12月31日(火)晴れ

 最後の大掃除。絶対的なスペースがないので、本の置き場所に困ってしまう。なんとか部屋を片付け終わったのが5・00。お風呂を沸かし、年越しそばを用意し、テーブルに向かい家族で年越し。
 その後はレコード大賞、紅白と続くのだが、アニメ特集もあり、子どもたち二人はそれぞれ2台のテレビを占拠。仕方なく、親は懐かしのメロディーを録画。
 懐メロか…。子供の頃、親は懐かしのメロディーを見たがり、私は今時のポップスを聴きたがった。時代は一巡したのか。しかし、今のコたちが親になった時、懐かしのメロディーって何だろう。浜崎あゆみがナツメロ番組に出てくるか…?

 就寝前にメアリー・H・クラークの「さよならを言う前に」を読了。さすがに切れ味は落ちたが、ストーリーテリングは相変わらず達者。

 0・00を回った頃を見計らい、それぞれの実家に電話で新年の挨拶。

12月30日(月)晴れ

 10時起床。部屋掃除。1・58、武蔵野線ー埼京線で新宿へ。

3・00PM、新宿、シアタートップスでうどんに七味武春一味「ミラクル忠臣蔵」。浪曲の国本武春とラッパ屋の福本伸一、木村靖司、竹内晶子の4人による一度限りのユニット。忠臣蔵の各場面を歌入り芝居で綴るエンターテインメント。客席もカスタネット、鈴を手に舞台に参加、師走の慌しさを忘れる、カタいこと抜きのお祭舞台。とはいっても手抜き一切なしの福本、木村。さすがに芝居が巧み。1時間55分。
 ラッパ屋の山家さんに挨拶して外に出ると師走の新宿。いつにも増して通行人の歩みは速い。

 さくらやでバックアップ用にコンパクトHDDを買おうとしたが、IEEE1394のピン数が確認できず断念。古いパソコンだと4ピン。それだと電源アダプターが必要になる。たぶん、使用機hp2150は2年たってるから、6ピンではなく4ピンのはず。USB2・0なら転送率も高いのに…。日々スペックが進化するパソコン、対応が大変。

 7・00、新宿「poo」で年末恒例の万有引力餅つき忘年会。遅れて行ったのですでに一臼ついた後。シーザー、根本ちゃん、稲葉さん、大澤さん、三上宥起夫さん、蘭さん、市川さん、亜湖さん、タリさん、恵篤さん、京えりさん、simizzyほかいつもの顔ぶれ。そのうち、松田さん、大野さんらも来て、2月の埴谷雄高七回忌イベントの打ち合わせ。「マキさんからメッセージをもらえないかな」と松田さん。

 今年の「野球一族の陰謀」に出ていた「パンチライダーズ」こと「デリシャススウィートス」の二人組が餅つきに合わせて色っぽいダンス。みんな総立ちでやんやの喝采。
 餅つき2002
5臼目に三上さんと餅つき。ちょっとついただけで息があがる。来年までに体を鍛え直さなくては…。

 11・00、三上さん、月嶋さんと一緒に駅へ。今年は早めに家路に…と思ったが、途中で人身事故発生。大幅に遅れて終電になってしまう。このところ人身事故に出くわすことが多い。やはり不況のせいか?

12月29日(日)晴れ

 毎日新聞、佐藤健記者亡くなる。28日午後8・16。入院から110日目。医師の臨終を告げる言葉を引き取り、奥さんが拍手をし、息子さん、同僚が拍手をして送ったという。
 12月16日に奥さんが口述筆記した言葉。

生は光
死は闇
私達の生とは闇と闇との空間を横切る星なのかもしれない

 星が一つ消えた。合掌。

 出かけるまで小掃除。合い間に昨日録画した拓郎のライブを見る。今ではすっかり忘れていたが、高校時代から20歳頃にかけて拓郎の歌にどっぷりと浸かっていた。「マークU」「青春の詩」を聴くと高校の寮の薄暗い廊下を思い出す。拓郎は高校時代の象徴。テレビの画面で50歳を過ぎた拓郎が「窓の外は白い雪の夜」を歌っている。80年頃の歌。この時は流行っていたのは中島みゆきの「化粧」、高石ともやとナターシャセブン「私に人生といえるものがあるなら」。別れの歌ばかり。流行っていたというよりも、自分がそんな歌しか印象になかったのだろう。拓郎の歌を聴きながら古い傷が痛むのを感じる。

 午後3時、小竹向原のMODEアトリエで試演会。「恋のメモランダム」。ジャン=クロード・カリエールの原作。1人の女がある男のアパートメントを訪ねてくる。男には見知らぬ女。奇妙な女の出現に驚き、排除しようとする男。しかし、女は男の部屋に入り込み、いつしか、抵抗する男と立場が逆転していく。

 松本修がひそかにあたためてきた芝居の発表会。裕木奈江と文学座の佐藤淳の2人芝居。2人で別の芝居の稽古の合い間や、自主稽古で作り上げてきた作品。一般には告知せず、関係者、知り合いだけを集めての試演会。3ステージ限定50人というが、きょうは70人入れてしまったという。
 裕木奈江がとらえどころのない不思議な女を好演している。2年後くらいには劇場で上演したいと松本氏は言う。来年から関西の大学の教授。週3日は単身赴任とか。川村毅は京都の大学。それぞれ新しい道に進む。

 終演後、その場で忘年会に突入。MODEアトリエも8月で閉鎖される可能性が大きい。維持するのが大変らしい。もとは上海劇場の稽古場。今も名義は元上海劇場の小嶋尚樹になっているとか。

 乾杯してすぐに引き上げるつもりが、5月に文学座で本公演をやる得丸伸二や「アメリカ」に出演する石村実伽と話しているうちにあっという間に時は過ぎていく。

 裕木奈江ちゃんは気さくなコ。ついつい話し込んでしまう。「”道”のジェルソミーナをやりたいんです。唐十郎さんがザンパノで…」
「年末年始はどこへも出かけず、家で寝てます。寝てるのが好きなんです」
「もともとは歌手志望で、山崎ハコさんと同じ事務所にいたんです。ハコさんのギターで歌ったこともあるし、ハコさんの”織江の唄”も歌ってました」

 じっくりと腰を落ち着けて話をしたが、気遣いがあり、実にクレバー。いわゆる芸能人ずれしていなくて、誰とでもフレンドリーに話をする非常に優しい心遣いのできる人。一時、女性誌にバッシングされた理由がまったくわからない。タレントなのに、エラぶらず、これほど気さくに、しかも真剣に会話してくれるとは。いっぺんでファンになってしまった。
 今回の舞台もノーギャラ。「勉強のつもり」で参加している。今年会った女優の中で好感度ダントツ、ナンバーワンだ。

 10時、石村実伽らが帰るので一緒に辞去。奈江ちゃんはまだつき合ってる。なかなかできることではない。
 新富町で築地に乗り換え、石村さんと別れ、帰宅。11・10。

12月28日(土)晴れ

 11時起床。夕方まで大掃除。クリスマスツリーをトランクルームに移動。

 6・15、忘年会の待ち合わせ場所、浅草橋へ。掃除の時には平気だったのに、その頃になってクシャミ、鼻水。ハウスダストが引き起こす鼻炎か。仕方なく薬を服用。そのため、眠気とだるさとの戦いに。参加者はR、A、Y、Hさん。ちゃんこ屋さんで鍋を囲み9時半まで。初めてのちゃんこ。これがなんともうまい。お酒もすすむ。その後、コーヒーショップで酔い覚まし。11時解散。0・00帰宅。

 米で宗教団体「ラエリアン・ムーブメント」がクローン技術による女児誕生を発表した。26日に生まれたという。名前はイヴ。キリストの誕生日から1日遅れのイヴの誕生とは皮肉。不妊女性の皮膚細胞から生まれた女児。「子供を持ちたいという女性の願いを聞き入れて、そのどこがいけないのか」とクローンエイド社のボワセリエ博士は言う。女児誕生が本当ならば、クローンが自分のアイディンティティーに苦悩する「ブレードランナー」の世界が現実のものになるのか。こともなげに「クローン人間誕生」と新聞が報じる世界に生きていることが信じられない。人類の終末への歩みはまたひとつ進んだ。

 毎日新聞で「生きる者の記録」を連載している佐藤健記者が昏睡状態に陥る。

 末期がんを宣告され、60歳の定年を延長して自らの体験を報告してきた佐藤記者。地べたの視線からすぐれたルポを発表、「宗教を現代に問う」という連載で自ら雲水になるなど、体当たりで取材する記者。キーボードを叩けなくなってからは自分の容態を後輩記者に口述筆記させ、その日の自分の様子をリアルタイムで報告し続けてきた。しかし、力尽きる日が来た。延命治療は断っている。

 がん患者の最期は激痛を和らげるためのモルヒネ使用。それが意識のある最後となる。眠りに入る前に交わす家族、同僚との最後の会話。自分の死を目前に、なんという穏やかさ。自らの生命の余燼の軌跡を公開することによって人間の生と死の尊厳を問うた佐藤記者。それは永遠の生命・イヴを誕生させた人たちが主張する「人間の尊厳と自由」の対極にある。

 北朝鮮の平壌で北朝鮮国名の英語表記に関する学術討論会が開かれ、歴史学者らが「KOREA」を「COREA」とすることを協議したという。それによれば、13世紀半ばから1800年代末までは朝鮮と西側諸国で「COREA」表記が使われてきたが、日本の植民地時代にKOREAになったという。なぜか。国際スポーツ大会などでCOREAだとJAPANより先に入場するため、これに不快感を抱いた日本が「C」を「K」に変えたという。真偽はともかく、ありそうな話ではある。映画、演劇のポスター、ドラマなどの名前の序列に異様に気を使うのはどこでも同じだし…。

12月27日(金)晴れ

 今日で仕事納め。なんとなく朝から心がはずむ。年内の仕事は滞りなくすべて終了。

 夕方、池袋経由で新宿へ。ピットインで浅川マキのライブ。7・15にRさんと待ち合わせ。開場前に店に入って、中で待機。マキさんに挨拶。「700円で買ったの」と、アイルランド製のセーターを見せてくれる。開場時間がきても客席で仕度しているマキさんにピットインのスタッフが「並ばせておくと周りの店から苦情が出ますから」と話し掛けるが、「そう、ごめんなさいね」と言いつつも腰を上げない。底冷えの厳しい夜、入り口の前に並ぶお客さんたちは寒さをこらえながら待っている。

 10数年前だったろうか。池袋・文芸坐でのオールナイトコンサート。その日も寒波に見舞われた日で、文芸坐の周りを二重に取り囲んだお客さんたちは9時の開場を足踏みしながら待っていた。

 しかし、時間がきても開場しない。中からリハーサルらしき音が聞こえる。1時間が過ぎても開場しない。凍えるような寒さ。招待客だけは先に中に入れてくれた。納得するまで音を調整していく浅川マキ。「招待客だけ中に入れたら、外のお客さんが怒ります」
 スタッフの1人が怒鳴るようにマキに叫ぶ。

「あんた、何言ってるの。私は私の歌を本当に聞いてもらいたい人だけに招待券を送っているの」
 強い口調で言い返すマキの声が扉の中から聞こえてくる。
 私の招待客は私が選んだ人。音楽業界は関係者と称する連中など有象無象が招待者として入り込むのが通例だが、浅川マキは自分が本当に聴いてもらいたい人にしか招待状を出さなかった。それは今も同じ。

 7・50、20分遅れで開場。お客さんが静かに入ってくる。20代から50代。世代はまちまち。あっという間に客席は満杯。作家の亀和田武氏の姿もある。

 「昨日の初日、長年の歌手生活の中で不思議なことがありまして、二部になったら、拍手がまばらになり、どうしたのかと思ったら、客席ですすり泣いている人たちがいる。1人の男の人は外に飛び出して嗚咽していたそうで…。なぜなのかしら、とても奇妙な夜でありました。ということで今日は明るくいこう!!」

 珍しく、自分のCDを流して、”カラオケ”から始め、アカペラ、そして、渋谷毅、植松孝夫、セシル・モンロー、和泉聡志の登場。日本のジャズ界を代表するプレイヤーたち。まさに伝説の競演。昔かたぎのジャズメン植松孝夫はいつものようなスーツ姿ではなく、ジャージのようなラフないでたち。途中、マキの顔に笑みがこぼれるのは今日の植松の演奏がノってるから。気分によってデキが左右されるジャズの演奏者。彼らもまた世間と折り合いをつけて生きることのできない種類の人たち。

 天才的なギタリスト・和泉聡志は二部にほとんど出番なし。テクニックを披露するソロシーンもなかった。なぜか。それが”時分の花”が”真の花”に飛躍することを願ってのマキ流の”処置”ということ。

 二部終演が10・30。楽屋を訪ねたが、先客がいた。「あとで手紙を書きます」といういつものマキ流の断りの伝言。申し訳なさそうなスタッフの顔。「終演後にお話させて」と先日の件について、自分で言ってきたのに…。苦笑するしかない。Rさんを紹介しようと思ったのにできなかったのが心残り。

 「BURA」に行ったら超満席。カウンターでRさんとおしゃべり。とらえどころのないB型同士の会話。時計を見ると0・10、直通終電を逃がしたことに気がつく。今日も途中駅下車か。丸の内線でO駅まで行くというRさんと新宿3丁目で別れて、新宿駅に。

 山手線、赤羽、と乗り継ぎ蕨駅で下車。山手線で乗り込みトラブルがあり10分以上、接続が遅れる。タクシー乗り場にはすでに50人以上が列を作っている。待つこと約1時間。ようやく順番が。時計を見ると午前2時近い。寒さに肩がカチンカチン。家に入り、ぬるくなったお風呂に熱湯を注ぎ込んで入浴。2・30就寝。

12月26日(木)晴れ

 めまぐるしい一日。午前中、AMさんからお礼のFAX。メガフォースKMさんから再三の電話。博品館劇場H氏に明日のキャンセル電話。夕方、KMさんと電話通じる。「ありがとうございます」と。年末の集中でN印刷社のコンピューターダウン寸前。
 5・30PM退社、帰宅。

12月25日(水)晴れ

 今年は暖冬か。おととい底冷えしたが、今日は比較的暖かな一日。
 9・00AM、換気扇の掃除があり、早起きして業者を迎える。昼過ぎまで年賀状作りの続き。午後、銀行に行って受験料の支払い。AMさんに電話。「昨日、実家から帰ってきたばかりなの。明日は音リハ。バタバタしていて…」と。
 夕方、娘のケータイの機種変更につきあい、家族でダイエーに。夕食も。
 年賀状だけで一日が終わる。疲労困憊。

 24日、成田空港の建設をめぐり、自宅と土地を強制収用された故小泉よねさんの養子・小泉英政さんに国が謝罪、空港計画地内の土地10アールの使用権を認めた。空港反対派への懐柔策だろうが、英政氏は「移転交渉に応じるつもりはなく、小泉よねの魂と共に、この村で行き続ける」と明言したという。「小泉よねの魂はあの代執行を永遠に許すことはないだろう」とも。

 戦後、開拓組合から配分された土地を開墾し、ようやく実りある土地にした時に、閣議で空港建設が決定され、土地を強制収用されたよねさん。機動隊のジュラルミンに乗せられ、ゴミのように捨てられた「大木よね」の無念。7歳のときから子守り奉公に出され、「反対運動が人生で一番楽しかった」という立て看を掲げていた。強制代執行の3年後にがんで亡くなった。土地を奪われた農民たちの闘争の象徴とでもいうべきよねさんは享年66歳。今思えばまだ若かったのだ。

 国がその気になれば、個人の財産である土地や建物は法の名のもとに易々と収奪されてしまうのだということを三里塚の農民たちの闘いを通じて知った。

 論議されている有事法制が通過すれば「戦時」の際の土地収用が合法化される。立木に鎖で体を縛りつけ、機動隊に抵抗した三里塚の農民。有事法に対してはもはやそんな抵抗するすべもないだろう。

12月24日(火)晴れ

 タンタン・タタ・タンのカスタネット休日なので、朝から気がラク。夕方まで全力投球。4・30.退社後、クリスマスプレゼントを買いに途中下車。今年のイブは珍しく家で過ごす。
 クリスマスケーキにチキン、プレゼント交換。いつものクリスマス風景。
夜、年賀状作り。夜中まで。肩がこりこり。

12月23日(月)晴れ

 8時起床、燃えないゴミ出し。
 その後、音楽コーナーのお気に入りを入力。

 11・20、家族で映画館に。「犬夜叉 鏡の中の夢幻城」。いつもなら寝てしまうのだが、きょうは珍しく最後まで見ることができた。
 クライマックス、怒りのため、妖怪に変化しようとする犬夜叉を必死に止めようとするかごめ。暴走すれば二度と半妖に戻れない。「今のままでいい」ーーかごめの捨て身の願いで犬夜叉は妖怪に変化することを封じられる。憎しみより愛。愛の力を信じ、訴える製作者がいる日本のアニメは健全だ。道祖神の顔が「うる星やつら」の「錯乱坊」という隠れキャラサービスに含み笑い。

 3・00帰宅。夕方まで部屋掃除。いらない衣類などを思い切って捨てたら部屋の中スッキリ。今日は4分の1掃除。あとは明後日。年賀状も書かなくては。

12月22日(日)晴れ

 10・30起床。頼まれ仕事を午後3時過ぎまで。テレビ有馬記念を見るが、外れ。今年はほとんど競馬をやらなかったので、プラスのまま終了。

 夕方、思い立ってアナログ変換に再挑戦。今度は成功。サウンドデバイスがUSB入出力になっていなかったのだ。気がつけば簡単なこと。さっそくテープをデジタルに変換。しかし、ヒスノイズが多く、鑑賞に耐える音ではない。専用のノイズリダクションソフトが必要。書き込み時間も長いし、手間暇とカネがかかるものだ。

 休みの日に限って、うだうだと過ごしてしまう。もう少し有意義に過ごせないものか。
0・30就寝。

12月21日(土)雨

 夕方5・30まで一心不乱に仕事。こんなに精魂傾けて仕事をするのは1年のうち何回もないかも。

 午後1時過ぎに東京駅に田舎から友人が到着するというが、迎えに行く暇もない。外は雨。5・30、ようやく仕事にケリをつけ、秋葉原経由で帰宅。家人が娘と演奏会に出かけたので、下の子と留守番をしなければならない。食事会のお誘いもあったが、やむなく断る。

 アナログ音源からパソコンに取り込むアイー・オー・データのDAVOXなるハードを買ったので、喜び勇んでインストールする。しかし、音源を感知せず。前にも取り込みソフトで試したらできなかったので、今度こそと思ったのだがダメ。たぶん、パソコン本体のサウンド関係に問題があるんだと思う。2時間あまり設定をいじったり挌闘するも、ついに断念。肩が凝っただけ。パソコンのサポートセンターに電話するのは休み明け。それもいつつながるかわからないし。これで休みの間にカセットをCDに焼く計画はおじゃん。やっぱりパソコンはわからん。
 就寝前に黒木瞳が薄幸の誘拐犯を演じる「狼女の子守唄」の続きを見る。山崎洋子原作。ハナから結末が見えた三文芝居。NHKの大原誠初監督というので期待したが、まるでスカ。金久美子が回想の母親役で出演していた。

 石原慎太郎の「生理のあがったババァは世の中に不必要」発言に女性たちが提訴。石原という男は前にも重度身体障害者の施設を訪れた際、「この人たちに人格はあるのか」「この人たちに生きる資格はあるのか」と発言した過去がある。しょせん、その程度のオヤジ。文学者とは人間の死と生に対してもう少し崇高な理念を持つ人種だと思うのだが、石原という男はただのマッチョな坊ちゃんにすぎない。どこぞの大学教授の論文を引用しているだけだと言い逃れするのも見苦しい。共感したから引用したのでは。 しかも出典があいまい。その教授って誰?

 三島由紀夫が死ぬ前、雑誌社の企画で石原との対談を依頼されたが、「政治屋に堕した男と話すことはなにもない。いやしくも私は文学の人間だ」と対談を拒否したという。三島も好きじゃないが、石原慎太郎に対するこの「矜持」は好ましい。

12月20日(金)晴れ

 4・00PM、退社。
7・00PM、信濃町。文学座アトリエで「オナー」。

 高名な女性作家と文芸評論家の夫の、理想的とも思える結婚生活が一人の若く美しい編集者の出現でもろくも崩れ去っていく。よくある不倫・三角関係の物語と違うのは、それぞれが寛容と調和を求めようとする自立した人間ということ。舞台上に3人が同時に立って修羅場を演じる場面はなく、夫と妻、夫と愛人、妻と愛人、妻と娘…と、常に一対一で向き合い会話をする。小林勝也が感情を無理に押し殺したような奇妙なセリフ回しで笑いを誘う。

 愛人役の岡寛恵が知的で魅力的な編集者を好演。この女優さんを初めて見たのは99年の松本祐子演出「翔べない金糸雀の唄」だった。なんて素敵な女優さんがいるんだろうと心ときめいたが、「モンテクリスト伯」では精彩を欠き、役者はやっぱり演出次第と実感。今回のにおいたつような美人編集者の役はまさにはまり役。やっぱり岡寛恵っていい女優さんだ。

 中高年になってからの男性の不倫には人生の残り時間を意識した再生への衝動があるという。つまり、相手に対する愛だけではない「自分への愛」がそこにあるのかもしれない。不倫とは形を変えた自己愛なのか。とするならば、自己愛が強い人間ほど不倫に傾く…といえなくもない。

 隣りに座った第三エロチカの川村毅氏と開演前におしゃべり。来年、Tファクトリー・第三エロチカの公演が同時期にあるという。今は地方大学の講義のために週2泊3日で赴任する生活。
「授業中は私語が多いし、せっかく役を与えても、次の週には欠席したり、今の学生はどうしようもないですね」と呆れ顔。

 8・55終演。演劇評論家のM好氏と市ヶ谷まで一緒する。披露宴に出たのはいつだったか。彼も今では立派なお父さん。3歳と1歳半の2人。「こんど、”円”の子供劇場に上の子を連れて行きます。下のコももう劇場に連れてってるしね」
 英才教育?
 10・30帰宅。二日連チャンで、疲労もピーク。日記も書けずに就寝。

12月19日(木)曇り時々雨

 朝、電車の中でうたた寝。一つ駅を乗り越してしまい、あわてて飛び降り、向側のホームに入ってきた電車に走り込むと車内に消毒薬の匂いが充満している。どうしたんだろう。

 消毒薬の匂いをかぐと、田舎の病院を思い出す。小学校2年の時に急性気管支炎で1カ月くらい入院した。本人には自覚症状がないので、入院がいやだったが、「漫画の本を買ってあげるから」と説得されて渋々入院したのだった。当時読んでいたのは「日の丸」という漫画雑誌で、戦記ものが主流の漫画だった。その中のひとつに中国戦線を舞台に日本軍が活躍する漫画があった。八路軍が悪役で、中国人スパイ娘が日本兵をだまして、井戸の中に毒を入れる場面、青竜刀と日本刀の斬り合いなど、今でもハッキリ思い出すことができる。今思えばアメリカの対ソ戦略から、逆コースを歩ませられる日本の状況を象徴するような”反動的”なマンガ雑誌だったのか…。

 長い廊下、広い階段、その階段の上から、ピストルで発射させるパラシュートを落下させたり、病院は格好の遊び場だった。

 ある日、大きな地震があった。同室のおばさんが、ちょうどスルメを焼いていて、そのスルメを手に持ったまま外に飛び出したのがおかしいと、母は事あるごとに「スルメのおばさん」のことを話題に上らせたものだ。おばさんには娘がいて、私より少し上だった。20数年前に、近所にその時の娘さんが嫁いできたが、そのすぐあとで、おばさんが亡くなったということを聞いた。夏祭りの夜、嫁いで行く娘さんと肩を並べて、神社の境内で神楽舞を見ている中学生の私。消毒薬の匂いが、さまざまな記憶を呼び戻す。

 今は別な場所に病院が移転し、元の病院の建物はそのまま残っている。廃屋と化しているのだろうか。今でもあの病院のどこかに、ぽつねんとマンガを読みふけっている自分がいるような気がする。

 4・20PM。仕事を終えて、K記念病院へ。やや待たされて、5・30終了。その足で渋谷へ。回転寿司で腹ごしらえ。外国人のグループがいて、いなり寿司ばかり注文している。この前入った歌舞伎町の店でも、香港から来たという旅行者がいなり寿司ばかり注文していた。外国人の口にはいなり寿司が合うのか?

 7・00PM、パルコ劇場でメール・ドラマ「フレンズ」。北海道・栗山町に住むOL(斎藤由貴)と、東京でスタイリストを目指しているフリーター女性(七瀬なつみ)。2人は高校の同級生。偶然、年賀状に印刷してあったメールアドレスがきっかけで、メールのやり取りをするようになるが、OLの恋人をめぐって思わぬ方向に物語が転がっていく。スライドで映し出される北海道の景色が素晴らしい。去年の初演と同じく、崎谷健次郎が舞台後方で生演奏。去年、ハマッた「ラブイズ…ビューティフル」はやはり何度聴いてもいい。今回はパンフにCDのおまけがないので残念。
 9・15終演。埼京線経由で帰宅。疲れてしまい、パソコンに向かう気力減退。そのまま就寝。

12月18日(水)晴れ

 午前中、早めに起きて仕事。3・00PM、歯医者へ。定期検診終了。次は6月。帰宅して、カセットテープをMP3に落とそうとするも録音できず。ソフトのせいかハードのせいか。しばらくいじるも断念。
 夕方、子供とランニング。息切れ。ここ2、3年で体力がガクンと落ちたことを実感する。運動しなきゃ…。

12月17日(火)晴れ

 次第に社内に張り詰める年末態勢の緊張感。通常の仕事を終えて、午後から年末用の仕事に切り替え。

 日記を書く場合、個人のプライバシーを考えて、なるべくイニシャルにしたりしている。検索に引っかからないよう、配慮してるつもり。

 問題がありそうな場合は、まず、公開の日記には書かないわけだし。ただ、イニシャルにしたとき、後で読み返して「あれ?この人誰だっけ」と首をひねることがあるのが、たまにキズ。

 昔々の日記を調べていると、後で名前を入れようとしたのか、誰かに読まれるとまずいと判断したのか、空欄になっていることがある。「××とどこそこに行って、どうのこうの…」。しかし、それが誰なのかまったくおぼえていないことがあって、ノドに小骨が刺さったようなもどかしさを感じることがしばしば。

 20年も前ならまだしも、この前など、たまたま去年の日記を見ていたらイニシャル表記の人が誰だったかわからなくなっていた。ちょいボケ?
 大丈夫かいな。

 7・00PM、下北沢・本多劇場で竹中直人の会「月光のつゝしみ」。桃井かおり、坂井真紀、篠原ともえ、北村一輝出演。姉と弟の不可思議な関係を軸に、幼なじみ夫婦と弟の妻たちの微妙な人間関係のズレを描いた岩松了の作品。タレントが多いためか、客席の顔ぶれもいつもの小劇場芝居の客と若干違う。業界関係者が多いみたい。ロビーは花の山。

 9・00終演。ロビーでI井久美子さんに挨拶。俳優のS木氏と一緒。「いいでしょう、彼。今、なんとか売り出そうと考えているんです」
「父も日曜の忘年会に行ったそうですよ。また、うるさくして皆さんに迷惑かけたんじゃないかしら」
 I井社長も三崎口に行ってたのか。ついに今年はご一緒する機会がなかった。場を盛り上げてくれるし、周りに気を遣うから好きなんだけど。

 埼京線経由。新宿から各駅電車に乗ったら超満員。池袋で降りる人が多いのだが、池袋までなら山手線を使えばいいと思うが、ノンストップだから速いと考える人が多いのか。

 近くに立っている23、24くらいの女性と目が合う。清楚な中にも凛とした顔立ちの美形。なんとなく胸がときめく。次々と乗客が降りて、車内もすいてくる。ドアのガラスに映る横顔が儚げで、いい。

「雪でした あなたのあとを なんとなくついてゆきたかった♪」

 拓郎の歌を思い出す。遠い少年の日なら、憧れただろうなぁ、こんな清楚なおねえさんに。
 などとボーッとしてるうちに、彼女はT田公園駅で降りて行ってしまった。わずか25分間の恋。後姿を見送る胸は失恋したようにかすかに痛い。
「…だって毎日電車に乗っても 違う女の子に目移りばかり♪」
 拓郎の「高円寺」。男ってどこでも恋をする。いくつになっても。困ったもんだ…。

 東京書籍の中学教科書で新潟県・中里村の「雪国はつらつ条例」を「雪国はつらいよ条例」と誤記していたという。確かに間違えやすい表記ではあるけど、あんまりな誤植ではある。「男はつらいよ」を「男はつらつ」と誤記したようなもの。こっちのミスなら、なんとなく元気が出そうだけど。

12月16日(月)晴れ

  レギュラー仕事順調。午後から別仕事に着手。M田さんから電話。まだ三崎半島とか。マキさんのことを話すと「それは困ったね」と絶句。「なんとかお願いできないかなあ」と思案投げ首。4・20退社。夕食も早々にピアノ教室へ。8・00帰宅。NHKの脚本家・大原誠が初監督したというテレビドラマ「狼女の子守唄」を見ようと思ったが途中からになってしまい、断念。
 10・00、M田さんから電話。「見込みはないだろうか」と。

 イージス艦インド洋へ出港。憲法が禁じる、広域暴力団同士の互助会ともいうべき集団的安全保障に抵触するのは明らか。ましてやイージス艦は世界最新鋭のハイテク艦。同時に10個の標的物を追尾・迎撃できるという能力を持っている。アメリカ以外ではスペインと日本だけしか配備されていない。イージス艦派遣はいってみれば、10万円の借金の取りたてをするために、戦車にボブ・サップを乗せて玄関に横付けするようなもの。自衛というよりはハナから挑発・攻撃を目的としているわけで…。

 灼熱のインド洋に派遣される自衛隊員こそいい迷惑。彼らを追い詰めて反イラク・親米感情と、これだけ頑張ってるのに”継子扱い”するマスコミ・市民への憎しみを醸成するのが上層部の狙いの一つか。”戦死者”が出れば、それこそ大喜びで軍神に祀り上げるだろう。英霊の誕生の前に人々は沈黙する。それが軍国ニッポン復活の日となる。結末の見えた三文芝居。
 アメリカのイージス艦「カーティス・ウィルバー」の船首に「ご武運をお祈りします」という日本語の垂れ幕。自衛隊は米軍の傭兵扱いってことがよくわかる。戦後のイラク統治はもっともよく成功した日本統治にならうべしとの意見がアメリカにあるというが、しょせん、日本はアメリカにとって「敗戦後の統治に成功した例」にすぎないのだろう。

12月15日(日)晴れ

 日曜出勤。しかし、昨日のうちにほぼカタがついているので、朝寝して8時起床。駅前のコーヒーショップでモーニングを食べてから悠々出社。電車の中で昨日録音したFMシアタ−「ロボキッド」を聴く。漫画家・ひさうちみちおの作。手塚治虫の火の鳥を思わせる不条理でシュールな家庭劇。久しぶりにドラマらしいドラマを聴いたような気がする。

 9・30会社着。
仕事に取り掛かり、午後1時過ぎには終了。昼過ぎにマキさんから電話が入るも不在のためかけ直すと、通話中。そのまま、雑事にかまけて電話を怠っていたが、4・00過ぎに再び電話すると「FAXご覧になりました?」といつものはじけるような笑い声が消えて陰鬱な声。あわててFAXを取って来て読む。なんと、発信は今朝方。

 緊急、と書いたFAXには昨日の件を白紙に戻してほしいとの連絡。理由は察しがつく。昨日も来年はすべてのスケジュールを白紙にしていると言ってたが、やはり2月だけは例外にできなかったようだ。「昨夜から一睡もしてないんです」とかすれた声。残念だが、無理強いするわけにもいかないし、人一倍プライドの高い彼女が謝りの電話をしてくるというのはよほどのこと。シーザーとの30年ぶりの”共演”も幻に終わってしまった。一夜だけの夢だったか。
 しかし、そんな個人的な感傷よりも、マキさんのこれからのことが大事。とりあえず暮れのライブを成功させてほしい。

 M田さんに電話するもすでに電車の中。三崎海岸忘年会に行ってるKさんに何度か電話するがつかまらず。

6・00、新宿・歌舞伎町へ。クラブハイツでハイレグ・ジーザスのラストショー。6・30に入場。グランドキャバレーなるものに初めて足を踏み入れた。客席は昔の日活映画に出てくるようなソファが並び、ステージがはるか彼方に小さく見えるほど広い。

 開演を待つ間、ビッグバンドの演奏とハイレグメンバーがホスト・ホステスになって客席サービス。ドリンクコーナーには長蛇の列。ビールを飲みながら開演を待つというのは初めての体験。
 後方客席に劇団☆新感線のいのうえ氏と高田聖子ちゃんがいたので挨拶。今日は新感線のACTシアター公演はマチネだけか?

 思えば、5年前の代々木・フジタヴァンテでのハイレグ公演を見に行った帰り、電車の中で、いのうえ氏が「初めて見たけど、むちゃくちゃなやつらですね。でも、東京に来て芝居を見て笑ったのは初めて」と言っていた。それを翌日、河原雅彦氏に電話で言うと「うわぁー、新感線なんて雲の上の人たちです。いのうえさんがそんなこと言ってたとはすごくうれしい」と感激していた。

 その後、両者は急接近、河原氏も俳優、タレントとして売れ始め、トントン拍子に出世街道まっしぐら。人気女優のTと週刊誌をにぎわすことになるとは予想もしなかった。当時、高田聖子ちゃんにハイレグの話しを振ったら「賛同はするけど参加はしたくない」という名台詞が飛び出したことも懐かしい。
 開演の7・30には客席は満席。補助席まで出る盛況ぶり。ふだんのグランドキャバレーのショーでもこんなに席は埋まらないだろう。

 7・30、男性陣はタキシード、女性陣は真っ白なドレスというきらびやかなコスチュムーに身を包んだメンバーが登場。客席通路から総代・河原氏登場。トレードマークの目の下の☆がキラリ。「極楽とんぼは20万払って保釈されたそうです。2人で40万。我々は17人。いくらになるんだ?」

 それから10時までの2時間半、合い言葉の「エロ・バカ・ショック」を最後まで貫徹したショーが繰り広げられたのだった。前のボックス席に座っていた松金よね子と藤井びんも毒気に当てられ、ただただ笑うだけ。まさに阿鼻叫喚の地獄絵図。極楽とんぼのチン列事件などハイレグに比べれば児戯に等しい。エロ度もそうだが、25万円かけて作った水槽に、25万円分の納豆を入れて、その中で全裸入浴、おまけにしょうゆ、カラシ、マヨネーズを次々にぶちまけるというあまりにもバカバカしい見世物には場内絶句。これなど、おとなしいもので、これ以上はとても活字にできないので割愛。

歌舞伎町2002 とにかく、最後の最後まで天真爛漫なナンセンスに徹したハイレグ=河原の心意気や良し。終演後、河原氏に挨拶。「どうもありがとうございました。最後まで…」と河原氏。警察沙汰にならなければいいが…。
 コマの横を通りぬけて新宿駅にダッシュ。しかし、日曜の夜というのに、歌舞伎町は若い連中があふれかえり、ストリートミュージシャンの演奏に通行人が群がる。まるでお祭り騒ぎ。この喧騒は信じられない。まさに不夜城・新宿。埼京線回りで帰宅。所用時間50分。やはり早い。

12月14日(土)晴れ

 7・00AM〜1・00PM、会社で仕事。

 10・30、映画評論家のM田政男氏から電話。来年2月にある埴谷雄高七回忌イベントにA川マキさんを呼びたいということで、出演依頼をしてくれないかとのこと。埴谷雄高の単行本にマキさんが登場するエッセイもあり、マキさんも埴谷雄高の作品にインスパイアされた曲を作っている。アンドロメダ忌にマキ登場。なかなかいい。「話しておきます」と電話を置く。

 2・00〜5・00、青山円形劇場で白井晃+高泉淳子の「ア・ラ・カルト」。今年から遊◎機械/全自動シアターの名前が消え、青山円形劇場プロデュース。今年のゲストは山崎一。低音のナレーションが意外にいい。ペギー富岡ほか白井、高泉、陰山泰が演じるキャラクターが今年も活躍する。いつものシチュエーションのいつものお話。こうして暮れになると白井晃と高泉淳子の歌とおしゃべり、そしてスケッチふう舞台を見て14年。舞台の登場人物は変わらないけど、みんな確実に年を重ねていく。白井晃は来年「オケピ!」の主役。役者は日々進化するけど、観客はいつまでも観客のまま年をとっていく。いつまでこの暮れの定番を見続けられるだろうか。

 5・30、帰社し、明日のウォーミングアップ代わりに軽い仕事を片付けようと思ったが、M田さんの依頼の件を済ませようとマキさんに電話。2コールでマキさんが出る。「あらぁ、○○さん、すぐに声でわかっちゃったわ」と上機嫌。

 用件を切り出すと「一言で言えば光栄です」と。8・00まで埴谷雄高氏とのエピソードなどを散りばめ、2時間の長電話。やや疲労。9・00に帰宅。途中、M田氏に電話してマキさんの伝言を。「そうですか。それはありがたい」とホッとしたようなM田さんの声。PAはシーザーが担当する。マキさんとシーザーの顔合わせ、これもすごいことだ。夕食後、M田さんからイベントの参考資料をFAXで。それにしても、10代の頃に雲の上の人だった二人の偉大な先達の橋渡し役をやることになるとは…。

 明日はM田さんも参加する三崎海岸での温泉主義ストーンズ忘年会。13人ほど集まるとか。そういえば、今年はついに一度も温泉主義の活動がなかった。
 去年行った玉川温泉が毎日新聞・佐藤記者のがん闘病記でクローズアップされている。鶴の湯に行くついでに行った玉川温泉が、あんなにも厳粛ながん患者の聖地だったとは知らなかった。

 ミュージカル制作のH・Dから今年もユニークなお歳暮。腰の高さほどもあるサボテン。
さて、明日は日曜出勤。早めに寝よう。

12月13日(金)晴れ

 昨日、ネット書店で買った「ネコでもわかる?有事法制」を電車の中で読みながら出勤。

 戦時中に馬が徴発されて戦地に連れて行かれたのは知っていたが、犬、ネコ、ウサギまでが国をあげての供出運動の犠牲になって、撲殺され毛皮を取られたということは知らなかった。

 新聞には新しい副業として「家猫の飼育法・毛皮は外套の裏地」と広告されている。八王子警察署「八王子翼賛壮年団」の回覧板には「私達は勝つために犬の特別攻撃隊を作って体当たりさせて立派な忠犬にしてやりませう。犬は重要な軍需品として立派なお役にたちます」とある。もっともらしく「狂犬病の予防のため」と一文が添えられているが、飼い犬を強制的に供出させる口実に使われているのは明らかだ。

 飼い犬、野良犬を含む根こそぎ徴発のウラには「この非常時に、人が飢えているのに犬猫にエサをやる必要があるのか」という国家の意思があった。後に、動物園の象やライオンが毒殺されたり餓死させられたのも、食糧事情の悪化とともに、こんな動物を殺さなくてはならないのはすべて敵国アメリカのせいだ、という敵愾心を国民に植え付けるのが目的だったとは、野坂昭如の戦争童話にも書かれていた。

 ネコの供出受領証にはこうあった。

「受領証 蓄猫一匹 右軍需用毛皮供出として正に受領候也 ○○市長××××」

 町役場に連れて行ったネコは飼い主の目の前で水を張ったドラムカンに入れてフタをされ水死させられたという。根室では白鳥を皆殺しにして羽毛を供出せよとの軍命令があり、村長は猟師に呼びかけ、数千羽の白鳥を射殺したという。その村長はむごい光景が忘れられず、戦後、白鳥の慰霊碑を建てた。

 動物園の象だけでなく、全国の動物が戦争の犠牲となった。外地に連れて行かれた馬も犬もは戦後、置き去りにされるか射殺され、一頭も帰ってくることはなかった。その馬を扱う兵隊は軍隊の中で差別され、馬以下の扱いだったというのも哀しい話だ。馬を扱うには心のやさしい兵隊でなけれなならなかったからか。「一銭5厘のハガキ一枚でかり出されたお前らよりも、馬は何百円もするんだ」とののしられイジメられたと、当時の兵隊だった老人が回顧する。すべての馬は軍籍に入り、「脱走」など許されない。

 管理・統治するには人間も馬も戸籍を作って管理するのが一番というのが国家の考え。それは現代の「改正住民基本台帳法」の目的でもある。

 こうした戦時中の国家総動員体制の歪みから、現在の有事法制の問題点を解き起こしたこの本、たしかに「イヌでもわかる」有事法制解説本といえる。

 4・00PM、K記念病院で鍼治療。おととい、その前の二日間、ほとんど治ったのではと思うくらい好調だったが、昨日からまた耳鳴りが出始め、今日も不調。波がある。

 6・00帰宅。クリスマスプレゼント用に今日発売されたゼルダの新ソフトを買ってくる。ディスクシステム版ゼルダの伝説にハマっていたのはもう十数年前か。仮想世界のことなのに不思議とゲームの中の風景が懐かしくなるのはなぜだろう。

12月12日(木)晴れ

 朝、早起きしてあんこう鍋を作り朝食。昨日買ってきたパックを煮ただけだが、昨夜から「朝に食べないと悪くなってしまう」と気になっていたのだった。4時過ぎから何度も目が覚めてしまい、あんこう鍋のおかげで寝不足気味。

 年末進行であわただしい一日。4・30PM退社。

 7・00、新宿紀伊國屋サザンシアターで燐光群「阿部定と睦夫」。”八墓村”で有名な岡山の津山三十人殺しの犯人が同時代の”毒婦”阿部定にシンパシーを抱いていたという史実をもとにしたフィクション。犯人・睦夫の犯行へと向かう心の軌跡を阿部定との出会いから解き起こす。阿部定役の石田えり、なんだか平板な演技。スランプか? 神野三鈴の演技が際立つ。

 9・25終演。最近はやりの、繰り返される意味のないカーテンコールをやらないのは坂手洋二の見識か。坂手氏に挨拶してM新聞Tさんと一緒に駅まで。埼京線経由で家路に。電車の中でTさんと芝居の話。「今年のベストワン決めました?」とTさん。「いい舞台が多かったですね、今年は。永井愛さんの新明暗かな?」「いいですね。でも、毎年永井さんだからなぁ。でも、毎回作風も変えてるし…彼女はすごいですね」
「そうですよね」

 池袋でTさん下車。10・25降車駅着。所要時間45分。乗り継ぎがよかったせいもあるが、埼京線経由のほうがいつものコースより40分以上も速い。遠回りに感じていたがそうでもなかったのか。次回から帰宅ルートを再検討しなくては。

 帰宅してお風呂。シャワーのお湯が出なくなり、冷たい水に。電気温水器なので前日の使用湯量の関係でめったにないが、たまにこんなことが起きる。仕方なく、湯船のお湯で洗髪。人が入った湯船のお湯を使うのは抵抗があるが、思えば、シャワーのない昔はみんなそうだった。シャワーというものを使い始めたのは高校に入って銭湯に行ってからだ。ゼイタクなことをしていると思った。それが今ではシャワーなんて当たり前。使えなくなって知るシャワーの恩。今では当たり前に思ってることも、昔の生活から見ればずいぶんゼイタク。昔といってもつい20年前のことだが…。
12月11日(水)晴れ

 昼から歯医者の定期検診。その後、郵便局、銀行を回り、レンタル倉庫からデロンギのヒーターを出してくる。さすがに娘の部屋に暖房が必要だろう。自転車の後ろに乗せると重いので、荷台がたわむ。落とすと危ないので、てくてくと自転車を引っ張りながらマンションへ。
 
 タワーレコードでMAYA「シーズ・サムシング」とドーリスの「ひとりごとみたいにアイシテタ」を買う。MAYAは視聴できず。懸念したとおり、凡庸なジャズ・ボサノバ。イマイチ。ドーリスは際立った個性ではないが、遊び心があり、いい感じ。エクストラトラックのムービーデータキャラクターもオシャレ。

 夕方、病院でインフルエンザの予防接種。4000円。ダイエーでファイルノートを購入。80枚のファイルで800円。帰宅して芝居のチラシを整理。1冊で160枚のチラシがファイルできる。1年間で約1000種のチラシが撒かれるとして、7冊もあれば1年分のチラシが整理できる。レンタル倉庫に保管してある20年分のチラシを整理・ファイルしたとして、140冊のファイル帳が必要。ウーム、気が遠くなる作業だ…。暮れになるとむしょうに部屋の整理がしたくなる。挫折するのは目に見えているのだけど。
 さて、今日は予防注射後で風呂にも入れず。早めに寝よう。

12月10日(火)晴れ

 年末の仕事の忙しさに向けてウォーミングアップ状態。これから助走をつけて年末を乗り切らなくては。

 4・00PM、銀座5丁目のK珈琲店でRさん、プロデューサーのK氏と待ち合わせ。5・30までおしゃべり。CDの宣材写真よりもはるかに美形でキュートなRさん。ふんわり・のんびりとした不思議系。会話に笑いが絶えず。心が和む。

 6・00、高速下の定食屋ですきやき定食780円。これが甘すぎて食べられたもんじゃない。こんなにまずいすきやき定食初めて。

 7・00、ル テアトル銀座で「ゴースト〜ニューヨークの幻〜」。元宝塚の愛華みれ、舞台初出演の沢村一樹、佐藤オリエ、若松武史、羽場裕一、海津義孝といった布陣。映画を世界で初めて舞台化したというふれ込み。なるほど、ストーリー展開、壁抜け、空中浮遊と脚本も演出も遜色ない。時間も休憩15分入れて2時間15分。しかし、客席は半分の入り。なぜだ? 公演数が多いとはいえ、2日目でこれでは…。もう少し入ってもいいと思うが。
ウエストサイド
劇場前にジョージ・チャキリスのブロンズ像。ウエストサイドストーリーの宣伝。

 山野楽器店隣りに大きなクリスマスツリー。昼、会社あてにFAXをもらったので、そのお礼のをAMさんに。暮れのライブの話などで長話。歩道で40分。電話を切って地下に入ろうとしたら10・00の時報。

 11・00帰宅。昨日、今日と不思議に耳鳴りがほとんどしない。鍼を休んでいるのに。耳鳴りがしないのがこんなに快適とは。
 夕方、家族そろってインフルエンザの予防接種を受けたとかで、珍しく早寝している。0・15、HP更新して就寝。

12月9日(月)雪

 燃えないゴミの日なので、空き缶を集積場に運ぼうとマンションのドアを開けたとたん、寒風とともに白いものが吹き込む。見ると、外は真っ白な雪景色。
「積もるかな?」
 しかし、外に出てみると、重たい雨雪。気温が低い夜明け前でさえすでに地面はびしょ濡れ。「これじゃ、かまくらを作るのは無理だな……」
 交通機関がズタズタになるであろう今日一日の不便を思うより、まず子供たちが喜ぶような大きなかまくらが作れたら、などと考える不遜。
 部屋に戻り、カーテン越しに真っ暗な高架線を見る。電車は動いているだろうかと不安になる。

 5・40、傘をさして駅に向う。やはり地面はシャーベット状態。
 いつもより乗客が多いのは、雪を見越して早めに出勤する人が多いためか。途中駅で始発に乗り換えるも、席取りの競争率がいつもの1・5倍。

 10・00AM、フォークシンガーのRさんから電話。明日の件。初めてナマ声を聞く。舌足らずな関西弁というのがおかしい。関西弁というのは歯切れがいいと思っていたが……。

 続いて、GMPの担当者からメールが入ったので電話。夕方、ライブの前に会うことにする。
 
雪降りやまず。
 ふと、寺山修司の短歌を思い出す。

降りながら みづから亡(ほろ)ぶ 雪のなか 祖父(おおちち)の瞠(み)し 神をわが見ず

 「マッチする つかのま海にーー」と並ぶ寺山の”祖国”をうたった代表作。

4・00PM、初台のライブハウス「ドアーズ」へ。24日のアンチクリスマスライブのことでPNT氏に電話すると「今沖縄にいるんです。ひめゆりの塔の下…」という声。反響しているのは地下にいるからか。「明日帰る予定。でも、雪で飛行機が飛ぶかどうか…」
 沖縄からでも声がクリアなのにビックリ。当たり前か? PNTさんはいつもやさしい。
「じゃあ、帰ってきてからまた電話します」とケイタイを切って、ドアーズの階段を下りる。

 他バンドも含め、1時間ほどリハーサルを見学。その後、GMPの宣伝担当者Kさん、ボーカル、リーダーの4人で喫茶店へ。40分くらい、お茶を飲みながらお話。リーダーは「音楽やってる人たちとはあまり話が合わないんです」という。太宰、三島が好きとか。なるほど、GMPのあの耽美世界の一端は、そこからきていたのか。

 ボーカル、Tさん、どんな女の子かと思ったら、イメージ通りの快活な女性。将来の大器の予感。

 ライブは7時過ぎから。雪のせいもあるのか、最初のバンドの演奏事にはぱらぱらと数えるほどの客。次第に増えるが、それでも3番手のGMPのときでも満員とまではいかず。4組出演していても集客は苦しいようだ。

 8時の予定だったが、前のバンドがおして、15分遅れでスタート。CDを聴いて、GMPはライブの方がもっといいだろうと思っていたが、予想以上の素晴らしさ。MCの時の祈るようなTさんのパフォーマンスが不思議な効果を出している。ここ何日もずっと聞き続けた曲ばかりだが、飽きないどころか、ライブで見ると実に新鮮。至福の40分。いやー、GMPってホントにいい。

 9・10PM、終演後、リーダー・K氏に挨拶。「また遊びに来て下さい」と気さくな彼。
 雪はやんでいるが、風は冷たい。しかし、今のライブで心はホット。
 10・30帰宅。

12月8日(日)晴れ時々雨

 正午過ぎに起きて、朝食兼昼食。子供と「DOIT」へ行き、鋼材や銀テープなどを買ってくる。手足につけるトレーニング用のオモリを作ろうとしたのだ。しかし、うまくいかず、結局スポーツ店で出来合いの器具を買ってくることに。砂鉄のようなものを使っているので手足に柔らかフィット。子供って、こんなトレーニング器具が好きなんだな。星飛雄馬も大リーグ養成ギブスをつけてたし…。

 貸し倉庫からクリスマスツリーを出してくる。外は身を切るような寒さ。治ったと思った風邪がまたぶりかえしたのか、急に腹痛と頭痛。今年の風邪はずいぶんしつこいようだ。

 夕食後、ビデオで家城巳代治監督の名作「雲ながるる果てに」を見る。特攻基地で待機する特攻隊員たちの青春群像。職業軍人からは「おまえらは雇い兵だ。大学で自由主義が身にしみ付いたやつは特攻しか使い道がない」とののしられ、軍の高官らは、「今回の出撃では2割しか敵艦に命中しとらんぞ、まだまだひよっこだな、ま、代わりはいくらでもいる」と陰で冷笑される学徒出身の特攻隊員たち。

「悠久の大義のためにオレは死ねる」と純真に特攻精神を論じる隊員(鶴田浩二)と、戦争に疑問を持ちながら特攻に志願した友人(木村功)の葛藤。それも出撃の朝の雲の谷間に消えていく。「必死必殺」のカミカゼ特攻。志願しながらも悩み・もがきながら従容と死に向かった若者たちの生ある日々を描き切った日本映画の名作。30年前に銀座・並木座で見た記憶があるが、ビデオで撮っていながら、見る機会をなくしたまま棚に飾ってあった。

 しかし…純粋な若者を死地に送り出した連中の戦後の栄耀栄華、腐敗堕落ぶりを見れば、戦争の本質がわかろうというもの。いつだって死ぬのは若者。その陰でほくそえむ連中がいる。

12月7日(土)雨

 朝から雨。風邪による症状も治まりつつある。

 体調がいいと仕事もはかどる。午前中で仕事を片付け、2・00PM、中野ザ・ポケットでピンクアメーバ「マスタード・ケチャップ」。客席は8割の入り。受付にはいつものように役者のY田さん。出演前の役者が受付・案内をするというのは小劇場第2世代の系譜に連なるストレイ・ドッグの伝統。主宰の永元絵里子に挨拶。

 絵描きの青年の妄想が生み出す奇妙な物語。しかし…物語の中心がまったく見えてこない。2時間の長いこと。終演後、Y田さんと立ち話。「来年6月に劇団として独立するんです」。今は劇団内ユニットだが、別劇団として独立するとのこと。今でもストレイドッグを辞めた役者たちが多いし、劇団の分裂・分派は難しい。円満退社は別にして、分裂した劇団の骨肉の争いはすさまじいものがあることが多いし…。

 5・00PM、会社に戻り雑事。

 7・00PM、ベニサン・ピットで流山児★事務所「盟三五大切」。主演が元宝塚女優の中村音子だからだろう、流山児の芝居には珍しく、客席には宝塚時代からのおっかけとおぼしきおばさん連中が多い。

 鶴屋南北の裏忠臣蔵ともいうべき、凄惨なピカレスク時代劇。義士の列に加わるべく、盗難にあった百両の金を工面する源五兵衛、実は不破数右衛門。しかし、その金を狙い情婦・小万とともに色仕掛けで源五兵衛を篭絡する三五郎。彼こそ、数右衛門の家臣で金策に走り回る忠臣・了心の息子。勘当の身のゆえ、数右衛門の顔を知らないことから連鎖していく悲劇。裏切られたことを知った数右衛門が悪鬼となって殺人を繰り広げる後段のすさまじさ。

 もともとは3時間半もの長い歌舞伎だが、それを2時間に短縮。歌入り音楽劇に。ただ、あまりにもテンポが速すぎて、狂っていく数右衛門の心理の航跡を描くのが不十分。小万の赤子を小万に握らせた刀で刺し殺すという残虐なシーンもそれ以前の「タメ」がないので、迫力に欠ける。総じてテンポのよさが逆に芝居の求心力を弱めてしまったようだ。つまり、軽すぎる。

 それは、小万を演じる中村音子の演技の軽さでもある。男を狂わす悪女に見えない、そのへんのはすっぱな女にしか見えない。源五兵衛役の若杉も荷が重過ぎる。辛うじて三五郎役の山本亨が救い。井沢希旨子がお岩の扮装で物語の狂言回し。ただ、今回は歌もいまひとつ舞台に合っていない。

 帰りしな、流山児と立ち話。開演の群衆殺陣シーンで井上陽水の「星のフラメンコ」を使っているのだが、最初は彼が歌うつもりだったらしい。「でも、楽日には自分で歌うかもしれませんよ」とニッコリ。

10・30帰宅。体調がいいと、つい夜更かしをしてしまう。2・00AM就寝。

12月6日(金)晴れ

 昼、銀座旭屋に行き、ジムノペディが紹介されているというので、「オーリーガールズ」なる雑誌を店員に頼んで探してもらう。音楽雑誌と思いきや、ティーンズ向けのオシャレなファッション誌。「これですか?」と言われて、ちょっとだけ恥ずかしかった。大野晋著「日本語はいかにして成立したか」とともにレジに。
 
 そろそろ年末の仕事がたてこんでくる頃。あわただしい一日。PM4退社。
 以前から楽しみにしていたパブリックシアターの野村萬斎+伊藤キムのコラボレーションは家庭の事情でやむなくキャンセル。早めの帰宅。今日一日だけのイベントなので残念なことこの上ない。

12月5日(木)晴れ

 今朝も夢を見ていた。

 20数年前に目の前から消えた人。その人の家に空き部屋があるというので、なぜか私が住んでいる。外では白いライオンがうろつき、いつ家の中に入ってくるか気が気ではない。そのうち一頭が裏口から入ってきたので、子供と一緒になって防戦する。ライオンは諦めたようだ。

 いつのまにか、いちご畑に立っていて、花が咲く道を誰かが歩いてくる。振り返ると、20数年ぶりのその人。初めは顔が見えないのだが、後ろから追い抜いた彼女が振り返る。笑顔だ。しかし、声は聞えないが、ここは私の家だと主張している。白いワンピース姿。よく見るとお腹のあたりがふくらんでいる。「そうか赤ん坊がいるんだ」
 そう思ったとたん、「4人目なの」と彼女が言う。ということは今3人子供がいるということか、などと計算している私。

 20数年経っても夢の中で出てくるときはなぜか顔が見えない。こんなにハッキリと顔を見たのは久しぶりだ。立ちすくむその人を見て、もうこの家にはいられないんだなと思ったところで目が覚めた。再び眠りに落ちるとさっきの続き。しかし、もうその人は出てこない。朝まで断続的に夢の続き。
 
 体が弱っている証拠だろうか。

 佐藤春夫の詩にあった。
 
「わが病 古びし恋を嘆くこと 生まれし国を恥ずること…盃とれば酔い覚めの悲しさを思うこと」

 PM4退社。西山水木さん演出の「烏賊ホテル」をキャンセルして帰宅。9時からピアノ教室の送迎があるため。相変わらず風邪は改善しない。ノドにまた違和感。

 テロ対策支援法に基き、インド洋へ自衛隊のイージス艦を派遣することが政府決定された。

「ママ、今の演説でよかった?」と選挙のときに演台から降りて母親に駆け寄ったという逸話の持ち主、軍事オタクのお坊ちゃん二世議員・石破防衛庁長官。彼にとってイージス艦は格好のオモチャなんだろう。
「せっかく最新鋭の設備があるのに使わなきゃ宝の持ち腐れ」と言ったとか。兵器があると使いたくなるのが軍人や政治家の習い。

 民話の「瓜子姫とあまんじゃく」は、おじいさんの留守に瓜子を狙ったあまんじゃくが、あの手この手で家に押し入ろうとする。

「ねぇ、瓜子。指が入るくらい開けてもらえないかな」
 瓜子が根負けして開けると、

「瓜子、手が入るくらい開けてもらえないかな」

「瓜子、足が入るくらい開けてもらえないかな」

「瓜子、頭が入るくらい開けてもらえないかな」

 次第にエスカレートして、あまんじゃくは家に入ることに成功。瓜子を頭からカブリと食べましたとさ。

 今の自衛隊の動きを見ると、この瓜子姫とあまんじゃくを思い出してしまう。

「自衛隊は専守防衛。海外には派兵しません」

「国際的な信義のために海外活動は当然だ」

「テロと戦うには血を流すこともやむをえない」

「イージス艦派遣は集団的自衛権の行使にあたらない」

 そのうち、開き直って、「国民の生命・財産を守るため」に「戦争してどこがいけないんだ」となるのは火を見るより明らか。
 民話の瓜子姫はカラスの機知で助かったが、平和憲法を破り捨てたら、あとは軍事国家に一瀉千里。決してハッピーエンドにはならない。

 戦争オタクの連中は、二言目には「日本人は平和ボケ」と言うが、日本に戦争がない状態が続いて、たかだか57年。57年前に、オギャアと生まれた人が戦争を知らないまま一生を終えるのにはまだ半世紀もかかるのだ。世界の歴史は戦争の幕間に平和があったようなもの。「戦争を知らない子供たち」は「戦争を知らない老人たち」になれるだろうか…。

 11・00PM、ピアノ教室から帰宅。就寝。

12月4日(水)雨

 亡くなった母の夢を見ていた。

 生前と変わらない元気そうな顔で、湘南かどこか、海辺の町に住んでいるという。父は私と別の家に住んでいる。母に会いに行こうと思い、バスに乗る。途中で花を買おうと思い、花屋に入ると、知り合いの女優NMさんが、背の高いピンク色の花を「これがいいんじゃない?」と花束にしてくれる。しかし、なかなか花束ができずにもどかしく思っている。電車を乗り継ぐが途中、枝分かれしていて、目指す駅までなかなかたどり着けない。いつになったら海の見える町に着くのだろう、そう思っているうちに目が覚めた。
 めったに母の夢は見ないのだが、どうしたことか。

 午後、銀行、郵便局を回って学資保険などの支払い。雨がぱらついている。タワーレコードでMINMIの新譜「T.T.T」とクレイジーケンバンド「グランツーリズモ」を購入。4時というのに空が暗い。まるで夕暮れ。
 帰宅して雑事。
 吉祥寺のライブに行きたかったのだが、風邪が治りきらない。ここは自重しなくては。

 書棚にあるビデオに目が行く。「ポルノ女優小夜子の最後の冒険」。堀川とんこうプロデュース・演出、南條玲子主演の「小夜子シリーズ」最終回。デッキに押し込み、見始めたらクイクイひきこまれ、最後まで見てしまう。放送されたのはリクルート事件の頃だろうか。事件をモデルにしており、クレジットを見ると脚本は水谷龍二。なんとこの傑作シリーズの脚本を書いていたのか。さすがに緻密・流麗な展開。

 政界疑獄事件にボディーペインティングで自らを廃墟に同化させるヴェルーシュカ症候群を織りこみながら、蟹江敬三演じる”ノゾエ”と女優からAV監督に転身した小夜子、そして代議士秘書・宅麻伸らの悲喜劇が展開する。テレビの単発ドラマが面白かった時代だ。今はこんな水準のドラマをテレビに求めようとするのは八百屋で魚の喩えか。角野卓造も髪の毛があるし、佐野史郎もちょい役だが、不気味な雰囲気を漂わせている。

12月3日(火)晴れ

 依然として風邪ひき状態。しかし、咳が少し出るだけで、体のだるさを別にすれば昨日と比べてラク。

 4・00PM退社。銀座の書店を散策したあと下北沢へ。回転寿司で腹ごしらえ。今までなら時間つぶしにヴィレッジ・ヴァンガードをのぞいたり喫茶店で過ごすのだが、ネット喫茶という便利なものができたおかげで、ゆっくりネットする時間が持てる。茶沢通りの手前のまんが喫茶で7・00までネット。700円。

 その後、ディスク・ユニオンでCD物色。ユニオンも外資系に対抗して独自カラーを出そうとするのはいいが、最近は60〜70年代のアングラ未発掘音源に力を入れているようで、GS、フォーク、ポップ歌謡ーーほとんどその手のCDがメイン。あまりにもマニアックすぎてさすがに手が出ない。

7・30PM、スズナリで海のサーカス「杏仁豆腐のココロ」。鄭義信の作・演出。最近では「愛を乞うひと」「OUT」の脚本家としての活躍が目立つが、もとは黒テント→新宿梁山泊の役者・作家。
 梁山泊との決別は残念だったが、両者とも最前線で活躍しているのは嬉しいことだ。

 佳梯かこと劇団人口子宮の宇佐美亨による二人芝居。別れを決めた男と女のクリスマスの一夜を描いたもの。なぜ二人が別れることになったのかが次第に明らかになる。悲しみとおかしさに彩られた男女の風景。亡くした子供のこと、家族のこと。もうやり直せない、後戻りできない二人の人生を照らすイルミネーション。引越しのダンボールをクリスマスツリーに見立てた、その哀しい光景が胸にしみる。

 9・30終演。

 初日乾杯。銀粉蝶、金久美子、松金よね子、崔洋一監督、三田村周三、坂口芳貞、松本祐子、七字英輔、今村修、衛紀生ら。

 銀さんに「娘さん、囲碁やってます?」と聞くと、「それが、もう飽きちゃったみたいで今はアカペラグループの追っかけをやってるんです。飽きっぽくて…」と苦笑い。この前会ったときには娘さんが囲碁に夢中になってると話してくれたんだった。来年は2本舞台が入っているとか。

 演出家・松本祐子さんと久しぶりの邂逅。「この前、研究生公演が終わったばかりなんです」とにっこり。作品は永井愛さんの「見よ、飛行機の高く飛べるを」だったとか。残念、松本祐子が永井作品をどう演出するか見たかった。来年は日本初演の作品を演出するとか。「これがまた難しい芝居なんですよ」。文学座の期待の星はまた素敵な舞台を見せてくれるだろう。

 今村氏から佳梯かこさんがナビを退団するということを聞く。ナビは来年の春公演で解散を決めたとか。その前に「12月いっぱいで退団します」とかこさん。「12月まで団費を払っちゃったから。お金が入ったので、つい12月分まで払い込んでしまったんです」と笑うかこさん。

 しかし、かこさんといえば名実共にナビの看板女優。それが解散公演を前に退団するというのはよっぽどのことがあったのだろう。詳しい話は書けないが「女優としてのプライドを完璧に傷つけられた。私とナビの27年間はいったい何だったのか」との言葉にかこさんの無念の思いがこめられている。劇団の看板女優として10代から40代の青春を捧げてきたその最期が無残な慟哭で終わるとは……。
 10・30、義信さんに挨拶して駅に向かう。

 そういえば、終演後に「○○さん」と一人の男性に声をかけられたが、見知らぬ方だったので、
「すみません、どなたでしたっけ」
「前に劇場でお話したんですが…」
「そうですか…。どこで…」
「○○書店の××です」

 ウーン、一度会った人の顔は決して忘れないという自信があったが、完璧に記憶にない。

その方は逆に恐縮して「…すみませんでした」と帰っていったが、随分失礼なヤツと思われたかもしれない。もしかしたらそのとき、お酒を飲んでいたのかも。ウーン、それにしても名前を聞いてもピンとこなかったということは…。思い出そうにも思い出せない。いったいどこで会ったんだろう。気になる…。

 11・30帰宅。

12月2日(月)雨

 2・00PM、風邪がひどく、立っているのもやっと。仕事を片付けて退社。まっすぐ家に帰ろうと思ったが、沢竜二さんの主催する「全国座長大会」が今日まで。夜の回は無理だが、昼の回に少しだけでも覗こうと浅草公会堂へ。
 すでにメインの舞台「大利根無情」はラストシーン。平手造酒役の沢竜二が「とめてくれるな妙心どの、行かねばならぬ」の名場面。花道を歌舞伎もどきの六方でミエを切りながら退場していく。「竜二」の掛け声。たまに無性にドサ回りの芝居が見たくなる。クサい芝居、安っぽいセット、客への媚びへつらい。泥臭いことこの上ないが、しかし、そこには人間の情がある。客を楽しませようという心遣いが。

 歌謡ショーに移り、全国の座長が演歌・股旅歌謡をBGMに歌い踊る。客席から女性客がステージ下に駆け寄って、1万円札を襟の合わせ目にねじ込む。以前なら、万札のレイを首にかけるシーンもごく普通に見られたが、やはり不況の時代を反映してか、多くて10万円、万札5枚というのがご祝儀の相場のようだ。フツーのおばちゃん風からホステス風までさまざま。体調もよくないので、最後まで見ずに引き上げる。歌謡ショーもワンパターンだから見ていて疲れるのも確か。

 帰宅して、早めの夕食。布団にねそべってハンフリー・ボガートの「終身犯の賭け」を見る。B級ではあっても昔のハリウッド映画は気品がある。やたらと撮影技術や特撮がすすんだ今の映画には情緒というものがない。特撮の進みすぎた映画は飽きられるのも早い。このままでは映画は滅びてしまうのではないだろうか。

 教科書裁判で知られる家永三郎氏が29日に亡くなったと朝刊が報じる。

 1965年の第一次提訴から97年の第三次訴訟結審判決まで32年間、国家を相手に徒手空拳で闘ってきた家永氏の功績はまさに「ノーベル平和賞」に匹敵するといっても過言ではないだろう。

 65年に検定不合格となった家永教科書「新日本史」のどこが国にとって不都合とされたかといえば、「南京大虐殺」「朝鮮人従軍慰安婦」「朝鮮人強制連行」「沖縄戦集団自決」ーーこれらの歴史的事実の記述だ。日本の侵略・加害の事実を極力「教育」の現場から消そうと、「検定」の名のもとに思想統制をはかってきたのが歴代自民党政府と文部省。その国家検定を違憲・違法として提訴したのが家永裁判だ。

 今では渋々ながら、教科書に記述されている日本の加害の歴史も、長期にわたる家永裁判がなければ実現しなかっただろう。

 教科書裁判とは教育権がどこにあるのかをめぐって争われた裁判といえる。教育権は国民にあり、国家はそれを、サポートする義務がある、と私は理解する。国家のための教育が行われるのなら、それはすでに全体主義国家の教育法にほかならない。

 国家の壁は厚く、敗訴が続いたが、家永訴訟の影響で教科書・教育をめぐる理解の輪は世界的な大きな広がりを見せた。巨象を相手に、たった一匹のアリの闘いだったかもしれないけど、粘り強く闘えば、象を押し戻すことが出来るということを身をもって示した。戦時中の家永氏の「反動」を批判する人もいるが、大事なのは人が生涯をかけて何をなしたか、だ。戦時中の国策協力をもって、その人を責め続けるのは酷といえよう。

 昨今では検定の「民主化」を逆手にとって「新しい教科書を作る会」などという復古主義者たちが跳梁バッコ、各地で「復古教科書」が採択されている。家永氏はそのような策動に対して「教科書を選ぶ国民の良識に任せたい」と笑っておられたという。
 しかし、教育基本法に「愛国心」「国家への奉仕精神」を織り込もうとする文部科学省の動きを見れば、官「民」一体となった戦前回帰を目指す動きが加速しているのは明か。国民の良心に任せるといっても、その国民の多数が戦争放棄をうたった平和憲法を改悪してもいいと答えるまでに「洗脳」されてしまった今、ただ笑ってはいられないだろう。そんな時代になってしまったことを家永氏は心の中で暗然と見つめていただろう。

12月1日(日)晴れ

 風邪が治らず、一日中家の中。少し眠っては起きて昼食、夕食。7・30からのハイレグ・ジーザス解散公演をキャンセル。15日に振り替えてもらう。せっかく新宿のグランドキャバレーで華々しくやるのだから最期を看取らなければ。

 夕方、少し体調がいいので、A川マキさんからいただいた映画ビデオを見る。「インナー・サークル」。スターリン独裁体制下のソ連を舞台にした映画。純朴な映写技師がスターリン専属の側近となり、彼に心酔。やがて自分の妻を党の幹部に差し出すことさえいとわなくなる。
 隣の部屋に住む老人が言う。「「お前はいい奴だ。純真で人を疑わない大衆の一人だ。しかし、そういう人間が、この国に独裁者や人殺し、悪魔を誕生させたんだぞ」

 主演は「アマデウス」のトム・ハリス。国家と個人の愛の葛藤を見事に活写している。
 夕食後、横になるが、熱っぽい。今年の風邪はしつこい。