体操を全員に指示。輪になって「もーもたろさん ももたろさん♪」とステップ&スキップ。なんだかよくわからないけど、いかにもキャンプの解散式みたい…。
インター付近で、帰宅を急ぐMMさんMSさんにさよならをして残り全員「延命の湯」へ。入浴料600円を払って温泉につかり、ようやく人心地つく。
次にOKTさんの先導で手打ち蕎麦の店へ。人気店らしく、待つこと15分、7人で10人前を注文。蕎麦をお腹に入れた頃からようやく吐き気もおさまり、元気回復。しかし、ここで解散。PM1・50、東京、富山、箱根、甲府方面に各自分分散出発。駅までOKTさんに送ってもらい、2・39のあずさ号で新宿へ。4・36到着。乗り継いで家に帰り着いたのが6・00。
夕食を済ませて8・30、娘のピアノ教室。ふだんはMDウオークマンを聴きながら待つ間を散歩に当てるのだが、さすがに今日は疲労困憊。ピアノの前の椅子で座って待つも睡魔に襲われウトウトと。10・00帰宅。掲示板をのぞくが、レスをつける気力も体力もなく、そのまま就寝。
毎度、終わってから思うことだが、オフ会ではもう少しみんなと長く話がしたかった。今回、二日目は特に吐き気がして、いまひとつ気力減退。今思えば、あれもこれも話したいことがたくさんあったはずなのに。次回に期待しよう。
11月2日(土)晴れ
仕事を終え、PM3、新宿発の中央線特急「あずさ61号」に乗車。新宿駅の松本方面ホームに出たのは約20年ぶり。ホームが広くて別の駅のよう。
PM5、小淵沢駅に到着。OKTさんが迎えに来てくれてクルマで10分ほどの森の中にあるトレーラーハウスへ。東京からクルマで向かっているRさんは近くまで来ているのに、ハウスの位置を特定できず、まだ付近をさまよっているとか。午前中に出発したはずだから9時間の死の彷徨? 道が入り組んでいて、しかも夜道で見通しがきかない。現地から迎えに来たO氏でさえ、時々道に迷うくらいだから、R氏の彷徨は無理もない。
初めてのトレーラーハウス。ベッド、電子レンジ、風呂・トイレ、台所、オーディオと至れり尽せり。
ハウスの前には、Kっちゃんの友人でアウトドアの達人・TRさんが作った立派な「立ちかまど」。渡し網にジャガイモ、ニンジンなど野菜。手作りのパン生地も。本格的な野外キャンプだ。
KMさん、K斎さんの手作り料理が並び、キャンプ・オフのスタート。やがて死の彷徨から脱出したRさんも到着。
OKTさんのギター伴奏で懐かしの60〜70年代ポップスを歌い、しゃべり、笑い、夜は更けていく。空を見上げると星々がきらめいている。雨の予報が外れてよかった。この満天の星が見たかったのだ。
ただし、底冷えのする寒さだけは計算外。もう少し防寒対策をするべきだった。11時過ぎに、KっちゃんバンドのMSさん、MMさんが到着。TRさんはいつのまにかリタイア。
0時半をまわった頃、「そろそろお開き…」という声があがったような気がしたので、ハウスのベッドへ倒れ込む。寒いのでついお酒を飲みすぎたようだ。Rさんが暖房をつけてくれたような記憶があるが、そのまま朝まで。後で聞くと、朝5時までキャンプファイアーは続いていたとか。寝るのが早すぎたか。
11月1日(金)雨
PM4・30退社。PM7・30、新宿シアタートップスで劇団道学先生「無頼派の女房」。前作が素晴らしすぎたので、見劣りするも、まあまあの水準。安吾と太宰らしき無頼派作家の確執と周囲の人間模様を軽妙な喜劇として描いている。「作家の家族にとってその作品は刃物のようなもの」という冒頭のセリフがテーマを象徴する。私小説作家に限らず、作家の家族・縁者は常に戦々恐々だろう。自分の身辺・プライバシーが作品に投影されてしまう作家という商売もまた因果なもの。PM9・30終演。PM11帰宅。明日は小旅行。準備を、と思うが気ぜわしくて手につかず。 |