6月30日(月)快晴

 大学生による女性暴行事件で自民党の太田誠一元総務庁長官が「集団レイプをする人は元気がある」と暴言を吐いて問題になったが、今度は福田官房長官が太田擁護のためか、オフレコの記者懇談会で次のように言い放ったという。

「(胸を開いたジェスチャーで)こんなふうに、いかにもシテくれというカッコウの女性もいるじゃない。ボクだって誘惑されちゃうぞ」

「男は黒ヒョウ。裸のようなカッコウでいる方が悪い。出来心でやっちゃう場合もあるでしょう。最近は女性も強くなり、逆に男がレイプされることだってあるんじゃないの」

 飲み屋で酔っぱらったオヤジがオダを上げるのならまだしも、仮にも一国の政治家が記者を相手におどけて言うセリフか。こんな輩がイラク新法を作って自衛隊を戦地に送りこもうとしてるのだから悪い冗談。しょせんこの方々のアタマの中身はその程度。第一、あの顔で、「男は黒ヒョウ」って、どこから発想するの?

 5.00、下北沢。偏陸氏に連絡を取ろうとしたがつかまらず。よくよく考えたら、今日は長野で岸田理生さんのお通夜か。藤繭ゑに会いたかったのだが、残念。

 5.30〜7.15、ネット喫茶で時間つぶし。ディスクユニオンで「寺山修司 作詞・作詩集」購入。
 7.30、下北沢ザ・スズナリで南河内万歳一座「みんなの歌」。万歳にしてはいつになくわかりやすい芝居。

 四畳半でうずくまる4人の男女。どうやらネットで知り合った自殺志願者たちらしい。一方、駅では「一人で行く集団旅行」の参加者たちが続々と集合している。彼らの目的地はいったいどこか。猥雑な中に叙情を漂わせる内藤流の文明・人間論。

 その絶頂期に突然滅んだ恐竜と同じように、今や人類は存亡の危機に立っているのかもしれないと問い掛ける。バーチャルな世界に逃げ込み、死さえ仮想の世界。しかし、現実から逃避した末の死は、終わらない永遠の悪夢になるのだろう。

 「線路は続くよどこまでも♪」という「みんなの歌」に乗せて展開する力強い人間賛歌。万歳一座には珍しい歌とダンスシーンも。河野洋一郎、荒谷清水ら古株を食う勢いで若手俳優が伸びて来ている。新ヒロインの藤原章子がキュート。

 9.30終演。今年の東京公演はこれでおしまい。ロビーで七字氏に挨拶。9月にまた、東欧の劇団を招聘するとか。「チェーホフ・マシーン…やります」とニッコリ。
 楽屋から出てきた内藤氏、顔を見るなり、「今回は行けなくてすみませんでした」。情宣のこと。義理堅い。植本潤らロビーには大勢の面会者。内藤氏に別れを告げて早々に退散。

 11.00帰宅。途中、コンビニでカテキン茶を買う。ダイエットにいいと評判。しかし、こんなものに頼ろうとは…。
6月30日(日)快晴  ツバメの巣を求めて

 10.00起床。午後、小学校の宿題で、ツバメの巣を見つけて写真を撮らなければならないという。そんな宿題あり? と思ったが、仕方ない、高校生の娘と2人、自転車を駆って近所をグルリ。

 しかし、いつもツバメが巣を作る駐車場の天井は、管理人が巣を払い落としてしまい、原爆でできた人影のように、巣の跡が壁のシミとして残っているだけ。2駅先のH神社まで遠征し、道中、ツバメが巣を作りそうな軒下を目で追うも、そもそもツバメ自体がいない。H神社でおみくじ、露店が出ていたのでかき氷。
 自転車で並走しながら、娘とおしゃべり。こんなに長い時間しゃべったことはない? 「もう二度とないかもよ」と娘の軽口。
 3時間余り車上の人。お尻が痛いこと。レッスンで必要ということで、K電気で、ボイスレコーダー2万4000円。ステレオだし、音はクリアだし、技術の進歩は速い。今使ってるボイスレコーダーと交換して欲しいくらい。

 6時帰宅。結局、ツバメの巣見つからず。途中のブックオフで清原なつの「私の保健室へおいで…」と手塚治虫の「恐怖短編集 消滅の世界編」。清原なつののマンガは早川書房文庫。初期の作品を収録。

 1970年頃に書かれた手塚の作品は時代を反映して実に虚無的。

 「日本でも核兵器を作るようになった時代」を背景に、体に原爆を仕込まれた”人間核兵器”フーテン少年に日本中が振り回される「ブタのヘソのセレナーデ」の救いようのないラスト、ある日目覚めたら世界が消滅、新たな7日間の人類創世を体験する「7日の恐怖」など、戦争と環境問題に対する手塚治虫の怒りと諦念がストレートに反映した作品群。
 30年経って、時代は手塚治虫の警告を後追いしている。

 夕方、「ロボキッド」「梅を売る店」「サイパンの青い海」をCD化。
 自転車で走り回ったせいか疲労感。蒸し暑い夜、早めの就寝。
6月29日(土)雨時々晴れ  綱渡りの日々

 6.30〜13.30、会社で仕事に傾注。

 朝、浅川マキさんから著書「こんな風に過ぎて行くのなら」が届く。デビュー以来30年間の時代の流れを映し出すエッセイ集。

 14.30、新宿シアタートップスで劇団道学先生第11回公演「改訂 ザブザブ波止場」。中島淳彦の作・演出。「兄妹どんぶり」以来、上演が待ち遠しい劇団。人間関係の機微、抑えた笑いが心地よい。今回は再演版。宮崎のある港町を舞台に、一人の女に翻弄される漁師たちのドタバタを描いたコメディー。開演前の波の音が心地よく聞こえるように、のんびり、ほんわか、ちょっぴり切ない笑いの連鎖がをハートをくすぐる。

 「兄妹どんぶり」の完成度に比べれば、だいぶ落ちるが、役者を見るだけでも十分元は取れる。青山勝、福島勝美ーーその圧倒的な存在感。2人が出てくるだけで、ステージが温まる。照屋実、かんのひとみ、海堂亙、東海林寿剛、辻親八、そしてゲストの井之上隆志の飄々とした立ち姿。ギターの弾き語りはカクスコ仕込みで、この舞台でも十分に活用されている。この劇団のゆるかやな笑いは大好き。
 16.30終演。
 和幸でヒレかつ定食。

 18.00、御茶ノ水。ディスクユニオンで中古CDを物色。懐かしや「コーザノストラ」のセカンドアルバムが1000円だったので購入。

 18.30、クリスチャン・センター8F チャペルで元天井桟敷の女優・蘭妖子さんの4年ぶりコンサート。広い会場はほぼ満席。大澤さん、九條さん、林檎さん、市川さん、亜湖さん、松田政男さん、大野さんetc、寺山修司ゆかりの人々。ピアノ=上田亨、ギター=鴻池薫、チェロ=末松直也、尺八=三塚幸彦の顔ぶれ。音楽監督はJ・A・シーザー。
 
 九條さんが、顔を見るなり、「メール見た?」
 「個人アドレスのメールは会社じゃ受信できないんです。メールって…?」
「理生が亡くなったの」
「えっ……」
 
 傍の松田さんが朝日の夕刊を見せてくれる。そこに岸田理生さんの訃報。九條さんの元に連絡が入ったのは今朝ほど。朝日のY氏が外出先だったので、I氏が訃報記事を引き受けたのだとか。夕刊に間に合ったのは朝日だけか。
 難病で入院していたのだが、発表された直接の死因は大腸がん。
 岸田理生+楽天団の頃は、彼女自ら情宣に出向くこともあって、よく顔を合わせたが、劇団が解散してからは会う機会もなかった。寺山さんの仲間がまた一人、寺山さんのもとへと旅立った。寺山さんよりちょうど10歳年下だったという。ご冥福を祈りたい。合掌。

 蘭さんがMCで「寺山修司 作詞・作詩集」の話をしたら、九條さんが「これよ」とバッグからCDを取り出す。ソニーからの二枚組CD。寺山修司の作詞した歌と、詩の朗読。歌の方は、緑魔子、愛川欽也、郷ひろみ 北原ミレイなど。詩の朗読は竹脇無我 、内藤洋子、萩原朔美など異色の顔ぶれ。郷ひろみが寺山修司を歌っていたなんて。美空ひばり、五木ひろしの「浜昼顔」はレコード会社が違うので収録されず。「寺山は森進一に書きたかったのよ」と九條さん。森進一の歌う寺山作品、実現していればスゴイことになっていただろう。

7.45、蘭さんのコンサートの途中で会場を抜けて、新宿へ。ピット・インで浅川マキさんのライブ。8.15着。すでに始まっていて、いつものようにマキさんのアカペラが会場に響き渡っている。会場は満席。立見の人も何人か。暮れのライブより。客が入っているのでは。今回はサックスの森田修史が初参加。ピアノ渋谷毅とセッション。マキさんが「いいプレーヤーよ」と言ってたが、いまひとつピンとこない。気後れしているのだろうか。
 9.15、休憩に入ったところで、また御茶ノ水へ引き返す。

 9.45、「和民」で打ち上げ中の蘭さん御一行に合流。席に着くなり、林檎さんに「太った?」と言われショック。自分では気がつかないけど、周りから見れば、「太った」ように見えるのか。運動&ダイエットしよう。
 シーザーと北川登園氏に「ハムレット」の話を。

 北川さんは、友人のお通夜帰りが遅くなって、蘭さんのコンサートに間に合わなかったそうな。
 九條さんとは三沢の8.3イベントのことなど話す。新高けい子さんが「世田谷記念展」出演をきっかけに、三沢に行ってくれることになったということで、九條さんいたく感激。20年の節目に実現できて、本望とか。
 「でも、一番喜んでいるのは寺山かな」
 新高さんは15分の長尺「田園に死す」を歌うという。

 11.00解散。外は雨。偏陸氏に「蒸発旅日記面白かった」と言うと、「2週間で撮ったの。ボクが助監督だから」と笑う。ストリッパー役をやった藤繭ゑがあさって下北沢に来るとか。「今札幌に住んでいて、出てこない?って呼んだの」と。月曜日は南河内。残念、すれ違いかな。
 
 0.15帰宅。さすがに3日間連続で深夜帰宅早朝出勤。体がボロボロ。
6月27日(金)晴れ時々雨  死も来た半島

 連チャンはきついが、前からの予定通り、仕事が終わった後、大塚へ。大塚のライブハウス「WELCOME  BACK」で歌姫楽団のライブ。3000円。出演は9時からということだが、開演の7.30に到着。最初の出演バンド「東京ポルチカ歌劇団」から見始める。観客は30人ほど。女性ツインボーカルの60’sグループ。歌劇団と名乗っているだけあって、60年代ポップスの替え歌など、なかなか楽しいパフォーマンス。しかし、演奏と歌に一工夫あってもいい。3曲くらいアトラクションでやるなら楽しいが、1時間の持ち時間はちょっと長すぎ。
東京ポルチカ歌劇団歌姫楽団
 9.05。バンドチェンジでようやくお目当ての「歌姫楽団」登場。さすがに技量が違う。ベース、ドラムス、ギター、ピアノ、トランペット、サックス、そして樋口舞のボーカルのアンサンブルがタイトに決まって、ゴキゲンなステージ。音の厚み、ボーカルの個性、ミュージシャンのパフォーマンス、どれをとってもプロの技芸。後半は衣装替え。Tシャツから襦袢姿に着替える舞、バックミュージシャンはおそろいの黒のスーツ、ジャケット。このアンバランスな取り合わせにも関わらず、熱の入った演奏が会場を沸かせる。観客も50〜60人に膨れ上がり、立見が多数。
 10.05、アンコール曲演奏で終演。
 無理して見に来ただけの価値はあり。帰宅は11.30。睡眠時間4時間。わき腹に軽い痛み。疲労からきているのか。

 改正労働基準法成立。経営者がリストラを進めるために「首切りルール」を定めた経営協力法。「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして無効とする」。当初の政府原案は、「使用者は労働者を解雇できる。ただし、社会通念上相当であると認められない場合は無効」としていたが、野党要求で「解雇できる」の部分を削除しての成立。しかし、実体は変わらない。

 民主党は個人情報保護法に続いて、またしても裏切りに走ったわけで、野党としてのチェック機能はゼロ。こんな民主党など百害あって一利なし。
 この改正法、リストラ推進の側面もあるだろうが、別の狙いは、労働運動の牽制。戦争法を整えていく上で、邪魔なのは労働者の運動。「思想・行動」を口実に首切りができるよう政府がお膳立てしたといえる。有体に言えば「労働内の過激派潰し」。

 青森県むつ市の杉山粛市長が使用済み核燃料中間貯蔵施設をむつ市に誘致することを正式表明。

 原発、核燃貯蔵集中ーーまさに「死も来た」半島化。市の財政赤字を危険極まりない核燃料の中間貯蔵(50年というが、永久的貯蔵になるのは火を見るより明らか)で解消しようという、その発想の空恐ろしさ。市長も私も50年先は確実にこの世から消え去っている。その時、残るのは半減期数億年という放射能のゴミの山。子孫にその放射能を押し付けて何が財政赤字解消だというのか。まだ見ぬ子孫の生命を担保にカネを借りる人間がどこにいる。同じ高校の先輩だが、こういう人物が市政を牛耳っているということが、心底恥ずかしい。市民は住民投票でその正否を問うべき。
6月26日(木)晴れ 老若女女

  5〜6PM、渋谷のネット喫茶。その後、三軒茶屋に行って定食屋「はとぽっぽ」でサンマ定食630円。
7.00、パブリックシアターで「ハムレット」。

 ロビーで「○○さん!」と声をかけられたので振り返ると文学座の演出家・松本祐子さん。この舞台の演出助手を務めているのだ。前作「ホームバディ/カブール」が終わってすぐに、このプロジェクトに参加したとか。相変わらずエネルギッシュ。「ホームバディ」の裏話ことなど、立話。

 それにしても、なんという顔ぶれ。野村萬斎、津嘉山正種、壌晴彦、吉田鋼太郎、増沢望、大森博、品川徹、そして篠井英介、植本潤、歌舞伎の中村芝のぶといった女形が「女優」を演じるオール男性芝居。

 冒頭、亡霊登場の城壁シーン、衛兵たちが行き交うのは天井まで届きそうな巨大な「箱」の上。客席からは大きく見上げるほどの高さ。次のシーンではそのセットが真ん中から開き、ひな壇か、壁に設えた巨大な本棚と見まごうセットが登場する。朱に金箔。まるで安土桃山時代の豪華絢爛な居城の一間。

「本棚」の区画にそれぞれ、王と王妃、従者らが納まっている様はなんとも形容しがたい異様な迫力。同じように、雛壇、仏壇を舞台セットにしたのは蜷川マクベスだったか。

 美術・セットだけでとてつもない費用がかかっているようだ。 原作に忠実なストレートプレイ。野村萬斎がシニカルながら、やや”軽め”のハムレットを熱演。オフィーリア役の中村芝のぶが意外に健闘。女形の声色ながら、後方までよく通る。篠井英介のガートルードの色香ときたら……。吉田鋼太郎のクローディアスははまり役だし、津嘉山正種の亡霊、墓掘り役も非の打ちどころなし。なんとまあ、贅を尽くした舞台であることか。シュールで圧倒的なビジュアル、最強の役者ーーどこにも瑕疵が見当たらないという不思議な舞台。
 詰襟の学生服風の衣裳のアンサンブルが着ける黒(最後は赤)の紗の目隠し。そのビジュアルは天井桟敷ふう。シーザーの舞台でも使ったことがある。偶然か?

 10.15終演。休憩15分。ぞろぞろと出口に向かう観客のほとんどが女性! もちろん、演劇人口は圧倒的に女性が多いが、これほど男女比に差がある客層は見たことがない。そういえば、トイレも普段の男性用を女性に開放していた。「老若女女」ーー恐るべし萬斎効果。 11・50帰宅。

6月25日(水)雨のち晴れ  ふぅ…

 9.30起床。3.00、歯医者へ。今日は初めて3階の治療室へ案内される。豪華なソファの待合室。歯科美容専門の階だったようだ。
 帰り、タワーレコードでCD物色。ACO久しぶりの新譜「irony」視聴するも、あまりにも高踏過ぎる。精神世界に入り込んでしまったACOは敷居が高い。たぶん、聞かずに積んどくだけになるので買わず。bb・king(表記が変わったのか?)の「reflections」購入。プレスリー、アームストロング、サム・クックらの曲をカバーした新譜。

 プリンターのインクが切れたので替えのインクを購入5670円。帰宅して、ラジオドラマCD化作戦。今日は「おはよう、インディア」。
 合い間に辺見庸「今、抗暴のとき」を読む。今の日本では辺見庸のようなジャーナリストはすでに圧倒的なマイノリティーなのだろう。そして、それを読む自分も。

 俳優・名古屋章、演芸評論家・小島貞ニの死亡記事の傍らに、山根赤鬼氏の訃報を伝えるベタ記事。懐かしい名前。子供の頃、漫画雑誌でよく読んだものだ。

 当時の漫画家のほとんどが、今はイラストや子供向け学習雑誌に仕事の場を移しているという。ほのぼのとした画風・作風は今の子供には受け入れられないのだろう。暴力や思わせぶりな性描写が野放図に蔓延している今の低学年漫画雑誌。大人が見ても心が荒むようなマンガが子供の精神に影響を与えないわけはない。大人の、子供に対する擦り寄り、おもねり。伝えるべき志のないマンガは嫌い。

 サスケ・覆面問題で、覆面禁止動議は賛成・反対同数で議長採決で否決。所属会派の自由党が反対に回ったためであり、これが、無所属議員なら可決されていただろう。漫画家のやくみつる氏は「覆面着用は公共の福祉に反する」と覆面着用にヒステリックに反対してるが、顔は覆面していなくても、腹の中の黒さを見せかけの笑顔で隠している連中の方がよほど公共の福祉に反するというもの。96年にネクタイを着用しないで懲罰にかけられた三沢の市議会議員・伊藤裕希さんの場合は、一匹狼の反戦・反原発派議員だから標的にされ、すばやくネクタイ着用を規則化されてしまった。ネクタイと覆面ーー同じ着用物でも、この違い。要するにサスケの「勝利」も党利党略の結果といえるだろう。

 北海道新聞で石破防衛庁長官がこうのたまったそうな。
「第二次世界大戦当時は国民が戦闘場面にいたため、沖縄戦や東京大空襲でたくさんの人が死んだ。戦闘要員は残してみんな疎開しなければいけない。敵の侵害排除のために自衛隊がすべての力を使える状況をつくっておくために、国、都道府県、市町村、警察、消防がどう役割分担するか。一番大事なのは迅速性です」

 「東京大空襲や沖縄戦で多くの国民が死んだのは疎開しないで戦闘場面に遭遇したからだ。疎開させて、町を軍隊だけにしておけば死傷者が出なかった」と言ってるわけで、これが有事法を推進するための発言なのは明らか。

 つまり、「有事法を整備して、国民をすみやかに避難させれば、自衛隊の力がフルに発揮できるのだ」と言ってるわけだ。まるで、将棋盤を見ながら、駒を動かしてるような物言い。第一、先の大戦では国家総動員法があり、子供から年寄りまでほとんど全国民が戦争に駆り出された時代に、「疎開してればよかった」という歴史認識のなさ。

 爆弾は「戦闘地」だけに降ってくると思っているのだろうか。イラク戦争でもわかるように、非戦闘員でも米軍にゲリラと疑われれば射殺される。日本の地図を「ここまでが戦闘地、ここは非戦闘地。非戦闘地にはミサイル撃たないでね」なんていわれて攻撃しないバカがどこにいるというのだろう。すべて机上の空論。おまけに、有事法で国民すべてが戦争に協力することを義務づけられてしまうという事実を故意にネグっている。軍事オタクの坊ちゃん二世議員の子供じみた言いぐさをそのまま掲載するマスメディアもどうかしている。こんな最低のアホが防衛庁長官というのだから、今の時代はほとんどギャグとしか思えない。

6月24日(火)雨時々晴れ  迷路彷徨

 午前中、立て込んだ仕事をこなして、PM1、一段落。疲れが出たのか眠気に襲われ、小一時間仮眠。
 
 3.00、東京駅北口イベント広場へ。青森観光PRイベント。千葉・柏のねぶた囃子と華麗な衣装をまとったハネトの掛け声が丸の内に響き渡る。祭りの輪を取り囲む通行人。ほとんどが年配者。勇壮な音を聞いてると体の奥底から熱い昂揚感。
 イベントは20分ほどで終了。外に出て、P嬢に電話。横浜ランチオフは2時過ぎに解散したとか。

 帰社し、残りの仕事を片付け、新宿へ。「ぴあ」を見たらちょうど「ソラリス」(スティーヴン・ソダーバーグ監督、ジョージ・クルーニー主演)に間に合いそう。雨の歌舞伎町。時間配分を計算して、マックでハンバーガーをテイクアウトし映画館のロビーで食す。防音扉の中では「ソラリス」が始まる寸前。いつもこんな綱渡り。

 A・タルコフスキーの「惑星ソラリス」(1972年)のリメークということで、スタニスラフ・レムの原作をほぼ忠実に映像化している。もちろん当時から比べたらビジュアル、SFXなど格段に進歩しているが。

 惑星ソラリスに接近中の宇宙船内で何かしら異常な出来事が進行しているという友人からのSOSで心理学者クリスが調査に赴く。しかし、宇宙船のベッドで目覚めたクリスの横には自殺したはずの妻が微笑んでいた…。

 心の中の罪悪感が実体化するというSF作品はよくあるが、「ソラリス」の場合は、その実体化したコピーが自分のアイデンティティーに悩むという二重構造があり、凡百のSF映画との違いはそこにある。ポッドに閉じ込めて宇宙空間に放り出しても、再び現われるクリスの妻。しかし、彼女の記憶は体験からきた実感ではなく、後から埋め込まれた記憶にすぎない。苦悩する「偽の妻」への愛おしさ次第に強くするクリス。
 神、理想郷、大暗黒―ーソラリスが何のメタファーなのか、さまざまな解釈ができるのもこの映画の面白さ。
 そういえば、手塚治虫の「火の鳥」宇宙編に登場する「ムーピー」は、相手の意識に合わせて姿を実体化させる宇宙生命だった。ソラリスより発表が早かった?
 6.45終映。

 外は雨。PM7、紀伊國屋ホールでG2プロデュース「ゴーストライター」。売れない役者が自分のファンの脚本を自分名義で懸賞に応募、それが見事入選し映画化されるが、自分の作品ではないと言い出せず、第二作を書くハメに。しかし、そのファンは上海で暴漢に襲われ死んでいた。しかし、好きな人のためにゴーストライターを務めるべく、幽霊(ゴースト)としてロケハンの上海に現われ……というかなりベタなお話。カットバックを多用したり、第二作の内容をファンの殺人事件とリンクさせたり、工夫はあるが、しょせん思いつきの域を出ない。人間関係も書き込みがないから、最後に「純愛劇」ふうに終わらせるのが、とってつけたようで苦しい。

 物語や演出ではなく、役者個々の技量と魅力を楽しむべき舞台。その観点で見れば、皆個性的で大好きな役者ばかり。三上市朗、関秀人、コング桑田、腹筋善之助、楠見薫、川下大洋etc。特に久保田浩の飄々とした芝居は心和むし、TEAM・発砲B−ZINの武藤陶子は初ヒロインを好演。松下好もキュートな女優役を懸命に演じていてイヤミがない。一番気になったのは瀬戸中基良という役者。ヨーロッパ企画なる劇団ユニットの役者だそうだが、ヘンな長い間、ヘタウマなセリフ、周囲から浮きすぎて最後まで目が離せない。神戸浩、酒井敏也系の役者?
 9.15終演。後ろの席に升毅さんがいたので挨拶。この頃、テレビでの活躍が目立つ升さん。かつての盟友G2の舞台をどう見たか。

 9.30、渋谷。スナック「M」へ。外壁の看板に灯りがともっていたので、ドアを押すと、ママのAさんが「あらっ?」という表情。会員制の店なので、一見のお客にとまどった様子。「Mさんの紹介で」と言うと、「そうだったの」と顔がほころぶ。止まり木に腰掛け、ひとしきりMさんの話題。

 先客の牧師さんがすぐに帰ったので、11.30までママさんと2人きりであれこれ四方山話。給料日前の平日、雨の日とあってか、貸切状態。

 店が入ってるのは連れ込み旅館を改造したビルということで、まるで迷路・迷宮のよう。渋谷にこんな場所があったのかと思うような時代錯誤の一角。こんな場所にはワクワクしてしまう。Aさんもこの場所に一目ぼれしての開業だったとか。実に居心地のいい店。初めてなのに、Aさんも、なんだかずいぶん前から知っているような懐かしい感覚。話すほどに、知性が垣間見える。それもそのはず、以前、A新聞でエッセイの連載を持っていて、著書もある文筆ママなのだ。毎月、店のお客さんを読者に、100部ほどの手書きの新聞「M新聞」を発行しているとか。最終号は69号。7月26日で閉店というのは残念。居心地良すぎて、まだまだ話していたい誘惑にかられるが、終電が待っている。ママに送られて渋谷の雑踏へ。
 1.00帰宅。

6月23日(月)晴れ 弱り目にたたり目

 深夜2時頃、頭痛で目が覚める。布団の中で無意識にこめかみを押さえていたようだが、痛さにたまりかねてバファリンを服用。こんなことは初めて。

 朝、土曜日に放送したFMシアター「永遠のホームページ 最愛なる者へ」を聴きながら電車に乗る。肺がんに冒されながら家族を愛し、最後の瞬間まで自分と向かい合った医師、稲月明氏の著書をもとに福田卓郎が脚色したドラマ。

 闘病ものはややもすると感傷に流されてしまいがちだが、医師である主人公が、最後まで冷静さを失うまいと努め、妻も気丈に振舞う。そのことがドラマに緊張感とリアリティーを与える。
 タイトルは、肺がんだと知ってから、ホームページを立ち上げ、闘病日記を掲載、医師としてがん患者とその家族の抱える問題に取り組んだことからきている。
 ネット特有の陰湿なイヤガラセもまた経験することになる。患者の弱みに突け込んだインチキ健康食品を批判したことから、掲示板荒らしに合い、深く傷つく。書きこまれる罵詈雑言の数々。やむなく閉鎖に至るいきさつもネット利用者なら思い至ることが多いはず。

 この前、戸田恵子さんも言ってたように、年齢とともに涙もろくなるのだろうか、家族を描いた作品に特に弱い。このドラマでも、父の病気の意味を知らず、無邪気にはしゃぐ息子の姿に胸がつまる。
 運動会でわが子のリレーという晴れ姿を車のシートにもたれながら見るシーンに思わず涙。起き上がれない夫のために妻が実況中継するのだ。目を閉じて聴いていたが途中から涙があふれて困る。

 昔なら「お涙頂戴」と斬って捨てていたかもしれないが、同じような年齢。つい、自分と重ねてしまう。余命一年だとしたら、自分に何ができるだろう。
 夫役は勝村政信、妻は夏川結衣。好演。

 会社に着くとやや吐き気が。頭痛、吐き気とくれば、風邪か? そんなに体調が悪いという実感はないが。毎朝、一段落した時に飲むコーヒーも今日はまずい。

 正午過ぎ、やや持ち直し、3.00.K記念病院へ。4.30、地下鉄で乗換駅へ。この頃、街で流行るもの。t.A.T.uもどきの女子高生二人組。今日も電車の中で、3人分の席に2人でゆったり占拠のもどきを観察。タータン柄のミニスカート、茶髪、きつめのアイメイク。二人そろって可愛いというパターン。この年頃はどうも苦手。
 発車間際の電車に飛び乗ったら家から10コも先のK駅まで止まらない快速電車。ウーン、ついてない。
 K駅から引き返し、最寄駅の本屋で辺見庸「いま、抗暴のときに」、森達也「放送禁止歌」を購入。

 夜、ラジオドラマをCDに焼く時、思いついてトラック分割の方法を試してみたら成功。これでまた一歩前進。
6月22日(日)快晴  キャンドルナイト

 9.30起床。二日酔い気味。

 午後、散歩がてら、銀行へ行って預金引き出し、貸し納戸へ支払い。先週出た「賞与」ーー今季から社会保険制度が変わり、賞与、給与から同じ割合で保険料を徴収することになったため、今回の「賞与」から税金が引かれる率は半端じゃない。ほぼ3分の1が税金で持っていかれたのだからたまったもんじゃない。崩壊する家計。コイズミ純一郎はサラリーマンの敵……というより我が家の敵。

 帰宅して音楽ページをアップ。最近通勤の行き帰りに電車の中で聴いているEMYLIなるボーカリストのスローバラード「MARIA」。抜群の歌唱力にてっきり20代のシンガーかと思いきや、まだ15歳のアメリカンスクール9年生。日本人のボーカリストもここまで来たかの思いを強くする。minmiといい、最近の女性シンガーの進化のスピードは恐ろしいくらいだ。

 夜、掲示板で知ったキャンドル・ナイトを我が家でも実行。電気を消して、家族で、恋人同士で、友人同士で語り合おう、という素敵なイベント。自然、宇宙、地球、エネルギーのこと、平和のことーーなんでもいい。

 夕食が遅かったので8.30スタート。勉強で追い込みの高校生の部屋はそのまま。部屋中の電灯を消してロウソクの灯りで10時まで。子供がはしゃぐこと。昔、田舎では風が吹くとすぐに電線が切れて停電になったものだ。ランプをつけて過ごす夜の記憶。非日常は子供にとってわくわくするものだ。

 キャンドル・ナイトロウソクの灯りの前でじっとその火を見つめる息子。最近の子供はマッチをする経験さえない。小学生の時に読んだファラデーの「ろうそくの科学」は子供の科学心を育てる素敵な本だった。暗闇の中で、ロウソクの燃える原理を話して聞かせる。ロウソクに気を取られ、いたずら半分だから、真剣には聞いていないようだけど、少しは父親の話に耳を傾けてくれただろうか。 ロウソクの灯りでお風呂に入る家族。まるで秘湯のよう。
 ロウソクが燃え尽きる頃、10時を迎える。

  東京タワーのカウントダウンはどうだっただろう。芝・増上寺のライブは。
 今回のキャンドルナイトのことを知ったのは今朝になってから。これほど情報網が発達しているのに、まったく耳に入らなかったのはなぜ? 草の根でこういうイベントを企画・運営してくれた人たちに感謝。この「運動」が静かに広がっていけば、何かが変わるかも……。

 しかし、よく考えれば、田舎では7時を過ぎればもうみんな電気を消して町は真っ暗。キャンドルナイトをやらなくても電気の節約はしているわけで……。こんなイベントをやらざるを得ないとういのは都会の傲慢でもある。そのツケを原子力発電所や各発電所が立地する田舎に押し付けていることを忘れていないだろうか。絶対安全というのなら、やはり原発は莫大な電気を消費する都会に作ればいい。
 10.10。パソコンをつけて日記を書く。
6月21日(土)快晴 綱渡り

 日中33度まで気温が上昇。梅雨の合い間の真夏日。これって異常気象か。

 PM3、池袋サンシャイン劇場で昴「怒りの葡萄」。開演直前なのに受付に長蛇の列。客席もほぼ満席。第55回の芸術祭大賞受賞作ということで切符が売れているのか。
 ジョン・フォードの映画は見ているが、スタインベックの原作は残念ながら読んでいない。舞台も前回見のがしているので初めて。

 凶作の土地を離れ、1枚のチラシを頼りに、西へーーカリフォルニアへと職を求めて向かう一家が直面する、社会の矛盾と不正。気負いもてらいもない実直な作劇術に好感。主人公トム・ジョードを演じた宮本充も抑えた演技で熱血で純朴な役をきっちりと演じている。

 桃もぎで雇われた農場で賃金カットに反対したストが行われており、首謀者である牧師ケイシーを殺した土地の男を殴り殺してしまい、逃亡の旅に出るトム・ジョードが最後に母親から「お前がどこにいるのか、私にどうしたらわかるんだい」と涙され、こう答えるシーンは映画と同じ。
 「ぼくは飢えて泣いている子供がいれば、そのそばにいる。職を求める貧しい人たちの列があればそこにいる。闇がこの国を覆う限り、どこにでもぼくはいるよ」

 カリフォルニアには大量の果実や穀物が実っているのに、一方では飢えた人々が多くいる。果実や穀物は収穫されず、むざむざと腐れ果てていく。それは大農園・大資本による果実の価格操作と農業労働者に対する賃金操作の結果なのだ。富めるものは一層豊かになって土地と資本を収奪していくが、貧しいものは一層貧しくなる。
 まるで、「構造改革」なるお題目を隠れ蓑に、富んだ者はより富を増し、低所得者はますます切り捨てられていく今の日本と同じ状況。アメリカの社会学者はハッキリと「これからの日本はアメメリカ型の貧富の差が極度に現われる社会になるだろう」と予測している。

 怒りの葡萄と同じ状況にもかかわらず、1930年代の貧しい農民の目に浮かんだ激怒の色、心の中に膨らんでいった怒りという名の葡萄が日本人の目、心に芽生えないのはなぜだろう。一億総中産階級の時代は終焉を迎え、一億総ゆでガエル状態。

 さて、舞台は映画のラストシーンから先に進む。一家は洪水のために避難したボロ小屋で一人の少女と父親に出会う。父は少女のためにわずかな食糧を捧げ、自分は食べ物を拒み餓死しつつある。すでに衰弱しきった体にはパンさえ受け付けない。「父を助けて」少女の叫び。

 トムの母は、死産したばかりの自分の娘ルーシーの目を見つめる。「わかっているわ、母さん」。
 この静寂のシーンの濃密さ。小屋から人々が出て行った後、死に行く男を優しく抱きかかえ、乳房を含ませるルーシー。
 なんという神々しい幕切れ。これほど哀しくもエロティシズムあふれるシーンは演劇史上稀ではないか。涙滂沱として止まらず。

 6.00終演。駅までダッシュ。電車を乗り継ぎ、森下町へ。途中、秋葉原で立ち食いそば。

 5分前到着。7時からtpt「時間ト部屋」。開演直前なのに、小屋の中はざわついた雰囲気がない。「静かな芝居ですから」とプロデューサーKさんは言うが……。会場後方は空席が目立つ。3分の2の入り。土曜ソワレなのに、tpt常勝神話に翳りか。

 東ドイツの作家ボートー・シュトラウスの代表作で、1989年、ベルリンの壁崩壊直前に書かれた作品。ある部屋の中に現れては消えるさまざまな男女。時間も空間も超越した断片的な言葉の数々。難解ではあるが、一つひとつのシーンは楽しめる。中嶋朋子はすっかり舞台女優が板についてしまった。大浦みずき、手塚とおる、田中哲史、塩野谷正幸、深貝大輔、真那胡敬二、池下重大と名前をすべて列挙したい俳優陣の魅力。中でも「眠る女」ほかを演じた宮田早苗は初めて見る女優さん。透明感ある演技、端正な顔立ち、唇の端がキュッと上がった美形。思わず心奪われてしまう。東京乾電池の所属。道理で見たことがないと思った。
 それにしても、今の時代のテレビドラマと対極的な舞台。こんな難解なエンターテインメントがあってもいい。
 8.50終演。

 電車の中であくびをする女性を見る。どんな美人でもあくびをする時の顔は見られたものじゃないが、この前、モノレールの中で向かい合った席の女性はあくびをしても表情が崩れなかった。とりわけ美人でもないが、あくびの似合う女性は珍しい。あくびというのは深呼吸であり、生命体を維持する緊急行為。生命のもがきであり、見栄えはかまってられないという本能的な行為に違いない。生きるためのもがきは醜く映る。それなのに、あの女性は優雅なあくび。あくびを美しく出来る女性、なかなかいない。

 9.30、G駅下車。久しぶりに「M」へ。のどの渇きをガマンして冷たい生ビールをキュッとやる爽快感。なじみの教授氏や常連客とわいわいやってるうちに、つい飲みすぎたみたい。電車に揺られて酔いが加速。0.00帰宅。そのままバタンキュー。

6月20日(金)快晴 狂騒

 お昼、ベッカムが近所に来ているというので、デジカメ持って外に出たら、路上の女の子(OL?)たちが、「アッ、来た!」と叫び、ドーッとばかりに駆けて行く。彼女たちの嗅覚は鋭い。
 あわてて、その後を追うと、一方通行の道を黒塗りのクルマが数台連ねて走ってくる。女の子たちの歓声。信号待ちで止まったクルマの窓をドンドン叩く猛女。仕方なく、ベッカムが窓を開けて手を振る。それを見てまた歓声。信号が青に変わっても、クルマの後を追いかける女のコたち。クラクション、怒号。いやー、女性の追っかけはスゴイ。

 5.00、池袋。ネット喫茶、タワーレコードを巡回。なじみの店が閉店していたのでびっくり。長引く不況のせいか。

 7.00、芸術劇場中ホールで「天翔ける風に」。野田秀樹の「贋作・罪と罰」を謝珠栄が演出。元宝塚の香寿たつき主演。ロビーには白いランがズラリ。ひときわ目立つ場所に亀井静香の名前。政治家と宝塚スター、よくあるおつきあいか。

 ミュージカル嫌いの人がその嫌いな理由にあげる「会話しながら唐突に歌になる」という典型的なパターンのミュージカル。立川三貴、福井貴一、畠中洋、平沢智といった実力派俳優が脇を固めているので安心して見られるが。
 大義のためなら人は「小さな悪」を犯しても許されるか、というモチーフと、自立する女性像を自分自身の過去に重ね合わせる振付師のパイオニア・謝珠栄の力作。ただし、芝居は大味。
 休憩20分。9.45終演。11.00帰宅。
6月19日(木)曇り時々雨 連鎖

 冷蔵庫の故障はランプの接触不良ということで、なんとか修理したが、今度はガスレンジの魚焼き器の火がつかなくなる。まったく……。

 4.00退社。外が明るいうちの帰宅はなんだか落ち着かず。貧乏性だな。

 小泉増税で年収1000万円の人は120万円の減収になるとか。給料は上がらないし、サラリーマンはやってられんな。ふぅ……。この10年で4万人のサラリーマンが自殺。そのほとんどが経済的事情によるものとか。1日10人以上が自ら死を選ぶ時代はやはりヘン。

 その一方で、政治家への政治献金公開規定が5万円から24万円に引き上げられる。これまで公表されるのを嫌って献金しなかった企業も献金しやすくなる。というか、政治家が受け取りやすくなるわけだ。政党助成金の制度がありながら、この悪知恵。

 そもそも法律で政党助成金を国民に負担させたのは、企業のヒモつき政治献金をなくすという条件だったはず。それなのに、自分たちの都合の悪いことは横紙破り。北朝鮮という仮想敵に国民の目を向けさせて、その間にやり放題。

 福井沖に停泊中の北朝鮮貨物船も、イヤガラセして入港を認めない。台風で沈没したらどうするつもりか、日本中が拍手喝采か扇国交相ドノ。朝鮮総連には課税攻撃。なんのことはない、家族会の蓮池某が主張していた「北との戦争」はすでに始まっているのだ。ここまでイヤガラセされたら「北」だってキレるのは時間の問題。戦前の日本が「ABCD包囲網」を口実に戦争を仕掛けたように、「北」が暴発するのを待っているというわけか。どこまで堕ちればいいのか、わがニッポン低国。 
6月18日(水)雨時々晴れ  3割医療費ずっしり

 午後、電力会社が漏電の検査。4.00、父の日で家族からプレゼントされた甚平姿で歯医者に定期検診。「歯石が少しあるので取りましょう」と女性の歯科衛生士。しかし、本体も削られてしまったようで、歯に違和感。大丈夫か、衛生士。会計で1980円払う。検査と歯石落としだけでこの料金。以前から比べたらかなりの割高感。医療費3割負担の重みがずっしり。ふざけるな小泉。

 三位一体の改革とか言い出して、キャッチフレーズだけはお手のもの。それに無批判に乗っかるマスコミは輪をかけてアホ。

 以前からウワサされていたように、朝日新聞の逆コースは決定的になったようだ。H島社長による護憲派論説主幹の更迭、社会部粛清、経済部重用の人事権濫用が「護憲」「リベラル」の朝日からの大転換になるであろうと見られていたが、社内からは社長派への抵抗勢力は次々と駆逐され、いまやその粛清が完成、昨今の「社説」の小泉擁護論に見られるように、讀賣、産経も真っ青の右翼的論調が前面に出るようになった。

 トップの意向が下部にダイレクトに反映するのはマスコミも一般企業も一緒。もはや朝日は昨日の朝日ならず。その権威主義は嫌いだったが、曲がりなりにも「護憲」「反戦」の旗印を固守していたわけで、朝日らしい気骨には敬意を表していた。無残なり朝日。その右転落はマスコミの戦前回帰の一例として記憶されることだろう。

 帰宅して、昨日のCDをMDにダビング。まとまったことができないまま一日の終わり。
6月17日(火)雨時々晴れ  外は暑いのに客席は…

 3.00、K記念病院。診察と鍼。250円+4000円。

 4.30、銀座。山田勇男展に行こうと思って、地下鉄銀座駅A9出口を出たが、目の前は山野楽器。ふらふらと中へ。入り口ではサラ・ブライトマンの新譜キャンペーン中。

 1時間ほどインディーズコーナーで視聴。倉橋ヨエコと並べて置いてあった二階堂和美。作り過ぎたキャラ、声質、思わせぶりでマニアックな音楽は自分の許容範囲外。倉橋ヨエコあたりが好みの分水嶺か。この前から何度も視聴しては放置している新譜「モダンガール」をじっくり聴いて、購入。初期椎名林檎の変形亜流といえなくもないが。

 6人の女性シンガーによるピアノ弾き語りオムニバス・アルバム「カクテル2」。
 新宿のタワーでも聴いたことがあるが、どれもお嬢様芸で凡庸な印象。いまいちピンとこなくて保留していたが、その中の入日茜が歌う「レクイエムが聴こえる」が耳に飛び込んだ瞬間、体がざわめく。

「仲間と呼べる友にさえ僕の声は届かない」ーー声の質も好きだが、歌詞に漂う心の痛みに奇妙な既視感。
 
 フライヤーが置いてあったのでなにげなく目を通すと、「ある女性歌手がリバイバルヒットしています。彼女の歌は60年代の学生紛争で亡くなった友への鎮魂歌だといわれています…。彼女の過ごした時代を私は知りません。…しかし、その詞に今を感じてしまいます…」

 ある歌手とは森田童子のことだろう。「学生紛争」という単語に苦笑するが、無理もない。彼女が生まれる以前の時代なのだ。……森田童子へのオマージュだったとは。同じ羽の鳥は集まる、か。「白い部屋」収録のシングルもあったので購入。斎藤麻里「素直に包みたい」、イノトモ「七色」の計5枚。

 6.00、京橋近くの画廊にたどり着き「山田勇男」展を見る。パステル、油、色鉛筆などを複合した絵。「紅い花」のキクチサヨコ風のおかっぱ少女がモチーフ。

 7.00、天王洲アイル、アート・スフィアで「tick tick… BOOM!」。吉川徹演出。ピュリッツア賞受賞の「RENT」作者、ジョナサン・ラーソンの自伝的ミュージカル。

 30歳の誕生日を前にした貧乏な作曲家青年の心の揺れを主軸に、恋人、実業界で成功した友人の3人の愛と友情を描いたもの。「30歳がリミット。30歳までに何かしなくては」と考えるのは洋の東西を問わず、若者の宿痾か。
 後方のイントレに生バンドが陣取り、ソーホーをイメージした、全面が壁、後方が階段になった移動式のセット3つが絶えず移動しながら場面が転換する。

 いつもは傲慢さが鼻につく山本耕史だが、この役はまさにはまり役。歌唱も抜群。大浦龍宇一の歌も山本に伍して健闘。TRFのYUーKIは初舞台ということだが、特にアラも見られず、歌はもちろん、ダンスもいデキ。ただ、マイクを通した声なので、セリフがくぐもって聞こえるのは計算違いか。セリフだけは生の声で通すことは出来なかったのか。スフィアの後方まで声は通ると思うが。ミュージカルで音がダメなのは致命的だが、それを補って余りある3人の熱演。

 一番ダメなのは観客。ミュージカルは客席も一緒になって舞台を盛り立てなければ。なのに、拍手もまばら。あれでは役者がかわいそう。隣りに座った音楽業界関係者とおぼしきカップルは終始退屈そうな顔で、男は手に巻いたボクサーテープをはがしたり巻いたり。
 決して舞台がダメというのではなく、きっちり丁寧に作ってあっただけに残念。
 
 帰りの電車で聴くのはSAKURAの「シシラ」。何年も前に買ったCDなのに、なぜかMDにダビングしたのがバッグにまぎれていた。間違えついでに聴いてると、何度聴いても新鮮。まったく飽きがこない。このアルバムの完成度が高い証拠だろう。

 10.40帰宅。
6月16日(月)曇り時々雨   アカルイミライ

 昨夜は早めに寝たので夜中2時ごろ、目がさめてしまう。寝直したが朝起きるとかえって疲労感。

 0.30から,すみだパークスタジオで行われる「阿国」の製作発表、忙しくて行かれず。

 来年度から運転免許証にICチップが埋めこまれ、ICカード化されるという。更新の短縮になるというけど、違反記録も即刻入力されるわけで、警察にとって都合がいいだけ。免許の表面に住所、名前を記載しないから個人情報が漏れる心配はないというが、そんなのはただの言い訳。

 一方、政府・税制調査会では国民一人ひとりに納税者番号をつけてコンピューターで一元管理しようという「納税者番号制度」を導入しようとしている。脱税は防げるかもしれないけど、そのために、個人のプライバシーが国家に管理されるのは本末転倒。恐怖の超管理社会に突入しようとしている。

 住基ネットと連動すれば、それこそ国民一人ひとりの個人情報ーー住所、経済状況、趣味嗜好、病歴、思想信条まで一元的に管理・監視できるわけで、そら恐ろしい時代がやってくる。

 しかも、町中に張り巡らされたビデオカメラの情報、スーパーなどの買い物カード、クレジットカードの情報を取り込めば、狙いをつけた個人の一日の動きをほぼ完璧に把握できる。今、いったん家を出れば、マンションのエレベーターに取り付けられた監視カメラ、コンビニ、銀行、デパート、果ては街中に設置された監視カメラが常に動いているわけで、一日のうち、自分がカメラに捕捉されるのはかなりの回数にのぼる。
 それらの情報と連動すれば、どこで何を買って、どこに行って、何を見て、誰と会って何をしたかという個人の行動は権力者に筒抜けになる。

 ビデオショップでアダルトビデオを借りたとか、スーパーでの買い物傾向から何が好物か、家族の嗜好まで一目瞭然。これに携帯電話の情報が連動すればほぼ完璧に個人情報を捕捉することができる。ケイタイから常に発信される微弱電波の軌跡を追えば、その人が今どこにいるかほとんど誤差なく特定できるというのだ。

 これほど時の権力=国家にとって都合のいい時代はなかったのでは。もし、自分が独裁者なら、小躍りするほどうれしい時代だ。
 こういった個々の情報収奪の制度を個別に少しずつ作って、ある日それを一本化すればいいだけ。あとは、完璧に国民を監視できる社会にできるのだから。

 反対する個人やグループ、政敵など、自分に都合が悪い国民は徹底的にマークして、スキャンダルを捏造したり、相手の弱点を突けばいいだけ。弱点のない人間などどこにもいない。

 かつてはSFの世界だったのが現実になる恐ろしさ。これも現代人が便利さのみを追及してきたツケといえるだろう。人間の幸福のためを謳い文句に、「便利」で「安全」な社会のために、せっせとハイテク技術を開発し、その結果が自然破壊と超管理社会では、まるでマンガ。19世紀初頭の産業革命に対抗して起こった機械打ち壊し=ラッダイト運動のようなハイテク破壊運動が将来起こったりして…。

 しかも、「反政府的人間」ではないから安心というわけにはいかない。権力の傍に身を置く人間でも、粛清はある。絶えず監視の目を気にする戦々恐々の日々。絶対安全な場所などどこにもないという不気味。
 山奥にでも逃げるしかないか。でも、衛星カメラの精度は日々向上しているというし。
 有事法通過にも関心がないか、拍手喝采という若者・中年オヤジが増えてるらしい。国家に束縛されたいと考える人間ーーマゾの極致だな。お笑いと紙一重……てなことを考えてしまう雨の日と暗い月曜日。

 6.00帰宅。冷蔵庫が突然故障。寿命かと思ったが、ランプが切れただけのようでもあり…。テレビに続いて冷蔵庫。モノが壊れるのはなぜか同じ時期に重なる。

 夜、就寝前に母親に怒られた息子が仕方なしに父親の部屋に。生まれてこの方、一度も一緒の布団で寝たことがないのに、珍しくコロンと横になる。で、夜中に目が覚めたらもぬけの空。やはり母親のそばがいいのか…。

6月15日(日)雨時々晴れ  帰省のチケット
 9.30起床。昼食時、家族から父の日のプレゼント。午後、帰省の切符を予約しにJTBに。毎年、この時期は夏休みの日程調整で同僚に気をつかい、帰省電車のチケットが取れるかで気をもむ。お盆時期、日本中が休みになればいいのにと毎年思う。

 昨夜録画した「事件」、FMシアター、ツェッペリンDVD…いろいろ見たい聴きたいのがあるけど、アブハチとらず。なんだかんだと雑用だけで一日が終わる。夕食をとったら眠気に襲われ…。
6月14日(土)雨時々晴れ  変わらぬ笑顔

 降りみ降らずみ、朝からハッキリしない天気。

 昼、銀座マリオン・ピカデリー2で「めぐりあう時間たち」を見る。ほぼ満席で座る椅子を探すのに苦労。公開されてから一カ月近いのにこの人気。リピーター鑑賞券があるとか。

 1923年、ロンドン郊外のリッチモンド、1951年、ロサンゼルス、そして2001年、ニューヨーク。それぞれの時代で、3人の女たちーー姉の訪問を待つ、作家ヴァージニア・ウルフ、夫の誕生パーティーでケーキを作ろうとしている妊娠中の主婦、エイズで死に行く作家のために受賞パーティーを開こうとしている編集者ーーが過ごす一日が描かれる。

 その共通項はヴァージニア・ウルフの著書「ダロウェイ夫人」。

「ミセス・ダロウェイは言った。花は私が買ってくるわ」という同じセリフで始まる3つの世界がなめらかに交錯し、時間の流れが往還する。演劇では珍しいことではないが、映画でこのように見事な時間軸のめまぐるしくも流麗な交差を多用した文芸作というのはあまりないのでは。

 3人の女性にニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリル・ストリープ。これにジョン・C・ライリー、エド・ハリスほか演技派俳優が絡む。特にジュリアン・ムーアの演技は印象的。彼女の息子役を演じるジャック・ロヴェロの「視線」の演技には舌を巻く。

 CGの使い方も見事。SFXというのは、「見えないもの」を視覚化することに意味がある。「マトリックス リローデッド」の”100人スミス”のように、アニメでできることを「実写化」するのは、パントマイムの最下等な「当てぶり」のようなもの。凡百のSFX映画が束になっても、この映画の要諦で使われるCGシーンを超えることはないだろう。

 生と死、狂気と悔恨、母と子、妻と夫…さまざまな局面が絡み合ってナゾめいた豊穣なイメージを作り上げる。演劇と比較して、映画は複合的な視点を獲得することが困難なエンターテインメント。しかし、この映画は、見た人100人がそれぞれ100の視点で語れるであろう「観客の映画」。見終わった後、もう一度、最初から見たいと思ったのは久しぶり。

 4.30、渋谷パルコ劇場で朗読劇「ラヴ・レターズ」300回記念公演記者会見。オープニングの出演者の戸田恵子、寺脇康文、演出の青井陽治が会見。知人のT氏がいたので挨拶。テレビカメラを含め、20人足らずの取材者。ちょっとさびしい。どこかの女性ライターがやたら戸田、寺脇の私生活を聞きたがるので閉口。場が冷えてはいけないので気分転換の質問を。丁寧に答えてくれる戸田さん。30分ほどで終了。

 7時の公演まで間があるので、タワーレコードでCD物色。相変わらずR&B、ポップ・フォークに女性ボーカルが増殖しているが、視聴してみるとどれもハシにも棒にもかからない没個性な手合い。一枚も買わず外へ。
 ただでさえ人が多いのに、傘をさした人群れ、なおさら歩きにくい。路上を席巻する若者たち。渋谷はやはり20代までの町か。

 いつもの蕎麦屋で鴨南うどん997円。
 7.00、パルコ劇場で「ラヴ・レターズ」。日替わりで、今日は戸田・寺脇組。 隣りの席に青井陽治氏。冒頭、二人の登場に、観客をうながすようにひときわ大きな拍手。さすが演出家。

 会見で言ってたように、二人とも一部は純白。二部で黒の衣装。テーブルと椅子だけのシンプルな装置。アンドリューとメリッサーーアメリカの典型的なエリート家庭に生まれた二人の、子供時代から中年を経て、死が二人を分かつまで続いた50年間の手紙のやり取りを通して、不変の愛の形を描く。

 朗読という表現方法は演者の技量によって大きく左右されるもの。その意味で、初めて見た「ラヴ・レターズ」が戸田恵子でよかった。今までの200組以上のカップルの中には人気におんぶした配役もあり、首をひねるカップルが散見した。朗読ということで安易に引き受け、往生した俳優もいるに違いない。朗読こそ俳優の技量・経験があからさまに出るものはない。

 寺脇康文も戸田恵子と並ぶとその表現力は明らかに見劣りがする。それを戸田恵子の技量が補い、最後に大きな感動を巻き起こす。

 休憩15分をはさんで2時間だが、あっという間。
 終盤に差し掛かると、ハンカチを握りしめて、ときおり鼻に押し当てる戸田恵子。涙が光る。それでも感情に押し流されず、最後までメリッサを演じ切った女優魂に感嘆。
 9.10終演。

 楽屋に行って挨拶しようとしたら、「マネジャーに聞いてきます」と劇場担当者。そうか、今や戸田さんは大スターだもの、間にマネジャーだの付き人だのいろんな人が入っている。会うのに手続きが必要なのかと違和感とさびしさ。

 メイク落としに時間がかかり、10分ほど待ったが、出てきた戸田さんは「ご無沙汰してます」といつもと変わらぬ笑顔。「前はそんなことなかったのに、この頃、年なのか、メリッサがかわいそうで、つい…」と涙の理由を話してくれる。「若いときには見えなかったものがある年齢になると見えてくる場合もあるのよね」と。舞台はしばらくお休み。来年はNHKの大河もあるので、テレビにかかりきりになるとか。別れ際、笑顔で両手を胸の前でひらひらさせて見送ってくれる戸田さん。その仕草は昔のまま。
 ロビーには戸田さん、寺脇氏を待つ面会者が長蛇の列。

 駅に向かう途中、なんとなく人恋しい気分。ある店を探してみようと思いたつ。Mさんから教えてもらった店。桜ケ丘にあるという小さなバー。しかし、ようやくたどり着いたら、「本日休業」。仕方なく家路に。
11.15着。

6月13日(金)雨のち晴れ    「お知り合いになれて光栄です」

 PM3.30、K記念病院で診察。若い女性の客員医師。てきぱきとした治療、アドバイス。こういう医師なら毎日でも通いたいものだ。

 帰宅して、パソコンの前に座り、懸案の「市町村合併のウラにあるもの」のページをアップする。難しい問題だけど、なるべくわかりやすくを心がけたが、さてどうだろう。

 グレゴリー・ペック死去。ハリウッドの良心派。なんといっても「ローマの休日」の新聞記者役が一番記憶に残る。最後の謁見シーンの粋なこと。
「アメリカン・ニュースサービスのジョー・ブラットレーです」「お知り合いになれて光栄です」
  夕食前に缶チューハイを飲んだら眠くて眠くて…。
6月12日(木)雨のち晴れ      寺山修司+鈴木清順

 お昼過ぎ、マキさんから電話。月末のライブとエッセイ集発売の件。

 3.20、新橋TCC試写室で映画「蒸発旅日記」(原作=つげ義春)の試写。監督=山田勇男、助監督=森崎偏陸の天井桟敷コンビ。これに美術監督=木村威夫が加わり、最強の布陣。

 木村威夫は御年85歳、いわずと知れた日本映画界の重鎮。鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」「ピストルオペラ」の様式美世界からリアリズムまで幅広い作風。山田勇男は寺山譲りの豊穣な詩的イメージで国際的な評価が高い。この二人の作るつげ義春の世界が面白くないわけがない。

 冒頭から、くいくい引き込まれ、上演時間1時間25分はまさに至福の時間となる。幻想的で官能的なイメージの洪水に、すっかり幻惑されてしまう。

 「ゲンセンカン主人」や「無能の人」など、つげ作品の映画化作品は実は一本も見ていないが、たぶんこれ以上の作品はないだろうと確信。

 主演の銀座吟八、相手役の秋桜子、清水ひとみ、田村高廣ーー登場人物がみな魅力的。とりわけ、ストリッパーの妹分を演じた藤野羽衣子(藤繭ゑ改め)が抜群の存在感。元ストリッパーということだが、艶麗、夢幻のヌードシーンは映画の白眉。このまま真空パックして保存しておきたい愛しい映画。

 随所に寺山修司映画のような生と死のイメージが散りばめられ、フランス風アコーデオン音楽はいかにも寺山修司的。最後の出演となったNHK教育テレビでもアコーデオン音楽が使われていたっけ。こんなふうに何度でも見たいと思う映画に出会うのはめったにない。

 笑ったのは、試写が始まってすぐ、タイトルロゴが裏焼きされていたので、フィルムを間違えたと思って映写技師が止めてしまったこと。裏焼きは意図的なものだったことに気づいて、改めて5分遅れでスタート。本番の上映で、映写技師をあわてさせる場面が出るかも。

 6.30、新宿・紀伊國屋サザンシアターへ。途中で、青年座プロデューサーM氏と一緒になる。今日は「パートタイマー・秋子」が昼公演だけだったそうで、終わった後、関係者と懇親会をしてきたとか。

 俳優座「しまいこんでいた歌」。山田太一の脚本。心の中にしまいこんでいたものを登場人物たちがそれぞれ吐き出したとしたら…。一種の寓話として見るべきなのだろうが…。15分休憩込みで2時間。

 M氏が隣りの席になったので休憩時間におしゃべり。最近の観客は笑いの質が変わったと嘆くM氏。

 右隣に女優のN山藍子さん。M氏が「硬派の○○さんです」と紹介してくれたら「それは心強いですわ」と笑顔。

 子供の頃、NHKの「旅路」を見ていた記憶があるわけで、N山さんといえば、はるか雲の上の人という意識があるが、当時と印象が変わらない。実に若々しい。女優は年をとらないのか。

 この前の新国立での松田正隆作品について、「若い女優たちとの共同作業がとても楽しかった」と。しかし、台本遅れについては「楽日が初日だったら、役者にとって、もっとよかったでしょうね」。台本遅れで長崎弁をおぼえるのが大変だったみたい。しかし、松田作品はとても気に入ってる様子。
 「私の年齢になると、舞台があと何本できるかって考えちゃうから…台本も早くあげてもらわないとね」

 8.30終演。M氏に挨拶して家路に。9.50帰宅。

6月11日(水)快晴  あんな人があんな役で

 9時起床。「男たちの旅路 釧路まで」を見る。昨日見た「マトリックス」の100倍面白い。犯人役で長塚京三、フェリーのパーサー役で久世龍之介、乗客役で津嘉山正種という、今や実現不能な配役。

 午後、散歩に出たついでにCDショップをのぞき、ツェッペリンの「狂熱のライブ」DVDが1500円だったので購入。チャーリー・パーカーの3枚組1480円も。

 帰宅して、町村合併の問題をアップしようと、ねじりはちまき。なんとか夜になって書き終える。さすがに疲れた。休みなのに何やってんだか。 
6月10日(火)快晴  なんでこれがウケるの?

 火曜日なのに予定を入れていない。空白のカレンダー。予定に縛られないですむという解放感と、せっかく休みの前だというのに、なんだか損した気分のせめぎあい。道草派が勝利して、仕事帰りに自宅駅近くのSシネマへ。ジャック・ニコルソンの「アバウト・シュミット」を見たかったが、上映時間終了。仕方なく「マトリックス リローデッド」を見る。1作目と同じ、単純な皮膚感覚映画。特撮のスゴさもここまでいくと、感覚がマヒしてしまい、もはや何の感興もわかない。退屈な2時間。

 7.20、映画館を出て家路に。駅の改札を出ると、駅前ロータリーの隅に女の子二人が座り込み、タバコをふかしている。スカートなのに地べたにペタンと座って道行く人の視線をまるで気にしない。なし崩しに物事が進んでいく時代、ジベタリアンや混んだ通勤電車でおにぎりをパクつき、化粧する女の子たちは、その象徴か。別に悪いことしてるわけないしィー。お腹空いたから食べてるしィ、疲れたから座ってるだけー。行動の基準は主観だけ。自分を客観化できない世代。客観化できないということは自我が無いということ。自我が無いということは子供だということ。なんだ、彼女たちは子供と考えればいいのか。

 夕食後、定期券を買いに行く娘につきそって駅へ。駅前にたむろするポン引き、ナンパ師、やさぐれ中高校生ーー夜道は危険がいっぱい。

6月9日(月)快晴 オトナとコドモ
 
 目が覚める前、ヘンな夢をみていた。紀伊國屋ホールでM新聞のT氏と別れて帰宅すると、その直後にホールが爆破されるという夢。粉々になった紀伊國屋ビル。T氏を探し回る自分。実にリアルな夢。昨日のホールでの不審人物のことが頭にあったのか。有事法制が通り、いよいよ軍人・右翼が闊歩する時代になるという懸念がテロの夢になったのだろう。

 ノムヒョン韓国大統領が国会で演説。「日本の防衛安保法制と平和憲法改正の論議を疑惑と不安の目で見守っている」と述べる。

 有事関連法、イラク新法など再び戦争ができる国に突き進んでいる日本国内の動きに警戒感を表明したわけで、かつて日本に侵略された朝鮮、東南アジアの民衆の声を代弁したものといえよう。

 北朝鮮の核問題に関しても「あまり危険と考えるのは。それ自体が危険だ」と、日本のファナティックな勢力を牽制する。もはや、死に体となっている北朝鮮の脅威を利用して、次々と戦前復古法を成立させている日本政府と右派組織、御用マスコミへの痛撃なカウンターを放ったことになる。さすがに「言うべきことは言う」韓国の大統領は違う。

 日本の北朝鮮拉致事件に関しても「日本国民が受けた衝撃と苦痛をよく理解している」と述べたが、その胸のうちには、「なぜなら我々は同胞100万人をかつて日本に拉致・徴用された経験があるから」という苦渋の思いがあるに違いない。言いたい言葉を飲み込む度量を持った大統領のいる国と、自分が殴ったことは棚に上げて、殴られたことを言い募る被害者意識だけの国民性の違い。逆立ちしたってかなうはずがない。

 PM7帰宅。昨夜の寝不足がたたってか、頭の中が朦朧。早めに寝なくては。

6月8日(日)快晴  闘い済んで日が暮れて

 9.30起床。ネットの掲示板をROMしていたら、あっという間にお昼。午後、躰道の稽古から帰宅した子供と自転車で公園へ。図工の時間で使う小枝を探しに雑木の中を散策。「木の枝を折って持って帰ろうよ」と言うと、「あっ、いけないんだ〜。自然破壊!」と言われてしまう。授業でゴミのリサイクルや環境問題を勉強しているらしい。山の中で育った父親にとって、枯れ枝を折るくらいどうってことなかったが。いまどきの子供のリアクションはなかなか面白い。

 拾った木の枝でチャンバラごっこ、そのあと、綱渡りごっこ。日頃、家にいるときはゲームボーイに夢中で、それを諌める父親に対して反抗的な態度をとる子供がうってかわって天真爛漫。無邪気な笑顔。子供ってやっぱり自然の中で体を動かしているのが一番。こんなにはちきれんばかりの笑顔を見たのは久しぶり。
 つい、サービスのつもりで大きな立ち木に登ってみせたら、意外に高く、登ったはいいが、下りるのが怖い状態。なんのこっちゃ。

 4.30、駅へ。電車で新宿に向かう。6.30から紀伊國屋ホールで日本劇作家協会と日本ペンクラブ共同主催の「個人情報保護法案と表現の自由を考える」と題したイベント。

 ロビーにA紙のI村氏、M紙のT橋氏というおなじみの顔。日曜の夜、サッカーの試合もあるということからか客席は半分にも満たない。ほとんどが中高年。「イラク反戦朗読」の時のような若い世代はまばら。入場料2000円というのも影響あるのだろうか。それにして空席が目立ちすぎ。
出演は井上ひさし、永井愛、吉岡忍。司会は坂手洋二。
個人情報保護法と表現の自由
 開会前から、前列に座った男がヤジらしきものを飛ばし、それに呼応するかのように、別な男が拍手するなど不穏な動き。もしや右翼の妨害かと一瞬会場に緊張が走る。不測の事態に備えて、前列に移動する丸尾聡ら事務局の男性。4人が揃い、会が始まっても、男の意味不明なヤジと笑いが続く。井上ひさし氏、さすがにこの手の妨害には慣れっこの様子。諭すように注意。それが効いたのか、時折、男の場違いな笑いが会場に響くも、次第に小さくなり、壇上の4人の論議は粛々と進む。

 しかし、個人情報保護法が成立してしまったためか、緊張感に欠ける論議。吉岡氏の発言も、会場の人に法律的な理解があるとする前提ではの発言なので、いまひとつわかりにくい。それを軌道修正して、視点を会場の人たちに向けなければならない坂手も、なんだかいまひとつ個人情報保護法の理解に欠けているようで、吉岡氏の話はどんどんズレていく。

 土俵は同じでも、そもそも「個人情報保護法」とは何かを理解していない人にとっては、論理の隘路にはまり込んでしまうような論議が続く。辛うじて、井上ひさし氏が軌道修正し、「メディア規制」「スキャンダル隠し」という問題点に持っていく。さすがに、きちんと法律の問題点を押さえ、手に持ったメモにキーポイントをチェックしてきたようだ。永井愛さんも法律の危険性に触れ、「盗聴法、国旗国歌法、そして有事法と続くこの流れは誰が作ったのか」と疑問を呈す。

 しかし、質疑応答の時間もなく、ダラダラと進むお話に隔靴掻痒。タイトルの「言っちゃいけないセリフがあるの?」に関連した、個人情報保護法と劇作家、劇団の影響についての論議はついに出ない。わずかに、吉岡氏が井上ひさし氏に「山崎拓愛人問題」でふられた話題をカン違いし、「山崎哲の犯罪フィールドノートは個人情報保護法違反になる可能性がある」と述べた時、それを引き取って、もう少し劇作家の表現の自由と個人情報保護法の関係を論議して欲しかった。

 せっかく日本を代表する劇作家が3人壇上にいるのに、「表現の自由」に関した論議に突っ込みが足りないのは残念。吉岡氏もベ平連時代から市民運動をしているためか、運動ズレしていて、壇上の発言も切実さが伝わってこない。
 
わずかに会場が沸いたのは、井上ひさし氏が、「日本の新聞は法律が成立してしまってから、後追い報道をするだけ。もう少し早く報道すべき。そのためには、ペンクラブと劇作家協会からジャンケンでそれぞれ一人ずつ選抜して国会前で焼身自殺してもらうのがいいのかも」と冗談を言ったとき。
 
 ところで、井上ひさしの秋の新国立劇場の新作はなんと、あるとんでもない人物の評伝劇になるという。「転向したと言われるかもしれませんね」と井上氏。あの人とあの人が新国立の舞台で歌い踊る? ウーム、大問題作になるだろうなぁ…。

 9.05終演。もどかしさのみ募った2時間半。ロビーで劇作家のT谷氏に挨拶。「11月にまた桃井かおりの兄のレストランで芝居をやります」とか。

 駅までダッシュ。日曜なのにまるでお祭りのようにごった返す新宿の町。帰りの電車もイヤになるくらい超満員。10.30帰宅。
6月7日(土)快晴  4人コラボレーション

 午後、仕事を抜けて銀座方面へ散歩。風月堂近くの小野画廊で「紙田彰個展」。もともと水彩を描いていた方で、病気をきっかけに油絵を描き始めたとのこと。抽象画というのは作者の心象風景が反映されるものなのだろう。重ね塗りの暗い色調からピンク色を散りばめた「明るい」絵まで、多彩な絵の数々。丁寧に説明してくれる紙田氏は50代前半。その世代に特徴的な、ある種の存在感を醸し出す。長男が1階の水彩画コーナーに常駐。会場に流れる環境音楽は彼の作。父子でコラボレーション、うらやましいくらい良好な親子関係。
 ちょうどTさんが居合わせたので、鑑賞後、彼女の会社の友人と3人でお茶。Tさんから、夏向きのヒンヤリするお話などを聞く。

 2.30、会社に戻り、仕事の続き。
 5.00、後輩たちと約束していたマージャン大会。2年ぶりか? たまには付き合わないと忘れられてしまう。
 11.00、電車がなくなるので、一足先に退散。収支はプラスだけど、負けても勝ってもふところから出て行くのは一緒。マージャンはもう引退かな。楽しいことは楽しいが、何だか時間がもったいなくて…。
 11.30帰宅。
6月6日(金)快晴 気分はもう戦前

 午後1.00、Mさんと待ち合わせ、銀座K珈琲店でお茶。話が弾み、気がつくと3.30。帰社するとA・マキさんからFAX。エッセイ本ができあがったという知らせ。よかった。後片付けして4.30退社。
5.30帰宅。夕食前に軽くビールを。

 娘が国語の教科書を持ってきて「これ」と言うので見ると、寺山修司の短歌が二篇載っている。
「海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり」
「マッチするつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」
 多くの教科書に収録されているのは知っていたが、実物を見るのは初めて。

 午後、国会で有事3法成立。奇しくも今日は6月6日。78年の来栖幕僚長の有事研究発言が今の有事法論議に道を開くきっかけになったのだが、その来栖発言を契機にした初っぱなの「反動法」成立が70年代末の6月6日だったはず。あとで調べればわかるが、当時、映画「オーメン」にひっかけて、6が並ぶ日に成立した法律はやがてこの国に大きな厄災をもたらすに違いないと日記に書いた記憶がある。そしてそれから20数年後の今日。またしても6並びの日の有事法成立。これがステップで、憲法改悪がジャンプ。この分だと、その日も西暦2×××6月6日午後6時か。
 ※あとで調べたら、1979年6月6日に成立したのは「元号法」だった。

 新聞は例によって、一面で事実報道。社会面で言い訳程度に「危惧」を述べてお茶を濁しているだけ。政府があわててメディア規制法を作らなくても、すでにこの国のメディアはジャーナリズム精神をなくしているようなもの。
 腰まで、肩まで…泥まみれ、だが隊長は言う「進め!」…か。そのうち首までドップリ。
 心悸亢進してもアホらしいので早めに就寝。
6月5日(木)晴れ  ウーン……

 6.30、新宿。紀伊國屋ホールで青年座「パートタイマー・秋子」。倒産で職を失った夫と家族のために、片道1時間半かけてよその町でパート勤めをすることになった元部長夫人が見たスーパーの人間模様、そして食品業界の裏側。世間知らずの主婦が社会の不条理と出会い、傷つきながらも自分の場所を探していく。「ら抜きの殺意」と同じように、永井愛の庶民コメディーになるのだろうが…。永井愛の作品としては奥行きが…。

 書店で高野文子「黄色い本」、岡崎京子「ヘルター・スケルター」を購入。「絶対安全カミソリ」から20年、高野文子の絵のタッチがまったく別なものになっていることを知る。「ユリイカ」で高野文子と大友克洋特集。
6月4日(水)雨  虚実皮膜

 いよいよテレビがオシャカになったので、近所の量販店K電器まで自転車でひとっ走り。

 ハンドルを握りながら、口をついて出る歌は渡哲也の「純愛のブルース」。「オレが死んだら幸せな恋をしとくれ頼んだぜ ひとりぼっちは辛いけど 泣いちゃいけない人目につくぜ お前にゃ素敵な明日がある〜♪」

 渡哲也も、あの頃がよかった。「無頼」「大幹部」「東京流れ者」…日活、不死鳥の哲が輝いていた時代。
 今は石原軍団の看板背負って、慎太郎に義理立て、人寄せパンダ役に徹しているけど、本当は落ち葉集めて焚き火をしているのが似合う人だと思う。

 K電器到着。あれこれ検討して、結局、今使っている21型と同型のVHS内蔵テレビを買う。古いテレビの廃棄費用も含めて4万円ちょっとの出費。ブラウン管型は安い。液晶は20万円以上と高いうえにまだ画面の鮮明度が落ちる。帰宅して小一時間ほどで製品が搬入される。元の台座にテレビを設置、チャンネルなどを調整。やはりテレビも新しいのは見栄えがする。

 昨日、録画した「なんでも鑑定団」を見る。井崎脩五郎が寺山修司の直筆原稿を出品。48枚の原稿に280万円の値がつく。
 三島由紀夫、司馬遼太郎と並ぶ高値ベスト3が寺山修司の直筆原稿とか。以前、九條さんに、「古物商から直筆原稿を買い戻そうとしたら、あまりの値段の高さに手が出なかった」という話を聞いたことがある。確かに高い。ただ、寺山修司にはI、M氏という代筆の達人がいて、ほとんど本人と見分けがつかない文字を書くので、ホンモノかどうかは鑑定が必要だろう。今まで本人の直筆だと思っていたのが、H氏の代筆だったと知ってショックを受けた評論家氏の話も先日聞いたばかり。死して古物商を走らす寺山修司。その「文字」の真贋さえ、誰にもわからないとは虚実皮膜の境を生きた寺山修司らしい。

 夕方、宿題を忘れた子供につきそって学校へ。玄関にジャージ姿の若い女の子たち。学生かと思いきや、しっかり先生。担任の教師が笑顔で挨拶。これもまた若い。そのへんの女子大生みたい。そうか、オレから見れば、そんな世代が教師をやっているのか。まだ女子大生にしか見えないのが先生とは。胸中複雑。

 帰宅して、「市町村合併」問題を検証する。ネットで検索しても政府の公式発表をなぞる各地方自治体のHPばかり。これでは、合併問題の真の狙いはわからない。それなら、自分でわかりやすい合併問題Q&Aをアップした方がいい。

 原稿を半分ほど書いたところで、夕食の時間。発泡酒飲んだら、根気が続かず断念。
6月3日(火)晴れ  看板に偽りあり

 朝、着たいTシャツが見つからないので、先日、間違えて買ってしまったノースリーブTシャツで出勤。さすがに気恥ずかしいものがある。やはり一部でヒンシュク。
仮面ライダー
 1.30、東京會舘で夏休み東映映画の製作発表。「仮面ライダー555」に黒川芽衣が出演してるため、M氏から連絡を受けて駆けつけたのだった。「爆竜戦隊アバレンジャー」とダブル製作発表。

 定刻に少し遅れて会場に着いたら、だだっ広い「ローズの間」が座る席もないほど超満員。300人以上の取材者。関係者を入れれば400人はいただろう。ヒーローもの映画ということで、バイク雑誌からオタク系雑誌まで幅広い。さすがに映画の製作発表の規模は演劇の比ではない。黒川芽衣、質問にも落ち着いた受け答え。女優として大物の片鱗を感じさせる。
 3.00帰社。

 6.00、こどもの城のレストランでちらし寿司+カフェオレ=1291円。いつもながらここは高い。

7.00、青山劇場でホリプロ+ナイロン100℃「ドント・トラスト・オーバー30」。奥菜恵、ユースケ・サンタマリア主演。結婚式の途中でタイムスリップした花嫁を探しに50年代〜60年代をワープする男をめぐるオハナシ。

 チラシを見ると、60年代グループサウンズ風ミュージカル。ポップではじけたミュージカルになるかと期待したが、酔っ払って書いた論文みたいに、同じ所をグルグルなぞるような、チマチマした脚本。会話の「外し方」もワンパターン。くすぐりの笑いは嫌い。先が読めてしまってゲンナリ。10分で飽きてしまう。ミュージカルのパロディーをやりたかったのか、メタ・ミュージカルにしたかったのか。メタメタ。最後に無理やり純愛劇に話をまとめればいいってもんじゃない。

 1幕終演8.45。帰ってしまおうかと思ったが、大枚はたいて買ったチケット、もったいない。見渡すと空席も目立つ。eプラスで半額サービスの設定日になっていたのはこのためか。トイレに行くとSMAPのKT。芸能人はわざと帽子を目深にかぶるからよけい目立つ。

 秋山菜津子、犬山犬子、みのすけ、三宅弘城、峯村リエ、松永玲子、新谷真弓…みんな大好きな役者ばかり。なのに、これはない。無駄なシーンを削って2時間で十分。「フライング」も使いすぎ。時代が60年代なのに、GSっぽい曲は1幕の終わりくらいなもの。あとは、80年代音楽。鈴木慶一=ムーンライダースだからか。

「たま」が出演・演奏しているせいでもないだろうが、舞台も「さよなら人類」。廃墟のイメージ。
 不可解なのは「スパイダース」井上順の使われ方。最初から最後までしょぼくれた中年オヤジの役。普通、GSものをやるなら、1曲くらいは歌わせて、見せ場を作らないか? それが観客・ゲストサービスというものでは。

 10.40終演。消化不良でカタルシスもない。釈然としないまま家路に。ただ、テレビで見るユースケにはまったく関心がなかったけど、舞台のユースケはなかなかいい。好感が持てる。
 11・55帰宅。

 昔のカセットテープに録音したオーディオドラマをデジタル化するため、テープ走行させていたら、途中空白があり、突然、耳慣れた声が聞こえてくる。なんと20数年前の自分の声。誰かとの会話。どうやらドラマの入っているテープに間違えて上書きしたらしい。昔のラジカセは意外にクリア。過去の亡霊に出会ったようなもの。怖い。

 「田舎の町村を消せ!」読了。「町村合併問題」の概要はつかめた。もう一度精読しなければ。
6月2日(月)晴れ  やらずぶったくり

 3.20、K記念病院。診察&鍼治療。
7.00帰宅。

 数日前からテレビが不調。ブラウン管が真っ暗になり、真ん中に横の光の線が入る。もう寿命なのか。叩いたりゆすったりすると突然息を吹き返すが、その間隔も短くなっている。テレビではなく、ほとんどラジオ状態。どうせ買い換えるなら、液晶テレビがいいけど、まだまだ高いし…。ボーナス月でもないというのに、もの入り。

 婦女暴行致傷容疑で先月実刑判決が下り、控訴したものの、突然辞職した元都議会議員・福島寿一に期末手当(ボーナス)が満額出るという。その額240万円。逮捕されてからも月額103万円の議員報酬が支払われ、半年で1000万円が婦女暴行議員に渡ることになる。いくら法制上は問題がないとはいっても、仕事しない議員に1000万円とは、庶民感情として割り切れない。辻元清美の秘書給与プール疑惑より、こんなヤツの方がよっぽどタチが悪いと思うが。

 議員ボーナス240万円か。液晶テレビどころかプラズマ大画面のテレビが買えるな。個人感情は抜きにして(?)やっぱり納得できん……。
6月1日(日)曇り時々雨  父になりたかった男たち

 9時起床。昨日録画した「男たちの旅路第二部 冬の樹」を見る。放送から約30年ぶり。すっかり忘れてしまっていると思いきや、ついこの前、見たような既視感。俳優の表情、セリフまで鮮明に記憶に残っている。山田太一の脚本はそれほど鮮烈なものだったのか。

 ミュージシャンの追っかけをしてテレビ局の裏口に押しかけた少女たちの一群。その中の一人の女子高生が脳しんとうで倒れ、警備員である吉岡指令補らに助けられたことから物語は始まる。

 謝罪に行った少女宅で、彼女の父親と衝突してしまう吉岡。当時見た時、冷静であるはずの吉岡指令補(鶴田浩二)がいつになく激昂し、少女の父と感情的に決裂してしまうシーンが奇妙に映ったものだったが、20代と40代ではやはり同じドラマを見ていても視点が違ってくる。年齢と共に、見えなかったもの、見えなかった感情が見えてくる。鶴田浩二、当時おそらく50代になったばかりか。20代の桃井かおりの思慕を受け入れることができなかった理由も今はわかるような気がする。

 この回の女子高生・竹井みどりに対する過剰な干渉と思い入れもまた、うっすらと理解できる。
「子供をもったことのないアンタに何がわかるんだ。たった数回しか会った事のないアンタに両親よりもあの子の事が理解できるわけがない」
 水谷豊の叩きつけるような反駁に吉岡は頑なに「わかるからわかるんだ。子供がなくてもわかるんだ」と言い募る。

「父親になりたかったのよ、ね。あの人は…」
 桃井かおりのつぶやき。「今からでも家庭を持って、人生をやり直せば…」
 桃井かおりの吉岡への思いが表出される印象的なシーン。

 20歳の頃、このドラマを見ていて、吉岡の「娘」への思いが半分も理解できていなかったことに気づく。父親になれなかった男ーー。

 ふと、寺山修司の絶筆を思い出す。

 時がくると、私の人生にはピリオドが打たれる。だが、父親になれた男の死はピリオドではなく、コンマなのだ。コンマは休止符であり、また次のセンテンスへとひきつがれてゆくことになる。

「父親になれざりしかな遠沖を泳ぐ老犬しばらく見つむ」(墓場まで何マイル?)

 寺山修司の孤独と憂愁ーーそれはまさに吉岡指令補=鶴田浩二の孤独に通底する。

 「男たちの旅路」のようなドラマが消えてしまった今のテレビ界の不毛!


 午後、外出のついでに寄ったCDショップでジャンゴ・ラインハルトの3枚組CDを1280円で買う。CDの価格破壊もここまできたか。

 元「初日通信」、小森氏からハガキが届く。小説家としてデビューするという。江盛さんから聞いていたが、自ら版元となって作家活動をするとか。シンガー・ソングライターならぬパブリッシャー・ノベルライター。第一弾が「終の棲家は海に臨んで」。進取の精神に富んだ小森氏、その行動力はうらやましい限り。

 ネットで頼んだ「田舎の町村を消せ!」が届く。平成の町村大合併への異議申し立てをする一書。政府の推進する町村合併政策にはうさん臭さを感じる。この際、きちんと勉強しなくては。

 夕方、窓の外が赤く染まる。山の端に消えてゆく夕陽。「夕陽がきれいだから来て!」の声に、ベランダで家族が一緒になって沈む夕陽を眺める。人は夕陽を見ているだけで、なぜこんなに幸せな気持ちになれるのだろう…。

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