5月31日(土)曇り時々雨 4.00まで会社。思い立って、朝日新聞の合本で1965年の「みんなの科学」の放送内容を調べたが2月の番組表に教育テレビ「みんなの科学」の記載がない。なぜだ? 教育テレビの子供向け番組はテレビ蘭で不当な扱いを受けていたのか。これでは、当時どんな内容を放送していたのか確認しようがない。 5.00、下北沢。台風接近で雨がぱらつく。本多劇場で加藤健一事務所「木の皿」。いつものカトケン・コメディーとは趣を変えて、真正面から「老い」の問題を描いている。 原作は1954年初演というが、今の時代でもそのまま通じる。というよりも、高齢化社会の今の時代こそより切実な舞台といえる。 同居する老いた父親(湯浅実)は最近、物忘れが多くなり、体力も衰えてきている。懸命に面倒を見てきた息子(加藤健一)の妻(大西多摩恵)は義父の面倒を見る生活に疲れ果て、老人ホームへの入居を勧めるが、義父は頑なに拒む。思い余った二人はウソの電報を打って遠くの町に住む長兄(小田豊)を呼び寄せる。16年ぶりに現われた長兄は変わり果てた父親の姿を見て驚くが…。 老人問題を描いた舞台・映画・テレビは数あれど、これほど胸に迫る舞台は初めて。粗筋を読めば、「なんだ、よくある話じゃないか」と思うかもしれないが、脚本(エドマンド・モリス)は緻密、訳(小田島恒志)も綿密、演出(久世龍之介)も丹念に俳優の呼吸を汲み取り、俳優に至ってはわずかな瑕疵も見当らない完璧に近い演技とアンサンブル。”くすぐり”で笑いを取るシーンを、極力排除し、まったくムダのない、緊密な舞台に仕上げている。 父と妻の板ばさみにあいながら出口をみつけようともがく息子、祖父への慈しみゆえに危うい行動に出てしまう孫娘、父親を弟に押し付けているという負い目を抱える長兄。 毎日の生活に疲れ果て、別な男との新しい生活をにすがるしか道を選べない妻…。さまざまな登場人物が実にリアリティーある造形。ステロタイプな人物像は一人としていない。 単純に黒白言い募るのではなく、みんながそれぞれ灰色の心象風景を抱えている。「人は愛を受け入れるのと同じように、いつか苦しみを受け入れなければならない」ーー劇中のセリフのひとつ一つがアフォリズムとして輝きを放つ。 悪人は誰一人登場しない。しかし、それでも人と人は傷つけあう。人間が生きていくということはそれだけで悲しいこと。 カトケンも抑えた演技で好感。小田豊、大西多摩恵、有福正志もさすがの貫禄。それにもまして、老人役の湯浅実の存在感がすばらしい。「中学生日記」の風間先生もだいぶ老けたが、「明治の柩」そして今回の舞台ーー代表作が次々と生まれる。 全4景。終幕、「別れ」のシーンで抑えられず滂沱の涙。終演後、トイレに駆け込み、目の充血が引くのを待ってから楽屋へ。カトケンさんに挨拶。にこやかな笑顔。加藤忍、間美幸に「泣きました?」と言われる。目の充血を気づかれたみたい。 制作のNさん、「昼に演劇評論家のS田さんがいらして、やはり泣いてました」。 7.10。外は雨。見た芝居の話を誰かと話したい。こんな気持ちになるのは1年に1回もない。あとで、台本をもらえるよう頼もうか。台本を読みたいなどと考えたのは初めて。いくつもの素敵なアフォリズムがあったから。 駅に向かうも、気分が高揚し、そのまま家路につく気になれない。引き返して「ヴィレッジ・ヴァンガード」へ。小一時間、本棚を眺め、CDを聴き、フィギュアを見て、観劇後のクールダウン。 いつ来ても、目移りする。ストーンズのフィギュア1体4000円。楳図かずおの未収録短編集3冊セット、「イアラ」の豪華本…欲しいのばかり。最近話題になっていた水木しげる関連本「水木しげるの魅力」(志村有弘編 1800円)、「KAWADE夢ムック 寺山修司」(1143円)、CD、ジョー・パス「フォー・ジャンゴ」を購入。 河出書房新社の寺山修司本はよくできている。足立正生の寺山評など、実に新鮮。 ただ、多くの評者が「書を捨てよ町へ出よう」の意味を、「書=静」「町=動」、つまり、「実践」へのアジテーションと誤解しているのは面妖。 寺山修司は「本」を捨てて「町」に出ようと言ったのではなく、「グーテンベルグの印刷術の発明によって著者と読者の乖離が広がったこと」に対する反語として、「町も書のように読まれるべきだ」と言ったのであって、何も「本」を捨ててしまえと言ったのではない。 そのことに言及しているのは高取英くらいか。「この言葉は町を書のように読めという意味である」と。 ジョー・パスのギター。エラ・フィッツジェラルドとの共演「エラ・パス アゲイン」をレコードで買ったのが初めてだったか。ジャンゴ・ラインハルトへのオマージュ。1964年録音。 9.00帰宅。従姉が宅急便で送ってくれたウニが届いており、ウニの身をツマミにビールをクイッ。昨日海から引き上げたばかりという。まさに採れたての新鮮さに舌鼓。なんというゼイタク。 ほどよく酔いも回り、早めに床につく。10.30からの「男たちの旅路」は明日録画で見よう。それにしても、「木の皿」はよかった…。こんなに繰り返し思い出される舞台はめったにない。 5月30日(金)快晴 午後、高校同窓会事務局のS氏が会社に訪ねてくる。この前の会合に出なかったので、会報制作の打ち合わせ。その時はちょうどイラク戦争真っ最中、気もそぞろで連絡なしに欠席したため、心配していたらしい。他意はないのだが、気を遣わせたようだ。 浮島丸訴訟の大阪高裁判決出る。被害者への一部補償を認めた一審の京都地裁判決を覆し、原告の請求を棄却した。 1945年8月24日、下北半島・大湊港を出港した輸送船・浮島丸が京都・舞鶴湾でナゾの沈没を遂げた。浮島丸には朝鮮半島から強制連行された朝鮮人労働者ら500人が祖国へ帰国するため乗船していた。 戦後、日本人乗組員は戦死扱いされ、遺族補償がなされているのに、生存朝鮮人労働者には補償も認められなかった。訴訟は日本政府への損害補償と公式謝罪を求めたもの。 高裁判決は「戦況が緊迫していた当時の状況下では国が不法行為責任を負う余地はない」という木で鼻をくくったような文言。 要するに「戦争は終わっていたけど、まだ戦争状態だった。浮島丸の運行は海軍の行った軍事上の措置。艦長に航行上の注意義務違反はない」という意味らしい。 有事法制が成立する今、この判決の意味は重要だ。「戦争になったら国は国民の生命・財産には何の義務も負わずに済む」という国家の論理を裁判所が追認したのだから。国家は国民を守らない、守るのは国家体制だけという有事法制の論理を認めるお手本のような判決。 「反省している」と口で言っても、日本の裁判所は戦争犯罪に絡む裁判はほとんど被害者の訴えを認めてこなかった。 日本の植民地支配下、「日本人も朝鮮人も同列」として朝鮮人を戦争に駆り出しておきながら、戦後は「外国人」として補償から切り捨ててきた。 日本という国はアジアの人たちから見れば、「敗戦後、米国の対ソ連政策の尖兵としての役割を果たす代わりに、アジア市場を手に入れ、経済でアジア再侵略。その利益で「戦後補償」を行い、草の根の民間補償は頬かむりを決め込む不誠実な国」に映るに違いない。……こう言えば「自虐史観」などと言われるソラ恐ろしい時代。 6.30帰宅。家人不在。シーンと静まり返った家の中。ケイタイも不通。いつまでたっても帰って来ないので不安が頭をもたげる。案の定、子供が手首を捻ったとかで、病院から電話。たいしたケガではなく、じきに帰宅。やはり、家は子供らの声でさんざめいているのがちょうどいい。 5月29日(木)快晴 5球スーパーラジオとオープンリールの小型テレコの夢を見ていた。ラジオは生まれた時から家にあり、中学時代まで使っていた。テレコは中学1年の時、町に来た展示会で買ってもらったもの。どちらも大切な思い出の品。とっくにこの世から消滅したモノなのに、どうして今ごろ夢に見たのだろう。大事なものをなくしつつある…という喪失感の発現? 5.00、銀座の書店で阿刀田高「迷路」、澁澤龍彦「変身のロマン」。阿刀田高の本を買うのは久しぶり。文庫化されたものはほとんど読んでいる。これも短編の再録で、既読の作品が多い。奇妙な味わいの阿刀田節を久しぶりに堪能。 5.30、幡ヶ谷のY斎場でMさんの通夜。早めに着いてしまったので、親戚の座る席のすぐ後方に並んでしまう。遺影のMさんはヒゲがなくはにかんだような顔。普段接していた無精ひげの野人とはまったく別人.。唐突過ぎて、亡くなったことが今だに信じられない。この感覚はこの先もずっと続くのだろう。 喪主である夫人の隣りに二人の子供が座っている。高校3年、野球か何かやっているような体格のいい坊主頭の長男は前を見据えて、この年代に見られる不機嫌そうな表情。高校1年の長女はうつむき、時々、思い出したように、目に涙を浮かべている。スラリと伸びた手足、端正な顔立ち。きっとMさん自慢の娘だったに違いない。家庭の匂いをまったく感じさせない、放蕩無頼の雰囲気があったMさんにこんな家族があったとは。 そこだけ時が止まったように、心細げな3人を見ていると、つい、わが身に置き換えてしまう。涙止まらず。 焼香を済ませて外に出ると、参列者の長い列。 7.00、下北沢。本多スタジオでラ・カンパニー・アン「犬の恋」。ダンス、マイムが主と思いきや、今回はセリフ劇の趣き。女優たちの体のキレが抜群。実に刺激的な舞台。ただ、もっとダンスシーンがあってもよかったと思うが。 そこにいるだけで、周囲を圧倒する存在感。西山水木が日本演劇界屈指の名女優ということを再確認。客席に高橋克実、ますだいっこう、木村緑子の顔。疲労感あるため、水木さんに挨拶しないまま帰宅の途に。 10.30帰宅。 5月28日(水)快晴 気温28度まで上昇。汗ばむほど。 午後から銀行、郵便局回り。ダイエーの中庭で売っていたゾッキCDの中にダニエル・リカーリを見つける。懐かしいスキャットの女王。「ふたりの天使」「おもいでの夏」「シバの女王」…。高校生の頃、放送室に置いてあったシングル盤のジャケットが目に浮かぶ。1334円。迷った末に購入。「おもいでの夏」は71年のアメリカ映画のテーマ曲。年上の女性との甘美な初体験ものだったか。いかにも映画音楽らしい映画音楽はこの頃まで? 帰宅して、カセット保存作戦。1984年放送のNHK・FM「ふたりの部屋」。浅川マキのモノローグ、ゲストとのトークがクリアに残っている。カセットテープをデジタルに変換しCDに焼く。大事なものからCD化しなくては。 長野県の本人確認情報保護審議会が長野県に対し、住基ネットからの離脱を「勧告」。現時点では個人情報の保護の体制が不十分というのが理由。 審議会メンバーの桜井よしこは右派的言動の目立つジャーナリストだが、こと個人情報保護に関しては、きちんとしたスタンスを持っている。これを受けて、長野県が住基ネットから離脱すれば、国のメンツは丸つぶれ。さっそく井上源三・総務省市町村課長は「県の離脱は違法」と牽制しているが、田中康夫知事の決断で離脱する方向になるのは間違いない。 「国と対決する」というのはこういうことを言うのだよ、石原チェンチェイ。「国と対決」なんて息巻いても、東京都と国は同じ穴のムジナ。ズブズブの馴れ合いで対決とはチャンチャラおかしい。マッチョ石原は田中康夫のツメの垢でも煎じて飲んだほうがいい。 長野の9市町村が自衛官適格者情報問題で、防衛庁の情報提供要請を断ったという。首長が変わっただけで、これほどまでに長野の自治体意識はドラスチックに変わったのか。地方から国を変えるーーこれこそが地方自治のお手本。 いつまでも国にヘイコラして、国の出した汚物ばかり押し付けられている田舎自治体は長野の気骨を見習ってほしい。 5月27日(火)曇り時々雨 3.00退社。4.00、渋谷NHKへ。7月5日から始まるETVドラマ「天使みたい」の試写&会見。 山下和美のコミックをもとにしたファンタジー。主演の「はるか」「かなた」の二役を演じるのが黒川芽衣。試写室は満席状態。入れない取材者が大勢いたため、「座ってる関係者は外に出て」と命令調で指示するNHK広報。ずいぶん威圧的で官僚的。2話分、50分試写。ジュニア向けとしては、まあまあのデキ。岡田奈々が塩澤とき風のヘンな髪型でオポンチな科学者を演じている。嗚呼、憧れの岡田奈々が…。時の流れは残酷。 終了後、別室で会見。ここも満席状態。ETVのミニ連続番組にこんなに取材陣が押しかけるなんて。黒川芽衣効果? 前の席のアイドル探偵団・北川氏の肩をたたくと、振り返って「どうしたんですか?」と、不思議そうな顔。確かにこの場にいるのは不自然か。 黒川、岡田奈々、鶴見辰吾らが挨拶。岡田奈々、44歳か。でもまだまだ「俺たちの旅」の面影を残している。「自分と同じロボットができたら、結婚生活も経験してみたい」とか。そうか、まだ独身だったんだ。写真撮影の後、おどけて、芽衣、奈々と携帯で写真を撮る鶴見。記者らに非常に気を遣うのは、過去の事件のせいか。 5.30、終了。廊下で芽衣の所属事務所のM岡氏に挨拶。事務所に稼ぎ頭がいれば、心置きなく本業の芝居に集中できる。演出だけでなく、劇団・事務所経営の才覚もあったわけで…。 才能があっても食えない役者がごろごろしている小劇場界。田口トモロヲだけでなく、いい声持ってる役者がいっぱいいるんだけどなぁ。万有の井内俊一の声をD氏が「すばらしい声」と誉めていたが、彼のような才能がもっとマスコミで重用されれば、バイトしなくても芝居に集中できるのだろうけど。 HMVでCD物色。レゲエのゴッドマザー、シスター・カヤの「ムーンライト・サーファー」を視聴。アレンジに工夫が見られず、これでは石川セリのコピー。買わず。竹内めぐみ「何もない僕ら」ーー橘いずみか?。買わず。つじあやの「恋恋風歌」ーーいい感じ。ウクレレにこだわらなくても。レンタルでいいか。買わず。 買ったのは―ー。 横山剣プロデュースのコニー「葉山ツイスト」、キュートな声がヨコハマ・本牧・昭和ロックにピッタリ。 ロシアの女子高生デュオt.A.T.u.のスマッシュ・ヒット“ALL THE THINGS SHE SAID”をカバーした「ジュエミリア」。ネット仲間のKaoriさんの娘で中高生のカリスマ・ファッションリーダー・沖樹莉亜と鈴木えみのユニット。第二弾シングルは大ブレイクしそうな予感。HMVに平積み。 HMVで当たりをつけてタワーレコードに行って購入のパターン。大滝詠一「恋するふたり」が出ていたので購入。「幸せな結末」から6年。予告もなしにいきなりニューシングルとはナイヤガラー欣喜雀躍。フジ月9「東京ラブ・シネマ」の主題歌とか。 6.00、三軒茶屋。定食屋でカレイの煮つけ630円。 7.00、パブリックシアターで「エレファント・バニッシュ」。入り口で遊◎機械のBさんから秋の白井演出の新作のリリースをいただく。白井さん、今は「オケピ」で地方公演中とか。最近、テレビのCMでもよく見るし、忙しそうなのに、演出を連チャンとは人間技じゃない。と言ったらBさんも「みなさん、そうおっしゃいます」と笑う。 「エレファント・バニッシュ」は英国「コンプリシテ」のサイモン・マクバーニーの演出。村上春樹の英語訳版「象の消滅」「パン屋再襲撃」「眠り」をモチーフにした舞台。マクバーニーの舞台を見るのは初めて。まったく予断なしに見た。 スゴイ! 演劇を見る快楽とはこのことを言う。スタッフ・キャストの長期間のワークショップから生まれたとてつもなくゼイタクな舞台。最小限の装置と役者の肉体、演技を媒介に、シュールな悪夢が展開する。移動するテレビのモニター、巨大なスクリーン、ベッド、冷蔵庫など小道具の使いかたの見事さ、ドッペルゲンガーのように、幽体離脱した男がもう一人の自分を眺めるシーン。ワイヤーを使った空中浮遊シーンでこれほどシュールな舞台は見たことがない。実験性と娯楽性がこれほど見事に融合した演劇は晩年の寺山・天井桟敷以外に知らない。桟敷最後の役者・高田恵篤も今回のサイモンのワークショップには最初から参加している。集団創作は桟敷仕込み。高泉淳子も遊◎機械/全自動シアターが集団創作から始まったからお手の物。どのシーンを誰がどう作り、どう発展させたか、興味深いものがある。 吹越満もサイモンとの出会いで自分の一人芝居がどう影響されるか、この先が楽しみ。ワイヤーの動き抜群の東京オレンジ・堺雅人も圧倒的に素晴らしい。 サイモンの舞台は「オモチャ箱をひっくり返したような…」と形容されるが、そのオモチャはどれもがキラキラ輝く宝石の原石。俳優たちがそれを磨きながら日々、芝居を変えていく。実験性とエンターテインメント性の見事な融合。テレビ、映画ーー二次元メディアでは絶対に不可能で、しかもその面白さを伝えることのできない、即興と綿密に練られた空間の自在さ。これこそ再生産のきかない舞台芸術だけに与えられた特権だろう。目の前の演劇という事件を共有できる至福の時間。これこそが演劇だ。サイモン・マクバーニーと出演者に感謝。 8.45終演。ポストトークがあったが家路を急ぐ。沢・梅田夫妻が仲良く観劇していたので挨拶。ウメちゃんと会うのは久しぶり。以前よりも顔がふっくら。 半蔵門線回りで直通。10.00帰宅。 5月26日(月)晴れ 人間ドック受診日。朝、会社で一仕事終えてから8.20〜10.30、S国際病院。毎年、効率化が進み、今年は最短の2時間で終了。いつもなら47階のラウンジレストランで東京の景色を眺めながら食事をするのだけど、早く終わったので、まだ開店前。仕方なく1階のレストランでサンドイッチとコーヒー。 帰社すると、派遣会社から仕事に来ていたMさんが亡くなったという知らせ。なんでも、所属事務所で倒れているのを今朝、発見されたという。昨夜、仕事をしながら、突然死したのだろうか。毎日のように顔を合わせ、最後に会ったのが金曜日。いつものように、笑顔で会話をした。いかつい顔に似合わず、腰の低い方。気の合う人だった。亡くなって初めて知ったが、年の離れた奥さんとは、両親の猛反対に合いながら結婚したのだとか。子供もまだ小さいようだ。あまりにも突然で、亡くなったというのが信じられない。 子供の頃、いつか自分も死ぬのだと思うと、怖くて怖くて布団の中で泣いていた。 このトシになり、いろんな死を経験した。昨日まで笑っていた人が翌日には還らぬ人となる。会社の同僚で、30代、40代で亡くなった人が何人もいる。 人はいつしか他人の死に慣れっこになっていくものだろうか。Mさんの死も、なぜか実感が湧かないし、いつの間にか、その事実を風が頬をなでていくように冷静に受け止めている。生きていくことは死に近づくこと。死ぬのはいつも他人ばかり…か。 午後、検査の結果を聞きに病院へ。「パーフェクトです。どこも悪くありません」と医師のご託宣。 5.00帰宅。夕飯の買い物から帰ると、マンションの前でなにやら人だかり。そのままエレベーターで自宅まで上がると、同じ階のおばさんが「すごい地震ですよ」と。ドアを開けて外に出ている人が大勢。だいぶ大きな揺れだったらしい。 実家や親戚に電話するも、まったく通じない。災害時、家族と分断されたらどうなるのだろう。 7時半過ぎにようやく実家と電話が通じる。「たいしたことなかった」と父。八戸の叔母の家にお見舞い電話。こんなときでもないと、最近はなかなか話をする機会がない。何年かぶりで従妹と話しをする。元気そうでホッと一安心。災害が遠くの親戚との架け橋になるとは。 9.00、お通夜から帰ってくる娘を迎えに駅まで。 5月25日(日)快晴 午後から子供と原っぱに行き、オモチャのライフルで狩猟ごっこ。子供の頃は、パチンコで雀撃ちをしたものだが、今は母親が「かわいそう」「雀を狙うなんて」と非難ゴウゴウ。電脳ゲームをしているよりよほど子供にとって命の大切さを学ぶ訓練になると思うのだけど…。 帰宅して、夕食はファミリーレストランで。明日、人間ドックがあるので、早めの夕食。 5月24日(土)晴れ 午前中、会社を抜けて子供の運動会。滞在時間30分。往復2時間半。正午、帰社して仕事をかたづけ、2.00、恵比寿エコー劇場でテアトル・エコー「屋上桟敷の人々」。 今しも幕が上がろうとしている小劇場が舞台。芝居が成功したら看板女優と結婚する約束を交わしている作・演出家。ところが、そこに女優の父親が登場。大の芝居嫌いで、娘は父親に「商社に勤めていて、そこの上司と婚約した」とウソをついている。劇団の人間模様、通報で入った消防の査察ーー混線が混線を呼び、虚虚実実のドタバタ騒動が…というのが狙い。演出は西川信廣。さすがにコメディーも手堅い演出。しかし、後半はあまりにもご都合主義の展開。ウエルメイドなドタバタコメディーは日本の脚本家にはムリか。娘を演じた橘川佳代子がエコーらしくないタイプの女優。期待できそう。 5.00、帰社。後片付けをして、5.30、阿佐ヶ谷。 江戸竹で刺身定食900円。 F荘に行ってみるが、Sさんは不在。帰宅した様子もない。どこに行ったのか? 6.20、ザムザ阿佐ヶ谷。月蝕歌劇団「ネオ・ファウスト 地獄変」。ちょうどコンサートの最中。ラピュタでお茶。コンサートを見ていたPANTA、Nちゃんの妹、10年ぶりに石垣島から帰還したというDさんらと歓談。大山グレース恵喜さんと立話。「キリストはキノコだった」という米国の高名な学者の分厚い原書を抱えている。キリスト=キノコ説。恵喜さんは今、かのO田R氏の事務所を手伝っているそうな。大山倍達の娘というイメージからかけ離れたコロンビア大大学院卒の恵喜さん。実に理知的でエレガント。月蝕歌劇団と女優陣に対する分析・批評も驚くほど的確。そこに子リスのような森永理科ちゃんが飛び込んでくる。声優などで活躍中の彼女、なかなか舞台は出られないが、月蝕が心底好きみたい。「7月公演は出ますよ」と。 7.30〜9.10。本番。セーラー服に黒ヘル、鉄パイプ姿の女子高全共闘が隊列を組んで「ワルシャワ労働歌」を合唱するシーンに、いつもながら昂揚感をおぼえる。フルコーラスやってほしいくらいだが、ワンコーラスでフェイドアウト。ちょっと残念。 この芝居はNさんという高取氏の友人に捧げられた物語という側面もある。今回、そのことを念頭に入れて見ていたら、その「あて書き」の細かさに、ふと目頭が熱くなる。打ち上げの席でNさんとよく会ったものだ。 終演後、居酒屋で飲み会。D氏、大日本印刷のN澤氏、PANTA、長崎萌、一ノ瀬めぐみ、松宮扶多葉、森永理科、三坂知絵子、井内俊一etc。N澤氏は極真空手の有段者とか。「大山館長の娘さんと向かい合ったら震えがきましたよ」。大山倍達は極真空手の門下生にとっては神のようなものだろう。 11.50。終電に乗り遅れまいと退散。途中駅からタクシー。1.30帰宅。怒涛の3日間終了。 5月23日(金)晴れ 個人情報保護法成立。個人情報保護の名のもとに言論・表現の自由の封殺に政府が着手した戦後最悪の法律として、後世の歴史に記述されることだろう。こうしてさしたる国民の反対運動もないまま、権力に都合のよい法律が粛々と成立していく。戦前の歴史を俯瞰しているような既視感。NPO、雑誌、ネットーー市民による権力の監視活動も規制され、国民の知る権利は抹殺される。 国民の自由が法律によって規制されるーー。 学生時代、講義の初日に、「法とは権力の恣意的な濫用から国民を守るためのものである」と憲法学者・奥平康弘教授が法の精神を述べられたことを思い出す。 「法は国民を縛るものではなく、権力を縛る縄」ーーしかし、その法の精神は逆立ちし、いまや「法が権力を保護し、国民を縛りつける道具」に化した。時代は「法の精神」が成立した近代以前に逆行している。もはや最後の砦は憲法のみ。それも風前のともしびでは、お先真っ暗か。 昨日、娘の高校の同級生が交通事故で亡くなった。日も浅く、まだほとんど付き合いはないが、前日に言葉を交わしてるということで、動揺しているようだ。 高校時代、同じクラスのYが自殺をした。入学して間もない頃のこと。彼は足が不自由でいつも体育は見学。正義感が強く、一度、私と仲間のケンカに割って入って仲裁してくれたことがあった。自殺する数日前、反対側の歩道を歩いてくるYと笑顔で目礼し、すれ違ったのが最後だった。アルバムにも彼の顔はなく、わずか1〜2カ月しかつきあいはなかったが、今でもその時の笑顔をハッキリと思い出すことができる。15歳で自ら人生を絶ったY。事故という不慮の災難で亡くなった娘の同級生。あの頃は思いが至らなかったが、今になって、初めて彼らの両親の無念を思う。 5.00退社。有楽町、東京、上野、舞浜…と30年間の時の流れを彷徨い、帰宅は午前1時。 5月22日(木)晴れ 経済産業省が1カ月間に2億円もかけて展開する原発ストップに伴う「電力危機」キャンペーン。狙いは「ピークになる夏場の日中電力消費量のカット」というけど、財団法人生協総合研究所の調査によれば、家庭の電力消費のピークは年間を通じて午後6時〜10時。日中は逆に下がっている。これでは家庭向けキャンペーンの意味はない。もともと、消費全体からいえば家庭電力の消費など工場・企業に比べれば微々たるもの。 狙いは明らか。「原発がなければ日本は大変なことになりますよ」という脅迫キャンペーンにほかならない。全国隅々、農道にまで年中無休の自動販売機を設置して、しかもその中の缶は電力のかたまりのようなアルミ缶。電気をムダに使って、電力危機もないもんだ。キャンペーンで儲かるのは広告代理店くらいのもの。税金のムダ遣い。 4.00、K記念病院で鍼治療。5・30、天王洲アイルでM、Sさんと待ち合わせ。食事&歓談。11.30PM帰宅。飲みすぎたので、風呂に入って、そのままバタンキュー。 5月21日(水)晴れ 9.00起床。午後、撤去された娘の自転車を引き取りに自転車保管所へ。 おととい、ダイエーの前に置いてそのまま帰ってきたらしい。昨日は雨なので取りに行かなかったら、今朝すでに撤去されていたとか。たった一日なのに、ウンが悪い。以前、荷物を運ぶために、アパートの前にクルマを止めた、そのわずか1時間の間に駐車違反で罰金を払うことになった父親同様、娘もついてない。 高架下の保管所に引き取りに行くと案の定、娘の自転車があった。職員は皆、退職後に職を得たおじいさんばかり。文句を言う訳にもいかない。3000円払って引き取ってくる。ベルが壊れていたのを見た一人の職員、「サービスです」と、奥から大きな袋。中にはベルがびっしり。一つもらって帰宅。その足で、冬物をしまいにレンタル納戸へ。次いで、税務署に行って医療費控除の申請。わずかな額だが、「2カ月後に振り込まれますから」と職員。 帰宅して、部屋の大掃除。その合い間に、カセットのデジタル変換をいかに効率よくできるかに挑戦。 参院個人情報保護特別委員会で「個人情報保護法案」可決。23日にも参院を通過する。その日がまがりなりにも戦後保持してきた日本の報道・表現の自由が死んだ日になるだろう。 個人情報保護を言い募る一方で、自衛隊適格者情報提供を地方自治体に強圧的に求め、本籍という最もセンシティブな個人情報さえ、防衛庁に差し出した地方自治体。 新聞・テレビは奥歯にモノがはさまったような表現で、この「本籍地情報の提供問題」に言及しないけど、ハッキリ言えば、そこに被差別部落問題を内包していることは間違いない。自衛隊適格者の情報になぜ本籍地情報を求めるのか。語るに落ちるとはこのことだ。もちろんん、そのことに触れるマスコミは皆無。 「官には甘く民間に厳しい」といった問題以前の問題だ。 映画「戦場のピアニスト」で、ナチスに命じられるままに、地面に横たわり、銃殺されるユダヤ人たちを見て、どうせ殺されるのなら、なぜ抵抗しないのだろうと思ったが、判断停止状態に追い込まれた人間はすべからく同じ。 なし崩し的に、国家主義、全体主義に逆行している時代の流れを見ながら、ノー天気にそれに従う国民というのは、あのナチスに銃殺されるのを待つ人々と同じか。 大新聞・テレビ局は、とりあえず、個人情報保護法案中の罰則のある義務規程からはずされたとホッとしているかもしれないけど、それは、整列させられた処刑者の順番が、銃殺者の気まぐれでちょっと変えられただけのこと。今は処刑されなくても、順番はそのうち必ず回ってくる。あの時、雑誌協会と一緒に抵抗していたらなどと思ってももう遅い。 知識人と称する人々、エリート意識の強い大マスコミの記者、いつの時代でも、そんな連中が政治家・軍隊のお先棒を担ぐことになる。 それにしても、朝日の私信住所記載チョンボに執拗に抗議する拉致被害者とその支援団体。全体主義国家から帰還したと思ったら、またぞろ、この地の国家主義者たちに利用される。痛ましい光景。 晩酌で飲んだ梅酒が意外とキツイ。すでに意識朦朧。 夕食後、天井のポスターを「青ひげ公の城」から「われに五月を」に張り替える。 5月20日(火)雨 4.00退社。銀座へ。ガーディアン・ガーディアンで宇野亜喜良個展「われに五月を」。 地下への階段を下りていくと、見覚えのある後姿。山谷初男さんだ。 第一会場のガーディアン・ガーディアンは演劇ポスターを中心とした構成。60〜70年代の化粧品会社のポスター、天井桟敷、人間座(春川ますみ、露口茂でアダムとイヴ 私(わが?)の犯罪学=1966)などのポスターとともに、パック・イン・ミュージックの大きな宣伝ポスター。ロイ・ジェームス、永六輔などの名前があるということは、スタート時の告知ポスターか。 海外版「毛皮のマリー」のポスターの前に立ち、自分の名前を見ている山谷さん。連れの人に天井桟敷の思い出話をしている。宇野亜喜良のイラスト、アート作品はどれもが宝石のようなもの。一日中見ていても飽きない。 受付で「踊りたいけど踊れない」(アートン刊)を購入。 次いで、第二会場のクリエーション・ギャラリーG8へ。こちらは宇野氏が芸術監督を務める「ダンス・エレマン」の10月公演「われに五月を」(草月ホール)で使用する戯曲や舞台美術、衣装、ポスターなどを展示。ポスター(1000円)を買う。積まれてあったダミー・チケットは一片の美術品だ。 会場を出て、銀座8地下街で食事。刺身定食900円。 食事を終えて外に出ると、どしゃ降りの雨。雨宿りの人たちと軒下のホームレスが一緒に天を仰いでいる。地下に戻り、銀座北欧でカフェラテ280円。 6.35、博品館劇場へ。「伝説のエンターティナー陣内孝次郎の肖像」が7時から。 エレベーター前で旧知の編集者T村氏とばったり。「○○さんもこんなのを見るんですか?」と言われる。「こんなの」って…。 陣内孝則、佐藤江梨子といったタレントが出演しているためだろう、普段とまったく異なる客層。しかも博品館劇場には珍しく、立見も出る満席状態。出勤前の銀座クラブホステス、タレント予備軍、芸能界関係者…一見してそれとわかる集団が闊歩。 芝居の途中で携帯電話を取り出し、何度も着信を確かめている男、ケータイを握りしめて何度もロビーと客席を往復するマネジャー風、果ては上演中にかかってきた電話を受けてしゃべっている人…。いやもう、信じられない人ばかり。 もっとも、舞台はそんな無法者の存在さえ「気にならないような」シロモノ。 周りが騒ごうが、笑おうが、舞台そのものがどうしようもない。 陣内孝次郎なる、陣内孝則の「架空の祖父」の足跡を追う…という舞台設定。存在しない人物の評伝をギャグにして舞台に乗せるということは、書いたもん勝ち。何でもアリということ。 パロディーというのは対象となる本体があってはじめて成立する。だからパロディーにはなりようがない。それをパロディーとして進めようとするから、まったく意味のないオハナシの羅列になる。 映像出演で石井竜也が、「孝次郎さんは偉大な先達者でした。米米バンドが生まれたのも、私がカールスモーキー石井と名乗ったのも、すべて孝次郎さんの影響」とその生い立ち・成り立ちを、るる述べても、単にご都合主義で「後付け」しているだけだから、クスリとも笑えない。 鈴木清順監督がゴールデン街のカウンターで、「孝次郎さんは変わったカクテルが好きだったなぁ。”河内カルメン””けんかえれじい”etc。私が映画を撮るようになったとき、そのカクテル名をタイトルにしたんです」 糸井重里が「食う寝る遊ぶのコピーも孝次郎さんの発した言葉がヒントになった」 有名人に、そんな回想をさせて、それがパロディーになると信じている感覚は噴飯モノ。 果ては「東京電力」なる、小津タッチのモノクロ映像を作って、「これが小津安二郎の東京物語に大きな影響を与えたんです」ときた。 佐藤江梨子と竹下宏太郎が演じる劇中劇もなんだかなぁなコントまがい。 遊気舎時代の後藤ひとひとには独特の才気が感じられたが、「ダブリンの鐘つきカビ人間」「BIGGER BIZ」といい、あまりにも寒すぎる舞台が続くとどうなんだろう…。 この舞台も苦し紛れの末に作った思いつきの連鎖にしか見えない。 子供がまだ小さい頃、夜寝る前に添い寝して、お話を聞かせてあげたものだ。アンパンマンや桃太郎、一寸法師にウルトラマン、古今の物語をつなぎ合わせて、それらしくウソ話をデッチ上げていくと、なんだか話している方も気分が高揚してくるし、子供も喜んだ。 しかし、子供を寝かしつけるのに、思いつき話はいいけど、オトナ相手のホラ話に思いつきのつぎはぎはちょっと…。 立見も出る盛況。「後藤の作品は当たる」という”伝説”ができるとしたら、ちょっと不幸な方向に向かっているのでは。 唯一の救いはお気に入りのバンド「ゴーグルエース」の演奏。 ”ザ・スクリーミング”エリ(vo、dr)が客席後方から登場。スリットドレスにラメのショールというセクシーな衣装。客いじりの後、舞台へ。ドラムセットに悠然とおさまると、スティック振り上げ、ギターサウンド全開。カマチガク(vo、g)、ムーチョ川村(Ba)、U1−エース(g)の歯切れのいい演奏とビートルズばりのパフォーマンス。長野のインディーズバンドも上京して「メジャー」展開。垢抜けて、見せること魅せること。6月に欧州ツアーがあるとか。 陣内の映画「ROCKERS」に出演している縁で今回の出番になったとのこと。カーテンコールで陣内のボーカルをフィーチャーして再び演奏。2時間15分の舞台の中でゴーグルエースとロッカー・陣内だけが唯一の見どころとは皮肉。それにしても、これほど終演時間を待ち焦がれた舞台は生まれてこの方、初めて。 終演後、隣席の江盛さんと足早に劇場を後にする。外は雨が降り続く。10.20帰宅。 5月19日(月)曇り時々雨 朝、食卓に出てきた焼き魚の香りが鼻腔をくすぐる。次の瞬間、突然、故郷の海が目に浮かんでしまう。磯の匂い…。もしかして、と思ったらやはり昨日、田舎の親戚から送ってきた切り身のアブラコ(アブラメ)だった。なんという嗅覚。一瞬にして故郷の海の匂いを嗅ぎ当ててしまった私。 この分だと、もしかして、いつか鮭が故郷の川を遡上するように、「老いし姿でふるさとの道を駆けて帰る」のだろうか、と思ったりして…。ふるさとの味をおいしくいただく。 午後、Mレコード、K泉さん訪問。喫茶店でお茶。新譜の件。 PM6・30帰宅。 従姉が送ってくれたアンコウの肝和えをツマミにビールを。至福の時間。 5月18日(日)晴れ 9時起床。音楽ページに2枚追加。昼から子供とダイエーへ。帰ってきて、古いテープを聴く。1977年の「反原発」をテーマにした東大公開自主講座の録音テープ。宇井純氏が司会をしている。若い学生たちが真剣な論議。あれから26年、彼らは今どうしているのだろう。次いで、「古い船を動かせるのは古い水夫じゃないだろう」「頭脳警察2」を。同じテープの両面。夕食前にビールを1本。心地よい疲労感。 青森、木村守男知事がセクハラ・女性問題で辞任したが、これで意気揚がる自民県連主流派。非自民保守勢力の県民協会も虎視眈々。しかし、県民不在という構図は、まるで二組のヤクザが縄張りをめぐってにらみ合う黒澤明の「用心棒」の世界。こんなことがあると、「やっぱり青森はド田舎」とバカにされるけど、ま、日本はどこも同じようなもの。徳島でも議会によって不信任決議された市民派知事が僅差で保守派候補に敗れた。県民が選んだ知事を、気に入らないからと議会が不信任動議する傾向が続けば、選挙の意味がなくなる。長野はあくまで例外。二度目の選挙は不信任された現職が不利になるのは自明。 5月17日(土)曇り時々雨 午前中で仕事を終わらせ、昼食は肉ニラ定食950円。デザートシュークリーム+いちごヨーグルト。 3.00、下北沢。ザ・スズナリで離風霊船「ニューパラダイスタウン 帰郷編」。久しぶりのリブレ。このところ、不義理ばかりしているが、高橋克実が抜けた頃から、どうも…。 受付でO合さんに挨拶。土曜昼公演だからか、通路まで満席。当日客を入れるのに時間がかかり、開演7分押し。開演間際に隣りの席に滑り込んで来たのが、WAHAHA本舗のH本まちゃみ。最後までひっそりと大人しく観劇していた。 松戸俊二も神野美紀も退団したので、古顔は山岸諒子、小林裕忠くらいか。 案内嬢役の相川倫子が新興住宅地「ニューパラダイスタウン」成立の説明をする冒頭は「ゴジラ」風で、ケレン味たっぷりの舞台を予感させる。いかにも「80年代の小劇場」の香りに期待したが…。 当初の計画通りに事が運ばず、住民が離反。すっかりさびれてしまったニュータウン。そこに戻ってきた旧家の娘。彼女が勘当された理由とは。そして、残った少数の住民たちが起死回生を狙って最後に打った大バクチとは…。一見、整合性がありながら、あまりにもお粗末な結末に唖然呆然。 ただし、ホンはダメでも、役者はいい。演劇界一アットホームなリブレだけが生み出せるゆったりとした和みの空間。若手の女優が結構可愛いし、伊東由美子は相変わらずのハチャメチャ・キャラで登場。舞台の中身ではなく、役者のコンビネーションだけで楽しめる舞台があってもいいか。 4.55終演。 ディスク・ユニオンに立ち寄って、渚ようこの新譜を視聴。クレイジーケンバンドと小島麻由美のデュエット「あの鐘を鳴らすのはあなた」を見つける。ホントにデュエットしてるの? 視聴できず。先を急ぐので次回に。 池袋の大山倍達記念館に寄ろうかと思ったが、時計を見たら余裕なし。銀座の画廊で開催中の宇野亜喜良展に変更して、日比谷から銀座。しかし、両国の遊行舎公演が6.30開演だということに気づき、それも断念。両国へ直行。 6.05。シアターカイで受付。夕食がまだなのでお腹がペコペコ。制作の大澤さんから「上のレストランで食事できるよ」と言われるが、イタリア・レストラン。時間がかかりそう。ちょど、九條さん、合田佐和子さん、山口昌男氏、田之倉稔氏の大御所が昼公演を見た後、移動して飲んでるというが、挨拶もできず。駅前のマックに駆け込んで急いでハンバーガーを詰め込む。 6・30。遊行舎「中世悪党傳」。寺山修司が書いた1960年代のテレビドラマ「楠木正成」「足利高氏」をもとに白石征氏が構成・演出した中世歴史絵巻。 これがすこぶる面白い。中世・南北朝の物語は朝廷と地方豪族たちーーそれぞれ敵味方が錯綜し、非常にわかり難い時代だ。おそらく、この時代の歴史を知らない人にとっては、人間関係はもとより、時代の果たした役割も皆目検討がつかないだろう。 それをあえて説明抜きで上演した遊行舎に敬意。しかも、これが力技。時代背景はわからなくても、権力と、その駆け引きに振り回される人々の右往左往ぶりはまさに現代に通じる。 鎌倉幕府から権力を奪回しようとする後醍醐帝、その第六皇子・大塔宮護良親王の活躍、朝廷に「理想」を見い出す楠木正成、幕府と朝廷の間に立って、権力を窺う足利高氏、滅び行く幕府最後の執権・北条高時、敵味方を巧みに泳ぎまわるバサラ大名・佐々木道誉。 さまざまな青春群像が生き生きと描かれる。 千早城攻防のシーンは寺山修司の原作通りとか。護良親王を逃亡させるために、影武者として死んでいく村上義光なる人物が新妻と引き裂かれ、他人のために死ぬことの意味を問う。そして「オレは大塔宮としてではなく、オレ自身として死んでいきたい」と叫ぶ悲痛なシーン。「ホンモノが右腕を切られたら影武者も右腕を切り取られなくてはならない。しかし、影武者が右目を潰したら、果たして本体は右目を潰すだろうか」 まるで、この前のイラク戦争の時に、フセインの影武者について囁かれた言葉を30年前に先取りしているようだ。 理想に殉じる楠木正成と対照的に、滅び行く時代に抗するように、芸能にもうひとつの世界を夢見た北条高時。彼が白拍子とともに炎上・破滅していく大詰めまで、まったく飽きさせず。 中世好きにはたまらない骨太な芝居だった。 役者は地元・藤沢のいわゆる市民俳優たち。見知った顔がないだけに、奇妙なリアリティーがあった。テレビで掛け持ち出演しているタレントたちのドラマがウソ臭く見えるのと対照的。舞台のリアリティーはマッさらな状態で見ることから生まれることもある。 「大塔宮」「護良親王」をそれぞれ、「おおとうのみや」「もりよししんのう」と発音していたのが気になったので、後で白石さんに尋ねたら、「今の歴史本はそう表記している」のだとか。「だいとうのみや」「もりながしんのう」と憶えていたので、ちょっと違和感。いつからそんな呼称になったのだろう? 9.10終演。S和精吾さん、「これを大劇場で有名な俳優を使ってやればスゴイものができます」。確かに明治座あたりで上演してもウケるかも。ただし、商業演劇にするなら、説明的に流れて本来の面白さが損なわれるおそれも。 11時まで、二階のレストランで白石、大澤、藤沢の新戸氏、そして俳人・編集者の斎藤慎爾氏らと歓談。 斎藤氏の名前を知ったのは、20数年前、マンガ雑誌「ぱふ」(今の「ぱふ」の前身)のマンガ評論だったか。切れ味のいい文章にいっぺんでファンになってしまった。その後、高取氏を介して何度か会う機会があったが、まさにカミソリのような鋭い才能の方。全身から才気が滲み出して、一種独特な雰囲気を漂わす。水を向けると、「実は今、マンガ評論の原稿も抱えていて、もう書かなくてはいけないんですが…」とニコリ。 秋葉原駅で解散し、家路に。0.00帰宅。 5月16日(金)曇り時々雨 2.00、K藤健一事務所のNさんと女優のHさんが訪ねて来たのでお茶。N山さんに電話。留守電だったが、稽古場から折り返し電話。 衆院を通過した有事関連3法案、参院が衆院のカーボンコピーである以上、事実上成立したも同然。 個人情報「保護」法案、有事法ーー戦前の国家総動員法と見まごうばかりの戦争法が着々と成立し、これで日本は「新たな戦前」への道をひた走ることになる。 「備えあれば憂いなし」? 戦争は災害じゃない。戦争ができる体制ができれば戦争したくなるもの。 ハッキリ「ワシも戦争がしたいんじゃ」「アメリカの手下として働いて戦利品をもらいたんじゃ」と言ったほうが正直というもの。 アメリカではブッシュ・ジュニアがパパ・ブッシュの宿願をイラク戦争で果たしたように、これで、日本でも小泉首相が自分の父親の恨みを晴らしたわけだ。 1965年に発覚した統合幕僚会議幹部の軍事シミュレーション「三矢研究」が大問題となり、更迭されたのが、時の防衛庁長官・小泉順也。純一郎の父親だ。小泉が有事法成立に必死になったワケは父親の恨みを晴らすことにあったといっても過言ではないはず。 思えば、安部晋三官房副長官は、有事法制研究を指示・推進した「福田赳夫首相・安部晋太郎官房長官」コンビの血脈であり、むろん、ウルトラ・タカ派・岸信介の孫。小泉内閣は地下水脈でつながっていたタカ派の血脈が集結した内閣といえる。 「昭和の妖怪」が蒔いた種がようやく実をつけたわけで、岸信介も泉下でニンマリと笑っていることだろう。 有事法が成立すれば、それに伴って細則が決まっていく。まず、自衛隊法改正案では「墓地、埋葬等に関する法律の適用除外」が加えられる。現在、火葬や埋葬、墓地などについて、「墓地、埋葬等に関する法律」があって、勝手に墓地を作ったり、死者を火葬したりすることはできないが、適用除外となれば、「どこでも死体を焼き、埋葬できる」ようになる。 医療・輸送・建築・土木従事者への業務従事命令も可能となる。例えば、IT技術のある人は徴用されて戦地に行かなければならない場合も出てくる。 軍事遂行に必要とあれば個人財産である家屋も国が使用、接収できる。 第二時大戦中には犬や猫の毛皮と獲るため、ペットを供出させたが、戦争というのは国家に属するものをすべて動員することが本質。当然、ペットも管轄下に置かれる。 今ある基本的人権、自由は根こそぎ奪い取られてしまうのが有事法制。 「まさかそんなことまでは」と思っている人こそ本当の意味の「平和ボケ」だ。 カエルを熱湯に入れると飛び跳ねて逃げるが、ぬるま湯から徐々に加熱すると、そのまま死ぬまで自分がゆでられているのに気がつかない。「ゆでガエル」の故事は今の日本人にこそ当てはまる。 ゆでられる前に逃げ出さなくては。しかし、どこへ…? 5.30帰宅。久しぶりにザ・バンドを聴く。25年以上経ってるのに、テープの音は変わらない。MDよりやっぱりカセットテープの方が音が柔らかくて落ち着く。 5月15日(木)雨 雨なのに花粉症状態。久しぶりにクスリを飲んだら午後まで眠気とだるさが続く。おかげで3時過ぎまで仕事を持ち越すことに。 PM5、新宿。紀伊國屋ビルのカレー屋でシーフードカレー850円。 タワーレコードで視聴。めぼしいものなし。6階のスポーツ用品店でTシャツを物色するも、その多くが1枚4000円〜4500円。去年までなら平気で買っていたかもしれないけど、この不況の折、Tシャツに4000円も出せるのは大学生くらいか。素通りして紀伊國屋ホールへ。 6.30。こまつ座「兄おとうと」。井上ひさしの新作。例によって遅筆のために、初日が2日ずれ込み、今日が3日目。タイトルも当初は「王子と私」だったという。 林芙美子の生涯を描いた前作「太鼓たたいて笛ふいて」同様、明治・大正を生きた思想家、クリスチャン・吉野作造と、その弟の葛藤を描いた評伝劇だが、もちろん、井上ひさしの主眼は作造の生きた時代を通して”現代”を描くことにある。 「日本国憲法はアメリカから押し付けられたものという卑怯な俗説を私は信じない。なぜなら、かつて政府のやり方に不満を持った人々が日比谷公園で騒ぎ出し、ついには議事堂に火をつけようとしたこと、あるいは米寄こせ、という血を吐くような人々の声があっという間に全国に広がったこと、あるいは輝かしい将来を約束された学生たちは、その将来を捨てて、働く人たちと肩組み合って、”この国の仕組みを変えよ”と主張しながら獄中で息絶えていったことなど、直近のさまざまな民衆の起こした事件群が断片的であれ、敗戦直後の人たちの頭のどこかに記憶していたに違いないのだから」と「前口上」で井上ひさしは書く。「しかも、今の憲法には当時の民間憲法草案からたくさんの事柄が流れ込んでいる」とも。 つまり、井上ひさしが言いたいことは、現憲法が成立した背景にある、先人たちのおびただしい流血と死を幻視すべきなのだということ。 舞台は、いわゆる大正デモクラシーの先鞭となった、民本主義(当時の帝国憲法下では、民主主義という言葉は使えなかった)を唱えた吉野作造の生き方を、兄と対照的に官僚の道を歩んだ弟・信次との対立を通して、国家、政治、憲法、理想と現実といったさまざまな問題を観客に提示する。 笑いの中に、時代への厳しい視点を織り込んだ音楽劇。実にわかりやすく、2時間5分と上演時間もちょうどいい。 吉野作造が病に倒れた後、日中戦争へ突入して行く日本は、まるで今の時代と相似形。 国を束ねる支柱は何か。「民族でも言葉でも歴史でもない」…考えた末に作造が思い至ったのは「三度三度の御飯をいただき、火の用心、みんなで仲良く元気に生きよう」ということ。国民を国民たらしめるのはまさにその3つだけ。その3つを織り込んだ劇中歌はまさに、憲法の「基本的人権の尊重」「平和主義」「主権在民」の基本精神を歌ったものといえよう。 辻萬長、剣幸、宮地雅子、神野三鈴らが抜群のアンサンブル。弟を演じた大鷹明良は元演劇舎螳螂、小嶋尚樹は上海劇場。かつてのアングラ俳優たちがこまつ座の芝居で活躍するという時代の流れに感慨ひとしお。 10.10帰宅。 5月14日(水)晴れ 9.00起床。終日、家の中。先週あれほどひどかった耳鳴りがパタリとおさまり、月曜日から今日まで、快適。ほんのわずかな耳鳴りだけ。パソコンと同じで、良くなったり悪くなったり、不具合の原因追及はできない。パソコンも人間の体もよくわからない。 夕方、1時間ばかり仮眠。休日のパターンになってしまった。夕方、Tから電話。友人と夕陽を見ながらクルマを走らせているという。元気そうな声。 有事法制関連3法案、民主党の妥協・合意で午後、衆院通過可決。 国民保護法制の整備は1年以内が「目標」とか。はじめに戦争法成立ありという、本末転倒の論議。国民もナメられたものだ。 民主党の言う、「人権尊重織り込み」論議は、要するに、絞首刑か銃殺刑かの違いなようなもの。有事法が成立すれば、人権尊重など机上の空論。人権侵害の最たるものが戦争法案ではないか。 民主党は有事の際の指定公共機関に民放を除外するよう求めていたが、それを取り下げた。民放も戦争になったら、政府の要求する「必要な措置を義務付けられる」ということになる。つまり、NHKだけでなく、民放も政府の御用機関として、戦争に協力することが義務付けられるわけだ。アラブのアルジャジーラのような独自の放送は日本では不可能になる。挙国一致、すべてのマスコみは戦争への協力を強いられる。 こんな狂った法案に合意する民主党という存在とは何か。 思えば、「何でも反対」と嘲笑された社会党が消滅してから、怖いものなしの政権与党の独走が始まったわけで、社会党の愚直さを笑った国民は、やがて塗炭の苦しみを味わうことになる。自分で自分の首を締めたのだから文句は言えない。 有事法制=戦争法制が成立してしまったら、もはや歯止めはきかない。 国民の生死にかかわる重大な法制論議もせず、タマちゃんだの白装束集団だのにかかずらうマスコミとは何か。 70年安保が万博騒ぎで粉飾されたように、報道すべき義務を放棄して、どうでもいいような些事に血道をあげるテレビ・新聞。 イラク戦争で反対のデモに参集した人たちは、今こそ有事法制への疑義を声に出すべきだと思うが。 夕方、ネット上にあった林美雄の「苦労多かるローカルニュース」を視聴する。 いまや世界は二番煎じのパロディーだらけとなってしまった。 北朝鮮拉致問題で国家主義的な言動を繰り返す、拉致被害者の兄。勤務先が巨大電力会社であり、彼自身、プルサーマル計画の旗振り役であることで合点が行く。MOX燃料を使うプルサーマル計画を推進して、なんとしてでもプルトニウムを保有したい日本政府の思惑と一致しているわけだ。世界の趨勢が次々と危険なプルサーマル計画から撤退しているのに、核兵器転用が可能なプルトニウムになぜこだわるのか。 小学生の時に見た天知茂主演のテレビドラマ「さすらい」はすでに荒唐無稽な物語ではない。プルトニウムを核兵器に転用しようとする政府の秘密計画に迫った一人の男の悲劇が奇妙なリアリティーを持つ時代。 「あたしにだってできる。青空を塗るぐらいのことなら、バケツ一杯で、世界を全部塗ってやる。とびましょう。とぶことはすばらしい。さあみんな、両手はつばさです。大地を力一杯蹴って、はるかなはるかな青空めざし、思想の離陸!」 残されたのは、寺山修司の蟲惑的な飛翔へのいざないだけなのか。 5月13日(火)快晴 心地よい昂揚感のためか、昨夜は帰宅してからもしばらくパソコンの前でネット散策。横になったのが午前1時30分。さすがに朝起きるのがつらい。 4.45、目覚ましが鳴る前に、自然と体が反応、いったん起き上がって電灯のスイッチをひっぱり、部屋を明るくしてから、そのまま再び布団の上に寝そべる。しばしのまどろみ。毎朝の儀式。1分後に飛び起きて洗面所へ。顔を洗い、歯みがきを終えた時点でシャキッと体が目覚める。 5.30に家を出て駅に向かう。家の前の横断歩道で左右を見渡し、自分が乗る1つ前の電車が高架を通り過ぎるのを見上げる。歩数歩幅も同じ。繰り返しの毎日。 午後、N山さんから観劇日の変更の件で伝言あり。稽古に入る前に掛けてくれたようだ。その後、福岡のI条さんに電話。すべてオーライ。N尾さんから丁寧なハガキ。先日の朗読会の様子を伝えてくれる。 7.00、阿佐ヶ谷。月蝕歌劇団の稽古場。三坂ちゃんに「日記読んでますよ」と言われる。最近、某演劇系サイトに自分の日記が登録されていることを知った。自分の知らないところで演劇系の人たちが読んでくれていたーーなんだか不思議な気分。 7.30、駅前の喫茶店でEさんに話を聞く。娘のMちゃんと一緒。 Eさんは、”ゴッドハンド”O山倍達の娘。T取さんの友人であり、今回の舞台に出演する。もともとコロンビア大学院で演劇を専攻し、演出家としても活動していたという。父親の死に伴うさまざまな混乱が帰国を決意させた。今も続く長い裁判。 偉大な指導者が死んだ後に、その弟子たちが群雄割拠、それぞれに指導者の遺志を主張して「財産」たる組織の分取りを計る。残された家族はついて来てくれる数少ない弟子たちとともに、偉大な父親の名誉と組織の再興を計る。 たとえは悪いが、仁侠映画の一つのパターンともいえる。カリスマとして全国の任侠社会に君臨した高徳な親分が死んだ後、子分たちが縄張りをめぐって分裂、親分の財産はかすり取られてしまう。遺族は家を追われ、長屋暮らし…。 Eさんたちが暮らす池袋のK会館も老朽化が激しいとか。記念館として公開されているので、近いうち行ってみたいものだ。 知的でおしゃべりも上手な美貌のEさん。しかし、やんちゃなMちゃんには手を焼いてしまい、ほとんど話の腰折ればかり。いつかきちんと話を聞いてみたい。 8.00。少し稽古を見学してから退散。 稽古場を出た足が、駅とは逆の方に向かう。Sさんに会っていこうと思い立つ。今日、会社でSさんの裁判記録を調べたら、膨大な資料が出てきた。「原判決を破棄、差し戻し」 それ以降の記録は見つからない。 夜道をとぼとぼと歩いていくと、まるで自分が帰宅の道をたどっているような錯覚にとらわれる。昔、何千回、この道をたどったことだろう。 路地を入るとアパートの玄関灯が目に入る。玄関脇のSさんの部屋は真っ暗。一瞬、奇妙な既視感。その部屋は自分の住んでいた部屋でもあるのだ。 不在のSさん。あれから帰った形跡もない。 25年という時間を飛び超えてしまってから、なんだかヘン。上田秋成の「浅茅が宿」ではないが、そもそもこの古びたアパートはこの世のものなのか…。 10.00、途中下車して小料理屋「S」へ。気がつくと、夕食もまだだった。軽く飲んだ後、お茶漬けを流し込んでようやく人心地つく。11.30家路につく。 電車の中で昨日買った「東由多加が遺した言葉」を読む。パンフや著作から抜き出した言葉の数々。愚直なまでに「愛と希望」にこだわり続けた東由多加。彼の生きた時代から今は何億光年隔たってしまったのだろう。 寺山修司と出会った1960年代、若者たちの理想郷「さくらんぼ共和国」を夢見た70年代、そして自らの老いと死に対峙する90年代末まで、東由多加の生き方と思想にはブレがない。寺山修司が永遠のアドレッセンス(青春)であったのと同じように、東由多加は永遠の青春を生きたのだ。 「ぼくはたとえ、どのような時代でもロマンは人の心の中で深い香りをこめて咲きつづけ、やはりどこからか愛と希望の歌が聞こえてくることを信じたい。どんなに滑稽に見えようが明日の風車(ロマン)へ立ち向かう、ドン・キホーテでありつづけたい。”人はこの世に何ものももたらさず、何ものも遺すことがない”にしても、その何ものかに向かって情熱をそそぐしかない。人生ははかないものだ。だとしたらそのはかなさに懸命になることが生きることに違いない」(1977年) 「愛と平和、夢と希望」ーー東由多加と東京キッドブラザースが目指したものは今の時代から見れば、まるで蜃気楼のように儚く美しい。 愛と希望の裏に潜む限りない裏切りと幻滅・絶望。それらを内包し、身を切られ、血の吹き出るような残酷な舞台がキッドだった。50歳を過ぎてもなお「愛と冒険」を語り続けた東由多加は最後まで夢と現実に引き裂かれた青春という宿痾を抱えたまま生を終えたのだ。「青春の死」ーー東由多加は、これから寺山修司とともに永遠の青春を生き続けることになるだろう。 私もいつか、眠りにつく前、「一つの同じドア」をもう一度だけ聴くだろうか。 5月12日(月)快晴 午前1時、大きな地震。あわてて飛び起きる。本棚が揺れてカセット類がバラバラこぼれる。揺れもおさまったので布団に戻ると、すぐに地鳴りのような振動とともに大きな揺れがズーンとくる。初めて恐怖を感じる。これが阪神大震災級の地震なら確実に死んでいる。これで終わりになるなんて、冗談じゃない。災害や事件で突然、自分の生を断ち切られた人たちの無念はいかばかりか。 PM3、退社。4.00〜5.00、K記念病院で鍼と診察。4000円+260円。 T取氏から昨夜、留守電が入っていたので電話するも不在。I条さんに原稿の件で電話。「今、FAXしたばかり」とI条さん。 6.00。新宿。タワーレコードでドリームズヴィル・レコード初のJポップコンピアルバムと銘打った「ようこそ夢街名曲堂へ!」を買う。ラリーパパ&カーネギーママや黒沢秀樹&リトル・ギャングなどによる洋・邦楽のカバーが聴きもの。 7.00、紀伊國屋サザンシターで扉座「アゲイン 怪人二十面相の優しい夜」。 年老いた怪人二十面相を再び奮い立たそうと、配下・猫夫人の計略でかつての少年探偵団メンバーを誘拐してくるが、彼らはすでに情けない中年男になっていて…という笑いとペーソスに満ちたオトナのサスペンス・ファンタジー。 中年男たちが二十面相に向かって悪態をつく場面がある。「あんたは子供だましで、荒唐無稽で、ご都合主義だ」。それはそっくり演劇に当てはめることが出来る。しかし、その荒唐無稽の中にある真実を自分たちは信じたいのだ、という作者・横内謙介の二十面相に託した自分たちのマニュフェストか。怪人二十面相は横内自身なのだろう。主演の近藤正臣、還暦を越えたというのに、いつまでも若々しい演技。ただ、時折疲れた表情を見せるが…。 9.12終演。駅までダッシュ。9.17の特別快速に飛び乗り、三鷹下車。普通電車で一駅戻り、吉祥寺着が9.40。ライブハウス「スター・パインズ・カフェ」に飛び込んだのが9.45。今日はジムノペディのライブ。なんとか間に合うように急いだが、すでに始まって15分経過。受付でメガフォースのK泉さんに挨拶。中に入ると、なかなかシャレた内装。 二階の椅子席に陣取って後半を楽しむ。 アルバム曲に加え、新曲も1曲披露。田中直美のボーカルは相変わらずキュートでダイナミック。リーダー小林氏の泣きのサックスもいよいよ冴えわたる。なんといってもメンバーのコンビネーションは抜群。ジムノペディを知らない人は損をしている。ホント 10.15、ライブ終了。小林氏と立話。8月にマキシシングルが出るとか。大手レコード会社のサポートが決まったそうで、これから華々しくブレイクするのは間違いない。余計なお世話だろうけど、あまり今のミュージックシーンに迎合しないで、このまま自分たちのオリジナリティーを大事にしていってほしいもの。 武蔵野線経由で家路に。11.45帰宅。今日は心地よい疲労感。体は疲れていても気分は爽快。 5月11日(日)快晴 9.00起床。終日、家の中。 午後、I条さんの原稿を書き終える。その後、HPのリンクを更新。リンク切れのサイトを整理したり、新たにお気に入りサイトを追加する。結構時間がかかる。 途中、従姉のSから電話。娘のSちゃんが留学先の中国から帰国し、成田に着いたばかりという。SARS問題で、帰国者は10日間、様子を見なければいけない。帰郷するか、都内にとどまるべきか。判断つかず、会社のF氏に電話。F氏ならなんでも相談できる。F氏の知人もSARS感染者と接触したため、帰郷して様子見をしているとか。Sには帰郷してしばらく様子を見ることを勧める。 I条さんも帰国できず福岡に滞在中。SARS騒ぎはいつ終息するのか。 夕食前に、お風呂でのんびり。湯船につかったら口をついて出てきたのが、小・中学の校歌。「〜地の利人の和相(あい)まして♪」 生徒の頃はピンとこなかったけど、校歌はやっぱり文語体がいい。「見晴るかす千町田稔り 新潮(にいしお)の香る磯の辺(べ)♪」と歌っていても当時は、意味もよくわからなかった。文語体というのはあとからじわりと効いてくる。軽いフォーク調校歌もいいけど、校歌はやっぱり文語体。「新潮の香る磯の辺」がいつか滅びてしまっても、校歌がある限り、土地の記憶を伝えてくれる。 校歌は、その土地の鎮魂歌となるだろう。 パソコンを使っていると、ネットの表示が異常に遅くてイライラする。デフラグもやったばかり。常駐ソフトも外している。なぜ、すぐにシステムリソースが不足するのかわからない。立ち上げた時には70%。インターネットにつなぐと45%に激減。それもすぐに20%近くまで落ちて、そのため画面表示が遅くなる。ハード的なシステムの不具合か。せっかくのADSLも意味がない。パソコンにはとことんツキがないな。 5月10日(土)快晴 午後まで仕事。予定していたAUNの「マクベス」に間に合わず。残念。 同僚のF氏とこの前の「青ひげ公」の話をしていると、「こんなのが出てたよ」と机の上にあったR砦社の「スキャンダル大戦争」なる単行本を見せてくれる。その中に、山口某という自称芸能ゴーストライターが寺山修司のノゾキ事件について数ページにわたって書いている。当時の週刊誌の記事や例の杉山正樹の著書を引いて、いかにもスャンダラスな扇情記事にデッチ上げている。予想したように、こんな悪意のある記事に援用されるのだ、杉山本は。 もっとも、検証というより、単に当時の新聞・週刊誌記事をつなぎあわせただけの薄汚い文章の羅列にすぎない。撃つのはジャニーズだけにしとけばいいのに。誤爆というものだ、R砦社よ。 「これから阿佐ヶ谷の路地を探検しに行くんです。逮捕されないようにしなきゃね」とF氏に冗談を。 F氏は昔、週刊P記者時代に保安処分に関するコメントを寺山修司に依頼したところ、「政治犯たちを乗せた洗濯船の話を引用して、丁寧に答えてくれた」とか。「ハガキももらって、どこかにしまってあるはず」とF氏。「あの文面を書くだけで30分以上は費やしているはず。几帳面な人だったね」 2.30退社。東西線経由で高円寺駅下車。高架下のレコードショップ「レア」をのぞく。ピンクフロイドの来日記念版「青空のファンタジア」シングルレコードがなんと8000円。なんでこんな値段がつくの? 高円寺から阿佐ヶ谷方面へ移動。高円寺郵便局から秀和レジデンス、馬橋公園、早稲田通りへ。自分が通っていた銭湯は確かこのへんに…。だが、新しい建物が多く、位置が特定できない。通りかかったおじいさんに尋ねると、「銭湯ね。そこにあったんだけど、もうずいぶん前になくなったよ」と指差すところにアパートらしき建物。やはりなくなっていたか。近ごろの学生は近所に銭湯がなくて困らないのだろうか。 当時バイトしていた喫茶店「J」は居酒屋に衣替えして健在。 次に、かつて住んでいたアパートへ。この前の訪問は幻ではなかった。やはりそこに20数年前そのままのアパートがあった。いまも住んでいるS村さんの部屋をノックするも不在。改めてアパートの外観を見たら、外に放置してあるブロックの苔、汚れ、壁に這うツタなど、まさしく当時のまま。ここだけ時間が止まっているようだ。今度、S村さんにはなんとしても会わなくては。 お伊勢の森児童公園の脇を通ってリニューアルした阿佐ヶ谷駅へ。もう、昔どんな様子だったか想像できない。芸能人が改名すると、以前の名前がなんだったか、忘れてしまうのと同じように、過去の風景の記憶も薄れていく。 次に西荻へ。掲示板で話題に出ていた北口の「M」近辺を探訪。時間がないので、隣りの回転寿司で急いで腹ごしらえ。南口に移動して「こけし屋」でコーヒーとミルフィーユ=525円。ミルフィーユ、意外に食べにくい。 5.40。中野に戻り、中野武蔵野館で「博徒七人」。新宿昭和館閉館の際、頭15分しか見られなかったので、気になっていたが、ようやく再見かなう。 隻腕、隻眼、聾唖など、それそれハンデを負った7人の渡世人が、小島の石切場の採掘権をめぐって対立するヤクザとカタギの抗争に巻き込まれる。義理と人情に板ばさみにあいながら、ワナにはまり、友を失い、最後は殴り込み…という任侠映画のひとつのパターン。映画のコンセプト上、差別用語が飛び交うわけで、テレビでは決して放映されない映画の1本だ。 主役の鶴田浩二は任侠道といったベタベタしたものを信じないドライで茶目っ気のある渡世人という設定。カネで敵側に転ぶが、最後は情にほだされて、悪徳ヤクザ討伐に立ち上がる。そのヤクザの親分が金子信雄。ずるくてセコくてという「仁義なき戦い」の山守組長の原型。というか、金子信雄の役どころは、いつもこうだったか? 山本麟一、藤山寛美、西村晃今は亡く、待田京介も引退。思えば成田三樹夫といい、川谷拓三といい、東映悪役俳優の個性派たちはみんな生き急いだ。 聾唖という役のため、セリフなく、見せ場もなくアッという間に殺されてしまう若い渡世人は山城新吾。まだ細身で白馬童子の面影を残している。子供向けテレビで活躍しても、本編では長い間不遇だった。 そういえば「白馬の剣士」で山城新吾と二人主役を張った林真一郎もその後、東映ポルノで情けないサラリーマン役をやっていた。サンドラ・ジュリアンなど海外のポルノ女優を呼んで製作した東映ポルノ路線の頃。子供の頃のヒーローが端役でポルノ映画に出ていたのでショックを受けた。あれは高校生の時だったか。その惨めな俳優を激しく憎んだ。まだ「人生」を知るには早すぎたのだ。 その後、林真一郎はどうしたんだっけ。記憶では確か…。 「琴姫七変化」「噂の錦四郎」の時代劇スター松本錦四郎が自殺したのは1973年。「蒲田行進曲」で風間杜夫が演じた銀ちゃんはたぶん、松本錦四郎を意識したキャラクターではないかと思っているのだが…。同世代でも松本錦四郎をおぼえている人は少ないかもしれないな。 7・15終演。西国分寺経由で帰ったら遠いこと。8.55帰宅。ここ3日ほど耳鳴りがひどい。まるで初期の最悪な日々に近い。ストレスはないはず、睡眠時間もあるはずなのに…。 5月9日(金)快晴 4.00退社。ケイタイにI条Sさんからの伝言が入っていたので折り返し電話。SARS騒ぎのため、中国に帰れず、当分日本に滞在することになったという。 「これからは日本での仕事の比重が増えるかも」と。アップリンク版「奴婢訓」「身毒丸」のビデオを手に入れたというが「照明が暗くてラジオドラマみたい。当時のビデオの限界ね」と残念そう。天井桟敷の話などをひとくさり。 6.30帰宅。 今さらだけど、「モーニング娘。」という表記。週刊誌などでも、最近は、そのまま地の文で使っているが、カギで閉じずにそのまま地の文で使うとほかの文と混じって、実にまぎらわしい。「モーニング娘。に新メンバーが加入した。云々」 「。」を句点以外に使うのはやっぱりおかしい。 いくら芸名=固有の表記だからといって、まぎらわしい表記を一般に押し付けるのはいかがなものだろう。固有名詞とはいっても芸名にすぎない。最初にそんな「句点」付きのグループ名を芸能記者たちが拒否すればよかったのに、なまじ人気と「面白がり」で追従したため、最近では「つんく」にまで「オスマーク付き」表記を強いられることになる。バカバカしい表記を唯々諾々と受け入れる芸能界。これが弱小芸能人なら、「そんな表記は面倒」とばかり、拒否するだろうに。 逆に、オウムは名称変更してもいまだに「オウム真理教(アレフと改称)」と表記され、名称変更を認めてもらえない。組織が同一で偽装しているだけ、それに旧名称で係争中という認識があるからに違いないが…。そういえば白装束集団も「パナウエーブ研究所を名乗る集団」と表現されている。ウサンクサイものは「○○と自称」で済ますのが日本のマスコミの習い。それなら、「○○党と自称する集団」と呼んでもらいたい政党がいっぱいいるわけで…。 さて、この先、顔文字入りの芸名を名乗る芸人が出てきたら、どうするのか? 今でさえ、URL表記の活字がなくて難儀しているのにますます印刷屋泣かせの時代になる? 5月8日(木)曇り時々雨 ネオコン一派のパール元国防政策委員長がイラク戦争前に、投資セミナーで「戦争で儲ける法」を伝授していたと7日付ロサンゼルス・タイムズ。 それによれば、今年2月、国防情報局からイラク・北朝鮮関係の機密報告を受けたパール氏は、その3週間後「差し迫った戦争の含み 今はイラク、次は北朝鮮?」と題して、大手証券会社の投資セミナーで講演、紛争から利益を得る方法を指南したという。開戦前からインサイダー情報で金儲けしていたわけか。こんなのは氷山の一角だろうけど…。 5・00〜6・45、渋谷で韓国映画「ノイズ」。ホラーというよりも、サスペンス。昔の「ザ・ガードマン」夏の幽霊シリーズのような? 主演の女優たちが、それぞれ日本の井森美幸、名取裕子、菅野美穂にソックリ。一番怖かったのは、上映前に「ケイタイを切らないと恐ろしいことがアナタに…」という警告だったりして。 7.30〜9.10、三軒茶屋・シアタートラムで弘前劇場「あの川に遠い窓」。 しのつく雨の中、ヤクザの家を訪ねて来た高校教師。彼はヤクザの息子の担任。彼が来た理由は長期欠席の息子のことだけではなく、もう一つ別な思惑があった。密室で対峙する2人の男。その間にある一人の女の幻影が浮かび上がる…。 漫才の掛け合いのような軽いジャブの応酬から、やがて、陰鬱な言葉の刃が飛び交う後半まで、村田雄浩、山田辰夫の二人芝居は緩急を心得ている。しかし…17年前の「事件」をずっと抱えているなんて…よくわからん。もしかして、途中、大事なセリフを聞き違えているのか? 10・45帰宅。半蔵門線経由にしたら時間のかかること。直通がこなくて乗り換え待ち。芝居を見た帰り道が遠くてそれだけでイヤになる。1時間半の芝居なら7時開演の8.30終演にしてくれると遠方組は助かるのに。9時終演にこだわる小劇場の決まりごとはヘン。 5月7日(水)快晴 オフ日。終日、家でウロウロ。カセット保存の「2人の部屋」をデジタル化する作業を続行するも、CDに焼く時、うまく分割できない。いちいち手作業でファイルを分割していたら時間のかかること。とてもじゃないが、1日1本もムリ。夕闇迫る頃にはヘトヘト。パソコンソフトのヘルプほどわかりづらいものはない。 お昼、風邪で高校を休んだ娘に付き添って病院へ。私が高校生のときは寮生活。日が昇る前から掃除、炊事の手伝い、先輩の買い物、掃除、洗濯…夜寝るまで自分の時間などなかった。自宅から通う同級生は天国のように思えたものだが……。 毎日新聞カメラマンの所持品爆発事件で毎日新聞社長がヨルダンに行き献花。かつての西山太吉記者の外務省密約文書漏洩事件で受けた打撃とは別物だろうが、この事件で毎日新聞が萎縮してしまうことを危惧する。 エリート意識の強い教条主義・朝日、権力の忠犬・讀賣の間にあって、毎日が掲げる明確な「庶民」の視点は新聞の新聞たる所以。「家貧しくして孝子顕る」じゃないけど、経営的に背水の陣の毎日には逆に権力に媚びない野良犬の気迫がある。事件を利用して右派政治家・権力が毎日に有形無形の圧力をかけることが予想される。前回の個人情報保護法案を潰したのは毎日記者の防衛庁情報漏洩スクープだったから。見えないところで「闘い」は始まっているに違いない。 5月6日(火)快晴 休み明けの憂鬱も午後には解消。 PM6.30。ル テアトル銀座で「黄昏」。避暑地の別荘で過ごす老夫婦のもとに、恋人である歯科医と、その息子を伴って現われる娘。父娘の長い確執が老いという容赦ない時間を触媒に宥和されていく。 杉浦直樹と八千草薫といえば「岸辺のアルバム」コンビだが、舞台は初共演とか。ヘンリー・フォンダそっくりに老残のメイクをさらす杉浦、遠目には若やいだ雰囲気の八千草。「岸辺のーー」から20年以上はたってるわけで、役者も年齢を重ねているのにもかかわらず、イメージは昔のまま。人はいつから老いていくのだろう。 畳の目一つひとつ数えるように年老いていくのか、ある日、急に老け込むのか。 昔は「黄昏」を見ても、「老い」の問題はさしたる実感がなかったが、父の世代、自分たちの世代、確実に「老い」が抱える問題はわが身に迫っているわけで、この舞台も今までとは違ってリアルに感情移入してしまう。 別荘の部屋の奥に両開きのドア。そのガラスの向こうにキラキラと輝く湖が見える。湖上にかすむ靄が蒸発するように、誰もがいつしかこの世から退場していく。 休憩15分込みで2時間45分。浅野温子、今まで舞台を見るたびに、風邪引いてるのか、それとも声を潰しているのかと思っていたが、あの野太い声は実は地声だったのだと初めて気づいた私って…。 9・15終演。10.30帰宅。 5月5日(月)快晴 こどもの日ということで、朝から電車を乗り継ぎ、三ノ輪橋から荒川遊園地へ。時速13キロ。駅と駅の間隔も短い。のーんびりと走る都電に子供は不思議そうな顔。何十両編成の電車や飛行機は人間を荷物としか考えていないけど、チンチン電車にガタゴト揺られていると、これこそ人間の乗り物だと思えてくる。運転手はおじいさん。杖をついたおばあさんが発車間際に、ゆっくりと歩いてくると、慌てず急がず、それを待って発進。5〜6分間隔で走っているが、定刻時間はあってないようなもの。昔の田舎のバスを思い出す。小さいことはいいことだ。大劇場の芝居ほど大味でつまらないものはない。チンチン電車は生身の人間の息遣いが伝わってくる小劇場演劇だ。 初めての荒川遊園地。こどもの日で入場無料。乗り物券もジェットコースター子ども100円。東武動物公園の3分の1程度の料金。もちろん、規模は違うけど、リーズナブル。ただし、今日はあまりにも入場者数が多すぎ。釣堀で1時間待ち。乗り物も同じように行列ができている。人気の遊園地並みの待ち時間に辟易。 4.30の閉園時間前に退散。 5.00帰宅。タワーレコードに行ってソニア・ローザのアルバム「a bossa de sonia」を購入。彼女のスキャットは70年代にテレビドラマでよく使われていた。久しく名前を聞かなかったが、偶然、知人のサイトで名前を目にした。コケティッシュなボサノバのスキャット。10代の頃、「お金があったら買いたいレコード」の一枚だったはず。その後、すっかりソニア・ローザの名前も忘れていた。今日買ったのはブラジルでのデビュー盤らしい。ソニアの歌う日本語詞のアルバムが欲しい。 一日中歩き通し。さすがに疲労困憊。今日は早めに就寝。 5月4日(日)快晴 10.00起床。外はいい天気。さわやかな五月の風がベランダの鯉のぼりを揺らす。 寺山さんの命日。20年前の今日もさわやかな風が吹いていた。あの日、鎌倉で遊んだ帰り道、テレビの速報で寺山さんの死を知ったのだった。恐れていたことが現実のものになったショック。人の死の報に接してあれほど衝撃を受けたことはない。胸にぽっかり穴が空いたようで、しばらくの間、仕事が手につかなかった…。いかに、寺山修司が自分にとって大きい存在だったか。 あれからもう20年。毎年、GWは家族で小旅行をしていたので、命日のお墓参りもしばらく行ってないが、今年は緊縮財政の折、どこへも出かける予定がないので、家族の了承のもと、高尾霊園へ。 寺山さんのお墓がある高乗寺まで片道1時間半。出掛けにちょっとしたトラブルがあり、着いたのが2.30。お墓の周りにファンらしき人が何人か。墓前には生花と一緒に競馬予想紙と万有新聞が供えられている。 社務所の前に元月蝕歌劇団、今は「劇団☆A・P・BーTOKYO」を主宰している高野美由紀らがいたので立話。ずいぶん久しぶりのような気がする。昨日、ドアーズでの昭和精吾事務所公演に出演しており、今日も次回公演「身毒丸」のための稽古があるとか。ウーン、「身毒丸」か…。 「寺山家御一行様」にお邪魔する。去年、1階で”騒ぎすぎた”ため、今年は2階に宴席を設けたという。広い座敷は参列者でいっぱい。九條さん、根本夫妻、シーザー、偏陸、ささめ、白石、牧野、タリ、稲葉、金子、蘭さんらオールスター。今年は「青ひげ公の城」関係の役者・スタッフも多数。寺山新聞・金子さんの引き合わせでネット仲間の河野氏、BUFF氏らと歓談。 O野目慶子は万有の草野球チームジャンパーをプレゼントされてうれしそう。M上博史に挨拶。笑顔で「この前はどうも…」。 「青ひげ公」出演者でシーザーを慕う人が多く、「そのメンバーでプロジェクトを立ち上げたい」とシーザー。 4.00解散。送迎バスで駅まで。バスの中で牧野公昭氏と、彼が主宰し、3回で終わった幻の劇団「WALHALLA」の話に及ぶ。ベニサン・ピットでの公演の際、舞台に向かって、後方天井から、俳優(牧野氏)が、ロープ1本で飛んだときには心底びっくりした。命綱なしで観客の頭上を劇場の端から端まで飛翔するとは…命がけのダイブ。「いつか客の上に落ちるんじゃないかと、そうしたら補償問題をどうしようか、なんて考えていました」と牧野。今まで見た芝居の中でも、あのダイブの迫力はほかに知らない。役者としてもっと活躍してほしい人だが…。 駅前のてんぷら屋の2階で、シーザー、白石さん、とりふね舞踏舎の三上さん、蘭さん、タリさん、林檎さんらと軽く”二次会”。6.00、解散。新宿で開いている若手の二次会に向かうシーザー、蘭さん、タリさんらと京王線で新宿方面へ。天井桟敷という同じ時代と青春を共有した彼ら、うらやましいくらい仲がいい。 笹塚で新宿組と別れ、7.30、初台、ザ・ドアーズへ。昭和精吾さんのライブ。ちょうど「李庚順」の途中から。いつ聴いても昭和さんの朗誦には胸が高鳴る。BGMの「悲しき天使」が流れると懐かしさで思わず背筋がゾクリ。 9.00終演。2階に行って昭和さんに挨拶。「アメリカよ」の中で「できることならその”オサネ”を舐めてみたい…」という寺山さんの詩が「…そのカオを舐めてみたい」と改変されていたので、理由を尋ねると、「昔、11PMで”アメリカよ”を演じたことがあって、その時、放送コードに引っかかるので、寺山さんと相談して言葉の言い換えをした」のだとか。それを今も踏襲しているという。しかし、「言い換え」では全然意味合いが違ってくる。「カオを舐めてみたい」では変態ではないか。ウーン…。 さすがに高尾で飲み疲れ。飲んで帰るにはもう気力の限界。昭和さん、こもだまりさんらに別れを告げて家路に。 10・30帰宅。 5月3日(土)快晴 憲法記念日というのに、きのう2日、発表された自民党憲法調査会の憲法改正草案を見て、朝から恐怖と戦慄におののく。 1、首相に「国家非常事態命令」を発動する権限が与えられ(国会手続き不要=国民の意思は不要で宣戦布告できる) 2、国民には「国家を防衛する義務」が課せられ(徴兵制、戒厳令布告で国民生活統制、私財提供・没収) 3、「陸海空3軍その他の戦力」の保有を明記し(自衛隊を本格的な日本軍に) 4、集団的自衛権の行使を認め(同盟国が攻撃されたら軍隊を引き連れて助っ人に狩り出される) 5、天皇を元首とし、日の丸を国旗とし、君が代を国歌とし(戦前の天皇制絶対主義国家へ逆戻り) 6、国際協力活動への戦力使用を含む積極参加(アメリカが戦争したい時には子分としてねじり鉢巻で駆けつけなければならない)。 さらに憲法改正のために、「衆参各院で3分の2以上の出席で、出席議員の3分の2以上の賛成があれば改正できる」(自民党とその友党だけで憲法改正ができる)とする。 現行の「衆参両院の総議員の3分の2以上の賛成と、国民投票による過半数の賛成が必要」という厳格さに比べ、いかに安易で杜撰か。 「この憲法改正案に国民の反発が予想されるだろう」と例によって大新聞は他人事のよう。 自民党改正案の狙いは憲法基本原則の「平和主義」「国民主権」の改変にあるのは明らか。 公明党が「加憲」とか言い出して、自民党のタカ派にお墨付きを与えたことが自民党改憲派を活気づかせたといえる。公明党、どこが「平和の党」だというのか。ちゃんちゃらおかしい。戦前、弾圧された創価学会が、やがて権力を握ると反動化する。ナチスドイツに迫害されたユダヤ人たちが国家を作り、こんどはパレスチナ人を迫害する。つまるところ、「権力は腐敗する」ということだ。 最初は反発されても、二度目にほんの少し修正して再提出すれば国民はだませる(消費税、個人情報保護法で実証済み)。「環境権を盛り込んだ」など”瑣末な”文言でごまかせる。 個人情報保護法でメディアの口をふさぎ、国民の目隠しをし、住民基本台帳法、有事法制で徴兵制の下調べ、戦争ができる国にし、外堀を埋めてから本丸の憲法を孤立させる。難攻不落の大阪城も外堀を埋められては、陥落するしか術がなかったように、このままでは平和憲法という国民にとって最後の砦も焼け落ちてしまう。 亡くなって知る親の恩…じゃないけど、憲法という国民にとって最後の頼みがなくなったときどんな事が起こるか、いくら泣いても後の祭り。 「レセ・パセ」という不条理なレジスタンス映画を監督したB・タベルニエがこう言ってる。 「フランス政府もアメリカのイラク攻撃を強く反対しながら、しっかりイラク利権を計算している。ロシアや中国もイラク国民の殺戮には反対と言いながら、自国の無辜の民何百万人も殺している。現実とはそういうもの。しかし、世界には全体主義が好きな人と、理想主義が好きな人と、自分のことしか考えない人の3種類の人間がある。私は強いていうなら理想主義者でありたい」(週刊朝日・田原総一郎コラム)。 全体主義が好きな人よりは「自分のことしか考えない人」の方がまだしも害がない。世の中は不条理で不合理であるが、それでも強いていえば私も「理想主義者」でありたいと思うのだ。 しかし、現実の日本は全体主義国家へあと一歩のところまで来ている。その一押しをするのはやっぱりあの人、石原慎太郎か。絵に描いたように着々と進む日本ファシズム化計画。 あまりにも暗い憲法記念日…。 夕方、久しぶりに昔の短編ラジオドラマのカセットを取り出して、デジタルに変換する作業をしてみる。時々ブツッと途切れるのはハードディスクのせいか、CPUのせいか? そのへんはよくわからない。音質としてはカセットの方が好きだけど、テープの保存にも限界がある。少しずつデジタル化しておかなければ。 1日に1本録音すれば1年で365本。楽々…なんて思うのは、1日100円ずつ節約すれば、1年で3万6500も貯金できる…と考えるのと同じか。机上の空論ってヤツ。 10.00〜11.30、NHK教育テレビで「仁義なき戦いを作った男たち」を見る。テレビをじっくり見たのは久しぶり。 監督・深作欣二と脚本家・笠原和夫、1973年に「仁義なき戦い」で交錯する2人の映画人生の軌跡を追ったもの。仁侠映画から実録路線へ移行していく2人の航跡の重なりが「仁義なき戦い」という傑作を生む。深作1930年生まれ、笠原1927年生まれ。兵役に服した笠原と敗戦時15歳の深作、ともに戦争の影を引きずった人生だった。 仁侠映画を量産しながら、決して任侠道などという「虚構」を信じなかった笠原。散乱する死体を片付けた戦時中の体験から、常に人間の死の意味を見つめ続けた深作。2人に共通するのは国家への不信であり、「死ぬのはいつも若者だ」という思い。 ヤクザ映画では、組織の鉄砲玉となって多くの若者が殺され、上の人間は生き残る。戦争では多くの若者が犬死し、戦争責任者は赦されて戦後の権力の中枢に居座る。 2人が違和感を持つ日本の戦後への疑義は、戦争責任を明確にすることなく、なし崩しに戦後が始まってしまったことにある。それは、「戦後民主主義が日本をダメにした」という右からの単細胞な戦後への疑義とは別物だ。 戦争を指揮した者は生き残り、狩り出された若者は無残に死んでいった。今の「平和」は責任の所在を覆い隠した虚構の上に成り立つ見せかけの「平和」でしかない。だから、簡単に「戦前」に逆行する。 まるでイラクと同じ。戦争で死んだのは若者と子供。権力者は逃走し、国民を弾圧した警察権力は米軍に協力して国民を再び抑圧する。米国流の民主主義は、複雑な国家間の駆け引きの道具として使われる隠れ蓑。対イスラム戦略の道具であり、利害が錯綜すればまたポイ捨てされる。ビンラディンが捨てられたように。日本の「再軍国化」もアメリカの世界戦略の変化に伴うもの。敗戦国というのはどこまでソックリな道をたどるのか。 それにしても、笠原和夫の資料収集・整理のなんという綿密さ。あの丹念な資料読みが背景にあるから映画に厚みが出るのだろう。 井筒監督が当時のオールナイト上映の熱気を語っていたが、70年代初頭までだろうな、あの独特な映画館での観客の熱気は。スクリーンと一体になって、やくざ映画を見る観客たち。カン違いであっても、そこには観客同士の連帯感があった。映画の主人公に自己を投影し、血を沸き立たせるという体験は二度とできないし、そんな時代は二度とない。思えばいい時代にめぐりあえたものだ。 5月2日(金)快晴 4.40起床。5.42の電車でいつものように会社へ。 読売新聞が「米軍によって解放されたイラク」と賞賛したイラク国内は殺人やレイプ、略奪が横行する無秩序状態になっていると現地ジャーナリスト。 病院、学校、博物館は洗面台の蛇口に至るまで略奪され尽くし、機能を失った病院のベッドでは病人がなすすべもなく死亡し、「女医や看護婦が暴漢にレイプされている」(英国国際開発相ショート氏)。 戦争開始と同時に油田地帯は厳重に保全した米軍が博物館の略奪行為は傍観し、「国民が自由になった証し」と言ってのける欺瞞。イラクの混乱はいつまで続くのか。 4.30、阿佐ヶ谷へ。げんこつラーメンで食事。5丁目あたりを写真に撮ろうと思ったが時間切れ。ザムザ阿佐ヶ谷に直行。 映画「夜を賭けて」のメイキング映画「ヨルカケ」を上映中。路地を曲がると、劇場の外に設えた受付から秋元さん、伸子ちゃんが手を振ってくれる。笑顔の2人。受付を済ませ、中に入ると客席は思ったよりさびしい。自室で巨大なホームシアターを見ているような気分。 「夜を賭けて」のオーディションに応募した4800人の中にはオープンセットの設営スタッフとして映画に協力した若者たちもいる。東大を休学した学生、不動産会社を辞めて参加したサラリーマン、映画を機に「在日」であることを告白した人、35歳の俳優志望…。さまざまな経歴の若者たちが、映画作りの現場を通して自分の出自や人生の葛藤に向き合う。 一口に韓国の工場跡地に92棟のバラックと鉄道、運河を作るといっても、すべて手作り。ハリウッド流の物量作戦ならこともない話だろうが、日本から行った若者たちが一級建築士・大塚聡の設計をもとに、一軒一軒作っていく。生まれて初めてハンマーをたたき、釘抜きを使う人。 やがて更地にバラックの群れが立ち並び、海から海水をポンプで引き込み、運河ができる過程は感動的。なによりも、赤銅色に焼けた若者たちの目の輝きが違ってくる。たくましい自信さえ感じられるのだ。 「日本でも韓国でも居場所のない在日という存在、その自分探しの旅に一つの答えが見つかったような気がする」と参加者の一人。 クライマックスは自分たちが作ったバラック群が炎上するシーンと、アパッチとして出演する彼らの最後のシーンの交差。炎上を見つめる彼らの視線の先にあるこれからの人生…。 「在日」に焦点を絞りすぎて、多少紋切り型のドキュメンタリーになったきらいはあるけど、国籍や民族、国境を超えた若者たちの成長のドラマとして見ても感動的。 豪雨によって水没したセットで撮影を続行するため、ポンプで水を汲み出し、バケツで水をかき出し、果てはスポンジを手に泥水を吸い取るという人海戦術には驚いた。仕上げはガスバーナーで地面を乾燥させるとは、まさに手作りの映画撮影。 清川虹子さんの「女優人生最後のショット」になったシーンに思わず目頭が熱くなる。警官に両腕を支えられながら炎上する長屋から運び出されるシーン。撮影監督の「きついようでしたら、足を地面に引きずるようにしてもいいですから」という呼びかけに「大丈夫」と気丈に答える清川虹子さん。89歳の高齢の体を両側から支え持つのは支えられる本人も相当な負担になるはず。それなのに、「大丈夫」と一言。この映画が清川虹子の最後の映画になったことは彼女にとっても本望だろう。 6.30。朴保と金守珍のトークが6.40からあるが、失礼して新宿へ。 6.50、新宿着。 7.00〜8.55、サザンシアターでひょうご舞台芸術「扉を開けて、ミスターグリーン」。 交通事故を起こし、裁判所命令で被害者の世話をすることになった若者と、被害者である老人。最初は反発から始まった2人の交流がやがて友情に変わっていく。木場勝己、大沢健の2人芝居。ベテラン同士のコクのある演技がほどよい醸成。 一人は、娘が異教徒と結婚したことが許せず、勘当したものの、妻の死後、孤独な生活を送っている老人。一方は自分がホモセクシュアルであることを隠し続けてきた若者。つまり、ナチスドイツによって大量殺戮されたユダヤ人と同性愛者の組み合わせ。ただ、ユダヤ原理主義老人は同性愛が理解できないし、若者は、老人の原理主義に反発をおぼえている。その2人がやがて理解しあい、最後に娘との和解への扉を開ける。非常にわかりやすいコメディー。 ホモ青年という役どころがピッタリの大沢健。男優の中で一番のお気に入り。 隣席になった江盛さん、三好氏と休憩時間に立ち話。帰りに、「○○さん」と呼ぶ声。見るとR○PのH本さん。「久しぶりです」と笑顔。今はジャニーズ専用劇場になったグローブ座にかかりきりとか。会う事がないはずだ。「秋には永井愛さんのホンで高田聖子ちゃんの”月影十番勝負”やります」と。 江盛さん「小森くんが7月に小説を出すんだってね」と。小説新潮の連載でそう書いてあったとか。「彼はえらいね。自分でフリーランスの編集者をやって、こんどは自分で小説を書くんだから。あんなにミステリーに造詣が深いとは知らなかったよ」。そうか、いよいよ小森氏が小説を。「初日通信」で姉のことを書いたことがあったが…。 10.20。下車してTに電話。意外に元気そうな声。今月半ばに友人と2人で上京するとのこと。 さて、明日から連休。といっても特に予定はないが…。 5月1日(木)快晴 それにしても花粉症が長い。スギからヒノキに移行したというけど、例年こんなにひどかったか? B大M氏から不当解雇裁判全面勝訴の挨拶状届く。個人対法人の裁判はどんなにかつらい闘いだったか。長い苦労が報われてよかった。 3.40、K記念病院で鍼。待合室でY売新聞熟読。 「イラクの国民を解放したのは仏独や反対デモなどではなく、アメリカ軍ではなかったか。各国の戦争反対デモを持ち上げたどこかの新聞は自分の不明を恥じるべきだ」「報道規正法があってもなくても、書くべきことは書くし、書いてはいけないことは書かない」−−さすがに政府が喜ぶ個人情報保護法案の修正案を出し、憲法改悪試案を持つY売の社是? ここまで右翼体質をあらわにするとは。産経も真っ青。最初から政府に都合が悪いことは「書く気がない」と言ってるようなもの。イラク問題だって、「混乱の始まり」はこれからというのに。 6.30帰宅。 あと1日で連休。それが終わると反動が来そうな気が…。 |