| 8月31日(日)快晴 9.30起床。 思い立って、70年代の芝居やイベントのフライヤーをもとに、備忘録ページを作成。ネットで検索しても、古い情報はほとんどないので、記録として残しておかなくては。わずか30年前、ハマコーと竹中労が舞台でつかみあいの乱闘をしたり、ロッキード事件の主役・児玉誉志夫、自民党青嵐会の政治家連中と松田政男、若松孝二ら”日本赤軍”シンパが同じ舞台に立つという信じられないイベントがあったわけで、面白すぎる時代。今ならさしずめ、そのミニ版が「ロフト・プラスワン」か。 夕方、県知事選投票。生まれて初めて棄権しようかと思ったほど、顔ぶれがヒドイ。少しはましな上田某だって新自由クラブかた新生党を経由した保守派でしかない。「無党派革新」という言葉は死語になってしまった。投票後、家族で食事。 帰宅して昨日、テレビ朝日で放送した「そして明日から」を見る。函館が舞台。帰省中、テレビで繰り返し予告編が流れていたので、見ようと思って録画しておいたのだ。 幼い頃、離婚した父親に息子が結婚式の招待状を出したことから、母親、継父の間に微妙な波風が立ち…という家庭劇。小林薫が例によって気弱でいい人を演じているが、この人の真骨頂は徹底的な悪役にあるはず。いつかいつかと思いながら、ついに小林薫に適役を与えないままきてしまったテレビ界。 舞台が函館というだけで、郷愁を誘う。子供の頃から、対岸の函館の町を見て育ったせいか、異国の地、見果てぬ夢の地を函館に重ねてしまう。町並みも人も日本中で一番函館が好き。 で、期待して見たものの、拍子抜け。岩松了の脚本は舞台で見れば、なんとなく奥行きがありそうで、意味ありげなセリフや動きに、評論家たちも目くらましにあい、ついつい賞賛するのだろうけど、テレビというリアルなフィルターを通して見ると、思わせぶりなセリフや舞台の演出で岩松が多用する「壁に邪魔されて半分しか体が見えない男と女の会話」なども、考えオチで陳腐にしか見えない。「インテリ」向けの脚本は市井の視聴者の目から見れば「なんじゃこれは!」と叫びたくなるシロモノ。 1時間という枠の制限もあるにしても、人間の細かな感情や機微がまったく見えてこない脚本。だいたい、息子の招待状に機嫌を損ねて結婚式を間近に控えた母親が1週間も家出するなんてバカバカしい。それを待つ継父が風呂掃除するシーンもとってつけたようでイヤらしい。 先日見た映画「アマロ神父」の一登場人物・老婆の描き方ひとつ見ても雲泥の差。人間は自分でも思いもかけぬ方角に転がっていくから面白いのであって、今回の岩松脚本を単色とすれば、「アマロ」の登場人物たちはフルカラー24ビット。 期待した分、ガッカリの一本。 8月30日(土)快晴 6.30〜PM1.00、根を詰めて仕事。 2.00、シアタートラムでテレパック「恋のエチュード」。小島聖と緒川たまきが川上弘美の短編小説を朗読。「百年」(小島)「溺レる」(緒川)「春の虫」(小島+緒川)。情死の果てに死んだ女が、生き残って87歳まで生を全うした男を思ってあの世から思いのたけを語る「百年」は、タイトルからも推測されるように夏目漱石の「夢十夜」と対をなす作品と思える。 川上弘美の死と生の混沌としたあやかしの世界はその文体のエロチシズムとあいまって耳に心地よく響く。演出は鐘下辰男。中央に水が張ったプールがあり、上から時おり、水滴が落ちる。その波紋の広がる様子が壁に反射する。時に、水の周りを歩きながら朗読する2人。後方に後ろ向きの男性の彫像。このところ、鐘下の舞台にはよくこの手のオブジェが使われる。 小島聖のよどみない声と、粛然としたたたずまい、誰かにそっくりだと思ったら、松坂慶子だ。あらためてその演技の巧みさを再確認。 緒川たまきも実にうまい朗読だが、「大学のサークルの優等生」とう風情。妖艶さの点では小島に百歩譲る。凛とした表情のヴァイオリン・MAYAの華やかさが印象的。 しわぶき一つない静まり返った会場に響く恋の変奏曲。充実の1時間45分。ぷりえーるのM崎さんに挨拶。 5時からは新橋演舞場で劇団☆新感線「阿修羅城の瞳」。楽勝で間に合うと、電車に乗って銀座乗換え。ところが、チケットを取り出して見たら、なんと26日、火曜日の日付。がく然。カレンダーに予定を記入するときに間違えた模様。ということは、26日はテアトル・エコーじゃなくて、演舞場だったわけか。大枚はたいて買った1万1000円の席がパー。近年、すっかり新感線とは相性が悪くなってしまった。どうせいつもの新感線だろう…と「すっぱい葡萄」をひとりごちても、空しい。 会社に戻り、映画でも行こうかと思ったら、後輩が「メンバー足りないので、どうですか?」とマージャンのお誘い。乗り気ではなかったが、演舞場ショックが尾を引き、やけくそ状態。「いいよ」、というわけ0.00まで。負けはしなかったが、終電に乗り遅れ、途中駅まで。タクシーで4000円余り。新感線のおかげでとんだ出費に。1.30帰宅。 8月29日(金)快晴 睡眠時間3時間で会社へ。比較的ラクな仕事だったからよかったものの、睡眠不足では仕事にならない。 Mフォース・K泉さんからGMNのCD届く。11月にも新譜が出るという。 2.00、博品館劇場で「東京メッツ」。ついこの前公演があったと思ったら、インターバルが短い。オーディションで選ばれた女性メンバーたちの歌とダンスのショー。ケイダッシュの主催だからか、客席には業界関係者らしきオジサンたち。 7時に紀伊國屋ホールで劇団「MONO」観劇の予定だったが、体調不良でパス。7.00帰宅。子供の自由研究の手伝い。ロウソクを使った実験。 9.00、「火星が見えたよ」 玄関口から息子の声。 南東の方角を見ると、ひときわ明るい星。あれが火星? 金星のような気がしないでもないが…。妥協。 8月28日(木)快晴 PM2.40、K記念病院。笑顔が大地真央似の女医・H元先生の日。どうせ診察してもらうなら、むくつけき男の医者より癒し系の女医さんの方がいい? 3.40、そのまま鍼治療になだれ込む。約3週間、間が空いたのに、症状はほとんど変わらず。悪化もせず、かといって飛躍的に改善されるわけでなし。今行なっている鍼が耳鳴りに効果があるかどうか、ちょっと疑問。しかし、「鍼のおかげで悪化が防げているのでは」と思い直したり。まるで、「イワシの頭も信心から」。 6.00、下北沢。「千草」が定休日なので、「げんこつラーメン」。730円。マンガ喫茶で30分ほどネット。 7.00、スズナリでMODE「ゼロの神話」。客席にO鷹AとN瀬Nのカップル。マスコミで売れているからか帽子を目深にかぶって入退出。ウーン……。 山崎哲の作品をMODE=松本修がどう舞台化するか興味津々だったが、これが実にうまく換骨奪胎、今までのMODEにはない、正統派”テンション芝居”にしている。 惨劇の場を想起させる立て札があるマンションの前の空き地で繰り広げられる男と女の食卓。彼らの会話から、二人の殺人事件に至る生々しい葛藤が描き出される。研修医役の中田春介がこなれた演技。流山児★事務所出身とか。妻役は石村実伽。別役実ふうな「あれ・これ・それ」の指示語が多用される不条理劇が後半に進むにつれ、ドス黒い犯罪劇へと転化していく。 原作では「コンドルは飛んでいく」などポピュラリティーのある音楽が使われたというが、音楽の使い方に関していえば、松本修の方が数段上。得意のファドを的確なシーンに挿入、見事な効果をあげている。音楽だけでこれほど劇的な効果を生み出せるとは。松本修の音楽のセンスに舌を巻く。ただ、今日は、重要な小道具であるガスコンロがうまく点火せず、最後までハラハラ。結局、生のトウフを役者が口にするハメに。「どうしたらいいのか気になってセリフは飛んでしまうし…」と中田。役者にとっては災難だが、かえって異様な緊張感がみなぎって、観客にとってはスリリングな舞台。 9.00・終演後、ロビーで黒木美奈子さんに挨拶。その後、「ふるさと」に場所を移して飲み会。疲れているので、早めに辞去しようと思ったが、居心地がよくてつい終電ギリギリまで。「場所と思い出」に出ていたK林麻子さんとおしゃべり。今日、前説を担当していたが、その話し方といい”外し方”といい、実にユニークでキュートな女優さん。映画やCMでも活躍中とか。加納健詞さんは25歳。水割りを作ったり、細かい気遣いをしてくれる。 I村実伽は去年の暮れのアトリエ帰りのことをしっかりおぼえていてくれて、「今日はありがとうございました」とにっこり。A山京子さんは「役者の方でしたっけ?」と大ボケ。すぐに暮れのアトリエを思い出してくれたが、冷泉氏のことを話題にしたのに、こちらもすっかり忘れていた。酒を飲んでいると、だいたい半分は記憶から飛んでしまう。 元燐光群の美香も同席。昔とほとんど変わらない。そういえば、15年ほど前にアイドル本に「美香・美加理・美里のアイドル三段活用」という原稿を書いたっけ。美香に話すと「それ、ダンナが買ってきて見せてくれたんです」とちゃんとおぼえていてくれたのがうれしい。美里はやはり燐光群の女優だったが、すぐに引退したという。 K子智実は、愛人役で出ていた女優さん。「若草物語」の末娘の役でオーディションからデビューしたのだった。そういえば、「屋上のひと」にも出ていたっけ。松本さんの役者紹介によれば、1年半で5本出ているという。いかにも松本好みで、K木美奈子さんとよく似た、ノーブルな面差しと知的な雰囲気を漂わせた女優。昔から松本さんと女性の趣味には共通項がある。若く可愛い美人女優たちと話していると時間のたつのを忘れる。ゲンキンな…。 で、早く帰ろうと思いながらも、ついつい話しこんでしまい、11.30、K木さん、桜井さんと三人で駅へ。桜井さんは綾瀬に引っ越したそうで、途中まで話しながら電車。12.40帰宅。 8月27日(水)快晴 9.30起床。 午後から家族でボウリング場に。5.00、帰宅途中でタワーレコード。ジムノペディの新譜「ヒメゴト花火」を買う。 家に戻り、ラジオドラマ2本、CD−Rに焼き、ラベル作成。暑い、部屋の中は蒸し風呂状態。久米宏が会見で「ニュースステーションで自分が本当に言いたいことを言ったら殺されていただろう」と冗談交じりに述べていたが、それは本音だろう。テレビにはタブーが多すぎる。実際に命の危機を感じたこともあるに違いない。これからますますそのタブーは肥大化していく。久米宏がそんなテレビに見切りをつけたとしても不思議ではない。 8月26日(火)快晴 一昨夜から、起床時になると、後頭部が重く、首を持ち上げようとすると、鈍い痛みが走る。寝違えなら肩から首にかけて痛むのだが、後頭部というのはちょっとイヤな感じ。 仕事を終えて、近くのSLタワーにあるスポーツマッサージへ。20分2500円。首の周りを重点的にほぐしてもらう。 3.30、その隣りにあるSPE試写室で「アマロ神父の罪」の試写会。こんな場所に試写室ができたとは知らなかった。 カルロス・カレラ監督のメキシコ映画で、2003年アカデミー賞外国映画賞ノミネート作品。 19世紀のポルトガル文学者、エッサ・デ・ケイロスの長編小説を現代に移し変えたもので、宣伝コピーを引用するならば「教会の規律を破って愛し合う若き神父と教区の少女の激しく切ない愛を描いた衝撃作」となる。 これだけならよくある物語と思うかもしれないが、教会・社会の腐敗・堕落という普遍的なテーマを織り込み、息をもつかせぬエンターテインメントにしている。司祭が愛人を囲い、麻薬密売人のマネーロンダリングに教会の療養所建設が使われたり、新聞社の記事を潰すために圧力をかけたり…。一方で貧しい農民のために山奥で闘う神父はゲリラ支援のカドで司教によって破門される。ケイタイ電話片手に、バスタブにつかりながら指令をくだす司教の俗物性。 主演のガエル・ガルシア・ベルナルが実にいい。若く純粋で理想に燃えながら、次第に現実の前に挫折していく神父の役を繊細に、リリカルに演じる。相手役の少女、アナ・クラウディア・タランコン、その母、アンヘリカ・アラゴン、奇怪な老婆のルイサ・ウエルタス、ベニト神父のサンチョ・グラシア…。こんな重厚で、表現力豊かなメキシコ映画を見ると、今の日本映画の貧弱さが恥ずかしくなる。 感情の流れの自然さ、聖と俗、正邪ーーそれらが渾然となり、ハリウッド映画のように単純な正義を振りかざすこともない。そこにあるのは人間の業とでもいうべきもの。それを的確に描くラストシーンの見事さ。2時間弱。ハリウッド映画が束になってもこの映画1本の表現力にはかなわないだろう。 5.30、帰社し、夕食。6.30、恵比寿へ。テアトル・エコー「九月になれば」の予定。ところが、劇場前に来ると、階段に鎖。あれ? 場所を間違えたかなと思って、ポスターを見ると確かにエコー劇場での上演。となると、残る可能性は…上演時間を間違えた? もしかしてソワレがない日だったのか。なんというミス。火曜日のソワレは一番貴重な時間帯。翌日の仕事を気にせず、ゆったり気分で見られるので、上演時間の長い舞台などは火曜日に設定しているのに…。もったいないことをした。 日比谷線経由でG駅下車。「S」で軽くノドを潤し、帰宅。 8月25日(月)快晴 うだるような暑さで昨夜はほとんど眠れず。睡眠不足のまま会社へ。 深夜、HPのカウンターが10万を突破する。応援してくれている仲間に感謝。 住基ネット本格稼動。「全国どこでも住民票が取れる、転出入届が簡単になる」という瑣末な恩恵と、個人情報漏洩の危険性を比較考量すれば、幼稚園児でもわかるようなばかばかしい国家プロジェクト。なんとしてでも稼動させて実績を作り、既成事実化したいのは住基ネットを来るべき国民総背番号制に連動させたい政府の思惑があるからで、無批判に「住基ネットスタート」のニュースを垂れ流すマスコミは犯罪的。今より遠い所で住民票を取得するケースが一生のうち何度あるというのだろう。そんな欺瞞をつかないで、万景峰号入港報道に大仰な紙面を費やすアホらしさ。 昨日、電話で話したY元先生は今年2月、青森県むつ市で、使用済み核燃料中間貯蔵施設に反対する市民団体「核の中間貯蔵施設はいらない!下北の会」を結成し、反核燃運動を行っているとか。会は元高校教職員などがメンバー。これこそ「インテリ=知識人」のあるべき姿ではないか、と思う。 PM4.30帰宅。歯医者で欠けたプラスチックの修復。1450円。 8.30、高校時代の担任YS先生に電話。30年ぶり。どちらかといえば、おとなしく、生徒に声を上げて叱る先生ではなかったが、それは今も変わっていない。「ああ、○○くんか。声は変わってないね。今、顔も思い出したよ」と小声で淡々とした話し方。同窓会報の原稿の依頼すると、「もう昔のことは忘れちゃってね。退職して5年だし…」と言いながらも、快く引き受けてくれる。30年か。今から考えれば、あの頃の教師は、まだ20代、30代。あまり生徒と年齢が変わらなかったんだ…。あの頃の教師よりもはるかに年を越えてしまったわけで、なんだか奇妙な感覚。 CDを焼くときに、音楽とデータを間違えて焼いていたことに気づく。データCDはミニコンポで聴けない。ラジオドラマのやり直しCD多数。なんのこっちゃ。 今夜も熱帯夜。さて、氷枕で熟睡できるか? 8月24日(日)快晴 昨日に引き続き、ピーカン照りの一日。先に西武園に行った家族の後追いをしなければならなかったのに、あまりの暑さにダウン。行かずに家でゴロ寝。 この前、田舎の小屋から出てきたカセットの中の一本、「成田空港開港?廃港?」というTBSのラジオ番組「土曜ワイドラジオトーキョー」生放送を聴いてみる。三里塚空港反対運動の歴史を追いながら、開港したばかりの成田空港を廃港にしたなら、その巨大な跡地を何に使うかを各界の有名人にインタビューしている。林家三平など、「戸外寄席にしたい」ととぼけた答え。 成田空港の開港に合わせてぶつけたラジオ番組だ。空港反対運動が最盛期だったとはいえ、国家プロジェクトに対して、それを真正面から批判的な視点で構成する番組を作っていた当時のTBSの気骨。メインキャスターは久米宏。軽やかにそして的確に問題を解きほぐす。 久米宏を「バラエティー番組上がりの」と評する芸能マスコミは、テレビ・バラエティー以前の久米宏を知らない不勉強な人たち。思えば、久米宏の病気降板がなければ、ピンチヒッター・林美雄のパック。・イン・ミュージックもなかったわけだが、久米宏がそのまま深夜放送を続けていたとしたら、深夜放送の歴史はまた違うものになっただろう。林美雄が登場しなければ、自分の70年代もまったく別のものになっていたに違いないし…。 軟派な装いで、硬派に時代を斜め斬りする久米宏の原点はラジオにある。いわば久米宏こそゲリラジャーナリズムのさきがけといえよう。 「ニュースステーション」降板は次なる戦場への転戦と考えるべきだ。 夕方、高校時代の国語の担任・Y先生に電話。10月の高校同窓会会報の件で相談。「東京支部は頑張ってるね」と、即座に頼みを聞き入れてくれる。 「最近、非常に嬉しいことがありましてね」とY先生。 退職したY先生の最後の現場は定時制高校だった。その第一回卒業の生徒たちが先日、先生を囲む同窓会を開いてくれたとか。「みんな個性があって(手におえなかった?)、たいへんだったけど、あんなふうに、会を開いてくれるなんて思ってもみなかった。定時制出身であることに誇りをもって、みんな社会人として頑張っています」とY先生。 教師としての一番の喜びは、生徒たちの成長に違いない。 先日の、むつ市長のインサイダー疑惑についても手厳しい。「地元紙の記者が記者会見であれほど厳しく追及したのはおそらく初めてでしょう」 疑惑をめぐってはさまざまなウワサが飛び交っているらしいが市議選絡みで今は水面下の動き。 8・00、恒例・阿波踊り最終日の駅前に子供と出て、タコ焼き、綿飴。今年も人出の多いこと。すさまじい人波に圧倒されて人酔い。9.00帰宅。今度は娘の買い物につきあい再び人ごみの中へ。10.00帰宅。蒸し暑さで眠れない一夜になりそう。 8月23日(土)快晴 今年一番の暑さ。場所によっては36℃まで気温が上昇したという。 6.30。会社に到着し、アドレナリン全開で仕事のこなす。そのためPM1.00、すべての仕事を終了。来週月曜日から、活字の大きさが変わるので、それへの対応。 この20年間で、新聞活字の大きさは飛躍的に大きくなった。20年前の活字を今見ると、あまりにも小さいのでびっくりする。活字が大きくなったということは、情報量が減ったということでもある。単純に、20年前と今では2割以上は情報量が減っていることになる。 それにしても、こんなに活字を大きくせざるをえないというのは、日本人全体がの視力が低下したということか。昼食は冷やし中華900円。 PM2、下北沢、ザ・スズナリでMODE「場所と思い出」。 別役実の作品の中でも、不条理性の中に整合性がある作品。バスを待つ一人のセールスマンが、夫をコレラで亡くしたという2人の乳母車の女、盲人の夫とその妻の出現によって、次第に内部を寝食されていく。他人の夢に巻き込まれ、翻弄されるという、昔の外国テレビドラマにありそうな実に整合性のすっきりした舞台。MODEらしく、インターミッッションに音楽を挿入し、別役作品への異化効果を上げている。こんなに別役作品が面白いとは。 終演後、ロビーで松本さんとおしゃべり。秋は近大の講義のため、公演は来年までお休みとか。 その後、「ZAC」でMODE出演中の石井ひとみ、元梁山泊のT永廣美、スチュワーデスのAさん、主婦の友社のB氏とお茶。T永さんは去年結婚して、世田谷の二世帯住宅に住む若奥様。Aさんは病気をして今、療養中とか。3人で会うのも久しぶり。話に花が咲き、あっという間の2時間。なかなか興味深い話も聞く。 4人と別れて、駅へ。今日から改札が新設されて、2つになる。乗降客が多いから仕方ないか。下北沢の町はいつまでも変わらないでいてほしい。 思い立って、東北沢まで歩いてみる。30年前とほとんど変わらない道筋。駅前もあまり変わっていない。ただ、踏み切り前の角の八百屋は寿司屋になり、昔、Bzが住んでいたアパートは改装され、別な建物になっている。何年か前に来た時はまだあのアパートがあったのに。窓から隣りの建物との隙間に落としたレコードはどうなったのだろう。 ついで、足を延ばして駒場公園まで。途中の東大研究所を散策。開園時間を過ぎていたため、駒場公園には入れず。 6.40、天王洲アイル、アートスフィア着。万有引力「犬神」。モノレールを降りたら、市川正さんの姿を発見。一緒に劇場まで。松田政男さんと開場するまでおしゃべり。 7.00、開場開演。これくらいの大きさの劇場がシーザー演出にはピッタリ。「青ひげ公の城」のどこか萎縮した舞台と違って、シーザー演出は実にダイナミックで奔放。本領発揮といったところ。タレントを使い、商業演劇として、周りに気を使いながら作る舞台はシーザーの演出の良さの半分も反映されない。壮大なロックオペラふう導入部からシーザー音楽全開。体中の血が沸き立つ興奮。1階席ならもっとその良さを享受できたかもしれないが、あいにく2階席。それでも、最後まで壮大流麗な呪術音楽劇に、魅了されてしまう。 このスペクタクル性こそ、万有の、シーザーの独壇場。「評論家たちはこういう舞台を見に来ないんだからね」と松田さんと悲憤慷慨。 9.00終演。 品川の居酒屋まで松田さん、市川さんと「散歩がてら行こう」とてくてく。ところが、15分で着くところを、道を間違えたため、50分もかかってしまう。ビールのおいしいこと。 ケイタイで同郷のM野さんに連絡すると、思ったとおり、見に来ていたそうで、友人と2人、有楽町からUターン、急遽合流。タリ、シーザー、根本さんらと宴席。M野さんの友人は仙台から来ていて、翌日帰るとか。 11.15、松田さんと一緒に駅まで。品川駅のあまりの変わりように驚く。 0.20帰宅。 8月22日(金)晴れ 朝、会社に行くと、同僚が「昨日、事故で電車が遅れて大変だった」とうんざり顔。最近、とみに飛び込みが増えている。その話を聞いた直後に、テレビで「飛び込み者の自宅に女子高生の遺体」の報。いやになるくら殺伐とした事件ばかりが連続する。 昔から比べて暮らしが豊になったというけど、こんな殺伐とした時代、今までなかったのではないか。 タガが外れたというか、歯止めがなくなったというか…。なんでも政治のせいにするな、というけど、常識的に考えて、メチャクチャな発言や行動をしても、それをとがめられないどころか、マスコミ・世間がそれを容認する奇妙なこの国の政治家、自制心のカケラもないテレビのバラエティー番組を作るエリート=オトナを見ていれば、中高生が高をくくる気になるのがわからないでもない。オトナだって何をしたって許されてるじゃないか、と。 「パンツや唾液を売る女子中高生」の記事がそのまま事実として紙面になる新聞は、まさに現在を映す鏡として、作家の想像力も及ばないグロテスク・ホラーだ。近頃、新聞をめくる気力が萎えるのは、そんなホラーの世界にもううんざりだからだ。 生まれ故郷の田舎町でこの半世紀の間に事件らしい事件が起こったのはわずか1件と記憶している。農漁業中心の沿岸部に帰省した際、テレビで見る都市部の荒廃した事件を仄聞するにつけ、別の世界の出来事にしか思えなかった。そんな都市のどこが豊かなんだろう。 どこかの新聞の生活部長氏が、「数年前と比べてママチャリ(自転車)が半値以下の9000円で買える」と、デフレ時代の値下げ状態をとらえ、「こんなにモノが安く買える時代こそ小泉改革の成果」と持ち上げていたが、この部長の生活実感のインチキさよ。ママチャリが9000円で買える恩恵と、病院に行った時の医療費負担の増加、給与の減収を同列に比較しようというのか。バカバカしくて話にならない。 イラクでは依然として米軍へのレジスタンスが続いている。終戦後に米兵の死傷者が増加するという奇妙な構図。パレスチナでもテロ、報復合戦がエスカレートし、イスラエルとの和平ロードマップが破棄されかねない状況。断ち切ることのできない憎しみの連鎖。 イラクと1945年、敗戦直後の日本、似ているようだが、日本ではイラクのように大規模なレジスタンスが起こらなかった。軍人による散発的な抵抗はあったようだが、全国民あげての抵抗運動など皆無だろう。天皇制国家に弾圧された人たちのもろ手をあげての敗戦歓迎は当然にしても、それまで鬼畜米英、天皇のために最後の血の一滴まで戦うと称していた軍人たちになぜ、レジスタンスは起こらなかったのだろう。 ヒロシマ、ナガサキというアメリカによる未曾有の人体実験は「9.11」の衝撃の比ではない。ナガサキの原爆を投下した退役軍人が、その後「ナガサキは失敗だった」と語ったという。「失敗」というのは、目標地点がズレたため、山間部に阻まれ、本来、もっと大量の死傷者が出るところを、「見積りよりも少ない成果に終わった」ことを指す。自国での原爆展開催を認めず、戦後半世紀が過ぎても「反省」のないアメリカ。 そのアメリカ占領軍への抵抗運動もなく、天皇主義者は難なく親米・愛国主義者として生まれ変わり、新たな利権をむさぼる。 「そんなに簡単に変わるなよ。天皇さんがかわいそうじゃないか」と、戦後の日本人の変わり身を痛烈に批判したのは井上ひさしの名作「人間合格」だった。 簡単に転向するから、簡単にまた転ぶ。平和憲法の旗のもとに恒久平和を誓ったはずが、アメリカの世界戦略の片棒を担ぐ口先三寸の政治家連中、それも見栄えのいい「改革派」に促されると、こともなく節を変えて、戦争もやむをえない、軍備拡張、軍国主義の世の中になる。なんとあさましいニッポン人。 すべては、1945年、敗戦直後の日本人の処し方に遠因がある。占領軍へのレジスタンスもなく、天皇の戦争責任を問うこともなく、みんなが高をくくり、反省もなしにこれまで過ぎてきたツケが半世紀後に噴出しているのだ。アメリカが「9.11」を免罪符にするのなら、「ヒロシマ・ナガサキ」の惨禍を経験した日本こそ、世界に向かって「絶対平和」の旗を振る権利も資格もあるはず。ヒロシマに行っても途中退席のコイズミには永遠に理会できない「真理」であろうが。 頻発する低年齢層の事件は右傾化する政治状況と無関係ではない。オトナが高をくくり、世界を甘く見れば、コドモも世間を甘く見て高をくくる。こんな簡単な話を認めたくないから、「何でも政治に遠因を求める、世の中を正しく理解しない政治主義者」と黙殺される。それは、「正しく」政治を行ってから言ってくれ、だ、まったく…。 7.30帰宅。子供の宿題を見てあげるが、最近の教科書はあまりにも悪文ばかり。一読しただけでは問題の意図がわからないことも。わざと難しくしてるとしか思えない。 冷えたコップの外側に水滴がつくのはなぜか?に関して選択問題。 「空気中のえき体の水が冷やされて、気体の水になったから」 「空気中の気体の水が冷やされて、えき体の水になったから」 今は「えき体の水」「気体の水」っていう言い方するんだ? 「気体の水」ってのは水蒸気のことだろうけど、回りくどくて、まぎらわしい表現。これじゃ、子供の理科嫌いが増えているのは当然か。 11.00就寝。 8月21日(木)晴れ リズムが狂っているのか、午前3時に目が覚めてしまい、二度寝。 休み明けにも関わらず、メチャ忙しい一日。朝6.30から3.00過ぎまで秒刻みの仕事に追われ、アドレナリンが絶え間なく体をかけめぐる。お盆ボケもすっかり解消し、またいつもの生活。 5.30帰宅。食卓は、モズク、イカ、タコと海産物攻勢。HPを少し更新。 そういえば、田舎で資料整理をしたらDJ兼田みえ子のブロマイドが出てきた。切手を貼って封筒を送れば、みんながもらえたのだ。深夜放送のDJの草分け。「私もあなたと泣いていい」「2月12日の手紙 ひとり」などのヒット曲もある。どうしてるんだろうなあ、と、ネットで調べてみたら意外にヒット数が少ない。「私もーー」はコンピ盤で再発されたけど、「2月12日のーー」はまったくといっていいほど埋もれてしまった。 「口からこぼれていったのは つぶやきそれとも吐息 思い出だけがすぎていく 胸にはさびしさばかり 教えてほしい うつろな訳を 求めるものを 生きてく意味を♪」 名曲なのに、どこかで発売してくれないものか。などと思いつつ、調べたら、あの歌は、同じく人気DJだったかぜ耕二氏が作詞したものだということが判明。なんだか、遺跡を掘っているような気分。 8月20日(水)晴れ 朝からメモを元にお盆中の日記を書く。1週間分。なんだかんだと夕方近くまでかかってしまう。 日記を終えて夕刊を見ると、「むつ市長 情報漏洩」の大見出し。使用済み核燃料の中間貯蔵庫の誘致計画発表前に支持者のじゃり会社社長に計画を漏らし、その社長が予定地の原野を買い占めたのだという。立派なインサイダー事件だ。市長が土地買い占めを知らないはずはない。なんとしてでも誘致したかったわけだ。「酒の席で話した」というが、誘致計画発表前に話せばどうなるかわかっていたはず。市長がもとから軽率な方であるのは、以前、聞いた高校同窓会での挨拶でもわかったが、こんなにも度外れていたとは。金銭が絡めば疑獄事件に発展する……。 夕食に生ウニ、アワビ、ナマコ…。この時期は田舎の親戚からもらった海産物が食卓を飾る。なんという幸せ。 8月19日(火)雨時々晴れ 朝のうち霧雨。 憂鬱な気分も晴れ、ようやく、元の生活ペースになりそう。 女優のA田真夕から珍しく長文の手紙がきていたので折り返し、電話。そういえば、ケイタイの変更を知らせていなかった。相変わらず、舞台や映画に忙しい様子。 PM6.30、青山劇場で「シンデレラストーリー」。正直言ってあまり期待していなかった。どうせ鴻上尚史のお子様向けミュージカルだろう、と。 ところが、これが滅法面白い。青山劇場という大きなハコと舞台の中身がこれほどぴったり合う舞台は初めて見た。お金もかかっているが、それに見合う成果をあげている。脚本、演出、役者、音楽、演奏、すべて二重マル。鴻上尚史の脚本は、もちろんオーソドックスなディズニー版を基本にしているものの、継母、その娘たち、ネズミ、魔法使い(デーモン小暮閣下=好演)、そしてシンデレラ、王子にいたるまで、人物造形がユニークでしっかりしている。まるで、輸入ミュージカルかと見まごう整合性。 もしかしたら、昔鴻上尚史が宣言したように、この舞台が日本から海外へ輸出されるミュージカルの第一弾になるのでは。そう思わせるほど、丹念で行き届いた舞台。国産ミュージカルの中では文句なしにベスト。 9.25終演。休憩20分。アトリエ・ダンカンの池田さんに挨拶。 10.30帰宅。 久しぶりにビール。もしかしたら、帰省でお酒を飲んだのは一日しかなかった? 8月18日(月)雨のち晴れ 1時、2時……4時、何度も目が覚めては時計を確かめる。久しぶりの出社に緊張しているのか。ついに4.30の段階で起床。6.20.早めの出社。さすがに一番乗り。 休み明けを考慮に入れているのか、比較的ラクな仕事のシフト。しかし、午後まで引っ張られ、結果的に強めの調教になってしまった。休みボケには緊張感の連続が一番の妙薬。その代わり、帰省中はほとんど意識しなかった耳鳴りがキンキンとうるさく鳴り響く。耳鳴りはやはりストレスが大きく作用しているのだろうか。また元の木阿弥。 11.00、K松克彦氏に電話。田舎で見つけた雑誌「アベニュー」のことを聞いてみる。今、流山児★事務所のワークショップで九州にいるとか。「あれは1号だけで終わった雑誌なんです」とK氏。知らなかった……。午後、O川範子の事務所の社長・A生静子さんにメール。やはり、浅川マキさんのレコード作りの時にマネージメントをしていたそうで、「まだ20代。マキさんにはいろいろ教わりました」と。点と点が結びつき線になる。 そんなこんな、社会復帰のための心のリハビリをしているうちに、次第に頭のモヤが晴れて来て、またいつものような綱渡りの生活に戻ろうとしている自分。 4.00。K記念病院の予定キャンセル。鍼では根治できないような気がしてきた。耳鳴りの原因は都会生活にあるのでは……。 6.00帰宅。掲示板にレスをつけるも、根気が続かない。常連さんのHPも訪問はするものの書き込む気力がない。皆様、いましばらくの猶予を。 8月17日(日)晴れ 5時にいったん起床。隣りの部屋をのぞくと、すやすやと寝息。昨夜も何度か夜中に咳込む音がしていたので心配だったが、なんとか出発できそうな気配。少し安心して6時まで再び布団の中でうつらうつら。 朝食は、冷蔵庫に残っていたヒラメの切り身を刺し身に。昨日の残りのシュリ貝を味噌汁代わりにして飲む。こんなおいしいものほかにないだろうと思うのだが、食べず嫌いの我が豚児たちはコンビニのフライドポテトやフランクフルトの方がいいと言うのだからガッカリしてしまう。 8.15、出発。クルマに乗る前に皆で仏間に行ってお線香を上げ、母の位牌に手を合わせる。いつものように、父はクルマを見送ることはせず、奥の部屋に引っ込んでしまう。めっきり弱くなった父。その顔を見るのも辛いので、早々にクルマを出す。 8.30、子供たちが「今年は最北端にも行かなかったね」と言うので、遠回りして最北端のモニュメント前で記念撮影。Kマート経由で一路むつ市へ。 10.15、「まさかりプラザ」着。おみやげを買いたいと言うので「30分だけ」の約束で、子供たちは降車。その足で、田名部の親戚回り。 今年はついにむつ市に出て来ることが出来なかったので、玄関先での慌しい訪問。高校時代にお世話になった親戚。「おばさん」と呼んでいたが、父の従妹。次いで、明神町の本家に行き、祖父の妹(何と呼べばいいのかな?)の位牌にお線香をあげる。何年何十年経っても自分に良くしてくれた人たちへの感謝の気持ちは忘れたくない。 時間がなくて友人Tやお寺の麻屋さん、中学の恩師のH先生のところには寄れず。Bzの事務所に行くとちょうど会議に出る彼とすれ違いだったようで、不在。妖怪会議の名残をとどめる「妖怪ハウス」で、くまさん、じろーさん、富山から来たという女性スタッフの3人に挨拶。 すっかり地元に溶けこんでいるくまさん。結局、今年は何のお世話をすることもできず終いだったのが悔やまれる。というか、お祭りB型としては、遠い下北の地で、ふだん会えない人たちとジョイントするという千載一遇のチャンスなのに、一緒に飲んだり騒いだりできなかったのが残念で残念で。 お喋りもそこそこに、3人に別れを告げて、まさかりプラザで家族と合流。一路野辺地へ。しかし、せきたてても、のんびり買い物のわが家族。列車の到着時刻のわずか1時間10分前にむつ市を出発。飛ばせば間に合う距離ではあるが、帰省の車列が続き、のろのろ運転。平均時速65キロでは野辺地駅に到達するはずもない。イライラしながら、海岸線を走らせるも、駅に滑り込んだのが12.07。発車1分前。レンタカーを返す手続きがあるので、取り合えず、「家族だけでも」と思い、駅に走らせるが、駅員にストップをかけられたとかで、空しく戻って来る彼ら……。 電車に乗り遅れるなんて前代未聞。仕方なく、次の臨時特急に振り替えて、八戸まで自由席。接続の新幹線は立ち席。初めて知ったが、東北新幹線に「立ち席」なるものがあったのだ。通路に座って帰るわびしさ。回ってくる駅弁販売員も心なしか、立ち席の客には態度が冷たい。 4.18、大宮着。5.00、自宅に帰着。波乱の夏休み終了。 家に戻っても、まだ浮遊感・倦怠感。帰省症候群か。例年なら、たまった新聞に目を通し、社会復帰の第一歩となるのに、今年はまったく新聞を読む意欲が湧かない。「イヤなものは見たくない、聞きたくない」という、ダダッ子のような精神状態。 気持ちは故郷に……か。 不況で仕事がない、給料を減らされたーー田舎でも都会と同じ言葉を聞いたが、みんな都会人のように目を血走らせていないし、殺伐としていない。むしろ、どこかのどかであたたかい。一時的に帰省した者の目では見えないのかもしれないが、都市の人とは別の世界のような気がする。 自分の身の丈に合った生活ーー。 あくせく働いても余計なところに出費がかさんでいる都会人。ウーン、なんだかなぁ。年を重ねる毎に、望郷の念が強くなる。 夜、田舎から発掘したカセットテープを聴いてみる。ラベルに書いてあった故山川暁夫氏、金澤嘉市氏、鈴木武樹氏らの講演のテープだと思ったら、上から音楽を録音していたり、貴重な音源をフイにしている。その中の何本かを聴いたら、まったく思いもよらない懐かしい声が飛び込んくる。こんなテープが保存してあったとは。四半世紀が過ぎれば、すべては歴史になる……か。9.30就寝。 8月16日(土)晴れ 昨日は、何度も病院と家を往復。朝、6.00、再び病院へ。すでに目覚めていた。「同室の老人たちの奇声や、いびきで眠れなかった」とか。 6.30、家に戻り、お盆の後片付け。花や仏壇への供え物を海に流すのが、しきたり。そうめんと、白玉を親戚から分けてもらい、それらを発泡スチロールに入れて岸壁へ。海が汚れるので、どうも、この習慣だけは、やめにしてほしいものだ。昔と違って、ビニールなどで包んだ供え物などは自然に還らない。ゴミになって漂うだけだし…。 お盆に還って来た精霊が再び海に戻っていく…。それはいいのだけど。 帰宅して、朝食の支度。なかなか言うことを聞かないので叱ると、ぷいと飛び出す子供たち。十数分後、まるで、トトロのメイちゃんのように、姉弟そろって、お母さんの入院している隣町へテクテク歩いていこうとしている姿を町外れで発見。無言でクルマに押し込め、病院へ。点滴と酸素吸入のチューブ姿に驚いた様子。目に涙をためる娘。もらい泣きする従姉たち。 明日の出発をどうしようか、話し合う。高校の講習があるし、仕事は休めない。残っても、子供の世話をどうするか。堂々巡りの末に、退院し、明日予定通り出発することで合意。 しかし、家に帰っても体調思わしくない。 夕方、岸壁でフグ釣りをしてみる。今年はアユもほとんど姿なく、釣りも出来ない。子供たちも、たった一日磯遊びをしただけ。せめて、海辺に来た気分だけでもと、悪食のフグ釣りでお遊び。 従姉のT夫妻がシュリ貝を持ってきてくれる。ムール貝のような貝で、味噌汁にすると美味。大好きだが、明日出発なので、少なめにいただく。 夜も早めに就寝。明日から祭り。宵宮で神社から笛と太鼓が響き渡る中、片付け、洗濯。ヘトヘト…。 8月15日(金)晴れ 10.30、お寺参り。本堂で物故者、檀家の法要。先代のお坊さんは祖父の友人で、中学1年の時、祖父が亡くなり、葬式で読経に来た際、途中で声をつまらせたのを記憶している。「お坊さんが読経の途中で泣いた」というので、手伝いに来ていた近所の人たちが驚いてささやきあっていた。 今の和尚さんは娘婿で、元バンドマン。そのためか、本堂の読経の際に、小さなピンマイクをつけて、スピーカーから声が響くようにしている。そんなに広い本堂ではないのだから、地声で十分と思うのだが。しかも、途中で接続が切れて、声が途切れる。なんとなくありがたみがないというか…。音楽、天体、写真と幅広い趣味の名物和尚ではあるが、なんだかなぁ。 昨日の寒さが響いたのか、下の子も熱っぽいし、昨夜から妻の具合もよくないようで、夜中に咳き込んでいる。朝、クルマで病院に連れて行き、吸入を受けて帰り、二階で横に。 下の子供をバイクに乗せて、畑へ行ってみる。クマが出るので、おちおち自分の家の畑にも行けやしない。昔、スグリをつけていた畑だが、クマが出るためにすべて撤去。今は松の木を植えている。バイクを降りて、恐る恐る茂みの中へ。前にきた時はうっそうと草が生い茂り、ヘビが何匹もたむろしていた。「ヘビが見られるんだ」と大喜びの子供。でも、今回はきれいに草は刈り取られ、ヘビが出るどころじゃない。 自分の家の畑の場所を子供に知らせておかないと、と思ったのだが、果たして子供たちがここに来ることはあるのか…。 午後、小屋に行って、目の前のダンボールの山を呆然と見詰める。「これはこのままにしておいて、定年後、ゆっくり整理しようか」などと、遠大な計画が頭をかすめる。 しかし、それっていつの話? 探したいのは、中学の時初めて買ってもらったスタンダード社製のテープレコーダー。そして、祖母たちの声が入っているであろうテープ。小学校の時に大事にしていた学習雑誌。1974年に開催した「のんすとっぷ24時間」のパンフレットなのだが…。 あと2日しかない。 腹を決めて、膨大なダンボールを一つひとつ運び出す。上から雑布やらゴザやらが覆いかぶさっているのでそれを除くのだけでも大変な作業。 ほとんどが雑誌と書籍だから重いこと。出てくるわ出てくるわ。昔の雑誌。「現代の眼」「話の特集」「面白半分」「絶体絶命」「モノンクル」「ムービーマガジン」etc。70年代から80年代の刊行物はほとんど保存してあった。中でもムービーマガジンは懐かしい。日本映画への偏愛に満ちた雑誌。今の時代にこそこんな雑誌がほしい。 ダンボールの中には、70年代の芝居のチラシや、文芸坐、飯田橋ギンレイホールなどの名画座の上映予定チラシ、学生時代に行った喫茶店のマッチ箱、そして手紙…。 すっかり忘れていたが、上京したての頃、友だちからもらった手紙の束や父母からの手紙も保存してあったのだ。たぶん、当時、一度開いただけで、再び読むこともなかった手紙の数々。差出人の一人に、3年前に事故で亡くなった高校時代の友人K・Iの名前。彼は秋田の大学へ。私は東京で浪人生活をしていた。 最初の一年だけでも結構文通していたのだ。作業の手を休めて読んでみる。 「俺は元気にやってる。お前も相変わらずみたいなのでほっとした。最近、秋田の町にも飽きてきた。秋田美人なんてきっとブスを皮肉ったもののように思える。俺は学校でも寮でも馬鹿まねばっかりしている。友達も男女たくさんできた。学校は右翼に支配されている感じだ。応援団とか空手部とか、封建的な事ばかりで、1年生で日曜会を結成し戦っている。俺は態度悪いと注意されているが、○大のためにと思って頑張るつもりだ」 「福島で遠征中のSに会えるかも知れないとと思っていたら、彼から俺の旅館に電話が来て本当に福島の町で会えた。嬉しかった。2人で”○○はきっと言葉が変わっているなあ”とお前の噂をしている。俺たちは全然下北の言葉を気にもせず使っている。お互いに進歩はない。二人で東京へ行きたいとも話した。バイトで金をためるつもりでいるから、夏休み期待していろよ。おごってやるから。遠征先で書く手紙はどうも文章がまとまらない。読みにくいと思うががまんして読んでくれ」 「こんなくだらない愚痴をこぼしてしまってすまない。俺は21日から学校が始まるから19日頃、秋田に帰るんだ。待っている女ができたから楽しみなんだ。いい女だぞ。いつもそいつに向かって愚痴ばっかり言うのが楽しみ。例によって本当に清い、十代の若者の純粋な交際。手を握るではなし、もちろんKISSはまだ。不健康な人たちが言うには遅れている俺たち。でもいいんだ。俺のつまらん話を真面目に聞いてくれて、そして俺も張り切って話そうと思うのは彼女だけ。勇気づけられてしまう」 「東京が暑いというのが、おかしいくらい青森は涼しいです。秋田と比べてさえ空気が澄んでいます。こんなことを書くと、お前は東京を逃げ出したくなる気がするからあんまり書かないことにする。 今俺は青森のSの所に居候している。俺もSと二人で東京へ行こうと思っていたんだが、日程の面、家の事情、それに俺の個人的に勉強しなくちゃいけない事もあって、残念だが今回は行けそうもない。俺はお前たちのことを単に寮の同期、高校時代の話し相手だけで終わる仲ではないと思っている。今こうしてSの所に居ても、いろんな話が飾らずできるし、それはお前の所に行っても同じ事だと思う。いつかまたチャンスが必ずあると思うからその時を期待している」 「彼女の誕生日を間近に控えて、何となく落ち着かない。俺よりも51日も早く19歳になってしまう彼女。過去これほどの女は俺の前に出現しなかった。決して美人を鼻にかけないばかりか、俺の幼さ、ずるさが彼女に写っているような気がして、彼女にたまに短い言葉でずばっと指摘された時の当惑。俺は彼女の為、いや皆の為に夏休みの課題として人間的成長を誓った。いつまでも高校時代の楽しかった事ばかりを考えていると進歩しないと思う。やがて社会に出ることの恐怖と既製品化されて小さくなる自分を見る、見せることの残酷さ。いろんな圧力に耐えながら、前を見て、できるだけ前を見ることにして、考え、行動したい」 「孤独なお前の生活。何とか力になりたいと思う。将来に向って自分の全力を出して努力してほしい。まだまだだめな俺がこんなことを書いてもおかしいが、本当に後悔しないように頑張ってほしい」 「秋田はもう雪やらあられやらがちらつくようになった。東京はどうだ。やっぱり寒いか。この前、手紙に書いたように、今すごくお前に会いに行きたい。迷惑でなかったら、すぐに返事をくれ。ずうずうしいようだが、11月5日から一週間くらいの予定を立てている。今お前は一番大事な時期だということが痛いほどわかるんだが、わがままなことだと思うんだが、お願いする。自分の成長しない、みじめな姿を見てほしい。意志の弱い、口先だけの自分を笑ってほしい。前のように話したい、騒ぎたい」 こんな手紙をもらっていたことさえすっかり記憶から抜け落ちていた。Sは同じく、高校の寮の仲間。地元の大学に進み、高校時代と同じく野球部で活躍、卒業後は県警に勤め、交通警官になったと聞いた。何年か前、成人した娘を交通事故で亡くしたといううわさを聞いたが、それはK・Iから聞いたのだったか。 「お前が幹事として頑張っている同窓会だもの、何があっても駆けつけなくちゃな」と、同期の少ない動員を気にして駆けつけてくれたK・I。10代に交わした手紙の通り、最後まで友人として私に接してくれたのだ。これから、ほんとうにいろんな話ができただろうに、そのチャンスは二度とない。 母の情愛こもった純朴な手紙、受験に失敗した時、口下手な父が「男は一度や二度の失敗でくじけるものではない。広い心をもって生きなさい」と長文の手紙を寄越していたことにも驚く。 いまや電子メールの時代だが、真心のこもった肉筆の手紙に勝るものはないだろう。 肝心のレコーダーやテープは見つからず。やはり、小屋の建て替えの時に捨てられたようだ。 70年代のオープンリール、カセットの何本かは発見。Bzの「ミルキーウェイ」の演奏も入っているはず。ただし、オープンリールは劣化が激しく、再生はムリか。市民集会や自主講座の生録音カセットは無事。 夕方、妻を伴い再度病院へ。検査の結果、入院。従姉の娘のSちゃんも風をこじらせて入院中。親戚が大勢、病院に集合。 墓参り最終日。母親がいないので、気落ちしている子供たちと最後の花火を。夜、9.00就寝。 8月14日(木)晴れ 昨日の暑さから一転して、急に冷え込む。まるで初冬のよう。 9.00クルマで娘のピアノ、10.00父の病院。大間の薬局へお使い。その足で、「ブルーマリンフェス」をのぞいて見る。舟競走の最中。今年はマグロが揚がらず、解体ショーは中止という。 会場の「あおぞら組」テントでTシャツ販売をするじろーさんと立話。山口から出発して全国放浪中のBARAさんに電話すると、フェリー乗り場にいる。okoppeさんを待っているとか。 中島旅館の前で、N島洋氏とばったり。17日頃までいるとか。東京ではなかなか会えないのでしばし立話。会社のF氏から話を聞いていたが、いろいろ大変なようだ。しかし、本人はいたって豪胆。まさに大人物の風格。 病院経由で父を連れ帰り、ピアノレッスンを終えた娘を迎えに。午後から再び、家族でフェスティバルへ。BARAさん、OKOPPEさん、ヤッコさん、じろーさん、目玉星人、ヤッコさんダンナらに挨拶。モノマネタレントが司会をしている会場イベント、いつもより人だかりが多そう。 ただ、あまりにも寒すぎてTシャツ一枚では震えがくるほど。家族もその寒さに耐えられず、TVキャラクターショーを見ることなく早々に退散。 6.00、墓参り2日目。昨日よりも強力な花火の数々。ロケット花火を知らない息子が間違えて先端に火をつけたために、ヘンな小爆発。ロケット花火は海岸にビンを立てて飛ばす夏の定番だったが、今の都市部の子供は飛ばす場所がないから知らないのも当然か。線香花火は東京で売っているのよりもかなり時間が長く、火花も大きい。花火も場所によって違うのか? 8月13日(水)曇り 7.00起床。ゆっくり寝ていたいが、田舎の夏の朝は早い。近所の雑貨屋さんなど今ごろから店を開けている。当然、父も5時頃からゴソゴソ…。朝食の仕度、お盆の準備などで、6時前から起きなけければならない妻もタイヘン。お盆の帰省は実はたいへんなストレスなのだ。自分だけが寝ているわけにはいかないので、起きて手伝いをすることに。休みとはいえ、東京で仕事をしているのと同じ。 9.00、学校へ送り届け。10.00、父を大間の病院に送っていき、その合い間に本州最北端の女・ヤッコこと島康子さんのところに遊びに行く。事務所で「あおぞら組」のTシャツ作戦を練っていたヤッコさん。1年ぶりの再会。 帰省すると、新聞は読まないし、テレビのニュースも関心なし、ましてやインターネットをのぞく機会もなく、情報ゼロ。すっかり世の中から隔絶した時間を送っている私。ノートパソコンで自分のHPを見ると、テルさんたちが掲示板を賑わせているようでまずは一安心。 富山の芸術家・くまさんの話題が出たので、ケイタイに電話してみると、なんとすぐ近所にいるとの返事。Tシャツ工房を見学しているうちに、くまさん到着。3人でおしゃべりに花が咲く。 そこに、「病院は休みだったのでお父さんを迎えに行って」との連絡が家から。病院に行くと憮然とした顔で「今まで何してたんだ」。 お昼、木の根探しのくまさんを家に招いて昼食。インターネットがなかったら、まさか富山のくまさんと、こんな北の果てで会うなんてこともなかっただろう。人と人の縁は不思議。 2.00、お寺参り。お墓とお堂に「にしめ」や赤飯を詰めた「重箱」を供える。お寺の賽銭箱数箇所に賽銭を。本家、自分の家、母方の本家と3カ所を回り、重箱を回収して帰宅。昔はそのまま本堂や墓の前に置きっぱなしだったが、今はカラスがつついたり、お寺の掃除が大変ということで、皆持ち帰ることになった。子供の頃、お寺にお米を持っていくと、「ポン煎餅」をくれたもの。あれが楽しみの一つだったのに、そんな習慣もなくなった。 帰宅して、プレーヤーでレコードを聴いてみる。20数年前に買ったジャズシンガー安田南の「サム・フィーリング」。安田南を知ったのは映画「赤い鳥逃げた」の主題歌から。このLPもよく聴いていたが…。 改めて、ライナーノーツ、歌詞カードを見たら、なんと、作詞は加藤直、佐藤信、作曲、林光。これって黒テントじゃないの? そう、よくよく見たら「トラストDE」「皇帝ジョーンズ」「おんなごろし油地獄」…。黒テントの演目。気がつかなかった。安田南と黒テントの関係。 小椋佳の「青春」のライナーノーツを見たら、ペンネームの由来がちゃんと書いてある。先日、小椋佳のファンサイトでその由来を始めて知ったのだが、30年前にすでに書いてあるのに気がつかなかっただけか。 さらに浅川マキのLP「ブルー・スピリット・ブルース」のライナーノーツを見たら、レコーディングマネジャーの名前が「麻生静子」。エッ? 同姓同名でなければ、この方は今、小川範子の事務所の社長兼マネジャーではないか。まさかマキさんと一緒に仕事をしていたとは。過去の点を手繰り寄せると、現在の線につながっていく。ウーム、人生って面白い。 夕方、暗くなってから、また墓参り。今度は花火を買い込んでこの地域独特の「お墓で花火」がメイン。歩いてすぐの墓所に行くと、すでに墓所の周りはおびただしい花火の煙が立ち込めている。墓所全体がモヤに包まれているかのよう。 生まれた時から、お盆とお墓と花火は切っても切り離せない夏の風物詩。小学校の図画の宿題もほとんど全員が、この墓所の花火を描いたものだ。 墓所はまた、1年に1度の社交場。「来てたの?」「いつ来た」「いつ帰る?」 言葉を交わしながらすれ違う人たち。ほんのつかの間、この夏の短い時間に1年が凝縮される。故郷から遠く離れた生活をしている人にとって、帰省は1年に1度の大切なイベントなのだ。 「やー、来てらが〜。子供たちも大きくなって。おばあちゃんが生きていたら、さぞ喜んで……」 声をかけてくれる町の人たち。その顔も確実に年輪を重ねている。 いつか、自分もこのお墓の下から町を眺める日が来るのだろうが、そのときもこの習慣が続いているだろうか。墓の下から見る花火もおつなものに違いない。 10.00就寝。 8月12日(火)晴れ 7.00起床。今日はピーカン照りになりそう。 お盆の準備。仏壇の飾り付け。ハマナス、インゲン、ふ菓子などを並べて5本のぶら下がりものを作る。これが結構大変。糸が絡まるし、5本が同じような位置にくるように調整するのも難しい。なんでも、これは、阿弥陀如来を現しているのだそうな。5つか7つ。それぞれ名前があるということを、お寺の講話で初めて知った。何の意味があるのだろうと思っていたが。そうだったのか。 ピアノの送り迎えの後、午後、赤石海岸で磯遊び。潮が満ちてきて、カニ獲りもままならず。願掛岩に移動。途中、反対車線で交通警官がねずみ取り。思わずドキリ。クルマで出かけるにしても、このあたりの町村は自分の庭先のような感覚があるので、つい、免許証を家に置きっぱなしだったのだ。幸い、帰路に制止されなかったからよかったものの、ヒヤリ。 夏に帰省する目的の一つは「子供たちに父親の田舎を好きになってほしい」ということ。 ほんのわずかの滞在、四季を通じてこそ、故郷への慈しみが生まれるものだろうが、ひとときでもいいから、子供たちが父の生まれた場所を記憶に残してくれれば。 夕方、帰宅。裏の小屋に山積みになっているダンボールを前に呆然。 20年ほど前に、手狭になった東京のアパートから送りつけた書籍や資料。いつか整理しなくてはと思いながら今まで来たのだった。「今年こそは」と思いつつも、ムシロをかぶせた1つ30キロ近いダンボール数十箱をを見ると気力が萎える。 それでもムシロをめくり、端のダンボールに手をかけてみる。すると、「モノンクル」創刊号などと一緒に出てきたのが高校の生徒会誌「ラウエ」。思わず読みふけってしまう。1971年から73年。当時の高校生たちがいかに真剣に社会や人生、学校生活を考えていたか。なんだか別世界の出来事のよう。みんな一所懸命だったんだ。頻繁に出てくる「三無主義」という言葉も懐かしい。同級生のSくんが生徒会長を辞任した「事件」なども、きちんと掲載、分析している。こんなにマジメだったんだ。みんな……。30年以上過ぎて、初めて見えてくるものもある。結局、自分のことだけで手一杯。世をすねていただけの高校時代。もう一度あの時代に帰ったら面白いことがたくさんできそうな気がするが、さて…。 ようやく、レコードプレーヤー到着。意外にチャチ。レコード針などオモチャのよう。しかもモノラル。ちょっとがっかり。まあ、古い音源を確かめるだけだからいいか。 8月11日(月)晴れ 6.00起床。9.00、母校の中学校へ。今日から15日まで音楽室を娘のピアノ練習に使わせてもらうので、その挨拶に。去年までは中学時代の恩師・K端先生が校長だったので、気安く頼めただろうけど、隣り町の小学校に転任したため、知っている教師はゼロ。 新任の校長と教頭に挨拶。「どうぞ好きに使ってください」とニコヤカな校長。「できれば午後も使わせてもらえれば……」には、教頭「その日の当直の先生に直接言ってください」と割と冷淡。ま、仕方ないか。 雑談をすると教頭先生、むつ市出身で、T高校の同窓生。友人のBzの名前を出したら、「彼の姉さんと同期ですよ」 ということは2歳年上か。 こぎれいな校舎と職員室。でも、昔の木造校舎の方が学校らしい匂いがあった。飼われている二匹の犬は元気。 正午、娘を学校に迎えに行き、昼食後、手土産を持って親戚に挨拶回り。3.00までかかる。 夕食後、小・中学の同級生Gの家に。 同じ町なのに、初めての訪問。手術・入院からまだ2カ月。思ったよりも元気でよかった。S子から預かったお見舞いを渡す。 途中から奥さん、義妹、その彼氏を交えて10.30まで痛飲。もしかしたらGとこんなに長く話したのは生まれて初めてかもしれない。奥さんとその妹は私の母のことをよく知ってるそうで、「子供の頃、よく可愛がってもらった」とのこと。 同じ町なのに、離れてもう30年以上にもなると、自分よりも近所の子供たちの方が母や父のことをよく知っている場合がある。彼女たちの父親が、私の母の同級生だったはず。生まれ故郷の幼なじみというのは特別な存在。彼らと話していると気持ちがスーッと安らいでいく。なぜみんなこんなにいい人たちばかりなのだ。いささか飲み過ぎた。11.00就寝。 8月10日(日)快晴 台風一過。ピーカン照り。朝、6、30起床。上野から8.56の新幹線で帰省。 新幹線の客席に配布してあった小冊子に作家・小檜山博氏のエッセイがあり、これが実にさわやか。 地方講演に行った時に、地元の50代の夫婦から聞いた話ということ。 その夫婦には31歳になる息子がおり、農家のためかなかなか結婚できない。お見合いで、町に住むサラリーマンの娘さんと結婚することになった。相手は23歳。息子に嫁が来ると言うので大喜び。息子は農作業は自分がやり、家事だけをしてくれればと、その女性に言った。その言葉どおり、そのお嫁さんは朝、農作業に出る夫と義父母を送り出すと、一人、バッハを聴いたり読書をして過ごした。 1年が過ぎ、夫婦は仲むつまじく暮らしている。しかし、いくら農作業をしないくていいと言ったからといって、農繁期はネコの手も借りたいくらい忙しい。夜の9時、10時に家に帰ってくる義父母と夫を見ても妻はそれまでの生活を変えようとしない。さすがに義父母は、息子に聞こえるように「せめて忙しい時期だけでも畑に出てもらえないだろうかね」と話をしたが、息子は聞かないそぶり。 そのうち、義父母も諦め、一家4人、つましいながらも穏やかな日々が続いていた。お嫁さんの生活もいつもと同じ。やがて、結婚して3年目、ある日、畑で農作業をしていた義父母が、農作業の手を休めてふと顔を上げると、はるか彼方の農道を一人、軍手をはき、雨の中、カッパを着たお嫁さんがクワを手に歩いてくるのが見えた。そして、2人の農作業を黙々と手伝い始めた。2人は驚いてその場にへたりこんだ。…というのが、エッセイの粗筋。 「待つということ」とのタイトルだったと思うが、人生、待つということがいかに大切なことか。 人間には「待つ」時間が必要なのだ。ひところ流行った「モラトリアム」と似ているかもしれないが、人生には「猶予」の時間が必要だ。待つということは「許す」ということにつながる。 もしも、高校時代に教師たちが硬直した厳しさで生徒たちを律していたなら、たぶん私などは真っ先に切り捨てられていただろう。自分の幼さ、行動の愚かさに気づくにはほんの少しの時間が必要になる。バカなこと、愚かしいことをしても黙認してくれた教師たちの懐の深さと情愛を思う。教師たちは生徒自身がいつか鏡に写った自分を見つめ直す時間がくること=「待つということ」の大切さを知っていたのだろう。 教師に限らず、父母、親戚、友人ーー皆、もしかしたら「待ってくれた」人たちかもしれない。そして今、さしずめ、私は子供たちを「待つ」立場といえるのだろうか。 1.20、田名部着。イクラ丼が食べたいという豚児のために、物産店「まさかりプラザ」の食堂に行くも、注文してからしばらく経ってから「あいにくイクラを切らしていて……」と店の女のコ。Bzに電話して市内のイクラ情報を仕入れるも思わしくない。むつショッピングセンターも今は食堂をやってないという。 かつて、市のメインストリートだった駅前通りは大畑線が廃止になってからさびれようが激しい。高校時代、日曜日になれば、寮生たちはこのあたりに繰り出して、ショッピング、映画館、レコード店めぐりをしたものだが、今では喫茶店の数も減り、レコード店、電器店もない。栄耀栄華いまいずこ。 「あそこならイクラ丼ありますよ」 ショッピングセンターで従業員のおばさんが親切に教えてくれたので、明神町の「南こう」なる店へ。新しく出来た料亭のようで、店の紋所は菊水。なるほど楠木正成にちなんでつけられた店名のようだ。ちょっと「右」の方たちの資本が入っているのかなと恐る恐る入ると、ほかにも家族連れがいるようで安心する。 イクラ丼1500円。海鮮丼2000円。観光地値段?4人で食事をしたら万札がヒラヒラと飛んでいく。 5.30、大間。スーパー「マエダ」で買い物。1年に1回の帰省。実家の父は今はほとんど自炊しないので、調味料やなにやら、食品も1年前のまま。そこで、また新たに買い直しをするので、不経済ではあるが仕方ない。 6.00、実家に帰着。1年ぶりだというのに、ついこの前、この玄関を出ていったような気がする。年齢のためというよりも病のせいで急激に老いてしまった父。1年のうち、たった数日しか帰ることができない自分の親不孝を思い、胸が痛む。 夜、従姉のK訳さんが息子のKくんと一緒に来訪。だんなさんは仕事で津軽方面に滞在中とか。 夜8時、外に出ると、家々の灯りが消え、街はシーンと静まり返り、人影がない。翌日の漁や畑仕事のために早寝をしているのだろう。 暗い町並みを眺めていると、自分が当たり前のように生活している都市の喧騒とのあまりの落差にがく然とする。物干し竿にはスーパーのビニール袋が干してある。一度使ったものを、また再利用しているわけで、モノを一番大切にしているのが田舎の人たちだろう。もちろんムダな電気も使わない。 24時間、闇が生まれないように煌煌と灯りを照らし続ける都市。意味のない、ムダな電気の浪費のツケをなぜ、この純朴な町の人たちが負わなければならないのか。10年後の稼動を目指して着々と進行している巨大電力施設の消費地は都市であり、この地域とはまったく無縁の世界。それなのに、この先、何世代にもわたって被爆の恐怖と隣り合わせの生活を送らなければならない我が町の同胞。 「いっそ、ソドムのように東京など滅びてしまえばいいのだ」と悪魔のような怒りが湧き起こり、やがて空しさと悲しみに変わる。一木一草に至るまで、故郷の自然を愛し、人々の情愛を信じる。しかし、変わり行く故郷への愛憎は年毎に激しくなる。 中学の時に使っていた机の中を見たら鳩の足環が2つ。今までも帰省のたびに視界に入っていただろうに気づかなかった。この前見たNHKドラマ「月の景色」が頭をかすめたのか。 手に取ると「1968年」の刻印。中学時代、飼っていた鳩のヒナのために用意したものだろう。鳩は必ず雌雄二対生まれる。何度か卵を孵化させたことがあるが、ある晩、トラップから侵入した猫にやられてしまった。それ以来、鳩を飼うのをやめたのだった。生まれることのできなかったヒナたちの足環。 9.00、下北沢・ヴィレッジヴァンガードで買ったレコードプレーヤーが届かないので、問い合わせると「申し訳ありません。手違いでまだ発送していませんでした」と平謝りの副店長氏。わずかな期間のために、わざわざ期日指定したのに。強硬に抗議。 帰省一日目。注文品未着という思わぬトラブル。 10.00就寝。 8月9日(土)雨 台風接近で朝から風雨。サクサクと仕事を片付け、PM2、下北沢へ。スズナリで燐光群「ポッシブル・ワールド」。遺体から脳髄を抜き取られる事件が多発し、その捜査を行う刑事とナゾめいた一組の恋人たちの「脳」をめぐる犯罪ミステリー。すべては”さまよえる脳髄”が見た悪夢なのか。寝不足気味で、見るほうも睡魔との戦いに意識がさまよえる状態。せっかくの裕木奈江の芝居も見ていて意識が途切れがち。ウーン、残念だ。3.50終演。こんな日は誰とも顔を合わせず、そそくさと退散。 ヴィレッジヴァンガードで河出書房新社「NO WAR!!」(1000円)。クラブDJ、ヒップホップなどの若手ミュージシャンたちのイラク戦争に対するメッセージを中心に編集したユニークな反戦本。今時の若者の意識がよくわかって興味深い。 5.30帰宅。明日の帰省の荷物まとめに取り掛かる。お気に入りの曲をCDに焼き、レンタカーの友に。しかし、前の日になってからでないと動かないのは、試験勉強の一夜漬けと同じ。進歩がない。 今年はなぜか帰郷の目の昂揚感がない。なぜだろう…。 8月8日(金)晴れのち雨 PM7、渋谷。パルコ劇場で「ウィー・トーマス」。マーティン・マクダーの原作を阿佐ヶ谷スパイダースの長塚圭史が演出。 アイルランド、イニシュモア島が舞台。IRAにも見放された過激な男パドレイクの飼い猫トーマスへの偏愛が死屍累々の凄惨な事件へと発展していくブラックコメディー。北村有宥哉が主人公を好演。紅一点、佐藤康恵は映画「バウンスKoGALS」の主演女優。雰囲気はいいが、いかんせん声が裏声で、舞台向きではない。 I村さんに「スプラッタですよ」と言われていたが、その意味が後半でようやくわかる。殺された兵士の死体を解体するシーンがあり、これがまた血糊飛び散るリアルさ。さすがに正視に耐えず。立ち上がって帰る人はいなかったようだが、ちょっと悪趣味。ブロードウェイでもこんなシーンを実演したのだろうか。それとも長塚の独自の演出? 8.55終演。並びの列に常盤貴子。その前の席の竹中直人と開演前に楽しそうにおしゃべり。常盤貴子が見に来るなんて。舞台の予定があったかな? しかし、パルコにしては空席が目立つ。長塚人気をもってしても翻訳ものはダメなのか。 10.00、S駅で途中下車。交番に預けておいた自転車を引き取り、タクシーで家まで運ぶ。親切な運転手さんで、後部座席に入れてくれる。1680円。10.30帰宅。 8月7日(木)晴れ 週刊漫画アクションが9月30日号で休刊するという。全盛期を知る者にとってはさびしいニュース。 真崎守「共犯幻想」、芳谷圭司「高校生無頼控」、小島剛夕「子連れ狼」、上村一夫「同棲時代」、そしてバロン吉元「柔侠伝シリーズ」、浅川マキの連載エッセイ「こんなふうに過ぎていくのなら」もあった。 浪人時代、読者の投稿欄に掲載されて初めて現金為替をもらって、どう換金すればいいのかまごついたことも。 「柔侠伝」シリーズは白土三平の「カムイ伝」と並ぶ永遠不滅の傑作であるのに、なぜか埋もれたまま。そう思って、ネット検索したら、やはりほとんどがオークション絡みの情報。それをかき分け、たどり着いたサイトで、「連行赤軍事件の植垣氏も愛読者で組織名にバロンと名づけた」という文章を発見。へぇー、そうなんだ。誰が書いたのかとリンクをたどったら、なんと元一水会の鈴木邦男さん。ウーム。 PM5.30、銀座・博品館劇場で「舞台版 こちら葛飾区亀有公園前派出所 海パン刑事の逆襲・檸檬も出るのじゃ!」。シリーズ最新作。ラサール石井の力の入れ具合が違う。 今回はレギュラーの大河内奈々子に加えて、原史奈が纏(まとい)役で出演。キュートな彼女、まるでマンガの中から抜け出したようにキャラクターとソックリ。いかにもラサールが好きそうな美形アイドル。 例によって、下町を舞台に、昭和30年代、原っぱと土管と青空がある風景にタイムスリップしたような、ノスタルジックで、冒険心のあるコメディー。 纏の妹の檸檬が世界征服を企む3人組に誘拐され、それを救出しようと両津勘吉らが一計を案じるが…と、基本線は子供にも楽しめる娯楽作。しかし、その笑いの背景に、戦争で人生を狂わされた孤独な老人の妄想と幻想を据えるあたり、現在の日本への痛烈な一撃をとなっている。「ヒューマニズム」という戦後民主主義の精神が体の一部になっている世代であるラサール石井。アメリカ流グローバリズムへの疑義と抵抗もさりげなくテーマに織り込む。ニ幕目後半の坂本あきらの独白には思わず涙。 土屋隆夫の推理小説作法と同じく、前半に散りばめられた伏線は、最後の最後、ものの見事、きれさっぱり清算される。 悪の三人組の親玉がなぜ、ビリジアンという、絵の具の中でも疎外された色だったのか、後の2人もレッドとシルバーという名前だったのか、老人の正体は、纏と勘吉の結婚の行方は……鮮やかな結末に納得。 「笑いと涙の」と形容される喜劇は多いが、ラサール石井の舞台ほど、そのキャッチフレーズにふさわしいものはない。同世代としてのメンタリティーに全面的に共感。 8.15終演。休憩15分込みで2時間45分。休憩時間にA紙のI村氏に会ったので、ビデオを渡す。 終演後、楽屋に行って海パン刑事役の海津義孝とラサールに挨拶。まだ着替え途中で、裸のまま廊下に出てくれた海津氏、汗びっしょり。「さすがにキツイですよ」と苦笑い。 9.30、S駅で途中下車。家からのメールで「マンションのそばの食料品店の前に止めておいた子供の自転車が何者かに乗り逃げされ、午後になって、知人から”S駅前の書店前に止めてあるのがそうかもしれない”と連絡があった」とか。本人は確認したが、4駅も離れたところなので、持ち帰ることができず、置きっぱなしにしてあるという。ちょうど交番の前なので、訳を話して交番に保管してもらう。「明日には必ず取りに来てください。何かあっても責任とれませんから」と迷惑そうな警官。 10.15帰宅。5時半からスタートする芝居なので早く帰れると思ったのに、いつもと同じかそれより遅いとは…。 8月6日(水)快晴 9.30起床。三沢で撮ったビデオを見たり,、雑事をしながら午後まで。 4.00夕食。4.30〜9.30、子供の躰道教室でS市まで遠征。オフ日とはいっても、体が休まる暇がない。このところ1週間のペースが崩れて、疲労感。なんとはなしに憂鬱な気分。 58年目のヒロシマ。秋葉忠利市長の「広島平和宣言」も今年はヒロシマ・ナガサキの悲劇を忘れたかのような日本の右傾化を懸念する危機感に満ちたものになった。 「被爆者が訴え続けてきた核兵器や戦争のない世界は遠ざかり、至る所に暗雲が垂れこめています。今にもそれがきのこ雲に変わり、黒い雨が降り出しそうな気配さえあります」 「しかし、問題は核兵器だけではありません。国連憲章や日本国憲法さえ存在しないかのような言動が世を覆い、時代はまさに戦後から戦前へと大きく舵を切っているからです」 「今こそ私たちは”暗闇を消せるのは暗闇ではなく光だ”という真実を見つめ直さなくてはなりません。”力の支配は闇”、”法の支配が光”です」 「同時に世界中の人々、特に政治家、宗教者、学者、作家、ジャーナリスト、教師、芸術家やスポーツ選手など、影響力を持つリーダーの皆さんに呼びかけます。いささかでも戦争や核兵器を容認する言辞を弄せず、戦争を起こさせないために、また絶対悪である核兵器を使わせず廃絶されるために、日常のレベルで祈り、発言し、行動していこうではありませんか」 これほど、危機感に満ち、切迫した平和宣言があっただろうか。政治家とは、国民・市民に対してかく責任を明確にすべし、という姿を秋葉市長が明示している。 特に、世界の宗教者、文学者への後段の悲痛な呼びかけが胸を打つ。 戦争を賛美、容認するジャーナリズム、学者、政治家が跋扈する今の状況への強烈なカウンター。被爆国の市長がここまで踏み込んだ「宣言」をせざるを得ない時代。 コイズミは式典が終わるとそそくさとヒロシマから退散し、「被爆者代表から要望を聞く会」を2年連続で欠席、高齢者の入院する施設への慰問も行わなかった。歴代首相がまがりなりにも心がけてきた”反省行事”に背を向けるーーこれがこの男の正体。それでもまだ支持率が半分近くある。ブラックジョーク以外のなにものでもない。 8月5日(火)快晴 夕方雷雨 仕事順調、久しぶりにオフ日前のウキウキ気分。シンガーソングライターのRさんから新譜をいただく。新宿タワーレコードでも大きく宣伝していた。順調に売れてくれればうれしい。 社内一部でまだ続くヘルシア茶ブーム。しかし、「あれは胃が荒れますよ。やめたほうがいいかも」とN君。なんでも彼の奥さんも愛飲していたが、胃が荒れるので中止にしたとか。 4.00、退社。下北沢へ。5.00、「千草」でサンマ定食+目玉焼き、1020円。ヴィレッジヴァンガードでポータブルレコードプレーヤーを購入。1万2800円。田舎に発送する。これで、今年の夏は久しぶりにレコードが聴ける。 次いで、まんが喫茶でインターネット。6.30、外に出ると雨。空模様が怪しかったので傘を持って出たのが正解。夕立と雷。 7、00。駅前劇場。毛皮族「実録!!ヌッポンオエロケ犯罪歌劇 夢中にさせて」。受付の列に榎本了壱さんがいたので三沢の話などひとくさり。ささめ氏「さっき定食屋さんにいたでしょう」。しっかり見られていたようで…。 前の席にA紙のI村氏。「初めて見るんですよ」と不安(?)そうな表情。 開演5分前にジュンリーこと江本純子のパンク歌謡ショーの「予告編」。しょっぱなから、トップレスの女優陣が繰り出してのレビューに客席一瞬フリーズ。主宰自らが一番目立つというワンマンショー。 斜め前方にAトリエDカンのI社長が座っていたので、反応を観察。目をそらしたり、軽く苦笑いをしたりなんだか身の置き場がないという様子。でも、あとからSめ氏に聞いたら「Iさん、前にも見ていて、結構毛皮族を買ってるんです」とか。 さて、本編は山奥の修道院と置き屋を舞台に古今東西の犯罪・容疑者たちが時空を超えて集い、犯罪世界一を競うという、ちょっとおバカなお色気活劇。 イメージとしては、宝塚+東映B級スケバン映画+温泉芸者シリーズ……まあ、いつものパンクな毛皮族芝居。看板女優の町田マリーが阿部定、三浦事件の妻、マリー・アントワネット…の七変化。昔、美加理を見たときに感じたように、最初はそんなでもないが、回を重ねるたびに、きれいに見えてくる。魅力的な女優さん。 オモチャ箱をひっくり返したように、常に全力疾走の舞台は即効の薬物のように陶酔感に満たされるのも早いが、上演時間が長いので、中だるみの反動もある。ネバーエンディングなカーテンコールは別として、せめて2時間に納めてくれれば、と思ったりして。ただ、その長さがまたクセになったりして…。劇中で倉橋ヨエコの「恋の大捜査」「雨宿り」を使っていたのに思わず得心。なかなかいい選曲。「モダンガール」の中でもこの2曲は大好き。毛皮の舞台にピッタリな昭和歌謡。 途中で江本のズボンのお尻が破れたために、芝居がストップしたり、投影機が故障して、本番中に裏方さんが修理したりとハプニング続出。思わず「100円返します」と叫ぶ江本。あとで、「さっきのは聞かなかったことにして」と前言撤回。なんでも百円玉が足りなかったとか。 良くも悪くも江本、町田の座長芝居。今は演劇界でも、ある意味、ゲリラ的なポジションにあるから「許される」部分があるが(著作権その他の配慮)、これからメジャー展開していくにつれ、それらが殺ぎ落とされたら、毛皮らしくなくなるし。二律背反。 上演前にワクワクと期待感を持つのは、昔、黒テントや天井桟敷、状況劇場の芝居を見て以来。それだけでも立派。かつて、劇団☆新感線にもそれを感じたが…。 そういえば、このブレイク感は新感線の時と似ている。最初はしょぼいカラオケを使っていた彼らが、生バンドを入れ、セットをゴージャスにし、ハコを乗り換えていったあの怒涛の展開。もちろんポピュラリティーがあったからできたことで、毛皮族に当てはめるのはムリがあるかもしれないが。 となると、この後、毛皮はどうなるか。破竹の進撃は間違いないが、一般受けするには次第に毒を殺ぐことになる。となれば、ハイレグジーザス同様、江本、町田のメジャー展開が転回点になるのかも。役者としての2人が2年後くらいにプチ商業演劇に回収されて…。ウーン、ついそこまで先を読んでしまったりして。 10.00終演。吉田Y子さん、Sめ氏がI村氏に江本純子を紹介。良識のA紙は今回のタイトルと江本・町田の絡み写真に腰が引けたようで、I村氏「この次はタイトルも載せやすいタイトルにして」(笑)。 代々木上原までI村氏と一緒。「9月からデスクになるので、あまり芝居が見られなくなるかも……」とI村氏。「パルコの”ウィー・トーマス”はすごいスプラッタ芝居でしたよ。途中で6人くらいのお客さんが席を立って帰っちゃったほど。昔大人計画の芝居で身障者のフォークダンスのシーンで決然と席を蹴ったお客さんを見て以来です」 雷雨の影響で千代田線のダイヤが大幅に乱れているので、新宿経由。11.15、G駅着。帰省前に顔を出さなくてはと思い「S」へ。いつもの教授氏ら3人の常連客。0.15まで歓談。1.00帰宅。 8月4日(月)快晴 昼休みに近くの銀行まで出るだけで、めまいに襲われそうな猛暑。こんな日はクーラーの効いた会社の中で夕方までノンビリしているのが一番。 予定を変更して早めに帰宅。とにかく眠い。 8月3日(日)三沢・雨 7.00起床。窓の外は大粒の雨。朝風呂につかってノンビリ。身支度を整えて、ロビーへ。O澤さん、k條さん、N高さんと4人で朝食。福士さん夫妻が後から合流。 朝からN高さん”絶口調”。イラン公演のときのシーザー”少女髪なで事件”、キャビア・スコップ食べ放題、コンタクトレンズ騒動の話などで大盛り上がり。 9.00、K條さんらは一足先に出発。10.00チェックアウト。Mさんと合流、10.30、記念館に向かうも、方向定まらず、雨中彷徨。正午、ようやくたどり着き、途中にある老人保養所へ。M屋さんと子供たち、福士さんたちがいたので、同席し、昼食。2年ぶりのしじみラーメン。 1.40。記念館に戻り、控え室でN高さんらと談笑。青森市のK川氏と久々の再会。この前の妖怪会議にも参加したという”最年少いたこ”の松田さんという方を紹介される。”いたこ”のイメージからほど遠い、若く現代風の女性。20をちょっと過ぎたくらいかと思ったら、もう少し上だった。「若作りが成功してます?」と笑顔。9月のとりふね舞踏舎の公演に出るとか。 ![]() この後は、県内小中学生の応募による俳句、寺山修司賞の受賞者の発表と選評。在校生による、寺山作詞校歌(古間木小学校、三川目小学校)の合唱へと続く。 一区切りついてホッとした表情の新高さんら。帰りは6時過ぎの新幹線とか。 5.05、三沢駅までMさんのクルマで。駅に着くと、偏陸氏と石川氏。天井桟敷のおとうさんと慕われたH瀬さんに見送られ、車中の人。 8.10、大宮着。冬から夏。季節の境界線を越えたような暑さ。三沢では寒さに震えていたというのに。 途中でケイタイの電池切れ。9,00帰宅。ドロシーじゃないが、「やっぱりお家が一番」。 8月2日(土)東京=快晴、三沢=雨 梅雨明け宣言。カッと照りつける太陽に暑さ本番を体感。じっとりと汗ばむほど。午後まで仕事。 1.56、東京駅から東北新幹線「はやて」初乗車。さすがに八戸まで3時間余りとスピードアップ。在来線への乗り継ぎもスムーズで5時半過ぎに三沢着。昔、帰省するとき、中継地点の野辺地駅まででも10時間かかったことを考えると、隔世の感。もっとも、30年も前には切符も持たずに、無人駅から乗って、知らぬ間に(?)、上野駅の改札を抜けたこともあったが(時効?)、今はシステム化されてそんな芸当する余地などない。 北上するにつれ、途中から肌寒さを感じはじめたが、電車を降りて改札を抜けると、雨足が強い。半袖Tシャツ一枚ではガタガタと震えがくるような寒さ。駅前のタクシーで「三沢シティホテル」へ。寺山修司の同級生で寺山修司五月会会長でもある下久保作之佑氏の経営するホテルであり、寺山組の常宿。 チェックインすると、見計らったようにO澤氏から電話。「新高さんを囲む会をやるから、よかったら参加して」というので、荷物を置いて、ロビーへ。O澤さんのそばに、むつ市在住の元天井桟敷女優・M屋さん。中3、小6の子供たちと一緒。「お久しぶりです」とはじけるような笑顔。 そこにつと現れた新高さん、隣りの私を見て「あら、M屋のだんなさん?」に一堂爆笑。すぐに気がついて、新高さんも大笑い。 九條さんを待って、近くの料理屋に。三沢では有名な店という「ひより」。フランスふうのコース料理。 青森高校出身の舞踏家・福士氏と写真家の夫人、偏陸氏、彼の記録映画を撮るため同行している石川氏など10人余り。下久保氏が取り出したワインに新高さん大喜び。偶然にも新高さんの好きなワインだったそうで、「飲むのは20年ぶり」とのこと。サドヤのシャトーブリアン92年もの。ワイン通の新高さんが興奮するほどのワインとはいかなるものか、皆で味見。よくわからないけど、やはりスゴいのだろう。九條さん、新高さんのやり取りを聞いているだけで爆笑に次ぐ爆笑。ワイワイ盛りあがりっぱなし。天井桟敷時代の話はエピソ−ドに事欠かない。新高さんもしゃべること。まさに一人舞台。「昔は無口で、何もしゃべらなかったのよ、どうしたんだろう」と新高さん。「明日もあるから」と、9時過ぎに解散。 本番前ということで、誰も「延長」せず、部屋に戻って各自就寝の様子。O澤さんも「さすがに疲れたのかすぐに寝た」とのこと。朝になって、「基地の若い米兵が近くの公園で騒いでいるの聞こえてうるさかった」というが、部屋の向きが違うためか、気づかず。 部屋に戻り、手持ち無沙汰なので、NHK教育で再放送の「美輪明宏の世界」を見る。そういえば、さっきまで、美輪さんの話が出ていたのだった。寺山、美輪、新高……初期天井桟敷のエネルギーはいかばかりだったか。 11.30就寝。雨は降り続く。明日のイベントは大丈夫か。 8月1日(金)晴れ 森田建作、埼玉県知事選出馬? 何を考えてるんだか。 4.00、K記念病院。6.00帰宅。蓄積疲労解消のため、早めに就寝。 |