3月31日(月)快晴

 一日見なかったら会社の前の公園の桜はすでに満開。昼休みに大勢のサラリーマンたちが桜の下でランチ兼酒盛り?
 のどかな昼下がり。Tシャツ1枚でも過ごせるような暖かな一日。

 先週のサンデー毎日で作家の島田雅彦氏がこう書いていた。

 「非暴力無抵抗主義を貫き、大規模なストライキで大英帝国から独立を勝ち取ったインドのガンジーに倣い、アメリカが無理難題を突きつけても、できせん、知りません、わかりませんを貫き、国際協調路線に鞍替えし、礼儀正しくアメリカにそっぽを向けばいい」「そして、こっそり、アメリカが見捨てたパレスチナの支援を行い、中東諸国の信頼の回復に務め、対米追従の罪滅ぼしをする。それが平和国家の筋であり、狡知というものではないか」「当然、アメリカが報復を仕掛けてくる。それは、しかし、平和確保の税金だと思えばいい」

 島田雅彦氏にはどこかシニカルで高踏なイメージがあったが、珍しく真正面からの言説。辛口で鳴らす某コラムストも、「開戦前に町ですれ違った若いアメリカ兵の姿を見た。まだ幼さの残った彼らもイラクで死ぬことになるかもしないと思い、心が痛んだ」と記していた。

 普段、斜に構えて世の中を見る人たちでさえ、イラク戦争は”真正面”から見ている。

 女性映画評論家・中野某は例によって「デモに行ったりして浮き足立つことはしたくない。家にいて安穏としていることが私の抵抗運動なのだ」と皮肉屋の真骨頂。全共闘崩れの一番イヤなタイプ。こういう人とは生涯お友だちにはなりたくない。

 「週刊現代」で慶応大教授・金子勝氏が「米国ではすでに議会制民主主義が機能していない。日本ではアメリカのジャーナリズムが世界で最も自由であるという幻想があるが、”国境なきレポーター”組織によれば、アメリカのジャーナリズムの自由度はコスタリカに次ぐ17位に過ぎない。9.11以降、”愛国者法”が成立、多くの良心的ジャーナリストがブッシュ政権を批判したことによって仕事を失ったことを日本人は知らないのではないか」と書く。

 米メディアは自国に都合のいい情報を選別し、公正さを装い報道する。今週の「週刊現代」はあえて、凄惨な戦死者の遺体を掲載していたが、こんな写真を見せられたら、厭戦気分が広がるのは必至。だからこそ、米メディアは戦傷者の映像をシャットアウトした。しかし、戦争は悲惨なもの。アメリカは”ジュネーブ協定がどうのこうの”と言うが、ベトナム戦争の時、ベトコン兵士の生首をぶら下げてニタニタ笑っていたのはどこの国の兵士だったというのか。
 「ブッシュは最後通告の前に、攻撃命令を出していた」とNYタイムズの記者が告発。
 フセインの亡命があったとしても、ブッシュは戦争を仕掛けただろうと言った開戦前の高官筋の話を裏付ける報告といえる。やっぱり…。


 夜、テレビのナツメロ番組をちらっとのぞく。ペギー葉山が「学生時代」を歌っている。この歌を聴くと、なんだか胸がキュツと締め付けられる。ツタのからまるチャペル、祈り、ノートとインクの匂い、テニスコート、キャンプファイア、清い死…。小学生の自分にはまるで遠い異国の物語。想像もつかない都会のオトナの世界に思えたっけ。今でもこの歌を聴くと、そんな子供の時代の周りの景色が目に浮かぶ。のどかな田園と彼方に広がる海。そこで夢見ていたチャペルやテニスコートもはるかに通り過ぎて、「思えば遠くに来たもんだ」と中原中也の詩を口ずさみたくなったりして…。

3月30日(日)快晴

 8.30起床。昨日録画した「池袋ウエストゲートパーク IWGP」特別編を見る。続けて、「クレヨンしんちゃん」を。昨日は途中からだったので、最初から途中まで見るという変則技。なるほど名作といわれるだけのアニメ。合戦シーンや戦国時代の生活などのディティールのこだわりがハンパじゃない。
 昼過ぎ、昭和精吾さんに電話。この前から気になっていた「永山則夫への70行」の事件を伝えるアナウンサーが誰なのか確認したかったのだ。「あれは、今も親交がありますけど、NHKのアウンサーなんですよ」との答え。林美雄だと思っていたが、違ったか…。5月にドアーズで三上寛とジョイントをする予定。昭和さんの朗唱は国宝級。寺山修司ファンならずとも聞いて欲しい。

 午後、レンタル倉庫に冬物と雛人形をしまってくる。夕方は公園で子供と野球ごっこ。6時帰宅。まだ外は明るい。
 しかし、休みの日ってどうして気力が萎えるのか。「休みの日はあれもやろうこれもやろう」と思うのに、いざ休みになると何にもやる気が出ない。ただうだうだと一日が過ぎるだけ。もったいないと思うのは貧乏性なんだな、やっぱり。


3月29日(土)快晴

 暖かな一日。仕事も順調。

2.00。ベニサン・ピットでtpt「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない?」。エドワード・オルビー1962年の作品。パーティーの夜、大学教授夫妻、ジョージとマーサの家に招かれた若い生物学教師とその妻。その前で激しいののしりあいを始める二人。それはとどまることを知らず、やがて若い二人を巻き込んだ妄想のゲームへとつながっていく。
 大浦みずきが心に深い傷を負った妻役を好演。田山涼成も懊悩するインテリ役を見事に演じている。機関銃のような言葉の応酬。三幕劇。1回目の途中休憩では田山がそのまま居間に居残り、所在なげな様子。

 大学教授の部屋らしく、上手から中央にかけて本がびっしり並んだ書棚。中央に出入り口。その後ろは”吹き抜け”になっていて、トイレに行く観客が書棚の後ろに透けて見える。手前にソファ。下手は客席脇から人物が出入りする通路。変形の舞台装置。4・20終演。

 開演前に、制作のK井さんが「田山さんが、”○○さん、いつ来るんだろう”って、ずっと楽しみにしていたわよ」と。
 田山さんと最後に会ったのは、確かシアタートラムで舞台を見た時。あれはいつだったか。

 楽屋に行くと着替え中の田山さん。「あぁ、○○さん、今日見にきていたんですか。K井さん、わざと教えてくれなかったんだ」と顔をくしゃくしゃにして喜んでくれる。
 廊下に出て立ち話。そこに演出のアリ・エデルソン氏が通りかかり、「ノド大丈夫ですか?田山さん」「大丈夫、腹筋やってますから」
 田山さんが通訳を介して紹介してくれたので、「すばらしい舞台でした」と言うと「ありがとうございます」とニッコリ。まだ20代だろうか。かなり若い。ニューヨーク生まれのユダヤ系アメリカ人。文化庁のフェローシップで2001年から来日中という。田山さんは来年まで舞台の予定はないという。

「またしばらくはテレビの方で頑張ります。西武警察のレギュラーも決まっちゃったんですよ」
 すっかりテレビドラマに欠かせないバイプレーヤーになってしまった田山さん。テレビばっかりやってると、今回のような小さな舞台で客の視線にさらされるということが役者としてのいいリハビリになるだろう。

 楽屋を辞去して、駅に。途中で朝日新聞のI氏と合流。先日の3・21芝公園集会に行ったら、流山児組の演劇人反戦の会の旗があったとか。4・5サザンシアターの演劇人の反戦集会、ロビーが狭いから、参加者が多すぎたら大変なことになるね、とか話しながら駅まで。

 5.00、いったん会社に戻り、後片付けをして退社。目の前の公園の桜はようやく半分開花。青いビニールシートの上で酒宴の人たちも。
 俳優のI田信之氏から留守電。折り返し電話すると「来週あたり飲みませんか」とのこと。

7.00、帰宅。途中から「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ 戦国大合戦」を見る。イラク戦争とぴったりシンクロ。

 今日も米軍の誤爆でバグダッドの市民が55人死亡。息子を殺され泣き叫ぶ父親。包帯を巻いた幼児。自分が同じ立場だったら…。恨みはテロを増幅させる。9.11だって、背景には湾岸戦争以来中東に駐留し続ける米軍への憎しみがある。戦争では決してテロの芽は摘み取れない。逆にテロを誘発するのは自明のこと。今後、ブッシュが枕を高くして眠れる夜はないと思ったほうがいい。

 一方で、英軍に米軍が劣化ウラン弾を誤爆。兵士3人が死亡。相変わらず友軍同士の相打ちが多い。市民への誤爆といい、どこがピンポイント爆撃だというのか。意図的にやってるとしか思えない。


3月28日(金)快晴

 朝、ちょっとぐずついたが、昨日飲んだ処方薬が効いたのか、はたまた花粉の飛散量が少ないのか、快適とまではいかないが、普通に過ごすことができた。

 きのう27日3.00PM、漫画家の石坂啓さんら4人が東京・文京区光源寺境内に架設した「ピース・テント」で48時間のハンガーストライキに突入したとのこと。

 石坂啓といえば「正しい戦争」という反戦漫画を思い出す。この本の後書きで、作家の山中恒氏が「どんな理由をつけようとも、戦争は国家による大量殺人なのだ」と結んでいた。
 手塚治虫の継承者の一人であり、同世代のメンタリティーを共有できる漫画家。小林よしのり「戦争論」への反撃本「戦争論 妄想論」の共同執筆者でもある。漫画家たちの戦争への異議申し立てがほとんど聞こえてこない中、手塚治虫亡き後の漫画界で際立つ行動力に敬意。

 チェイニー副大統領を見れば、戦争は巨大ビジネスということがよくわかる。

 チェイニーが副大統領就任直前まで社長(CEO)を務めた石油・建設会社「ハリーバートン」の子会社「ケロッグ・ブラウン・アンド・ルーツ」はイラクで展開している兵士達の食糧手配から仮設住宅建設まで一手に引き受けている。

 戦後復興についても、空爆で破壊された橋の補修・仮設などに関して早々と指名業者に選ばれている。
 
 チェイニーは副大統領になってからも、この「ハリーバートン」から毎年1億円以上の株配当金を得ているという。戦争遂行で儲けて、その復興特需で儲ける。真っ先に別働隊を油田保全に向けたのも石油権益を保護するためだったといえる。 

 その復興費、一説には12兆円。日本の政治家はまるで自分の貯金箱から出すように「2割は負担しましょう」とか言ってるが、ホームレスが2万5000人も増え、しかも直前まで会社の正社員だったという人が路上生活しているというのに、もみ手してアメリカに巨額のカネを差し出す。それがブッシュ閣僚の関係企業に吸いこまれていく。これほど戦争の正体がクリアに見えることはない。もはや、なんだかなぁを通り越してる。

 小泉首相が、75歳以上の老人にも保険料を負担させようと、医療制度「改悪」を発表。どこまで搾り取ればいのか。これでもおとなしく引かれていくのだろうかドナ・ドナたち。以前、「1回の飲み代をガマンすれば3万円くらいは……」と言った扇ナントカという大臣がいたけど、彼らの金銭感覚は飲み代1回が3万円ということか。というより、サラリーマンは1回の飲み代に3万円も払っていると考えているわけで、さすが、税金で保護されている古典芸能や三代続いた政治家一家の金銭感覚は違う。
 彼らにはリストラされたサラリーマンや昼飯を立ち食いそばでガマンしているサラリーマンの気持ちなどわかるはずがない。

 昼、万有引力・N氏から電話。「青ひげ公の城、今日が初日です。来週待ってます」と。ちょうど万有新聞が届いたばかりなのでお礼を。 
 3.30、ミーティング。4月1日からの人事的変更の説明。
 5・00帰宅。
先週放送したNHK・FM「冬の終わりのゴキブリの…」。久々の傑作。孤独な少年が見たオトナ社会の歪みと欺瞞をダークなファンタジーとして描いている。細部に文学の匂いが宿り、効果音、演出がいかにもラジオドラマらしい作品。篠原久美子脚本。しかし、NHKのホームページに掲載していある放送済みの番組のシノプシスと全然違う。中身が変わったのならデータも変えて欲しい。

 

3月27日(木)快晴

 突風が吹き荒れた一日。そのせいなのか、花粉症がひどかった。午前三時に目が覚め、「これは大変」と錠剤を1錠含んで再び睡眠。
ところが、いつもなら1錠で1日もつのに、朝会社に行くと、クシャミ、鼻水。それも、ひっきりなし。仕方なく、再び錠剤を1錠含むも、効き始めたのがお昼近くになってから。
 3.40、K記念病院で鍼。
5.00、阿佐ヶ谷。「魚竹」が休みなのでげんこつラーメンへ。食券制になっていたのでびっくり。大盛り840円。
 天祖神社の前のディスカウントショップが消え、更地になっていた。跡地は河北病院の分院になるらしい。阿佐ヶ谷も変わっていく。

 6.30、中野の喫茶店でチーズケーキとコーヒー650円。再び花粉症の症状が出始め、動揺。
 7.30、中野ザ・ポケット。スパーコ「レンタルスペース」。初めて見る劇団。物語でもパフォーマンスでもない、ポップ感覚の不思議な舞台。小関ゆかりという女優が実にキュートで可愛い。収穫はそれだけ。9.25終演。
 11.00帰宅。

 それにしても今日の花粉症どうなってるのか。あまりにもひどすぎる。

 アメリカがクラスター爆弾、劣化ウラン弾を使用したと認める。これもひどすぎる。1キロ上空で親爆弾が炸裂し、247個の子爆弾が500b四方の人間を殺傷する。むご過ぎる爆弾。劣化ウラン弾は放射能被害を拡大する。戦争は環境汚染の最たるもの。
 親が爪に火をともすようにして貯めた貯金を放蕩息子が一晩で使い果たすようなもの。今まで、各国が環境浄化に努力してきたことが一瞬で帳消しになってしまう。
 大量破壊兵器を摘発するために大量破壊兵器を使用する矛盾。

 緒戦で見つかったとされた化学兵器工場も「あれは間違いだった」と米側。情報かく乱戦。

 前線で従軍している新聞記者が、「ホテルでお風呂に入っている自分を夢想する」と。「快適な場所にいて政策決定する人たちに強烈な嫌悪感を抱く」とも。

 ノーベル平和賞受賞の米女性二人が反戦デモで逮捕。ブッシュの所属するキリスト教会派の代表が反戦の意を伝えるため、面会を希望するもブッシュはこれを拒否。どこが信心深いというのだろう。

 クラーク報道官がアメリカの誤爆について聞かれ、「サダムの政策の結果だ」と逆切れ。「珍妙な論理」とさすがに毎日新聞もチクリ。

 福田康夫官房長官が「民間への被害は仕方ない」と言明。

 石破防衛庁長官「自衛隊に他国の基地を攻撃する能力を持たせることは検討に値する」
 トマホークの導入を指すもの。さすが軍事オタクの長官。欲しいものがいっぱいあるらしい。

 国連で日本が米英の軍事行動を正式に支持。「戦費も2割負担したい」と自民。「プードル・ブレア」「チワワ・小泉」。…お笑いニッポン。


3月26日(水)快晴

 終日、家でうだうだと過ごしてしまう。

 イラク戦線は膠着状態のよう。米イラク双方の情報戦が錯綜し、どれが本当なのかまったく霧の中。「勝った勝った」は士気を鼓舞するためと、相手をかく乱するための常道。どちらも大本営発表だからアテにならない。確かなのは戦場で人が死んでいるということだけ。

 午後、オフィス2000をインストール。先日、インストール中に電源を落としたために完全にインストールできず、「致命的なエラー」と警告メッセージ。マイクロソフトの無償サポートを受けて復旧。ようやくスムーズにインストール。
 その後、システムのバックアップを取ろうとしたが、エラーが出るので、バックアップソフト会社に何度も電話。その度に丁寧に受け答えしてくれる担当者。アイカワさんという女性が懇切丁寧にサポートしてくれる。イージーシステムジャパンの「バックアップPC」のサポートは電話も待たせず、実に親切。おかげできちんとバックアップを取ることができた。約3時間半。Cドライブの20ギガをDドライブにバックアップ。これで一安心。
 この頃、休みのたびにPCのトラブル処理に追われている。時間を無駄にしているようで、もったいない。


3月25日(火)雨

 半蔵門線との乗り入れによってダイヤ改正されたためか、いつも使う朝の通勤電車がかなりすいている。ただし途中の駅で始発電車に乗り換えるときはホームで待つ人数が多くなった。

 戦況はイラク側の激しい反攻で米英が苦戦。同士打ちで死んだ米英軍の兵隊の数がイラク兵に殺された数より多いというのだから戦場の混乱がわかろうというもの。この「同士打ち」について、アメリカ側は「それが戦争というもの」と会見で述べた。市民が米英の誤爆で死んだときにも同じように「それが戦争というものだ」と言っていた。戦場で死んだ兵士の2割が後方からの射撃で後頭部を撃たれていた説もある。今この瞬間、全世界では身内の病気や死に立ち向かい、必死で一つの生命を守ろうとしているのに、兵士の戦死に対して、いともたやすく「それが戦争というものだ」という戦争屋たち。

 仕事も夕方まで息つく暇もないくらいの忙しさ。

 6.30、梅ヶ丘。駅前のそば屋さんですきやきうどん定食1050円。7・30PM、梅ヶ丘BOXで燐光群+グッドフェローズ「アビリティーT/U」。雨がそぼ降る中、観客40人ほど。インドネシアの俳優 トニー・ブルールが構成・演出。トニーと燐光群の俳優たちによるセリフのないパフォーマンス。舞踏と鈴木忠志メソッドを合わせたような様式的な舞台。第二次世界大戦における戦火のインドネシアをモチーフに、奏でられる9.11以降の世界への鎮魂。舞踏を見慣れた者にとっては上半身は裸、下半身は肌色のタイツ姿で”舞踏”するトニーの姿は奇異に見えてしまうのは、いたしかたない。前に座った50代のおばさん4人組。始まる前に、「花代とチケット代と…精算ね」と言いながらお金のやり取り。始まったら「ほら、あの人が…で」とおしゃべり。狭い小屋なので響くこと。すかさず前の人が注意、ことなきを得たが…。

 8.20終演。約50分。堅い椅子におしりが痛くなる限界。ちょうどいい時間だ。駅に直行。小田急ーー千代田線と乗り継ぎ、9.40帰宅。

 米アカデミー賞授賞式。「ボウリング・フォー・コロンバイン」で長編ドキュメンタリー賞を受賞したマイケル・ムーア監督が「われわれは作り物の選挙で選ばれた作り物の大統領によって作り物の戦争に行かされる時代に生きている。戦争には反対だ。ブッシュ大統領よ、恥を知れ」と挨拶。盛大な拍手と小規模のブーイング。

 作り物の戦争とは「フセインが今晩あなた方を殺すだろうというのが作り事であり、原油があるからイラクを攻撃していることが真実なのだ」と答えた。スーザン・サランドン、キャシー・ベイツ、ダニエル・デイ=ルイスなどもピカソの平和バッジをつけて反戦の意思を示した。「戦場のピアニスト」の主演男優エイドリアン・ブロディは「戦場でいかに非人間的なことが起こるか、平和による早い解決を」と結んだ。
 セレモニーを政治メッセージに使うなという無言の圧力を跳ね返し、自分の意思を表明するハリウッド映画人たちのなんと気骨のあることか。

 それに比べて、24日の予算委員会で小泉首相が米国の武力行使を支持した理由を問われ「日本はフランスのように核兵器を持っていないから」と答えた。日本の平和憲法はもとより、国是である非核三原則を嘲笑うかのような、この発言は本来なら国会がデモ隊に十重二十重に取り囲まれても文句は言えない重大発言だが、日本のマスコミはほとんどベタ記事扱い。「原水爆を持っていればアメリカに意見が言えた」などと言う奇怪な論理。

 それなら堂々と国民に向かって「原爆持ってないと弱虫だと思われるから、原爆でも水爆でも作ろうよ」と言えばいい。小泉は「徹底抗戦すれば被害が大きくなるからイラクは戦うのをやめるべきだ」とも言った。こんな見かけだけで中身のない首相も珍しい。考えてみれば、この人が首相になる前に言ったことは「郵政の民営化」だけ。ほかには何もなかったわけで、これほどまでに脳ミソのないタカ派だとは誰も知らなかっただろう。

 この男に本当に信念があるなら、広島・長崎の被爆者に向かって「日本も原爆がないと世界に脅しが効かないし、ここらで原爆持つことにしましょうや」と言うべきだろう。その後のことは国民が判断する。

 ブッシュが議会に対し、9兆円の軍事補正予算案を提示。イラク戦費がほとんど。その一部を日本など同盟国に要求するという。軍需産業は武器の在庫一掃セールでホクホク顔、イラク国土を破壊してそれをまた再建するための復興需要。結局、戦争は死ぬ人間と大儲けする人間に二分される。戦費要求されれば、政府はまたもみ手で献金。こんなに失業者があふれているというのに、他国の戦費の肩代わり。

 「北朝鮮の”脅威”があるから、日本を守ってくれるアメリカを怒らせちゃいけない」という奴隷の論理にたやすく乗っかる人たち。日本はアメリカの従属国か。自国の権益のためにはいつでも同盟国を切り捨てるのが大国アメリカの論理。日本だっていつ切り捨てられるかわかったものじゃない。

 「実体通り、いっそアメリカの51番目の州になればいい」
「日本は核武装してアメリカの傘下から独立すべき」
 どうして、こう極論に分かれるのだろうか。

 平和国家として世界に範をたれるような独自の外交努力を展開してこそ、世界に胸をはれる日本になるのではないのか。
 北朝鮮問題を利用してひたすら日本を右傾化させようとする愚かで恐ろしい人たち。もしも、この世に霊魂が存在するというのなら、戦争で殺され、死んだ人たちの霊はすべて共闘して戦争屋たちに死ぬことの恐怖と苦しみを教えてやってほしいものだ。


3月24日(月)快晴

 米英侵攻バグダッドまで100キロに迫る。国連査察でアッサムード2など弾道ミサイルを廃棄させた上で、「丸腰」になったイラクを夏前に攻撃するという事前の準備周到な計画。アメリカのやり方はあまりにも卑劣すぎる。

イラクに残っている日本人・久保田氏の日記を読む。
 23日の空爆は、カンボジア、アフガン、チェチェンを体験した人たちでさえ、ひざが震えるほどの恐怖を感じたという。「歴史?戦争?関係ないよ。人殺しだよ、これは」「帰れるものなら生きて帰って、自分の目で見たことを伝えたい」。「安全なところにいて、頭の上に1発2発と爆弾が落ちてくる恐怖を体験したことのない軍事評論家に何がわかる」

 空爆が始まって、気が付くと歯を磨き、顔を洗っていたという久保田氏。恐怖下の無意識の人間の行動、これは体験したことのない人にしか書けない。そんな行動、どんな優秀なシナリオ作家だって書けないだろう。

 それにしても、ピンポイント攻撃などの、ハイテク戦争の割には味方の英軍戦闘機を誤射したり、イラン領土にミサイルを撃ち込んだり、米軍の誤爆・誤射はひどい。湾岸戦争の時にも、味方同士が相打ちしたことがあったけど、それもあらかじめ織りこみ済み犠牲なんだろうなあ。
 味方に殺されるのも戦争。

 チェイニー副大統領の娘エリザベスさんが「人間の盾」に志願するためヨルダンの首都アンマンに到着したという。右派の国家指導者の娘が親に叛旗を翻す。おそらくなんだかんだ理由をつけて拘束するだろうが…。

 「千と千尋の神隠し」にアカデミー賞長編アニメ賞。宮崎駿氏は次回作の構想を理由に、最初から授賞式出席を断っていた。きょうも「この時期にうれしい顔はできない」とコメントを出したきり雲隠れ。
いっそのこと、インディアン政策に反対して受賞をボイコットしたマーロン・ブランドのように、「イラク戦争への抗議のため、アカデミー賞辞退」となれば、全世界が注目するだろうが……。

 俳優・天本英世氏死去。脳溢血治療中に起こったケガが原因での肺炎併発という。

 スペイン内乱で虐殺された詩人ロルカに傾倒し、スペインへの熱烈な思い入れは有名だった。返す刀で「なによりもダメなニッポン」に悪罵を投げ続けた。しかし、天皇の戦争責任について語った部分はマスコミではすべてカットされた。君が代の法制化に際しては、「日本のすべての俳優を引き連れて君が代反対のデモをやりたいくらいだ」と語っていた。「国家」に対する嫌悪と憎悪は戦時中の兵役時代からの筋金入り。

 10年前の湾岸戦争の際には、渋谷・宮下公園で行われた演劇人反戦集会にたまたま散歩で行き合わせ、そのまま、一緒にデモをしたことがあった。黒のマントに網帽子。まさにテレビの死神博士のようなファッションで、飄々とデモ行進に「伴走」。「こんなデモをする役者たちが日本にいることはすばらしいことだ」と興奮気味に語っていた。
 最後まで国家を拒否し、家族も家も持たずアナーキーに生きた自由人。イラク戦争の最中の不本意な死はまさに憤死と呼んでも差し支えないだろう。合掌。

5.30帰宅。

 結局、想像力の問題なのかな、とふと思う。9.11もあの映像がなくて、情報として伝えられただけだったら衝撃はそれほどでもなかったかもしれないし、報道規制によって戦場の残酷なシーンが隠され、見えなければ人間はさほど戦争が残酷だとは思わないに違いない。銃弾はテレビや映画のようになにも必ず腹部を通過するわけじゃない。頭を吹き飛ばし、目を貫通させ、顔半分を欠落させる。爆弾の破片で体はズタズタになる。正視できる「絵」じゃないだろう。でも、それが戦場。警察が交通違反者に講習で事故の映画を見せるように、世界中の指導者はその地位についたら、必ず椅子に縛り付けてでも、長時間、過去の戦争のむごいシーンだけを編集した映像を見続けなければならないという法律でも作ったほうがいいんじゃないか。…でも、それを快感と喜ぶ趣味のある人がいたりして…。


3月23日(日)快晴

 8.30起床。10.00までHPの音楽コーナーの更新。朝、またメールの不具合が発生。同じメールが何通も届き、エラーメッセージ。マイクロソフトの関連サポートに電話。今度は「レジストリも変えましょう」と担当者。15分ほどいじって完了。不具合解消。
 午後、理髪店へ。大きなチェーン店。「今月から年中無休になりました」と顔なじみのスタッフ。理髪店にも自由化の波。理容組合から離脱したとか。生き残りをかけてサービスも多様。

 2.00、帰宅して「鬼が来た!」を見るも、寝不足がたたり、途中で眠りの中。
 6.30.起きて夕食。今日こそはCDの整理をしようと思ったのに、また来週か…。

 11.30、チアン・ウェン監督「鬼が来た!」見終わる。2000年カンヌ映画祭グランプリ受賞。戦争と人間の不条理、残酷、滑稽さ、愚劣さをこれほどまでに見事に描き切った作品は今まであっただろうか。エンターテンメントとして極上の一本であり、今までの戦争映画の常識を軽々と超えた奇跡のような作品。全世界の人間が必ず見なければならない映画があるとするならこの作品をおいてほかにない。モノクロ画面がカラーに変わるラストシーン。なぜ、モノクロだったのかが氷解する。日本軍人も香川照之以外はほとんど無名の俳優なのですさまじいリアリティーがある。もうこの映画を超える戦争映画はできないんじゃないかとさえ思う。

 イラクで死線をさまよっている日本人に対して悪罵を投げつける”同胞”もいる。悲しすぎる。


3月22日(土)快晴

 イラク侵略戦争はバグダッドまで200`の地点まで米英軍が侵攻。大統領宮殿付近に巨大なきのこ雲。まさに衝撃と恐怖作戦だ。

 環境総合研究所によれば、イラクの全油井の4分の1、約400箇所が炎上した場合、二酸化炭素の排出量は1日当り5.4万トンになるという。ハンガリー1国で一日に排出する量と同じ。これでまた地球温暖化が加速するかもしれない。2001年3月、ブッシュが大統領になってから、二酸化炭素の排出規制を決めた京都議定書から離脱したアメリカがまたしても地球環境の悪化に一枚かむことになるとは。しかも、大量の爆撃によって生ずる生態系の変化、化学、放射性物質による人体への影響。戦争は終結したときから新たな”戦争”が始まる。

 それにしても、仮に独裁国家であっても一国の体制を軍事でもって他国が転覆させることが可能になれば、世界中は米国”民主主義”の思うままになる。すべての国を自分の意に添う政府にすることーーブッシュを支える勢力「ネオ・コンサバティブ」の狙いはそこにあるのだろう。目指すは米国一極支配の世界。原爆を使わなくてもそれと同等の威力があるというMOAB爆弾を開発しておいて、他国の大量破壊兵器を摘発する不思議。兵器を破棄させてから侵攻する卑劣さ。アメリカの常識ははよくわからん。

 戦争突入後の小泉”その場の雰囲気”首相の支持率がまだ40%以上あることが信じられない。不支持と逆転したというが、この期に及んでまだ小泉を支持する人がいるとは。このままでは高級奴隷根性のまま、憲法改正か。
 昨日の高校生集会はほとんどの新聞でベタ記事扱い。
 テレビで「今ごろデモをやっても遅いんだよ」と言った評論家がいたとか。イラク戦争が始まってしまったけど、ピースパレードの目的は「次の戦争」への拒絶運動でもあることに思いが至らない、単細胞な人なのだろう。イラクの次に確実に日程にのぼるのは「有事法制」「北朝鮮」。「戦争反対」の意思表示は結果ではなく過程なのだ。

 夕方まで仕事。渋谷オフを勘違いしていたことに気づいたのが3.30。パソコンの修理やなんやでメール関係が錯綜していた。うっかりミス。
 6.30帰宅。土曜日の町は連休の谷間とあってかいつもより閑散。TSUTAYAで「鬼が来た」を借りてくる。見るのは明日かな?


3月21日(金)快晴

 10.00起床。今日はワールド・ピース・ナウ3・21が行われる日。

劣化ウラン弾1.30PM、地下鉄神谷町へ。地上へ出ると、手製のプラカ−ドやゼッケンをつけた若いカップル、お年寄り、子供連れなどが続々と芝公園23号地へ向かって歩いていく。ごく普通の市民が自主的に反戦の意思を示すために参集している。この光景を見ただけで、なんだかジーンとしてくる。東京タワー下の芝公園は人波であふれ、傍には交通規制の警官隊車両が横付けに。

 メイン会場は集会の真っ最中。立錐の余地もないほど、参加者で埋め尽くされている。ほどなく集会は終わり、ピースパレードに移行。それを見届けて、神谷町に戻り、電車を乗り継いで渋谷へ。
反戦2反戦3.21
 1・55、宮下公園では、「全国高校生平和大集会」が開かれている。すでに会場は全国から集まった高校生たちでびっしり。地べたに座り込み、集会の進行を見守っている。司会進行も高校生カップル。拙い進行ではあるけれど、それも高校生らしくていい。全国各地の高校生たちがそれぞれ反戦のアピールをする段になって、会場は次第に熱気に包まれる。

 大人顔負けの弁舌さわやかな子、つっかえつっかえしながら、自分の意見を述べる子、十人十色。途中で絶句してしまい、途方に暮れながらも「戦争反対!」と叫ぶ子に大きな拍手。弁舌さわかやな子よりも、訥弁でも、きちんと自分の信念が伝わる子供の方が好感が持てる。
「外務省の政務官、それもナンバー3と本人は言っていましたが、その方に面会して抗議書を手渡したら”君たちの気持ちもわかるけど、君らだって話し合いで解決つかなければ、手が出る場合だってあるでしょ”と言われました。高校生をバカにした発言だと思います」と一人の高校生。まったくあきれ果てた外務省ナンバー3氏だ。

 800人ほどの高校生たちの数は次第に多くなり、集会の最後には、公園の後方までいっぱいに。約1200人。
 愛知から来た高校生グループが、ジョン・レノンのイマジンの詞を引用しながら、反戦アピールしている最中に、会場の参加者の中からヤジが飛ぶ。「ジョン・レノンも狂人に殺されたじゃないか!」

 ざわつく会場。その発言者の周りでもみあいになり、ヤジを飛ばした高校生は外に引っ張り出される。
 しかし、集会の最後に、一人の高校生が司会からマイクを借りて、
「ヤジを飛ばした人に帰れコールをし、口をふさいで彼を排除した人たち。なぜ、そこで彼と議論しないのですか。気に入らないから強制的に排除する。それではアメリカと一緒じゃないですか!」
 会場、万雷の拍手。お見事。今時の高校生もなかなかやる。

 最後に、千葉から来たという女子高校生たち6人。「バレー部の練習を終わってからみんなと一緒に来ました。せえの! ”戦争ハンターイ”」
 運動部らしいさわやかな挨拶。集会の終わりに、ようやく到着した大阪の高校生の一行に盛大な拍手。

 ルーズソックス、茶髪、モヒカン頭…会場に集まった高校生たちはさまざま。しかし、どれも皆真剣に、しかし軽やかな笑顔で反戦を訴えていた。

 高校生たち一人ひとりの真摯なアピールを聞いているうちに目がうるうるしてきて困った。集会のアピールに続いて、1200人の高校生たちがパレードに出発するために一斉に立ち上がり、「翼をください」を合唱したときには、胸がいっぱいに。
 日本の未来はもしかしたらまだ救いがあるかのしれない。笑顔でピース、若く躍動する彼らの姿に勇気付けられた気がする。

「この(抗議の)手紙を小泉首相に届けるまでは家に帰りません」と地方から来た女子高生。

 公園の外ではいつもの渋谷の町の光景。集会に参加した高校生の何十倍もの高校生が渋谷の町を闊歩している。それもこれもすべて青春。しかし、今日は公園で出会ったさわやかな笑顔に乾杯したい気分。

 4・30、渋谷から関内へ。「風鈴」でかっちゃんライブ。Rikoちゃん、パヴェさん、Hiちゃん、まもちゃん、そしてかなちゃんの美女連が揃い踏み。遅れて、ヤプくん、テルさん夫妻。9時までライブとおしゃべり。11.10帰宅。
 ハードな一日…。
 東芝EMIが限定サイトとして立ち上げた森田童子のオフィシャルサイトが閉鎖。BBSの書き込みを読むと、森田童子に仮託した自己憐憫のオンパレード。童子も閉鎖してよかったと思っているだろう。


3月20日(木)晴れ

 95年のオウム・サリン事件のときもたまたま仕事が休みだった。今日もまた休み。時代の節目にはなぜか家にいる。 
 9.30起床。テレビのスイッチをひねると、TBSはいつもの、はなまるマーケット。チャンネルを変えるとワイドショーで「10時まであと何分」とやってる。

 戦端が開かれるカウントダウン。世界中が人間が殺される時間を待っているという異常な光景。近代ハイテク戦は誰が誰を殺したかわからないから、アメリカ兵の良心の呵責も少なくて済む。これなら中世の白兵戦の方が「人間的」ではないか。

 フランスが開戦を非難し、最小限の犠牲で戦争が終わることを望むと声明。しかし、最小限の犠牲になったものは浮かばれない。どうせ、決着がつくのなら、ブッシュが先陣に立って戦えばいい。単騎で敵の陣地に乗り込み、家康を追い詰めた真田幸村のように。だいたい、戦争の犠牲者は常に弱者だ。子供、女性、老人、障害者。つまりは死んだ者は死に損だ。生き残った者はその後の生を謳歌することができる。

 太平洋戦争で死んでいった多くの日本兵士はいくら神に祀られようと、生を中断されたことに変わりはない。昨日・反米、今日・親米。生き残った戦犯の多くが、その後アメリカの禄を食み、親米一辺倒になっていたことか。そんなに簡単に転身されちゃ、国家のために死んだ人たちが浮かばれない。バカを見るのは死んだ人たち。戦争指導者は安全圏にいて、戦争が終わっても、”国の復興のため”また国家の要職につく。戦いを遂行したのなら、そのまま最後まで節を変えずにいてくれよと言いたくなる。アホくさくて死んでられるか。国家のためになど。

 猿顔のブッシュがいつものアホ顔で「アメリカはイラクの解放のために完全勝利する。中途半端な勝ち方はしない」と演説。
 今になってアメリカでは反戦運動が広がっているというが、9・11以降、多くの知識人が口を閉ざした。ハリウッドもそう。
 わが身可愛さに、口を閉ざす。政府の方針に反対する者には有形無形の圧力があっただろう。マッカーシーのアカ狩り時代そのままの再現。

 日本とて同じ。北朝鮮の拉致事件発覚以来、物言えば唇寒し秋の暮れ。あれから半年、北に残された家族のこと、それを思うであろう拉致被害者の肉声など伝わってこない。「救う会」なる組織の意向を汲んで、どうでもいいようなこと、だれそれのコンサートに行っただの、母校の野球応援に行くだの、瑣末な報道ばかり。家族と引き離されて不安を抱えるであろう、被害者の心情はまるで伝わってこない。それを伝えれば、北朝鮮を利するとの判断が被害者の心情の発露を押さえている。これでは、拉致被害者は国家間の駆け引きに使われる政治道具。何度、彼らを苦しめればいいのか。

 火事場泥棒のように、有事法制の成立を急ぐ連中の思惑も最低。夕刊で、中央審議会が教育基本法に「愛国心」を盛り込むことを答申したと報道。「愛国心はならず者の最後の言い訳」だったか。為政者の言う愛国心とはそんなものだ。生まれた国の自然や人を愛することにかけては人後に落ちないつもりだけど、押し付けの愛国心など、ロクでもない。

 「まだ最高裁がある」ではなく「まだ憲法がある」と思っていても、有事法のあとは憲法改正、正式な日本軍制定、つまるところは核のバランス論に乗った日本核武装。一昔前なら荒唐無稽なストーリーも今はスケジュールに乗った現実論。どれだけ人が死んだら鳩は休めるのか。

 映画「ピノキオ」公開間近。アメリカで製作中の「鉄腕アトム」が何度もシナリオを練り直しと聞いたのはいつだったか。「A・I」に似てしまうんだとか。どちらもピノキオをモチーフにしているから仕方ないといえばそうだが、「A.I」が「アトム」を模倣したのは明らか。「ライオン・キング」もそうだけど、手塚治虫作品は模倣されたらすぐに抗議すべき。でないと、今度のような、奇妙なねじれが起きてしまう。アメリカ人が著作権に厳しいのはこんなことがあるからなのだと、改めて納得する。

 17日朝から、メール受信がおかしくなっているので、マイクロソフトに電話。メールを立ち上げると、同じメールが3通ずつ届く。それも17〜18日のメールのみ。「Msimnのプログラムにエラーが発生したのでMsimnは終了します」。メールの送受信ができない。インターネットエキスプローラーの場合は有償サポートになるという。散々、あちこち電話しても解決しないので、仕方なく了承。1件につき2800円。高い、けど仕方ない。約1時間、あれこれ設定をいじり、ファイルを削除し、ようやく解決。さすがに、サポートの人も「この不具合は聞いたことがない」と。たまっていたメールがどっと150通余り。ほとんどがクズメール。
 その後、部屋掃除。昨日、おとといとほとんど耳鳴りがしなかった。二日間も長持ちしたのは初めて。安心するのはまだ早くて、今日は昨日より少し強い。しかし、希望はかすかに残る。

 夜、国会本会議中継を見る。質問する土井たか子社民党首の論理的な追及に憲法学者としての意地と気迫を見る。しかし、それに対する自民党議員のヤジの汚らしさに唖然・憤然とする。テレビはこいつらの顔を映せばいいのだ。木で鼻をくくったような小泉首相の答え。この期に及んでこの見かけ倒しの首相を支持しようとする人の気が知れない。


3月19日(水)快晴

 「戦争を知らない子どもたち」という歌が流行ったのは中・高校生の頃。当時からあの歌には違和感があった。「戦いに参加した大人たちと違って、戦争を知らない私たちが胸を張って戦争は知らないと言い続けよう」という内容には欺瞞が感じられたからだ。

 ベトナム戦争真っ最中の時代。反戦歌として歌われたにしてはあまりにもナイーブすぎないか。
 ベトナムを爆撃するアメリカ軍の爆撃機が日本から飛び立ち、アメリカ軍負傷者の野戦病院が日本に作られ、どこが「戦争を知らない子どもたち」なのだろう。日本人の手はベトナムで殺戮された人々の血で汚れている。「戦争を知らない」なんて、ノー天気すぎないか。

 そして、24時間後にアメリカのイラク攻撃が始まったら、また日本人の手は血で染まることになる。

 堂々とイラク侵攻を支持した日本。強盗殺人でただの見張り役だったと主張しても共謀共同正犯であることに変わりはない。新聞によれば、イラクの子供たちが日本人取材者に石を投げたり、取材を拒否したりする場面が多くなっているという。イラクにとってもはや日本は敵国なのだ。

 あす、午前10時に始まるイラク侵攻で、疑いようのない事実は多くの人々が死ぬということ。それも子供と若者。イラク人口の半分は18歳以下なのだ。

 アメリカ政府高官が「フセインが亡命しても作戦は遂行する」と明言した。やっぱり、最初からイラク権益が目当てだったわけだ。21世紀は世界中に反米の潮流が生まれる。そんな世紀になるかもしれない。
 2000年の、ゴアとブッシュの大統領選の帰趨がこの現実を招いたともいえる。あのとき、もしブッシュが負けていたら、9・11は起こらなかっただろうし、対イラク戦争もなかっただろう。歴史に「もし」はナンセンスだが…。

 どさくさにまぎれて、小泉内閣は有事法案の今国会での成立を日程に入れた。いよいよ始まる日本の再軍備、核武装の策動。有事法案さえ通ってしまえば、為政者にとって、軍事国家成立まで一瀉千里。外堀を埋めてしまえば国民の反対運動など赤子の手をひねるのと同じ。

 午後、すまけい氏の奥さんYさんに電話。不在だったのでメッセージを残さず切ると、ほどなくして、電話がかかってくる。「表示された電話番号にかけたら○○さんの会社の電話だったので」と。Yさんとはずいぶん会っていない。彼女が女優をしている頃はよく会ったものだが、家庭に入ってからは、一度くらいか。すまさんのリハビリで最近は「外に出ても、すぐ家に戻っちゃうの。晴々しないし」と。奔放なYさん、「あら、やだ。”お世話になって、ありがとうございます”だって。まるでいい奥さんのような言い方ね」と笑う。「すまは”死ぬまでに98パーセントまで回復すれば”と言っているの」という。長い道のり。「今、NHKの取材を受けていたのよ。31日に放送するから見てください」。

 その後、A・Mさんから電話。この前の埴谷雄高忌のことで「どうでした?」と。気になっていたけど、「明日から電話を切って缶詰になるから」と。出版予定のエッセイを仕上げなくてはいけないとか。細かな気遣いのA・Mさん。

 姜尚中、森巣博著「ナショナリズムの克服」読了。

 世界の国民国家が、終焉に向かって衰退しつつある想像の共同体(イマジンド・コミュニティ)ならば、”五族協和”ならぬ”無族協和”の視点をもって、少数者も多数者も住みやすい「再想像の共同体(リ・イマジンドコミュニティ)」を構築していくことを目指すべきと解く。

 学者然とした姜尚中と飄々とした大陸浪人ふうの森巣博の談論風発は血わき肉躍る面白さ。「マグロの経済学」もそうだが、集英社新書は話し言葉を多用して、読者にわかりやすい本を狙っているようだ。

 構造主義によって批判され尽くしたように、「民族」などというのは近代西欧の支配構造が作り出した虚構にすぎない。草の根レベルで「民族」という病を壊滅させれば、民族根絶やし、民族浄化(ナチス・ドイツのジェノサイド)、民族紛争も起こりえない。

 森巣は言う。「ただし、例外はある。非対称的権力の構図の中で民族というスティグマ(刻印)をつけられ、抑圧、収奪されてきた少数民(アイヌ、沖縄・琉球民族)、および在日朝鮮・韓国民族という名で排除・差別されてつづけてきた人々は、当然のように民族概念をプラスのベクトルを持つ力として立ち上げるべき」と。

 明治維新以前の「日本人」は、それぞれ自分を○○蕃○○村の誰々と考えていたに過ぎず、天皇の存在さえ知らない人がほとんどだった。それをあたかも連綿と続く万世一系の国家という虚構を立ち上げたのは薩摩・長州の新支配者たち。そこから「民族」という病がはじまったといえる。

 文化・言語を同じくする人々を「民族」というならば、在日3世、4世はまさに「日本民族」であるにもかかわらず、これを排除しようとする勢力が存在する。

 石原慎太郎秘書によって「41年、北朝鮮から帰化」との悪質極まりないいやがらせを選挙ポスターに受けた新井将敬代議士などそのいい例だろう。江戸時代までは中国・朝鮮からの渡来人の帰化はごく普通のことだった。2001年暮れに、天皇が「桓武天皇の母は百済の人。私は朝鮮に対して親しみを感じる」と発言したことがあった。もともと天皇家は朝鮮半島から来たという説もある。
「日本民族」など、虚構もいいところだ。

 国家の呪縛から逃れ、国境のない、よりよい未来に向かうためには「再想像」を続けること、これこそが、自由への道の第一歩なのだ。

 痛快な書ではあるが、「国家」がまた凶悪な姿をさらしつつある現在、その闘いは苦戦を強いられることになるのは間違いない。それでもなお、国境なき世界を夢見ること、それが生きることの証しなのだと信じたい。

 7.00。G駅下車。Sの店へ。開店早々で、一番乗り。しかし、ほどなく客が続々。カウンターはすぐに満杯に。常連さんたちの中に、社会科の先生になりたかったという50歳くらいのサラリーマン氏。堂々たる体躯。

 彼が「赤穂浪士の討ち入りのことを調べたとき、吉良の屋敷跡まで行ったんですが、確かに敷地はかなり広いですよ。でも、あの屋敷に夜中、50人近い男たちが討ち入ったというのは、私から言わせれば、押し込み強盗のようなものです。浪士側にほとんど負傷者がいなかったといいますけど、当然ですね。あれは言っちゃ悪いけど、押し込み強盗です」
 にこやかな紳士然とした彼。なるほど、フィールドワークでの体感から忠臣蔵を見直すと、面白い発見があるものだ。
 そんな話をわいわいやってるところに、60がらみの酔っぱらいが一人。人が楽しんでいるのを見ると難くせをつけたくなる典型的なスネもの。「田中角栄はいい政治家だったなぁ。角栄のような政治家が10人いれば、日本はいい国になれるのにな、オイ、そうじゃないか」

 これまたこの世代に見られる典型的な角栄礼賛土建屋的発想。日本をダメにした拝金主義を全国に広げたのが日本列島改造論ということをネグって、自分にとって”いい時代”を夢見ている痴れ者。こんな輩に限ってネチネチとしつこく、一見論理的な言説を繰り返す。もっとも嫌いなタイプ。酒がまずくなったので退散。10.30、帰宅。


3月18日(火)雨

 10.00AM。ブュシュ大統領演説。「48時間以内にフセインおよび、その息子たちが亡命しなければ攻撃開始する」と。フセインがこれを拒否することを見越しての最終通告だろうが、仮にフセインが亡命してもアメリカはイラク攻撃するだろうとの見方をする外交評論家もいる。ブラジル大統領に向って、「ブラジルにも黒人がいるの?」と聞くようなメンタリティーと脳ミソの持ち主がインディアン狩りのカウボーイよろしく世界を巻き込んだ破滅戦争へ突っ走っていく。

 16日にはワシントン・リンカーン記念館で反戦集会が開かれ、パティ・スミス、ピータ・ポール&マリー(PPM)などが「世界平和への真の脅威はブッシュである」と訴えた。60年代ベトナム戦争時代の反戦歌「花はどこへいった」「悲惨な戦争」のPPMが再登場し、再び反戦歌を歌わなければならない時代。

 イラク現地に人間の盾として志願、残留する日本人は12人。「人間の盾」に対して、イラク政府を利するだけとあざける右派御用評論家には彼らの気持ちは永遠に理会できないだろう。

 16日、パレスチナ自治区ラファ難民キャンプで23歳の米国人女性平和活動家、レイチェル・コリーさんが虐殺された。イスラエル軍のブルド−ザーがパレスチナ難の住宅を破壊するのを止めようとして、ブルドーザーの前に立ちはだかったが、ブルはそのまま前進し、彼女を往復して轢いた。ほかの活動家が制止した声をイスラエル兵士は無視したという。彼女は人間の盾として現地にとどまっていた。イスラエル兵士は平然と「やむをえない事故だ」と語ったという。17日、未明には4歳のパレスチナ人少女がイスラエル軍の銃撃を胸に受けて死亡した。パレスチナ人9人も銃撃で死亡している。

 フセインを平和への脅威と名指しするなら、パレスチナでのイスラエルの蛮行をどう説明するのか。今や、世界有数の軍事大国になったイスラエルこそ、武装解除されるべきではないのか。世界大戦の最中、ナチスドイツから逃れるべく、駆けこんだユダヤ人にビザを発給して多数のユダヤ人の命を救った”日本のシンドラー”外交官・杉浦千畝の遺族に「こんなことなら、あのとき杉浦がビザを発行しなければ……」とまで言わしめた最近のイスラエルの蛮行。やりきれない怒りがふつふつと湧きあがる。

 5・30。新宿。TSUTAYAを覗くと、店内にminmiの新譜アルバムの山。ポイントカードがあるので、タワーレコードへ行って購入。同時購入セシルの1stアルバム「シネマスコープ」。

 6・30。紀伊國屋サザンシアターでこまつ座「人間合格」。何度も見ている作品だが、今回はすまけいの復帰作でもある。すまけいの「現在」をこの眼で見なければ。

 物語は太宰治の生い立ちから晩年までを、2人の友人との交流を通して井上ひさし流喜劇的な味付けで描いた人間ドラマ。仲間と始めた「風呂敷劇場」で世の中の欺瞞や不正に対して異議申立てをする太宰。しかし、彼こそ貧しい庶民の憎悪の対象として、滅びることを運命付けられた階級の子弟であった。思想と自分の出自の隔絶に引き裂かれる太宰。

 すまけいは、太宰の生家から使わされた太宰の番頭・中北役。ことあるたびに太宰の前に現れ、太宰の自己欺瞞を鋭く指摘する。

 まだ、左の手足は不自由で、左手は90度の角度で腰のあたりに持ち上げられたまま。左足はひきずったまま。それでも、セリフは澱みなく、滑舌もほぼ元通り。ただ、明かな身体的特徴があるため、同じ芝居で二役を演じるときに、差異化をどう見せるか、そこが難しいところ。
 それにしても半身不如意を克服して舞台に立ちつづけるすまけいの気迫はすごい。
 脱疽のため手足を切断されながらも舞台に立ち、最後は発狂して死んだという歌舞伎の女形・3世沢村田之助の執念に通じるものがある。
「舞台で死ねたら本望」ーーすまけいの言葉はまさに真実の吐露だろう。

 さて、ニ幕目、太宰役の大高洋夫が、敗戦後、中北に象徴されるガチガチの反共・天皇主義者がガラリと立場を180度転換し、アメリカ万歳、民主主義万歳を叫ぶ様子に「あんたたちはたぬきだ。昨日、軍国、今日民主主義。化けて化けて、どこまでも化けやがる。でも、そんなに簡単に化けられんだったら、時代が変わったらまた別のものに化けるに違いないぜ」と声高にののしるシーンがこの芝居の見どころの一つ。

 今回のイラク攻撃という世界情勢が背景にあると、このシーンの見方も微妙に違ってくる。
 アメリカはイラクの敗戦処理をもっともよく統治に成功した日本の敗戦後=GHQ方式でやるのが理想と言っている。なんだか、舞台が敗戦後のイラクに二重映しになって……。
 昨日フセイン、今日ブッシュ……。
 
「フセインの圧政が続くより、アメリカによる武力攻撃のほうがマシ」と答える一部のイラク国民たち。戦時中の日本で天皇制絶対主義の抑圧から解放されたいと願っていた人たちは広島、長崎への原爆投下による国体崩壊を歓喜しただろうか。
 多数の無辜の人々の殺戮と引き換えの「解放」とは何か。
 アメリカの武力先制攻撃には一片の正当性もない。ブッシュは石油利権を確保し、世界唯一の帝国の栄耀栄華を謳歌するのが目的とはっきり言えばいいのだ。


3月17日(月)雨

 3.00、早めに仕事を終えてK記念病院で鍼治療。とりふね舞踏舎のゲネプロだったが、行かれず。
 6.00帰宅。
 ブッシュ米大統領が英首相、スペイン首相との三者会談で国連安保理に提案した対イラク武力行使容認の修正決議案についての安保理協議を17日で打ち切ることに合意した。これで、17日中にもイラクへの最後通告、開戦という可能性が高まった。ついに米の狂気の対イラク殲滅作戦が始まるのか。
 「戦争が始まるの?」と小3息子。小学校でも対イラク戦争が子供たちの間で話題になっているとか。小学生といえど、世情には敏感だ。昔、小学生に入るか入らない頃、近所の子供たちの間で「アンポはんたーい」と叫ぶ遊びがはやっていたっけ。
 医療費の還付申請用紙を役所からもらってきて記入する。今日が確定申告の期限だが、還付はいつでもできるとか。領収書を集めたら14万ちょっと。鍼治療で領収書を出さない医院があったから実際に医療費の支出は30万円近いはず。領収書があれば…。
 申告表に記入して、さていくら戻ってくるかと計算したら、なんとたったの6700円。がっくり。そんなものか…。
 夜、CDの整理をしようと思ったが、時間切れ。明日に備えて早めに就寝。


3月16日(日)晴れのち雨

 10時起床。「77777」アクセス記念のクロスワードパズルをチェックし、正午にアップ。その後、新宿へ。紀伊國屋ホールで青年座公演「乳房」初日。開演前に書店で集英社新書「魚河岸マグロ経済学」(上田武司著)、同「ナショナリズムの克服」(姜尚中、森巣博共著)を購入。

 「乳房」は市川森一作、宮田慶子演出。長崎・生月島に伝わる隠れキリシタンの秘物「納戸神」をめぐって、大学教授、その弟子と父親、愛人である助手の四角関係があらわになっていくというミステリー。しかし、途中からコメディー調に変調したり、一貫性がない。市川森一がテレビのドキュメンタリー取材で、隠れキリシタンに伝わる納戸神を見てしまったという体験をもとにしているのだが、そのモチーフに俗っぽい肉付けをしただけの舞台。西田敏行でなくてもいいわけで、演出の宮田慶子も難儀したのでは。前回の「リセット」もそうだが、考えオチのおはなしで、展開しようがない。せっかく魏涼子が体当たりの演技をしているのに、全体からみればウームの舞台。
 終演後、M新聞論説委員のTさんとトップスでビールを飲みながら四方山話。中国映画「鬼が来た」がTさんの昨年度ベストワン作品とか。

 5・30、T氏と駅で別れて家路に。電車の中で「魚河岸マグロ経済学」を読む。著者は築地のマグロ仲卸「内藤」の主。この道40年のベテラン。マグロを見極める目には定評があるという。その上田氏が「大間マグロ」のこれからの展開にきつい注文をつける。地元漁師、漁協、そして観光町興しを目指す人たちの耳にはたぶん痛いことばかり。しかし、それも大間マグロを愛するがゆえのこと。大間の漁民のみならず、一般町民に目を通してもらいたい本ではある。

 6・30着。雨がそぼ降る中、駅前で高校生たちが道行く人たちに「イラク攻撃に反対します」とビラを配っている。女子高生からビラを受け取ると、「ありがとうございます」と笑顔。21日に渋谷・宮下公園で高校生たちの平和大集会があるとのこと。高校生たちも反戦の声を上げ始めた。これが健全な高校生の姿ともいえる。30年前と違って穏健なピースパレードではあるが、高校生の「反戦」運動が一部のオトナを刺激することは間違いない。

 帰宅して、パソコンを立ち上げる。何人かパズルの答えを寄せてくれている。ありがたい。これが双方向性のネットのいいところだ。


3月15日(土)晴れ

 水曜日の休みを同僚にチェンジしてもらって娘の中学卒業式へ。受付でプログラムとともに、「両親へ」と題した娘の手紙を渡される。事前に教室で書いたのだろう。まるで結婚式で花嫁の手紙を聞かされるような演出。先に読むと泣かされそうだから、ポケットにしまい、家に帰ってから読むことにする。

 朝9時から体育館で。開式の挨拶に続いて「国歌斉唱」。仕方なく起立だけ。口を閉ざしたままの教師も何人か。斜め前方の父親もキッと口を結んで歌わず。毎年繰り返される風景。「踏絵」を踏まされている気分。
  
 市長や教育委員会やら、来賓の祝辞が長くて閉口するのはこの手の儀式の習い。校長の挨拶の中で、シューベルトとその母のエピソードを披露し、「これがその曲です」と話すと、そばのピアノで「シューベルトの子守唄」を演奏者が弾く。緩急を心得た味な演出。後で娘に聞くと「毎年、エピソードを変えて、ピアノ演奏をはさむのが校長のやり方」とか。なるほど。

 生徒たちが一番沸いたのは、小学校時代の元担任たちからの祝電。先生たちの祝辞が読み上げられるたびに、「○○先生だ!」と嬌声があがる。その声の大きさが先生の人気のバロメーター。
 「仰げば尊し」の斉唱にはほろり。ビデオカメラでズームすると娘が懸命に涙をぬぐいながら歌っている。この歌にも賛否両論があるが、心情的には歌い継いでもいいと思うのだ。

 それにしても、いまだに演壇に向かう来賓、校長たちが一様に正面に最敬礼して進退するのは不可解。教育勅語と天皇のご真影(写真)を儀式の度に、中央に安置し、それに最敬礼した旧帝国憲法時代の名残が戦後も延々と続いている。今は正面に日の丸が飾られているから、それが象徴するものへの最敬礼という意味が生まれつつあるのだろうか。

 戦後民主主義に疑問を投げかける、あるいた否定する勢力が大きくなっているが、そもそも日本に本当の民主主義が根付いてきたのだろうか。憲法の精神を空洞化させようとする勢力による「擬制の民主主義」否定。それによっていまだ達成されない真の民主主義が否定されるのは本末転倒だろう。

 11時閉式。雨がポツリ。
 同じマンションのTさんにクルマで家まで送ってもらう。娘の手紙を読む。「パパは私の誇りです」の文言にホロッ。2時、近所のファミリーレストランで食事。睡眠不足と昼のビールが効いて、帰宅後、まどろみの中へ。6時に目が覚めるも、体調いまいち。土曜日という一番おいしい日の残りが少なくなる。もったいない。何かしないと…。


3月14日(金)快晴

 病院のクスリが効かないほど花粉症がひどい。10.00〜11.00仮眠。

 夕方、Pさんから電話。21日の件。初めて話すとは思えない親近感。

 7.00、下北沢。ディスク・ユニオンでレコードコレクターズ4月号「URC/日本のフォークの誇るべき原点」特集を買う。

 7.30。OFF OFFシアターでショーGEKIお嬢ライブ第5弾「ただいまっ。」。初めて見る劇団。劇団名につられて見てしまった。
 女性3人がメイン。レビューっぽい舞台を予想していたが、なんとコント芝居。オリジナルの歌とダンスをはさんでコントの連鎖を2時間半。役者たちはこなれてるし、ゲストの「プール・ファイブ」二人組もうまい。鈴木とーるという俳優も芸達者。しかし、いかんせん長すぎる。せいぜい1時間半の舞台なら◎。終演10.00、それもカーテンコールが長すぎ。女性3人、三浦利恵、吉川亜州香、加藤通子ーーそれぞれに個性的で好感はもてる。が、二度目を見に行くかと問われると躊躇してしまうかも。構成・演出の羽広克成はもう少し全体の構成を考えたほうがいいのでは。
 アイラ・レヴィン「死の接吻」読了。作者23歳、1953年に発表され、アメリカ探偵小説最高のエドガーズ賞第1位に選ばれた作品。貧しい青年が資産家の三人姉妹に取り入ろうとして失敗、次々と殺人を重ねていく。三女は妊娠が発覚したことから、自殺と見せかける。自筆の遺書トリックはその後の推理小説に何度も形を変えて使われた。次いで、妹の死に不審を抱いた姉が疑惑を追及していくうちに受難。何も知らずに殺人者に篭絡された長女は彼との結婚式を数日後に控えていた…。

 最初、犯人を「彼」としか表現していないので、第二部の次女の推理編に容疑者として現れる3人の男のうち誰が犯人なのか次女と共に推理する楽しみもある。妊娠した女子学生を殺害しなければならない羽目に陥った青年はもうひとつの「陽の当る場所」。14年後に第二作「ローズマリーの赤ちゃん」を書くレヴィンの処女作にして最高傑作だろう。ただ、最初の殺人で不可解さを呼ぶ三女の服装についての謎解きがされなかったのはなぜだろう。それとも読み落とした?

11.15帰宅。

 さて、明日は娘の卒業式。


3月13日(木)晴れ

 きょうもまた花粉症ひどい。朝、仕方なく市販薬を服用。半日頭に霞状態。夕方、仮眠室で30分ほど休憩。

 PM7.00、三軒茶屋・パブリックシアターで文学座「ドン・ジュアン」。渡辺徹主演、西川信廣演出。

 74年の江守徹・金内喜久夫コンビ+太地喜和子(田舎娘役)公演から29年ぶりとか。肥満イメージの渡辺徹にドン・ジュアンはどうなるかと半ば心配だったが、食餌制限し、摂生しているということで、舞台に登場した渡辺徹は見違えるほどスマートなドン・ジュアンぶり。黒いコートにサングラス姿は「マトリックス」のキアヌ・リーブスファッション。

 口跡も鮮やかな清水昭彦(従者スガナレル)に比べ、セリフが聞きづらいという難があるものの、既成の価値観や権威に対する反逆者を飄々と演じていて好感が持てる。巨大なピンク色の捕虫網で若い娘たちを追い掛け回し、神の存在や教会をも否定し、最後には神の怒りに触れて自己崩壊していく男。

 74年の舞台は見ていないが、まだ70年安保の余燼くすぶる時代。たぶん、ドン・ジュアンに体制への反抗者の面影を見い出したのではないだろうか。
 今回の西川演出もドン・ジュアンという快楽主義者にして虚無主義者に対するシンパシーに満ちている。神・体制の象徴たる「石の騎士像」によって、地獄へ突き落とされたドン・ジュアンは、次の瞬間、革ジャン、サングラスの若者として生まれ変わり、またしても巨大捕虫網で道行く女の子たちを追い掛け回す。敢然と死を受け入れるのではなく、軽々と身をかわし、「神」への反逆を貫く21世紀のドン・ジュアン。ビニール質のファシズムへの反抗にはこの軽さが必要かもしれない。
 8・50終演。11.00帰宅。


3月12日(水)快晴

 朝のうちはまだ寒さが身にしみる。依然として、マフラーに革ジャン。

 11日から米議会内のレストラン・メニューから「フレンチフライ」「フレンチトースト」が消えたと外電。代わって「自由フライ」「自由トースト」と呼ぶという。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。米のイラク攻撃決議案に反対するフランスが憎いとなると、アメリカ人はレストランのメニューまで目障りになるらしい。これに対して、仏大使館では「フレンチフライはもともとベルギーが発祥地なのに」と呆れ顔のコメント。

 よくよく調べると、フランス人は自国でフレンチトースト、フレンチフライという言い方はしないし、むしろいやがっているようだ。「フレンチ〜」という接頭語は英国人がフランス人をあざけって言う言葉であり、これには英仏戦争時の憎悪が絡んでいるらしい。

 ということは、フランス人にとって、アメリカがジャンクフードの代名詞たる「フレンチフライ」の呼称を変更したことは願ってもない話というわけか。フランス憎しのアメリカ人が墓穴を掘ったことに……。それにしても、議会という理性と英知の象徴が子供のケンカみたいに、「フランスなんか大嫌い。お前のかあちゃんデ・ベ・ソ」なんて言う光景は情けないというか、滑稽というか、アメ公もこの程度かと思うと安心するというか……。

 一方で、イラク攻撃計画に抗議して2月27日に辞任した在アネテ大使館勤務の外交官、ジョン・ブレディー・キースリング参事官に続いて、外交官ジョン・ブラウン氏がパウエル国務長官に「イラク攻撃は支持できない」との書簡を送り、辞任した。アメリカにも気骨のある外交官がいる。それに引き換え、ニッポンは…。武士道だのなんだのとエラソーなことを言う割には…。

 6PM帰宅。子供が学校の工作で使うというので、スーパーで発泡スチロールをもらいにいってくる。
 


3月11日(火)晴れ
 
 PM6.30。銀座。ル テアトル銀座で「黒蜥蜴」。3幕4時間。休憩各15分。 美輪明宏の美学にあてられて、もう体中の細胞が耽美艶麗スペクタクル。いかに自分を美しく見せるか、共演者も豪華なセットもすべて美輪明宏の引き立て役。美輪さんのような怪物的麗人はもう現れないだろう。この前のコンサートで「これで最後」といっていたが、まだまだやれそう。体力・気力とも充実している。10・30終演。オフィスミワのK氏に挨拶して駅へ急ぐ。11
・40帰宅。湿布して寝る。




3月10日(月)快晴

 昨夜も眠っている間、腕の痛みで何度か目が覚めた。首を後ろに傾けると痛むということは頚椎からきているのは確か。会社で周囲の経験者に聞いてみると四十肩というのはある日突然腕が上がらなくなるらしい。まだ腕は上がるから軽症なのかもしれない。

 おとといの「ピースウオーク3・8」をメディアがどう扱っているか検証してみる。朝日、毎日、東京の三紙は1面、社会面で大きく取り上げている。スポーツ紙もデイリーがカラーで大きく掲載、サンケイ、トウチュウなども事実報道。
 しかし、読売は第二社会面で20行足らずのベタ記事扱い。スポーツ報知は記事さえない。

 権力の御用機関・読売新聞グループらしい”見識”。時の権力にとって都合の悪い報道はなるべく控え目に、あるいは無視を決め込む。読売新聞1000万読者は5万人規模(朝日の集計。ヘリを飛ばして空撮していたから、おそらくここが一番精度が高い。自分の実感としても5万人は下らない数だと思った)の平和デモがあったことさえ知らされない。報じなかったことは「なかったこと」と同じ。

 報道機関は「中立公正」であるべきというが、この世の中に中立なメディアなど存在するわけがない。なぜなら、紙面で取り上げる記事の取捨からしてすでにバイアスがかかっているのだから。メディアは偏向すべきなのだ。むろん、その偏向は市民・国民の方を向いた偏向であるのは言うまでもない。読売のように権力側に偏向するのもまたメディアの特質だ。取捨選択は読者が決める。

 最近、ケータイでも手軽にニュース配信され、重宝がられているようだが、インターネットで流れるニュース情報はあまりにも「均質」だ。「均質」といえば、聞こえがいいが、主体のない情報の垂れ流しにすぎない。その新聞社なり、放送局なりが、自分の立脚点をどこに置いているかがあいまいだからだ。

 紙媒体の衰退が予見されるが、ネット時代になり、あらゆる情報を即時に手軽に取り出せる時代になったとしたら、果たしてメディアの主体はどうなるのだろう。ケータイなどで垂れ流しされる情報は一見して便利なようでいて実は危険な要因をはらんでいるのでは。今こそすべてのメディアは「偏向し、主張するメディア」になるべきだ、と思うのだが……。

 3.40、K記念病院で鍼治療。地元に戻って整形外科に行こうと思ったが、診療時間は6・30まで。断念して帰宅。  


3月9日(日)晴れ

 11時起床。目がかゆいので鏡を見たら真っ赤にただれて無気味。花粉症がひどい。昨夜の酒もあるのだろう。お酒と花粉症の合併症?

 朝刊を開くと昨日のピースウオークの記事と写真。毎日新聞の扱いは1面写真と社会面の記事&写真。あれだけの歴史的集会にしてはさらっとしたもの。しかも、誤認がある。「全参加者が日比谷公園を出たのはスタートしてからたっぷり1時間もかかった」と記述されているが、そんななまやさしいものじゃなかったのは参加者全員が知っている。3時半に先陣が出発して、最後列がでたのは6時半。3時間もかかっているのだ。毎日の記者はどこを取材したのか。だから、自分の目で見ないと「事実」はわからない。

 夕方、原稿書き。終わってホッと一息。今年に入ってからの演劇人反戦の動きをまとめる。
 10・30、就寝。


3月8日(土)快晴

 1・30、仕事を早めに切り上げ。日比谷公園へ。日比谷野音で「ワールド・ピース・ナウ3・8集会&ウオーク」

 地下鉄日比谷駅から地上に出ると、ピースウオーク参加者と思われる老若男女が三々五々、日比谷公園目指して歩いている。

 公園入り口まで来ると、人の数は急激に増え、太鼓の音など鳴り物が響いてくる。公園に入り噴水の脇を通る頃には人波は膨れ上がり、ビラを配るセクトの人間も多く見られる。しかし、圧倒的に多いのは子供連れの夫婦、あるいは若者のグループ、老婦人など一般参加者。

 すでに野外音楽堂は超満員で入場規制されている。なんとかすり抜けて中に入ると、目の前に飛び込んできたのは、音楽堂を埋め尽くした圧倒的な市民たち。まさに立錐の余地もないほど。これだけの人数が日比谷野音に集まったのは見たことがない。
 確かに、入場規制しなければ事故につながるかもしれない。


 舞台袖で偶然、SKI(制服向上委員会)のメンバーとバッタリ。「これから舞台に出るんです」。その傍に黒の革ジャンに身を包んだPANTAの姿。「久しぶり!」と立ち話。なんでも、前回の日比谷野音集会でもSKIと共に歌ったとか。きょうも出番があるという。

 2・00、集会スタート。次の予定があるということで、喜納昌吉さんがトップバッター。トークと歌。続いて、ザ・ニュースペーパーのメンバーが小泉首相に扮して風刺コント。場内大爆笑。イーデス・ハンソンさんの平和アッピール、ピースボートのチョウ・ミスさんのイラク訪問現地報告、浄土真宗僧侶・本多静芳さんの宗教者の立場からの反戦表明。

 辛淑玉さんは「私は在日朝鮮人三世です。”朝鮮と日本が戦争をしたらどっちにつきますか”とよく聞かれる。私は答える。まず、私が殺されるだろう、と。戦争になったら真っ先に邪魔になるのは、異端、足手まとい、戦争に反対する者、それが真実です」と。トレンチコートを翻した辛淑玉さんの気迫に会場は水を打ったように静まり返る。テレビで見る淑玉さんとは別人のように硬質なアジテーション。万雷の拍手。

 続いて、サイエンスライター・小林一朗氏、在日留学生トーマス・ヘネクル氏の挨拶。

 3・00、場内の熱気が盛り上がったところで、PANTA登場。SKIの「反戦歌」をギターでサポート。2曲目は「時代はサーカスの象にのって」。寺山修司の詩に曲をつけた歌だ。これにはびっくり。場内7000人が熱狂。最後にレゲエ・ユニット「エイプ」がボブ・マーレーの曲を歌い、パレードへつなげる。
 3・20、集会は終わり、パレードへ移行。楽器をクルマに積み込んでいるPANTAや盟友・SKI社長・高橋氏と立ち話。

 会場から続々とパレードに出発する人たち。

 人波をすり抜けて、外に出ると、流山児氏の姿。そばに反戦演劇人の会の旗。会場に入れず、外で待機していたようだ。その数約100人。この前の渋谷よりも人数は少ないが、その中に黒木美奈子さん、龍昇氏、伊藤裕作氏、A新聞のI氏の姿。
 演劇人の参加者は思ったより少ないが、集会参加者は会場に入りきれなかった人数2万人。会場と合わせて3万人と途中集計発表。

 しかし、実際はもっと多い。5万人はいくだろう。「これだけのデモは70年安保でもなかった。60年安保以来じゃないですか」と興奮気味の流山児。

 スタートしたパレードだが、交通信号に引っかかり、なかなか公園から出られない。3・00に予定していた日生劇場「コンボイショー」はとっくに断念。9000円がパーになったが、舞台よりデモの方が面白い。

 断続的にパレードが進行。交通信号で分断されるので約200人ずつの分断集団。沿道で手を振る市民たちの中に元ニュースキャスターの国弘正雄氏の姿。通りかかるデモ隊が氏の顔を認めて声をかける。それに応えて、両手を胸の前で合わせ、祈るような仕草をする国弘氏。

 テレビで活躍していた頃から見れば、だいぶ年を召した。しかし、リベラルな情熱は変わらず、沿道に立って声援を送る氏の姿に胸が熱くなる。パレードの中に目立つのは親子連れ。思い思いの手書きの反戦プラカードを掲げて歩く姿に、思わず涙がこみ上げてくる。労組やセクトの隊列もあるが、ほとんどは一般市民。

 なかなか出発しないので、様子を見に来た黒木さんと龍昇氏とばったり。「演劇人反戦」がどこにいるのかもまったく見当つかないとか。「まだ音楽堂の中にいた人たちが出終わっていないんです」と黒木さん。この分では、後方の演劇人の隊列が出発するのはまだまだ時間がかかりそう。6・00に円形劇場でラサール石井の芝居を見に行く予定。それも昨日、石井久美子さんに頼んだばかりなのでキャンセルするわけにはいかない。黒木さんに様子を聞くことにして、表参道へ。日も落ち始め、冷たい風の中、デモ隊もさぞや寒かろう。

 6・00、青山円形劇場。ラサール石井作・演出「ジッパー」。劇場に行く途中で海津義孝夫妻とばったり。やはりラサールの芝居に行くところ。

 今日はやたらと見知った人が多い。休憩時に、元バービーボーイズのKONTAと立ち話。この前の紀伊國屋ホールの話。きょうのデモの様子を話すと「あっ、そうだ、今日だったんですね。忘れてた」と残念そう。ケイタイで黒木さんに電話すると、6時に隊列が動き始めたとか。2時間半も待たされたわけだ。交通規制してスムーズにデモ隊を通過させればいいのに、警察のいやがらせか。

 舞台は入江加奈子、麻生かほ里、風間水希の3人が歌い踊るサスペンス、ホラー・ミュージカル。いかにもラサールらしい脚本。仕掛けや音楽の使い方もいい。あとで聞いたら、ザ・ピーナツの曲(元歌は海外ポップス)を選ぶためにCD屋に行って10万円分くらいCDをまとめ買いしてきたのだとか。こだわり方もハンパじゃない。
 
 終わった後、ロビーで吉岡小鼓音と池田有希子が立ち話をしていたので、二人に挨拶。そういえば、ユッコと吉岡さんは「リトルナイト・ミュージカル」で共演しているのか。
 
 この前の「青ひげ公の城」で小田島雄志賞をもらったという池田有希子。賞品はシェークスピア全集とか。「持って帰るのが大変」。演出賞は流山児祥。ミュージカル月間で「青ひげ」が制覇。

 楽屋を訪ねて風間水希に挨拶。一瞬、後姿だけだが、オールヌードになったシーンがあったので、「後ろ姿よかったよ」と言うと、「そんなぁ」と笑いながらにらむマネ。面会でごった返す楽屋。

 「隣りの”オケピ!”の楽屋を訪ねて、飲み会に繰り出す」という池田有希子と別れて、海津氏らとラサール組の飲み会へ。宮益坂の居酒屋。ラサールは仕事の関係で9時過ぎに顔を見せるというので、先遣隊。

 先に陣取っていた三田村周三、有薗芳記、新納敏正らと同席。明治座公演のエピソ−ドを聞く。ラサールが皐月賞で5万円の万馬券を2000円とって、その配当で役者たち全員に豪華なイベントを用意し一晩で使い果たしたといういかにもラサールらしい剛毅なエピソード。

 新納氏は大好きな役者なので、じっくりと話し込む。小さな劇団から始まって、ストリップ劇場での下積み時代、渡辺正行らと始めた劇団七曜日でのことなど。よく聞けば一つ年下。まだ30代だと思っていたが、「よく言われるんです」とか。

 途中からラサールもかけつけ、宴席は延々と続く。新納氏「ラサールは昔から一瞬とも休んだことがない」。確かにそうだ。あの忙しいマスコミの仕事と別に年に何本も舞台を手がける。それも作・演出。普通のひとならとっくに過労死してるほどのハードな日々。顔色があまりよくないので、「寝てないんじゃないですか」と聞くと、笑って「いやぁ、ちゃんと寝てますよ」と言うが、相当ハードスケジュール。この後、また舞台が2本続くし、体だけは大事にしてもらいたい。

 そのうち、村上ショージ、なべやかんらが顔見せ。電車がなくなるので、みんなに挨拶して0・00店を出る。タクシー乗り継ぎ1・10帰宅。


3月7日(金)雨

 橋本大二郎の二男の強制わいせつ事件発覚でバタバタ。
 
 1・15、大急ぎでTBSへ。青年座公演「乳房」の稽古場。玄関で後ろから声をかけられたので振り返るとささめ氏。「あれ? どこへ?」とよくよく考えたら、なんと、「青ひげ公の城」も同じTBS稽古場だった。「それじゃ、後で」と、青年座へ。西田敏行から山野史人へバトンタッチして、稽古続行中。

 昼休みを利用して、魏さんと館内の店で食事。スープ2種類とパン、ソフトドリンクのセット。
 食べながら、お話。前に魏さんと会ったときも雨が降っていた。もしかして雨女?
 2時まで話がはずむ。初めて会ってからもう何年だろう。大阪人らしい明るさと快活さ。大好きな女優さんだ。「実は…」とうれしい報告を聞く。
 演出の宮田慶子氏も同じ店で食事中。

 稽古場に戻る魏さんを見送り、隣りの「青ひげ」稽古場へ。シーザーは小竹信節氏らと打ち合わせ中。九條さんはパルコの山田潤一プロデューサーと歓談。稽古場はまだ万有の役者ばかり。根本氏と「観客」の件で打ち合わせ。蘭さんが「いいんじゃない、面白そう」と。
 2・50、会社に戻る。

 3.00、生命保険の切り替えのため、生保のおばさん来社。掛け金が二倍になるという。不確実な世の中、掛け金据え置きで、減額を検討。

 石井K美子氏に電話。ラサール石井の「ジッパー」の件。
 6.00帰宅。新しいページを作ろうと思ったが、フレームの作り方を忘れてしまった。なんということ…。


3月6日(木)雨

 1・30PM、青山劇場で「オケピ!」のゲネ。関係者・取材者が約100人。

 前回の真田広之、松たか子の主演コンビから白井晃、天海祐希コンビにチェンジ。新メンバーの中では瀬戸カトリーヌが抜群の存在感。寺脇康文は弱い。戸田恵子も相変わらず達者だが、彼女の持ち味が生かしきれていない。

 それにしても、まさに豪華キャスト。しかし、劇中のセリフにあるように、「キャストは豪華だけど、舞台は貧弱」。舞台が大きすぎるため、役者はみな大味な演技しかできないし、オケピの中だけという制限があるから動きは少ない。役者がうまいから見ていられるが、3時間15分は長すぎる。前回の劇評で布施明の歌のうまさだけが喧伝されていた意味がわかった。そこしか見どころがないからだ。白井晃も演技をしようとすればするほど浮いて見える。大劇場の芝居はやはりダメ。テレビを見ているようなもの。
 6・00。帰社。

 7・30、新宿シアタートップス。ウオーキング・スタッフ「スペーサー」。
SFの古典「盗まれた町」をモチーフに、宇宙人に体を乗っ取られた人々のパニックを描いた密室劇。ホンモノとニセモノの疑心暗鬼。役者たちは虚実の境界に放り出され、怒号飛び交う中、追い詰められていく。設定をSFにしただけで、作・演出の和田憲明の関心は、人間のアイディンティティーにある。日本人に「同化」している「在日」の抱える自己確認、それが根底に見え隠れする。

 9・50終演。
後ろの席で聞き覚えのある声がすると思ったら石井社長。ずいぶん久しぶり。石井久美子、山家かおりさんに挨拶。

 楽屋から出てくる古川理科を待つ。初舞台にしてはいきなりハードな芝居。さぞ消耗しているだろうと思ったが、目が合った瞬間、人なつこい笑顔で「きょうはありがとうございました」とハスキーボイス。実にさわかや。
 11・30帰宅。


3月5日(水)晴れ

 花粉多し。薬を飲んでいるのでラク。

 朝刊を見てびっくり。西田敏行が心筋梗塞で入院・手術。青年座は大騒動だろう。制作Mさんから魏涼子の件で連絡待ちだったが、電話がなかったところを見ると対応に忙殺されているに違いない。

 テレビのワイドショーで青年座のMプロデューサーが記者会見している様子が映っている。命に別状ないとのことで不幸中の幸い。ただ、「乳房」公演はおそらく中止になるのでは。

 パソコンの設定を一からスタート。どこかが違っているはず。バックアップソフトのサポートセンターに電話すると親切な受け答え。話しているうちに、リストアするチェック印の付けかたでリストアのファイルが違ってくることに気づく。今までのやり方が違ってたということ。だから、中途半端にしかデータが復元しなかったのだ。

 手順を踏んでリストアすると、今度は大丈夫。さくさくとパソコン復旧作戦は進み、夕方にはパンク中のプリンターの復旧にも成功。半日かけて、ほぼ元通りの環境に復帰させることができた。調子に乗ってADSLの接続ツールも最新版に更新。

 ケイタイの留守電に青年座Mさんからの伝言があるのに気づく。明日にでもまた連絡しよう。

  小泉首相が、衆院予算委で国内の圧倒的多数がイラク攻撃に反対していることについて問われ、「世論に従って間違うこともある。歴史が証明している」と発言。やっぱりこの人の頭の中はスカスカだ。大衆人気という世論に従ったために、間違ってきたのはどこの国の話か。自縄自縛、天に唾するもの…。

 本屋で平積みになっていた貴志祐介「青の炎」、今時のベストセラーとはどんなものかと思って買ってみたが、あっさり読了。21世紀のラスコーリニコフは斧ではなくパソコンを駆使して目障りなオトナを強制終了させる。現代の高校生の心情はうまく描けているが、それだけ。


3月4日(火)晴れ

 4・50、新宿。タワーレコード。デライト・ミントのベスト盤「DM大作戦」、プシン「T Wanna know You」、Ai[Believe in Love」、クヌイパナ「チェンジ・ザ・ワールド」、川村結花「」ビューティフル・デイズ」購入。
 
 買わなかったCD=ぱぱぼっくす「哀恋歌」、3人組ガールズギターポップ・pitch56、ザ・スキャンティの新譜「LOVEララバイ」、トミー・フェブラリーの新譜「ジュテーム・ジュテーム」、青森出身のフォーキーグループ「初花」ほか。「ぱぱぼっくす」はいかにもなフォーク仕上がりでいい感じ。女性ボーカルも好きな個性だが、いかんせん声が鼻にかかりすぎ。「みみずくず」のボーカルもそうだが、この頃のインディーズ系ボーカルは明らかに風邪引き状態の声の持ち主が目立つ。聞き苦しいことこの上ない。鼻声とウイスパーは別物だ。

 6・00、三軒茶屋。さんま定食630円。TSUTAYAを覗くがめぼしいものなし。

 7・00、シアター・トラムでMODE+世田谷パブリックシアター「アメリカ」。3時間半と長丁場だが、決して飽きさせないのは演出・松本修の手腕。カフカの未完の小説をもとに、ドイツからアメリカに渡った一人の少年の「失踪」の軌跡を描いたもの。「変身」「城」といったカフカ作品を織り込みながら、不条理な迷宮世界が展開する。総勢20数人がそれぞれ10数役を演じる。イントレを組み合わせた立体的な舞台美術が不気味なムード。まさに哄笑と悪夢の3時間半。石井ひとみ、裕木奈江ら女性陣もいいが、福士恵二、高田恵篤の元天井桟敷コンビが抜群。特に食事シーンでの福士のマイムは見事の一語。前回、伊東由美子が演じた宿屋の女の行水シーンはカット。開巻、石井の上半身ヌードはあったが、さすがにオールヌードは尻込みしたのか。

 昨年暮れの二人芝居コンビ、裕木奈江と文学座の佐藤淳がここでもコンビ。「私、荷造り得意なの」というセリフは、まるで、この前の「押しかけ女」を想起させる。おもわず笑ってしまう。帰りに、出口で松本氏に聞くと、「偶然ですよ」と言っていたが…。
 休憩時間に七字氏、江森さん、元梁山泊の近藤弐吉氏と立ち話。「4月に勝田さんの芝居に出るんです」とか。
10・40、江森さんと一緒に帰りの電車。
 0・10帰宅。


3月3日(月)快晴

 花粉の飛散量が非常に多い日。会社に着いたとたんにクシャミ・鼻水。仕事にならないので、非常用のクスリを服用。そのためでもないだろうが、頭が重く、夕方まで頭痛直らず。
 11・00過ぎ、バックアップソフトのメーカーにサポート要請電話。しかし、画面を見ながらでないと、始まらない。水曜日にかけなおそう。

 4・00、K記念病院で鍼治療。先週からの様子は波があって、悪くなったり、良くなったり。今日は比較的ラクな状態。
 帰宅して、近所の整骨院へ。寝るとき、肩に痛みが走るので、診てもらったら「ここ痛くありませんか」とわき腹を押すと確かに痛みが。そこがツボらしい。鍼を打ってもらい、帰宅。
 パソコン再フォーマットの予定だったが、睡眠時間を優先。10・00就寝。


3月2日(日)快晴

 花粉多い。
パソコンの設定の続き。9・00。NTTのサポートセンターに電話。親切に折り返し電話をしてくれる。電話代が助かる。しかし、いくら設定を変えてもブラウザ表示しない。正午まで。さすがに万策尽きてNTT担当者も「あとはパソコンメーカーに相談するしかないですね」とサジを投げられる。

 仕方なくフォーマットして、リストア、接続ツールインストール、試行。結局、夕方6時過ぎまでその繰り返し。肩はパンパンに張るし、目は血走る。ようやく、インターネット接続に成功したのが7時近く。それでも、まだデータやプログラムの復旧は完全ではない。いったん更地にしたパソコンを元の環境に戻すのがこんなに大変とは。一日中パソコンに振り回され、疲労困憊。

子供は朝から道場へ。続いてくれればいいが。


3月1日(土)雨

 午前11・05、K記念病院。土曜日なのにすごい混雑。受付を済ませるだけで30分も待たされる。
 1・30会社に戻り仕事の続き。4・00まで。

4・45、下北沢。ディスクユニオンで「演劇版 書を捨てよ町へ出よう」「さらば箱舟 サウンドトラック」の二枚を購入。付録は「書を捨てよ町へ出よう」初演のパンフレット。

5.00。本多劇場で加藤健一事務所「ギャンブラー」。つつましい生活を送っている一人の詩人が競馬の予想を次々と的中させたことから、町のギャンブラーたちに見込まれ…という翻訳コメディー。戦前の作品とか。

 しかし、今日は舞台を見る環境ではなかった。
二つ離れた席の男がうるさいのなんの。開演前に隣の席に女性が座ろうとしたら、荷物を置いたまま。いぶかしく思った女性が「ここ私の席ですけど」と言うと、「俺は12番」と、わけのわからない対応。ヘンだな、とは思ったが、関係者席なので、どこかのプロダクションの関係者か俳優の親類かと思っていた。
 ところが、開演してからも、役者の言い終わったセリフを繰り返すは、「おもしれーな」とか独り言を言うは、「今度は馬券はずれるよ、きっと」と際限のないおしゃべり。声がでかいし、前の人(尾崎右宗)が振り返ってもの言いたげにしても効き目なし。よほど注意しようと思ったが、笑い声に「静かにして」とも言えないし、舞台が暗転になったときに、注意しようとしても、BGMが大きくてダメ。言い争いになって舞台をめちゃくちゃにしてもいけないとじっと我慢。
 結局、たった一人の男のために、舞台に集中できないまま2時間が過ぎてしまう。終わると、そそくさと出口に向かう男。周りの人は大迷惑だし、舞台の俳優もきっと気になっていたと思う。
 楽屋で加藤忍と江間直子に挨拶。江間さん「素敵な文章をありがとうございました」とにっこり。

 出口で制作のAさんに男のことを話すと、すでに苦情が殺到していたらしい。「すみません。急にキャンセルになったので、当日券の人をあそこに入れたんです。そんなヘンな人にはみえなかったし…」と恐縮しきり。
 帰りしな、偶然、知り合いの雑誌ライターBさんと「ああ、久しぶり!」。あれ? よく見れば、あの男の隣で難儀してたのはBさん?
「そうなんですよ。もう、最悪。注意してケンカになってもいけないとがまんしたんですけど。あの席、実はSさんが来る予定だったんです。それが、だんなさんのUさんのお父さんが亡くなって急遽キャンセル。その穴埋めにあんな人が座るなんてね」

 なんと、あの席はSさんの座るべき席だったんだ。不幸なめぐり合わせとしか言いようがない。

 雨脚が強くなったので家に直帰。9時着。
 玄関に大きなダンボール。パソコン到着。さっそくセットアップしてみる。HDDの音はかなり静かになった。
 データのリストア。ADSL接続を試行するが、ブラウザが表示されない。なぜだ? どうもバックアップとリストアがうまくいってないような気がする。何度かやり直すが、ダメなので明日、NTTに聞いてみることに。0・30就寝。


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