4月30日(水)曇り時々雨 オフ日。時間がたっぷりでやりたいことがいっぱい…のはずが、小人閑居してナントヤラ。結局、ネット回りと昼寝で一日が終わる。休みの日にはあれもこれもと思うのに…。 林道に居座る白装束の集団「パナウェーブ研究所」が地域の平穏を奪ったとマスコミを騒がせている。宗教絡みの集団らしいが、忘れた頃に格好のワイドショーネタ。安藤優子キャスターがニュースの中で思わず「白装束軍団」と発言してしまい、一瞬、顔がひきつっていた。彼女の中ではすでに「軍団」なんだろうなぁ。 4月29日(火)快晴 6.00起床。7.00、電車で義父のお墓参りに。電車は空いているし、天気も上々。約2時間で下車駅に到着。迎えに来てくれたHMさんのクルマで霊園へ。お墓参りの後は、義母の家で午後までくつろぐ。ビールを飲んだら眠くなり、1時間ほど昼寝。 市の活性化につながるとのふれこみで完成したアクアラインが、結局、市の衰退を後押しすることになったこの町。倒産したデパート、さびれた商店街ーー。インフラの整備は必ずしも、町の発展に直結しないことを立証してしまったわけで…。旗振り役の政治家はどこに逃亡したのか。 PM3、無人駅から電車に。帰宅は5.30。夏のような暑さ。冬物コートをクリーニングに。 先週のNHK・FMシアター「さびしぼっち」は久々の快作。タイトルは陳腐だが、聞いているうちにくいくい引き込まれる。あることから、会社からドロップアウトし、知的障害者の更正施設で、鬱屈した思いを抱きながら働いている男を利重剛が好演。平穏な日常の裏側に潜むやりきれない怒りと悲しみ。物語に奇妙なリアリティーがあるので、実際の体験に基くものかと思ったほど。脚本の小野田俊樹は「ばちこどんぐりの世界」でも、夫婦、親子の間に横たわる暗い川を描いたが、このドラマの構成は見事。 これぞ「再生と希望」のドラマ。救われた気分。 4月28日(月)快晴 連休の谷間で朝の電車もガラ空き。 3.30、仕事を終えてK記念病院へ。抗アレルギー薬をもらったら、1カ月分2070円。高い! 3割負担の重みがずっしり。 5.15、S駅下車。Sシネマで「シカゴ」を観る。エンドロールで「ボブ・フォッシーに捧ぐ」とクレジットされているようにオープニングから「オール・ザット・ジャズ」。監督は舞台畑出身者のロブ・マーシャルということで、舞台と映像を融合させた趣向。なかなか巧みな構成ではあるが、主演のレニー・ゼルウィガーに魅力がイマイチ欠けるのが難。バンプぶりが際立つキャサリン・ゼタ=ジョーンズに比べて華がない。「ブリジット・ジョーンズの日記」では好演が目立ったのに。裁判のシーンで「日記」が小道具に使われたのが笑える。ミュージカル映画の新機軸ではあるけど、映画はやっぱり役者に負うところが大きい。 7・30帰宅。 統一地方選も翌日開票分も終わり当選者が出揃った。 小学校校舎保存問題でリコールされた滋賀県豊郷町の町長・大野和三郎が55票差で当選。うまい汁が吸える土建会社がフル稼働してやっとこさ勝ったわけで、反対派の分裂にはウラがありそう…。 和歌山市議選では収賄罪で起訴され、拘置中の前市長・旅田卓宗被告がトップ当選。拘置されており、議員活動はできないのに、月額66万円プラス年間368万円の期末手当が支給される。年収1000万円以上。やらずぶったくりというか、濡れ手で粟? もちろん税金から支払われるわけだ。旅田に投票した6000人が均等割して払えばいいと思うが。 結局、日本の「民主主義」なんてのはこんなもの。国会で成立が予定されている「個人情報保護法案」も基本的に中身が変わっていないのに、再提出された法案に大新聞の批判もトーンダウン。メディア規制に向かってまっしぐら。危惧したように、売上税から消費税への成立過程とまったく一緒。 朝三暮四とはよくいったものだ。猿回しが猿にトチの実を朝に三つ、暮れに四つ与えると言ったら猿が怒り出したので、朝に四つ暮れに三つやると言ったところ猿が喜んだという故事。法案の中身が同じなのに、多少修正しただけで賛成に回る日本人はサル以下か。 イラクのサハフ情報相が投降用意と外電。あれっ?サハフってバグダッド陥落のとき、首吊り自殺したんじゃなかったの? 相変わらず何が本当なのか、戦時の情報規制の闇。 さて、明日は、千葉まで義父のお墓参り。早めに就寝。 4月27日(日)快晴 真夏のような暑さ。10時過ぎに起きると、それぞれ稽古ごとで家族全員不在。午後、みんなが帰ってきた頃を見計らって、投票所へ。その足で和風ファミレスに行き食事。家に戻って、寝転びながらFMドラマを聴いているうちに眠りの中に。 世間では大型GWというが、普段と変わらない日曜日。 4月26日(土)曇りのち雨 朝のうち、天気はややぐずつき気味だったが、午後には晴れ渡り、すっかり夏模様。寒いかなと用心に長袖を着ていったら暑いこと。もうTシャツ1枚でいい。 PM2、新宿、スペース・ゼロで結城座「ハリネズミのハンス」。 開演が10分押し。地下鉄の放送で聞いていたが、山手線で人身事故があり、電車がストップしているという。昨夜も地下鉄で人身事故。この頃、電車の人身事故に出合うことが多い。飛び込み自殺の件数が増えているのは不況・閉塞の時代の反映か。 「ーーハンス」は全労済主催のファミリー劇場の第三弾。グリム童話をもとに、劇団員・植松聡の第一回かながわ戯曲賞最優秀賞受賞作品を舞台化したもの。 宝生舞がハンス役、コシミハルが少女=「森の妖精」として出演。糸操り人形たちとのコラボレーションを繰り広げる。 ハンスの乗るニワトリは金属質で重量感ある造形。結城美栄子による人形美術は欧州調。いつもながら、人形の滑らかな動き、早変わりなど、世界に誇る結城座ならではの見事さ。開演前に、親に連れてこられた小さな子供たちがぐずったり、泣いていたりしたので、どうなることかと心配したが、舞台が始まると間もなく、泣いていた子供もシーンと静かに。子供を引き込む結城座人形劇の奥深さ。 宝生舞は引きこもりのハンスにぴったり。確か、彼女もあまりいい幼年時代を過ごしていないはず。 コシミハルは久しぶりに見たが、コルセットで締め上げた胴回りが細く、無機質の人形のよう。「越美晴」の名前を捨ててから展開しているフレンチっぽいウィスパリングボイスで劇中歌も披露。しかし、彼女はいくつになったんだろう。たしか同世代のはずだが、見かけは20代…。おそろしや。ただ、よく見れば、アゴの線に年齢が現れている。トシはごまかせない。 隣りの席のO田島センセイは最初からこっくり居眠り。お歳を召すと舞台を見るのもつらくなるに違いない。年間何百本といっても、そのうちのかなりの本数は夢の中だったりして…。そのO田島氏と福田善之氏が開演前にニコニコ歓談。福田氏にはいつか黎明期のラジオドラマの話を聞きたいと思っているのだが…。 3.50終演。会社に戻り、雑事を済ませ、退社。 PM5.45、「庄屋」でプレ飲み会。D、O両氏と久しぶりの歓談。最近は花見会も開いていない、活動休止状態のTGC。Bさんが転勤してからほとんど飲み会もやってない。 7.00。河岸を変えて、丸井裏の居酒屋へ。今回初参加のM野さんを交えて、4人で11.00まで痛飲。20代半ばのM野さんは同郷。友人、親戚をたどれば、ほとんどみな知り合い。いとこの子供と同級生と聞いてガク然。そうか、そこまで世代が下がってしまったか…。 寺山修司が好きという彼女、三沢の記念館も行ったし、なんと流山児版、シーザー版「青ひげ公の城」も見ているそうな。寺山世界の道標として最適なのは何かと問われ、映画では即座に「田園に死す」「書を捨てよ、町へ出よう」の二本と答えるあたり、なかなかのもの。「生まれてくる時代が違った。昔ならきっと天井桟敷に入っていたと思う」と。同じようなことを誰かも言ってたなぁ。そうだ、毛皮族の江本純子だ。彼女も確か同世代。 世代を循環して、新しい寺山ファンが生まれていることに、いたく感動。20年前に肉体は滅んだが、寺山修司の精神は決して滅ぶことなく受け継がれていく。 カラオケに向かう3人と別れて帰宅。さすがに3連チャンはきつい。11.40。帰宅即就寝。 一条さゆり著「中国洗面器ご飯」読了。さすがに長年エッセイを書いてるだけあって、うまい。中国の人たちの生活がビビッド伝わってくる。 一条さんのHPを覗いたら、彼女にとって天井桟敷と寺山修司がいかに大きな存在だったか、初めて知る。日本で一番、緋色の襦袢姿が似合う俳優として若松武史の名前をあげている。 「身毒丸」「草迷宮」の若松武史(当時・武)を「そして、その体が醸し出す動きももちろん好き。どういう風に好きかがわかったのは、実は、踊り子になってからなのだが……。私は、若松さんが激しく動いているときではなく、静止しているとき、そして静止からゆっくりと動き出す前の動きにひかれていたのだった。指先、腕、胸、お腹と、一個一個の筋肉を確認するかのように、ゆっくりと動き始める体に、すっごくセクシーさを感じていた。もしも、彼がストリッパーになってたら、きっと超一流の踊り子だったに違いない」(HPから)と書いている。こんなふうに「身毒丸」での若松武を評した人は初めてだ。一条さんが若松武について、自分と同じ思いを抱いていると知って、彼女に一層の親近感を持つ。この前の「青ひげ公の城」も見たと書いている。もっと早く知っていれば、先日の会話も別なものになったのに。残念。 4月25日(金)曇り時々雨 仕事がやたらと忙しく、お昼ごはんを食べたのが2時過ぎ。 PM4.30、新宿へ。紀伊國屋ビルのカレー屋でエビカレー850円。食事を終えて外に出たところで、劇団1980の俳優Sさんとバッタリ。こまつ座などにも客演が多いSさん。以前は制作も兼ねていて、情宣で会う機会が多かったが、俳優業に専念してからはもっぱら客席から見るだけ。話をするのはずいぶん久しぶり。「もう長いこと会っていませんよね」とAさん。こちらは舞台を見ているからしばらくという気はしないのだが…。 「シカゴ」を見ようと思ったが、すでに開始20分過ぎ。代わりにピカデリー4で「呪怨」を見る。ホラーは好みではないが「怖い」という評判につられての観劇。しかし、グロテスクなだけで怖さはない。いってみれば、「耳袋」などの怪談話で「怖いと思われる場面」を映像化したようなもの。メイクも明らかに作り物とわかるので怖さも半減。というより、この監督に怖がらせのセンスはない。目覚めた少女の布団、部屋の中に黒猫が何十匹もたむろしているというシーンはコメディーだ。ビデオ版オリジナルのほうが怖いらしいが、そちらを見る勇気はない。「女優霊」だけで十分。 7.00、初台。ドアーズで「海蛇座」というタイトルであがた森魚とるりのジョイントライブ。一部はるり、二部はあがた。幕間に無声映画と活弁士の講釈。司会を担当した「青空はだか」なる芸人、最初は「寒〜」かったが、口三味線でフォークシンガーに扮して歌う替え歌が抜群に面白い。結構ツウ受けする芸人のようだ。 さて、一部。歌っているるりを見たのは初めて。なんだかハラハラドキドキ。「大好き。多大な影響を受けた」という森田童子と曲調、歌い方がやはりソックリ。たどたどしいMCに微苦笑。童子っぽさはバイオリン、ギターという構成にもよる。バイオリンの神田珠美の横顔が「昔好きだった人」にそっくりだったので、思わず視線が釘付けになる。ほんとによく似ている。ライブを聴きながら心は遠い世界へ。 二部のあがた森魚はさすがの貫禄。キャリアが違う。アンコールでるりと「清怨夜曲」をデュエット。これが実にいい。昔、緑魔子と「昭和柔侠伝のテーマ」をヒットさせたが、あがた森魚は女性とのデュエットが似合う。なんともいえない至福の時間。 終演後、るりに挨拶。 「すごく楽しかった」と例によっておっとりした関西弁。「(神田)たまちゃんと会うのは初めてでした?」。こちらがやけに神田珠美を気にするので、ぽつり。場内で天野天街氏の姿を発見したので挨拶。「見に来ただけです」と天野。あがた森魚目当てだったようだ。「(流山児事務所公演は)あさってから名古屋に移ります」と。まだ帰りそびれた人たちがさわめくホール。「ありがとうございました」と笑顔のプロデューサー・K氏に見送られ退出。 10.00。電車に乗ると、森下町で人身事故のアナウンス。地下鉄運行がが大幅に乱れている。九段下で半蔵門線に乗り継ぎ、帰宅。11.30。疲労困憊。 4月24日(木)晴れ 東京地裁、オウム・麻原に論告求刑。予想通り死刑求刑。頑なに沈黙を守る麻原。彼には証言する義務がある。 3.30〜5.00、新宿「滝沢」でI条Sさんと。7年ぶりの再会。相変わらず、竹を割ったような性格のI条さん。今は一時帰国だけ。中国を生活拠点にしているというのは知らなかった。時折見せるはにかみ。そんな純なところを残したI条さん。いつか仕事抜きでN山さんを交え、一緒に飲みたいものだ。 7.00、北千住・イベント広場の特設テントで黒テント「絶対飛行機」。「アジアの演劇」を標榜し始めた頃から、”運動の演劇”が持つストイシズムからなのか、女優たちがどんどん地味になっていったように感じたが、今回は若い女優陣に華やいだ雰囲気。それはコスチュームにも現われていて、黒テントには珍しく、肌の露出度の多いオシャレっぽい衣装。 「9・11」の自爆航空機のコックピットに座るイスラム青年とビルの窓を介して対峙するアメリカ女性。2人の対話シーンから派生する、さまざまな「対話」のシーンが即興音楽に乗せてモザイクのように積み重なる。クライマックスに轟音がテントを揺るがせ、強烈な振動が体に伝わる。ただ、本火による「炎上」は不要と思うが。カーテンコールはテントの外に整列した劇団員総出のバンド演奏。 8.55終演。9.30帰宅。 4月23日(水)晴れ時々雨 オフ日。午後、”タマちゃん”見物を兼ね、近所の川までウォーキング。小雨の中、場所が特定できず、帰宅。夕方、音楽ページ更新。昨日買った洗剤でお風呂掃除。驚くほど汚れが落ちる。看板に偽りなし? 忌野清志郎がFM東京で生放送中に歌った「あこがれの北朝鮮」が局側の判断で、1分後にフェードアウト、自主規制したというニュース。「金日成、金正日、キム・ヘギョン、キムと呼べばみんな仲良くなれるよ いつかきっと仲良くなれる」という歌詞。拉致問題以降、日本人全体が「反北感情」に凝り固まって、「物言えば唇寒し秋の暮れ」という息苦しい時代になっている。そんな時代にあえて、「あこがれの北朝鮮」と、反語的に歌い、世界の平和を訴える清志郎の勇気に敬意を表したい。 いまや拉致問題は一部タカ派政治家の思惑とリンクして、北への戦争下準備のプロパガンダと化している。国連への訴え、アメリカへの陳情etc。しかし、かつて朝鮮人虐殺、強制連行など自分が犯した罪で、これほど真剣に日本という国家が動いたことがあるだろうか。水俣、薬害エイズ…公害の被害者にも同じように国家・政治家は力を貸してきただろうか。拉致被害者・家族の思いは当然だが、その裏に見え隠れする国家のきな臭い思惑。反共・超保守団体に利用されている拉致問題はどこかいびつだ。 一方で、自衛隊の勧誘、つまり自衛隊員適齢者の情報収集に住民基本台帳が使われたという信じられない報道。電算化なった基本台帳は一発で適齢者の情報を検索することができる。事前に懸念されていた「徴兵のために住基ネットが使われるのでは」という危惧がズバリ的中してしまったわけだ。 しかも、閲覧が認められている4情報(氏名、住所、生年月日、性別)以外の情報を332の市町村が提供したという驚愕の事実。 その閲覧外情報は「健康状態」「技能免許」職業「世帯主の氏名と本人の続き柄」「電話番号」など。これらを抽出すれば、自衛隊員の募集活動は効率化される。こんな個人情報の流出に歯止めをかけないで、なにが個人情報保護法案だ。メディア規制、ネット規制で言論・表現の自由を抑圧して、一方で、恣意的に個人情報を選別・取得する。恐怖の管理社会が始まろうとしている。 4月22日(火)晴れ 仕事を終えて、PM5、秋葉原経由で信濃町へ。電器街でプリント用光沢紙を買い、電車に乗ろうとしたら駅前で洗剤の実演販売。立て板に水の実演に見入ってしまい、30分間その場に釘付け。大手メーカーの合成洗剤を真っ向唐竹割する気迫に、ついシャンプー、石鹸、練り歯磨きを買い求めてしまう。ヤシ脂を使った自然洗剤なるものが、ホンモノかどうかわからないけど、さすが、実演販売。人にモノを買わせる香具師の巧みさはスゴイ。 6.30、信濃町。いつ来ても、この町は居心地が良くない。巨大宗教団体の城下町。通りを間違えると、屈強な男たちに誰何されそうで、町探検もできやしない。 文学座アトリエで「ホームバディ/カブール」。ピューリッツア賞受賞の「エンジェルス・イン・アメリカ」の作家、トニー・クシュナーの新作。ガイドブッックを携えてタリバン支配下のカブールに旅立った一人の英国人主婦の失踪。探しに来た夫、娘と現地のNGO青年、タリバン指導者などの錯綜した人間模様を通して、家族、国家のディスコミュニケーションと苦悩が描かれる。 演出は松本祐子。一幕目の主婦のモノローグからカブールへの場面転換(原作は3幕構成らしい)、二幕のカブールでの続編まで、俳優の力量に信頼を置いた堂々たる正攻法の演出。小手先の技術に頼らず、俳優の実力をきっちり引き出す演出は風格さえ感じさせる。 引きこもり主婦=吉野佳子のモノローグはさすがにベテラン、内奥の苦悩を見事に表現。松本組の若松泰弘も虚無的なNGO青年を好演。山本深紅、戸井田稔、坂口芳貞、加藤武、林秀樹ほか出演者も絶妙な演技。松本祐子の演出の見事さはそのカンパニーの完璧なまでのアンサンブルに現われている。俳優陣の演技にばらつきがない。一人はみんなのために、みんなは一人のために。新人もベテランもない。やはり松本祐子は只者ではない。一分のスキもない演出に感嘆。 ニューヨークで初演した2カ月後にあの「9・11」が起こったということで、今回の舞台の注目度は高かったが、これをきっかけに松本祐子への期待度が高まればいい。 9.50終演。休憩10分をはさんで3時間10分の大作。 11.15帰宅。 4月21日(月)雨のち晴れ 朝からクシャミ止まらず。ひどすぎる花粉症。 午後、NMさんに電話。I条Sさんとコンタクトをとる。木曜日に会うことに。何年か前に会っているけど、すっかり忘れている様子。 4PM、K記念病院。 7.00帰宅。 アザラシのタマちゃんが近くの川に現われたらしい。汚染度の高い川なのに、どうして迷い込んできたのやら。ただ、ウナギなど、エサは豊富にあるらしい。 夕刊にバグダッド動物園の衰弱したトラの写真。クウェート政府が無償援助したエサが到着するまで生きていられるのか…。やせ細ったトラが哀れ。 「イラク戦争が抑圧された民衆の解放を目的とするというなら、アメリカは次にイスラエルに迫害されているパレスチナ人を助けるのか」と在日バングラデシュ人。アメリカの欺瞞を言い当てている。 電車の中で貰い本、高島俊男「漢字語源の筋違い」をぱらぱらとめくる。週刊誌連載中のものを読む分にには、斜め読みの「教養」として楽しめるけど、1冊の本になったのを通して読むと、なんだかその教養が鼻につく。重箱の隅を突っつくような、年寄りの繰り言。「はいはい、その通りです」と言いたくなってしまうんだな。天邪鬼? 4月20日(日)曇り時々雨 10.30起床。情報では花粉の飛散は少ないというが、朝からクシャミ止まらず。午後、耐え切れずに、クスリを買いに薬局へ。服用後、睡魔に襲われ、夕方まで仮眠。6.30起きて夕食。ほとんど活動なしの一日。 今日4時から予定の日比谷野音のピースライブどうなっただろう。外道、頭脳警察、ソウルフラワーユニオンetc。小雨模様が気になる。 それにしても、昨日の阿佐ヶ谷の一件、これまで見つからなかったアパートが突然現われるとは。ほんとうに夢だったのではと思えてくる。 気がつくと、今日は耳鳴りはほとんどしない。このまま推移してくれれば。 4月19日(土)晴れのち雨 仕事を終えて、2.00、下北沢、ザ・スズナリで流山児★事務所「Sheep fucker’s exit」。名古屋の異才・スエヒロケイスケとこれまた名古屋の天才・天野天街が組んだ狂騒の不条理劇。 公園、ベンチ、砂場、公衆電話ボックス、おまわりさん…まるで別役実の不条理劇を借景にしたように、自己啓発セミナーをめぐる人々の抗争が描かれる。前回公演でも使われた、盗撮マニア3人組の無限の「トライアングル会話」が面白い。 天野らしい映像演出に奇妙な陶酔感。流山児と天野ーー水と油のようでいて、なぜか相性がいい。天野の少年性と流山児の暴力性が不思議な異化効果を生むのか。赤塚不二夫のマンガのつながり目の発砲おまわりさん風で流山児警官も出演。 3.50終演。外に出たが、雨がぱらついてくる。ロビー窓から海津、流山児が顔をのぞかせて手を振ったのでロビーに戻り、流山児、海津、天野氏らとダベる。 「ダンスシーン、周りと合ってませんでしたよ」 笑いながら流山児に言うと、 「自分ではちゃんと合ってるつもりだけどなぁ」 「いや、合ってませんでした」とクールに天野。 海津氏、「青ひげ、あれからまた観客役やったんですか?」「あのとき、隣りに座ってれば、”オオ”ッてのけぞっただろうなぁ」(笑) 後から来たK松氏、 「オレも高校生のとき、1回、舞台に出たことがあるよ。”郵便屋さーん”っていう一言だけのセリフで。でも、好きなことを話せって言われれば、いくらでも話せるけど、決まったセリフを言うのは自分に合わないので、やめちゃったけどね」 「シーザーも舞台でセリフが出てこなくて、役者を諦めたって言ってたような気がするなあ。○○さん、あんな長いセリフがスラスラ出てくるんだからすごいですよ」と海津氏。 ウン? 誉められた? スズナリを出てディスクユニオンに寄り道。渚ようこのCDキャンペーン中。手元不如意なので諦めて駅へ。途中、区議会議員の選挙カー。「後ろに菅直人がおります」とウグイス嬢。選挙カーの後方に続く乗用車が何台か。その周囲は警備の制服警官と私服警察が周囲をうかがってびっしり張り付き。 通り過ぎて駅へ向かうと、辻々に私服が立って目を光らせている。駅前は制服が仁王立ち、通行人に交じって私服が何人もイヤホン挿して監視中。さすがに公党の代表の警護は固い。 5.00。阿佐ヶ谷。まずは「江戸竹」で刺身3点盛り900円。その後、馬橋方面へ歩いてみる。電車から眺めた景色の中で、秀和レジデンスが”消えた”ように見えたので、それを確かめに。高円寺の象徴、秀和レジデンス、拓郎が住んでいたことで有名だが、もう築何十年になるのだろう。建て替えになってもおかしくない。 その前に、自分が住んでいたアパートの周りがどうなったかを見ようと、河北病院を通り過ぎて、五叉路の方へ。銭湯は変わらず。入り口のコインランドリーもそのまま。でも、前に来た時、自分の住んでいたアパートは取り壊され、大きな集合住宅になっていた。行ってもしょうがないんだけどな。 歩いているうちに通りを間違えて、また引き返したりしているうちに(まるで”ゼルダの伝説”の迷いの森)、突然懐かしい光景が目の前に現われる。通りから少し引っ込んだジャリ道。その奥に見覚えのある建物…。 映画などでよくあるシーン。道に迷った旅人が、視界を覆う霧が晴れたとたん、まったく別の世界に踏み込んでいた…というような。 一瞬、信じられなかった。目の前にあったのは私が20数年前に住んでいた古い木造のアパート。当時のまま何も変わっていない。この前来た時に、取り壊されていたと思ったのは勘違いだったのか。まるで夢を見ているよう。 玄関を入ると見覚えのある靴箱と郵便受け。 その郵便受けを見ると、なんとS村さんの名前。学生時代にこのアパートに引っ越した時、なにかと世話を焼いてくれた人。当時は一番狭い3畳一間の部屋でうず高く積まれた本に囲まれて住んでいたS村さん。今もこのアパートに住んでいるとは。玄関脇の4畳半+3畳台所付きの部屋に移ったようだ。そこは私が最後に住んだ部屋。まさにタイムスリップしたような胸のざわめき。 S村さんはたしか私より6〜7歳上。70年安保闘争でN大全共闘の一人としていわゆるN大闘争の渦中に身を置いた。そのときに起こった警官死傷事件の被告として長い裁判を闘っていたのだった。 「○○くん、この本読んだ? 面白いよ」 廊下で出会うと、いつもにこやかな笑顔で話し掛けてきた。 「読んだ?」と言われた本は、小さな出版社から出た歴史と政治・宗教を織り込んだ若手の作家が書いたいわゆるオカルトっぽい本。S村さんの語る「近未来の世界」というのも、どこか、オカルトがかかって、現実感がなかった。政治の季節もとっくに終わり、長い孤独な裁判を通して、S村さんの心はどう推移していったのだろう。S村さんの言葉もどこか現実味がなかった。 その後、私はアパートを移り、S村さんと会うこともなかったが、何年かして一度、行きつけの高円寺の飲み屋でバッタリ会ったことがあった。薄暗い店のカウンターにポツンと座って、お酒をなめていたS村さん。私を見ると、いつもの人なつこい笑顔で「○○くん、元気か?」と笑いかけてきた。あのとき何を話したのだろう。ただ、笑顔のS村さんがやけにうらぶれた孤独な影を引きずっているように見えた。 その時以来、S村さんと会うことはなかった。裁判もどうなったかわからない。一度、新聞記事で弁護士たちと控訴審にのぞむS村さんの写真を見たことがあった。雨の中、傘をさして、正面を見据えているS村さんの顔は、アパートで合う顔と別人のようだった。あの裁判はまだ続いているのだろうか。 部屋のドアをノックしてみたが、不在のようで、応えはなかった。アパートの玄関にあった「○○荘」という表札は外され、そこだけ周りと色が違う。 アパートを振り返ると、そこに20歳の頃の自分がこちらを見て笑っているーーふとそんな幻影が浮かぶ。 「オレって、そんなになっちゃうんだ」 あの頃のオレ。20年、30年先の自分がどうなってるかなんて…知ったら、どう思うんだろう…。 馬橋公園を散策し、高円寺方面へ。秀和レジデンスは周囲をシートで覆われ、外壁修理か塗装改修の工事中。電車からみた景色はこれだったんだ。 阿佐ヶ谷に戻り、商店街を行きつ戻りつ。6.40。ザムザ阿佐谷で勝田演劇事務所「ドラキュラ」。近童弐吉が招待してくれたので、なにわともあれ駆けつける。梁山泊時代からのつきあいで、名前の通り、義理堅い。彼こそマスコミでブレークしてほしい俳優だ。 舞台は勝田安彦氏の好きなゴシックホラー。ただし、演出も古めかしい。特注マントと特注牙で熱演する弐吉ドラキュラ伯爵意外に見るところなし。 8.40終演。面会者でごった返すラピュタ前。弐吉氏に挨拶。居合わせたピンクアメーバ、永元絵里子と立ち話。6月公演に向けて、ワークショップをしているとか。「えろきゅん」の川上史津子と電車で新宿まで一緒。 10.00。途中下車して小料理屋「S」へ。S短大の教授氏、教育関係出版社の編集者ら常連メンバー。すっかりなじみになったので、話もはずむ。 カウンターの端に座っていたガッチリした体格の酔っ払いジイサンは初めて見る顔。S子に聞くと、今日で2回目。大間出身ということ。広い東京、まさか同じ町出身の人がふらりと店に来るとは。ところが、このO坂というジイサン。やたらS子に絡むこと。「あんたは奥戸だろ。大間じゃないよ」(意訳)とグチグチ言ってる。前回はもっとひどかったらしいが、今日は少しはおとなしいのだとか。「殺す」とか「大間の漁師はヤクザより怖い」とか、ブツブツ…。 教授氏も編集長氏もワケがわからないといった顔。言葉が聞き取れないのもそうだが、なんで、同じ町なのに、どうのこうの難くせをつけられるのかがわからないという。 で、解説。 つまり、大間というのは二つの村が合併してできた町。双方の町民は気質も違うし、漁業権をめぐる争いもある。当時から町民同士の諍いが絶えなかった。今では町民同士の交流もあるけど、ある年齢以上の人にとってはいまだ不倶戴天の敵という意識がある云々。 今進められている町村合併でもそんなケースが出てくるに違いない。大間は「昭和の町村大合併」で生まれた町。「平成の大合併」が町民・市民の意識にどう影響するかわからないけど、利害関係で、無理やり合併を進めれば、必ずほころびは出てくる。半世紀以上が過ぎてもなお、合併前の村民同士の意識をそのまま引きずっている世代がいるんだから。 で、その白髪ジイサン、帰る間際に歳を聞いたら、なんと二つ年下。ガクッ。60近い人かと思って、ずいぶん威勢のいいじいさんだと思っていたら。ということは、その世代でも、抜きがたい反目意識があるということか。S子いわく。「やっぱり大間の人は気性や言葉が荒くて怖い」 0.09。直通電車に間に合い、帰宅。 4月18日(金)快晴 Tシャツ・ジージャン。花粉症はおさまった? 午後、仕事を抜けて千石・三百人劇場で昴「オンディーヌを求めて」。かつての劇団研究生が歳月を経て、一人は売れっ子のタレント、一人はニューヨークでグリーンカードも取得して俳優に。彼女たちが外国人演出家の演出する「オンディーヌ」の主演オーディションで鉢合わせする。最終選考に残り、売れっ子のタレントのマンションで結果を待つ2人の過去と現在が交錯する…。 倉本聰の脚本はあまりにもステロタイプ。それに輪をかけて女優二人がステロな演技。ほとんど見るところなし。劇中の「ナスの呪い揚げ」されそう。 携帯での連絡を待つという今風の設定なので、客席でケータイが鳴ったらどうしようと、そっちの方が気になって。幸い、最初のシーンでケータイ音がしただけで、あとは事もなし。劇場に入ってケータイの着信音がしない日はない。もう諦めの心境。 帰り、制作ののA氏から昴40周年の記念冊子をいただく。 帰社して1時間ほど、パソコンに向かった後、家路に。 6.30帰宅。夕食後、いつものように、子供と拳闘ごっこ。グローブをはめていても、さすがに効く…。 10.00就寝。 4月17日(木)快晴 暖かな一日。日本人大リーガーが8人もいると、毎日が試合中継。仕事がたてこんで目の回る忙しさ。 4.30退社。電車の中で、うとうとしていたら、ふと中学時代の同級生の顔が浮かぶ。最初は、誰?と思っていたが、ぼんやりとした顔が次第にはっきりとして、すぐに「ああ、同級生の○○さんだ」と気づく。卒業してもう30年以上は会っていないはず。特に気になっていたこともないので、今まで思い出したこともない。それなのに、突然、前ぶれもなく、顔が浮かぶ。三つ編みをした10代半ばの顔。 どうしたんだろう…。 アメリカ兵をピースサインで迎えるイラクの子供たちの様子が新聞を賑わし始めたが、現地の山本美香氏の見たバグダッドの様子は違う。バンカーバスターで破壊された人家の周囲は今もすさまじいホコリと鼻をつく臭いが立ちこめ、塹壕で米兵を迎え撃つ姿のまま死んだイラク兵がそのままほったらかしにされ、バラバラの遺体が散乱、耐え切れない死臭が町をおおっているという。 一方で、劣化ウラン弾の使用により、従軍した米兵にも将来重大な遺伝子障害が発生すると見られている。がん、白血病、子供への遺伝障害。 ダイオキシンの発生を防ぐため、分別ゴミにしていることを考えれば、戦争の爆弾と火災で発生したダイオキシンの量たるや想像を絶するのでは。環境破壊の最たるものが戦争。 米女性兵士、ジェシカ・リンチの救出劇はやっぱり茶番だったようだ。米紙で医師が証言している。イラク兵による暴行もウソ、体の傷も、戦闘で受けた傷ではなく、転んでできた打ち身程度とか。 これから、このような戦時中のウソ、デマがどんどん明るみに出てくるのだろう。 それにしても、イラクでも使われた”第二の対人地雷兵器”クラスター爆弾を航空自衛隊が16年間にわたって148億円分購入、昨年配備を終えていたという報道には驚いた。 親爆弾から200個以上の子爆弾が飛び出し、半径200〜400メートルに飛散する。爆発しなかった不発弾は地雷となる、まさに非人道的兵器を自衛隊が配備していたとは。予算書に「弾薬」としか表記せず、クラスター爆弾と明示していないのは、やはり後ろめたいからなのだろう。しかも、防衛庁長官が「知らなかった」とは。文民の目をごまかして軍人たちが兵器を買い漁る…。恐ろしい話。 10.00就寝。 4月16日(水)晴れ 9.30起床。午後、冬物をしまいに貸し倉庫へ。帰りにナマのホヤとホタルイカ、メジマグロの刺身、サラダコンブを買ってきて、夕食前にビール。ウーム、なんだか休みの日はあまり変わり映えしない一日。 保守新党の松浪健四郎代議士がヤクザに私設秘書の給与275万円を肩代わりさせていた事件。発覚した当初は「議員辞職しなきゃならないだろう…」と言ってたが、一夜明けたら「辞職の必要はない」と居直り。「議員活動を続けることで支持者への反省としたい」という政治家特有の奇妙な論理。手配中のヤクザに会って、頼まれて捜査状況を照会する。これだけでも辞職に値するだろうに、党も処分なし。小泉首相も「反省すればいい」。これが社民のような弱小野党だったら鬼の首を取ったように、非難ゴウゴウ雨あられの攻撃をするだろうに。 松浪という代議士も石原慎太郎と同じマッチョ系。野党席にコップで水かけるのが男らしい行動だと思ってるようなヤツ。こんな輩に限って、最初はシュンとして、次の瞬間居直って居丈高になる。 ジャーナリストの斉藤貴男氏が「弱者差別の安物ヒトラーが石原慎太郎の本質だ」と前置きして、こう言っていた。 「1977年に石原が環境庁長官時代、水俣病患者たちに面会を求められた際、会いたくないものだから、逃げ出して皇太子御用達のテニスコートでテニスをしていた事件があった。その逃亡劇の時、追いすがって同じエレベーターに乗り込むことができた患者の支援者が、”不自由な体でやってきた患者さんにどうして会おうとしないのか”と怒鳴りつけると、石原はSPたちに囲まれながら、顔面蒼白になってエレベーターの壁に向いてしまった。なんて気の弱い、肝っ玉の小さい人間なんだろう、そう支援者は思ったという。石原の本質がわかろうというもの」。 マッチョイズム=男らしさの正体なんて一皮むけば、こんなもの。松浪代議士も似たようなものだろう。 見かけの男らしさを売り物にする輩より、長野の田中康夫知事のように、表面は軟派で軟弱な”男のおばさん”に見えながら、国や地方政界の強面たちと堂々と渡り合う、それも粘り強く、長期的に。そのほうがよほど男らしい。もっとも、男らしい、女らしいという言葉はそれだけで性差別を助長しているか…。それなら、松浪、石原は女…、いや、人間の腐ったヤツ…!? ど忘れしたが、最近どこかで、こんな話を聴いた。「1972年、ベトナム戦争当時、日本で修理し、ベトナムへ向けて再輸送される米軍戦車を相模原市民が100日間にわたって立ち往生させた事件があった。巨大な戦車を前に、素手の市民が立ちふさがり、これを阻止したのだ。結果的にはその闘いは敗北したが、だからといって、それは意味のない行動だったろうか。後年の述懐で、ベ平連の小田実氏らが、ベトナムの地で、市民たちの戦車阻止の闘いをラジオで聞き、それをベトナムの人たちに話すと、彼らはうれし泣きをし、奮い立ったという。日本でも自分たちのために闘っている人たちがいる、と」 目指した結果が出なくても、それはそれでいいのだ。それはカオス論のバタフライ効果のように、いつかは大きなサイクロンになるかもしれないのだから。 「バタフライ効果」というのは、アメリカNITの気象学者・ローレンツが1972年12月に行った講演で、「予測可能性:ブラジルのチョウの羽ばたきがテキサスにトルネードを起こすだろうか?」と言ったことに由来する。 物理・数学の分野では「カオス論」として有名らしい。蝶の羽ばたきが起こす小さな風が次々と波及していき、やがてはるか彼方にある別の場所での大きな台風になりうるという話。 日本のことわざの「風が吹けば桶屋が儲かる」の類ではなく、きちんとした数理論で、初期値の設定の些細な違いが、結果として大きく影響してしまうので、まったく予測できない結果を生んでしまうことをいうとか。 難しい数式はわからないが、要は「蝶の羽ばたきが台風を起こす可能性がある」ということ。 ベトナム戦争時の市民たちの戦車阻止行動も、目に見えない風となってベトナムの国民に伝わった。 イラク戦争反対の日本人のデモも数としては微々たるものかもしれないが、きっと地球の裏側にまで届いているに違いない。 蝶の羽ばたきがいつか大きな台風になるように、一人ひとりの行動が、いつか大きなうねりとなる日がやってこないとは誰も言えない。そして、それは、時代を超えて伝わるのかもしれない。 赤ん坊連れで参加したお母さんもいたが、その赤ん坊が見た風景としていつまでも記憶されるかもしれない。小さな子供の見たデモの意味が大きくなってからわかるかもしれない。その子供たちの中から、もしかしたら次世代のリ−ダーが生まれるかもしれない。 羽を動かさない蝶からは台風は起こらないけど、羽ばたく蝶からは台風が起こるかもしれないのだ。あたかも、影丸という名の不特定多数の忍者による時代を超えた永久革命を描いた白土三平「忍者武芸帳」のように。…なんて、単なるロマンチシズムと言われようと、こんな時代に必要なのはロマンなんじゃ、と思うぞ。 4月15日(火)雨 松井特大2号3ランの余波で午後まで急展開の忙しさ。 昨夜の寝不足がたたり、夕方、頭朦朧。3.30〜4.30仮眠。 7.00、代々木・特設テントで「キダム」。オープニング、女の子の不安な心象風景から立ち上がる、異形の人群れの登場シーンはまるで天井桟敷の後期のシュールレアリズム劇とそっくり。特設テントという巨大な舞台も天井桟敷が末期に行った広大な晴海国際見本市会場を思い出させる。寺山修司の舞台といえば、今では初期・中期のセリフ劇しか取り上げられないので、「奴婢訓」など、後期の洗練された完璧ともいえるシュールレアリズム演劇を経験していない人がほとんどだと思うからあえて言うけど、「キダム」は天井桟敷だ。 サーカス好きの寺山修司が生きていたら、こういうシュールなサーカスを演出しただろう、と冒頭のっけから「キダム」に寺山の幻影を見てしまう。 もちろん、中身は極限まで鍛え上げ、練られた身体が奏でる多彩なメロディーであり、一つひとつの芸はまさに世界一の至宝。どれもが人間技じゃない。ひとつのミスも許されないコンビネーション技の連続。”回転鼓?”を操る少女たちは妙技というよりも神技だ。多人数・変幻縄跳びもそう。中でも、一見地味に見えながら、難易度特Aランクは二人の男女のシーン。道具を使わない、肉体だけで極限のパフォーマンスを見せる。こんな神技を見ると、映画の特撮など子供だましに見えてくる。やっぱり人間の生身の肉体にかなうものはない。 10.00終演。小雨降る中、駅まで急ぐ。周りのカップルから聞こえてくるのは今見たキダムを語る熱っぽい会話。地下鉄経由で帰宅。 11.00帰宅。 4月14日(月)晴れ Tシャツで出勤。ただ、きのうに比べてやや肌寒い一日。 花粉症ひどく、鼻炎用錠剤で急場をしのぐ。 午後、T取氏から電話。5月公演の件。すぐ後でPt氏から電話。20日のピースコンサートの件。 都知事選は石原慎太郎の圧勝。300万票とは……。有力な対抗馬がいないということもあるだろうが、取り過ぎ。71年の美濃部氏の316万票に届かなかったことがせめてもの救い。 しかし、このマッチョ男がこれほど人気があるとは、都民の意識もようわからん。 「国と対決」なんていう勇ましい発言や裕次郎イメージがダブッているんだろうなぁ。この人ほど徹底的な差別主義者で、傲慢な男はいないと思うのだけど。作られたイメージというのは恐ろしい。 その勇ましさなんて、お坊ちゃん気質の勇ましさでしかない。だいたい、この手の勇ましく見える人間ほど、危難が振りかかったとき、真っ先に逃げ出すタイプが多いというのは歴史が証明している。 ソ連参戦で、満州から真っ先に逃げ出したのは勇猛果敢で知られた精鋭・関東軍ではなかったか。開拓民である老人・女性・子供を置き去りにして、自分の家族と自分たちが真っ先に逃げ出し、残された開拓民は犯され、殺され、生き残って中国人に引き取られた子供は残留孤児となった。勇猛果敢を喧伝する連中こそ臆病で卑怯者だということがハッキリしている。 石原慎太郎もその連中と同じ手合い。掛け声だけは勇ましく、その実体は低所得者、障害者、老人に対する福祉を削り、バブリーなカジノ構想をすること。老人・女・子供を真っ先に切り捨てるのは関東軍と同じ。300万票を入れた都民が後で泣きを見ても自己責任だ。 石原が初出馬した75年の都知事選を思い出す。美濃部都知事が3選に出る出ないで大モメにモメた。都民の声に押されて、優柔不断な美濃部氏は結局、翻意し、美濃部氏は石原に30万票差で勝った。あの時に記者会見に現れた石原のひきつった顔。あの屈辱が、石原の「後出しジャンケン」多用というトラウマになって残っているんだろうな。ことあるごとに、美濃部憎しを公言するかわいそうな男。 タワーレコードでドーリスの新譜「マーブルの月」と「A.S.P」を。ASPはエゴ・ラッピン風。大阪のラテン・ジャズユニット。 7.00、渋谷、シネライズで「歓楽通り」。娼館で生まれ、娼婦たちの世話をする男、プチ・ルイが心から愛した一人の娼婦。彼女とその恋人との奇妙な三角関係を描くフランス映画。オトナのファンタジー? 9.00、ルノアールでPtさん、T取氏、N崎さんとお茶。その後、パルコ劇場の楽屋へ。いつもより10分以上終演が遅れたようで、面会人でごった返している。宮藤官九郎、片桐はいりの顔。河原氏が東急ハンズマークの大きな包みを持っているので何かと思ったら、「今日、劇場の人から、前から欲しかったダーツをもらったんですよ」とか。 P氏は妹の洋子とは親しいが、姉の荻野目慶子さんと初体面という。T氏、「きょう”人間・失格”見ましたよ」に、荻野目、ずっこける仕草。KK映像のK鬼氏と一緒にいた若い女性がPt氏に「久しぶりでーす」と話し掛ける。なんでも、ロッキード・児玉邸事件の故M野氏の娘ということ。当時赤ん坊だっただろう。あの事件から30年近い。驚き…。 流山児氏らといつもの「和民」に移動。あとからタリさん、シーザーら。11.30までワイワイ。帰り、Pt、N崎さんと池袋まで一緒。その後、なんとか終電にセーフ。午前1時帰宅。睡眠時間3時間か。明日の仕事はちょっとキツイ。 4月13日(日)快晴 5.30起床。あまりにも早く寝たので、目覚めも早い。起きて、昨日の日記を書いているうちに、9.30。「鉄腕アトム」放送時間。オープニング、エンディングの今風の主題歌、音楽に唖然。両腕を広げて飛ぶアトムの姿に呆然。デーモニッシュな生みの親・天馬博士との葛藤から成長していくという物語構成の”裏返し”の単純さに愕然。なによりも、背景や相手ロボットの造形が手塚治虫的でない。ガンダムの類のキャラクターは見たくもない。これでいいのか、手塚フォロワーズたち。いっそのことアトムという冠を使わず、別の物語にしてほしかった。こんなのはアトムではない。寛容な泉下の手塚治虫は許しても、アトムの子供たちは許さない。コマーシャリズムに毒された資本の操り人形と化したアトムはいらない。「あんなものを放送するくらいなら、旧作を放送して欲しい。サンダーバードのように」とある評論家が言っていたが、その意見に同調したい。 ネットで注文した天本英世著「日本人への遺書」届く。 「このような国で正常な神経を保って生きようとするなら非国民として生きるしかない」 「国家という抽象的なものを愛して、愛国者たちが愛国団体を作る、それは現実離れしたものになる。私は日本の愛国者が大嫌いである」 20年程前に君が代をジャズふうにアレンジして右翼の攻撃を受けた北九州・若松高校は天本氏の母校だという。母校に呼ばれて講演した天本氏「君たち、決して君が代は歌うなよ。あれは忌まわしい歌なのだ」 痛快な天本節がさえるまさに日本人への「遺書」。 午後、子供と原っぱへ。ブルドーザーが掘り返した土の山に登ったり、雨で出来た川で石投げ。「できないよ」といいながら、見よう見真似でやってるうちに石で水切りが出来るようになった息子。ガキ大将がいなくなった現代の子供社会では親が子供のガキ大将にならないといけないようだ。 夜、生ホヤとみがきニシンでビールを。 森岡純のソロ・ユニット「リトルバイキング」の「Sthlm(ストックホルム)」を聴く。伸びやかで、キュートなボーカル、かなり好き。 4月12日(土)曇り時々雨 ダイヤが改正になり、2分早くなって6.00の直通電車で会社へ。 仕事順調、お昼は中華屋さんでカントン麺850円。 2.00、世田谷パブリックシアターで「蓮以子、93になった」。蓮以子とは女優の北林谷栄さんの本名。もうじき満92歳を迎える北林さんが女優としての半生を語るという催し。劇団民藝の米倉斉加年氏が進行を担当する。 キャパ700人のパブリックシアターにも関わらず立見も出るほどの賑わい。中高年から高齢者が大半。 舞台の中央左寄りには巨大なスクリーンが吊るされ、そこに北林さんの幼少の時の写真や宇野重吉氏らとの舞台写真が投影される。上手にソファ。その後方、左右に実際に北林さんが使った舞台衣装が何十着か吊り下げられている。 開演すると、舞台中央に照明で花道が作られ、後方幕の間から北林さんが登場、杖をつきながらゆっくりと歩いてくる。「93になって初めてバージンロードを歩いてみました」と観客を笑わせる。高齢にもかかわらず、かくしゃくとした物腰、声の張り。さすがに現役の女優。 すっくと立った北林さんの笑顔にかぶさるように、BGM。大工哲弘の「インターナショナル」だ。沖縄出身のシンガーソングライターで、北林さんのお気に入りは、この「インター」。沖縄の三線ではなく、普通の三味線を使って、ジンタのメロディーのように、軽やかにインターをアレンジした歌。 「カタっくるしいのは嫌いなのよ。楽しいでしょう、この歌。このCDが欲しくて、あちこち探してようやく手に入れたの。私の宝」。 一貫して、権威や権力、硬直したものの見方に抵抗してきた北林さんならではの選曲。 第一部では、生まれ育った銀座のこと、幼稚園時代のことなどを楽しそうに話す。 「当時の銀座は赤レンガが敷き詰められ、柳の木が数メートル置きに植えられ、その柳の前をツバメがすーっと行き交うの。赤レンガを歩く人たちの靴や履物はきれいに磨かれていて、そりゃあ美しい風景だった。東京は今みたいな汚い町じゃなかったもの」 「幼稚園に遅れていくと、いつも「アン(安藤=旧姓)ちゃん、こっへおいで」と手招きして、自分の隣りの席に10センチくらいの隙間を空けて待っていたアゴのしゃくれた男の子がいたの。10センチだからいくら子供でも座れそうもないんだけど、子供心にも義理で座らなきゃという気持ちがあって、いやだなぁっていつも思ってた」 その男の子が後に俳優の信欣三氏だとわかったというエピソードなどを楽しそうに話す。もちろん、高齢ゆえ、ゆっくり、思い出し思い出し、といった話し方。 スライドに写る幼少期の北林さんの写真のモダンなこと。1910年代に日本でこんなオシャレな洋装ができたのは相当なお金持ちだったろう。椅子の前で体を斜めにしてまるでモデルのように写っている男性はサンフランシスコに留学中の父親。慶応ボーイで、さらにアメリカ留学したというのだから、たいへんなブルジョワ。実家は銀座の洋酒問屋というが、当時の羽振りのよさがわかる。 そのブルジョワの娘が女優を志し、底辺の民衆のために生涯を捧げるというのだから、まさにロシア文学の世界。 畑のかかしの着ていた襦袢を舞台衣装にするため、畑の持ち主に頼みに行って、虚々実々の交渉をするエピソード、女優になりたくてある劇団(新協劇団)に申し込んだら、しばらくして、半紙にびっしり、几帳面な文字で受験問題を書いたのが届いた。でも、「戯曲の作者は誰」とか「劇作家の作品はほかに何があるか」なという問題を読んだら、「調べれば誰でもわかることを受験の問題にするなんて、冗談じゃない。だれがこんな劇団に入るもんかい」と腹が立って、その回答用紙をビリビリに引き裂いてしまった、という。 怒りの感情を表現するときに、江戸っ子のべらんめえ口調になるのが面白い。 その後、その劇団から分派した創作座に誘われて、しばらく稽古場に通っていたが、ある日、当時珍しかったホットドッグを買ってきた人がいて、誰かが「ホットドッグ」って何なの? と声をあげたら、その座の名女優といわれる人が「熱い犬のことざんしょ」ーー。その時の女優の声がイヤで、すぐに退団届を出したという北林さん。「そろそろ休憩に…」と促す米倉氏に「もうちょっと」と待ったをかけて、上記のエピソ−ドをひとくさり。「宇野重吉との出会いを語る」前で一部終了。 15分休憩の後は第二部。時間の都合で、創作座から新協劇団への移行の話はカット。二部は予定通りの進行らしい。 一部での笑い話から一転して、「これだけはちゃんと言っておきたい」と前振りして、自分が体験した3つのエピソ−ドを話す。 1つは、子供の頃、火事で”尊い方”の写真(天皇の御真影)が焼失してしまい、その責任をとって首吊り自殺した小学校校長の事件を聞いたときの大人社会への違和感。 「その校長が住んでいたのは確か飛鳥山のあたりだそうです。学校があったのは上野の方。出火の原因もわからず、校長には何の責任もない。ましてや夜中に飛鳥山から駆けつけることなんてできない。それなのに、写真一枚が燃えてなくなったからといって首を吊ることはないんじゃないか。子供心にそう思って大人に話したら”物言えば唇寒し秋の風って言ってな、そういうことは言っちゃいけないよ。必ず自分に悪いことが降りかかるから”と大人に諌められた。でも、自分が火をつけたわけでもない、写真が燃えただけで、何の責任もない校長が自殺するのは理不尽だと思いました」 御真影焼失事件といえば、1898年に作家・久米正雄の父親が割腹自殺を遂げた長野の小学校での事件が有名。おそらく史実に残らないだけで、同じような事件はいくつもあったのだろう。 2つ目は1923年の関東大震災の時の体験。12歳の北林さんは猛火に追われ、銀座から築地川の方へと避難したが、大火が迫り、逃げ場を失った人々は浜離宮の方へと押し寄せた。緑におおわれた離宮には巨大な門があり、そこを通らなければ中に入れない。もちろん、勝手に門をくぐることなど許されない。 その時、一人の若い警官が靴のまま門をよじ登り、内側から閂を開けてくれた。数千人の避難民は庭園の中になだれ込み、難を逃れた。 しかし、その翌日、門をあけてくれた警官がどこかに連れていかれたといううわさが流れた。”尊いお方”の所有地の門を土足で上り、勝手に開けたという大罪で厳しく取り調べられているという。 「その後、その警官がどうなったかはわかりません、でも、数千人の命を救った警官が門を土足でよじ登ったことで問題にされるのはやはり子供心に違和感を持ちましたね」 その3は、同じく関東大震災で目撃した朝鮮人虐殺の現場。 「在日朝鮮人たちが震災のどさくさに乗じて、井戸に毒を入れて回っているというウワサが流れたため、各地で何千人もの朝鮮の人たちが自警団につかまって殺された。でも、これは内務省の計画的なデマゴギーでした。軍と警察がデマを流して朝鮮人を撲殺したり、竹槍で刺して殺したんです。私が見た死体は裸に印半天をつけた男の朝鮮人の死体。腹から臓物が飛び出していた。夏だからでしょう、真っ黒に蝿がたかっていて…」 「後になって調べたら、デマを流したのも全部、内務省の指示だったというのです。証拠が残っていますから、ウソだとお思いの方は、調べてください」 「93年生きてきて、私が最後に言っておきたいのは、この3つのことだけ」 そう言って、立ち上がり、米倉氏に支えられながら、舞台袖に歩いていく北林さんに大きな拍手が送られる。 カーテンコールは「ジンターナショナル」をBGMに中央の”バージンロード”を後方に去っていく北林さんの姿で幕。 正直言うと、北林谷栄は大好きな女優の一人ではあったが、93歳? もうボケがきているんじゃないか、くらいにしか思っていなかったのだが、記憶は鮮明、語りは平明、時々出るべらんめぇ口調は鮮やかだし、反骨精神はいささかも衰えていないし、なによりも、今も”理想”を持っているということに感心した。 それも、しゃちほこばった理想主義ではなく、「ジンターナショナル」を愛するような飄々とした、明るい理想主義。それはたぶん、成長するにつれ、消えてしまう子供の頃に感じた社会やオトナへの疑問や違和感を、今も失っていないからなのだろう。 「なぜ、オトナは物言えば唇寒し…と口を閉ざしてしまうのか」−−93歳の北林谷栄さんは今もそう思っているに違いない。老成・達観したそのへんの若者より、北林さんの方が、はるかに青春を楽しんでいるのだと思う。 いいステージを見せてもらった。 ふと、十数年前、武道館で行われた作家・住井すゑさんの90歳記念講演を思い出す。 武道館を埋め尽くした満員の聴衆を前に、おだやかな笑顔で「橋のない川」の背景である被差別部落のことを語っていた住井すゑさん。その中で「差別される者がいるということは、その対極に尊い方がいるということ。それこそが差別構造です。ここから近いあの皇居というところに住んでいるあの人たちこそが差別を生み出している人たちなんですね」 淡々と語る住井さん。 住井すゑさんといい、北林谷栄さんといい、90歳を過ぎてなお、”尊いお方”を指弾する強烈な反骨の意思を持ち続けていた。若い頃には変革だ革命だなんだと叫びながら30過ぎたら世の中にへつらって賢いオトナになるのが世の習いなのに、衰えないこの反逆の精神。ーー今日は北林谷栄にちょっと感服。 4時終演。M新聞のT氏が「ビールでも飲んでいきませんか」というので、喫茶店で軽く1杯…のつもりが、話が弾んで、ついつい2人で6本も空けてしまった。北林さんの自宅に伺ったことのあるT氏。「あちこちに盆栽や植木鉢があって、本棚にはいろんな本がズラッと並んでいて、まるでお化け屋敷でしたよ」 そういえば、今日の話の中でも、「近所の子供に、”お化け”と指差されて傷ついた。93歳ってそんな年なんですよ」 「植木を頼んでいるのが桃太郎という店で、ある日、その植木屋さんが忘れ物をしたので、外に出て”ももたろーさーん”って叫んだら、そばを歩いていた女子高生が怪訝な顔をして逃げていった。私が桃太郎の幻と話をしてると思ったんでしょうかね」と笑わせていたが、実際、北林さんの家は近所の子供の間では”化け物屋敷”で通っていたりして…。 6時、社に戻って月曜掲載のコラムを書かなくてはいけないというTさんと半蔵門線に。Tさんは途中下車。東武線と相互乗り入れになったので、そのまま最寄り駅まで直行。ずいぶん便利になった。駅を下りて、博多オフのKさんに電話。6時半から始まって、ずいぶん盛り上がっているようだ。 帰宅して夕食。すきっ腹に飲んだビールのせいで眠いこと。8時過ぎには布団の中。土曜の夜、こんなに早く寝たのは初めてか。 4月11日(金)晴れ 今日からジージャンでOK。 2・20、K記念病院で鍼。4.00会社に戻り、雑事。イラクでは依然、散発的な戦闘が続いており、自爆攻撃もあった模様。 緒戦でイラク軍の捕虜となり、奇跡の救出作戦で一躍有名になった19歳の女性兵士ジェシカ・リンチが映画化されるとか。彼女のホームページにはアクセスが殺到しているというが、あまりにも出来すぎたストーリーに疑問の声も出始めた。 不自然さの一つは、行方不明になった直後に「父親の要望」で彼女のプロフィール写真が世界中に唐突に配信されたこと。しかも、彼女が収容されたという病院の場所が米軍に即座に探知されたこと。彼女と同じ部隊にいた黒人やインディアン兵士が死亡しているのに、なぜ彼女だけが死なずに済んだのか、ということ。さらに、彼女のホームページは開戦3日前に、海軍を顧客に持つ広告代理店によって登録されていたことなど、奇妙な符合が重なった。米英軍の士気を鼓舞するために「仕組まれた」可能性もある。 その一方で、ジェシカと同部隊にいた女性兵士がイラク兵に急襲され、「アメリカ戦争史上初の女性戦死者」になったというのに、ほとんど黙殺されているという不思議。 彼女の名前はロリー・ピエステワ。4歳と3歳の子供がいる23歳の離婚ママ。なぜ、彼女が不当な扱いを受けているか、その理由は彼女がアメリカ先住民族の”インディアン”ホピ族だからにほかならない。グランドキャニオンにある人口8000人の先住民族居留地で行われた彼女の葬儀には5000人以上のホピ族、ナバ族が集まったという。 「なぜブロンドの白人が生還して英雄になり、戦死した有色人種の先住民族の扱いが小さいのか」 多くの参列者から不満の声があがった。 ラジオで呼びかけても、彼女の遺児のための育英資金の集まりはよくないという。 これで名誉の女性戦死第一号が白人なら国をあげて大騒ぎしただろうに、ここでも差別の構造がある。日本軍のために戦った朝鮮人軍属の戦後補償差別と根っこは同じだろう。 7.00、千石、三百人劇場で劇団昴・女性演出家連続公演のひとつ「花嫁付き添い人の秘密」。ワイド劇場のタイトルみたいで、古臭いミステリー劇かと思いきや、オーストラリアの女性劇作家が書いた、コメディータッチの現代劇。 結婚式の前日、花嫁の付き添い人に選ばれた友人が、花婿が浮気をしていることを聞きつけ、それを花嫁に打ち明けようとするが…という、よくあるお話なのだが、テンポのいい展開と、気の利いたセリフ、なによりも出演者たちの演技が清新。女性同士の友情を絡めながら、見事なコメディーに仕上げている。 翻訳と演出を兼ねる三輪えり花の手腕とセンスに驚く。女性にしかわからないであろう、細かな心理描写がリアルに伝わってくる。主人公・メグ役の林佳代子は声の質と演技の質が戸田恵子とそっくり。こなれた演技に好感。ほとんど期待していなかった舞台だが、2時間50分まったく飽きさせず。特に二幕目は三谷幸喜も裸足で逃げ出す面白さ。ホテルの部屋の上に巨大なブーケが吊られ、花嫁衣裳なども超豪華。女性演出家連続公演というからおカネをかけず簡素にやるのかと思っていたが、セットはぜいをつくしているし、役者もヤル気まんまん。久しぶりに「いい」舞台を見た。満足度90%。 11.00帰宅。途中、一駅先の駅で降りてローソンに寄るも、アトムのCDーROM入りお茶は置いてなかった。残念。 4月10日(木)快晴 フセイン政権崩壊ーー。2時過ぎまで息もつけない忙しさ。 3.00、「R+1」の中村氏来社。次回公演の件。 3.30、I田信之氏から留守電が入っていたので、折り返し電話。奥さんが出て、「主人、携帯を忘れていったんです。来週、ドームで巨人戦見ませんかっていうお誘いの電話だと思います」。ウワッ、またその日は予定が入ってる。せっかくの誘いなのに。何度も断って申し訳ない。なんという不義理男なんだ、オレは。 アメリカがなぜ、各国報道陣が滞在するパレスチナホテルを砲撃したのかについて、こんな推論がある。9日夕方、フセインの銅像を引き倒す瞬間の映像が全世界に流れたが、その銅像引き倒しのための「露払い」だというのだ。 銅像はホテルの目の前の広場に立っている。銅像引き倒しをラムズフェルドが「ベルリンの壁崩壊」にたとえたように、「米国の正義」を宣伝するには絶好の目標。銅像引き倒しに歓喜する市民の姿を発信すれば世界中の人は悪政を倒したアメリカ、それを迎えるイラク市民、という構図を印象付けられる。 そのためには、ホテル前の広場は完全に制圧しなければならなかった。そのため、取材陣がいるにもかかわらず、ホテルを攻撃したというのだ。 なんという悪鬼の所業。 現場に居合わせた日本人ジャーナリスト・山本美香さんは、「それまで静かに米軍を迎えていたホテル従業員たちの前に、突然100人ほどの市民が現れ、銅像を取り囲んだ。歓声をあげる”市民”たちには米兵が黄色いパッケージに入った食糧を配った。その周りを取り囲む人たちは涙を浮かべ、”自分たちの国がなくなったのに、何がうれしいのか”と口々につぶやいていた」 とリポートしている。 このリポートからわかるように、フセイン銅像引き倒しは明らかに、アメリカの演出による情報操作だ。自分たちが市民を解放したのだということを世界に印象付けるための。その演出の犠牲になったのがウクライナ出身の35歳のフリーカメラマン、タラス氏。武器を持たないジャーナリストを狙い撃ちしたアメリカ。戦争犯罪者の資格は十分すぎるほどある。 そもそも、国連査察でミサイルを取り上げた上での攻撃。化学兵器を使えば世界はイラクを非難する。どうやったところでイラクにとっては勝ち目のない戦争だったのだ。 イラク国連大使が「ゲームは終わった。あとは平和になるのを望む」と言ったが、ゲームで殺された何万もの人の命は浮かばれない。 北朝鮮中央通信が「イラク戦争を機に、共和国に対する戦争熱にうかされている日本は我々の打撃圏内にあることを直視し、軽挙盲動してはならない」と論評。米国が中東の「悪の枢軸」を叩いた後はアジアの「悪の枢軸」に向かうのは遠い将来ではないかもしれない。そのときのために今から戦争のための下準備=有事法制成立に余念がない日本。北朝鮮に警告されても仕方ない。 この頃、退社時間が来ても日が高いのでなんだか帰りづらい雰囲気。明るいうちに会社を出ると、後ろめたい気分になるのはいかにも会社中心の日本人発想。 5.30帰宅。子供とキャッチボール。 4月9日(水)快晴 9時起床。娘は高校初登校。午後、短時間授業で早めに帰宅した息子と自転車で原っぱへ。しかし、雑草が生い茂り、背の低い樹が何本も生えていた原っぱはすっかり更地になり、ジャリが敷かれ、樹木は幹だけを残し丸坊主。 夏に蛇を追いかけて、その蛇がてっぺんに絡みついた樹は子供の背丈ほどの高さに切られている。引っ越した当時はまだあちこちに原っぱがあったのに、次々と住宅地になり、もう駅の近くには自然のままの土地は残り少ない。バッタやヘビやトカゲの棲む空き地がどんどん消えていく。 子供が大きくなる頃にはこのへんの景色も様変わりするのだろう。ヘビを追いかけ、トカゲを探したという思い出だけが残る。 傲慢な米国のミサイル攻撃で、中東のテレビ局アルジャジーラの支局が被弾、記者1人が死亡した。アメリカに偏向しないアルジャジーラの報道姿勢をアメリカが以前から苦々しく思っていたのは確かだ。狙い撃ちとしかいいようがない。事前に支局の詳細な位置を米軍に通知してあったにも関わらず、そこが狙い打ちされたということは、アメリカの確信的な戦争犯罪にほかならない。 多くの海外報道陣が宿泊しているパレスチナホテルも砲撃され、ロイター通信の記者が重傷を負い、フリーカメラマンが死亡した。一緒にいた日本人記者は、窓のそばのカメラの脚立の下で内臓をはみ出させ倒れているカメラマンに毛布をかけて1階まで運んだ。しかし、彼は1時間後に死亡したという。彼には娘が1人いる。 米側は銃撃されたから応戦したというが、カメラと銃を間違えるバカな兵隊がどこにいる。戦争の真実を報道しようとするジャーナリストを威嚇しようという狙いは明らか。 ピースサインをした女の子が微笑んでいる新作映画のポスターをその「ピースサイン」が反戦という政治的なメッセージになるからと、ピースサインを消したポスターに差し替えた事件が最近あったが、明らかに今のアメリカは狂っている。アルジャジーラはバグダッドから記者を撤退させると発表。これこそがアメリカの狙い。あとはアメリカの御用報道機関が自国に都合のいい報道ばかりを選別する。 これほどアメリカがひどい国だとは。最低最悪な国アメリカ。それに輪をかけて、有事法案をゴリ押し、個人情報保護法案を強行可決しようとしている日本の与党、修正案というわけのわからん対案で自分の首を締める野党も最悪。もうこの国も開戦前夜へ一直線…。なんと息苦しい21世紀! 4月8日(火)晴れのち雨 正午、仕事の途中で会社を抜け、高校の入学式へ。片道1時間ちょっと。駅からタクシー。1.35着。すでに会場の体育館では式典が始まっている。担当の教師に誘導され、最後列に椅子に座る。中学の卒業式と違って簡素な式次第。「君が代」斉唱では、演奏の音だけが鳴り響き、歌声はほとんどといっていいくらい聴こえない。周囲を見回しても口を動かしている父兄は数えるほど。積極的に歌わないのか、単に声を出したくないだけなのかわからないけど。 PTA代表挨拶。丸いタンク型体型。やたらと攻撃的で直情型のお父さん。「頑張って勉強、部活動せよ」と新入生たちを叱りつけ、返す刀で先生たちに「しっかり生徒を指導するように」と、なんだかエラソー。笑いを取ろうとするも誤爆。 式典の後は各担当教師からガイダンス。3.10終了。役員決めのために教室に移動も、タイムリミットなので会社に引き上げる。 5.00。帰社。仕事は片付いているので一応、顔見世のため。 夕食を済ませ、渋谷へ。ざんざん降りの雨。5.45。パルコ劇場裏口のエレベーターから9階へ。 エレベーターが開くと、ささめ氏の顔。「この前はどうも」と彼。もしかしたら今日のことは知らなかったりして…。 廊下には三上博史がメイクしたまま立っていて、にこやかに談笑中。楽屋に閉じこもっているのが嫌いらしく、いつも舞台袖あたりにいて、誰かと話している方が多いみたい。共演者・スタッフとの交流を心がける三上博史、エライ。挨拶して舞台袖から客席へ。 シーザーが後方の席に座っている。「きょうやってくれるんですって」とシーザー。パルコ劇場の後方椅子席から舞台を見下ろすとガランとした客席はやたら広く感じる。ホントに”やるのか”と一瞬、自分の場違いさにブルってしまう。内心の動揺とは裏腹に、作り笑顔でセリフをつぶやいてみせる。 そこに根本氏が少女役の藤岡杏をともなって登場。「一回、きっかけのとこ練習してみましょうか」。 もう後には引けない。指定のC13番席に座り舞台を見上げる。 舞台の杏が少女の台詞を言う。 「…どなたかおしえて下さい。奪われたユディットの台本に何と書いてあったのか、を」 観客の1人、立ち上がる。そしていきなり台詞を言う。 観客 「おお、それなら、そのきたない方を捨てて、残ったきれいなほうで清く生きてください。たとえ操はなくとも、あるように、おふるまいになることです」 少女 「え? 何ですか?」 観客「(ますます朗々と)今宵一夜をおつつしみなさい。あすの夜はもっと楽になる。その次はさらにたやすく、こうして習いは性となり、人は知らぬまに悪魔を手なずけられもしようし、追い出してしまうことも出来る」 この1カ月、ひそかに自主稽古して、完璧に頭に入っているはずの台詞だが、実際に現場で相手のきっかけで発声する段になったら、頭の中が真っ白になって台詞が出てこない。 「すいません、眼鏡をかけて、本番と同じ状態でやりたいので、もういちどお願いします」 あわてて言い訳。しかし、台詞は出ても、自分の声が舞台に吸い込まれていくようで、心もとない。家の中で練習しているときは、家中に響き渡って聴こえた台詞が、いくら声を張り上げても、劇場の大きな空間ではまるでスーッと消え入ってしまう。 劇場を歩き回りながら何度も発声練習。「さっき、台詞を言おうとしたら頭の中が真っ白になって」と言うと、三上博史「メモを見ながらだとだめなんですか?」 蘭妖子さん「暗いからダメよ」 三上「そうか、じゃあ、台詞が出なかったらそのまま飛ばしちゃおう」(笑) 冗談で和ませてくれる。 三上「○○さんの台詞が僕の次の出番のきっかけなんですから、よろしくお願いしますね」 てなことを言ってるうちに、6・20。俳優たちが集まり、円陣を組んで気合い入れ。紗幕が下りて、6.30客入れ。 C13席に座って観客の1人として、開演を待つ間も頭の中は台詞、台詞、台詞…。ここまで来たら腹をくくって…と思うも、今まで覚えた台詞の一部が、一瞬欠落してしまい、「あれ? ここは何だっけ?」と心の中で自問自答。体にしみつくほど覚えたはずなのに、これは一体? そっとカンペを取り出して薄明りの中で確認。 7.05開演。しかし、舞台を見ながらも頭の中は自分の台詞が渦巻く。シーザー演出の寺山世界に酔う余裕もなし。自分の出番のきっかけが近づくのをずーと待つ辛さ。30分、1時間、1時間半、そして開演から1時間40分。もう、頭の中はパニック。あんなに覚えた台詞なのに。ああして、こうしてと、うまく聴こえるように細かい注意を自分で出していたのに、いざその瞬間がきたら、もう、間違えずに台詞を言えればいい、にレベルダウン。もう、とりあえず、台詞を忘れて絶句しないことが最優先。 杏ちゃんが舞台の中央に立って、「どなたか教えてください…何と書いてあったのかを」 その瞬間、機械人形のように、立ち上がり、朗々とシェークスピアの台詞が…。しかし、この30秒間、きっちり台詞は出たはずなのに、あとで思い返すと、考えながらというより、条件反射的に言葉が出ていただけかもしれない。 しかし、台詞を飛ばさなかったことでホッと一息。その後の舞台を見る至福の喜び。やっぱり、分をわきまえ、舞台の向こう側に行こうなどと思わず、観客席に座っていたほうがいい。 俳優は特別な存在だもの。なんで、あんな膨大な台詞を、よどみなく感情をこめて言えるのか、才能というか、回路が違う。 最後のシーン。少女の10分間に及ぶ長台詞はいつ見てもぐっと心の琴線に触れる。少女が舞台監督に抱えられながら袖に消えていく。カーテンコールはなく、すぐに場内に灯りがつくと観客の戸惑ったような顔。カーテンコールに慣らされた客にとっては、こんな静かな終わり方は初めての体験かもしれない。周りの席の人たちが、ちらちらとこちらを見ながら、通路へ出て行く。 客出しをして、ロビーに行くとささめ氏「お疲れ様でした」。 楽屋通路を抜けて、舞台袖へ。オレの顔を見るなり、河原雅彦氏が「○○さーん」。あっちゃ、河原氏、呆れてるのか。笑顔でそのまま通り過ぎて客席へ。 万有俳優陣だけでダメ出し。そこに荻野目慶子が、「ちょっといいかしら」と細かな段取りの打ち合わせ。熱心だなあ、彼女は。三上博史と荻野目慶子が今回の舞台を精神的にも強力にサポートしている。 ダメ出しの最後に蘭さんが「○○ちゃん、おつかれ! よかったよ、カタクなってたけど(笑)」とねぎらってくれる。「大切な台本を人生で汚さないで」という台詞があったけど、大切な舞台を素人が汚してしまったかと心配。 終了後、「軽く行きます?」とシーザー。いつもの「和民」で飲み会。元万有引力の海津義孝と一緒。「○○さん。この前はどうも」とはラサール石井の飲み会のこと。 今日の「観客」のことを何も言ってくれないので相当ひどいデキで、気をつかっているのかなと思っていたら、話の流れで根本氏が「○○ちゃんが今日、観客の役を…」と言ったとたん、「エッ? あれ、○○さんだったんだ。全然、気がつかなかった。えーッ、うそー」とびっくり笑い。 「後ろの席にいたから顔は見えないし、眼鏡をかけてるのはわかったけど、てっきり、オーディションで応募したけど、第何番目の妻役にはなれなくて観客の役に回されたどこかの役者だと思ってましたよ。滑舌もいいし、台詞は長いし。なんか、すごく真面目そうな台詞回しで…。えーっ、そうだったんだ」 海津氏に滑舌がよかった。オーディションで選ばれた役者かと思ったなんて言われて、内心、単純にうれしかったりして…。根本氏「楽屋でも評判よかったですよ、毎日やればいいのに」 すっかり意気消沈していたので、ウソでもお世辞でもありがたい。そんな言葉を聞いたら、お酒も急に進んだりして。終電に間に合うようにと思っていたけど、シーザーたちと話をしてるうちに、時間は矢のように過ぎ、今日もタクシー帰りに。0.15、渋谷から西川口。帰宅は1.20。 わずか140字あまりの台詞が毎日、頭を占拠していたが、今日でお別れ。 「青ひげ公の城」初演から24年、自分にとって今も忘れられない思い出の人と並んで見た芝居に自分が出る。これで自分の人生に一区切りつけられた…か? 三上博史、荻野目慶子、秋山菜津子、河原雅彦、江本純子と「共演」したなんて、孫子の代まで自慢したりして…。 4月7日(月)快晴 6日、米軍のF15E戦闘機がイラク北部で展開中の米・特殊部隊およびクルド人兵士を輸送中の車両を誤爆。クルド人は18人、米軍3人が死亡した(負傷者はそれぞれ45人、5人)。戦闘機が目標を誤ったものという。異国の地で味方に殺されるーーひどいものだ。毎日新聞朝刊社会面では、日本人女性と結婚し、米国に住む海兵隊員の戦死を取り上げていた。夫人は沖縄出身。沖縄戦で親戚や肉親を亡くしており、またも戦争で夫を亡くすという悲劇扱い。よく読むと、その夫の戦死は味方車両に巻き込まれたのだとわかる。ここにも友軍にに殺された人がいる。 戦場は敵も味方もないのだということが今回のイラク戦争で強く印象付けられたのではないだろうか。 それにしても、9.11以降のアメリカの不自由さよ。グラミー賞受賞の女性カントリーグループ「ディクシー・チックス」が「ブッシュと同じテキサス出身であることが恥ずかしい」と英国公演で発言するや、全米のラジオ局は彼女たちの曲をかけるのをやめ、CDはトラクターで踏み潰された。マイケル・ムーアの反戦スピーチも全米マスコミは徹底的に無視、敵視した。いったい、どこが自由の国なのだろう。 しかし、日本とて同じ。「北」の拉致事件で、すっかり北朝鮮問題はタブーになってしまった。拉致帰国者の「北」に残された家族のことを記事にする新聞社はどこにもない。「救う会」の取材拒否が怖いから、書きたくても書けない。これで「北」のテロでもあれば、マスコミ、知識人たちは完全に口を閉ざすだろう。 アトムの生まれた日、似ているのは、(文部)科学省ができたということだけ。半世紀も経っていながら、地球はますますひどい状態。5400億円の経済効果というが、アトムを金儲けの道具に使うなんて…。 3時過ぎ、バグダッドの大統領官邸をアメリカ歩兵隊が制圧したとの報道。しかし、イラクの情報相はこれを否定した。情報戦のすさまじさ。ブッシュの御用テレビ・FOXテレビの映像に「オープンセットか?」の声も。 6.00帰宅。 4月6日(日)快晴 7.20起床。電車を乗り継いでA瀬川駅へ。下の子の「躰道」稽古へ。娘も同行。 9.20着。10数人の子どもたちが準備体操。幼稚園児から女子中学生まで。先生は5人。大人を指導している先生と、子供たちの指導をする先生方。年配の指導員に交じって、いつもは別の道場のコーチという茶髪の若い先生が抜群の動き。躰道は直線的な空手と違い、円形・流線型の動きが特徴。そのため、ちょっと見には、ダンスっぽい動きで格闘技という印象はないが、組み手を見ると、かなり実戦的。コーチが何度も「空手の構えとは違うから」と周囲に聞こえるように言ってた。空手を意識しているのか。 畳の上で稽古をしている子供たちや指導員を見ていると一緒にやりたくなったが、体硬いしなぁ。 正午に稽古が終わり、家路に。電車の中で「ジョン・G・ロバーツ+グレン・デイビス著「軍隊なき占領」を読む。敗戦日本の占領政策を大転換し、対共産圏防波堤に仕立て上げた戦後「逆コース」の裏でうごめく日米の人脈と金の流れを膨大な資料を駆使して追った、知られざる日本戦後史。「イラク統治を日本式で」と最近またアメリカ属国化処理の手本のような日本統治を再現しようとするアメリカ・ネオコングループ。敗戦後の他国国民をいかにして操ることができるか、アメリカ内の保守・進歩両派の抗争を絡めながら、解き明かしていく。その立役者、ハリー・カーンなる人物の足跡はそのまま戦後日本の民主化への「逆コース」の歴史でもある。 劇画やミステリーにに出てくるような影の組織というのが、あながち誇張でもなく、一国を支配してきた歴史の事実にがく然とする。 そしてそれは今も連綿と続く。ラムズフェルド長官はナチス・ドイツからの移民であり、ブッシュの曽祖父はナチの信奉者。ブッシュの父はブレーンにネオナチを入れていた。ブッシュ自身が白人至上主義者の組織と関係が深い。つまり今のアメリカ政界を牛耳るアメリカ至上主義グループ新保守主義者(ネオ・コン)はネオ・ナチと同一なのだと、昨日の講演で平田伊都子氏も言っていた。 イラクもバグダッドが陥落すれば、このネオコンによって支配されることになる。中東におけるイスラム勢力の防波堤として復興していくだろう。最初は「民主主義」を謳い、次は進歩派を抑えるために逆コース。仕上げは国民総アメリカ化。日本がそのいい例。 結局、国民すべてが不服従であれば侵略者はお手上げになるのだが。ミサイルでは他国を支配することはできないのだ。いくらアメリカがイラクを支配しようとしても国民すべてが反米行動をとれば、その野望は潰える。傀儡政権が生まれ、次第にアメリカ万歳の国民意識が醸成されてはじめて侵略は完成する。 武器では他国は侵略できない。だから、日本国憲法が禁じる交戦権の放棄、戦争放棄は実はもっとも実際的なのだ。 侵略されたらどうするか。武器ではなく不服従で戦うのが実践的ということ。つまり、ゼネスト。石油欲しさのアメリカがイラクに侵入し、親米政権を打ち立てたとしても、国民すべてがサボタージュすれば、アメリカ資本主義社会は早晩行き詰まる。実のところ、国を守るというのは、その国民が真にその国を誇りに思っているかどうかにかかっているのだと思う。 戦時中の忠君愛国者たちに限って、敗戦後は米国べったりになっていった。失った大東亜共栄圏以上の東南アジア市場をアメリカに許され、こぞって米国のおこぼれにあずかり、私腹をこやす。そんな輩に限って愛国者を自称する。 イラクの「戦犯」たちも、やがて一部の安全パイは赦されてアメリカに忠誠を誓うことになるだろう。そして、自国民を再び支配していく。戦争で死んだ兵士や市民だけがバカを見る。それが戦争。それが資本主義社会。 きのうからやや咳が出る。早く治さないと。 4月5日(土)雨 1.00、仕事を終えて中野へ。ザ・ポケットで遊気舎「ゴーリキ」。大友克洋の初期短編「ショートピース」中の「宇宙パトロール・シゲマ」を彷彿とさせる四畳半プロレスSF。宇宙人(?)のコスチュームの凝り方がスゴイ。4・10終演。 阿佐ヶ谷へ行き「魚竹」で刺身定食900円。テレビで米英軍の一部がバグダッドに侵入したとの報道。 5.30。新宿。喫茶店らんぶるでコーヒー+ケーキセット830円。 6.15。南口・紀伊國屋で雑誌「SIGHT」を買う。渋谷陽一が編集。手塚治虫特集「何故、手塚治虫はアトムが嫌いだったのか」の副題。 生前の手塚治虫がアトムのことを「アトムのようなモラルに塗り固められた善人にはすごく反発するんです」と言ってたことをとらえ、「手塚ヒューマニズム」の誤解された部分を読み解くという編集方針。 手塚治虫のマンガが単なる表層的な「ヒューマニズム」ではないことは、散々語り尽くされてきた。手塚自身は「ヒューマニズムはオブラートのようなもの」と語っていたというが、手塚マンガを読めばわかるように、もともとその作品は非常に悪魔的であったり、アナーキスティックであったり、虚無的であったりと、作品の底に流れるのは多面的な価値観。確かに、「手塚ヒューマニズム」と一括りされがちではあるが、それを前提に「手塚治虫は誤解されていた」というのもいまさら”なんだかなあ”という感じ。 アトムは勧善懲悪のスーパーヒーローではなく、人間とロボットーーどちらにも属さない、自身の存在理由に悩みながら、自分のアイディンティティーを模索していった境界人。それは、人種や民族という帰属する社会の境界線上をさまよう若者と同じ。だからいつまでも普遍性を持つのだろう。手塚治虫は晩年、アトムに託した輝かしい未来=科学技術の発達が必ずも人類を幸せにはしないということを深く憂慮していた。反原発を主張する漫画家・才谷遼氏の問いかけに対し「原発は人類への最大の危難。アトムのエネルギーを原子力にしたのは間違いだった」と述べていた。 手塚治虫が子供の頃親しんだ宝塚ファミリーランドがあすで休園になる。近所の手塚治虫記念館がぽつんと取り残される。イラクでは重金属の特性を応用した劣化ウラン弾が使われている。子供たちの白血病、遺伝子異常を引き起こし、45億年もの長期にわたって毒性が消えないウラン弾。アトムといい妹のウランちゃんといい、手塚治虫が託した未来の科学技術の負の部分がいびつな形で吹きだしている。これ以上、アトムたちを悲しませてはいけない。 一番古いアトムの記憶は「少年」連載中の作品。光り輝くロボットの首を竹やぶに埋めているシーン。それと海上で触手を伸ばした丸い巨大なヒトデのようなロボットがアトムを捕らえているシーン。首を切り離して埋めるなどというのは今考えると残酷な場面に違いないが、なぜかもの悲しいイメージが記憶にある。10代の終わりに、アトム全巻を読んでみて、その底流にある、深い虚無と希望の葛藤を初めて知った。アトムを理解するには時間が必要だったのだ。 しかし、アトム世代はみんな「オレこそアトムの子供」という自己主張が強すぎる。かくいう私もそうだったりして…。 7.00PM、サザンシアターで「イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会」の集会。開場前から長蛇の列。 今回の参加者は赤座美代子、朝倉摂、新井純、稲葉良子、今井朋彦、宇梶剛士、大沢健、大森博、音無美紀子、小里清、観世栄夫、観世葉子、菅野菜保之、岸田今日子、北村魚、北村岳子、木野花、小林チロ、斎藤憐、坂手洋二、神保共子、杉嶋美智子、田岡美也子、高橋長英、中村たつ、中山マリ、西山水木、根岸季衣、林隆三、原康義、平田満、風吹ジュン、巻上公一、丸尾聡、緑魔子、村井国夫、毬谷友子、丸尾聡、山口智恵、山崎清介、山崎ハコ、吉田日出子、吉野佳子、吉村直、ラサール石井、李麗仙、渡辺えり子、横内謙介ほか。 後ろに席に毎日のT橋さん。隣りに座ったのはジーンズ、ショートヘアのスレンダーでかわいい女のコ。どこの社かと思ったら、カメラバッグに日共の文字。赤旗の記者か。 1部、3部で朗読と歌。2部はジャーナリスト・平田伊都子氏の劣化ウラン弾とイラクの子どもたちについての講演。世界のエネルギーの30パーセントを世界人口のわずか4.5パーセントの人間が独占消費しているアメリカ。わずか1パーセントの人たちの財産が95パーセントの人々の財産と同じであるという国アメリカ。2700万人が読み書きできず、そのため働き口がない国アメリカ。20ドルあれば医薬品が買えて、死なずにすむ子供たちが世界中に何百万人もいるというのに、1発6000万円のトマホークをすでに700発も発射して消費したアメリカ。雀の涙ほどの難病研究費をさらに削りながら、アメリカの戦争に2兆円も肩代わりしようという日本…。 開場は通路までびっしり。皆真剣に聞き入っていた。それにしても俳優たちによる朗読がこれほど感銘を与えるとは。戦争に関する世界中の人々の言葉を引用、コラージュしたものだが、途中、何度も熱いものがこみ上げてくる。 会場から盛大な拍手が起こったのは大西孝洋による小泉首相への手紙の朗読。朗読もアジテーションになるのだ。同じ燐光群の坂手洋二も「世界の演劇人に対する呼びかけ」で声を張り上げ、さながらアジ演説。さすが俳優兼劇作家。 9.40終了。渡辺えり子は小泉首相に手紙を渡そうと官邸にアポなし突撃を敢行し、警官に「不退去罪で逮捕しますよ」と言われたとか。「それでもいいと思ったけど、よく考えたら次の日山形で講演があったんだった」と。 終了後、ロビーに俳優陣が移動し、カンパの要請。前回もほとんど集まらず、スタッフの弁当代にも事欠いたという。毬谷友子が愛犬を抱いてカンパ袋を持っていたのでその中にカンパする。そばにいた西山水木さんに挨拶。 カナダ帰りの流山児氏と立ち話。「狂人教育、向こうで評判よかったですよ」。 外に出ると雨がしとしと。埼京線経由で帰宅。11.30。 4月4日(金)晴れのち雨 昼過ぎ、I田信之氏から電話。飲みに行こうと誘われていたのだが、今日は予定が入っているのでお断りしたのだった。「こんどまた都合の合うとき、飲みましょうよ」とI田氏。せっかくの誘いなのに申し訳ない。しかし、I田さんはいい人だ。 仕事を終えて5.00、新宿へ。スペース・ゼロで文学座「アラビアンナイト」。 その前に腹ごしらえをしようと南口の定食屋さんへ。レジで茶髪のおばさんに赤魚煮定食800円注文。店内にはほかに中年男が1人。 ほどなく、20歳くらいの従業員の女の子がお膳を運んでくる。見ると、味噌汁、おしんこに加え、ナスの味噌和え、厚揚げの小鉢が2つ。「赤魚はあとでお持ちします」と女の子。小鉢がつくなんてサービスがいいんだなと思いながら、メインディッシュが来る前に、ご飯とおかずに手をつける。それから少したった頃、後ろの方の席の中年男が「俺のはどうしたんだ」「待ってられるか、もういい!帰る!」と不機嫌そうな声で店のおばさんに文句を言ってる。男が出て行くドアの音。 次の瞬間、茶髪のおばさんが、無言でオレの目の前の小鉢を引っつかみ、厨房の方に持ち去る。 何が起こったのか一瞬わからず、呆然としてると、ものすごい剣幕で女の子をののしり始める。「なんで確かめずに出すんだ。このバカ野郎が。ふざけんじゃないよ」 男が「オレのはどうしたんだ」と言ったときにもしや、と思ったが、小鉢は男に出すべき品だったようだ。 「まいったな」と思ったが、その茶髪おばさん、女の子に向かってわめき続ける。その剣幕たるや、ヤクザ顔負け。二階に上がっていった女の子の後を追いかけて、延々と怒鳴り続けている。仕方なしに、一人、気まずく食事を終えて店を出たが、二人は降りてくる気配なし。もしかしてあのコは外国人だったのか? それとも地方から出てきたばかりのコ? なんだか胸が痛む。 しかし、茶髪ばあさん、客のいる前であの振る舞い。唖然呆然。悪夢だ…。 6.30〜9・20。文学座「アラビアンナイト」。昨年初演し、大評判をとった舞台の再演。期待に違わず、充実した舞台。文学座初のファミリー劇場ということで、客席には子供連れがちらほら。 ファンタジックな物語の舞台バグダッドは今地上戦の真っ只中。俳優たちも複雑な心境だろう。 10.30帰宅。外は雨。 4月3日(木)快晴 センバツ高校野球決勝は横浜対広島・広陵。3・13で広陵圧勝。3時まで。そのため、3.20に予定していたK記念病院の予約時間に遅れてしまう。4.00〜5.00、御茶ノ水K記念病院。昨日、おとといをのぞいて、耳鳴りの具合は好調。最悪を10とすると2が3日以上続いている。鍼の効果か。まさか、寝る前に張った湿布の影響? ほかに日常生活で変化はないし…? ともあれ、このまま、好調が続いてくれればいいが。 6.00帰宅。北千住から乗った電車はピッカピカの新車両。半蔵門線との乗り入れのため6両編成が10両編成になり、混雑も緩和。今朝は5.42の電車に乗ったら、ガラ空き。いつもなら満席なのに。通勤の人には車両編成増加は福音。 米英軍、バグダッドまであと25キロの地点まで侵攻。イラクの2個師団を壊滅させたというが真偽のほどはわからない。ただ、ディジーカッターのような大量破壊兵器を使ったであろうことは想像できる。予想外のイラク側の反撃に驚愕したブッシュはあらゆる手段を使ってイラクを攻め滅ぼすだろう。前線で何が起こっているかは誰にもわからない。劣化ウラン弾、B52のじゅうたん爆撃ーーなりふりかまわず殺戮する米英軍。市民の被害などどこ吹く風。テレビニュースを見たら、被弾したイラクの子供たちが泣き叫んでいる。病院のベッドに横たわる父親。彼にはまだ息子2人が死んだことは伏せられているという。人の「情」はどこでも同じ。 米英軍に埋め込まれている従軍記者はどこまで真実を伝えられか。すでに、その視点が侵略する側にあるのだから、ほとんど期待はできないだろう。ハナからアメリカ側の国益を損なわないように取材・報道は厳しく制限されているのだから。 70年安保をめぐる学生と機動隊の攻防戦では、テレビカメラの視点は常に機動隊の側にあった。三里塚でもそう。農民・学生を攻めたてる機動隊からの視点では、問題の本質は見えてこない。機動隊の放水、催涙ガスを浴びる農民・学生の側からの映像があって、初めて「真実」は見えてくる。視点をどこに置くか、ジャーナリズムとはその視点の位置の問題でもある。 東武ストアで伊予柑7個入り380円。薬局でグアバ茶398円。夕食前に発泡酒1個。会社の行き帰りにmisia、calyn、Tigerのスローバラード「SLOW JAM」を聴く。very good。 4月2日(水)雨 8.30起床。一日中パジャマ姿でうだうだと過ごす。夕方、MDをちょっと整理。休日は何もしない、できないと諦めよう。 4月1日(火)快晴 満開の桜の下は花見客でいっぱい。心地よい風が頬をなでて通りすぎる。Tシャツでもう十分かな、その前に腹筋を鍛えなきゃ、などと思って朝、出掛けに腹筋をやったら、急に運動したため、首の筋を軽く違えてしまった。なんのこっちゃ。 依然、イラク国内では戦闘が続いているが、慣れとは恐ろしい。戦争も日常のニュースになってしまい、開戦時のような衝撃が薄れつつある。市民の恐怖は変わらず続いているというのに。 米中央軍によれば、31日、ナジャフ近郊の米軍検問所で民間人の乗った乗用車に米兵が発砲、乗っていた女性、子供ら13人のうち7人が死亡したという。米兵の身振りによる停止命令に従わなかったからというが、自爆テロを恐れてパニックになったのだろう。今後ますます無差別殺人は増えるに違いない。戦争で犠牲になるのはいつでも無辜の市民。 3.30、京橋の試写室で韓国映画「黒水仙」の試写。韓国のスピルバーグといわれるペ・チャンホ監督の新作。50年間、非転向を貫き、刑期を終えて出獄した1人の男(アン・ソンギ)。その翌日、朝鮮戦争当時、脱獄捕虜の検挙をしていた男の死体が海に浮かぶ。捜査をする若い刑事(イ・ジョンジェ)の前に、第二、第三の殺人が。その背景には50年前の朝鮮戦争の影が…。 スピーディーな展開、ハリウッドばりのダイナミックなアクション、交戦、逃亡シーンのスペクタクル、ブリーチ・バイパス手法と呼ばれる独特のフィルム粒子を使った回想シーンの映像の流麗さ。ヒロイン、ソン・ジヘの可憐さ。どこをとっても映画の面白さに満ち満ちた一編。韓国エンターテインメント映画はいまや日本映画を軽々と超えてしまったのではないか。 物語の背景にあるのは第二次世界大戦後、南北に分断された朝鮮半島で1950年6月に勃発した朝鮮戦争。韓国南東部にある巨済島には戦争捕虜収容施設が建設され、北の朝鮮人民軍15万人、中国共産党軍2万人が収容されていた。 「黒水仙」のコードネームを持つヒロインは、南朝鮮労働党の幹部であったために処刑された父親の影響を受け、この収容所から捕虜たちが脱獄するのを手伝っていた。心を許せるのは幼なじみで下男のファン・ソクだけ。しかし、二人を襲う過酷な運命。 時代に翻弄される一組の男と女を描いた崇高なラブストーリーであり、一大メロドラマ。途中、不覚にも何度も落涙。「たぶん、そうなるだろうな」とわかっていても、哀切極まるラストシーンに滂沱の涙。 5月公開とか。これはオススメ。 ただし、松本清張の「ゼロの焦点」ばりのシーンに日本ロケが選ばれており、これがいささか陳腐。映像の重さも日本の風景になったとたん軽く見えてしまう。原作にはない人物だということだが、できることなら日本ロケの場面はカットしてほしかった。重要な人物なのに、それが「欧米人が見た典型的な日本人」として描かれているのだ。唐突に芸者が出てきたり、突然地震が起きたり…。せっかくの人間ドラマが一瞬にしてウソくさくなってしまう。外国人を描くというのは難しい。「鬼が来た!」で描かれた中国人から見た日本兵はまさにリアルな日本人そのものだったから、ちゃんとしたアドバイザーがいれば避けられたかもしれない。この一点だけが残念。ラストの主題歌は「イマジン」。南北の統一を願ったものだろう。ハスキーな男性ボーカルが誰なのかわからない。誰だろう。 6.00。渋谷。ハチ公前で若い女の子たちが「イラク戦争にあなたの判定を」と呼びかけている。ボードに書いたイラク戦争に「反対」「賛成」「わからない」の3項目にワッペンを張ってもらうというアンケートキャンペーン。高校生らしき二人連れが丸いワッペンを張っている。見ると「反対」が圧倒的だが、当然「賛成」「わからない」もわずかながらある。 HMVでCDを物色。大西ユカリと新世界の「5曲入り」に手が伸びかけるも、misia、tiger、calynの3人の歌姫の未発表曲を含むバラード・コンピアルバムを視聴。いい感じ。ポイントカードがたまっていたのでタワーレコードに行って購入。 7.00。パルコ劇場で「青ひげ公の城」。ささめ氏と九條さんに挨拶。草迷宮のDVDは6月に発売延期になったとのこと。「フランスがニュープリントを提供してくれることになって」と九條さん。日本にあるのはだいぶ痛んでいるから、”完全版”がDVDになるのなら朗報といえる。 寺山銘柄酒を買って帰ろうと思ったが、重いので今日は断念。 24年ぶりに見る「青ひげ公の城」。初演のときには小雨が降っていた。パルコ劇場(当時、西武劇場)から駅までパンフレットを傘代わりにして二人並んで走ったっけ。あの時のパンフ。雨のしみがついた自分のパンフは実家の物置に眠っているが…。 さて、「青ひげ」。良くも悪くもプロデュース公演という制限が舞台に大きな影響を与えているように見える。一方に、天井桟敷の演技”メソッド”を継承する万有引力の俳優陣、一方で著名俳優、その中間にオーディションで選ばれ、ワークショップを続けてきた若手俳優たち。三層の間の断裂が微妙に客席に伝わってくる。 それは演技の質というよりも、舞台に対する温度差といえる。一番熱いのはなんといっても三上博史。終演後に楽屋廊下で立ち話をしたが、体中から舞台にかける情熱が伝わってくる。「オケピ!」休演で舞台を見に来ていた白井晃氏が「これからまた舞台やればいいのに」というと、「自分のような未熟者が出たら舞台を汚しますから」と答えていたが、言葉とは逆に、すごくうれしそうな顔。 荻野目慶子も熱血派。大竹しのぶと似たタイプの役者バカで、今回の舞台にかける意気込みもハンパじゃない。「シーザーと万有引力の演劇にカルチャーショックを受けている」とか。 意外に醒めているのは河原雅彦。楽屋に行ったら、すでに着替えを終えてエレベーター前で帰り仕度。「あれ? 今幕が下りたばかりなのに」と言うと「カーテンコールがないので、最後の(藤岡杏の)モノローグの間に着替えているんです」と。エレベーターがくるとそそくさと立ち去っていったが、なんだか河原らしくない。 パンフを見ると河原は「”革命家”だった寺山修司の作品を有名な俳優を集めて名作劇場みたいにやるのは意味がないし、寺山さん自身ものぞんでいないだろう。自分がやる以上はそれに意義を見い出したいけど、今はそれが見つからないからつらいんです」と書いてある。 「寺山修司は自分の血肉になっている」と言う河原氏の原理主義的言い分はうなずける。ただし、俳優として舞台に立っている以上、中途半端な迷いはお金を払って、時間を使って来ている客と、なによりも共演者に対して失礼なのでは。最初から引き受けないか、引き受けた以上はベストを尽くすのが筋だろう。好漢・河原雅彦、寺山への思い入れは理解できるだけに残念。 フリップ・フラップ(YUKOとAIKOの双子)のアリスとテレスは実にキュート。根本豊との幕間シーンは絶妙な間で客席の笑を誘う。ライブコンサートを通じて客の視線にさらされることに慣れた演技。 一番の見どころは蘭香レア改め三咲レアと異形の男たちが絡むサディスティックなシーン。伸びやかな肢体、男をキッと見すえる眼の力、宝塚仕込みの華麗なダンス。打たれ、蹴られ、もだえる男たち。この場面のエロチシズムはまさにシーザー音楽と相まって至福の時間。いつか三咲レアで天井桟敷十八番の「包帯男」のシーン(音楽は「黄河の姉妹」)を見たいものだ。 寺山さんの芝居と決定的に違うのは衣装、メイク…かな? 寺山さんはいかに女性を美しく見せるかにも力を配分していたように思える。それは衣装にも現れていて、短歌・詩という定型の美学から出発した寺山さんだから、あまりごてごてとしたメイクや過剰な衣装は好まなかったんではなかろうか。天井桟敷の舞台を見ていつも思ったのはそのシュールレアリズムに裏打ちされながらも抑制の利いたトータルなイメージ。「奴婢訓」を見た時にはこの世で完璧な舞台があるとするなら、この舞台しかないだろうと思ったものだ。舞台はすでに過剰なイメージに満ちているのだから、衣装、メイクはもう少し、押さえてもいいかな…と思うけど。 9.00終演。楽屋前で江本純子と立ち話。ちょうど町田マリーら毛皮族のメンバーが来ている。「公開ゲネプロの時よりよくなってた」と町田。豪胆なタイプと思いきや、意外に小心?な江本純子。「ダメ出ししてください、なんでも聞きますから」とすがるような(?)目。難を言えば、舞台で本人の緊張感がありありと伝わってくることなのだが。 シーザー、根本氏夫妻と近くの居酒屋へ。後片付けをした劇団員たちも三々五々集まり15〜16人。稽古中から飲み会皆勤賞というシーザー、腕をまくって「ほら、赤くなってるでしょう、肝臓にきてるかな?」と笑う。「もう寺山さんの死んだ年からはるかに過ぎたけど、47歳だった寺山さんの世界には60になっても70になっても超えることはできない」とシーザー、根本。 あれやこれやよもやま話に花が咲き、気がつくと0.00。今日も途中駅からタクシー帰り。それだけは避けようと思っていたが、楽しい酒席は時間のたつのが早い。途中で「今日もタクシーでいいや」という覚悟ができてしまう。 それにしても、寺山修司が死んで20年。いまだに関係者・縁者は「寺山さん」とさんづけで呼んでしまう。私もそうだが、今も寺山修司は永遠の兄貴。「寺山修司」という歴史上の人物になることはない。「寺山さん」ーー死ぬまでそう呼びかけ続けるんだろうな…。 赤羽から最終電車0.40発。西川口でタクシーに。運転手さんは3年前に会社をリストラされてこの商売に入ったという50代の人。「子供たちも社会人になってるからなんとか生活できますけど、大変ですよ。1日4万がノルマ。13日出勤して52万円。手取りで19万ちょっとですよ。会社時代の3分の1近いですからね」 職を失ってタクシー業界に転職するサラリーマンが増えているというが、「真面目にやる気がないと、続かない商売ですから。辞めていく人も多いですよ」とか。 1.30帰宅。2.30就寝。 |