2月28日(金)晴れ

 朝夕はまだまだ冷える。

大リーグ、オープン戦。松井が120メートル級の大ホームラン。これからの新聞の売れ行きは松井の活躍次第か。

 1・30、紀伊国屋ホール。演劇人の反戦集会。主催は「イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会」。事務局はプロジェクトMの丸尾聡。
 正午スタートなので、すでにプログラムの半分は終了。新たに来る人たちに、受付前で「もう客席がいっぱいなので、ロビーのモニターでよろしければ」と言っている。そのため、仕方なく帰る人も多かったようだ。

 中に入ると、井上ひさし氏の講演が終わり、高橋よしあき氏の歌の最中。後ろからつつかれたので振り返ると、伊藤裕作氏。
 歌と巻上公一のパフォーマンスの後、休憩。

 紀伊国屋ホールの客席が後ろまでびっしり満席。ロビーに居る人と合わせて700人以上が集まったという。平日の昼なのに、この熱気。実は来る前は、ぱらぱらとしか人がいないのではと思っていたのだった。それが、なんともすごい人数と役者たちの意気込み。こういう時にこそ言うもんだよ、コイズミよ。「感動した」という言葉は。

 休憩後は、「世界の子供たちは今」という、内乱のボスニア・コソボでの悲惨な状況で生きた子供たちのメッセージを俳優たちが朗読。渡辺えり子、小日向文世、岡本麗、西山水木、李麗仙、三田和代、篠井英介、吉田日出子、深沢敦、そして大方斐紗子の歌。
 渡辺えり子など、朗読しながら感情が高ぶったのか、嗚咽してしまったほど。吉田日出子は途中で宮沢賢治の「赤い目玉のサソリ」を歌う。この前見た「アカルイミライ」でも、藤竜也が歌っていたが、元歌としてあるのか?

 2・50、小西教之、今井朋彦、観世栄夫、朝倉摂、渡辺美佐子らのアピール。「9・11」の遺族や、イラクに派兵されている家族の手紙、インターネットの反応など。圧巻は林光氏の歌。「海で死んだら水ぶくれ 山で死んだら草ぼうぼう」。「かつて神だった人」の子や孫へのメッセージ。

 斎藤憐氏の小泉首相への手紙、永井愛氏の世界の演劇人への連帯の熱いメッセージで、すべてのプログラムは終了。

 この前の渋谷反戦パレードもそうだし、今朝の毎日新聞でリポートされていた日比谷野音での反戦パレードの参加者の意識調査を見ても、確実に流れが変わったと思える。ごく普通の人たちが自主的にパレードに参加しているという。今日の集会を見ても、一般の人たちの非常に熱い意思を感じる。
 
 国民の意識は確実に変化している。小泉支持率下落
はその現れだろう。

 4.00PM、新宿・歌舞伎町のネットカフェで書き込み。


2月27日(木)晴れ

 ここ数日、夜、横になると、右の腕に痛みが走る。試しに立ちあがって首を後ろに倒すとやはり、肩から腕にかけて痛みが。頚椎か。しばらく整体に行ってないからなぁ。
 仕事は順調。



4・30PM、銀座シネパトス1で「黄泉がえり」を観る。平日昼なのに、結構入っている。やっぱりヒットしてるんだ。評判がいいので観てみようかという気になったが…。
 イメージとして諸星大二郎の「妖怪ハンター」シリーズの「生命の木」に出てくる1シーンを想起していた。巨大な穴の中に吸い込まれていく人々が口々に言う。「パライソさ行くだ!」
 古今のマンガの中で、あの浮遊感あふれる異形なシーンは特筆ものだった。

 「黄泉がえり」と聞いて、そのシーンを思い浮かべたのはあながち的外れでもなかった。

 悪い癖で、この手の映画を観ていると、途中でラストシーンを自分で作ってしまう。
 たぶん、RUIのライブがクライマックスに来て、そのシーンは、「パライソさ行くだ」だろうと思っていたら、案の定。ほぼ想像どおり。
 この映画の成功はもしかして柴咲コウの歌かもしれない。ライブという重要なシーンでヘタな歌を歌われたら、目も当てられない。それが、なんともいい感じのライブシーンになったのだから。
 巨大な空洞をコンピューター処理した画面で、波打つようにゆらぐのは胎児の心音か。
 「黄泉がえり」=「生命の木」と見た自分のカンは当たらずとも遠からずだったようだ。

 と、ここまで書いて、ためしに「諸星大二郎」と「黄泉がえり」で検索したら、「黄泉がえり」の原作者・梶尾真治の対談ページを発見。その中で、諸星大二郎の愛読者だったと言っている。やはり。「黄泉がえり」は「生命の木」だという予感はズバリ的中した。
 
 
 7.00PM。恵比寿のエコー劇場でテアトル・エコー公演「ちゃんとした道」。小川未玲作、熊倉一雄演出。
 ある地方の駅裏にある小さな公園が舞台。ベンチに腰掛けて、ブタの貯金箱を抱えた女性がひとり。通り過ぎる人たちの「不幸な身の上話」を聞いてあげる代わりに500円玉をもらう。彼女がなぜ500円玉に固執するのかのナゾは最後に明らかになる。

 登場人物たちの背景にある人生を描き分け、あいまいさを残さないきれいな脚本。ベンチに松の木、おかしな登場人物。最初は別役風不条理劇かと思いきや、きっちり起承転結のある脚本なのでびっくり。井上ひさしの弟子筋とか。重田千穂子が劇団に復帰しての第1作。役者たちが個性的で、重田人気に頼らなくても充分面白い。9・15終演。江森さんと駅まで。

 10・40帰宅。


2月26日(水)晴れ

 ポカポカ陽気。きつく締めないと、水道の蛇口からポタポタと水が漏れるので、電車に乗って、ドイトまでパッキンを買いに行く。帰宅して水道の元栓を止め、パッキン交換。水漏れ解消。

 パソコン再修理に出して1週間。hpから電話。「ハードディスクに不具合があったので交換します」と。この前、新しく換えたばかりだったのでは? そんなにハードディスクに不良品が出るものなのか。ケチがついてばかり。

 お昼はランチがあるというので、早めに帰宅した娘たちと近所の居酒屋へ。チェーン店「五風」。「カーサ」が潰れて、その後を引き継いだ「焼肉屋」が狂牛病のあおりで、開店しないまま閉鎖。そのあと、居酒屋に衣替えしたとは知っていたが、近くを通るだけで入ったことはなかった。意外に客が入っているので驚く。ランチ680円というのが主婦層を引きつけるのか、ほとんど主婦グループが占拠している。

 2・50、帰宅。昼間のビールと、その前に飲んだ鼻炎用のクスリの副作用か、耐えられないほどの睡魔に襲われ、夕方まで3時間近く熟睡。

 7・00、夕食。デザートに伊予柑2コ。この季節は伊予柑かデコポン。デコポンは1個240円と高いのでなかなか口に入らないが。

11・00。「幻の女」読了。さすがに古典的ミステリーのベストワン作品。鮮やかなどんでん返しとナゾ解き。しかし、新聞死亡記事で名前の綴りを間違えられたというウールリッチ。不遇な晩年だったというが、作品は永遠に残る。11.15就寝。


2月25日(火)晴れ

 5.00PM、池尻大橋にある石井事務所の稽古場へ。ウオーキングスタッフの「スペーサー」の稽古中。演出の和田憲明の厳しさは伝え聞いていたので、さぞやピリピリした稽古場と思いきや、意外と静か。ちょうど新しく脚本を書き足して、役者たちと一緒に役作りをしているところだったみたい。

 内田滋啓、鈴木省吾、古川理科、伊達暁の4人がスナックに入ってくるシーン。ピーンと張り詰めた稽古場。ときおり、和田が自分で演じて見せる。後から来た石井K美子さんに言わせると「和田さんも最近丸くなったから」(笑い)とのことだが、稽古も佳境に入れば役者への叱咤は厳しくなるらしい。
 5・30。食事休憩。出番がなかった梅本潤と木村靖司が姿を見せる。木村靖司に挨拶。和田憲明、「旗揚げから見ているなんて、恥ずかしいですね。中途半端で幕を上げた回もあったんですよ」
 怖いというイメージがあったが、テレくさそうに笑う様子は強面イメージと180度違っていい人っぽい。確か同年代のはず。

 古川理科とマネジャー、石井さんの4人で近くの喫茶店へ。あとから今回一緒に制作をしているラッパ屋の山家さんが合流。初めて会う古川理科さん、チラシで見るよりずっと美人。十津川警部シリーズに女性警部役で出ているとのことだが、テレビを見ないので知らなかった。実にフランクな女優さん。サンドイッチを食べながら、一所懸命、質問に答えてくれる。好印象二重丸。6.15、次の予定があるので、女性陣に別れを告げて引き揚げる。

 7・00PM、銀座・博品館劇場「東京メッツ」。松任谷由実のライブや筋肉ミュージカルなど、大掛かりなステージ演出で定評のある中村龍史が4カ月にわたるオーディションで選んだ33人の女性によるミュージカル。最初の20分間は10代が中心の「リトル・メッツ」のダンス&パフォーマンス。10分間の休憩の後、オトナの女性中心の「東京メッツ」公演。リトル・メッツはダンス、歌唱ともに未熟ではあるが、これから期待される逸材がそろっている。

「本編」の東京メッツはさすがに選び抜かれた精鋭だけにダンスのキレが違う。ただし、歌唱の点に関して言えば、疑問符のつくメンバーも。まだほとんど無名なので、観ながら気に入ったメンバーをチェックしたら、パンフの序列とほぼ同じ。やはり、うまい人は目立つ。

 ミュージカルというよりも、ポップなダンスショー。衣装もボンデージあり、ナースルックあり、ハイレグあり。曲ごとにメンバーが代わり、一瞬たりとも飽きさせない。8・45終演。時間もちょうどいい。

 9・40、G駅で下車。小料理屋「S」へ。1カ月ぶりか。カウンターに5人。テーブルに3人。相変わらず繁盛しているようだ。テーブル3人組はM新聞の配達員。カウンターの1人は千石が実家とか。「あのへんは昔、籠町って言ったんですけど、今は町名も変わってね」と懐旧談。なじみの教授氏の隣りに若い女性。教え子かと思いきや、近所の常連客でまだ22歳。小料理屋で夕食とは……。
 0・00、ノレンをしまい、店じまいする時間なのに、まだ居座る常連客。客商売も大変だ。お手本を見せるために、教育出版社のS氏と先に店を出る。
1・00帰宅。


2月24日(月)雨

 朝、電車の中で青木雄二+北野誠「独断 これが日本だ」を読みながら出勤。北野誠はショーもないが、青木雄二の物言いはストレートで時に溜飲が下がる。

 一日中、ぐずついた天気。ときおり小雪がぱらつく。
 川上史津子著「えろきゅん」届く。

 イラクに派兵される米軍兵士の間で精子銀行が人気になっているとか。イラク軍の生物・化学兵器で生殖能力を失っても、将来子供を作れるように、婚約者から勧められた兵士が多いという。
 最近のニュースは「苦労多かるローカルニュース」と見まごうネタばかり。やっぱり世の中ヘン。

 途中下車してミニシアターで「戦場のピアニスト」を観る。4・30の回。観客10人ほど。

 第二時大戦中のポーランドを舞台に、ドイツ軍の殺戮の手を逃れ、ガレキの中で生きのびた一人のユダヤ系ポーランド人ピアニストを描いたもの。ドイツ軍による容赦ない虐殺、ガレキの中を水と食べ物を求めてさまようピアニストの姿が生々しく描写される。戦場での「飢餓」ーー戦争映画でこれほど、食べ物を求める主人公を執拗に描いた映画はあっただろうか。スクリーンのこちら側まですさまじい飢餓感に襲われる。

 上映時間2時間28分だが、物語は起伏に富み、まったく長さを感じさせない。クライマックスの、ドイツ軍将校との奇跡的な出会い。実話に基づいているのだから事実なのだろうが、唯一、戦場でのヒューマニズムにホッとするシーンであり、この映画の要でもある。
 悲惨な戦場でも人間の尊厳を失わずに生き抜いた人々を活写する壮大なドラマ。

 しかし……と、あえてつぶやかずにはいられない。あの戦争で何十万人ものユダヤ人が虐殺されたにもかかわらず、生き延びたユダヤ人たちがなぜ、シオニズムの名の元に、パレスチナの人民を虐殺しなければならないのか。受難の歴史をかの地で繰り返させるのはなぜなのか、と。

 そしてさらに言えば、戦後ドイツ人と日本人の戦争責任への向き合い方の違い。

 「もう、さんざん、カネもやったからいいじゃないか。いつまでも戦争責任だなんだってグダグダ言われたくないぜ、中国や韓国・北朝鮮によぉ」ーー戦後57年目の日本人に蔓延している気分はこんなものだろう。

 青木雄二との対談で北野誠が「いいかげん、忘れてもいいんじゃないの。戦争中に悪いことしたからって、いつまでも引きずっているから、あいつらにナメられるんですよ」と言っていた。
 戦後、戦争映画が作られるたびに、「悪役」として描かれ続けてきたドイツ人が「もういいかげん、ドイツを悪役にするのはやめにしようぜ」と言っただろうか。「過去の前に目を閉じる者は、現在についても盲目となる」という有名なヴァイツゼッカー大統領の演説に代表されるように、ドイツ国民はこの先も永遠にナチズムが犯した罪を背負って生き続けるだろう。それに背く「ネオナチ」の台頭はあるにしても。

 ドイツ人に比べたら日本人というのは甘ったれ小僧のようなもの。もし、アジア諸国がユダヤ資本のアメリカ映画産業と同じように、映画産業が発達し、絶えず日本軍の悪辣さ、虐殺を描いたとしたら……。ナチズムの否定は父祖のドイツ軍としての戦争ではないという見解もあるが、やはりドイツと日本の戦争責任の取り方は違う。それは虐殺した人間の数の違いだけではないと思うのだが……。

 7・00帰宅。11・00就寝。


2月23日(日)晴れ

 下のコが今日は「体道」の見学で朝霞まで。日曜の朝、早起きして通えるかちょっぴり心配。

 9・30起床。10・30、「竹田の子守唄」読了。付録のCDを聴いてみる。歌の背景を知って聴くのはまた感慨深いものがある。しかも、オリジナル・シングル・レコード。聴きなれた「竹田の子守唄」とやや違う。

 昨日買ったウイリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)の「幻の女」を読み始める。さまざまな形で”翻案”されているこの傑作を今まで読んでいなかった。妻殺しの嫌疑をかけられた男を救う唯一の証人は酒場で知り合ったナゾの女。しかし、周囲はその存在を否定する……。ぞくぞくするようなまさにミステリーの古典。布団の中で読んでいたら、そのまままどろみの中に。3・00目が醒める。

 3・30。「昨日から寝すぎ。これじゃ体がナマってしまう」と、ウォーキングを決意。排気ガスあふれる国道を抜けて、川の土手を歩いて行く。すれ違うのは犬を散歩させている人とジョギング中のおばさん。ときおり、「バシャン」と川面からコイが飛び跳ねる。

 往復2時間。帰宅して入浴。食事の後、「幻の女」を読み進める。9・00就寝。パソコンがないと、睡眠時間たっぷり。

 18日に国連安保理事会で原口国連大使が演説した内容を国内向けに翻訳した際、実際の演説ニュアンスとまったく別の日本語に翻訳したという。実際は「イラクの査察を継続したってしょうがない」と米英べったりの演説だったとか。それをそのまま翻訳すれば、国内の反発を招くとばかりに「誤訳」する外務省。内面と外面を使い分ける外務省。今までの外交もホントのところはどうだかわかったもんじゃない。


2月22日(土)曇り

 いつも通りの土曜日。午前11・30、近所の中華屋さんで昼食。焼肉定食950円。会社に戻ってパソコン前。時々競馬。今日はついに米びつがからっぽに。去年から追加入金していないのが自慢だったのに。

 5・30PM新宿。ヴァージンレコード。先日来気になっていたミスゴブリンの「窓辺に花を」視聴。「神田川以来の名曲かもしれない。これは平成のレトロフォークだ」との富澤一誠の推薦文。しかし、何度聴いてもそうは思えない。購入断念。
 南口の定食屋でカレイ煮定食850円。

 6・30、タワーレコードでCD物色。フォークソングのコーナーに発売されたばかりの「赤い鳥」全曲集CDが平積みに。その脇に藤田正著「竹田の子守唄 名曲に隠された真実」(解放出版)。赤い鳥による「竹田の子守唄」オリジナルレコーディングと地元・竹田の元歌2曲を収めたCDが付録。奥付を見ると今日発売。「隠された真実」のタイトルにピンときたので、手にとってページをめくる。

 「ミリオンセラーの名曲がある日、ラジオから流れなくなった……」

 そういえば、確かに長いことラジオやテレビの懐メロでも聴いてない。自分がラジオで音楽番組を聴く習慣がなくなったからかと思っていたが、そうではないらしい。知らぬ間に「放送禁止歌」にされていたようだ。

 しかし、最近では「イムジン河」と同様、”放送禁止”が解けたかのように、テレビ番組などで聴くことができるという。なぜ、”放送禁止歌”にされ、また復活したのか、この本は名曲の出自、そして時代の流れに翻弄され続けてきた人々の運命を丹念にルポする。

 それにしても……。初めて「竹田の子守唄」を聴いたのは中学から高校にかけてだったろうか。当時は岡林信康、高石友也に代表されるメッセージフォークが主流。「赤い鳥」の美しい旋律とハーモニーは、ことさら「日本」を強調していたようで好きではなかった。高度経済成長の陰で滅び行く日本の原風景を「美しく」歌うのは「犯罪的」とさえ思っていた。「赤い鳥などフォークではない」ーーそう周囲に喧伝していたのだから、今思えば無知というものだろう。叙情性に目を奪われ、その歌の本質を見ていなかったのだから。

 「守りもいやがる 盆から先にゃ 雪もちらつくし 子もなくし」

 ただ、その歌詞の異様な暗さにはただならぬものを感じてはいたが……。
 この本を読んで、初めてすべてが氷解した。

 「竹田の子守唄」には被差別部落問題が絡んでいるらしい、そんなウワサが流れたのは、やはり高校時代だっただろうか。当時は「そうなんだ……」と漠然と受け流していた。浅川マキの「赤い橋」も被差別部落を歌ったものだとのウワサがあった。ただ、岡林信康の「手紙」「チューリップのアップリケ」はストレートに差別問題を歌っていたから、「ほのめかし」の歌はいつしか、歌を取り巻く状況がわからないまま年月が過ぎて、自分の記憶から風化していったように思う。

 そして、この労作。「竹田の子守唄」の元唄となった歌、それをムラの外に伝えたために、苦悩する一人の女性。当時、いち早く「竹田の子守唄」をレパートリーにした高田恭子の証言、歌のルーツを探すことで、被差別部落問題と向き合い、今も歌い続ける後藤悦治郎(紙ふうせん)ら、「竹田の子守唄」の裏に隠された事実と真実があますことなく活写される。一つの歌をめぐる見事なルポルタージュ。
 わずか数行の歌の背景にさまざまな人間の真実があるーー。コピーペースト感覚で歌を作っている一部の音楽業界人間に読ませてあげたい。

 7.00。スペース・ゼロでオルガン・ヴィトーの「ハムバット 蝙蝠男の復讐」。元状況劇場の不二稿京の劇団に元万有引力の海津義孝、現万有引力の井内俊一が客演するという、まさにアングラ縦断芝居。「ハムレット」のプロットを借りて、バットマンのゴッサムシティで展開する一人の少年のダークな復讐劇。本水を舞台と客席の間に張り、役者たちがザンブとばかり飛びこむシーン続出。

 ただ、2時間15分は長い。1時間半なら気持ちよく帰れたかも。伊藤裕作氏が見に来ていたので挨拶。
 受付は馬場さん。
 11・00帰宅。「竹田の子守唄」を読みながら就寝。


2月21日(金)雨

 仕事を早めに終えて、2・20、お茶の水K記念病院へ。鍼治療。昨夜は寝る前にほとんど耳鳴りがしなかった。今までの耳鳴りをハリガネを束ねたムチだとすれば、昨夜の耳鳴りは木綿糸のようなもの。もしかしたらこのまま耳鳴りが消えるのではと思ったほど。
 
 そのことを担当医に話すと、「そうですか、それはよかった。このところ間を置かずに通院している成果が現れたんでしょう」とうれしそう。患者の病状の好転ほど医者にとってうれしいものはないに違いない。

 鍼を終えて、内科で定期治療。女医さんに「2週間に1度は来てください」と言われる。

 4・30、丸の内線で池袋へ。ネットカフェで頼まれていた原稿を推敲、送信する。これでようやく一安心。
 一週遅れのバレンタインチョコ。

8・50、帰宅。
10・00就寝。


2月20火(木)雨

 花粉の量が少ないとの朝刊情報。なるほど、今日は比較的過ごしやすい。ただ、目の周りにややかゆみ。飛散しているのか。

 午後、頼まれている原稿を書く。これが終わらないと落ち着かない。今回はぎりぎりになるまで腰が上がらなかった。試験の一夜漬けのようなもの。

6・00、下北沢。「げんこつラーメン」730円。
ディスク・ユニオン→ネットカフェ。7.00。「劇」小劇場で三田村周三プロデュース公演。高野麗が出るので楽しみ。MODE以来だから何年ぶりか。声優の方で活躍しているようだが。

小さな町の消防士たちが主人公。開演冒頭、火事のシーン。狭い劇場にスモークがたちこめ、サイレンが鳴り響くと、思わず背筋がゾッとする。つい先日の韓国で起きた地下鉄火災を思い出してしまう。客席と客席の間が極端に狭く、奥の席の人はつま先立ちして自分の席に行かなくてはならない。もし、ここで火事が起きたらと、誰もが不安になったに違いない。

 出火原因を突き止めようとやっきになる消防士長。火の元は幼なじみの夫婦のアパート。電子レンジから出火したらしい。夫は銀行倒産でリストラ中。保険金狙いの放火?
 この事件と消防士仲間の結婚問題、幼稚園での消防士たちの防火劇予行練習などが並行して物語はすすむ。ナゾのい出火原因も鮮やかな解決が用意され、もつれた糸の人間関係も解きほぐされる。やさしいまなざしに支えられたハートウォームな物語。見終わって心がほんわかあたたかくなるような舞台だった。
 かつての艶麗なフェロモン女優・高野麗が「おばさん」役というのも時の流れか。

 8・45終演。駅へダッシュ。9・00、明治神宮前駅着。横断歩道を突っ切って、原宿アストロホールへ。9・05入場。すでにジムノペディの1曲目「ジェリー」がスタートしている。今日は4組のバンドの対バンだそうで、トリをつとめるジムンペディ。田中直美のボーカルは相変わらず伸びやかでパワフル。4〜5曲で終了。観客は40人ほど。メガフォースの小泉さんに挨拶。リーダー小林くん、ボーカル直美ちゃんと立話。新曲も作っているそうだが、お披露目はまだとか。1stアルバムを浸透させてからということらしい。

 「暗い曲ばかり続いたので……」と小林くんがMCで言っていたが、ジムノペディの音楽を「暗い」といったらこの世の中の音楽の99%は暗い音楽になるわけで……。もっと自信を持ってもいいのに。
 9・50、アストロホールを辞去。11・00帰宅。

 9・00、原宿でジムノペディのライブ。さて、下北沢から間に合うかどうか。間に合わなければ、次回公演だ。

 国連で日本代表が米英追随演説。「ノーといえるニッポンを」と言ったのはだれだっけ? 慎太郎サン。ドイツは毅然と米英に「ノー」を訴えた。それに比べて、腰ぎんちゃくニッポンの情けなさ。


2月19日(水)曇り

 午前中、PCのバックアップ。その間に映画「オー・ド・ヴィ」をサンプルビデオで。官能的な映像が美しい。主人公が出会う失われた過去の時間。もう1つの「青幻記」か。

 午後4時半、日通がPCを引き取りに来る。これでまたしばらくネット生活ともさよなら。
 夕食後、早めに風呂に入り、9・30就寝。あまりにも早すぎて、夜中2時頃、目がさめる。それから断続的に朝までなんども目覚し時計を見ることに。かえって寝不足?


2月18日(火)雨

 花粉症がひどいので市販薬でごまかす。しかし、午後、睡魔に襲われ、仮眠室で2時間も熟睡。
6・00PM、新宿。紀伊國屋1階のカレー屋でシーフードカレー。ヴァージンレコードで「ミスゴブリン」のCD「儚きロマンス」を購入。レトロポップの旗手というキャッチフレーズだが、さて…。

 7・00、紀伊國屋ホールでアガペー・ストア「BIGGER BIZ」。隣りに永六輔。歌舞伎界の隠し子騒動を話題にしている。始まってすぐに、松尾貴史が永六輔のモノマネ・ネタが出てきたのでクスリとするも、舞台はお寒い限り。コメディーのはずが、まったく笑えない。女性客はけたたましく笑っているが、永さんも一度も笑い声が聞かれなかった。シチュエーションコメディーをやろうとしているのだろうけど、同じところをグルグル回っているだけ。後藤ひろひとの脚本はまったく見るところなし。クスッとしたのは中島らものモノマネのところだけ。9・10終演。後方にいた升毅氏に挨拶して引き上げる。10・40帰宅。あすからまたパソコンが入院。こんどは長くなりそう。


2月17日(月)晴れ

 仕事を終えてお茶の水、アテネ・フランセへ。6・15PM、すでにアンドロメダ忌開会。今年は埴谷雄高の音楽化作品がモチーフ。ピアノ、尺八、朗読など盛りだくさんな内容。尺八は初めて間近で見たが、演奏者の気迫たるや、ものすごい。こんなに迫力のある楽器だったのかと驚いてしまう。月蝕歌劇団のスギウラユカ、そして蘭妖子さんの朗読、日高氏のピアノ、浅川マキの歌(CD)etc。これまでのアンドロメダ忌で一番のイベント性のある追悼会になった。8・00ジャストに終了。8・55まで地下1階で打ち上げ。三坂知絵子に「トーキョーボディ」の感想を求められる。二次会は「風童」。松田政男氏、会の成功に上機嫌。10・45、シーザー、高取英、日高氏、蘭さんたちと店を出る。「ラーメンでも食べて帰ろう」というシーザーらに別れを告げて帰宅。さすがに平日は早めに帰って寝ないと。居残りB型としては名残惜しいが。11・45。


2月16日(日)晴れ

 朝刊を開くと、昨日は全世界で1000万人が反戦行動を起こしたとのこと。渋谷のピースパレードは社会面。主宰者発表で5000人が参加。セクトの発表と違ってゲタをはかせることはないだろうから、少なくとも4000人は参加していたということ。沿道からの通りすがりの参加者も多かったからそれくらいの動員はあっただろう。

 プリンターのヘッド部分がキヤノンQRセンターから送られてくる。大宮のキヤノンサポートセンターでは「7800円ですから、買って自分で取り付けてください」といわれ、販売店に電話したら「個人で交換することに関しては保証出来ない」。たらいまわし状態。最終的にキヤノンQRセンターに電話したら「いいですよ、送ってあげます」と。口調からして無償交換かなと思ったら、なんと翌日には配送。請求書も入っていなかったので無償ということか。なかなか味なサポートしてくれるキヤノン。

 午後、家族サービスで西武球場駅へ。乗り換えの多い片道1時間の小旅行。氷雨の中、寒さに震えながら、霊園、七福神寺、ユネスコ村恐竜展へ。ほとんど人影のない西武球場近辺。当たり前か。帰宅は8時。


2月15日(土)晴れ

 夕方まで終日会社。
5・30PM、渋谷。いつもは右翼が陣取るハチ公前でピースボートの若者たちがパフォーマンス。周りの群衆は好意的に取り巻いている。

 6・15PMから渋谷・宮下公園で流山児祥が呼びかけ人になって結成された「反戦演劇人の会」による、米軍イラク攻撃反対の集会とデモがあるのだ。ピースボートほかの各団体も参加しての集会になるということを聞いていたので、ハチ公前の人垣を見て、もしかしたら今日のデモは意外と盛り上がるのではと思ったら案の定、集合場所の宮下公園には続々と参加者・団体が駆けつけ、歩道橋まで人波でふくれあがる。演劇人たちも100人はゆうに超す人数。湾岸戦争時の演劇人反戦のデモには50人足らずだったことを思うと、イラク攻撃への一般国民の拒否感がいかに強いかの証明だろう。 

 黄色の僧衣の日本山妙法寺の僧侶たちが打ち鳴らす法華太鼓、ピースボート、グリンピース・ジャパンほかさまざまな反戦組織が一つになっての抗議集会。老若男女、国籍もさまざまな参加者が公園を埋め尽くして立錐の余地もない。そのため、6・15開始を10分ほど押して集会は始まる。

 主宰者挨拶に続いて、今夜と明日、イラクに「人の盾」として行く若者たちの平和アピールへと続く。若い女性は「昨日の夜、親に泣かれた。改めて自分がイラクに行く意味を考えたら一睡もできなかった」と挨拶をする。その率直さに好感。戦争が始まれば、巻き込まれて死ぬかもしれない、誰しも死ぬのは恐ろしい。確固とした信念があろうとも、自分を相対化できる視点が好ましい。

 夜の帳の降りた公園にテレビ局のライトが灯り、カメラのフラッシュが閃く。

 集会は20分ほどで終わり、デモ行進に移るが、予想以上の人数に、交通規制の警官もとまどったようで、最後尾の「反戦演劇人の会」が公園を出るまで1時間近くかかる。

 宮下公園から北上し、公園通りを下って渋谷を一周。約1時間のデモ行進。流山児は「ピースパレード」と形容していたが、確かにデモというよりも、穏健な街頭パレードの様相。ハンドマイクで音頭をとってのシュプレヒコール。「青ひげ公の城」の白塗りメイクの役者たち。湾岸戦争の際のデモでは通りがかった俳優の”死神博士”天本英世が隊列に加わったり、右翼の街宣車が列に突っ込んできたり騒然とした雰囲気があったが、今回は妨害もなし。さすがに右翼の中でも「親米派」はなりをひそめている様子。

 8・30、渋谷駅前あたりから先に流れ解散した参加者たちが後続隊に声援。宮下公園に凱旋して、流山児、坂手洋二の短い確認事項の挨拶で解散。次回は28日午後、紀伊國屋ホールで演劇人の反戦イベントが行われるという。

 今回のデモの参加者はざっと見積もって2500人。翌日の朝刊にはたぶん警察発表1500人、主宰者発表4000人か。若い世代はもちろんだが、外国人がかなり多いのが特徴。沿道の反応も好意的で、「反戦」感情は国民的な総意ではないかと確認する。

 解散後、燐光群・坂手氏らと別れ、「三平」になだれ込む。流山児一党、塩野谷氏、旧演劇団の龍昇、新白石、悪原太義平、北村魚etc。元MODEの桜井さん、黒木さん、江森さん、伊藤裕作さんらで同じテーブルを。

 デモは初めてという若い役者やスタッフ、30年ぶりというI氏は「デモの後って高揚してるから恋愛感情が生まれやすくてね」と笑わせる。60年安保の思い出を語るE氏…。20数人がさんざめく。流山児氏によれば、劇作家の福田Y之氏が公園入り口まで来たが、一部のセクトがビラを配っていたことに反発してそのまま引き上げたという。さすが硬骨漢。某セクトは勝手に来てビラ配りをしていただけで、集会とは関係のないこと。福田氏の勘違いなのだが、70歳近い年齢ながら、「セクトの草刈場にされる」といきり立った福田氏の硬派ぶりが好ましい。
 
 それにしても、若い連中の先頭に立って今も「運動」を続ける流山児はエライ。しっかり彼らの気持ちをつかんでいる。思えば60年代末に革命を呼号した多くの演劇人が今では「世界の」と呼称されるようになったり、「教授」になったりしてる中で、今も「河原乞食」にこだわり、演劇を通した「別の世界」を夢見ている。「あの時代に”敵に突っ込め”と扇動した人間は、それを信じて”敵”と闘い、死んだり、身体や精神に障害を負った連中に責任がある。時代のせいにして”自分はもうやめました”というわけにはいかないと思うよ」
 ある政治事件の容疑者として手配され、今も逃亡生活を続けている役者がいる。「銭湯の手配写真は今も昔のままなんだ」
  虚構から現実世界の海に飛び込んだまま還らない男…。

 11・00、電車がなくなるので、江森さんと先に引き上げる。残った役者たちはきっと朝まで…かな。
 運良く最終電車に間に合う。0・50帰宅。


 クローン羊・ドリー安楽死。寿命は普通の羊の半分という。「ブレードランナー」のレプリカントたちの懊悩を想起してしまう。クローンであるがゆえに人間よりも寿命が短い彼らは自分の死の時期を知りたがった…。


2月14日(金)晴れ

 バレンタインデーとはいってもここ数年、社内で女性社員の義理チョコも自粛。恒例の保険のおばさんのチョコ配りもなかった。不況もここまで…?

 3・30、銀座・東映試写室で4月公開予定の「わたしのグランパ」試写。筒井康隆の原作を東陽一監督で映画化。

 13年ぶりに刑務所から出てきた祖父と孫娘との交流にイジメ問題やバブルの負の遺産を絡めた娯楽作。祖父に菅原文太。最愛の息子を踏み切り事故で亡くした記憶が新しく、寂しげな印象。ただ、回想シーンでヤクザの組事務所に単身殴りこみをかけるアクションシーンは往年の鋭さ、切れ味を髣髴とさせる。孫娘役の石原さとみはオーディションで選ばれた新人。デビュー当時の原田知世とソックリ。ファーストシーンで川辺に立つ姿は固くぎごちないが、フィルムが回るにつれ、伸び伸びとした演技。

 しかし、宮崎美子がお母さん、菅原文太がおじいちゃん役を演じるようになるとは。自分の中ではまだ二人とも若い世代なのに、こうして次第に世代意識がズレていくのだろうか。
 ヤクザ映画とホームドラマを足して2で割ったような不可思議な味わいの映画。シグロ製作。ヒットしてほしいものだ。

 6・00、下北沢。「みちくさ」でブリの照り焼き定食945円。 30分ほどネットカフェ200円。

 7・00、本多劇場で東京乾電池「雨上がりの夜空に…」。
 乾電池の芝居を見るのはずいぶん久しぶり。観客の年齢層が異常に高いし、渡辺えり子、蛭子能収ら業界関係者も多い。

 開演してからもぺちゃくちゃとおしゃべりする声。見るとおばさん二人連れ。傍若無人というか、お茶の間感覚なんだから…。

 青森・下北半島の秘湯湯治場が舞台。記憶を回復するという温泉効能にひかれて全国からやってくる湯治客。その中の二人組の男性客とやはり記憶をなくした多重人格の女が同室になったことから巻き起こる珍事の数々。

 ベンガルと綾田俊樹の掛け合いがまさに絶妙。芝居を見始めて30年、椅子から転げ落ちそうになるほど身をよじって笑ったのは初めてだ(私は戦場のピアニストのCMのオスギか?)。
 特にベンガルの間の取り方。これはもう神技。ゲストの藤山直美を引き立てる後半はややダレてしまうのは仕方ない。さすがの関西喜劇の天才もベンガル・綾田コンビの前ではかすんでしまったようだ。ベンガル恐るべし。8・50終演。時間もちょうどいい。
 10・20帰宅。


2月13日(木)晴れ

 3・20、仕事を終えてK記念病院へ鍼治療に。料金が4000円と安くなったのでうれしい。2週間休んだためかこの数日不調。

 治療を終えて丸の内線御茶ノ水駅に歩いていく途中で、耳慣れた歌が路上のCDのラジカセから流れてくる。メリー・ホプキンの「悲しき天使」。寺山修司の「時代はサーカスの象にのって」で使われた歌だから、最近でも何度か耳にしているのに、ふいにお茶の水の雑踏が30数年前の中学生だった自分の部屋に変わる。目に前に5球スーパーラジオ。そこから流れるのは夕方5時からのHBCラジオ「トップ20」。「悲しき天使」はずっとベスト1をキープしていた。DJの白馬康ニの声さえ聞こえるようだ。この突然のタイムスリップ感。おそらく、冬の冷たい風と歌がシンクロしたのだろう。「悲しき天使」がヒットしていたのは冬の季節ではないかとふと思う。

 5・00PM、江古田のK藤健一事務所。「ギャンブラー」公演の件。無名塾のE間さんと30分ほどおしゃべり。帰国子女だとか。はっきりとした物言い、感情表現の豊かさ。だれかに似ていると思ったら神田うのだ。ヒゲをのばしたカトケンさんがそばを通る。「ギャンブラーひげですか」と聞くとニッコリ。
 7・30PM帰宅。歌姫楽団のCD届く。

 服役囚の肛門に消防用ホースで高圧放水して暴行致死させた名古屋刑務所の事件。70年代の東映ピンクバイオレンス女囚映画も真っ青…。


2月12日(水)晴れ
 
 終日、家で過ごす。花粉症気味なのでクスリを飲んだら睡魔に襲われソファで昼寝。

 午後から原稿書き。
 先週新しくしたトイレの接続部分から水が漏れる。ほんの少しだが、時間がたてば水溜りができるほど。3・00、業者が来て修繕。こんどは大丈夫か。
 プリンターのサポートセンターに電話。やはり本体の修理が必要とのこと。なんだか、モノが壊れてばかり。
 夕食後、テレ朝「スイスペ」。大間のマグロ漁師にスポットを当てたマグロスペシャル。厳寒の海に出て行く漁師たち。祖父は生粋の漁師だから私も海に無縁ではない。小学生の時からコンブ漁に出ているのだから。
 マグロ漁に出ても捕れるのは稀だ。カメラクルーが乗り込んでその瞬間を撮影できたのは奇跡的なこと。渡辺さんのという漁師、いかにも大間の漁師の顔をしている。伯父・従兄たちの顔が二重写しになる。せっかく有名になった大間のマグロ。海の男たちがこれからも大間の海で漁ができることを切に願う。


2月11日(火)晴れ

 お昼近くに目が覚めて、娘の合格祝いを「華屋与兵衛」で。休日だからか超満席。生ビールを飲んで寿司をつまんで…。花粉症気味なのでクスリを服用。家に戻ったら眠気に襲われそのままバタンキュー。Webラジオから流れるジャズを子守唄替わりに熟睡。目覚めたら6時過ぎ。

 頼まれた原稿を書かなくてはと思うが、つい延ばし延ばしに。今夜こそ…。

 生まれ故郷の町に建設予定の原発が炉心を南に200bずらして建設を始めると新聞報道。反対派地権者の土地の買収を断念しての建設計画変更。原発敷地内に反対派の土地が飛び地のように残る。まるで三里塚空港で反対派の土地が滑走路をさえぎるように残ったのと同じ構図。原発が次世代への有効な電力資源となるか。世界の趨勢では撤退の潮流が大きくなってるのに、建設を強行する奇妙なニッポンの構図。

 周辺の2村が合併を申し入れする動きがあるというのも原発の固定資産税を含む巨大な利権をめぐってのこと。「われわれは運命共同体だ」とK村の村長。
 落ち武者の鎧を奪った百姓が隣りの家の人からオレにも分け前寄こせと言われているようなもの…とは言い過ぎか。年ごとに募る故郷への愛憎。「よしや うらぶれて 異土の乞食(かたひ)となるとても 帰るところにあるまじや」とうたった室生犀星のように、故郷などというのは忌避すべき個人の幻想なのかもしれないが…。


2月10日(月)晴れのち雨

 娘の高校受験の合否発表日。8時半過ぎに「受かっていたよ」とケイタイに報告が入る。びっくり。第一志望だが、人気学科だけに、ピアノの先生にも「厳しいですね」と言われていたので、あまり期待はしていなかったのだ。まさか入るとは思わなかったので「もう一度受験番号を見直したほうがいいよ」と思わず念押し。
 ともあれ、ホッと胸をなでおろす。これでひとつ問題が片付いた。

 5・00、六本木のネットカフェで時間つぶし。7・00、俳優座劇場で木山事務所「現代・娘へんろ紀行」。作=小松幹生、演出=高瀬久男の顔合わせは木山事務所初。舞台もいつもの木山事務所とは趣きが違う。地元紙の女性記者が見たお遍路さんたちのさまざまな人間模様。一柳みる好演。

 8・50終演。途中下車して軽く飲んでいこうかなと思ったが、雨も降っており、まっすぐ帰宅。


2月9日(日)晴れ

 明け方4時頃布団に入り、正午起床。昼食は家族でファミレスで。
 先に一人で帰宅し、実行中のスキャンディスク終了を待つ。エラーなし。 だいたい、プログラムエラーやアプリケーションの不具合で物理的な異音が発生するはずはない。
 あとは、やはり再修理しかいないか。

 作家・向井豊昭氏から岩波書店刊「ことばのたくらみ」をいただく。向井氏の「ゴドーを尋ねながら」が滅法面白い。恐山のイタコとベケットの「ゴドーを待ちながら」を誰が交差させようと考えるだろう。下北弁の文学の成立を目指す向井氏の面目躍如。

 イギリス政府がイラク攻撃を正当化するために発表した英情報機関の機密文書が米カリフォルニア州の大学院生が過去に雑誌に寄稿した論文をパクったものだとの疑惑を英国テレビが告発。しかもその論文は12年前の情報をもとにしたものという。文法、スペルの誤りもそのまま丸写しでは抗弁しようがない。さらに、文章の表現を改ざんして、イラク攻撃の正当性を声高に言い募っている。パクリ、改ざん、曲解。それほどまでしてアメリカに追随したい英国。紳士の国も地に落ちたものだ。


2月8日(土)晴れ

 仕事を午前中で片付け、PM3、下北沢・本多劇場でリリパットアーミーU「空天華」。近未来の宇宙を舞台にした中華活劇。土曜マチネとあって客は通路までびっしり。
 5・05、終演後、座長のわかぎゑふが舞台の上から「このたびは前座長の中島らもが逮捕され、皆さんにご迷惑をおかけしました。やってはいけないことをやってしまった。悪いことは悪いこと…」と客席にお詫びの言葉。物事に動じない冷静な人というイメージのわかぎゑふの目が涙でうるんでいる。
 カーテンコールでも再び「拘置所に面会に行ったら殴ってやりたい…」と涙目。

 まったく間が悪い。ちょうど公演が始まるときに、中島らもが大麻所持で逮捕されるなんて。座長を降りたとはいえ、劇団の創立者。公私ともにパートナーだったわかぎゑふの心中は察するにあまりある。

 ネット喫茶が満席なのでディスク・ユニオンへ。元東映ポルノ女優・池玲子の復刻CDを手にとる。聴いてみたいが、色モノだし、いまさら聴いても…。 東映

ヴィレッジ・ヴァンガードで「東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム」なるムック本を購入。2100円。日本映画史から抹消された1970年代の東映ピンキー・バイオレンス映画、いわゆる東映ポルノ、スケバン映画、バイオレンスアクション映画への賛辞をまとめた本。チラシ、ポスターのアートディレクションは今見てもすばらしい。残念なことに東映にはチラシなどの資料がほとんど残っていないということ。

 池玲子、杉本美樹、梶芽衣子、多岐川裕美、サンドラ・ジュリアン、一ノ瀬レナ…懐かしい女神たち。
 中でも一番好きだったのは山内えみこ。本には収録されていないが、内藤誠監督の「番格ロック」「ネオンくらげ」は傑作であり、長い間、もう一度見たいと思ってきた作品。内藤監督自身もインタビューで「かなり気に入ってる作品」と言ってるのを読んで「やはり」と納得。いつかこの2本が見られる日が来て欲しい。「番格ロック」はキャロルが音楽だった。「ネオンくらげ」は三上寛。そういえば「キャロル」のCDも出たばかり。このところ、レトロ、リバイバルが続く。キャロルか…。「夏の終わり」が懐かしい。テープにとってよく聴いたものだ。

 7・00PM。駅前劇場で毛皮族「ギラギラポルノ歌劇戦争 ヤコブ横須賀泥だらけのSEX」「グランドギラギラレビュー 毛皮族民主主義人民共和国」二本立て公演。

 毛皮族初体験。場内満席。若い女のコたちの間に初老のオジサンたちが点在。女の子たちの潔い脱ぎっぷりが目当てか。

 舞台の匂いははまさに東映ポルノ・スケバン映画そのもの。女同士のキャット・ファイトあり、歌・ダンス、バイオレンスのアングラ活劇。ニップレスを貼り付けているとはいえ、女のコたちは上半身裸。「ハイレグジーザス」「大人計画」に影響されたとおぼしきセリフの間、ブラックな味付けの笑い。

 今が旬とあってステージの勢いはある。ただし、女性が主導権を握る集団にありがちな「抑制の欠如」が目立つ。男同士よりも女同士の猥談がはるかに露骨であるというのと同じ。さらに、消化し切れていない言葉が生のまま放り出される。「部落ッ子タクシー」「東朝鮮」etc。意味ありげに見えて、子供が「ウンコ、オシッコ」と言えば笑うようなもので、熟考した上の台本ではなく、案外「皮膚感覚」なのかもしれない。
 元「ハイレグジーザス」の河原雅彦はいくら舞台でエロ・グロ・ナンセンスな舞台を展開しても、そこには品位があったし、差別的表現に対する抑制があった。どうも、そのへん、江本純子はまだ感情の赴くまま暴走している気がして引っかかるのだが…。

 役者では江本、町田マリーの二人がいい。澤田育子という女優さんも実に存在感があり惹かれる。あとでキャスト表を見たら、拙者ムニエルの女優さんだった。この3人だけが突出していた。

 10・20終演。エンドレスなカーテンコール。3、4回は繰り返しただろうか。会場整理を手伝っていたS氏と立ち話。8月に2週間、駅前を確保したとか。「これでブレイクさせますよ」とS氏。
 退出時間をオーバーしているとかで、江本純子と会えず、劇場をあとにする。外は雨。
 電車の中で「東映ピンキー・バイオレンスーー」を読む。笑ってしまうほど、「毛皮族」の舞台が二重写しになる。

 0・00帰宅。
 パソコン、やはり騒音がひどい。昼にhpカスタマーセンターから電話があり担当者と話したが、昨日と打って変わり「工場の修理は完全に行われているはず。もし、再引き取りしても異常が検知されない可能性が強い」と結構高飛車な態度。まるで「クレイマー」に対する応答。音という主観的なものだけに、客観的なデータの裏づけがないことは仕方ないが、家内、娘に聞かせても「傍にいられない」というくらいだから、個人的な主観の問題でないのは明らか。
 HDDではない、何か別の音の発生源がああるのでは。いずれにしろ、しばらく仕事にケリがつくまで、ガマンして使わなくてはならない。
 もう、今のパソコンは最初からケチのつき通しだったし。なんだかなぁ。


2月7日(金)晴れ

 パウエル報告で公表されたイラク通信傍受テープはアメリカの巨大傍受システム「エシュロン」によるものだという。衛星や地上の大型アンテナを使って世界中の音声通話、ファックス、電子メールなどの90%を傍受できるといわれるエシュロン。世界中のどんな機密情報もアメリカ国家安全保障局に筒抜けになる。一般の人もメールに「爆弾」「CIA」「FBI」といった単語を織り込めば、たちどころに発信者は当局にマークされるとか。もしかして、この瞬間、このHPも傍受されたかも。怖い世の中…。それに対抗するには、世界中の人がこの3単語をメールの度に文のどこかに挿入すればいいだけ。さすがにアメリカも世界中の人間をマークするわけにはいかないだろう…。


7・00PM。渋谷パルコ劇場で「スラップスティックス」。ケラがナイロン100℃で初演している作品。無声喜劇映画へのオマージュ。オダギリジョーが初舞台。なかなかこなれた芝居をしている。ともさかりえも好演。古田新太はデブの役ということで着ぐるみ状態。ナイロン100℃の舞台と違っていつになく端正な印象。ケラにとってこの作品がいかに大事かということ。いってみれば、どんなに世をすねたオトナでも小学校の恩師の前では当時の素直な子供に戻ってしまうのと同じ? ケラにとっては小学校の恩師はサイレント映画にあたるのだろう。サイレント映画と、それに命をかけた人々へのあたたかなまなざしに満ちた3時間10分。10・10終演。
 帰宅は11・40。せっかくいい舞台でも、家にたどり着く頃には疲労感で雲散霧消してしまう。
0・30就寝。


2月6日(木)晴れ

 朝、パソコンを立ち上げたら、またキーンというi異音。昨日立ち上げたときには風切音しかしなかったのに。次第に音が大きくなっている。ハードディスク交換したはずなのに。音の発生源はHDDじゃないのか? 筐体、電源部も関係あるのか。せっかく設定し直したというのに、がく然。自分の感覚がおかしいのかと、ためしに家人に聞かせると、耳を覆って「いやな音」。マイッタ。なんのための修理入院だったのか。
 永井愛さんから著書「新 明暗」をいただく。漱石の未完の作品を戯曲化した作品は昨年度の「マイ・ベスト」の1本だ。公演ごとに新たな演劇の可能性を提示してくれる永井愛さんの才能。まさに劇作家の名にふさわしい。

 2・00PM、銀座・博品館劇場で「ボーダーレス2 ガーディアン・エンジェルス」。大浦みずき、小野妃香里、蘭香レアほか出演のミュージカル。平日マチネとあって客席は8割。宝塚時代からの追っかけおばさま方が多いようだ。歌って踊れる7人のミュージカル女優。ダンスシーンの華麗さはさすが。 4・10終演。

 地下鉄駅に向かう途中、5、6人の制服警官が道端に待機している。その向こうに黒山の人だかり。スワッ、何か事件か、と駆け寄ると、人垣が崩れ、その間からテレビカメラが現れる。何を追いかけているのかとその先を見ると、テリー伊藤、松村、そして石原慎太郎らが取り巻をつれてレストランから出てきたところ。すぐに隣りの宝石店にぞろぞろと入っていく。「ここは行き付けだから」なんていう声。テレビ番組の収録か。都知事の移動だけに制服警官がびっしり張り付いていて。でも、結構無防備。

 5・00、退社。

 電車の中で「映画芸術」を読む。
黒沢清監督「アカルイミライ」の特集。大寺某という若い評論家が小難しい評論を書いている。なんとなく苦笑。演劇界もそうだけど、自分とその周囲しかわからない言葉で語る評論家がいかに多いことか。10代の頃は、こういった韜晦趣味の評論を読んで「恐れ入りました」と平伏したものだが、今思えば、こういった評論家は相手に自分の言葉を伝える能力がないだけの話ではないかと思ったりして…。ま、それも開き直りか?

6・00帰宅。パソコンメーカーのサポートに電話。症状を話すと、「調べて明日必ず連絡します」と恐縮しきり。
念のため、デフラグ、スキャンディスク。しかし、音は変わらない。


2月5日(水)晴れ

 トイレの工事があるので、業者を待っていたら11時に宅配便。何だろうと思ったらパソコンの梱包。昨日見積りに返事をしたばかりなのに、早い。

 さっそく据え付ける。まっさらな状態からの立ち上げ。なかなか感動的。しかし、それからバックアップソフトをインストールして、Dドライブのバックアップデータをリストア。ところがなぜかうまくいかないので、またハードディスクをフォーマット。うまくいかない。Dドライブも認識しない。で、またフォーマット。それを繰り返しているうちに疲れてくる。うまくリストアされたはいいが、今度はメールやADSLの設定をやり直さなくてはいけない。プロバイダーに聞きながらなんとか終了したのが6時。半日も費やしてしまったわけで、やっぱりパソコンというのは難しい。バックアップソフトとうのも絶対ではないということを確認。システム全体をバックアップというが、結局、大事な設定は手作業になってしまうのだ。

 トイレの工事は2時から始まって、「4時間で終わる」はずが8時半にようやく終了。パソコンはなくてもトイレのない生活は…。


2月4日(火)晴れ

 朝、快適な目覚め。睡眠時間は5時間半でも充足感あり。ジャニーズ系事務所の空調設備の取り替えをしている夢。なんとまあヘンな夢。

 仕事順調。トラブルもなし。パソコン修理の見積もりが出る。3万3000円。今週中に返却される予定。
 
 待ち合わせの時刻まで間があったので、シネ・アミューズで黒沢清監督の新作「アカルイミライ」を見る。昼でも客席は8割方埋まっている。
 ここ何年もいわゆる単館映画はほとんど見ていないことに気づく。映画も細分化が進み、芸術性の高い映画が上映されるようになったのはいいが、限られた単館上映はなかなか見る時間が取れない。単館上映のはしりは新宿のシネマスクエア東急だっただろうか。

 24才と25才の若者が主人公(オダギリジョーと浅野忠信)。二人はおしぼり工場で働く同僚。浅野は廃屋のような部屋でアカクラゲの一種を飼育している。徐々に塩水の塩分を減らし淡水になれさせようという試みを続けている。工場長は55才。「俺が若い頃はな、学生運動の真っ只中でよ、頑張ったさ、俺も。でも、あれって何だったんだろうね。今じゃなーんにも残ってないね。若かっただけさ」と言い、「今君たち何聴いてんの。CD貸してよ」と浅野にへつらう。

 この工場長一家を浅野が襲い、惨殺したところから「物語」は異様な展開を見せる。
 独房で縊死した浅野の右手はハリガネで固定されている。二人の黙契「GO」の合図。
 オダギリは浅野の遺志を継いでクラゲの飼育に精を出す。彼は廃品を回収し、修理することを生業にしている浅野の父と同居するようになる……。

 芝居では見る人の視線によって舞台がどのようにも取れる作品があるが、この映画もまた個々の観客の想像力に映画の半分を委ねる。

 下水から川に逃げ出したアカクラゲが大量発生し、川を下って行くシーンの美しさ。CGはこんな場面にこそ使われるべきだろう。
 ゲバラのTシャツを着たチーマーたちがダンボールを蹴飛ばしつつ街を闊歩するラストシーンまでメタファーの連続。なぜ、同じ全共闘世代なのに、工場長は殺され、浅野の父はクラゲに刺されながらも生き延びたのか。クラゲは革命幻想の単純な比喩なのか。アカルイミライがチーマーたちの行進で終わるというのは皮肉か、あるいは彼らにこそ託さざるを得ないという希望の象徴なのか。深読みしようと思えばいくらでも深読みできる映画ではある。

 ふと、寺山修司がアメリカの作家の作品をひいて、語った物語を思い出す。
 大きくなったために手を焼いて、ワニの子供をアパートのトイレから流した男の話。ワニは下水をつたい、ニューヨーク(だったか?)のいたるところに出没し、次第に数を増やしていく。どこからとも現れるワニのためにニューヨークがパニックになるという物語。寺山修司は確か「ワニは何を表すのか。マッカーシーの赤狩り時代を背景に、アメリカ人は恐れた共産主義の比喩なのか」と書いていたように思う。
 このクラゲの大発生も同じような比喩を含んでいるのだろうか。東京の川を海に下っていくクラゲ(刺されると死ぬ凶器)の群れを見て狂喜して追いかける父親。クラゲの群れに革命幻想を見ているのか。

 ある評論家はクラゲの行動を「海に逃げ出す」と解釈していたが、それはたぶん違う。
 私ならもうひとつの物語を作る。まつろわぬ死者、永遠の不服従を誓う人々の魂はクラゲと原子の単位で一体化する。海に向ったのは破滅への行進。その先にあるのは、光り輝く巨大な排水管…。

 PM7。渋谷駅前でRさんと待ち合わせ。7th floorで映画「オー・ド・ヴィ」公開記念ライブイベント。初めてのスペース。50〜60人ほどの客。
 
  司会は映画の助監督の女の子だが、あがた森魚が映画音楽を担当し、またロケを自身の縁の深い函館で行っている関係でほぼ一人で仕切り。一部はあがた氏のおしゃべりと助監督以下スタッフの紹介。そして出演者の一人・鰐淵晴子のトーク。女優に年齢はないというが、鰐淵晴子はいったいいくつになったのか。映画の中で、岸谷五郎と濡れ場を演じているという…。

 二部でようやくライブ開始。すで開演から1時間半経過。「電車で帰りたい人いる?」と会場に呼びかけるあがた氏。監督の篠原氏とテレビ朝日のドラマを撮ってるという根岸季衣がコーラスで参加。昔からあがた森魚とは仲がいいらしい。意外な顔合わせ。カウンターのそばに生田萬さんの姿を見つけたので挨拶。ブリキの自発団が解散してからあまり会う機会もないが、この前、横浜で若手の役者を使って舞台をやったというのは聞いていた。「もう少し本腰入れてやらなきゃいけないんですけどね」と生田氏。なんでもテレビドキュメンタリーのナレーションをあがた氏に頼んでいる関係で今日は来たのだとか。「何十年ぶりでしょうね、あがた森魚のステージを見たのは」。

 サインを求められたり、会場に顔なじみが多いらしいRさん。終演後にあがた森魚氏を紹介してくれたので3人で立ち話。10・30、これ以上遅くなると大変なので、Rさんと別れて家路に。


2月3日(月)晴れ

 朝から花粉症の気配。用心のため、電車の中で鼻炎用のクスリを服用。そのせいだろうか、顔が上気して熱っぽい。頭はフラフラ。まるで風邪のような症状。
 今日は宮本亜門ミュージカル「ファンタスティックス」。キャンセルはちょっとムリか……。

 2・00〜4・30、めまい状態に耐え切れず、仮眠室で熟睡。

 起きた後、このまま芝居をキャンセルして家に帰ろうかと思ったが、パブリックシアターは前にもドタキャンしてる。信頼を損なうよりは多少体がツラクても辛抱して行ったほうがいい。6・00PM、三軒茶屋。定食屋でさんま、目玉焼き定食830円。

 TSUTAYAでCD物色。女性3人組ボーカルBLESSの「私たちの望むものは」を購入。

 渋谷陽一選曲のカバーアルバム。タイトルはもちろん、岡林信康の名曲。ほかに「朝まで待てない」(モップス)、「春のからっ風」(泉谷しげる)、「翳りゆく部屋」(荒井由実)、「ラスト・ステップ」(吉田美奈子)など。ヒップホップ、R&Bなど今風のポップスタイルが耳に心地よい。

 映画芸術最新号は2002年映画のベスト・ワースト特集。座談会「たそがれ清兵衛はほんとうに傑作だったのか」を読む。荒井晴彦、石堂淑朗、スガ秀実の3人が放談。「たそがれ」への批判は単なる山田洋二=日共嫌いから発するトリビアリズムだから、あまり説得力はない。しかし、石堂が松竹時代の大島渚のことに触れるくだりで「寺山修司が試写室にまぎれ込み……大島とボクのことをヨイショした。この男はヨイショだけでのしあがってきた云々」の個所には腹が立つ。石堂という男、前からいけ好かないヤツだと思っていたが、こんなふうに寺山修司の悪口を言う人間だったとは。


 7・00、パブリックシアター「ファンタスティックス」。宮本亜門がミュージカルの名作に挑戦。主演の井上芳雄、高塚恵理子は初めて見る俳優。斎藤暁、岸博之、二瓶鮫一は壱組、カクスコでおなじみ。青年座の山路和弘がエル・ガヨ役。60年初演だから、いわばミュージカルの古典であり、今風の音楽性に重点を置いたミュージカルとはまた別物。

 家が隣り同士の少女ルイザと青年マット。高い壁を隔ててロミオ・ジュリエット状態。ホントは両親同士が仲がいいのだが、親がお膳立てしたら逆効果になるだろうとのはからい。さて、年頃になった2人。どうやって両家を和解させようかと親同士がヒソヒソ。流れ者を雇って狂言誘拐を演出。めでたく2人は障害のない恋の虜に……。ところが、月明かりの下でささやいた恋の言葉はまぶしい太陽の下ではそらぞらしく聞え、お互いのアラが見えてくる。やがて2人は決別。マットはエル・ガヨの幻想の中に迷い込み……。

 休憩15分込みで2時間10分。あまりにもオーソドックスなミュージカルなので、やや退屈に感じるが、後半は持ち直して終幕へ向けて一直線。モーティマー役のテレビ芸人なすびも本格的舞台は初めてにしてはまあまあのデキ。

 終演後、駅に急行。帰宅は10・30。


2月2日(日)晴れ

 8時起床。9時までにタクシーで総合体育館へ。下の子の縄跳び大会。広い市営体育館は今年も子供と保護者で満席。9時の開会宣言後、たいくつな来賓祝辞が続く。さすがに市会議員の挨拶は省略。

 10・00スタート。一般の部から6年、5年……。子供の順番が来たのが11時。時間跳び、去年は1分でアウトだったが、今年は2分40秒と記録をのばす。わずか1分でも、その成長がうれしい。

 0・00、昼休みに入り、その後の競技がないので、そのまま家族で引き揚げる。タクシー代1780円。
 帰宅後、睡魔に襲われ夕方まで熟睡。

 夕食後、「かくれんぼをしようよ」とはしゃぐ子供。明日が受験というのに、一緒になって弟の遊びにつきあう姉。肝が座っているのか、のんびり屋なのか?

 9・00、夏樹静子の短編を読み終わり就寝。切れ味のいい短編だった。食わず嫌いだったか、もしかして……。

米スペースシャトル・コロンビアが帰還途中で空中分解。NASAによればシャトル本体が消失するような重大事故にあう確率は245分の1から735分の1になったというが、これで86年のチャレンジャー爆発に続いて2度目の重大事故。米国の威信と名誉をかけて建造した世界の最先端技術でさえ、まだ事故が起きる。人間の作るものに「完全」の文字はないと思った方がいい。


 「もんじゅ」設置取り消し訴訟で敗訴した国が上告した。「原発は安全」と言い切る人々は、技術への絶対的信仰を持っているらしいが、それは細部のネジ1本もゆるがせにしないという日ごろのメンテナンスへの信頼が背景にあったはず。しかし、このところ、「瑣末で煩雑な定期メンテナンスは省略しても安全」という論が台頭している。安全基準の軸の移動。不思議な話だ。

 たった1度の重大事故で全世界が壊滅的な被害を受ける原発は即刻停止したほうがいい。電力の原発依存度が30%というのは数字のマジックにすぎない。

「火力発電を停止しているから相対的に依存度の数字が上がっているだけで、原発がなくなっても電力危機はありえない」(京大原子炉実験所助手、原子核工学・小出裕章氏)という。
 人は死すべきもの、壊れないモノはない。技術に絶対はない。

 威信を傷つけられたブッシュ・アメリカはこれをきっかけにイラク攻撃から撤退するのか。それとも、「景気付け」にイラク攻撃するのか。単細胞ブッシュなら後者か……。


2月1日(土)晴れ

 午前中で仕事を片付け、2・00、六本木、アトリエ・フォンテーヌでfocoプロデュース「7階で起きた7つの物語」。今まさに飛び降りようとする男の前に開く7つの窓。その窓から見える7つの物語が終わったとき、男は……。海外翻訳ものらしい固さはあるが、役者が達者なので1時間45分はアッという間。終演後、主宰のTさんに挨拶。偶然見に来ていたK企画のKさんと駅まで。

 4・30帰社し、後片付け。7・00、池袋中ホールで流山児★事務所「青ひげ公の城」。

 イラク攻撃を象徴するハリウッド映画のコラージュ映像での幕開き。映像製作は天野天街。そして、いかにも流山児祥らしい、出演者全員による戦闘シーンが続く。2003年現在の「青ひげ公の城」というわけだ。

 ただし、本編は寺山修司の戯曲を改変することなく進んでいく。テープで流れる「カムダウン・モーゼ」の歌声が終わると、池田有希子が客席通路から登場。青ひげの第7番目の花嫁であり、劇場で消えた兄を探す少女でもある。劇場という名の迷宮をさまよう死者と生者たち。劇の中の死は現実の生、現実の死は劇の中の生。死と生、詩人の血とエロスに満ちた「虚構」をめぐる舞台。流山児の暴力的な美学と寺山の静謐な美学が融合し、新しい「青ひげ」となった。

 李麗仙、松本紀保、平栗あつみ……と女優陣見健闘。しかし、篠井英介の怪物ぶりには誰も太刀打ちできない。美醜・正邪が一瞬にして逆転する「半陽」の魅力をこれでもかと見せつける。
 9・10終演。

 ロビーで初日乾杯。小松杏里、坂手洋二、伊藤裕作、三田村周三、有薗芳記ら。流山児が15日にイラク攻撃反対のデモを計画。
 池田有希子と立話。細身の黒縁メガネなので一瞬誰かと思った。

 10・00、流山児、杏里、裕作氏、楽塾メンバーで近くの居酒屋へ。0・00まで歓談。I氏から、T氏のところに出入りしていたA氏が自殺したということを聞く。そういえば最近顔を見なかったが。子供もまだ小さいという。自分の保険金を養育費にあてようとしたらしい。不況の時代、身につまされる話だ。
 今日、美加理が来ていたというウワサが流れる。しかし、誰も会った人はいない。「来たら必ず会いに来るよ」と流山児。不在の美加理をめぐる不思議な一件。まるで今日の「青ひげ」のような…。

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