3月27日(土)晴れ
早い時間の新幹線の切符が取れなかったため、義母・妹、家族は午後の電車で。自分は一足早く、午前9時の新幹線、立ち席で帰郷の途。
昨日、池尻大橋でT邦大付属病院の前を通ったときになんとなく予感めいたものはあった。この病院は10数年前、母が、その数年後、父が検査入院し、病名を告げられた病院。広い東京、それ以来、来ることもないその病院の前を通るなんて偶然というには……。
明日から子供たちの春休み。意識が混濁する中、長患いをすることで、周りに迷惑をかけることを気にしたであろうその心中を察すると、胸が痛む。葬儀も周囲に迷惑をかけないような時期になった。周りに床暖房の設置を勧められながら、「薪がなくなるまで」と最後まで薪ストーブにこだわった父。1月に、「薪がなくなるのは?」と訊ねたら「3月いっぱいだな」と答えたが、その通り、山の男として生きた父を象徴する薪がなくなった時が父の最期だった。真新しい最新式の床暖房ストーブ。このストーブを父が使ったのはたった2、3日。
後でわかったことだが、父の所属した職場の事務所がこの3月で解散することが決定した。父のいままでの人生の終焉が3月に重なってしまったわけで……。
午後4時帰宅。父と対面。いまだに現実のこととは思えない。
3月26日(金)雨のち晴れ
2.30、池尻大橋。SIM スタジオ特設会場で海のサーカス「アジアン・スイーツ」。鄭義信・作、松本祐子・演出。出演=金久美子、若松武史、絵沢萌子、格務立基。
足の不自由な嫁き遅れの姉、詐欺女に身ぐるみはがされ、会社も首になった弟、3度目の離婚をし、出戻った母親、姉の幼なじみで、妻と離婚できないまま転がり込んだ男。4人のどうしようもなくダメな”在日”の「家族」が織り成す人間模様。セリフ劇で出ずっぱりの若松武史を見るのは珍しい。舞台に登場するしぐさは一瞬、ワカ風だが、次第に鄭義信の世界にしっくりハマっていく。
絵沢萌子のダメ母ぶりはまさにはまり役。ロマンポルノ時代から30年? さすがに年季の入った見事な演技。格務の役は鄭義信自身か。次第に義信とダブッて見えてくるから不思議。しかし、なんといってもこの舞台は金久美子に捧げられたもの。ドロドロの後のハッピーエンド。彼女の快気祝いとしてはまさにこれ以上はない設定。最後のウェディング姿の美しさよ。義信の久美子への深い情愛を感じさせる好舞台となった。
初日マチネだが、関係者招待日とあって客席も異色。新井純、岡本麗、渡辺えり子、山谷初男、和田喜夫、鎌滝etc。駅では江森さんとばったり。帰りは九條さんと駅まで一緒。この前のNHKラジオドラマのことで、S々木昭一郎氏から電話が何度もきて、長話になったとか。先日、DVDを送ったはいいが、実は九條さんまだ見られる環境にないとのこと。残念。
6.00、最寄り駅。明日のレール&レンタカーを予約しようとしたら「6時で終わりです」とT武トラベル。JRに行っても同じ。当日予約にすることに。7.00帰宅。
電話の呼び出し音がするたびに飛び上がりそうになる……。
PM10.07、付き添ってくれているいとこから電話。最初の沈黙ですべてを諒解。その1分後に父の人生が終わる。
3月25日(木)雨
出社。いつも通りの仕事。4.00退社。4.20、2週間ぶりにK記念病院で鍼治療。18.00帰宅。
「週刊文春」で「出版差し止め問題」を大特集。
当初は文春というタカ派メディアと真紀子というポピュリズム政治家のデキレースではないかと思ったが、文春の「発禁記事」を見たら、そうとも言えない。
このところ、角栄テレビドラマ化問題などでメディア相手に連勝してきた真紀子にとっても、今回の差し止め請求が通るのは予想外だったのではないか。右傾化する司法・政治に真紀子が利用されたと見たほうが納得がいく。
個人情報保護法が成立し、この日がいつかはやってくるだろうとは思ったが、こんな形で現れるとは。「低劣な週刊誌のゴシップ記事なんぞのために、言論・出版の自由が奪われることになったら……」と新聞、新聞系列週刊誌は声をそろえるが、プライバシー権と言論・出版の自由問題を混同したら、敵の思うツボ。これを前例として、政治家に関する疑惑・調査報道に対する「個人情報保護」攻勢が始まり、言論が目隠しされたら、この国は戦前の暗黒時代に逆戻り。一切の批判が許されない官許記事だらけになってしまう。
真紀子の娘が公人とか私人の問題ではなく、事前検閲に道を開いた今回の司法の裁定は、限りなく右傾化する政治状況を反映したものととらえるべきで、いってみれば裁判官は確信犯だ。一部報道によれば、この裁判官は「跳ね上がり」などではなく、司法の権力階段を歩むエリート裁判官という。やはり、これは司法・権力がグルになったアドバルーン作戦なのだろう。
「検閲」のアドバルーンを揚げて、国民の反応を見る。「たかが週刊誌」という国民の意識、自己保身の大新聞社の腰の引けた対応。それだけで十分。国民から「言論・出版の自由」への大規模な反撃がなければ、いよいよメディア封殺に向けての本格稼動。今、反撃の声をあげなければ、メディア規制は進み、言論の自由は封殺される。一週刊誌の問題ではなく、気がついたときには暗黒政治に逆戻り。二言目には「日本は自由の国」という人たち、「全体主義」という言葉を嫌う人たちは、この国が全体主義の不自由な国に近づいている事実をなぜ直視しないのだろうか。
大新聞社も「週刊誌・雑誌の勇み足」などと、とんちんかんなことを言ってると次は自分たちの番だ。言論・出版の自由があってこその「自由」。タカをくくってると、外堀は埋められる。文春もタカ派を気取っていれば自分たちは安全圏と思ったら大間違いだ。
「権力は赤狩りの前にピンク征伐から始める」と言ったのは大正デモクラシー時代のダダイスト・辻潤だったか。誰もが「まあ、ゴシップ雑誌や風俗雑誌なら、多少の規制もしょうがない」と思ってしまう大衆心理。しかし、その先に待っているのは権力の濫用による言論・表現の封殺。歴史が証明している。
文春は自分の嫌いな右派週刊誌ではあるが、たとえ敵であってもその言論を封殺する権力に対しては共同戦線を張るのがメディアの務め。斜に構えている大新聞・テレビは「言論の自由」の意味がわかっていない。
3月24日(水)晴れ 青森→東京
6.30起床。従姉のF子の持ってきてくれたおにぎりで朝食。病院の窓から見える青空。真っ白な雲がゆるやかに流れていく。こんなにも青空がきれいだったのか。ここが私の古里。父母がいてこその古里だと思っていたが、それは違うのかもしれない。
自分が生まれ育ち、幼少期を過ごしたこの町。この町のどこかに子供時代の自分はまだ生きている。そして遊んでいる、笑っている。
私がいなくなっても、この町では子供の頃の私が生きているのだ。
青い空、白い雲、海から吹いてくる風、松林、山々の峰。それだけでいい。土地の記憶の中に私の想い出は永遠に残る。私が消えても、この土地は私のことを忘れないでいてくれる。
9.00、M銀行へ。預金の相談。快諾してくれる支店長。
9.30、実家に行き、窓を開け放ち、空気の入れ替え。2階の部屋に行き、棚を見るとビデオに「飢餓海峡」の文字。再生したら若村麻由美版の「飢餓海峡」。確か、この前話題に出たばかり。
留守電にK藤氏の声。
この前から探していた定期が家のトイレの台に置きっぱなしになっているのを発見。駅で落としたのではなく、ここに忘れたのかと苦笑。
0.15、レンタカーでO湊に。途中の路肩で、従姉のT子と待ち合わせ。おいしいカニのツメの差し入れ。ありがたい。クルマを走らせると雪を頂いた釜臥山が迫ってくる。この2週間で何度この山を見たことか。高校時代、深夜登山をした想い出もよみがえる。明け方、山頂近くに到着するように、寮を出発する。露に濡れた草陰でほおばったおにぎりのおいしさ。率先して山に登った寮のおばさんも今は亡い。
坂道、路肩を女子高校生が懸命に自転車を漕いでくる。制服は自分の通った高校だろうか。ふいに30年前、高校生だった自分が目の前に現れるような錯覚にとらわれる。時間なんてひとまたぎ。こうして何度も東京と田舎を往復していると、時の狭間にまぎれて、自分がいったいどこにいるかわからなくなる。
2・15、O湊発。1両編成の電車。18.41、大宮着。9.00就寝。
帰りの電車でデイビッド・L・リンジー「刻まれる女」読了。リンジーの新境地か。美醜ないまぜの異形の「姉妹」に翻弄される彫刻家の陥穽。これがリンジーの作品か、純文学?と思って読み進めたら、意外な殺人事件が起こり……。緻密な情景描写と深い人間心理への洞察力。後味はいまいちだが。
3月23日(火)晴れ 東京→青森
一人欠けているので仕事のシフトはハード。それでもなんとか切り抜けて、早退。13.02、上野から新幹線。
さすがに駅弁も食べ飽きた。
N辺地駅で乗り換え。今日は1両編成。その日の混み具合によって3両まで編成が変わるようだ。さすがに立ったままの乗客が多い。向かいの席に座った女性に見覚えがあると思ったら、去年、友人のGの家で会った彼の義妹。しばし立ち話。
5.58、O湊駅着。すでにとっぷりと日は暮れる。駅レンタカーでO間へ。7.15病院着。夕張の叔母、従姉のS子、F子、K彦らが付き添ってくれている。従姉のT子が付き添い用に持ってきた布団を借りて9、00消灯と同時に就寝。
朝、家のほうにK藤氏から電話があったとの報せ。父と最も親しくしていたD源開発の社員。今は長崎に滞在中というが、何度電話しても出ないため、息子の家に電話してきたとのこと。何度か会ってはいるが、立場が違うため不快な思いをさせたかもしれないK氏。父の大事な友人ということで、連絡だけはしようと思っていた矢先。虫の知らせというのだろうか。
3月22日(月)雨
5.00起床。出勤。仕事の合間に郵便局へ。
17.00、退社。東武トラベルで切符の手配。6.00帰宅。9.00就寝。
3月21日(日)晴れ 青森
6.20起床。夜中に看護師さんが何度も回診に来るので、そのたびに目が覚めてしまう。それでも明け方までとろとろと……。お昼前に、親戚たちが見舞いに来てくれる。12.15、見送られ帰路につく。こんなに親身になってくれる親戚・従姉たちを持つ人はほかにいるだろうか。
レンタカーで1時間。電車5時間。PM7.30帰宅。義母と義妹が出迎え。
家にいないためだろう、普段はゲームだケータイだと、親は眼中にない子供たちがなぜかまとわりついてくる。小学生はヒザの上に乗り、高校生は手をつなぎ、ソファに座り3人でテレビを見るささやかな時間。
3月20日(金)晴れ 青森
6.00起床。今日は彼岸。実家に戻り、お墓の掃除。その後、病院へ。PM4、従姉のT子さんが来て、何かと身の回りの世話をしてくれる。漁師をしている叔父の一家も顔を見せる。「202キロのマグロを捕ったけど、経費がかかって結局赤字だった」とか。
夜は親戚で夕食。帰りにお風呂に入ろうとO間温泉へ。支配人のMさんと久しぶりの再会。閉館が9.00と知らずに15分前の入浴。「蛍の光」が流れ、あわてて身支度。めったに来ないので知らなかった。
9.10、病院に戻り、ベッドのそばで仮眠。
3月19日(金)晴れ 東京→青森
5.00起床。出社。仕事。9.00、京橋郵便局へ。局員が難色を示したので丸の内郵便局へ。預金の凍結という問題は非常に繊細。引き出しよりも名義変更の方がはるかにハードルが高い。こんなことでもなければ一生知らずに終えたであろう煩雑な手続き。
12.00、上野駅へ。庄屋で昼定食。有線から流れてくるのは60年代の歌謡曲。新川二郎「東京の灯よいつまでも」、松尾和子「再会」……。歌謡曲を聴くシチュエーションとしてはこの上ない場所。
13.02、新幹線「はやて」。ホームに滑りこんできた車両に乗り込んだ瞬間、息苦しさに襲われる。まるで閉所恐怖症のように、新幹線の車内が自分に迫ってくる。飛び降りたい衝動にかられるが、発車してしばらくするとおさまる。これは何なのか。
迷子の子供が母の姿を見つけて駆け出すような……北に向かうとき、自分がそんな思いに突き動かされていることに気づく。迷子は自分なのか、それとも。
17.58、O湊着。レンタカーを駆って一路、生まれた町へ。19.40着。
「今夜は泊まった方がいいかもしれません」と看護師さん。Kさんに頼んで、実家から布団を運んでもらい、ベッドの下で一夜を明かす。駆けつけた北海道の叔母、弘前の叔母と消灯時間まで思い出話。
3月18日(木)晴れ 青森→東京
7.00起床。9.00、病院。12.30、帰路の途に。14.15、O湊駅から電車。19.20、最寄駅着。そのまま旅行代理店に飛び込み、19日の予約。20.30帰宅。関東も雨模様。冷え込む。10.00就寝。
3月17日(水)雨 青森
9.00、病院へ。一日滞在を延ばしたため、切符変更の必要。PM2、S北駅へ。途中から雨が降り始める。小さな駅舎に駅員が一人。汽車の到着を待つ人々。窓口で切符の変更を申し出ると実に親切な対応。「これは旅行代理店の計算ミスですね。ここで精算しておきましょう」と、料金を安くしてくれる。「後で変更した切符を取りに来てください」とこちらを見た駅員が、おや?という顔で「もしかしたら○○君?」「……?」「N村ですよ。同級生の」
よくよく顔を見ると、高校時代の同級生N村君。卒業以来31年。言われなければわからない。確かに面影がある。高校生の顔が一瞬のうちに31年コマ落としで時間が進んだような……。まさかここで会おうとは。不思議な縁。
S北駅から南下。右手に廃墟が見える。まだ壊されずにあったのだとびっくりする。
国家プロジェクトに翻弄され続ける下北を象徴する製鉄所跡。今、廃墟ブームで注目されている場所とか。
高校時代、この廃墟の傍を通って、海岸の慰霊碑まで行くのが、寮の新入生の肝だめし「試胆会」のコースだった。真夜中0時を過ぎると、海老川駅の線路をつたって下北駅、草生す廃墟をたった一人でたどる。街灯もない真っ暗闇の中を懐中電灯の灯りだけを頼りに歩いていく。今考えると、道にも迷わずよくやったものだ。いや、道に迷い、朝まで大騒ぎになった同級生がいた。海岸線をA川駅まで歩いていき、夜が白々と明ける頃発見されたK下君。今どうしているのだろう。10数人の寮の仲間たちが、探し疲れ、早朝の駅で貨車の上によじ登り、太陽が昇るのを見ていた。
PM4.45、急遽、呼び寄せた家族を迎えにN辺地駅へ。1日見ないだけでずいぶん久しぶりのような気がする家族との再会。帰路はワイパーフル回転の大雨。途中、S北駅でN村君から切符を受け取る。事情を話すと、再度変更してもいいように、S駅発券のスタンプを押してくれる。ありがたい。
PM7.30、病院着。あまりの変わりように、声のない子供たち。
Y谷一家がお見舞いに。
PM9.00、実家に入り、4人で枕を並べて寝る。心細げな家族の姿。こんな光景は初めてか……。
3月16日(火)晴れ 東京→青森
仕事を片付け、13.02、上野から新幹線。途中で乗り換え。
終着駅に近づくにつれ、窓外は暮色が押し寄せる。沈み行く夕陽を見ていると、なぜか子供の頃の情景が目に浮かぶ。母に連れられ、親戚の家に行った帰り、迎えに来た父に背負われ、その背中越しに見た町の景色。よく、寝たふりをして、そのまま家につれて帰ってもらったものだ。
肩を並べながら歩く父と母。薄目を開けると電柱のかすかな灯火。そうだ、あの頃は夜になると、町は真っ暗。外に出るときは誰もが懐中電灯を持っていた。真の闇があった。暗い道を帰る時の怖さ……。小学生のとき、親戚の家に泊まった夜に大火があった。朝、避難先の親戚の家に迎えに来た父。その大きな背中がたのもしかった。背負われて帰る道、プスプスとくすぶる焼け跡。焦げたにおい。
車窓の景色を見ていると、取り留めのない思いが心をよぎる。それと同時に、自分の内臓がすっぽりと抜け落ち、足元に降りていくような無力感。
携帯メールの暗証番号を入力するわずらわしさを避けようと、携帯の操作をしているうちに、何を血迷ったか、リセットボタンを押してしまう。目の前ですべてが消えていく。登録した電話番号、メールアドレス……すべてが白紙に。これからどうやって連絡を取ればいいのか。
前方にも後方にも一台のクルマなく、暗い夜道をひた走る。
7.30、病院着。従姉のKさん一家が付き添ってくれている。兄弟のない自分にとって、Kさんたちはそれ以上の絆。
病室を離れ、1階の待合室にいたら、通りかかった一人の職員にKさんが「K谷さん」と呼びかける。後姿に見覚えが……と思い、声をかけると高校時代の寮の先輩・K谷さん。今は病院の事務局長とか。先日、お世話になった老人保健施設の看護師さんが妹だということも初めて知る。遠い高校時代がここにきてさまざまなつながりを見せる。
親戚のOさんの家で食事。10.30帰宅。真っ暗な家。一人きりで寝る怖さよりも悲しみが勝る。0.00就寝。
。
3月15日(月)晴れ
芥川賞作家・辺見庸氏が14日午後、新潟市民芸術文化会館での講演中に体調が悪くなり、脳出血で入院。回復に1カ月かかるという。当日の演題は「いま私たちにできること―どこまでも戦争の論理を拒むために」。
腐臭を放つ御用マスコミ、エセ・ジャーナリストが多い中、ジャーナリズムの最前線で反権力を貫く辺見庸氏。倒れるの報に、一瞬、右翼テロかと思ったが、重症ではないようで、まずは安堵の胸をなでおろす。
国際政治経済学者・浜田和幸氏によれば、ブッシュによるイラク侵攻には、アメリカが開発した新兵器を試すという大目的があったという。
先日来日した米兵器産業のトップからその詳細を聞いた軍事オタクの石破防衛庁長官は予定時間をオーバーし、その説明に目を輝かせたとか。
ラムズフェルド国防長官を命を受けた国防総省の先端技術開発局(DARPA)の新兵器とは次のようなもの。
まずはUAV(unmanned aerial vehicles )=無人機。ヘリコプターのように垂直に離着陸でき、敵の陣地に忍び込んで背後からミサイルを発射する。小型のUAVは全長15a。市街地でも森林の中でも、敵を求めて静かに移動し情報収集も行う。
鋭い嗅覚を持つミツバチに地雷や生物化学兵器を見つけさせる昆虫兵器「キラービーズ」。
コンピューター・チップとセンサーが埋め込まれた生きたネズミ「ロボ・ラット」。洞窟や地下に潜む敵を発見すると、体内爆弾が炸裂する。第2次世界大戦中にアメリカが開発した「コウモリ爆弾」の進化形とか。
さらには、ハエの目の動きを兵器に応用した超精密誘導兵器「フライ・ボーイズ」もある。誤爆が多いピンポイント誘導ミサイルの精度アップする技術とか。ほかにも、穴蔵や民家に隠れる兵士を無力化する「超音波ライオン・メガホン」や「オオカミ・パック」など、鼓膜や網膜を破壊する新兵器も実際にイラクで試されているという。
技術は戦争と共に進化するというが、人殺しの技術の進歩はすさまじい。この技術力を、難病などの研究に傾注したら、医療は大きく進歩すると思うのだが。
スペイン総選挙で野党の社会労働党が勝利。国民党は敗北。イラク戦争を支持した与党に対する国民の反発が強かったということ。列車爆破事件はイラク戦争への報復との見方も強い。「だから、イラク戦争に反対した党に投票する」がスペイン国民の良識だろうが、日本の場合、自衛隊に死者が出ようが、国内テロがあろうが、「だから、弱腰はいけない。憲法改正して徹底的に戦え」の機運が生まれるだけ。失政を失政と思わない大甘な国民性につけるクスリはない……か。
旅行代理店Tトラベルに寄って、明日の切符の手配。PM6、帰宅。
3月14日(日)晴れ
8.00起床。朝刊一面トップは「MOX燃料を使ったプルサーマルが07年にも稼動」のニュース。
関西電力高浜原発3、4号機で99年から延期されていたウランとプルトニウムの混合酸化物を使った「プルサーマル計画」が再開、07年には燃料を装荷して発電することになるという。
プルトニウムを使うことから通常の原発の何倍も危険性が増すプルサーマル。初実施という表現だが、初実験といった方がいい。はからずも昨日の映画「東京原発」の中で、日本だけがなぜプルサーマルに固執するのかが、絵解きされていた。
チェルノブイリ原発事故の影響がその後どう拡大したか。身の毛もよだつ事実に愕然としたが、ドイツをはじめとする世界各国が原発依存からの撤退を表明、危険性のない新しい発電システムの開発に傾注しているというのに、日本だけが相変わらず、エネルギー開発費用の9割を原発開発に振り向けている。口を開けば「イラクへ軍隊を送るのも世界から孤立しないための方策」と言う政治家連中が、こと原発に関しては「ますます世界から孤立」していく方向を選ぶのはなぜか。国民の税金を湯水のように食いまくり、巨大な利権となる原発を手放さない連中。放射能は相手を選ばないということを知らない愚かな人たち。
正午、北朝霞駅。電車の中で、今日届いたばかりの「網走五郎伝 もうひとつの天井桟敷」を読む。初期天井桟敷の武闘派として鳴らし、退団後は北方領土に泳いで渡り、ソ連に抑留、今は沖縄の護国神社の宮司である渡辺尚武の半生記。「武闘派」だけに、回顧もオブラートに包むことなく直截的。そのことによって、今まで知らなかった寺山修司の側面、天井桟敷内部の様子がリアルに描かれる。視点の軸が移動することによって、こんなにも見方が変わるとは。
デジタル化済みのビデオテープを捨てようとしたが、ゴミにするには忍びない。誰かもらってくれる人がいればあげます。メールで。なければ1週間後に廃棄します。著作権問題などあるので、あくまで「テープ」。たまたま下記の作品が入っていたということで。
夢みた旅 北の海峡 芸者モモ子の復活 ポルノ女優小夜子の遺産 小夜子の冒険 詩城の旅びと 金(キム)の戦争 虹のある部屋 殺意の涯て広域指定188号の女 男たちの旅路「廃車置場」 男たちの旅路「流氷」 男たちの旅路「別離」 男たちの旅路「冬の樹」 男たちの旅路「シルバーシート」 男たちの旅路「車輪の一歩」 しゃぼんだま飛んだ宇宙までとんだ(音楽座ミュージカル) 山口小夜子の「羽衣伝説」(山本寛斎演出) 「今、甦るウルトラQの世界」、松本清張原作、1991年「波の塔」(池上季実子・神田正輝)
3月13日(土)晴れ
PM3.30まで会社。マチネを入れないため気が楽。土曜の午後はなるべくのんびりと過ごしたいもの。
ソワレの前に映画でも、と思って「ぴあ」をめくったら、ちょうど時間的にぴったりな映画を発見。きょう初日の「東京原発」。主演の役所広司以下、吉田日出子、升岡徹、段田安則、平田満、田山涼成、菅原大吉、徳井優、塩見三省、綾田俊樹……まさに小劇場第一〜第三世代の役者がズラリ。これは面白い映画になると直感。新宿の武蔵野館に直行する。4.25、整理券をもらい入場。4.30スタート。
映画の冒頭、人気・リーダーシップに長けた強烈なカリスマ都知事が、都の幹部を集め宣言する。「東京に原発を誘致する!」
この驚天動地の一言から始まる東京の長い一日。
最初は「12人の怒れる男」のようなディスカッションドラマかと思いきや、「太陽を盗んだ男」のようなアクション・サスペンスが平行展開。ぐいぐい引き込まれる。
脚本・監督の山川元は山形出身。監督作品「卓球温泉」も素晴らしかったが、この映画は「プロパガンダ」と「エンターテインメント」の境を絶妙に走り抜ける、まさに原発をめぐる一大エンターテインメントとなった。「原子力戦争」「人魚伝説」など、原発を扱った映画はいくつかあるが、これは日本的な「情緒」に溺れることなく、どちらかといえば、マイケル・カコヤニス監督の「魚が出てきた日」、スタンリー・キューブリック監督「博士の異常な愛情」といったブラックで乾いた笑いが横溢する欧米映画のテイストだ。ラストシーンなど、「魚が出てきた日」の終幕を思わせる。
綾田俊樹が反原発学者として登場。その風体から学者を茶化したのかと思いきや、そうではなく、きちんと伝えるべき事実を伝える。綾田俊樹自身、以前から個人的に原発に反対を表明しており、この役はうってつけ。
いくつかの大事なシーンでカラスの鳴き声がインサートされるのだが、石原都知事を意識したこのユーモアに思わずクスリ笑い。
パンフの中で田原総一郎が1970年頃、「東京12チャンネル(テレビ東京)のディレクター時代に、雑誌『展望』に『原子力戦争』を連載したところ、会社から『連載をやめるか、会社をやめろ』と通告され、やむなく会社を辞めて連載を続けた」と書いている。当時も原発問題に触れることはタブーであり、今もその構図は変わらない。
原発問題に触れるのは国家の基幹に触れる最大のタブー。この映画のラスト近く、プルトニウム輸送車に都庁の日の丸が倒れ掛かるという象徴的なシーンがある。日の丸とプルトニウムが重なったまま、ラストの不気味な閃光へとモンタージュされるわけで、監督自身、原発=国家を意識した演出なのだろう。
映画の発想自体は広瀬隆の著書「東京に原発を」の映画化といってもいい。役所広司演じるカリスマ都知事の真の狙いは何か。こればかりは石原慎太郎にマネができない芸当だろうが。ともあれ、この映画がテレビの地上波で放送されることは不可能だろうから、ぜひ映画館で見てほしい。
終映後、下北沢に急ごうと出口に進むと、「すみませ〜ん、ぴあの調査ですが。協力していただけませんか?」と女の子たち。初日の点数アンケート調査。そうか、きちんと調査してるんだ。しばし立ち止まって調査に協力。オール満点を計上。「顔写真撮ってもよろしいですか」にはさすがに「先を急ぐので」と断ったが。後で考えたら映画の宣伝のためにちゃんとしたコメントをして掲載されればよかったかな、と。
PM7.00。下北沢。ぎりぎりセーフ。夕食をとれなかったので、駅の売店で買ったチョコレートで間に合わせ。
リリパット・アーミーU第41回公演「ちゃちゃちゃ」。わかぎえふの作・演出。明治維新前後、日本人が洋装に切り替わった時代を背景に、ある洋服職人の一家の年代史を描いたもの。坂本竜馬、土方歳三など歴史上の人物を登場させ、「洋服」にまつわる物語の主軸に据える。日露戦争に出征する息子の軍服を作りながら涙する店主の姿はイラク派兵を念頭に置いてのシーンか。
どこか新喜劇、商業演劇のにおいがするベタな作り。あとでパンフを読んだら「ネオ商業演劇」との言葉がわかぎの口から出てくる。なるほど、そうだったのか。
飯島早苗・鈴木裕美の「法王庁の避妊法」もそうだったが、「小劇場」の次のステップは「ネオ商業演劇」と考える人たちもいるのか。老若男女、だれにでも親しめる演劇……ウーン、そうなのかなぁ。
9.20、長いカーテンコール&ちくわ投げが終わり席を立つと、後ろから声をかけられる。カトケン事務所のA部さん。カトケンさんは今静岡公演中とか。
11.00帰宅。即就寝。
3月12日(金)晴れ
お昼近くに突然、S々木氏から電話。「K條さんから”どうして○○さんに知らせなかったの?”って怒られちゃってね」と苦笑い。先週行われた放送ライブラリーのこと。K條さんは都合で出席できず、電話で話をしたとのこと。K條さんに言われたことが気になって、わざわざ電話してくれたらしい。律儀なS々木氏。「今野勉氏はさすがに比喩が巧みだね。ボクのことを”軸がぶれない不動の四番バッター”だって言うの」
久しぶりのS々木氏との会話。「こんど、三人で食事でもしましょうよ」と言ってくれる。
PM3.35、銀座「K」で指輪ホテルのH屋さんとお茶。1月にメールをもらいながら、忙しさにかまけて、今日まで。5月の大宮公演のことや、演劇状況を見渡してのお茶飲み話。
「1月に恵比寿の自動車学校に行ったらK原さんがいてびっくり。相変わらず低姿勢な人で、”結婚もしたし、免許くらい持ってないと不便だから”って」
道頓堀劇場で二つの劇団が競演してから何年たつのか。E本純子も一時指輪にいたし、演劇界の変遷もいろいろ。新しい道を模索する指輪。「演劇」に対して真摯な姿勢のH屋さんにいたく感動。
PM7、世田谷パブリックシアターで白井晃演出「ファウスト」。舞台背景に映し出されるCG映像が効果的。衣裳、舞台美術、照明、音楽、演技ーーすべてがスタイリッシュな美意識に貫かれている。天井が下りてきて「牢獄」のシーンに変わる「釣り天井」舞台というのは初めて見た。どこかでやったことがあるのだろうか? ビジュアルとしても最上。奥行きのある舞台。
メフィスト役の石井一孝は非の打ち所のない演技・歌唱。今まで石井一孝をそんなに魅力的とは感じなかったが、こんなにもうまい役者だったのか。壤晴彦も素晴らしい。懸念された篠原ともえもマルガレーテ役を好演。次第次第に狂っていく様はまさに入魂の演技。白井晃が彼女の演技力を開花させた。
ただし、筒井道隆はペケ。あまりにも下手過ぎ。苦悩するファウストではなく、モラトリアムなお金持ちのボンボンにしか見えない。もともと、演技自体が茫洋として、とらえどころがない俳優。石井一孝の演技の前では素人同然。惜しい。ファウスト役が別な俳優だったら、この舞台は後世に残ったものを。
休憩20分をはさみ、9.45終演。同じ並びの席にいた北川T園氏に挨拶して引き上げる。出口で遊◎機械のB場さんに挨拶。
11.00帰宅。
3月11日(木)晴れ
2.30、写真家の小林響氏来社。4月に横浜で行われる写真展の件。高取氏の古い友人。「tribe」という辺境の人々を追った写真集が世界的な評価を受けたとのこと。コマーシャルフォトの傍ら、世界の辺境の地を巡り、写真を撮り続けている。いかにも無骨な写真家といった雰囲気の小林氏。優しげな笑顔。
PM7.00帰宅。
10日、同僚の自衛官を自殺させたとして福岡地検久留米支部は陸上自衛隊第4師団第4特科連隊の陸曹長(52歳)を自殺教唆罪容疑で逮捕した。1997年頃から毎年60〜70人が自殺しているという自衛隊。そのため、2003年には、自殺事故防止対策本部を設けたものの、自衛隊員の自殺は一向にやまない。それが今度は自殺教唆とは。借金に困った二人が相談、片方が死んで保険金で返済しようとしたらしいが……。
イラクのアメリカ軍兵士の自殺者も相当な数に上り、戦死者と並ぶ数とか。自殺したくなるほどの戦場のストレス。一方で、借財のために自殺する自衛隊員……。
昨日で雑誌「噂の真相」が休刊。事実上の廃刊。前身である「マスコミ評論」時代を含めると、30年近く毎月読んできた雑誌がなくなる。10日の日付は自分にとって噂の真相の発売日でしかない。
黒字経営で部数も安定、上昇期にある中の休刊は異例のこと。「マスコミ評論」の編集方針を引き継いだ岡留氏の真骨頂は、やはりマスコミ批判。それは、マスコミが書けない、書かないことを俎上に乗せることで現在の日本のマスコミへの強烈な批判となった。スキャンダリズムとはいうが、岡留氏の人柄を反映し、決して市井の個人への批判・非難は行わなかった。相手にするのは権力とそれに連なる追従者。権力がマスコミの報道を封じ込め、萎縮させつつある現在、自由な言論を貫いた「噂の真相」がなくなるのは、大げさではなく、国民の痛手。作家・ジャナリストの辺見庸氏が最終号のインタビューで繰り返したように、「残念」の一言。岡留氏には岡留氏の残りの人生があるだろうが、この時期の休刊は敵前逃亡と言われても仕方ない。
「非暴力と反戦がつながってる? 冗談じゃない。反戦は反戦的暴力がないとやれないんだよ」との辺見氏のいらだち。「抵抗の暴力は肯定されるべきだ」
寺山修司がいみじくもこう言った。「上から下に向かうのが権力であり、下から上に向かうのが暴力なのだ。権力に対抗する暴力は許されるべきだ」
まさに辺見庸氏の発言と重なる。力を伴わない反戦はつぶされる。チリのアジェンデ政権の例をひくまでもなく、歴史が証明している。
3月10日(水)晴れ
8.00起床。8.30から畳屋さんが来て畳替え。
引越し以来一度も替えていない畳。もうボロボロ。畳を替えるために、部屋の中の本やビデオなどを移動することを考えたら気が遠くなるので、今まで我慢していたが、もう限界。飛び込みで来た畳屋が「大丈夫、このまま、あまりモノを移動しなくても十分畳を替えられます」というので頼んだ次第。
しかし、さすがの職人たちも、部屋を見て呆然。書架の重さはは1トン以上はあるだろう。「少し本を出してもらえますか」と申し訳なさそうに言うので、ゴミ袋に詰めて隣の部屋に。結局、ビデオも本もほとんどを運び出しての畳替え。ダイニングが見る間にゴミ袋でいっぱいに。いったい、どこにこんなモノが収まっていたのかと思うくらい。
ジグソーパズルのように、古い畳を運び出し、新たに搬入。最後に書架を移動して畳替えが終わったのが12.30。タンス程度ならラクラクと考えていたのだろう。3人の職人さんは疲労困憊。
その畳替えが終わってからがまた一仕事。ビデオや本を元の位置に戻す作業は気の遠くなるような難行苦行。昼食にパンをかじりながら、5.30まで。思っていたとおり、畳替えは大作業になってしまった。しかし、新しい畳の香りに疲れも吹き飛ぶ。新しい畳はいい。
夕方、ホッと一息つくまもなく、不用品をレンタルスペースに運び入れ、東武トラベルで切符予約。宅配便発送。最後までハードな一日。
3月9日(火)晴れ
PM5、新宿。ヨドバシでプリンターを見る。CANONの560iはCDダイレクト印刷ができ、値段も安い。ネット最安値で1万5000円。ヨドバシでは1万8000円。CDラベル専用のプリンターができないものかと店員に問うと「あったら私も欲しいんですけど」と。今プリンターを買う人のほとんどがCDダイレクト印刷が目的とか。メーカーもそこをわかってくれれば。
タワーレコードで30分試聴。これといった盤が見当たらず。
PM7、下北沢。駅前劇場で毛皮族「DEEPキリスト狂」。1カ月ロングラン公演、メジャー展開とあって、本来の過激さはなりを潜め、露出もおとなしめ。ニップレスは江本純子だけ。これからの展開を考えると、「もうニップレス、エロス路線でもないだろう。女優たちも可哀想だし」ということか。レビューシーンは魅せるが、物語るシーンはやや低調。澤田、町田好調。
客席には、H谷部浩氏、O田島センセイの顔。おそらく毛皮初見? 舞台にどう対応していいか、苦慮したようなH谷部氏の気まずそうな顔、途中から深い居眠り状態のO田島センセイ。客席の様子を見るのも一興。
終演後、Sめ氏、Y田由紀子氏に挨拶。北川T園氏が「初日行ったら20分も開演を押した」と言ってたので、そのことを話すと、「そうなんですよ……」とSめ氏。今日は開演きっちりスタート。2時間10分。いつもならしつこいくらいのカーテンコールが繰り返されるのに、2回で終わり。さすがにロングラン公演のために、役者の体調維持を考えてのことか。
しかし……ハイレグジーザス=河原雅彦はつくづく偉かった。人気が出ようが、メジャーになろうが、最後まで、エロ・バカ・ショック路線を貫徹したのだから。自分たちの美学に殉じたハイレグ。さて、毛皮族=江本純子の次の公演がどうなるか……。
30万羽のニワトリを殺処分するのに30億円の費用。1羽1万円のコスト。農水省が拒んできたワクチンはニワトリ1羽につき10円。メキシコ、イタリアなどではワクチンを使っているのに。確かにワクチンを使ったニワトリの卵や肉を食べるのは、危険性がないか心配だが、農水省の対応も問題。
3月8日(月)晴れ
6.00帰宅。夕食を済ませ、さて、今日は早めに寝ようと思っていたら、隣りの部屋で「がんを患っているのに、このおじいさん、最期まで山で暮らしたいんだって……。ちょっと見て」という家人の声。行くとテレビのドキュメンタリー番組。
どうせ、お涙頂戴の大仰なドキュメンタリーだろうと思って、すぐに引き揚げるつもりで見たら、その映像の強烈な磁場に引き寄せられ、番組が終わるまで食い入るように見入ってしまう。
山口県・中国山地の、電気も水道もない山奥で暮らす老夫婦の姿を追ったもの。「最初は興味本意で二人を撮り続けた」と正直に告白するディレクター。しかし、その動機がどうあれ、一組の夫婦の絆、そして3人の娘たちの親を思う情愛を見事に切り取り、深い慈愛に満ちたドキュメンタリーとなっている。
還暦を過ぎてから、自分たちが戦後間もなく開墾し、子供たちを育てた山に戻ることを決意した夫婦。それぞれに家庭を持つ3人の娘は当然反対する。年をとってから、たった二人だけで山の中で暮らすーー病気になったらどうするのか、事故やケガをしたらどうするのかーー。
しかし、山に戻った二人のなんとも晴れ晴れとした顔。夫は70歳を過ぎてもかくしゃくとし、昔、山暮らしで鍛えた体はギリシャ彫刻のようにたくましい。腰が曲がっても、山菜採りに出かける妻の足の早さは撮影班が追いつけないほど。
山の涌き水で米をとぎ、風呂を沸かす。寝所はバスを改造したベッド。年金で米を買うために里に下りる以外は山暮らし。
山で生きる二人の活き活きとした顔。老人の顔でこんなにも晴れやかな顔を見るのはめったにない。テレビでも街中でも、老人は一様に不機嫌で無口で孤独をその顔ににじませているものだ。
時間は流れ、二人が80歳を超えた頃の映像を見ると、さすがに顔にも体にも老いが押し寄せ、たくましかったおじいさんの体にも老いがくっきりと目立ち、顔のシワがが年輪を刻む。それでも、薪割りをする力強さ。
大坂で暮らす娘たちは、そんな両親を案じ、山から下りることを勧める。やがて、ふもとの町の老人ホームに二人は入ることになるが、二人の顔には覇気がなく、日がな一日テレビを見ている生活。「みんなやってくれるから、わたしら何にもやることがないけーの」
週に1度の山帰り。その時だけ、二人の顔に赤みが差す。そして、ある日、二人は再び山に戻ることを決める。90歳近い二人が電気も水道もない山の中に戻る……。
だが、一冬が過ぎ、春が来る頃、二人は山を下りることになる。「前立腺がん」ーーおじいさんの体は急速に衰えていく。車椅子の生活。三女夫婦は大阪の寿司店をたたみ、山の麓の町に移住してくる。子供たち、孫、ひ孫たちが集っての山でのパーティー。彼らの前で、しっかりとした挨拶をするおじいさん。「子供たちに感謝している」と目を潤ませる二人。
老夫婦の最期をどう看取るか。3人の娘たちの思いも揺れる。意思を尊重して山での生活を認めるのか、それとも、病院で……。
番組の終わりは今年2月の映像。娘夫婦が山の畑を耕し、いつでも山に帰れるようにきれいに整地。車椅子で山に来たおじいさんがそれをみて嬉しそうに「ほー、ほー」と感嘆の声をあげる。再び山に帰る日を夢見るかのような笑顔。
人間の老い、夫婦の絆、そして家族の情愛ーー最近、これほど、深く胸に迫る映像を見たことはない。このような質の良いドキュメントをゴールデンタイムに流してくれた日本テレビに感謝。
3月7日(日)晴れ
7.00起床。子供を連れて、S市の躰道稽古場へ。9.00着。「○○くん、この頃、見違えるように稽古熱心になりましたね。やる気が出てきたかな」とY先生。
休憩時間に、遊びで子供相手に蹴りを入れたら、稽古終了後、稽古熱心なA先生が近寄ってきて「お父さん、前から聞こうと思っていましたけど、何か武道やってました? さっきの蹴り方は素人じゃできないですよ」と言う。「いやぁ、別に……」と答えておく。
一時、稽古場を抜けて、駅前のサミットへ。3階の雑貨・リサイクル店をのぞいてみる。中古レコードが無造作に置いてあるので、かき回すと、意外な掘り出し物。
森山良子「今日の日はさようなら」、中山千夏「あなたの心に」、小椋佳「さらば青春」、千賀かほる「いつか何処かで」、梶芽衣子「やどかり」、杉田かおる「鳥の歌」……。小椋佳のレコードは東宝映画「初めての旅」のスチール。岡田裕介、森和代コンビ。初めて見るジャケット写真だ。1枚100円。6枚を持ってレジに行くと、店主が「はい、6枚ね。消費税入れて63円ね」。63円?「630円でしょう?」「あっ、そうだった。まぁいいや。レジ打ってしまったから63円でいいですよ。また買いに来てくださいね」
トクした……。当面、プレーヤーがないのでレコードを再生することはできないが、聞ける機会があるまで保存しておこう。
2.00帰宅。プレゼント用の攻略本届く。ダビングビデオと一緒に送らなくては。
夕食は家族で「かっぱ寿司」に。店の待合室には入りきれないほどの人。待ち時間30分。牛も鶏もダメで、寿司に集まるのだろう。不況の折、100円の回転寿司の安さも魅力。
3月6日(土)晴れ
マチネに予定を入れなかったので、土曜の午後はのんびり・ゆったり。ただし、隣のビルの工事音が耳障り。
PM5退社。市谷に直行。法政大学の学生会館大ホールで万有引力「砂漠の動物園」。学内のロビーは活気があり、学生たちでさんざめく。この熱気は懐かしい。昨年、タバコの火の不始末でボヤがあったらしく、大学当局に介入されないよう、喫煙に関して自主規制のチラシが壁に。
ロビーで海津夫妻、ナカタKコ、北川T園氏らと立ち話。「今そこの道で警官に”お客さん、歩きながらタバコを吸っちゃだめだよ”って注意されましたよ。市谷は条例があるんですね」「”お客さん”って、言われたから客引きかと思った」とT園氏。
7.05開場開演。バウスシアターでの初演は見ているが、細かいところはすっかり忘れている。題名通り、砂が敷き詰められた舞台で展開する「人と事物の距離」に関する考察。メインキャストの高田恵篤の体の動きが滑らか。復帰した中村亮と二人、元桟敷組が舞台に立っているのを見ると感慨ひとしお。今回から根本豊が休団のため、「客いじり」のパートは井内が担当。当意即妙の根本節には及ばないが、適任者は井内のほか見当たらない。これからがんばってもらいたいもの。 シーザーの音楽と演出による万有演劇はほかの何ものにも代えがたい快楽。9.00終演。
市川さんらと飯田橋の「和民」に移動。総勢30人余の飲み会。矢口桃、海津、水岡、関根信二など初演組が多く、同窓会のよう。タリ、北川氏、シーザーらと歓談。
元万有の女優Iさん、珍しく二人の子供を連れてきたM丸純子らと昔話をしているうちにタイムアウト。午前0時過ぎ。今帰らないと終電に間に合わない。後ろ髪引かれる思いで家路に。万有組と飲んでいるとつい時間を忘れてしまう。旧い友人と飲んでいるように気が休まる……。0.50、赤羽乗り換え。途中駅までの終電に滑り込み。タクシーで4500円。1.30帰宅。
3月5日(金)晴れ
PM5、有楽町ビックパソコン館で父の使うシェーバーを買う。
PM6、下北沢。久しぶりにげんこつラーメン。ヴィレッジ・ヴァンガードでゴーグルエースの「デンデケロックコンボ」、ジャクリーン・タイエブ「ロリータチック’68」。ゴーグルのCDは昨年7月のリリース。気がつかなかった。
7.30、スズナリで燐光群「だるまさんがころんだ」。全世界共通の子供たちの遊び「だるまさんが転んだ」をモチーフに、地雷問題、自衛隊イラク派兵問題など「現代の戦争」の不条理を暴いた意欲作。
現地の住民に武器を奪われ、イラクの砂漠をさまよう2人の自衛隊員、ヤクザの親分から自邸を防御するために地雷を集めるよう言い渡されたチンピラヤクザ。身を挺して地雷撤去活動をする一人の女性、地雷に囲まれて暮らす貧しい村の双子の兄弟の物語、セントラクパークに埋められた地雷……それらのエピソードがスケッチ風に並べられ、最後にトータルな「兵器と人間」のイメージに集約される。
短いシーンの積み重ねが喚起する「地雷」と「戦争」。「屋根裏」と同じ構成であり、坂手洋二にとっては、「伝えたい演劇」のひとつの鉱脈になった。「だるまさん」とは、江戸川乱歩の「芋虫」、あるいはドルトン・トランボの「ジョニーは戦場へ行った」を持ち出すまでもなく、戦争がもたらす惨禍の象徴でもある。戦争・地雷・だるまさん……ラジカルな告発をエンターテインメントとして演劇的に処理した坂手の手腕はなかなかのもの。
劇中、自衛隊員が「俺たちが死んだら弔慰金やなんかで1人3億円もらえるわけだろう。その3億円があれば、現地で仕事をほしがってるイラク人が何人雇用できるんだろう」とのつぶやきに思わず笑ってしまった。
9.40終演。駅に急ぐも、帰宅は午前零時。欧米と事情が違うんだから、東京近郊に居住する人たちの足も考えて、もう少し終演時間を早くできないものか。今の「小劇場」演劇はあらかじめ終演時刻が決まっている。短い上演時間の場合は開演を遅くして、9時とか9時半終演にしてしまう。観客はなるべく早く劇場を出たいのが本音なのに、そのへんを誤解して、料金分、長い時間座席に縛り付けるのがサービスだと思っている。土曜夜に客が入らない理由を吟味すればわかるはずなのに。
3月4日(木)晴れ
民主・佐藤観樹議員、秘書給与疑惑で辞職に大騒ぎの永田町。社会党出身議員がターゲットになっただけ。この政界の「慣習」に手を染めていない議員は少なくとも自民党にいないはずがない。狡猾にごまかしているだけ。それを「民主党の責任はどうなるのか」と居丈高に言い募る自民幹事長・安倍晋三。自分の経歴詐称疑惑はどうなったのか、コイズミの留学疑惑はどうなったのか。こういった夜郎自大な連中にはヘドが出る。
7.00帰宅。発泡酒飲むも、飽きてしまい1本空けられず。なんとはなしの疲労感。
3月3日(水)晴れ
6.00起床。6.30、叔父が訪問。
9.30、戸締りして家を出る。この家に自分は何日住んだのだろう。新築して引っ越したのは小学6年の時だったか。その後、中学の3年間を過ごした以外は高校の夏・冬休みの1カ月半。学生時代はそれより多かったか? いや、帰省の期間はそんなに多くなかったはず。大学を卒業して社会人になってからは年に1回、たった1週間余りの帰省。全部合わせてもこの34年の間にわずか4年間しか過ごしていない。この家に漂う寂しさはそのまま両親の寂しさだったに違いない。その家をたった一人で出る。
親戚・父の友人の家を回り挨拶。病院へ。子供たちの写真を持ってきたので写真立てを買おうと、E写真館へ。急いでいるときに限って道路工事。一方通行をグルグル。都会ならいざ知らず、田舎に来てまで工事に泣かされるとは。11.00、E写真館でKさん、Sさんの兄妹と再会。病院で担当医に話を聞き、その後、隣りの施設でNさん、在宅看護士のKさんの二人と面談。職員、スタッフを紹介されるが、その中に中学の同級生・Nの奥さんがいた。「Nからよく話を聞いてました」と奥さん。
0.45、一路、N駅目指して出発。ぽかぽか陽気のO町。南下するにつれ、雪の町、春の町。海岸線は季節さまざま。M市で友人Bに会っていこうと思ったが、時計を見るとおそらくぎりぎり。そのままバイパスを通って、南下。N町に向かう途中は吹雪に見舞われ、一寸先も見えない。同じ県でも場所によってこんなに違う。アイスバーン、雪道。ハンドルを取られ、危険この上ない。そろりそろりと進む車列。
2.50、N町に滑り込む。給油の時間を入れたら、やはり寄り道をしなかったのが正解。こんなに雪があるとは、O町から見れば信じられない。
3.19。特急でH駅。新幹線に乗り継いで、大宮着が6.45。肌寒い。関東も冷え込んでいたらしい。
7.30帰宅。帰省する前に、貸し納戸から出してきた雛壇が据え付けられている。なんとはなしに心がほぐれる。
10.30。昨夜の睡眠不足を補うため、早めに就寝。
3月2日(火)晴れ
裁判員制度が閣議決定。自分たちにに都合がいいときはやることが早い。
水爆実験の犠牲になった第五福竜丸は9年間も夢の島に野ざらしにして、市民運動の盛り上がりでようやく展示館が設置されるに至った。それに比べて、北朝鮮の工作船の展示のすばやかったこと……。
午前中で仕事を終えて、13.04の新幹線で北上。16.45N駅着。レンタカーでさらに北上。途中から雪がちらつき、視界が5メートルもないほどの悪天候。雪道を走る怖さ。フロントグラスに雪が吹きつけてくる様子は、まさに白い悪魔。シフトダウンして徐行運転。海岸沿いを行くと、後続車もなく、真っ暗な道を一台だけが北に向かっていく。冥府に突き進むかのよう。雪も町によってはまったくなかったり、春と冬が交互に現れる。
7.10、闇の中に巨大な風力発電の羽根が浮かび上がる。O町着。そのまま、病院に直行。面会時間は過ぎているが、そこはルーズな田舎の病院。従姉のIさんが来ており、その後、同じく従姉のSさん一家が到着。8時頃引き上げ、自宅へ。人気のない真っ暗な町。鍵を開けて家に入ると湿ったにおい。人がいない家のにおい。床暖房をつけ、従姉の家に行き団欒。なんと心根のいい従姉たちに恵まれていることか。
11.30、帰宅し、床を敷いて寝るも、寒さと緊張で寝付かれず。我が家なのに、一人きりの家の中は闇が押し寄せ、不安に身を包まれる。来る途中通った峠の気温表示はマイナス3度。家の中でも冷え込み、厚い布団を二枚重ねても布団から出ている顔が冷たくなる。午前1時。そのうちとろとろと眠りの中に……。
3月1日(月)雨一時雨雪
映画「シービスケット」の前売りチケットを買っていたので、そろそろ上映も終わりだろう、見ておこうか……と思ったが、なんとはなしに行きそびれて夕方帰宅。土方巽の映画試写も間に合わず。時間の隙間を埋めるような生活を送っていると心に余裕がなくなる……か。
日本の裁判員制度の狙いは別なところにあるのでは、と思えてくる。
大企業ならいざ知らず、個人事業者や零細会社の従業員が裁判員に選ばれたら、休業補償などあってないようなもの。いやいや参加させられた裁判は適当に切り上げて、早く家に帰りたいと思うのが人情というもの。どうしたって証拠調べなど、ずさんになる傾向が強まる。
しかも、試案では、裁判員は有罪無罪の判断どころか、「懲役何年」という量刑にも関わるようになっている。なんと、アメリカの陪審員よりも権限が強いのだからびっくり。アメリカの場合、有罪無罪を評決するのが陪審員の仕事。法律的素養がない人が裁判員になって(法律家は裁判員になれないのだから、逆に裁判員は素人ばかりになる)、量刑をどうやって決めるか。裁判官の主導になるのは目に見えてる。
ムラ社会の日本。裁判員等に対する請託罪=懲役または罰金(裁判員に有罪にしてくれとか無罪にしてくれと頼むこと)があろうと、絶対、どこかから有形無形の圧力がかかる。「どこぞの親戚の友人の、その親戚の……だから無罪にして」と。それも怖い。
裁判の迅速化をはかるという意図は達成されるだろう。ぐずぐずと裁判を長引かせては、自分の仕事ができなくなる。会社の休業補償なんて当てにできない。となれば、状況証拠に依存する裁判が多発する懸念が生まれる。
そもそも裁判員制度の対象事件は死刑、あるいは無期懲役・禁固に当たる罪か、法定合議事件のうち故意の犯罪行為で被疑者を死亡させた罪。つまり重大犯罪。テレビや新聞、週刊誌が競って報道する事件だ。そこに予断が生まれる。「新聞はこう言ってる」「テレビによれば、あの人が怪しい」
さて、そうなれば裁判員にとって予断だらけの裁判となる。では、どうするのか。簡単な話。マスコミの事件報道を封じこめればいい。つまり、報道自粛、もっと進めて、「重大犯罪の報道は裁判に予断を与えるので差し控えよ」との規制。
なんのことはない。裁判員制度は「重大事件裁判の迅速化」(簡易化)とともに、報道規制という「言論・報道の自由」への介入に道を開く二重の狙いがあるわけだ。政府にとって一石二鳥。恐るべし。個人情報保護法が政府による個人情報収奪法となったように、裁判員制度が本来の市民参加・裁判員制度から大きく外れた方向に進んでいくのは火を見るより明らか。裁判員に選ばれるのは年間1万1000人。国民の150〜200人に一人は一生のうちに1度は裁判員を経験する確率とか。
最初から無作為抽出の義務制ではなく、日本の国情に合わせたように、登録制にすれば、裁判員の質も確保できるのでは……。なんて考えたら、これって徴兵制と同じだということに気づいてゾッ。最初から皆兵制にするんじゃなく、志願制、あるいは登録制にすれば、兵隊の質も高まるし……。国が国民に義務を強いるという意味でも、裁判員制度と徴兵制は同じだったのか……。